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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:伏見扇太郎( 1 )

伏見扇太郎

実は、「十三人の刺客」が話題になったそもそもの切っ掛けというのが、わが社が約半年の間、全社あげてのプロジェクトの打ち上げの酒席で、たまたま青春時代の思い出話に花が咲いた延長から、好きだった古今の名作を熱く語っていたときのことでした。

一応、最初はお約束どおりに名作談義から始まって女優の話に発展したのですが、ある人が突然、少年時代に好きだった「伏見扇太郎」の名前を上げた途端、それまでのお座なりな話題で何となくダレていた空気が、一瞬にして引き締まりました。

当時「伏見扇太郎」は、まさに僕たち子供のアイドルだったのですから誰もが不意を突かれた感じで耳をそばだたせたのだと思います。

「耳目を集める」というのは、きっとああいうことをいうのだろうなという感じでした。

年齢的には若干のタイムラグがあるとは思いますが、映画にどっぷりと漬かっていた「映画少年」であると同時に(娯楽といえば映画しかありませんでした)、テレビが出回り始めた頃でもあって大瀬康一の「月光仮面」とか「隠密剣士」、大村崑の「とんま天狗」、「少年ジェット」(時系列的にこれでいいのか自信ありませんが)なんてのもあって、毎週の放映をとても楽しみにしていた「テレビ少年」でもあった世代です。

三丁目の夕日ではありませんが、「家に初めてテレビが届いた日」などというお題が出れば、各自が話せる持ち時間を厳しく制限しておかないと、たった一晩くらいの時間では到底埒が明かなくなり、却って各自のフラストレージョンが溜まり、後日の不満処理の方がオオゴトになることが予想されるくらいのツボの話題です。

その映画からテレビに移ろうとしている過渡期に子供時代を送った僕たちは、思えばとても幸運な時代だったと思います。

それに引き換え、いまの子供たちが、いったいどんなものを見ているのかと考えると、とてもかわいそうな気がしてなりません。

ゲームにしろテレビ受信機にしろ、むかしと比べれば格段に優れた機器に囲まれていながら、子供が見ているものといったら、暴力か低俗で露骨な性描写に満ちたドラマか、または大人が見ている「そのものズバリ」を、なんのフィルターも掛けられることなしに見せつけられる扇情的なシロモノばかりなわけですから、人間の感性の基本となる素直な情緒とか正義感、果ては将来への夢なんて育つ余地などあるわけがないのです。

それにしても、ケーブル・テレビで「月光仮面」を何十年振りに見たという人が、据えっ放しの単調なカメラワークと、そして悠長な会話のやりとりには、子供のときに受けた印象と随分違うのでとても驚いたという印象を話していました。

筋立てにしても物凄く単純で、あれが、子供のときに夢中になって見た「月光仮面」なのか、という意外さの現れだったのだと思います。

しかし、僕はその率直な感想を聞いて、ちょっと感動してしまいました。

あの単調な勧善懲悪ドラマの悠長な速度こそが、子供の感性に届くのには、ちょうどいい速度だったような気がします。

悪人は悪人の顔をしていたし、正義の鉄槌はなんの障碍もなく悪の頭上に振り下ろされ、正義を実現することで報われるドラマでした。

いま、子供たちの見ている子供用の悪と戦う暴力ドラマは、主人公本人さえ、その暴力的行為に確信を持てないでいるような迷いを同時に描かなければ成立し得ないようなものばかりなのに気づかされます。

それらのドラマは、あたかも、善意の押し売りには気をつけろ、親しげに擦り寄ってくる人間ほど油断するな、利用される振りをしておいて、裏切られる前に裏切ってしまえ、「やられる前にやってしまえ」という先制的な攻撃にひそむ自信のなさと疚しさとが描かれるストーリーに、他人の悪意に晒されながら、瞬時に人の気持ちの裏表を読むことを求められる現在の子供たちの身構えた気持ちをそのまま反映しているような感じです。

結局、打ち上げの会は三次会まで全員参加という盛況さでした、これは近年には稀れな楽しい会ということで社内で評判になったくらいでした。

それから、しばらくして、お昼の食堂で経理の浦野さんと一緒のテーブルになりました。

話しは、浦野さんも出席した「三次会」で盛り上がった話題のことに及びました。

あの席で最初に例の「伏見扇太郎」の名前を持ち出したのが、浦野さんだということをこの時始めて知りました。

「伏見扇太郎」のことは、ただの話の切っ掛けにすぎなかったので、あの場での話題はそれ以上発展せずに拡散し、結局少年時代のノスタルジーの話題へと逸れてしまったのですが、浦野さんは「伏見扇太郎」のことがどうしても気になって、家に帰ってから古きアイドルのことをネット検索したというのです。

なにごとにも慎重な経理の人の、言葉を選ぶゆっくりとした話し方には、いまだに馴染めないでいる自分です、「で、どうなんです。いまは芸能プロの社長かなんかやってるんですか」とつい急かして聞いてしまいました。

「ネットからでは、結局よく分からないというのが結論です」
なあんだ分からんのか、なんて思わないでください。それに続く浦野さんの話のあまりの意外さに、僕は動揺し昼食どろこではなくなってしまったのでした。

その話を聞いて、華奢な「伏見扇太郎」が華麗に横笛を吹いている僕の大切なイメージが叩き潰されてしまったのですから。

ネットの書き込みを繋ぎ合わせると、こんな感じになると浦野さんは話してくれました。

「伏見扇太郎」は、一時(ちょうど僕たちが子供だった頃ですね)中村(萬屋)錦之助、大川橋蔵、東千代之介、里見浩太郎らと並び称されるほど将来を嘱望された大変な人気のスターだったのが、1960年代以降、黒沢明監督作品のリアリズム時代劇が主流になったため東映もそれに同調(まさに、ここで「十三人の刺客」に代表される東映群闘時代劇の隆盛があったわけですか)、華奢な体で華麗な立ち回りを演じる日舞のような剣戟スタイルが不自然で時代遅れなものとされ、出演作が激減したということらしいのです。

デビュー作の「月笛日笛」55、「百面童子」55、「まぼろし小僧の冒険」55、「天兵童子」55、「夕焼け童子」55などそれぞれが1~3篇あるいは4篇のシリーズになっていて、それらの作品の悉くを一篇も見逃すことなく僕たちは足しげく映画館に通ったものでした。

そのなかで「まぼろし小僧の冒険」というのは、主役までやったと記されています。

これらがすべて1955年というデビューの年に作られた作品であることを思えば、その人気の凄まじさは容易に想像することができますよね。

そして、それをいうなら、ファンよりもむしろ当の本人の方が物凄い衝撃だったに違いありません。

デビューと同時に、これだけの脚光を浴びてしまったことが、その人のその後の人生を大きく傷つけなかったわけがない、という気がします。

夢のような活躍の期間は、僅かに5年、「サンセット大通り」ではありませんが、かつての失われた脚光に追い立てられながら、虚勢のなかで無残な余生を生き急ぐしかなかったのかもしれない、これもそのひとつの痛ましい例なのでしょうか。

浦野さんは、ウィキペディアから複写した伏見扇太郎の年譜を見せてくれました。

伏見 扇太郎(ふしみ せんたろう、1936年 -1991年? )は、日本の俳優。本名、船越 貞雄(ふなこし さだお)。

昭和30年(1955年)に東映の『月笛日笛』でデビュー。
その後『まぼろし小僧の冒険』で主演をやって以降、数々の時代劇映画に主役及び助演として出演。
主に2本立ての映画の2本目での主役だったが、華奢な体つきと、女形も出来るような容姿で大変な人気を集め、中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、里見浩太郎らと共に子供達に大変な人気の若手スターとして将来を嘱望された。

だが、1960年代以降は、黒沢明監督作品のリアリズムな時代劇が主流になり、東映もそれに同調し、そのために伸び悩む。その背景には伏見の華奢な剣戟が不自然であるという理由もある。

1968年に結核となり、俳優を廃業。

その後は東映が経営するボウリング場で働いたとする話や四国でラーメン屋の屋台を引いていたとか、坂出で四国アイランドリーグの球場清掃の会社を経営していたなどの噂があった。

1983年11月26日に高知県で刃傷沙汰を起こし逮捕された。
【伏見扇太郎が刃傷沙汰・・・昭和58年11月26日午後11時30分、高知市神田のスナックミッキーで飲んでいた伏見扇太郎こと船越貞雄(47)が、工員(29)と口論になり、店の包丁で工員の腕を突き、1ヶ月のけがを負わせて逮捕された。伏見は店の経営者と親戚で出資しており、工員も店の手伝いをするなど、どちらも常連だった。伏見は東映時代劇で、中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、里見浩太朗らと並び子供達に人気だったスターで、「月笛日笛」「天兵童子」「日輪太郎」などに出演、昭和43年に結核となり、俳優は辞めていた。】

1986年、「玄海つれづれ節」(1.15)で20数年ぶりに映画に出演し話題になったが、映画はヒットしなかった。

1985年に妻を殺害された。

既に故人とされているが、没年等は不詳。一説に1991年に亡くなったという説があるが詳細はなお不明、病死説と自殺説がある。

そして、このあまりにも痛ましい、それにしては随分簡単すぎる「略歴」の最後に、多分この略歴を記したであろう作者の不躾なコメント
「どちらにしても悲惨な末路であった事は確かである。」
が付されていたというのです。

このコメントを随分気にしていた浦野さんは、最後にこんなふうな書き込みを見つけて少しは救われたと漏らしてくれました。

《伏見扇太郎さんは、FS興業という衛生関係の会社で取締役をしていて健在です。 当掲示板で書かれていることを伝えましたが、笑っておられるだけでした。時々上京して、赤坂のM子さんのやっているスナックに寄られています。 お二方ともお元気です。》

「こちらの方が余程いい。だって、このコメントには、ファンの思い出に救いを与える優しさがあるじゃないですか」それでも経理の浦野さんは、やっぱりどこか淋しそうでした。
by sentence2307 | 2008-03-08 22:40 | 伏見扇太郎 | Comments(937)