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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:マイク・フィギス( 1 )

リービング・ラスベガス

これはあるサイトで偶然みつけた「リービング・ラスベガス」について書かれたコメントです。

そこには、こんなふうに書かれてありました。

「ほんとうに癒されたいなら、この映画を薦めます。
ちなみに、この物語をつくった原作者ジョン・オブライエンは、この作品をつくった後、拳銃自殺したそうです。
本人もアル中で、この映画はいろんな意味で重いでしょう。
癒されます。」

これが原文そのままのすべてです、もちろんこの文章に作為など一切ほどこしていません(読点だけは、つけさせてもらいました。)。

普通なら、こういった一見無神経なコメントには、深入りせずに、まずは拒否反応を起こすか、面倒ならそのまま無視してしまうだろうと思います。

アル中であれ何であれ、とにかく人が絶望のなかでボロボロになって自殺を選んだという深刻で悲惨な事態を受けて、いささかの逡巡もなしに、短絡的に「癒されます」はないだろう、いったいどういう神経をしているんだ、くらいは当然考えるだろうと思います。

でも、ひとつここは冷静になって「リービング・ラスベガス」を見て癒される人というのが、いったいどういうタイプの人なのかと、しばらく考えてみることにしました。

そもそも、この素っ気ないくらいの短い文のなかで、最後に書いてある「癒されます」という言葉が受けているフレーズはなにかといえば、どう考えても「ジョン・オブライエンの拳銃自殺」くらいしか見当たりません。

絶望的なアル中で、もはや死ぬことしか選択の余地がないような最悪な局面に追い詰められた人物が、案の定抜き差しならぬ自殺を遂げたのを見定めて、「ああ良かった、彼は死ぬべくして死んだのだ」とかなんとか納得して、このコメンテーターは、快活に「癒された」と表現したのでしょうか。

いやいや、きっとそうではないと思います。

なんだか、大事な部分が欠落しているこの舌足らずな短文を完成させたい誘惑を感じてきました。

この作品「リービング・ラスベガス」に対する多くの人の感想は、多かれ少なかれおそらく「戸惑い」だったと思います。

映画は全編にわたってニコラス・ケイジ演ずる元脚本化の男が、まるで自分を傷みつけるかのように(自殺行為のように、と言った方がいいくらいです)破滅的にひたすら酒を飲み続けるという物語です。

死に至るラストまでの間に挿入されるエピソードといえば、男が前後不覚になるまで酔っぱらい、訳が分からなくなって衆目の前で暴れまわり醜態をさらし、そのためにさらなる自己嫌悪を積み上げて絶望するということの繰り返しです。

しかし、この男は、たとえ自己嫌悪に陥っても、そのために酒をやめるというわけではありません。

彼はさらに酒を飲み続け、酔いつぶれ、目を覚ましては、自分がまだ生きていることを知ると、再び浴びるように酒を飲み続けます。

ひたすら死に向かって疾駆するこの破滅的な男の頑なさをこうまで見せ付けられると、不思議なことに次第に、この男が受けた傷の深さが分かるような気がしてきました。

多分、普通の人間なら、なんなく遣り過ごせるか、あるいはダメージを受けたこと自体気付きもしないような、そんな些細なことにかくも深く傷つくてしまうこの元脚本家の弱さに、すっかりすれてしまった僕たちが既に失ってしまったこの世界では到底生きていけない純粋さを見出すことになるのかもしれません。

このひたすら死に向かう男を、好意を持って見守る娼婦が、自分も傷ついて初めて知るこの男への「共感」こそ、生きることに何の力にもならない純粋さの証しのような弱さ、まさに滅ぶべくして滅びる純粋さを見出して行く過程に、生きることにすっかりすれてしまった僕たちは「癒し」を感じたのかもしれません。

この映画は、もうひとつの「バニシング・ポイント」かもしれませんね。
by sentence2307 | 2006-03-30 23:48 | マイク・フィギス | Comments(0)