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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:中国映画( 4 )

トゥヤーの結婚

「トゥヤーの結婚」は、内モンゴル地区の遊牧民を描いたとても素朴な映画で、2007年度ベルリン国際映画祭で金熊賞のグランプリを受賞したという評価の高い作品です。

しかし、その「素朴さ」の意味も含めて、この作品のどこが「高い評価」につながったのかについては、じっくりと検証する必要があります。

なにしろ、ベルリン国際映画祭におけるこれまでの選出作品をみると、日本作品の評価のされ方も「そう」なのですが、なんとなく偏った印象というか、ただ「目を引くような辺境もの」「物珍しい奇妙な習俗や風習」が描かれてさえいれば、ただちに評価に結びついてしまう、ちょっと安直で偏屈というかへそ曲がりっぽいものを感じていたからかもしれません。

裏返していえば、そこには、ごく貧しい中央アジアの遊牧民や、あるいは奇妙な習俗にがんじがらめに囚われ、閉ざされた身分社会のなかで追い詰められ、ついに死を選ばざるを得ない極東の狂気の武士の物語(今井正の「武士道残酷物語」のつもりですが、欧州において今井正の名前がこの「武士道残酷物語」によって記憶されてしまうとすると、やっぱりちょっと複雑な思いがしますよね)など、その映画自体に対してというよりも、むしろその「奇妙さ」「惨めさ」「残酷さ」「無様さ」「いかがわしさ」「貧乏ったらしさ」「むごたらしさ」(まだまだネガティブな言葉があると思いますので、思いついたら、あとからどんどん付け足していきますね)にそそがれる視線のなかには、ただただ興味本位の、西欧の成熟し安定した社会で平穏すぎる退屈な生活をおくることに飽き飽きした西欧人の、なんか刺激的なものはないかとアジアに注がれる視線のいかがわしさを感じてしまうのです。

死をかけて人間であることの誇りを描いた「武士道残酷物語」も、自分の家族は誰ひとり見捨てないと誓った遊牧民の妻の素朴なモラルに生きる悲しみを描いた「トゥヤーの結婚」も、同じような西欧価値観主体のひとりよがりな「評価」という視線に漉されてしまったとき、その作品が持っていた本来の姿(素朴や人間的な誠実さの意味)が、はたしてどのようなものに変質してしまうのか(逆に、極東に生きる黄色い肌をしたボクたちの「感性」が、はたしてどのように変質してしまうか、という逆作用だってないとは限りません)ちょっと気になったのです。

さて、最近、この作品について、とても驚いた(ある意味「素晴らしい」)感想に遭遇したので、これは是非とも書き留めておかなくてはと、急いでパソコンの前に座りました。

その「感想氏」は、この映画を見て、作中でもっとも印象に残ったセリフとして、「女をものにしたかったら、その気にさせてからにしなさい!」というトゥヤーの言葉をあげていました。

確かに、そのセリフは、映画のなかにあります。

元クラスメートのボロルが、トゥヤーが結婚をほぼ了承しているというのに、コトを急いで(魔が差したとでもいうのでしょうか)ホテルで彼女と無理やり肉体関係を結ぼうとして拒絶され、そのときに彼女から投げつけられる(罵られる感じで吐かれた)拒絶の言葉でした。

そんなことくらいでヒルムような気の弱さでは、日本のAVに出演することなど、もちろん望外です。

そのあとの意気消沈ぶりには、目を覆いたくなるものが、確かにありますが、あえて一番に上げなければならないような重要なものとも思えません。

むしろ、一瞬「そっちかい!」という思いで唖然としたくらいでした。

「女をものにしたかったら、その気にさせる」ことは、とても大切なことではありますし、またきわめて当然と言えば当然なことで、むしろそのことに失敗したとなると、大変なことになるわけで、翌日から彼女が目を合わさないようになる、話し掛けても答えない、こちらさえ見ない、まるで自分は彼女にとっての風景の一部となりさがってしまったかのように見過ごされ、しまいには社内の全女性から無視されるようになる、やがて全女子社員の協力をまったく得られなくなり、すぐにも仕事にいきづまる、だんだん会社に居ずらくなる、むしろ、いられなくなる、いや、その程度の社内のスポイルだけならともかく、最悪の場合は強姦未遂で告訴されて警察沙汰のとんでもない発展の仕方をすることだってないわけじゃない。

延々とこんな妄想を書き綴っても仕方がないのですが、僕が言いたいのは、「女をものにしたかったら、その気にさせる」というセリフにこのシトが心惹かれたということは、そういうことなのではないかと考えたのです。

この考え方っていうか、妄想の方向性って、ずいぶんと西欧的だなと思ったのです。

これが、僕が、この感想「女をものにしたかったら、その気にさせる」を面白いと感じた理由です。

(2007中国)監督ワン・チュアンアン、脚本ルー・ウェイ、ワン・チュアンアン、製作総指揮ユアン・ハンユエン、ワン・ルー、チェン・ツーチョン、製作コン・ターシュン、ヤン・チュイカン、撮影監督ルッツ・ライテマイヤー、美術ウェイ・タオ、録音チアン・ポン、編集ワン・チュアンアン
出演・ユー・ナン、バータル、センゲー
by sentence2307 | 2012-02-19 12:10 | 中国映画 | Comments(0)

胡同のひまわり

これは、長年にわたる父と子の確執を、文化大革命という時代の大きなうねりを背景にして描かれた作品です。

文化大革命によって画家として大成することの夢を砕かれた父親が、自分では遂に成しえなかったその夢を息子に託しながら、しかし、父親の愛情を実感することのできない息子には、ただの迷惑な重圧でしかなく、心はますます離れていくという父親と息子の葛藤と断絶とが、かなりシニカルに描かれています。

しかし、見終わったあとに奇妙に残る違和感というか「消化不良感」が、「父と子の葛藤の物語」という言葉が醸し出す繊細なイメージからは、この映画の印象がだいぶズレていることを直感的に感じとったということだったのかもしれません。

物語が描く「葛藤」が、最後には「和解」あるいは「和解できなかった」ことを結論づけなければならないのは、物語を収拾するうえでの宿命のような気がします。

この映画で「和解」あるいは「和解できなかった」ことを結論付けている明確な答えが描かれていたとすれば、きっとこのような違和感を感ずることもなかっただろうと思うのです。

文化大革命で地方に強制労働に借り出されていた父親が、何年振りかで家に帰ってくるところから、この物語は始まりました。

それまで、母親と二人だけの自由気ままな生活を送ってきた少年にとって、突然割り込んできて、しかも、なにやかやと干渉してくる「父親面」したこの鬱陶しい男の存在に苛立ちの切羽詰った思いを募らせていくなかで、到底我慢できない思いを抱えた息子は、その押し付けがましい指示のなにもかもに悉く反発します。

父親にとっても、押さえ込もうとすれば、なおさら反抗的になる息子の放埓な行動に手を焼き、思案のすえに、文化革命によって打ち砕かれた自分の「絵描き」としての夢を少年に託そうと決意して、付きっ切りで絵の技術を少年に厳しく仕込もうとします。

しかし、その結果、少年の心に積み重ねられていく鬱屈した思い、もっと自由に過ごせたかもしれない大切な少年期を無意味に喪失したという憤りと深い傷が、成人になるまで残ってしまいます。

映画の前半は、父と子のこうした確執と気持ちの行き違いを繰り返しながらも、どうにか「お父さん」と呼べるようになる息子の心の成長が描かれていく・・・などと書くと、そのあと息子の将来のために父親は息子の恋人に中絶を強要する場面(最後の部分、孫を産むことを願う父の申し出を拒む場面と微妙に照応し合っているのかもしれませんが)など、ちょっと理解を超えた場面もあるのですが、そもそも僕の疑問は、父親の突然の失踪の理由がまったく理解できないところにありました。

孫の出産を強く願う父親が、息子夫婦の堕胎の決意に反対したことで、突如息子から、父が今までわが子にしてきた理不尽な行為を悉く詰られます。

息子の中で長年鬱積してきた憤りが、時を得て突然噴出したという感じです。

「あんたは一度として僕のやりたいことを聞こうともしなかった。
あんたは、自分のやりたいように幼い僕にさせてきただけだ。
そして、僕が本当に助けて欲しい時には、氷水に僕を落としただけだ。
もうたくさんだ。
産む産まないは二人で決める。
言っておくが産むとしても、あんたたちのためなんかじゃない。」

息子から浴びせられたこの強烈な罵倒に対する父親の答えが、失踪のあとで、父の部屋のテープに吹き込まれていました。

「幼い頃から愛情を感じなかっただろう。
それが私には負い目だった。
だから私は家に戻ったとき、こう誓った。
お前のために生きようと。
世界で一番愛しているのは父だと分かって欲しくて。
だが、やり方が分かっていなかった。
努力すればいいとだけ思って、間違っているとは少しも思わなかった。
お前の言うとおり、私は父親不合格だ。
この点では人生を失敗している。
絵に関しては相当恨まれているはずだ。
だが私の目は正しかった。
お前の才能だ、まだまだ伸びる。
いい父親になることは、とても難しいことだ。
父親の本当の意味はうまく言えないが、それを教えてくれるのは人生かもしれない。
願わくばいつの日か、よき父親になって欲しい。
私は、何十年も仕事と家族に時間を費やし、自分のことを考えなかった。
日々の生活には流されてしまう。
だから決めた。
残りの人生で自分のためになにかしようと。
心配ないから捜さないで欲しい。」

息子に拒まれ、自分は父親失格だったけれども、お前の才能を認めていたことは間違いなかったじゃないか。
しかし、もう家族のために生きることはやめた、残された時間は自分のためだけに使おうと思う。
自殺はしないから、捜さないで欲しい。

父親は息子に拒まれたことで父親失格と感じ、自分のためだけに生きることを決め、家族を捨てて彼らの前から姿を消したのです。

失踪の理由に「愛情」や「誠実」の断片をなんとなく予想していた観客にとって、ここに語られている「失望感」や「放棄」に至る身勝手な論理から、家族の前から立ち去っていく理由は、到底見出すこともできず、納得もできません。

新しい家族を家に迎えた日、玄関先にひまわりが飾られている場面から推測すると、父親がまだ生きているらしいことが分かります。

僕は、このラストを見ながらひとつの仮説を立ててみました。

父親は、画家として息子が立派にひとり立ちしたので、これで自分の役割は終わったと判断して家族の前から姿を消したのだと。

しかし、何故それだけのことで立ち去る必要があるのか。

そして、そんなふうにして父親に去られた残された家族も、それほどのダメージを受けていないらしいラストシーンは、とても不可解でした。

(05中国)監督、脚本:チャン・ヤン、脚本:ツァイ・シャンチュン、フォ・シン、撮影:ジョン・リン 、音楽:リン・ハイ
出演:スン・ハイイン、ジョアン・チェン、リウ・ツーフォン、チャン・ファン、ガオ・グー、ワン・ハイディ、チャン・ユエ、リャン・ジン、ホン・イーハオ、リー・ビン
by sentence2307 | 2007-09-17 08:40 | 中国映画 | Comments(0)

中国映画を支えた日本人

先週の夜、NHK教育TVを見ていたら、特集で「中国映画を支えた日本人~『満映』映画人・秘められた戦後」という番組が放送されていて、幸運にも偶然に見ることができました。

戦争が終わっても日本に帰らずに、中国の映画制作に協力するために、そのまま中国に残った満映の日本の映画人が何人もいたということは、なんとなく知っていました。

番組では最初、北京市の朝陽に去年の暮にオープンした中国電影博物館での開館セレモニーの様子が映し出され、その短い場面からも、それが大変な盛況だったことがよく分かります。

その中国人ばかりの招待客に混じって、ただ一人招待された日本人という紹介で、映画編集者・岸富美子さんの姿が写し出されました。

85歳のおばあさんですが、とても矍鑠としていて、見るからに生気にあふれていて元気そうです。

岸富美子さんは、終戦の年から1953年、日本赤十字社のはからいで日本に帰国するまでの間、中国で作られた映画のうち、実に10本もの作品の編集に携わったこと、そのなかには、1950年に作られたあの「白毛女」の編集などもあって、いかに中国の映画関係者が彼女の技術に頼り、中国映画界の重要なポジションで活躍していたかがよく分かりました。

そのときの中国人の愛弟子も6人くらいいて、いまではもうすっかりおばあさんになってしまった懐かしい顔と再会する場面なども挿入されています。

しかし、この番組で最も印象に深かったことは、戦後の混乱期にそうまでして中国に留まり、協力を惜しまなかったというのに、この日本人スタッフへの中国共産党の扱いというか、その対応は、かなり屈折した複雑なものがあったようです。

つまり、建前として中国映画は中国人が自力で製作しなければならない、ましてや「侵略者・日本人」の助力を仰いだなどということは、あってはならないという前提からか、それら映画の製作に参加した日本人スタッフは、すべて中国名に変えられたという痛切な事実です。

しかも、作られた映画の内容というのが、侵略者・日本人の残虐な悪行を宣伝的に誇張をもって描いた宣伝臭に満ちた偏った一方的な作品であり、「中国名の日本人」にとって、これはとても悲痛な仕事だったと思います。

常識的には、日本人としてそこまでする必要があったのかという気がしてなりません。

このドキュメンタリーは最後に、1953年に帰国した彼らを待っていたのは、反共の機運がいまだ覚めやらなかった時局もあって日本の大手映画会社が彼らの受け入れを拒んだため、映画の仕事に拘ったにしろ、あっさり諦めたにしろ、いずれも以後困難な生活を強いられなければならなかったと紹介したあと、あの「中国電影博物館」にもうけられた「東北電影制片廠」のコーナーには、当時映画製作に携わった中国名の「日本人の名前」が、初めて掲げられていることが紹介されました。

ただ、これを名誉回復とか復権などと素直に喜ぶべきなのか、その失ったものがあまりにも大きすぎたその人たちの「その後の人生」を考えたとき、どうしても複雑な気持ちで画面に映し出されたその名簿を眺めないわけにはいきませんでした。

キャメラは、なめるように上から下へ名前が判読できるくらいのスピードで写していきました。

画面には11人の日本人が中国名と共に番号を付して記されています。

例えば、岸富美子さんは、4番目に安芙梅と書かれているように。

しかし、ちょっと待ってください。

番組の中では、確か1953年に帰国した日本人は80人と記されていました。

テレビの画面には、1番から11番の表示のあるものしか写されませんでしたが、きっとそれは「岸富美子さん」の名前だけを写せばよかったのだから、まずは「その1枚」を写したに過ぎなかったのだと思います(他の69人が割愛される理由などちょっと思いつきませんしね)。

しかも、この「戦後の中国残留」といえば、誰もがまず最初に想起するであろう内田吐夢と木村荘十二の名前がこの番組のなかでは一切語られていないのが、僕にはどうも不自然でなりませんでした。

しかし、内田吐夢と木村荘十二とても、80人の内の単なる1人にすぎない、ただそれだけのことだと言われてしまえば、それはそうなのですが・・・。
by sentence2307 | 2006-06-13 23:23 | 中国映画 | Comments(1)

山の郵便配達

1999年の中国アカデミー賞金鶏賞で最有力と見られていたチャン・イーモウの「あの子を探して」を抑えて、最優秀作品賞と最優秀男優賞を受賞したほか、4部門にノミネートされ、また、99年モントリオール映画祭で観客賞を、2000年インド国際映画祭で銀孔雀賞審査員大賞を受賞した評判の作品です。

「あの子を探して」も奇を衒うことのないストレートな作品でしたが、あの作品以上に、更に小細工のない素直な作品という印象を受けました。

これは、息子が父の仕事を引き継ぐ「特別な日」を描いた作品です。

原題は、「那山 那人 那狗」で、「あの山、あの人、あの犬」という意味だそうですから、長年、郵便配達員の父親に付き添ってきて、話の発端をつくるシェパード犬も、この物語では重要な役割を担っているわけですね。

1日40km歩く過酷な郵便配達の仕事に長年父親が連れて歩いたシェパード犬を、父の仕事を引き継いだ息子の道案内のために一緒に行かせようとしますが、どうしても従おうとしないことから、この父が子とともに最後の郵便配達の仕事に出かけるところから物語は始まります。

犬の名は「次男坊」、中国の一人っ子政策を暗示するその命名のもうひとつの理由として、長男と心が通わない父親の淋しさが込められてもいるのかと、つい勘繰ってしまいたくなりました。

また片方では、仕事の忙しさに追いまくられて留守勝ちだった父の不在がちな家庭で、ひとり取り残された母親の寂しさを間近に見続けて育った息子の反撥も描かれています。

きっと多くの親は、観念として子供の成長についてゆけず、子供の実年齢を「読み誤り」、息子をいつまでも頼りないものと考えながら、会話の機会も得られないまま親子の溝を深めているのかもしれませんし、子供たちも、仕事の忙しさにかまけ留守がちな父親の「仕事」自体を理解することができないまま、頭から子ども扱いする親になんとなく反撥するしかない立場に追い込まれているのかもしれません。

なんとなく疎遠になった父とふたりきりになった時、どうしていいか分からない戸惑いの感じを、息子のセリフが言い表していました。

「父となにを話していいか分からなかった。父は家にいないことが多く、たまに帰ってきても僕は外で遊んでいた。」

この映画は、リタイアする父親の仕事を引き継ぐ息子が父と行動を共にしながら、親の仕事の本質的な意味を知り、更にその「仕事」の中に、常に妻や子供を気遣い続けてきた家族への愛情も含まれていることを知っていく幸運な機会を得た親子の物語です。

父親は息子に、道を教え、集配の手順を教え、手紙を運ぶ責任の重さと仕事の誇りを教えながら、父子の旅が描かれます。

ともに歩むこの旅で、人々の信頼を得ている父の姿に接し、息子は徐々に父への尊敬の念と仕事への責任感を深めていきます。

日本の父親の中に、自分が何のために働いているのかが分からなり、家族もその仕事を理解せず、空虚な思いを抱えながら、孤立感を深める人がいたら、この映画は、「働くことの意味」を、きっと思い出させてくれるかもしれません。

さて、親子が郵便を届けにきた山村で、仕事で山に出払っている村人を待つ間、父親が吸うタバコを自分にも吸わせてくれと息子がいう場面から、このぎこちない親子の気持ちの通い合いが静かに語られ始めます。

もうお前も大人なんだな、という父親の戸惑いと嬉しさとが描かれている場面です。

父親が、今日で自分の仕事は最後になるが、代わりの息子をよろしくと挨拶して村人たちと別れる場面は、逆に息子が、今まで知らなかった父親の仕事の意味が分かり始め誇らしく思い始める場面でもあることが、少しずつ増えていく親子の会話によって分かります。

父と母の出会いや、ささやかでも父なりに懸命に支えてきた自分たち家族の歴史があることに息子は徐々に気が付いていきます。

そして、その延長線上にあるひとつのエピソードが語られます。

この場面は、この作品を理解するためにも、重要なシーンです。

ある村で一人暮らしの眼の不自由な老婆が、都会に出て行った孫からの手紙を心待ちにしています。

しかし届くのは、お金だけ。

実は父親の郵便配達員が「手紙」を添えて老婆にお金を届け、老婆を気遣う孫からのその手紙をアドリブで読んでいるのです。

だから、その手紙はいつも白紙です。

勧進帳みたいな人情話なので驚きますが、老母に告げるには、あまりにもシビアな現実があり、父親が嘘をついてまで老婆に偽りの平穏を届け続けてきたことが分かります。

そして、白紙を手渡され、息子に同じ「仕事」を引き継がせようとするこの場面の描き方は、「隠すのはよくない。事実を知らせるべきだ」という息子の問いに、「喜ばれる手紙だけを届けたい」という父親の考えが、すんなり僕たちにも分かってしまっています。

父を背負って川を渡る啄木の歌みたいな場面のあと、息子の首の傷のことを知らなかったことに愕然とする父に、それまで父を「あんた」としか呼べなかった息子が初めて「父さん」と語り掛けます、それはお互いを思う気持ちがピークに達する場面でもあります。

家族を気遣う気持ちが誤解を生んで親子の間を疎遠にしていたことが分かり始めます。

(注)この親子が歩いた行程を書き留めました。
中国・湖南省西部の山間地帯とあります。「湖」は、洞庭湖ですね。
「40キロ歩くと天車峰、それから望風坑、つぎの九半竜で1泊、翌朝は寒婆幼へ、揺掌山を越え大月峰まで40キロ。3日目は一気に山を下り、また40キロ歩く。」
東経28度位の位置ですから奄美大島くらいでしょうか。気候的には温暖な所なのでしょうね。

親子が郵便を配達して歩くある山村の祭で、息子は村の若い娘と親しくなり、父親は自分たち夫婦が出会った頃のことを思い描きながら、「あの娘、どうだ」と問います。

息子は「故郷を恋しがるから、彼女は駄目だ。山の人は、山に住むのが一番だからね。」と答えます。

この一言に複雑な表情で反応する父親の、山岳民族の出である母親が長い間故郷を離れて我慢してきたことを痛切に察し動揺する様子が、繊細な表現で語られています。

この部分は、父親が、仕事の手順とともに息子に語り聞かせる、山を離れられない山岳の少数民族の人々にとって唯一大切なの通信手段を届けるという郵便配達の、過酷ではあっても喜びも大きい責任の重大さを語り聞かせる冒頭部分と共鳴し、その視野から外れていたかもしれない同じ山岳民族の出である母親の存在が大きくクローズアップされるシーンでもあります。

家族を思う息子の、大きく成長した証のような言葉です。

ナレーション「父親が家族をずっと思っていたこと、それは、これからも変わることなく。」

これは普遍的な物語であるとともに、いまのシビアな現実には存在することのできない既に失われた過去の物語でもあるのかも知れません。

この作品の感想に、昔の懐かしい風景に心魅かれた、というコメントをよく目にしました。

日本にも、かつては、こういう風景がそこらじゅうにあったんだ、というノスタルジックな感想です。

それは、豊かになって失ってしまったものの大きさに気がついた、という貧しさへの郷愁といったニュアンスも含まれているのかもしれません。

「あの子を探して」でも、中国僻地の途轍もない貧しさが描かれていました。

そこでは都市の繁栄の陰で置き去りにされる僻地の貧しさを告発しているとともに、しかし、同時に、徐々に解消される方向にある「貧しさ」というものを、一種のノスタルジィとして語り始めようとしている姿勢もなんとなく感じられます。

その感慨は日本でも共通し、この作品の多くの感想の中に「郷愁」という言葉を随所で目にしました。

かつて、日本にもそういう自然豊かな美しい場所があった、貧しさに耐えて自分の仕事をひたむきに成し遂げることに誇りをもっていたそういう人たちもたくさんいたのだ、という思いが込められたものです。

そして、その感想は、日本がまだ貧しかった遠い時代を懐かしみながら、物の有り余る豊かさが、心の豊かさとは何の関係もないことを示唆しています。

しかし、かつて僕たちの先輩が、貧しさの中から仰ぎ見た豊かさに身も心も満たすようなバラ色の悦楽境を夢見たということは、逆の言い方をすれば、必ずしも、貧しさの中には心を満たすものなどなにひとつなかったからでしょう。

生きる目的もなく、ただ貧しいだけなら、むしろ、虚しくとも豊かである方がまだマシだという「大人の選択」があって僕たちの先輩はこの戦後を疾走してきたのだと思います。

なにもかも承知の上で、人は緑豊かな山河や思いやりに満ちた温かい人の心と引き換えに、豊かさを選択したのだと思います。

それでは、いけないのだ、ということは分かりますが、そのことを今頃気が付いたみたいな言い方の、「郷愁」などという種類の言葉を無神経に使うことは僕には到底できません。

そう考えなければ、人の幸福は、貧しいからとか、豊かになったからどうだとかいうような性質のものではない、というただそれだけのことを知るために、僕たちは膨大な時間をイタズラに浪費してしまったのでしょうか。

この映画での多くの感想にあった「郷愁」という言葉の実体の中に、豊かさに病み疲れた感性では、もはや貧しいために強いられる禁欲的な側面も見定めることができなくなり、かえって「それ」を魅力的なものに見てしまう現代日本の病理的な「症状」を僕は見てしまっているのでしょうか。
by sentence2307 | 2006-06-06 23:57 | 中国映画 | Comments(0)