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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:森一生( 1 )

忠直卿行状記

「忠直卿行状記」は、とてもデリケートな作品です。

この作品を子供の時に見て以来、長い間そう思い続けてきました。

しかし、最近BSで放送されたのを久しぶりに見て、子供の頃から自分が抱いてきた印象(育て上げた思い込みといった方が適当かもしれません)とは随分違っていることに驚きました。

この物語は、祖父・家康から真田雪村を討ち取ったことの功労を賞賛され、家臣からも誉めそやされ、自他共に名君(これを単なる自惚だとは思いません。あんな無菌状態で幼い頃からおだて揚げられて育ったら、誰だって「その気」になってしまったと思います。)と謳われた松平忠直が、ある夜、たまたま家臣の「以前ほど負けるのに苦労しなくなったわい。」という嘲りの言葉を聞いてしまい、それまでの自分に向けられた家臣たちの賞賛が、ただの追従による嘘だったのかと絶望し、そして逆上し、その家臣たちへの疑心暗鬼からの怒りによる容赦ない復讐心から、数々の破滅的な乱行に走り、ついには幕府から改易の処分を受けるという松平忠直の「ご乱行事件」を描いた映画でした。

自分の周囲には真実の言葉で語り掛けてくれる本当の意味での信頼できる人間がひとりもいないという孤独感から、松平忠直は捨て鉢になって酒色にふけり、家臣たちの妻を寝屋に引きずり込むことによって、まるで、家臣の「忠義」の限界を試すかのような乱行を繰り返します。

しかし、誰ひとりとしてこの乱行を続ける主君・忠直に逆らったり諌めたりする者などおらず、この絶望的な答えしか返ってこないような問いを、更に問い続けざるを得ない焦燥の悪循環のなかで、忠直はもがけばもがくほど、抜き差しならない人間不信の泥沼の深みに足を取られ、ついに最も良き理解者の家老までをも斬り殺すに至ってしまいます。

主君に妻を人身御供として求められることで忠節を問われる家臣たちにとっては、妻を差し出すことだけしか主君への忠義を証し立てる方途がなかったように、その「忠義」自体が許せずに疑心を更に強めていく忠直にとって、家臣を自刃まで追い詰めることでしか気持ちの収まりをつけることができなかったのかもしれません。

死んでも忠義の嘘をつき通そうとする家臣の姿を見て、更に絶望的な不信地獄に囚われていく忠直には、もう堕ちるところまで堕ちるしかない絶望的な「自己破産」の途しか残されていなかったのでしょう。

それはちょうど、自分で自分の殺人を止めることができなくなってしまった猟奇殺人者エドワード・ゲインが、「早く捕まえてくれ!」と壁に被害者の血で懇願の走り書きを残したというあの狂気に魅入られた姿を思い起こさせずにはおかないほどの「狂気」です。

しかし、冷静に考えてみれば、この忠直の所業は随分と女々しく「幼い」印象がどうしても拭えません。

例えば失言をしてしまった家臣だけを単刀直入に処罰してしまえば、この話はそれだけで終わってしまうように思えます。

あるいは「以前ほど負けるのに苦労しなくなったわい。」と思っていたのは、家中でその二人だけだったかもしれません。

ふたりの内緒話をすべての家臣のものと思い込む心理の在り方の方にこそ、なんだか随分と歪んだ異常なものを感じます。

今回この作品を久しぶりに改めて見て、物語の展開の突飛さに違和を感じてしまったのは、きっとこのあたり→ひとことの自分への陰口・中傷で脆くも忠直をあのような乱行に走らせた動機が、もうひとつ得心できなかったからでしょうか。

例えば、拭いがたい劣等感のために、ひとつのこと(陰口や中傷)が契機になって、被害妄想が増幅され、不特定多数の通りすがりの衝動殺人へと飛躍してしまうあの狂気の論理(というか妄想)の過程の説明が仄めかされていれば、あるいはこのような違和を感じないで済んだかもしれません。

さて、ここでやっと冒頭の《「忠直卿行状記」は、とてもデリケートな作品です。》に立ち返ることができました。

子供の頃に感じたこの作品の印象をどうしても書いておかなければ、多分この小文の収まりがつかないと思うからです。

忠直が家臣から慕われている「名君」だということを、誰よりも信じていたのは忠直自身だったと思います。

それに、きっと自分でも名君であろうと努力したに違いない、その思いを根底で支えていたものは、家臣への素直で無防備な信頼だったでしょう。

主君と家臣という身分関係を、信頼関係と同じものであるべきだという錯覚が忠直にあって、身分を隔つ一線の認識を欠いたところで、主君が家臣に人間的な繋がりを求めようとしたこと自体に忠直の幼すぎる誤解があり、この痛ましい破滅の物語のすべての原因だったのだと思います。

あの時代にこのような考え方をした封建君主がいたかどうかは疑問ですが、無防備に親しみを求めようとした信頼を、ああいう形で親友に裏切られる(親友と思っていた友達が影で自分の悪口を言っていることを知るという衝撃)というデリケートなダメージは、その頃の僕にとっても大いに身につまされることで素直に理解できたのだと思います。

今回この映画を改めて見て、この映画、どうもそこまでは言ってないということを知り、少し拍子抜けしてしまったことを書きたかったのですが・・・。

(60大映・京都撮影所)製作・永田雅一、企画・税田武生、監督・森一生、助監督・宮島八蔵、脚本・八尋不二、原作・菊池寛、撮影・相坂操一、音楽・伊福部昭、美術・西岡善信、編集・菅沼完二、録音・林土太郎、照明・中岡源権、スチール・西池正満
出演・市川雷蔵、小林勝彦、水谷八重子、中村鴈治郎、山内敬子、丹羽又三郎、林成年、浦路洋子、三田登喜子、藤原礼子、千葉敏郎、加茂良子、清水元、荒木忍、須賀不二男、稲葉義男、石黒達也、三津田健、舟木洋一、香川良介、嵐三右衛門、志摩靖彦、南条新太郎、市川謹也、東良之助、葛木香一、山本弘子、井上明子、尾崎和枝、小町るみ子、金剛麗子、橘公子、芝田総二、岩田正、木村玄、松岡良樹、木口和己、
1960.11.22 8巻 2,571m 94分 白黒 大映スコープ


勘違いとはいえ一応「忠直卿行状記」に感動した僕は、それ以来「日本映画史」とか「日本映画作品全集」のような本を見かけると、そこにこの作品「忠直卿行状記」が掲載されているかどうか、まず確認しないではいられなくなってしまいました。

ここでいう「作品集」とは、世間である程度の評価を受けた作品が選ばれて掲載されている本という意味なので、例えば、既販のビデオが総花的に紹介・掲載されているというようなガイド・ブックは含みません。

多分、こういうことは、きっと誰にでもあることとは思うのですが、個人的に物凄く感動した作品があって、その作品のことを知りたいと思い立ち、調べていくうちにどの本にも全然掲載されていないことが判明し、自分が感動したその作品が日本の批評家のあいだでは些かの注意も払われていないことを知って、失望というか、突き放されたような淋しい思いをしたという経験です。

僕にとってのそういう1本が、「忠直卿行状記」でした。

子供の頃に抱いた特別な印象を、現在までひきずってきたという特別な作品です。

別段日本の映画批評家たちに自分の感性を「公認」してもらわなくてもいいのですが、しかし、その作品の良さ、そこから受けた自分の感動を誰かに伝えたいという思いを無理矢理押さえている苦痛は、鬱陶しさを通り越して、ただただ不快で堪らなくて、なんらかの形で吐き出したいというのが、このブログを始めた理由に繋がっているかもしれません。

ですので、思い込みの強さを誤魔化すことなく、なるべく自分の思いを素直に前面に出そうと努めている部分が、多分、どうしても鬱屈したものになってしまい、このブログを読んでくださる方に、僕の独善的な物言いで、時には不快感を与えているかもしれないという思いはあります。

その辺は、十分に気をつけて今後も書いていく積りでおりますので、よろしくお願いします。
by sentence2307 | 2006-06-04 10:19 | 森一生 | Comments(0)