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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:羽仁進( 1 )

不良少年

この羽仁進監督作品「不良少年」は、いままでずっと黒澤明監督の「用心棒」と比較される宿命を背負ってきたような気がします。

それというのも、1961年度のキネマ旬報ベスト10で、この「不良少年」が、「用心棒」を2位に抑え込んでの堂々第1位に輝いたからでしょう。

「用心棒」は、黒澤作品中仕上がりの完璧さと、悠揚せまらぬ余裕とで(このふたつは、往々にして相反する場合が多いのですが)、「七人の侍」と並び称される黒澤明の代表作といわれている作品です。

そして、羽仁進の「不良少年」が、ベスト・ワンに輝いてこの「用心棒」の上にランクされてしまったときから、「不良少年」が語られるときはいつも、この作品が、果たして「用心棒」よりも本当に優れているのか、と常に検証されねばならない運命を荷わされてきたと思います。

僕もまた同じように、ずっとそのことを考えてきたひとりです。

この羽仁進作品に与えられた多大な評価は、「斬新な手法」で撮られた不良少年たちの荒んだ生活が、あまりにも生き生きと凄惨に描かれていたことによって、当時の人々が受けた衝撃性の大きさを反映していることはきっとそのとおりだとしても、果たして、作品それ自体が、「用心棒」よりも評価されるほどの衝撃だったのかどうか、という検証です。

「活劇」と「ドキュメンタリータッチ」を比較することの困難はともかく、当時多くの映画関係者がどちらかに判断を下した結果であることは事実なのですから、その検証はきっと無意味ではないと思いますが、どうアプローチしていくかが問題です。

しかし、きつと、この質の違いを判断することの困難をクリアするためには、映画史的な理詰めのアプローチよりも、むしろこの作品を見た率直な感想を手掛りにして考えていくのが一番いい方法かもしれません。

この映画「不良少年」を見て僕が感じたものは、まずは「嫌悪感」でした。

その種の人間に喝アゲされたことや、理不尽な暴力に晒されたことがある者には、この映画の描き方には耐え難いものが存在しています。

そして、それらリアルなエピソードの積み重ねの集大成ともいえる最後の場面、刑期(とはいわないでしょうが)を終えて不良少年・浅井が少年院を出る場面にこの映画のすべてが語られています。

そこには申し訳なさそうな殊勝な表情が描かれているわけではありません。

後悔しながら、二度と悪いことなんかするものかという改悛の表情が描かれているわけでもありません。

むしろ「そういう」きわめて説明的な従来の映画的描き方こそ羽仁進が拒んだものであり、「彼」の人間性を形成したはずの社会的な関係や背景を作品からことごとく排除し、提示した映像だけで語り尽くそうとする意図・「映像の力」でいまこの現実に存在し息づいている少年の爆発的なエネルギーを描きたかったのかもしれません。

しかし、反面そうした映像は、同時に「イメージの瞬間芸」のような儚さ・頼りなさからも自由ではいられないことも知っておく必要があるのです。

かつて、同様の犯歴を持っているというズブの素人が演じたこの「少年・浅井」は、立ち去ろうとしている少年院をかすかに振り向き、薄ら笑いを浮かべます。

その場面に、この作品の手法でもある不思議な効果で心象風景を鮮烈に浮かび上がらせるあのモノローグを当て嵌めるとすると、こんな感じになるかもしれません。

「ざまあみやがれ、ちょろいぜ、こんな所。あんなお為ごかしの説教ぐらいで反省なんかできるかよ、馬鹿らしい。こんなとこ出ちまえば、こっちのものよ。これからもどんどん好き勝手に生きてやるんだ、馬鹿野郎」

映画は、連鎖する映像の総体としての記憶によって印象されるものです。そして、これがこの映画の僕の「リアル」です。

それは、「衒い」でも「虚勢」でもない、この描き方は、まぎれもなくカメラを意識させず子供たちの日常を生き生きと活写することができた「教室の子供たち」54や「絵を描く子供たち」56の延長線上に位置する同じ描き方と精神によって、不良少年を撮ったにすぎないことを示しています。

そして、爽快無比の活劇「用心棒」に一票を投じるよりも、「教室の子供たち」や「絵を描く子供たち」の「方法論の衝撃」という幸福な記憶の延長線上に位置する「不良少年」に一票を投じた当時の映画関係者たちは、半世紀という夥しい時間の経過の果てに、たぶん忸怩たる思いの中で、何が生き残り(用心棒)何が淘汰されるか(不良少年)を知ることになったかもしれません。

映像の力だけによって彼らの純粋な人間性を汲み上げようとした試みは、「人間性」そのものの不在に裏切られ無残な結果に終わったというのが事実のような気がします。

作品にではなく、その「方法論」を評価されたにすぎない「不良少年」は、いままさに時代の変わり目を乗り越えられるかどうか、そろそろ羽仁進の映画の精神=「人間性の不在」をも問われかねない時期に差し掛かっているのかもしれませんね。

(61岩波映画制作所・新東宝配給)製作・吉野聲治、原作・地主愛子、監督脚本・羽仁進、撮影・金宇満司、音楽・武満徹、録音・安田哲男、助監督・土本典昭
出演・山田幸男、吉武広和、山崎耕一郎、黒川靖男、伊藤正幸、瀬川克弘、佐藤章、中野一夫、和田知恵子
1961.03.29 8巻 2,454m 90分 白黒
by sentence2307 | 2007-04-21 18:01 | 羽仁進 | Comments(3)