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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:高林陽一( 1 )

金閣寺

金閣寺放火というこのスキャンダラスなテーマの前には、常に「炎上」という市川崑の巨大な作品が立ち塞がっています。

いや、そういえば、田坂具隆の「五番町夕霧楼」も同じ金閣寺放火の事件を扱った優れた作品でしたよね。

それぞれに描き方や解釈が違っていても、それらの作品は、共通した一本の太い線によって貫かれていました。

吃音というハンディによって蔑まれ、差別され続けてきた青年僧が、荒んだ心の唯一の拠り所として憧れ仰ぎ見てきた金閣寺の美が、戦後社会の堕落の中で色褪せていくことに耐え切れず、いっそ金閣に火を放ち、その美の消滅の中で、自らも死を選び取ろうとすることでしか癒されることのなかった青年の深い孤独感が描かれた小説でした。

おどろおどろしい日本土俗の暗い因習美に満ちた心中行「西陣心中」を撮った高林陽一の作品「金閣寺」と聞けば、そうか、高林こそは、耽美の極北に位置するこの作品を撮るべき最もふさわしい映像作家だったのだということに始めて気がつかされたような思いがしました。

自らの醜さとその吃音のために蔑まれ続けてきた青年僧が、そのためにこそ幼い頃から心の拠り所として偏執をこめて憧れてきた金閣を、初めて眼前にする場面から、しかし、僕は失望しました。

薄汚れた実際の金閣への失意の裏打ちとして、青年の幻視し続けてきた至上の美たる金閣を納得させるだけのワン・ショットも、残念ながら見出すことはできませんでした。

世間からの蔑みと拒絶の中で、孤立に追い込まれた吃音者のはぐくんだ憎悪は、次第に、はっきりとした敵意の形を整えながら、居たたまれないような切迫した憤怒へと突き詰められていきます。

それは、凡庸な愛や女たちへ向ける憎悪が、次第にはっきりとした敵意となっていく意識のもう一方で、金閣の美に対する性的な様相を帯びた思慕となって表われていく過程と重なっています。

それは、戦時下にあって滅びの予感を抱えながら、いつ消失するかもしれないという不安の時間の中で、しかし、不遜なまでに燦然と煌めく金閣への畏敬と、そして性的な思慕をいっそう募らせていくという倒錯した至福の領域を徐々に広げていく時間でもありました。

ただ止むことなく、更に閉ざされた孤独な美の観念を一層純化させながら、ひたすら自分自身のためだけの絶対美への極点へと駆け上るその瞬間、青年は生あるものとして金閣に肉体を感じ、同衾への欲情にも似た狂おしい官能に打ち震えたのかもしれません。

いわば、青年僧と「金閣」との蜜月ともいえるこの艶かしい時期を描き切ることだけが、やがて「彼ら」の「無理心中」としての破滅を美の必然で飾り立てることができたのだろうと思います。

しかし、いたずらに「女」への劣等感を強調する高林演出は、ラストの炎上する金閣に抱かれて恍惚としている青年に、母親への性的欲望などを想起させたりしています。

吃音のために虐げられ続けてきた青年の内向した憤怒が研ぎ澄まされ、「正常な者たち」のもっともらしい良識によって、それらしく形作られているにすぎないうわべだけの嘘っぱちの平穏さの中で、腐乱しつくした社会への怨みや殺意が、ここでは単に失われた母性を求めるありきたりな孤独な青年の鬱屈として一段貶められて描かれているにすぎませんでした。

彼には、きっと、危うい破滅の彼岸にたゆたい立つ金閣が、すでに内なる肉感を兼ね備えた同衾すべき欲情の対象として、遂に金閣と一体化することができたのだと思います。

炎につつまれながら、恍惚の内に金閣の「胎内」でのたうち回り、そして欲望に殉じたこの性倒錯者の一瞬の悦楽は、陳腐な「マザコン」風な解釈によって、完膚なきまでにこの映画から掻き消されてしまい、耽美に至り切れなかった高林陽一は、ただ青年僧の歪んだトラウマの謎解きに終始してしまったといわざるを得なかったのかもしれません。

(76ATG)監督脚本・高林陽一、製作・高林輝雄、西岡善信、原作・三島由紀夫、企画・葛井欣士郎、撮影・森田富士郎、美術・西岡善信、スクリプター・倉嶋暢、スチール・小山田幸生、助監督・都築一興、照明・山下礼二郎、
出演・篠田三郎、柴俊夫、横光勝彦、島村佳江、テレサ野田、辻萬長、寺島雄作、市原悦子、水原ゆう紀、内田朝雄、新井純、加賀まりこ
by sentence2307 | 2007-01-09 22:45 | 高林陽一 | Comments(0)