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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:イム・グォンテク( 1 )

風の丘を越えて/西便制

韓国の映像作家イム・グォンテクの入魂の一作です。

解説書によると韓国の溝口健二とも言われているそうです。

なんとオーバーなという気持ちで、まあ、それまでは半信半疑でしたが、この作品を見てそうかもしれないという気がしてきました。

日本の浪曲に似た韓国のパンソリをこの映画で始めて知りました。

聞いていて違和感は全然ありません。

日本の浪曲は、ヤクザものや忠君愛国ものが多いようですが、韓国のパンソリは、叙情的な悲恋物語など隷従に忍び泣いた女性の話が多いようです。

父親と姉と弟の一家が村々を歩いて冠婚葬祭などの宴席でパンソリを歌い、心づけを貰って放浪の生活を続けています。

実は、父親は、中央にあるパンソリの家元をしくじったために放浪していることが後で分かります。

どうしても中央に対する劣等感があって、それだけに連中には芸では負けたくないという思いが、姉弟に芸を仕込む上での厳しい態度に反映してしまいます。

嫌気がさした弟は逃げますが、それが、契機となって姉の逃走を恐れた父親は、逃げられないように姉を盲目にしてしまいます。

なにごともパンソリのためとして、こんな非道なことをも許してしまう芸に対する父親の妄執の凄まじさに、嫌悪感よりも恐怖と同質の畏怖さえ感じてしまいます。

何年かが経過して新聞記者となった弟が、姉の消息を探していた折、父親の死とともに、盲目のパンソリ歌いの女の噂を聞き、逢いに行くと、それは、やはり変わり果てた姉でした。

しかし、お互い名乗り合わないまま、昔そうしたように、姉はパンソリを歌い、弟は合いの手の太鼓を叩きます。

涙を流しながらも、放浪芸に生きてきた姉の気迫はしっかりと伝わってきます。

朝となり、姉は、弟の施しを受けることなく、白い杖をつきながら、一人旅立っていく場面で映画は終わりました。

優れた映画は、シーンのひとつひとつが、そのままセピアの紗をかけた追憶の場面にしてもいいような、ある叙情性と気品とを自ずから兼ね備えているものだと思っています。

滅び行く伝統芸能に殉じて毅然として立ち去っていく姉のその姿には、気高ささえ感じられました。

尊厳とか、生きることの意味とか、何だか自分が清浄なものに触れることができたようなすばらしい経験をした映画でした。 
by sentence2307 | 2006-04-06 23:52 | イム・グォンテク | Comments(0)