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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:タルコフスキー( 2 )

青土社から出ている「タルコフスキー 若き日、亡命、そして死」という本を読んでいたら興味深い箇所があったので、覚書程度に書きとめておきます。

この本は、NHKが1996年5月に放送した特別番組「タルコフスキー その始まりへの旅」を活字化したもので、タルコフスキーと関わりのあった人々のインタビューを中心に編まれています。

祖国を捨てて西側へ去ってまったこの天才監督に対して、崩壊寸前のソヴィエトに残されることとなった関係者のコメントは、褒めるにしても非難するにしても、そこには独特の冷ややかなニュアンスが込められていて、タルコフスキーとのその「距離」が、例えば、僕たちが往々に接している「西側」の盲目的な褒め倒しから、ある程度の客観性を保っていると言えるかもしれません。

遠い歴史上の人物として、ただ盲目的に敬愛し、褒め倒すだけなら、そんなに楽なことはない、という「天才」と同時代に暮らしを共にして迷惑を直接こうむった関係者の立場が、そこにはあります。

放蕩者モーツァルトに多額の借金を踏み倒され続けた関係者が、この天才音楽家であるとともに「誠意のない借金魔」の繊細な名曲を、はたして心安らかに耳を傾けることができたかどうか、という言い古された命題が、かつての同僚コンチャロフスキーの短いコメントにも伺われます。

コンチャロフスキーは、こう語り始めています。

「私はソヴィエト社会でタルコフスキーが映画を作ることが困難であったとは思わない。
彼はどこの国でも困難を感じたと思う。
例えば『アンドレイ・ルブリョフ』をソヴィエト以外の国で撮ることができただろうか。」と。

さらに、コンチャロフスキーは、
「250頁もある台本、特別なドラマツルギーもなく、タタール人や馬など膨大な費用がかかる映画は、ソヴィエトだから撮ることができたのだ。
私は、タルコフスキーがソヴィエト社会との軋轢に苦しんだという説を信じない。
彼はどの社会でも苦しんだだろう。」
と続きます。

そのあとに記されているのは、たえず苛立ちながら、スタッフとのトラブルを繰り返し、誰にも理解できない「素晴らしい映画」を撮り続けた神経症に病んでいるようなタルコフスキーの姿が平然と描かれています。

天才も、そして、その作品もまったく理解できず、その「理解できない」ことの苛立ちを、タルコフスキー本人にぶつけずにはおられない凡人の無残な怒りの在り様がそこには記されていました。

ソヴィエト当局がタルコフスキーをどう見ていたのかという一端が、このコメントから察せられるような気がします。
by sentence2307 | 2004-12-04 09:20 | タルコフスキー | Comments(126)

アンドレイ・ルブリョフ

残念ながら僕のもっている「アンドレイ・ルブリョフ」も182分バージョンなので、問題のパッケージの「懺悔シーン」というのは存在しませんでした。

なるほど、そうなると205分バージョン(実を言うと、僕は全然知らなかったのですが)にあるという「懺悔シーン」を是非とも見たくなりますね。

この「アンドレイ・ルブリョフ」は、誇張された表情をストップ・モーションで歌舞伎風な見得を切るような感じのところなどは、まだまだエイゼンシュタインの強い影響が随所に見られる作品だなあという印象を受けた記憶があります。

僕のタルコフスキー体験の最初は、「ストーカー」79でした。

このタイトル「ストーカー」は、まだこの言葉が犯罪用語としての市民権を持つ以前の命名で随分懐かしく感じます。

作品自体もごく在り来たりの普通のセットを押し通しながら、それを最後には不気味な「ゾーン」としての存在感を持たせてしまうあたりにタルコフスキーの力量に衝撃をうけことを覚えています。

あのシーンにも豊穣な「水」が満ちていました。

つづく「ノスタルジア」には酔いました。
by sentence2307 | 2004-11-19 00:20 | タルコフスキー | Comments(0)