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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:シドニー・ルメット( 1 )

夜への長い旅路

キャサリン・ヘップバーンの死去が報じられたとき、「アカデミー賞」の看板を掲げていたあるブログで、書かれていたのはオードリー・ヘップバーンのことばかりなのには、苦笑させられてしまいました。

単に同じ名前というだけの理由で、自分の限られた知識を疑いもせず「日本の知名度」という不確かな印象だけで堂々と断定して書いているその感覚には、首を傾げざるを得ません。

アカデミー主演女優賞を4度受賞し、ノミネートが実に12回という驚異的な実績を残しながら、まるで、映画オタクでなければ、この大女優のことは誰も知らないハズ、と断定するその思いあがりと無神経さには耳を(目を?)疑いたくなります。

しかし、まあキャサリンが賞を得た作品のうちで、本当に受賞に相応しいものかどうか疑わしいもの、受けて当然だったのにそうでなかったもの、など確かにあるとは思います。

賞には、やはりタイミングもありますしね。

でも、主演女優賞を4度受賞し、ノミネートが12回というキャリアは、実力がなければ「タイミング」だけではなかなか取れません。

つい先だってのAmerican Film Instituteの女優人気投票で、2位のベティ・デイビス、3位のオードリーを大きく引き離して1位となったランキングが報ぜられたのは、まだ記憶に新しいところですよね。

それにつけても、オードリーの死後、映画という作られた虚像によって深く傷つけられた晩年の痛ましい彼女の実像を知らされ、オードリーも結局は、もう一人の「モンロー」だったのかな、となんとなく痛ましく感じたことを思い出しました。

それに対して、あの自分の意思を貫いたキャサリン・ヘップバーンのその力強い個性と生き様は、終生の伴侶スペンサー・トレイシーと生涯通して濃密に関わった数々のエピソードを知るにつけ、生涯にわたって唯一つの愛を貫いた生き方に清々しさとともに、女性にとっての自立するという生き方の本当の意味を強く感じました。

アメリカにおけるキャサリン・ヘップバーンの人気の秘密は、この辺にあるのかもしれませんね。

ただ、作品として彼女のベストを挙げるとなると迷います。

僕個人としては「若草物語」のジョーを演じたキャサリンが忘れられません。

ただ、未婚のまま中年をむかえた一見芯の強そうでいて、同時にどこか脆さを同居させた盛りを過ぎた女性の印象が強いのは、きっと「アフリカの女王」や「旅情」が僕の中に大きな位置を占めているからだと思います。

精一杯虚勢を張って男に食って掛かる役柄の延長に、最愛の人を温かく見守ることしかできないで、ただ悲しげな愛情深い女性まで彼女の幅広い役柄のほかに、シェイクスピアやテネシー・ウィリアムスのものまで付け加えたとしても、彼女の演技の全貌をまだまだ見たような気がしないのは、きっと僕がいまだ、あのカンヌ映画祭でキャサリン・ヘップバーンが主演女優賞を受賞したという、ユージン・オニールの戯曲、シドニー・ルメット監督、ボリス・カウフマン撮影の伝説の映画「Long Day‘s Journey into Night」1962を見ていないから、キャサリン・ヘップバーナという女優の大きさを断ずるだけの自信がもてないのだろうなと思っています。

友人の話だと、日本では輸入・公開されなかったシドニー・ルメットのこの作品、以前BSで放映されたことがあると聞いてビックリしました。

ウカツにもチェック漏れです、見ていません。

それを今頃気がついたって、どうなるものでもありませんから、ここでは、シドニー・ルメット作品の感想を書くことは出来ないわけで、ユージン・オニールの戯曲に描かれている母メアリーという女性像を辿ることで、栗山演出の舞台や戯曲原本などと照らし合わせながら、そのメアリーを演じたまだ見ぬキャサリン・ヘップバーンの演技をあれこれと想像してみるのもいいかなと考えました。

こんなふうに未見の映画に想像の翼を拡げ、思いを自由に馳せるのも結構いいものですよね。

これも映画鑑賞の大きな愉しみ方のひとつと考え、また、いつかはきっとめぐり逢いたい「Long Day‘s Journey into Night」への僕のオマージュとしてのLove Letterだとでも考えてください。

モルヒネ中毒で入院した母メアリーが退院してから2ヵ月たった頃、前夜から再びモルヒネに手を出し始めた彼女の、薬による幻想と錯乱へと溺れ込む、これは、その朝から真夜中までの出来事が描かれた戯曲です。

剥き出しの物欲と情欲とを曝け出す家族=夫や息子たちへ向けたメアリーの苛立ちと怒りが、愛憎のなかで描き出される絶望という「夜」へと続く長い旅路です。

娘時代に夢見た輝かしい希望も、もはや愚劣な現実に無残に打ち砕かれ、既に破綻した結婚生活の惨憺たる現実を前にしたメアリーは、いままでの家族との生活のすべてを後悔しながら、自分と家族の葛藤の歴史を少しずつ思い出していきます。

それは、いまあるこの現在を呪い、毒づき続けるように再現される夫との結婚生活が、不幸の根源・後悔のそもそもの出発点であったことを暗示するところまで突き詰められていきます。

失意と後悔のその過酷な板挟みの中で引き裂かれたメアリーは、その苦痛に満たされた心の闇から目を逸すように狂気に囚われることによって、自身の奥深くに何を封印してきたのかが、その過去の再現によって徐々に解き明かされていきます。

自分をどんなに苦しめたかしれない夫の吝嗇や土地所有の異常なまでの執着を責め、その父親の性格破綻振りの影に見え隠れする息子たち兄弟の凄惨な確執も少しずつ描かれます。

まず、麻薬常用の原因となった次男の出産にまつわる記憶に浮かび上がる、次男出生以前に死んだもうひとりの子供への罪の意識です。

それは、子供を置き去りにして夫の元へ逢いに行った間の出来事として起きたその子の死。

そのもうひとりの子供の死に深く関わった長男が浮かび上がります。

親の言い付けを守らずに麻疹を感染させて、その子を死に至らせた長男。

メアリーは、長男に辛辣な言葉で吐き棄てるように過去の彼の不注意を責めます。

「弟に親の愛情を奪われるのが怖くて、あの子が憎かったのか。あんたは、あの子がこの世からいなくなればいいと思っていたんだろ。」

それらすべては、半分の真実を差し引いても、彼女自身の人生に対する深い憎しみの反映でもあります。

メアリーは、もう決して子供を持つまいと決意したにもかかわらず、生まれた次男は自分が望まれて生まれてきた訳ではない事を十分に知っています。

誰もが罪の意識からは自由でいられない家族を責め続けるメアリー。

妻や息子たちの憎しみを一心に背負う父。

弟殺しを意識の隅に抱え込んでいる長男。

望まれないままに生まれてきた次男。

その中心に彼らを呪う心を病んだ母がいます。

たとえ、この物語のラストで和解や再生のかすかな可能性が暗示されているとしても、それは人間であるということの呪縛から解き放たれたということでは決してないことは言うまでもありません。
by sentence2307 | 2006-06-25 18:31 | シドニー・ルメット | Comments(108)