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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:テイラー・ハックフォード( 3 )

レイ/Ray

超有名人とか、メディアが最初から「超名作」と決めつけプッシュしてくる映画(映画ばかりとは限りませんが)に対して、抗体というものをまったく有していない大衆があやつられるままに一斉に同じ方向を向くというような環境の中で、ひとり別な方向を向く(顔をそむける)という「孤立無縁」の立ち位置を選び取ることは、とても勇気のいることだと思います。

レイ・チャールズの生涯を描いたこの辛らつな作品「レイ/Ray」は、きっと「その辺」のところを試しにかかってくる映画かもしれません。

もともと自分は、ギター一本でうめくように歌い上げる泥臭いブルースがむかしから大好きなので、you tubeでもアメリカのかなり古い貴重な動画を繰り返し見て楽しんでいます。

その観点から言わせてもらえば、「逸脱」とか「堕落」とはいわないまでも、ごくごくポピュラーソング化されたレイ・チャールズやレオン・ラッセルなどの楽曲も、臆することなく、よく聞いて親しんできました。

そういう感じで親しんできたこともあって(楽曲に親しむことが、その歌手の人格まですっかり分かってしまったような気分にさせられたのかもしれません)、レイ・チャールズの生涯が、こんなふうに薬物中毒と複雑な女性関係(それもこれも結局は自分の「ダラシナサ」のせいだったのですが)に囚われていたとは、この映画を見るまで少しも知りませんでした。

その意味ではショックでしたが、しかし、すでに「ジャージー・ボーイズ」など多くの内幕もの映画を散々見てきた自分にとって、それほどショッキングなものということもなく、まあ、「レイ・チャールズよ、お前もか」という程度でしたので、その気分のままに、この作品を深くアプローチすることもなく通り過ぎたのだと思います。

それから少し時間が経っています。

最近、沢木耕太郎の「銀の森へ」(朝日新聞社刊)という映画批評集を読んでいて、この「レイ/Ray」の批評に邂逅しました。

「テロルの決算」以来、沢木耕太郎の著作は刊行されるたびにどうにか読むようにしていますが、しかし、自分が、この著者の作品を、まず「テロルの決算」から読み始めてしまったことが、果たして自分にとって良かったことだったのか、すこし複雑な気持ちでいます。

というのは、この著者の他の作品を読むたびに、この著者にとって、日本のテロリスト青年を描いた「テロルの決算」とは、いったいどういう位置づけの作品だったのか、そしてまたどういった意味があったのだろうかと問い返さずにいられない自分がいて、眼の前の著作以外のところで、少しずつ積み上げてしまう根本的な「失望」みたいな堆積があって、遣り切れない重苦ししさが増すばかりなのです。

思えば、あの「政治の季節」の真っ只中で「テロルの決算」と出会ったことは、自分にとって、またこの著者との関係にとっても、とても「不運なスタート」だったのではなかったかという憂鬱な気持ちに満たされてしまいます。

たとえば、しかつめらしく「著者」などという位置づけなどせずに、最初から「スポーツ・ライター」というラフな認識だったなら、もっと楽な気持ちで沢木耕太郎やその著作に接することができただろうし、もっと自由な読書体験も持てたかもしれないと思うと、なんだかとても悔しい気持ちでいっぱいですが、あの「政治」や「思想」を最上なものと思い上がり、「スポーツに血道を上げる愚劣さ」と貶めていた自分の硬直した思考は、歪んだ政治の季節のなかで道を見失い、彷徨っていたころの「宿痾」としか呼びようのない人間的欠陥であって、いまさら治癒するわけもなく、この欠陥をこのまま引き受けて生きていくしかないと、もうほとんど途方にくれながらすっかり諦めています。

しかし、その話とは全然違う部分で、この「銀の森へ」という本は、あまりお薦めすることはできません。

朝日新聞に連載されていた映画コラムだそうですが、なにしろ実質本文350頁ほどのスペースに90本の映画批評がぎゅうぎゅう詰めにされていて、一本につき僅か3頁に満たない分量なので、著者の書き足りない苛々感が、そのまま読者の読み足りない欲求不満に直結してしまうという惨憺たる反映のうえに成り立っているような、筆舌に尽くしがたいストレス本という感じをもちました。

それは、所詮「広く浅く」が宿命付けられている新聞記事というものの持つ運命みたいなものの、反映そのものの姿だったのかもしれません。

それに、金詰りの会社(まさかあの大新聞社の朝日に限ってそんなことはありませんが)が、「予算達成のために、なにか売れそうな本があれば、なんでもいいからでっち上げて、「朝日経」信者の馬鹿どもに売りつけろとばかり、ゴリ押しで無理やり編まれた本なのではないかと邪推したくなるくらいの安普請です。

さて、そのような本の中に収められている「レイ/Ray」の批評ですから、あまり期待されても困りますが(模範解答の見出しの羅列のようなもの、という意味です)、要約すれば、こんな感じです。

沢木氏は、「それなりに楽しんで見た作品だが、はっきりいって上っ面だけ描かれているだけで深みに欠ける残念な映画だった、しかし、映画のなかで聞いたレイ・チャールズの楽曲は、どれも自分が親しんできた曲なので、帰宅して改めて聞いてみたが、どの曲も映画で聞いたような感慨はなかった。

やはり、映画というものはそれなりに(ストーリーに裏付けられるため楽曲を輝かせられる)意味あるものなんだなあ」ってな具合に書いてみると、結局筆者がこの映画をどう評価しているのか、特に最後の部分など何を言っているのか、さっぱり分かりませんでした。

たぶん、その理由は、結論を曖昧なままにしてしまったからに違いないのですが、原文を何度読んでみても、やはり明快な決め言葉などどこにも書かれていません。

どうも筆者自身が結論を避けているように感じられてなりません。

なにしろ発表の場が、大新聞紙上ということもあって、滅多なことなど書けるわけもないでしょうし、書く側としても、仕事とあれば、新聞社の意をくんで口籠もるくらいの芸はみせたかもしれません。

しかし、自分としてもこの映画批評を貶すばかりでは後味が悪く、気持ちの治まりがつきませんので、ここはひとつ出色の部分もあるにはあったことを紹介しておかなければ、と思います。

その出色の一文というのは、以下のとおりです。

「たとえば、目の見えないレイ・チャールズが恋愛遍歴を重ねる。
彼はどのようにして女性を認識し、選んだのか。
映画では、レイ・チャールズが女性と握手するとき、反対の手でそっと相手の手首を握るというシーンが挿入されている。
監督のテイラー・ハックフォードは、そうした細部によって、レイ・チャールズの歌の官能的な部分を視覚的に伝えられるよう周到に組み立てていたのかもしれないのだ。」(266頁)

「握手しながら、もう片方の手で相手の手首を握る」シーンを、沢木耕太郎は、「歌の官能的な部分を視覚的に伝えられるよう周到に組み立てていた」などとあえて上品に無力化して逃げていますが、この部分は明らかにレイ・チャールズが、女性の体を卑猥に撫で回し「女」を物色していたことと同義であることを描いていることは明らかです。

誰が見ても手首が女性としての官能的で重要な「その部分」を暗示しているか、もしくはモロ直結しているか、おそらくそのどちらともであって、それはそのまま、レイ・チャールズという男が、目の不自由なことをいいことにして下卑た好色さを隠そうともしなかったしたたかな姿を描ききっているのだと思います。

そんな例なら日本にだって、つい最近ありました。

障害を盾に取り、良識をよそおった世間の偽善と哀れみの虚をついた「佐村河内」現象です。

と、ここまで書いてきて、ひとつの投稿文と出会いました。

レイ・チャールズは、こんな人じゃないというファンによる作品「レイ/Ray」に対する怒りの一文です。

ちょっと感動したので、転載させていただきました。

《この作品を見終えた後の感想は、とても不快なものでした。
私は小さい頃からのレイ・チャールズファンです。(当然、今でも‥)
だから、彼の人生を冒涜しているみたいで、とても不愉快なんです。
この作品を見て、彼(レイ)を、どんな男だと思いましたか?
音楽の才能があることで大金を得て、眼が見えないことを言い訳にして、好き勝手なことばかり‥。
最低だとおもいませんか?(誰の証言を元に製作されたか知りませんが‥)
特に、麻薬の常習容疑で逮捕されるも、金の力で取消し。
にもかかわわらず、やめようとさえしない。(暗闇を理由に‥)
全盲ながら、一生懸命いきている人達は沢山おられます。
(あえて、それ以上は触れませんが‥)
確かに、ジェイミーの演技は素晴らしかったけど、ただだらしない男を演じたに過ぎないし‥。
むしろ、レイの母親を演じた彼女こそ、素晴らしかった。
とても自然に演じていたし、母親も愛情の深さも体現していた。
しつこいようですが、私はレイ・チャールズの大ファンです。
晩年の彼しか知らない私には、彼の苦労話など当然解りません。
でも、この作品は彼のことを想っての製作だとはとても思えません。
彼が生きていてこの作品を見たら、どう想うでしょう。
子供達に夢を持たせようと、努めていた彼です。》

このレイ・チャールズファンの人が、たとえどちらを向いて何を語ろうと、したり顔した大勢から顔をそむけたその姿の凛々しさに惹かれて転写してみたのですが、「レイ・チャールズの生涯を描いたこの辛らつな作品「レイ/Ray」は、きっと「その辺」のところを試しにかかってくる映画だったのかもしれません」ね。

(2004UIP映画配給)監督脚本製作・テイラー・ハックフォード、製作・ハワード・ボールドウィン、カレン・エリス・ボールドウィン、スチュアート・ベンジャミン、製作総指揮・ ウィリアム・J・イマーマン、ジェイム・ラッカー・キング、原案: テイラー・ハックフォード、ジェームズ・L・ホワイト、脚本・ジェームズ・L・ホワイト、撮影・パヴェル・エデルマン、編集・ポール・ハーシュ、音楽・レイ・チャールズ、クレイグ・アームストロング、美術・スティーヴン・アルトマン、音楽監修・カート・ソベル、衣装(デザイン)・シャレン・デイヴィス、
出演・ジェイミー・フォックス(Ray Charles)、ケリー・ワシントン(Della Bea Robinson、レイ・チャールズの妻)、クリフトン・パウエル(Jeff Brown、ツアー・マネージャー)、ハリー・レニックス(Joe Adams、長年にわたるマネージャー)、リチャード・シフ(Jerry Wexler、レイ・チャールズのプロデューサー)、アーンジャニュー・エリス(Mary Ann Fisher、女性バック・ヴォーカル歌手)、シャロン・ウォーレン(Aretha Robinson、レイ・チャールズの母)、カーティス・アームストロング(Ahmet Ertegun、レコード会社の重役)、レジーナ・キング(Margie Hendricks、女性バック・コーラス)、テレンス・ダッション・ハワード、ラレンツ・テイト(クインシー・ジョーンズ)、ボキーム・ウッドバイン、C・J・サンダース( 幼少のレイ)
152分

第77回アカデミー賞主演男優賞・ジェイミー・フォックス、録音賞・スコット・ミラン、グレッグ・オルロフ、ボブ・ビーマー、スティーヴ・カンタメッサ(英語版)
第62回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)・ジェイミー・フォックス
第47回(2005年)グラミー賞最優秀コンピレーションサウンド トラック賞/映画・テレビ・映像部門・レイ・チャールズ、映画・テレビサウンドトラック部門・クレイグ・アームストロング
by sentence2307 | 2016-02-28 21:45 | テイラー・ハックフォード | Comments(0)

黙秘

1990年のアカデミー賞の主演俳優賞は、既にブロードウエイで高い評価を得て映画界に進出してきたジェレミー・アイアンズとキャシー・ベイツが獲得しました。

ともにトニー賞を騒がせた1948年生まれの実力派です。

しかし、既にクローネンバーグ作品「戦慄の絆」の一卵性双生児という難役を見事に演じて鮮烈な印象がまだ生々しかったアイアンズに比べると、舞台俳優ベイツの映画界における評価は、まだまだ未知数だっただけに「ミザリー」(スティーブン・キング原作)の演技でベイツに与えられた主演女優賞は、アカデミーの無条件の賞賛とみていいと思います。

対抗馬は、既に過去2度も受賞しているメリル・ストリープ、大ブレイクした純映画界育ちのジュリア・ロバーツ、血統書つきで名優の誉れ高いアンジェリカ・ヒューストン、そして初受賞が33年前・ノミネートが実に17年ぶりというジョアン・ウッドワードといういずれも映画業界生え抜きの顔ぶれでしたから、業界関係者にとっては少し不本意な結果だったかもしれません。

いずれにしても、これはもう文句のつけようのない圧倒的なキャシー・ベイツの勝利でした。

ただ、これは私見なのですが、「ミザリー」で受賞するなら、当然このテイラー・ハックフォード監督の「黙秘」95での更に優れた彼女の演技に対して賞を与えなかったどころかノミネートさえされなかったのは、僕には、ちょっと不可解でならないのです。

それくらい素晴らしい演技でした。

アカデミー賞を語るときによく言われる「報奨の論理」の、これは逆のケース(もう認めてあげたんだから、いいだろう、みたいな。)ではないのかな、とつい勘繰ってしまいます。

例えば、アカデミーが、賞を与える機会を逸したベテランに、しばしば特別賞や名誉賞などを与えてその功を労うことを、俗に「報奨の論理」と呼んでいるわけですが、それは反面、自力では最早、賞を取りにいく力のないロートルであることを公証されるようなものですから、幾つになっても演じ続けることに誇りをもっている俳優には屈辱と感じられる場合も少なくありません。

1985年、名誉賞を授与されたポール・ニューマンは、あからさまな不快感を隠そうとはしませんでした。

そして、翌86年、「ハスラー2」で、見事主演男優賞を勝ち取り、自分がまだまだ現役であることを見せ付けて、アカデミーの「お情け」を冷笑で返しました。

さて、この「黙秘」、スティーブン・キングが、キャシー・ベイツのために書いたミステリー小説の映画化です。

最初から、彼女のリキの入り方が違ってました。

手元にある「キネマ旬報」1995年度決算号の外国映画採点表での「黙秘」の順位をみると、なんと32位に位置しています。

唖然として、喜怒哀楽のどれを使えばいいのか、一瞬錯乱し迷いました。

不当な評価であるような気もしますし、先んじる個々の作品を具体的につき合わせていけば、32位は仕方のないところなのかなという気もします。

①ショーシャンクの空に、②スモーク、③マディソン郡の橋、④フォレスト・ガンプ/一期一会、⑤エド・ウッド、⑥太陽に灼かれて、⑦ブロードウェイと銃弾、⑧レニ、⑨クローズ・アップ、⑩アポロ13、と、なかなかの充実振りだったわけで、32位は、それなりの順位だったのかもしれませんが、しかし、まあ、結局のところ順位なんてどうでもいいんです。

だいたい何を基準に作品を順位づけるのか、理解に苦しみますよね。(こだわってるのは、自分だろ。)
さて、この「黙秘」、ミステリー仕立てとはいえ、内容は極めてシリアスです。

金持ちの未亡人の邸宅でメイドをしていたドロレスが、女主人の死に関する殺人容疑で逮捕されます。

殴りかかろうとした現場をモロ目撃した郵便配達の証人もいます。

過去に不起訴とはなったものの彼女は夫殺しの嫌疑を受けたこともありました。

母逮捕と聞いてニューヨークから駆けつける新聞記者の娘セリーナ。

ドロレスは完全黙秘を通していますが、しかし娘にだけは事件の真実を話します。

体の自由の利かない寝たきりの老女主人が階段から誤って転落し、医者に更に延命措置を施されれば、なおも惨めな状態のままで生き長らえさせられてしまう、頼むから殺してくれという哀願を叶えて上げるために、のし棒を振り上げたところを目撃されたのです。

「それなら、なにも・・・」と言いかける娘に母ドロレスは言います。

「世間がどう思おうと構わない。お前がどう思うかが問題なの。」

そして、ここからが、この作品の核心です。

母が娘に話す夫殺しの真相。それは、また、娘が心を閉ざして長い間、封印していた思い出したくないことでもありました。

横暴な夫に虐待され続けるドロレスが、ある日、娘の様子が変なのに気づき、それとなく探ると、夫が娘にも性的な虐待を強いていることが分かります。

貯金も遣い込まれ逃げることもままならず、かくなるうえは・・・という展開です。

この映画を見たときのショックは、僕にとっては、忘れられない「事件」でした。

きっと、あまりの衝撃の大きさに本作の「32位」というランキングの位置づけを判断する感覚も崩れてしまったのだと思います。

ここには、「アメリカン・ビューティー」に描かれたような甘っちょろい父親像はありません。

家族への愛など最初から持っていない欲望のままに生きるケダモノのような男がいるだけです。

気に入らなければ、妻を半殺しになるまで殴りつけ、欲するままに、嫌がる娘を欲情のハケグチの対象にする。

常に薄ら笑いを浮かべ、弱く力ない者の前に立ち塞がり、時には暴力で抑え込み、自分の意のままに振舞う男。

僕たちは、映画の中で、時として想像を絶するような悪魔的な人間に出会うことがありますが、この夫ジョージはまさにそういう人物でした。
by sentence2307 | 2006-05-27 14:25 | テイラー・ハックフォード | Comments(2)

RAY/レイ

この「伝記映画」を見て、レイ・チャールズという人が、果たして本当に理解できるだろうかというのが、この映画に対して最初に僕が抱いた疑問でした。

多分それは、僕自身この映画を見終わったあと、これではレイ・チャールズという人物が掴み所のない紋切り型の人間にすぎず、かえって「親近感」から遠ざけられてしまうのではないかという思いと物足りなさを感じたからかもしれません。

この映画の主要なストーリーのひとつは、レイ・チャールズが子供のとき、弟を目の前で溺死させてしまった罪の意識と自責の念に苛まれながら、苦悶のなかで半生を生きた物語になっています。

その煩悶と痛ましい記憶からの救済が描かれている部分は、まるで心理学の事例学習の授業を受けているようで、僕には、ただ無味乾燥な図式的にしか見えず、むしろこの映画に対する感動を却って殺いでしまった感じがしました。

まあ、それにしても、確かに、この映画を見て、天才というものが、どのような逆境のなかにあっても、それ自身、まるで宝石のように輝きを放つものであることはよく理解できました。

たとえ、レイ・チャールズその人が深刻なヘロイン中毒で、金のために、歌手の才能を大事に育て上げることをコンセプトとした小さい良心的なレコード会社より、売り上げ最優先のメジャーなレコード会社に移籍したからといって、そのこと自体が果たして天才の盲目歌手レイ・チャールズを変質もしくは歌を荒廃させたかといえば、決してそんなことはなく、同時代的に彼の歌を聞いてきた僕の僅かな経験・知識からいってもそれは断言できるような気がします。

例えば、レコード会社を移籍したことで、その後のレイ・チャールズの歌った歌から「ゴスペル」の魂を奪ったのか、しかし、そのこと自体が彼への非難の対象になっていたのかは映画から判断することはできませんし、また僕自身見当もつかないのですが、もともと彼の歌が、ゴスペル・ソングのスタイルだけを借りていたのであって、多分その「魂」とは無縁でしかなく、きっとそれは似て非なる異質のものだったのだと思います。

映画のなかでも、ゴスペルをあんな下卑た歌詞で歌うことは許さないという市民の非難する場面も描かれていましたよね。

かつて、クララウォード・シンガースが初来日した際(もう随分以前の話です)、日本人にはあまり馴染みのなかったゴスペル・ソングに初めて接したとき、レイ・チャールズの歌っている歌が歌詞も含めてゴスペル・ソングとは似て非なるものだという認識が、その歌を聞いた誰にもきっとあったと思います。

ですので、この映画を見終わった後の深い違和感が、そういったところから発せられたものでないことだけは、あきらかです。

いつも感じていることのひとつに、こういった「事実に基づく映画」には、事実が虚構を裏切るというか、「脚色」部分が「事実」の部分から剥がれ落ちていく瞬間に遭遇することがたまにあります。

一言で言うなら「物語をどのように飾り立てようと、虚飾の部分は次第に剥落し、やがて事実という地肌がおのずから剥き出しに顕われてしまう」ということでしょうか。

おそらくこの映画で最も輝いている部分は、レイ・チャールズという人の不可解なまでの好色さです。

大衆から絶大な支持と尊敬を集め、本人も歌うことを大切にしていると同じように、家庭もまた大事にしようとする誠実さは、よく描き込まれていると思います。

しかし、それと同時に、女と見れば誰彼構わず口説きにかかる不可解なほどの彼のスケベな性癖もまた丹念に描かれているというこの一見矛盾した性格破綻者ぶりもまた、なんのフィルターも掛けることなく描きこまれています。

なにも「誠実な家庭人」が、スケベであってはいけないことなど何一つありません。

例えば良き家庭人である「おとうさん」が混雑した通勤電車で、たまたま手の届く距離に若いОLのキュートなお尻があって、「つい」なんてこともありがちなことですしね。

しかし、この映画で描かれているレイ・チャールズの好色さは、もっと根深く、ただならぬものを感じました。

この映画のあらゆる嘘っぽいところ=虚飾の部分が自然に剥落していくのに任せていると、最後にひとつの実感的な場面だけが残ります。

それはレイ・チャールズが初対面の多くの女たちに握手する場面です。

握手しながら彼は、女たちの手首の細さを、まるで女の体の具合を確かめるかのように弄っています。

好色の匂いのするこの性的な仕草は、多分レイ・チャールズが日常的に何気なくしていた「形態模写」そのままの無意識的な描写だったと思いますが、そこにはレイ・チャールズが、善良な家庭人であると同時に、ヘロインに対してまるで無抵抗(そう見えました)に溺れ込んでいったように、過剰な性への欲望に対しても、きっと「そう」だったのだと思います。

そのような相容れないものを、この映画は、何の注釈も付けずに並列的に描いて、僕たちの前にそのままの形で投げ出すしかなかったこの違和感=どのように飾り立てようと厳然と「そこに在る事実」と、それゆえの矛盾をそのままの形で無意識に提示するしかなかった演出の無力を感じずにはいられなかった不思議な作品でした。

(05米)監督テイラー・ハックフォード、製作ハワード・ボールドウィン、カレン・エリス・ボールドウィン、ウィリアム・J・イマーマン、スチュアート・ベンジャミン、テイラー・ハックフォード、製作総指揮ウィリアム・J・イマーマン、ジェイム・ラッカー・キング、原案テイラー・ハックフォード、ジェームズ・L・ホワイト、脚本ジェームズ・L・ホワイト、撮影パヴェル・エデルマン、編集ポール・ハーシュ、音楽レイ・チャールズ、クレイグ・アームストロング
(出演)ジェイミー・フォックス、ケリー・ワシントン、クリフトン・パウエル、ハリー・レニックス、リチャード・シフ、アーンジャニュー・エリス、シャロン・ウォーレン、カーティス・アームストロング、レジーナ・キング、テレンス・ダッション・ハワード、ラレンズ・テイト、ボキーム・ウッドバイン
by sentence2307 | 2006-03-25 13:54 | テイラー・ハックフォード | Comments(2)