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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:ロバート・フラハティ( 1 )

「南京大虐殺」が真実だったのか幻想だったのかと盛んに議論されていたとき、そのニュース記録映画「南京」38を撮影したキャメラマンとして白井茂(1899.3.6-1984.9.27)の名前を始めて知りました。

そして、白井茂という人が関東大震災の記録映画を撮ったことで、後年日本に記録映画という概念を確立させた、いわば日本の記録映画界におけるキャメラマンとしての草分け的存在だったということも、それからもう少し後になってから知ったくらいなので、何の根拠もなく、ただ漠然と「信濃風土記より・小林一茶」41から受けた強烈な印象から、亀井文夫監督と組んだ仕事がもっとたくさんあったのではないかという僕の無知からくる思い込みというか勝手な錯覚も、当然といえば当然だったかもしれません。

1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災は、予想以上の大惨事となったので、文部省社会教育課課長乗杉嘉寿は、急遽その実情を文部省記録映画として残すために、各映画会社に電話連絡をとったところ、壊滅的な通信状況のなかでようやく連絡のついた教育映画業者の東京シネマ商会に、その製作を委託することとなります。

たまたま同年に松竹から東京シネマ商会に入社していた白井茂が撮影技師として3日間にわたって被害現場を奔走し、全長5000呎におよぶ撮影をはたしました。

多くの虐殺もあったいとう殺気に満ちた現場を渡り歩いて撮影が行われた時のことを白井自身、命の危険を感じながらの撮影だったと、彼の残した「記録映画について」という一文のなかで生々しく残しています。

このことを機に文部省社会教育課は、文部省活動写真班を課内に設置して、その企画になる映画の製作を、次々と業者に委託するという道筋が確立されることとなり、日本の記録映画界にとって大きな転機となったということです。

日本における記録映画の草分け的存在のキャメラマンである白井茂が、小論「記録映画について」という一文を残しているのですが、その中で当時の日本の記録映画に多大な影響を及ぼした2本の海外記録映画について言及し、賞賛している部分があります。

ヴィクトル・トゥーリンの「トゥルクシブ」29とロバート・フラハティの「アラン」34です。

「トゥルクシブ」を撮ったトゥーリンは、1912年から1922年まで、アメリカに渡ってボストンの技術研究所からハリウッド入りし、プロット・ライターや俳優の経験も積んだ変わった経歴の持ち主でした。

そして、その作品「トゥルクシブ」は、シベリア鉄道建設を記録した長編記録映画で、ソビエト連邦の国策映画として撮られた作品です。

1976年10月に未来社から復刊された名著「ドキュメンタリー映画」(僕の数少ない蔵書の一冊です)の著者ポール・ローサは、そのなかで「技術的スタイルとアプローチの双方において、新しいドキュメンタリーの方法の始まりを記録した。

それは、おそらく、他のいかなる映画よりも、それ以後の発展に大きな影響を及ぼしたといえよう。」とその歴史的価値を高く評価する一文を残しています。

かくのごとく「トゥルクシブ」は、草創期の世界の記録映画界に大きな衝撃を与えました。

それは、ひとつの建設事業の科学的解明であると同時に、時間的記録であり、集団的な人間労働への力強い讃歌であり、しかも完全なアピール、第一次5ヵ年計画のプロパガンダをクライマックスにしている点について、映画の持つ社会的意義をこれほど明確に現したものは稀であったこと、映像による社会科学的試みとしても大胆であったことが、驚異をもって評価されたのだろうと考えられます。

日本の記録映画の草分け的キャメラマン白井茂が、「記録映画について」のなかで絶賛している記録映画に「トゥルクシブ」29と、そしてもう一本あげているのがロバート・フラハティ(1884.2.16-1951.7.23)の伝説の記録(実写)映画「アラン」34です。

映画史的にいえば、フラハティは、「極北の怪異」22によって映像のもつ表現の可能性を大きく広げ記録映画の地位を高めた人として、「国民の創生」を撮ったグリフィスと並び称される記録映画作家です。

彼は、荒々しい自然と闘いながら厳しく閉ざされた環境で生きる人々の「生活」を活写することで、それまで誰も見たことがなかった「人間」をキャメラが初めて発見し、「映像という言葉」によってその「生活」を語り出し始めた人といわれています。

極論ではなく、「アラン」は、まさに、リアリズムという映像言語を世界に明確に示し、そして、その後の映画史に与えた影響は、はかり知れないものがあるとされている作品です。

ポール・ローザは、その著「ドキュメンタリィ映画」のなかで「人間と自然の闘争がかつてこれほど巧みに映画化されたことはなく、海や波の視覚的な特色がこれほどうまく撮影されたことはなかった。」と賞賛の言葉を残しています。

「アラン」の影響を他の作品に求めるとなると気が遠くなるくらいたくさんあるとは思いますが、似たような設定から、例えば、ルキノ・ヴィスコンティの「揺れる大地」などが思いつきます。

網元の搾取のもとで極貧の生活に耐えながら、ついに階級差別に目覚めるというあの漁民の怒りを支えている全編にわたる緊張感は、明らかに「アラン」で描かれていたものと同質の、曖昧な思い入れを一切排して、対象を客観視できる位置まで突き放した厳しく緻密で冷徹なリアリズムによって支えられていた作品ですね。

とにかく、物珍しさだけが売りの本編の添え物でしかなかった従属的な記録映画という貶められていた地位を、自立した独自のジャンルとして成り立たせた功績でフラハティは記憶に値する映像作家といえると思います。
by sentence2307 | 2007-02-05 21:38 | ロバート・フラハティ | Comments(0)