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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:松岡錠司( 1 )

アカシアの道

書籍なら、さしずめ「読み込み方」とでもいうのでしょうか、この作品「アカシアの道」に対する僕の見方が、多分いたらないからに違いないのですが、アルツハイマーを発症した母の介護に疲れた娘が、恋人との別離もあったりと、身辺に起きる八方塞りの状況に追い詰められて、思い余って母親を殺そうとしながらも、ついに果たせずに終わる場面から、やがてその母とともに生きていこうとするラストまで、娘・美和子の心の動きがどうしても掴めなかったのでした。

切羽詰って母親を殺そうとした切実な思いまでは、どうにか理解できました。

しかし、なぜ母親を殺すことをやめたのか、なぜそのあと、母親とともに生きていこうと決めたのか、その理由がどうしても分からないのです。

肉親である母親を殺そうとすることを思い留まるという理由など、なぜ必要なのか、当たり前じゃないかと叱られてしまいそうです。

病に倒れた母親とともに娘が暮らそうとすることだって至極当然なことで何の不思議があるというのだと、さらに叱られてしまうかもしれません。

しかし、この映画は、ここの部分を納得できなければ、一歩も前に進むことが出来ないほど、独善的な母親を奇妙なほど特徴的に描いています。

若くして離婚し、女手ひとつで娘を育てている母親は、自分が教職にあることから、女が一人でも立派に生きていくことが出来る職業として、娘にも教職に付かせようと、娘の生活のあらゆることに対して自分の考え方を過剰に押し付けてきます。

従わなければ体罰を加えても従わせようとします。

幼いうちはそうした母の過干渉に耐えるしかなかった娘も、自立できる年頃になれば、その息詰まるような理不尽な母親の過度の干渉から逃げ出すのは、普通の理性ある人間なら当然なことだと思います。

しかし、母親には、それが許せない。

病気を心配して戻ってきた娘に対しても、母親はいつまでも、大恩ある母を捨てて逃げた不実な娘という憎悪の立場をかたくな固執し、娘を徹底的になじります。

それが、見捨てられプライドを傷つけられた母親としてのただの意地なら、みかえりを一切求めることなく歩み寄ってきた娘に対して、どこかに溶解する部分があるに違いないという気がします、なにしろ「母娘」という肉親なのですから。

しかし、この映画には、そんな感情が付け入ることができるような甘さは存在していません。

母親は、日常的な判断力が徐々に失われていく過程においても、決して娘を許そうとしないし、心を開かないまま、ただ憎悪を吐き掛け続けます。

あらゆるものを犠牲にして母親の面倒をみようとしている娘に対する「お返し」がこれなら、自分の生活がそのために少しずつ壊されていく過程で、幼い頃に虐待を受けた痛ましい記憶に押されて、母親に対する「殺意」が形成されていったとしても、心の支えがない彼女にとって、咄嗟に母親を巻き添えにした死を思い立つその絶望感は、さほど無理からぬことのような気がします。

むしろ、そこには、母親を殺し掛ける手を止める理由の方こそ見出し難いという状況さえある。

母親を殺す勇気がないから、その不甲斐なさの報いを引き受けて、いまだ自分を脅かし続けている存在である母親(精神の均衡を失う以前、意識のあるとき、母親はついに娘と和解しようとはしていません)と、まるで罰のように自分に強いて生きていくことを選択した娘の、自分に向けた自嘲と絶望の物語なのだと、この作品「アカシアの道」を僕は見てしまったのかもしれません。

決して解けることのなかった僕の不可解さに、もし、ひとつの回答が与えられるとしたら、それはこの母親がアルツハイマー以前に既に狂気に囚われていて、そのことが明かされないままに、娘も観客もこの理不尽な物語に振り回されたということかもしれませんね。

(01TBS、ユーロスペース、PUGPOINT)プロデューサー・堀越謙三、松田広子、協力プロデューサー・田上節朗、もとひろ、監督・松岡錠司、助監督・板庇竜彦、脚本・松岡錠司、原作・近藤ようこ、撮影・笠松則通、音楽・茂野雅道、美術・磯見俊裕、録音・橋本文雄、照明・笠松則通、編集・普嶋信一、衣装・宮本まさ江、ヘアメイク・豊川京子、スクリプター・浦山三枝、スチール・山口博之
出演・夏川結衣、高岡蒼佑、杉本哲太、藤田弓子、りりぃ、小沢象、土屋久美子、渡辺美佐子、天光眞弓、小林麻子、高倉香織、有福正志、田付貴彦、坂口美樹、原未来、平塚麻耶、成島出
2001.03.17 90分 カラー ヴィスタサイズ


痴呆症の老人を描いた映画というと、どうしても豊田四郎監督の「恍惚の人」を思い浮かべてしまうのですが、そういえば、あの作品の描き方が、その後の痴呆症老人を扱った映画の基本的なパターンみたいになっているような気がします。

それでなくとも痴呆症老人の世話といえば、相当大変なのに、さらに老人介護の煩わしさが加わるのですから、見ているだけでも気が重くなってしまうのですが、最近、なんか多くなってきたような気がする記憶喪失者を描いた作品を見るとき、その大変さという意味は同じでも、老人介護的な「お世話」がない分だけ、きれいな叙情性を付け加えやすいような感じもします。

それだけにあの「恍惚の人」の最後で、舅との壮絶な戦いの日々を過ごし、精も根も尽き果てた嫁・高峰秀子が、他界した舅が残していった小鳥に、生きていた頃の老人の気配を感じて不意に感極まる場面、人格を失い切った痴呆老人のなかにも、微かに残っていた「人間性」のなごりに接し、人間としての「老人」に初めてまみえるという感動が、一層の重みで僕たちに伝わってきたように思いました。

まさに死なんとする者の、この世に生き残る者に遺すメッセージの厳かな優しさが、僕たちを深い感動で押し包むのは、それが僕たちに与えられる一種の「癒し」だったからだろうと思います。

しかし、この松岡錠司監督作品「アカシアの道」を、同じような「お約束」の「癒しのパターン」が用意されているに違いないと見縊っていると、大変なしっぺ返しを食わされて、最後には、自分のその先入観の甘さを徹底的に叩き潰されかねません。

この映画は、いささかの救いもない非情な映画です。

娘を自分の思い通りに支配しようとする厳格な母親と、その理不尽な押し付けを徹底的に嫌悪して家を飛び出していった娘の母親への反撥を抱きながら、しかし、その表裏一体としてある母への秘めた求愛も否定できないでいる娘の母との再会の物語には違いないのですが、さらにもう少し厳格にいうなら、これは母親のアルツハイマー発症を機に(もし、母親が発症しなければ、娘は母親には会いに行くことはなかったと思います)、致し方なく再会を余儀なくされた母娘の愛憎の物語とでもいうべきシビアな作品です。

そこでは、過去に負った心の傷に関わる互いの剥き出しの憎悪が時折噴出し、激しくぶつかり合い、掴み合いの喧嘩が繰り返されます。

その親子喧嘩の描写は実に壮絶ですが、しかし、その壮絶さの本当の意味は、娘に掴み掛かる母親の憎悪が、アルツハイマーの症状が進行しているにもかかわらず、その崩壊しかけている記憶のなかでも、自分に従おうとしなかった娘に対する憎悪がそのまま、誰にも消すことのできない「母娘関係」につながっている「絆」という言葉と同じ意味での憎悪だからだと思います。

記憶という器の崩壊でも消すことのできない「憎悪」の在り方が肉親というものなのかもしれないという気がしてきました。

自分に反撥し、自分から逃げて行った娘を心から憎悪し続けながら、その憎しみを抱えながら、人間が壊れていくという壮絶さかもしれません。

ここには、癒しもなければ許しもない。

窮地に追い込まれた娘が母親を殺そうとし、あるいは、殺すのを止めた理由でさえも、相手を思いやる愛情の問題とはなんの関係もないことに気づいて僕たちは愕然とするしかないかもしれません。

母は、娘に謝罪や愛情を示すひとことの言葉も発することなく記憶の能力を失います。

いまでも自分を傷つけて止まない痛ましい「過去」だけは厳然としてそこにあるのに、母親の正気のうちに、ひとことの救いの言葉を聞くことのできなかった娘は、そんな母親と生活を共にしていこうとするラストで、この映画は終わります。

母親の娘に向けられた憎しみは、そのままの状態で精神の墓場に埋められたにすぎません。

幼い頃、母親に傷つけられた少女の心は癒されることなく、都合よく記憶喪失の病の殻に逃げ込み、なおも澄ました顔で生き続けようとしている母親のそばで、仕方なく彼女の世話をしながら、娘は生きようとしています。

母親を殺すことを止めたとき、彼女のなかで何が起こったのか、その理由が「愛情」とか「憐れみ」などでなければ、どういうことが彼女を母親とともに生き続けようと決めさせたのか、僕には想像さえできませんでした。

この映画から読み取れる「母親像」を描いていくと、そこには被害妄想に囚われ、精神の均衡を失った孤独な女の姿が見えてきます。

独善に歪んだ精神と記憶をアルツハイマー症に侵され、謝罪も弁解も受けることのないまま壊れた母親を、ただ「娘」だからというそれだけで引き受けなければならないこの娘の、最後まで意志の疎通を欠いたままで続けられねばならない身の毛もよだつような絶望的な生活を前にして、あの取って付けたようにしか描かれなかった「選択」が、あながち突飛なものでもなかったのかもしれないなと思い始めてきました。
by sentence2307 | 2007-06-16 09:46 | 松岡錠司 | Comments(1)