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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:デルバート・マン( 1 )

マーティ

1955年当時にあって万事が派手な傾向にあったワイド・スクリーン、スター・システムという時代的趨勢に背を向けたような、とてもシンプルでひた向きな中年の男女の恋愛をなんの飾り気もなく描いた、これはデルバート・マンの本当に地味な作品でした。

ブロンクスで肉屋を営むイタリア系の中年独身男マーティは、お人好しで善良だけれども自分の醜さを十分に分かっていて、いまだに結婚が出来ないでいる理由は自分のその醜さにある、と思い込んでいる劣等感から女性とうまく付き合えないでいます。

演じるは、アーネスト・ボーグナイン。

粗野で荒々しい悪役の印象だけがやけに残っているのは、きっと僕がロバート・アルドリッチの「北国の帝王」を思い出してしまうからでしょうか。

作品賞、監督賞に続いてボーグナインもまた、この醜男の純愛を演じた繊細な演技でアカデミー主演男優賞を獲得しています。

この年ノミネートされていた他の4人は「エデンの東」のジェームス・ディーン、「日本人の勲章」のスペンサー・トレイシー、「黄金の腕」のフランク・シナトラ、「情欲の悪魔」のジェームス・キャグニーという錚々たる顔ぶれの中での栄えある受賞でした。

しかし、興味深いのは、同時にノミネートされた「日本人の勲章」のなかで、ボーグナインは相変わらずの悪役を演じており、日本人への憎悪と偏見が根強い西部の片田舎で、戦争のさなか秘密裏に町中で日本人を寄って集かって殺したうちの一人として出演しています。

善人として主演男優賞を受けたボーグナインは以後個性派俳優としてその芸域を広げていくことになりました。

ちなみに受賞部門は、作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本(脚色)賞(パディ・チャイエフスキー)、ノミネートされたものは、助演男優賞(ジョー・マンテル)、助演女優賞(ベッシー・ブレア)、撮影(白黒)賞(ジョーゼフ・ラシェル)、美術監督・装置賞、でした。

「マーティ」が僕たちを感動させずにはおかないのは、ダンス・パーティで知り合った女教師クララの容姿もまた美形でないことに劣等感を抱えていて、マーティも彼女が美人でないのを密かに不満に思っている部分です。

再会の約束を守ろうかどうしようかと迷っているマーティに、クララが美人でないことをからかいのネタにして馬鹿にしていた仲間たちもまた哀れなほどに孤独であることを知り、はじめて彼女への愛に気付くという感動作でした。

この作品が主張する素朴な問い、つまり誰もが幸せになる権利があり、容姿が醜いからといって人並みに幸せを求めてはいけない理由がどこにある、という極めて素朴な問い掛けが僕たちを激しく撃ったのだと思いますが、もっともショッキングだったのは、遊び人を気取り見栄や体裁を装いながら、実は誰もが帰るべき場所を持たない孤独な者たちなのだ、とマーティが気付いた点でしょう。

そのことに気付いて、彼はクララへの愛を見出します。

見栄や体裁を取り繕って、いつも仲間で群れている自分にとって、これはとても痛い映画でした。


映画版 マーティMarty
(1955)監督・デルバート・マン、脚色・パディ・チャイエフスキー、製作・ハロルド・ヘクト、バート・ランカスター、撮影・ジョセフ・ラシェル、音楽・ジョージ・バスマン、歌・ハリー・ウォーレン、録音・Robert Carlisle、作曲・ロイ・ウェッブ、アソシエイト・プロデューサー・パディ・チャイエフスキー、特殊効果・Robert Carlisle

出演・アーネスト・ボーグナイン(マーティ・ピレッティ)、ベッツィ・ブレア(クララ・スナイダー)、エスター・ミンチオッティ(テレサ、マーティの母)、オーガスタ・チオッリ(キャサリン、マーティの叔母)、ジョー・マンテル(アンジー、マーティの友人)、カレン・スティール(ヴァージニア)、ジェリー・パリス(トーマス)、フランク・サットン(ラルフ)、ウォルター・ケリー(少年)、ロヴィンムース(ジョー)、

<解説>
ハロルド・ヘクトとバート・ランカスターの設立したヘクト=ランカスター・プロの作品で1955年度カンヌ映画祭で国際大賞を受けている。原作は1954年、ドナルドソン賞とシルヴニア賞の2つを得たパディ・チャイエフスキーのテレビ劇。これを原作者のチャイエフスキーが映画にアダプトして脚色した。テレビ演出家のデルバート・マンが処女監督に当たり、撮影は「帰らざる河」のジョセフ・ラシェル、音楽は「太平洋作戦」のロイ・ウェッブ。出演者は「恐怖の土曜日」のアーネスト・ボーグナイン、ジーン・ケリー夫人のベッツイ・ブレア、イタリア劇壇の名女優エスター・ミンチオッティの他、新人たちが顔をそろえている。ハロルド・ヘクト製作になる1955年作品。
<ストーリー>
ニューヨークのブロンクスで肉屋に働いているマーティ(アーネスト・ボーグナイン)は誠実な青年だが、生まれつきの醜男のため結婚もせずに母のピッレッティ夫人(エスター・ミンチオッティ)と2人暮しをしていた。良い相手があったら早く身をかためたいとあせっていたのだが、善良で内気な彼は気の利いた言葉で女を誘い出すことすらできなかった。土曜日の夜、アンギーやジョーなどの仲間と集っていると、母から電話がかかって、従弟夫婦が来ているからすぐに帰って来てくれといって来た。トーマスとヴァージニアの夫婦は姑のキャサリンとの間がうまくいかないので、キャサリンをマーティの家に置いてくれないかというのだった。キャサリンは母の妹だからマーティは賛成した。マーティは肉屋の店を主人から買い受けて自分で経営したいと思っていたので、銀行に勤めているトーマスに金融のことで相談してみると、トーマスは機嫌よく承知して、ヴァージニアと帰って行った。夕食後、マーティはアンギイとダンスホールへ行った。すばしこいアンギーはいち早く相手を見つけて踊り出すが、マーティは相変らず、まごついていた。だが、1人淋しそうにテーブルに坐っている娘(ベッツイ・ブレア)が眼にとまった。彼女は友だちと一緒に来たのだが、パートナーとなった青年は彼女があまり魅力のない娘なので置き去りにしたのだった。自分のみじめな立場に気がついた娘は、そっとバルコニーに出て泣いている様子だった。マーティは遠慮深く声をかけて、彼女と踊ってから近くの喫茶店で遅くまで話し込んだ。娘はクララといって教養もあり、学校の女教師をしていた。マーティと同じように、風采があがらないために苦しみをなめて来た娘だった。マーティはクララを自分の家に連れて来た。クララを彼女の家まで送ったマーティは翌日の日曜日に電話をかける約束をして別れた。その日曜日になったが、朝からキャサリンが引っ越して来たり、教会へ出かけたりして落ち着かない。クララは家にいてマーティからの電話を待った。正午をすぎ夕方になった。その頃、マーティはいつもの仲間と酒場にいた。クララが醜いとか魅力がないといって、電話をかけさせなかった連中もいざとなると相手もなく、どこへ行こうという当てもないのだった。やがてマーティはやっと決心がついた。「俺は彼女に電話をかけるんだ。相手が醜くかろうが、心がきれいだったらいいじゃないか!」といい捨てるとマーティは電話ボックスへとび込んで行った。



【参考】
実は、自分がこの小文を書いた時点では、映画「マーティ」を製作するに際し、その直接の切っ掛けとなった「テレビドラマ」の存在があることをまだ知りませんでした。

ごく最近、ドキュメンタリー映画「マーロン・ブランドの肉声」2015という作品を見ていたときに思い出して、何年かまえ録画した「ストーリー・オブ・フィルム」という世界の映画史について15編くらいにまとめたドキュメンタリー映画があり、そのなかで、「波止場」に言及した部分、確かエリア・カザンについて解説している箇所で、マーロン・ブランドについても若干の解説があったことを思い出しました。

あわてて古いVHSのビデオテープの山から「ストーリー・オブ・フィルム」を探し当てて、さっそく見てみたところ、同じアクターズ・スタジオで学んでいたロッド・スタイガーが、デルバート・マン監督の映画「マーティ」に先立って(というか、そのテレビドラマが評判になって映画がつくられたという経緯だったようです)テレビドラマの主演をしていたことが分かりました。

Wikipediaの「マーティ」の項は、こんなふうに始められています。

≪「マーティ」(Marty)は、1953年に放送されたアメリカのテレビドラマ、および1955年に公開されたアメリカ映画。共に、監督・演出をデルバート・マンが、脚本をパディ・チャイエフスキーが務めた。

★ストーリー
ニューヨークの下町、ブロンクスの肉屋で働くイタリア系アメリカ人・マーティは34歳。心根は優しいが太っていて醜男であることから上手く女性と付き合えない。一緒に暮らす母テレサや知人は早く結婚して家庭を持つよう口うるさく言うが、デートも思うようにならないのだ。出会いを求めて行ったダンスホールでマーティは、容姿のせいで男性から置き去りにされたクララがひそかに泣いているのを慰めた。二人はその夜意気投合し楽しい時間を過ごすが、恋人のいない友人アンジーや結婚を勧めていた母さえも、クララとの交際を喜んでくれない。

★NBCの単発テレビドラマ番組「Television Playhouse」(フィルコ社とグッドイヤー社が隔週交互に一社提供)の1エピソード(第5シーズンの第23回)として、1953年5月24日に放送された。当時のテレビはVTRが開発される以前であり、実用的な収録技術が無かった。そのため、このドラマは生放送であった(この番組のみならず、当時のテレビ番組のほとんどは生放送であった)。 このドラマが生まれたきっかけは、以前にデルバート・マンとチャイエフスキーが、同じ「TheGoodyearTelevisionPlayhouse」枠のテレビドラマ『The ReluctantCitizen』のリハーサルをしていた時のことである。リハーサルに使用していたホテルでは当時、求婚者によるお見合いパーティが行われており、その会場に男女がダンスをする旨の案内が張られていた。これがチャイエフスキーの目に留まり、ダンスフロアにおける男女の恋愛劇を考案。すぐさまデルバート・マンや、プロデューサーのフレッド・コーに提案し、執筆したのが本作品である。本編の映像は、キネコ(ブラウン管の映像をフィルムに転写する技術)での録画により、フィルムで現存している。1963年2月17日-20日にニューヨーク近代美術館で開催された「Television USA: Thirteen Seasons」という展覧会では、このキネコフィルムが公開されたことがある。また、かつてVHSでビデオソフト化されたことがある。近年では、アメリカ国内において販売された「The Golden Age of Television」という3枚組DVDセットの中に、本作品が収録されている。

テレビドラマ版 [Marty、The Goodyear Television Playhouse]
(1953.5.24日曜 21:00 - 22:00(51分)回数1)演出・デルバート・マン、脚本・パディ・チャイエフスキー、製作プロデューサー・フレッド・コー、アソシエイトプロデューサー・ゴードン・ダフ、撮影・アル・マクレーラン、美術・オーティス・リグス、衣装・ローズ・ボグダノフ、照明・レオ・ファレンコフ、技術・H.L.フォーカーツ、ナレーター・ダーワード・カービイ(当時NBCアナウンサー)、制作・NBC、生放送
出演・ロッド・スタイガー(マーティ・ピレッティ)、ナンシー・マーシャン(クララ・スナイダー)、エスター・ミンチオッティ(テレサ、マーティの母)、ジョー・マンテル(アンジー、マーティの友人)、オーガスタ・チオリ(キャサリン)、ベッツィ・パーマー(ヴァージニア)、リー・フィリップス(トミー)、ロッサナ・サン・マルコ(女)、ハワード・ケイン(バーテンダー)、ネヘミア・パーソフ(批評家)、ドン・ゴードン(青年)、アンドリュー・ヘラルド(パッツィ)、ジョージ・マハリス(ダンサー)、

★その他
1994年には、アメリカ議会図書館から「文化的、歴史的、美学的に重要な作品」との評価を受け、アメリカ国立フィルム登録簿に登録、同図書館へ永久保存されることとなった。
1950年代にNBCで放送されたクイズ番組『21』(トゥエンティ・ワン)で、番組側の解答者に対する不正な結果操作が行われたが、その時の問題が「1955年にアカデミー作品賞を受賞した映画は?」というものであった。解答者は『マーティ』が正解であることを知っていたものの、番組側やスポンサー側の圧力に追い詰められ、わざと誤答することとなった。この事件は1994年に『クイズ・ショウ』として映画化されたことでも有名である。

★脚注
*テレビドラマ版と同じくロッド・スタイガーを起用する予定もあったが、スタジオとの契約上の問題で、ロッド自ら降板した。
*映画『クイズ・ショウ』で八百長をしろといわれて、ユダヤ人ハービーは誰でも知っているのにわざと『波止場』と答えて負ける場面がある。





by sentence2307 | 2006-04-05 23:51 | デルバート・マン | Comments(0)