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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:マイク・ニューウェル( 1 )

マイク・ニューエルのこの作品、確か公開時の宣伝コピーは、「1955年、イギリスで最後に絞首台にのぼった女ルース・エリス」だったと思います。

イギリスは、現在では、死刑制度が廃止されているという社会的な背景が前提になっていて、ふたりの男の間で苦悩した末に、最も愛した男を、一方的に慕うことによる嫉妬と憎悪によって射殺するに至る女の生々しい情念を痛切に描いた傑作です。

僕自身がもっている「女性の愛し方というもの」についての固定観念を根本から揺るがし、物凄いショックを受けた作品でした。

そういえば、かつて、邦画で同じような感想を持った作品があります。

吉村公三郎の「越前竹人形」です。

竹細工師の父親が世話をしていた遊女・玉枝を、父の死後、独りぼっちになった女への同情心から、息子が妻として娶ります。

彼は、その美しさを愛でるように玉枝に似せた竹人形の製作に打ち込みます。

「美しいままの存在」で満足している男に、成熟した肉体をもつ玉枝は、「何もない」夫婦生活に欲求不満をつのらせ、偶然に昔の馴染み客(記憶では、西村晃演ずる行商人)とゆきずりの情を交わして不倫の子を宿してしまい、堕胎に失敗し絶命する、という悲劇でした。

若尾文子が官能的に演じたその女は、最初、強姦とも言える無理矢理の情交を強いられたのち、ずるずると続けられる泥沼のような情事にのめり込んでゆく中で、次第に意に反するような肉体の悦楽を覚えてしまいます。

女は、気持ち的には貞淑な妻であろうとし、また、夫を心から愛してもいながら、肉体がどうしようもなくケダモノのような男を求めてしまう肉欲の在り方に、僕は、強い衝撃を受けたのだろうと思います。

心情的には深く夫を愛し、貞淑であろうとする気持ちと、道ならぬ情交の相手の肉体を貪欲にまさぐるという剥き出しの欲望とが、ひとりの女性のなかで違和感なく一体のものとして同時に存在できるという「性欲」の発見は、僕にとって女性の見方を一変させるほどの衝撃だったのだろうと思います。

「ダンス・ウィズ・・・」の中で、そのことを象徴するようなシーンがあります。

ナイトクラブの雇われマダム・ルースが、ひと目惚れした客の青年ディヴィッドと店の二階で性交にふける場面です。

そばには、連れ子の赤ん坊が激しく泣いています。

泣き続ける赤ん坊をほったらかしにして、欲望のままに相手の体を激しく求めるというこの描写は、何もかも棄てて、破滅に至ることさえも厭わない彼女の愛欲のあり方をそのまま象徴しているシーンでもあります。

彼女には、親身になって心配してくれる恋人デズモンドがいて、新しい生活の建て直しを決意する度に、ディヴィッドがあらわれて、すべてをメチャクチャにしてしまいます。

「女」が欲しくなればルースの体だけを求めにやって来るディヴィッドと、彼が現れれば、何もかもが壊されてしまうことが分かっていながら、そして憎しみながらも、彼に体を許してしまうルース。

デズモンドとの暮らしの中でも、彼の目を盗んでディヴィッドに逢いに行くその繰り返しの中で妊娠し、途端に逃げ腰になるディヴィッドへの嫉妬に狂う地獄のような関係を清算するために、ルースは、ディヴィッドを射殺します。

そういうなかで、ふたりの間に超えがたい階級差別がさり気なく描かれていたことも忘れられません。
この作品は、1985年カンヌ国際映画祭ヤング大賞を受賞した忘れがたい1作です。

(85イギリス)監督マイク・ニューウェル、製作ロジャー・ランドール・カトラー、脚本シェラ・デラニー 、撮影ピーター・ハナン、美術アンドリュー・モロ 、音楽リチャード・ハートレー 、編集ミック・オーズリー、衣装デザイン・ピップ・ニューベリー
出演・ルパート・エヴェレット 、ミランダ・リチャードソン 、イアン・ホルム 、ジョアンヌ・ウォーリー、マシュー・キャロル
by sentence2307 | 2007-01-28 23:54 | マイク・ニューウェル | Comments(1)