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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:ジョン・ヒューストン( 1 )

ここのところCSで、繰り返しジョン・ヒューストンの遺作「ザ・デッド/ダブリン市民より」が流されているのは知っていました。

何度も繰り返し見てきた作品なのですが、ラストのあの謳い上げるような夫ガブリエルの独白の荘厳さ・格調の高さには、見る度ごとに感動で打ちのめされてしまいます。

同じ作品の、それも同じ箇所で、最初に受けたと同じ感動を繰り返し受け続けてしまうというのは、考えてみれば、驚異を通り越して奇異とさえ言えることなのかも知れません。

普通なら、「感動」しても、繰り返し同じ経験を重ねてしまえば、次第に慣れ、徐々に薄れていくのが本当でしょうから、この作品「ザ・デッド/『ダブリン市民』より」には、根深いところで自分と共鳴する「何か」が潜んでいるのだと思います。

しかし、いままでそのことを深く考えたことなど一度もありませんでした。

えてして、物凄く感動した映画って、それだけで圧倒され、手放しで充足してしまい、それ以上突き詰めて考えようとしなくなってしまうものなのかもしれません。

僕には、深く感動したこの映画に関するデータをひとつも所有していないことに突然気が付いたのでした。

考えてみれば、僕が自分のブログに、備忘録的にせっせと書き込んできた作品とは、結局、物凄く感動を受けた作品というよりは、未熟さ・欠陥・奇妙さが際立っていて関心を惹いたという作品のほうが、遙かに多かったみたいです。

きっとその方が、面白おかしく作品の感想を書き易かったという安易な利点があったからでしょうが、この「ザ・デッド/『ダブリン市民』より」についてのあまりの手掛かりの少なさを前にして、本当にそれでいいのかという気もしてきました。

立ち向かうことを避けてしまう先にあるものが、必ずしも「外的な生理的に嫌なこと」ばかりでなく、「自分の深層にある忌まわしい欠陥を暴かれる恐怖」もあるのかもしれません。

自分としては、取り立てて意識的に避けてきた積りはないのですが、しかし、それではこのブログを持続的に書いている意味がありません。

この作品には、当然ジョン・ヒューストンの遺作という重みが全編を覆っています。

人生の空しさが描かれていることも「そう」なのでしょうが、しかしその空しさは、夫ガブリエルが妻グレタから告げられた、彼女の若き日に失った恋人の話と、「いっそあの時に死んでしまえばよかったのだ」と泣き崩れる妻の失意と悔恨の姿を見ることによってもたらされた空しさだったと思います。

ひとときも昔の恋人を忘れたことがなかったという悔恨を抱えたまま、彼女が過ごしてきた自分との時間とは一体なんだったのだろうと、夫ガブリエルは深い絶望の思いに囚われます。

しかし、妻の衝撃的な告白を受けた夫ガブリエルの絶望が、はたして夫婦として過ごしてきた時間の中に妻の愛情が存在しなかったことに対してのものだったのか、実は長い間の疑問でした。

あれだけの省察をとげるような夫ガブリエルが、はたして同時に妻の愛を無防備に期待したり、また愛の不在を安易に失望したりするようなタイプの人間というようなことがありえるだろうか、という素朴な疑問でした。

僕には、彼が、「人間」に対して期待したり失望したりするような、そういう人間には、どうしても思えないのです。

妻グレタが、かつて最愛の恋人を失って以来、心密かな追憶と「愛の不在」に堪えながら絶望の中で生きてきたように、夫ガブリエルもまた、すでにこの現実の大切な何かを失ってしまった喪失感のなかで、そのようなことを何もかも知り尽くし受け入れた「成熟」のなかで生きてきたような気がします。

あえて言葉で確認し合わなくとも、この夫婦にあっては当然の前提のように、その「成熟」(カタチばかりの「関係」を維持していくだけで十分な社会的分別を果していこうとする認識)はあったのだと、ガブリエルは諦念の中で信じていたかもしれません。

この映画のラストで、もし、夫カブリエルの失望が少しでも描きこまれているとしたら、それは妻が、この人生に対して、泣き崩れて嘆き哀しんで悔恨するだけの、この現実への微かな期待をいまだ持ち続けていることに対する衝撃と羨望だったかもしれません。

誰もが諦念の中で堪えて生きているのだと思っていたガブリエルにとって、すでに失ったとはいえ「真実」を心の支えとして追憶の中で生きている妻の慟哭している姿は、心を閉ざして生きているガブリエルに、さらに深い孤独を感じさせずにはおかなかったと考えることはできないでしょうか。


《夫・ガブリエルの独白》
夫婦とは、いったい何なのだろう。
私は妻の人生のなかで、なにを演じてきたのだ。
むかしの君の美しさを知らないけれども、きっと君は美しかったに違いない。
しかし、時を経たいま、もはや君はマイケルが思い焦がれた美しい少女ではない。
過ぎ去った時を取り戻すことはできない。
なぜこんなにも心が乱れるのだ。
なにが原因なのか。
馬車で君は私の手のキスに応えなかったからか。
パーティーでの下手な私のスピーチに腹を立てたのか。
それともワイン、ダンス、音楽か。
おお哀れなジュリア。
「婚礼のために」を歌ったときのあの老いた悲しみの表情。
彼女も祖父や馬のように、やがてこの世の亡霊となるのか。
私は喪服を着てあの客間に座り、日よけが降りたなか、弔辞の言葉を考えるだろう。
しかし、すべては、無意味なたわ言でしかないだろう。
そう、その日は、きっと間近なのだ。
新聞の予報は正しかった。
アイルランドを雪が覆っていく。
雪は暗い中央の平野にも、樹木のない丘にも、アラン島の沼にも降り続ける。
そのむこう、西の彼方にも音もなく雪は降り注ぐ。
暗く渦巻くシャノン川の流れにも雪が降る。
人は皆いずれ亡霊になるであろう。
むなしく年老いて死ぬより、せめて情熱を抱きながらあの世へ旅立ちたい。
絶望し死を望んだほどの彼の思い出と哀しみの囚われから、できることなら君を解放してあげたい。
誰かのことを生涯をとおして強く思い続けることが、本当の愛というものなのだろうか。
この世の始めから今まで、多くの人がこの世で生き死んで行ったように、私もいずれこの世を離れ、やがては彼らのように灰色の世界へと旅立つだろう。
この世にあって私とともに生きた人々が消え去り、やがてはこの世界自体もいつか衰えて消え去っていく。
雪は降り続ける。
マイケルが葬られたあの寂しげな墓地にも、雪は音もなくひそやかに、宇宙から降り注ぐ、この世の最期がくるまで、生ける者にも、死せる者にも平等に。

(88アメリカ)監督:ジョン・ヒューストン、製作:ウィーランド・シュルツ・カイル/クリス・シューニッヒ、原作:ジェームズ・ジョイス、脚本・トニー・ヒューストン、撮影:フレッド・マーフィ、音楽:アレックス・ノース
出演:アンジェリカ・ヒューストン、ドナル・マッキャン、ヘレナ・キャロル、キャスリーン・ディレイニー、ジュリア・モーカン、レイチェル・ダウリング、ダン・オハーリー、フランク・パターソン、コルム・ミーニー、イングリッド・クレイギー、マリー・キーン、ドナルド・ドネリー、
by sentence2307 | 2006-06-24 11:34 | ジョン・ヒューストン | Comments(1)