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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:映画( 454 )

4月30日付けの読売新聞朝刊を、いまでも手元に置いてあります。

いえいえ、なにも「平成」最後の日の新聞だからといって記念のためにとっておいたり、プレミアムがついたら売りさばいて小銭でも稼ごうなんて、そんな気の利いた了見など持ち合わせているわけではありません。

手元にとっておいた理由というのは、同紙の「くらし欄」(11面)に読者の投稿を掲載する「ぷらざ」というコラム欄があって、その日掲載されていた「101歳になっても子を思う母」という女性(70歳)の投稿にちょっと心動かされるものがあって、自分のブログに再録させてもらおうと思い、手元に置いておいたのです。

これを読んだら、おそらく誰もが心を打たれ、胸に迫るものを感じると思います。

以下が、その全文です。

《14年前に父を亡くし、鹿児島県内の老人ホームで暮らす101歳の母がいる。年相応の認知力の衰えはあるものの、まだ「誰かね?」と言われたこともなく、ときどき、私に電話を掛けてくる。
先日も母から電話があった。「一人は、ほんのこちさびしかもんじゃ。なんごて長生きしとるんじゃろ。はよ、父さんとこ行きたかがよー」と涙声で訴えてきた。
私も、10年前に主人を亡くし、一人で暮らす身だ。
「母さん、私もここでひとりじゃ。一人はさびしか。母さんの気持ちがよーく分かるよ」と返した。
すると母は「あー、おまんさあも一人じゃったな。一人はしゃべらんからいかんよ。近くのスーパーに行って、誰かと話っしゃんせ。具合悪いときゃ、すぐ病院へ走んやんせ」。いつしか、涙声から心強い母親の声に変わっていた。
母とは、親とは、いくつになっても子を心配するものなのだ。ありがたいと頭が下がる思いで受話器を置いた。
私も頑張らなければという思いになった。》

ひとり遠い鹿児島の老人ホームで暮らす101歳の、まるでみずからの長寿をなげくかのような老母の悲痛な孤独と、その孤独を十分に分かっていても何も為しえず、ただ母を気遣う言葉しか掛けてあげられない70歳の娘の痛切、そうした思いのすべてを秘めて互いに掛け合う薩摩弁の柔らかな物言いに、ただただ打ちのめされてしまったのかもしれません。

これはまるで、小津監督作品「父ありき」や「母を恋はずや」を見たときに受けたあの胸の詰まるような痛恨と同質なものだな、と感じました。

朝の新聞の片隅でふと触れた痛切が、いつも見ている朝の景色をまったく違うものに変えてしまったことに、一瞬、戸惑いました。

そのとき、最近、少し前のブログで、伊丹万作「故郷」の感想を書くときに、同じタイトルの「故郷」という邦画が何本くらい作られたのか、jmdbで確かめたことを思い出しました。

自分的には、検索する前には、当然ながら、類語をふくめて何十本、何百本という製作本数という結果があるに違いないと確信しながら検索をはじめたのですが、結果は、たったの5本だったので、驚くのを通り越して、ちょっと呆れてしまいました。「故郷」という言葉は、日本人のキイワードではなかったのかという意外な思いでした。

肩透かしを食わされたその記憶が、それ以降いつまでも自分のなかに残っていて、いつも「それなら何が日本人にふさわしいキイワードなのか」と、内心でずっと自問していたということはあったかもしれません。

この101歳の老母を気遣う70歳の女性の投稿文を読んだとき、「あっ!」と反応し、直感的に「そうか、キイワードは、『母』だな」と確信するものがありました。

さっそく、jmdbで、「母」と入力を・・・と思ったのですが、そのまえに、タイトルに「母」とつく映画で、自分が子供のときに耳にして、気に掛かりながらも、その後、一切の情報に邂逅することもなく、もちろん、見ることもなかった映画というのを同時に思い出した、もちろん予備知識なども皆無なので、いい機会です、検索ついでに、その映画から検索してみることにしました。

うろ覚えながら、そのタイトルは、たしか「母のない子と子のない母」だったと記憶しているので、検索し始めてみると、どうも正確には「母のない子と子のない母と」というらしいことが分かりました。

検索結果は、以下のとおりです。

★母のない子と子のない母と
戦争でひとり息子を亡くした老婆と病気で母を失った兄弟。愛する者を失った悲哀に生きる者たちは、それでもなお前を向いて助け合い、やがて心を結び合う。故郷の風土に根ざし、戦争への怒りと人間への愛情を込めた作品を数多く遺した壼井栄。映画化もされた『二十四の瞳』と並ぶ著者の長編児童文学の傑作。第二回芸術選奨文部大臣賞受賞作。
(1952劇団民藝、新教映)監督・若杉光夫、脚色・久板榮二郎、原作・壷井栄、企画・劇団民芸、製作・菅義雄、八名正、、撮影・井上莞、美術・民芸美術部、音楽・斎藤一郎、解説・滝沢修
出演・田中晋二(一郎)、宇野重吉(一郎のお父さん)、高野由美(一郎のお母さん)、長木義秀(ヨンちゃん)、北林谷栄(おとら小母さん)、小汐保平(史郎)、斎藤美和(史郎のお母さん)、左卜全(史郎のおじいさん)、原ひさ子(史郎のおばあさん)、清水将夫(校長先生)、多々良純(役場の六さん)、
製作=民芸 1952.11.04 9巻 2,466m 白黒

なるほど、なるほど、そういうことですか。かの民芸が製作した映画だったんですね、わざわざ検索なんかするんじゃなかった。人道主義と共産主義の区別もつかず、戦時中の贖罪感も手伝って、猫も杓子も、よせばいいのに山田五十鈴でさえも赤旗を振ったというあの噴飯ものの激動時代、バブルの時代、ミニスカートのねえちゃんたちが、ジュリアナのお立ち台で、大きな扇子と腰を振ってパンチラで踊りまくっていたのとは、わけが違います。少人数相手の演劇で、仲間内で息巻いていればいいものを、わざわざ映画にまでしゃしゃり出て「映画」をアジテーションの道具として堕落させ、つまらない「映画」を量産した、その残滓的な作品だったというわけですか。トリュフォーならずとも、怒るで、まったく。

いかに名作「二十四の瞳」を撮った木下恵介といえども、この原作じゃあ、いい映画なんか撮ることは所詮無理だったと思います。だから木下恵介もこちらの作品の方は食指を動かさなかったというわけだったのでしょうけれども。

でもまあ、これで長い間、気になっていた作品がどういう作品だったのかの調べもつきましたので、気も済みました。

そうそう、気に掛かっていたことが、もうひとつありました。

前回、伊丹万作の「故郷」の周辺情報を確かめるために「伊丹万作全集 第1巻」を読んでいたら、たまたま面白い記事をみつけたので、紹介しておきたいと思います。

あきらかに小津監督の「母を恋はずや」を意識して書かれたものであることは一目で分かりましたので、すぐ目に付いたというわけです。あえて「意識して」と書きましたが、それを「あてこすって」とか「嫌味で」とか、いろいろな表現にかえことも、あるいは可能かもしれません。

それは「キネマ旬報」昭和9年6月11日号に掲載された「回答その他」という小文のなかの「文法」と題された時評みたいな感じのものです、ごく短いものなので 全文筆写してみますね。

《松竹の写真の題名に「何とかを恋はずや」というのがあった。これをどう読ませるつもりか分からないが、「恋はずや」と読ませるつもりなら、それは無茶である。日本語にはない読み方で、したがって意味も通じようがない。意味の通じない題名など、少し無責任すぎるし、第一商売上困りはしないか。
「恋ふ」という他動詞は、は行上二段活用で、「ひ、ひ、ふ、ふる、ふれ、ひよ」と働くのであって、「は」とは働かない。したがってこの場合は、「恋ひずや」というのが正しい。「恋はずや」という語は日本にないのだから、そのつもりでいてもらいたい。これは中学二年生の知識であるから、僕が物知りぶっていることにはなるまい。また松竹に中学二年生以上の教育を受けた人が一人もいないというはずもなかろう。タイトルの方は吉山旭光氏に任せておくが、題名だけは捨ておき難い。世間の者どもに活動屋などという手合いは平易な文法さえもわきまえておらんと思わせることはくやしいから、仲間うちで警めておく。》

これ以上はないだろうと思えるくらいのなんたる嫌味、なんたる傲慢、ちなみに小津監督は、年譜によれば、中学校卒業後、神戸高商受験失敗後、代用教員をしたとあるので、「松竹に中学二年生以上の教育を受けた人が一人もいないというはずもなかろう」は、そのまま、相手を侮辱し喧嘩を売っているとしか思えません。

しかし、たとえそれが「は行上二段活用」であろうと、「恋ひずやの方が正しい」であろうと、現代においてもいまだ確固として映画史に残り、記憶に刻印されている作品といえば「母を恋はずや」なのであって、観客に飽きられ、記憶と映画史とからすっかり姿を消してしまった伊丹万作の「故郷」ではなかったことが示唆するものは、たとえそのタイトルの命名が文法上、些か規定から外れたものであったとしても、しかし、その誤りもすべて含めて、言葉に対する感受性もまた作家の美意識であることを支持した僕たちの証しであるのだと言わずにはおられません。

さて、それでは、懸案のキイワード「母」の検索といってみますか。

いざ検索してみると、ヒットした件数は、おお!! なんと401件、まさにこれが日本人の心のキイワードといえるにふさわしい堂々たる件数じゃないですか。

なるほど、なるほど、そういうことだったんですね。この壮観な401件の検索結果は、ぜひともこのブログの末尾に全件掲げたいと思いますが、当初自分的には、「母もの映画」といえば望月優子や三益愛子のイメージが強烈で、どうしても「陰々滅々」感(とか、聖母的な先入観)が強くて、もうひとつ検索にリキが入らずに積極的にはなれなかったのですが、この検索結果を見て驚愕し、俄然生き返りました。

そのタイトルのイロドリの華やかさ、百花繚乱の桃色吐息ぶりといったらありません。

ひとむかし前なら、子供たちや意地悪な嫁に疎まれ、虐げられて家にいられずに、ついに行き場をなくして老人ホームに追いやられたり、鉄道自殺するしかなかった老いた母親たちは、この現代においては、娘の婿さんを豊満な肉体で誘惑し、

実の息子とやってしまうとか(実際の年齢差を考えると、ありえないと思ってしまうとしたら、まだまだ修行が足りません)、

とにかく、日本映画史の一断面を抉り取った壮観さを堪能できることには、間違いありません。保証します。

これこそ躊躇なく「正調・日本映画史」と名づけても十分OKだと思ってます。


【正調・日本映画史】
1. まま母 (製作=横田商会) 1910.11.01 富士館 白黒 無声
2. 母の罪 (製作=吉沢商店) 1911.05.01 電気館 白黒 無声 出演・木下吉之助、五味国太郎
3. 母の躾 (製作=吉沢商店) 1912.01.01 電気館 白黒 無声 出演・木村操、五味国太郎
4. 継母 (製作=横田商会) 1912.05.01 千代田館 白黒 無声
5. まま母(警官の涙) (製作=日活) 1914.04. 浅草大勝館 白黒 無声
6. 母(捨小舟) (製作=日活(向島撮影所)) 1914.07. 浅草遊楽館 白黒 無声 出演・森三之助、関根達発、立花貞二郎
7. 母の罪 (製作=日活(向島撮影所)) 1914.08. 浅草オペラ館 白黒 無声 出演・関根達発、一派
8. 此子此母 (製作=日活(向島撮影所)) 1914.09. 浅草三友館 白黒 無声 原作・中井苔香
9. 母の心 (製作=日活(向島撮影所)) 1915.01. 浅草三友館 白黒 無声 監督・小口忠
10. 二人の母 (製作=日活(向島撮影所)) 1916.03. 浅草三友館 白黒 無声

11. 母と子 (製作=日活(向島撮影所)) 1916.06.27 浅草オペラ館 3巻 白黒 無声 原作・佐藤紅録
12. 母の心 (製作=小林商会) 1916.10.30 京橋豊玉館 3巻 白黒 無声 出演・中村秋孝、佐川素経、静田健、多知花静衛、三木久雄
13. 幼き母 (製作=日活(向島撮影所)) 1917.07.01 第二遊楽館 5巻 白黒 無声 出演・山本嘉一、東猛夫、秋月邦武、立花貞二郎、藤川三之助
14. 儚き母子 (製作=小林商会) 1917.07.11 浅草三友館 5巻 白黒 無声 出演・関根達発、静田健、西野薫、島田小次郎、中野信近
15. 残れる母娘 (製作=天活(大阪撮影所)) 1918.03.01 大阪楽天地 白黒 無声 脚本・藤田紫影、出演・石川新水、伊村義雄、熊谷武雄、山田九州男、五味国太郎、秋山十郎、宍戸熊介
16. 捨てられた母 (製作=日活(向島撮影所)) 1918.03.30 浅草オペラ館 4巻 白黒 無声 監督・小口忠、脚本・桝本清、出演・山本嘉一、五月操、東猛夫、新井淳、衣笠貞之助
17. 母の扉 (製作=日活(向島撮影所)) 1918. . 白黒 無声 監督・田中栄三
18. 母の心 (製作=日活(向島撮影所)) 1919.08.31 浅草オペラ館 白黒 無声 原作・柳川春葉
19. 慈母のなやみ (製作=国活) 1920.05.29 芝大門館 5巻 白黒 無声
20. 此父此母 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1921.07.21 第二松竹館 4巻 白黒 無声 監督・賀古残夢、出演・五味国太郎、宮田八郎、大山武、鈴木歌子

21. 涙の母 (製作=日活(向島撮影所)) 1921. . 白黒 無声
22. 母いづこ (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1922.01.10 浅草松竹館 6巻 白黒 無声 監督・牛原虚彦、脚本・伊藤大輔、原作・「オーヴァ・ゼ・ヒル」より
23. 母の心 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1922.05.01 浅草松竹館 6巻 白黒 無声 監督・池田義臣、脚本・小田喬、原作・柳川春葉、撮影・水谷文次郎
24. 母 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1923.05.16 浅草松竹館 10巻 白黒 無声 監督・野村芳亭、脚本・石川白鳥、撮影・小田浜太郎、出演・川田芳子
25. 永遠の母 (製作=松竹キネマ(下加茂撮影所)) 1924.01.13 電気館 8巻 白黒 無声 監督・池田義信、脚本・武田晃、原作・野村芳亭、撮影・長井信一
26. 懐かしき母 (製作=マキノ映画製作所(等持院撮影所)) 1924.03.04 浅草オペラ館 6巻 白黒 無声 監督・志波西果、原作・志波西果、撮影・松浦茂、配役・村瀬実太
27. 雲母阪 (製作=マキノ映画製作所(等持院撮影所)) 1924.06.20 浅草大東京 5巻 白黒 無声 監督・沼田紅緑、脚本・マキノ青司、原作・直木三十三、
28. お澄と母 (製作=日活(京都撮影所第二部)) 1924.06.29 浅草三友館 8巻 白黒 無声 監督・村田実、脚本・村田実、原作・ブラスコ・イヴァニエス
29. 二人の母 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1924.08.01 電気館 6巻 白黒 無声 監督・牛原虚彦、脚本・小田喬、撮影・酒井健三、出演・三村千代子
30. 母なればこそ (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1924.09.22 電気館 7巻 白黒 無声 監督・池田義信、脚本・池田義信、撮影・長井信一、出演・奈良真養

31. 狂へる母に (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1924.12.22 電気館 3巻 白黒 無声 監督・吉野二郎、脚本・吉田弘隆、撮影・中村正雄、出演・飯田蝶子
32. 水兵の母 (製作=小笠原プロダクション) 1925.03.05 神戸キネマ倶楽部 6巻 白黒 無声 監督・小笠原明峰、脚本・水島あやめ、原作・小笠原長生
33. 母を呼ぶ声 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1925.03.15 電気館 5巻 白黒 無声 監督・吉野二郎、脚本・古田弘隆、原作・古田弘隆、撮影・田辺憲次
34. 海国の母 (製作=東亜キネマ(甲陽撮影所)) 1925.08.12 大阪第一朝日館 6巻 白黒 無声 監督・上月吏、脚本・田村喜一郎、原作・永井健、撮影・古泉勝男
35. 母校の為めに (製作=日活(大将軍撮影所)) 1925.09.08 浅草三友館 7巻 白黒 無声 監督・阿部豊、助監督・伊奈精一、脚色・畑本秋一、清水竜之助
36. 母ちゃんの馬鹿 (製作=帝国キネマ演芸(芦屋撮影所)) 1925. . 製作中止 白黒 無声 監督・松本英一、撮影・大森勝、出演・松本泰輔、沢蘭子
37. 母を尋ねて三百里 (製作=日活(大将軍撮影所)) 1926.05.07 三友館 7巻 白黒 無声 監督・田坂具隆、脚本・鈴木謙作、原作・鈴木謙作、撮影・気賀靖吾
38. 母よ恋し (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1926.05.23 電気館 6巻 白黒 無声 監督・五所平之助、脚本・水島あやめ、原作・水島あやめ、撮影・内田斎
39. 母なればこそ (製作=帝国キネマ演芸(芦屋撮影所)) 1926.11.06 大阪芦辺劇場 5巻 白黒 無声 監督・佐藤樹一路、原作・佐藤樹一路、撮影・鷲田誠
40. 愚かなる母 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1926.12.01 浅草松竹館 8巻 白黒 無声 監督・池田義信、脚本・水島あやめ、原作・水島あやめ

41. 母に誓ひて (製作=タカマツ・アズマプロダクション) 1926.04.03 白黒 無声 監督・山本嘉次郎、脚色・山本嘉次郎、撮影・小谷三郎、配役・野田鉄次(職工)
42. この母を見よ (製作=マキノプロダクション(御室撮影所)) 1927.01.28 千代田館 6巻 白黒 無声 監督・久保為義、脚本・芝蘇呂門、撮影・藤井春美
43. 心中雲母阪 (製作=マキノプロダクション(御室撮影所)) 1927.03.18 千代田館 8巻 白黒 無声 指揮・マキノ省三、監督・井上金太郎、橋本栄一、脚色・秋篠珊次郎
44. 懐しの母 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1927.10.21 電気館 5巻 白黒 無声 監督・佐々木恒次郎、脚本・村上徳三郎、原作・村上徳三郎、撮影・内田斎
45. 叔母さんの家 (製作=河合プロダクション) 1928.09.14 7巻 1,456m 白黒 無声 監督・松本英一、出演・里見明 橘重子 雲井三郎
46. 母いづこ (製作=日活(大将軍撮影所)) 1928.09.14 富士館/みやこ座 10巻 白黒 無声 監督・阿部豊、脚色・阿部豊、木村恵吾、原作・阿部豊、撮影・青島順
47. 豪傑の母 (製作=帝国キネマ演芸) 1928.09.22 大阪芦辺劇場 白黒 無声 監督・江後岳翠、脚本・江後岳翠、原作・江後岳翠、撮影・谷口禎
48. 母よ君の名を汚す勿れ (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1928. . 白黒 無声 監督・五所平之助、脚本・五所平之助、原作・北村小松、撮影・三浦光男
49. 母と子 (製作=東亜キネマ(京都撮影所)) 1929.01.20 大阪パーク劇場 6巻 白黒 無声 監督・米沢正夫、脚本・佃血秋、原作・佃血秋、撮影・河崎喜久三
50. 第二の母 (製作=日活(太奏撮影所)) 1929.04.26 富士館/みやこ座 5巻 白黒 無声 監督・木村次郎、脚本・東坊城恭長、原作・畑本英一、撮影・町井春美

51. おっ母よ (製作=帝国キネマ演芸) 1929.05.29 大阪芦辺劇場 白黒 無声 監督・深川ひさし、脚本・阪本長郎、撮影・古林潤、出演・鈴木信子、藤間林太郎
52. 母 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1929.12.01 帝国館 10巻 白黒 無声 監督・野村芳亭、脚本・柳井隆雄、潤色・野田高梧、原作・鶴見祐輔
53. 母校に輝く (製作=沢田義雄プロダクション) 1929. . 白黒 無声 監督・楠山律、撮影・寺田清彦、出演・沢田義雄、浪花千栄子
54. 母校の名誉 (製作=マキノプロダクション(御室撮影所)) 1930.01.31 新宿劇場 8巻 白黒 無声 監督・川浪良太、脚本・川浪良太、原作・川浪良太
55. 三人の母 (製作=帝国キネマ演芸) 1930.04.10 常盤座 8巻 白黒 無声 監督・曽根純三、脚本・村田圭三、原作・小笠原白也、撮影・塚越成治
56. 母 (製作=日活(太奏撮影所)) 1930.04.25 富士館 8巻 白黒 無声 監督・長倉祐考、脚本・相田澄子、原作・菊池寛、撮影・松沢又男
57. この母を見よ (製作=日活(太奏撮影所)) 1930.05.09 富士館 10巻 白黒 無声 監督・田坂具隆、脚本・八木保太郎、撮影・伊佐山三郎、出演・滝花久子
58. 母の栄光 (製作=河合映画製作社) 1930.07.11 7巻 1,404m 白黒 無声 監督・高松操、脚本・杉原保、原作・杉原保、撮影・永貞二郎
59. 母三人 (製作=日活(太奏撮影所)) 1930.11.07 富士館 10巻 白黒 無声 監督・阿部豊、脚本・木村千疋男、原作・川村花菱、撮影・町井春美
60. 瞼の母 (製作=千恵蔵プロダクション 配給=日活) 1931.03.13 富士館/神田日活館 8巻 1,784m 白黒 無声 監督・稲垣浩、助監督・寺川千秋、脚本・稲垣浩

61. 我が子我が母 (製作=帝国キネマ演芸) 1931.04.22 常盤座 10巻 白黒 無声 監督・印南弘、脚本・民門敏雄、原作・民門敏雄、撮影・二宮義暁
62. この母に罪ありや (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1931.06.12 帝国館 12巻 2,873m 白黒 無声 監督・清水宏、脚色・伏見晁、池田忠雄、原作・湯原海彦
63. 母はどうする (製作=河合映画製作社) 1931.07.23 河合キネマ 6巻 1,329m 白黒 無声 監督・吉村操、脚本・太田辰三、原作・太田辰三、撮影・石川東橘
64. 母なればこそ (製作=帝国キネマ演芸) 1931.09.01 常盤座 8巻 白黒 無声 監督・川浪良太、脚本・西条照太郎、原作・西条照太郎、撮影・藤井清
65. 二郎と其の母 (製作=キヨノ映画) 1931.10.30 浅草松竹座 4巻 白黒 無声 監督・山口辰雄、脚本・山口辰雄、原作・椎名竜徳、撮影・山田忠治
66. 母よその名を汚す勿れ (製作=東活映画社) 1931.12.05 大阪敷島倶楽部 7巻 白黒 無声 監督・米沢正夫、脚本・桜庭青蘭、原作・桜庭青蘭、撮影・上村貞
67. 頼母子権兵衛 (製作=赤沢キネマ) 1932.01.05 浅草松竹館 6巻 白黒 無声 監督・吉野二郎、脚本・東草之助、原作・東草之助、撮影・土岐淳一
68. 永遠の母 (製作=河合映画製作社) 1932.05.06 浅草河合キネマ 7巻 1,420m 白黒 無声 監督・吉村操、脚本・藤田潤一、原作・藤田潤一、撮影・石川東橘
69. 母の秘密 (製作=東活映画社) 1932.06.20 大阪有楽座 12巻 白黒 無声 監督・米沢正夫、脚本・東活文芸部、原作・野村雅延、撮影・柾木四平
70. まぼろしの母 (製作=新興キネマ) 1932.11.01 電気館 10巻 白黒 無声 監督・清涼卓明、脚本・小川正、原作・小川正、撮影・三木茂

71. 母の秘密 (製作=新興キネマ) 1932.12.25 電気館/新宿帝国館 10巻 白黒 無声 監督・高見貞衛、脚本・八尋不二、原作・三宅やす子、撮影・藤井清
72. 眠れ母の胸に (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1933.01.20 帝国館 12巻 2,447m 白黒 サウンド版 監督・清水宏、脚色・野田高梧、原作・野田高梧
73. その子と母 (製作=河合映画製作社) 1933.02.08 6巻 1,179m 白黒 無声 監督・吉村操、脚本・大井利与、原作・太田辰三、撮影・藤岡弘司
74. 母よ子よ (製作=日活(太奏撮影所)) 1933.07.06 富士館 8巻 白黒 無声 監督・田口哲、脚本・依田義賢、原作・依田義賢、撮影・気賀靖吾
75. 或る母の姿 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1933.07.20 帝国館 8巻 白黒 無声 監督・佐々木恒次郎、脚本・陶山密、原作・陶山密、撮影・青木勇
76. 母三人 前篇 (製作=新興キネマ) 1933.10.19 電気館 10巻 白黒 無声 監督・曽根純三、脚本・八尋不二、原作・川村花菱、撮影・藤井静
77. 母三人 後篇 (製作=新興キネマ) 1933.10.25 電気館 8巻 1,998m 白黒 無声 監督・曽根純三、脚本・八尋不二、原作・川村花菱、撮影・藤井静
78. 東洋の母 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1934.02.01 帝国劇場/帝国館 15巻 3,818m 白黒 総指揮・城戸四郎、総監督・清水宏、監督・石川和雄、佐々木康、佐藤武、沼波功
79. 母の微笑 (製作=日活(太奏撮影所)) 1934.03.01 富士館/日比谷映劇 6巻 白黒 監督・渡辺邦男、脚色・鈴木紀子、原作・簡易保険局、撮影・碧川道夫
80. さくら音頭 涙の母 (製作=P.C.L.映画製作所 配給=東和商事映画部) 1934.03.08 日比谷映劇 10巻 2,047m 75分 白黒 監督・木村荘十二、脚本・木村荘十二、原作・木村荘十二

81. 夢に見る母 (製作=日活(多摩川撮影所)) 1934. . 白黒 無声 監督・青山三郎、脚本・鈴木紀子、原作・鈴木紀子、撮影・松沢又男
82. 母の愛 苦闘篇 愛児篇 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1935.01.31 帝国館 15巻 白黒 サウンド版 監督・池田義信、脚本・陶山密、原作・松竹脚本部
83. 母の心 (製作=赤沢キネマ) 1935.03.07 電気館 8巻 白黒 監督・根岸東一郎、脚本・赤沢大助、原作・村上寛、撮影・花沢義之
84. 母の恋文 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1935.04.18 帝国館 12巻 白黒 監督・野村浩将、監督補助・北村昭彦、松村清四郎、中本茂、脚色・池田忠雄
85. なみだの母 (製作=太奏発声映画 配給=日活) 1935.05.08 大阪常盤座 8巻 白黒 監督・永富映次郎、脚色・牛原虚彦、原作・額田六福、撮影・河崎喜久三
86. 父帰る母の心 (製作=第一映画社 配給=松竹キネマ) 1935.10.08 帝国館 8巻 白黒 監督・寺門静吉、助監督・森一生、鴻嶺利光、池田李雄、脚色・原健一郎
87. 叔母さんの意地わる (製作=大都映画) 1935.11.21 河合キネマ 7巻 1,508m 白黒 無声 監督・太田辰三、脚本・太田辰三、原作・太田辰三、撮影・石川東
88. スクリーングラフ 第八輯「文化の母」 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所ニュース部)) 1935. . 2巻 白黒 解説版
89. 第二の母 (製作=日活(多摩川撮影所)) 1936.01.23 富士館 7巻 白黒 監督・田口哲、春原政久、脚本・小国英雄、原作・小国英雄、撮影・福田寅次郎
90. 母の面影 (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1936.02.06 帝国館/丸の内松竹/新宿松竹館9巻 白黒 サウンド版 監督・佐々木啓祐、脚本・斎藤良輔、原作・斎藤良輔

91. 護国の母 (製作=日活(多摩川撮影所)) 1936.05.07 富士館 8巻 白黒 監督・田口哲、脚本・鈴木紀子、原作・鈴木紀子、撮影・福田寅次郎
92. 母を尋ねて (製作=松竹キネマ(大船撮影所)) 1936.08.30 帝国館/丸の内松竹/新宿松竹館10巻 白黒 解説版 監督・佐々木康、脚本・柳井隆雄、原作・日野輝久
93. 母なればこそ (製作=P.C.L.映画製作所 配給=東宝映画) 1936.09.21 日本劇場 8巻 1,857m 68分 白黒 監督・木村荘十二、脚本・三好十郎、原作・川口松太郎
94. 嘆きの母 (製作=松竹キネマ(大船撮影所)) 1936.10.15 帝国館/丸の内松竹/新宿松竹館8巻 白黒 監督・宗本英男、脚色・宗本英男、潤色・野田高梧
95. 母の花園 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1936.11.22 大阪朝日座 9巻 2,211m 白黒 監督・西鉄平、脚本・如月敏、原作・如月敏、撮影・樗木喬
96. 瞼の母 (製作=千恵蔵プロダクション 配給=日活) 1936.12.03 富士館 7巻 白黒 監督・衣笠十四三、脚色・大森光太郎、原作・長谷川伸、撮影・漆山裕茂
97. わが母の書 (製作=松竹キネマ(大船撮影所)) 1936.12.19 新宿松竹館 15巻 白黒 監督・池田義信、脚本・斎藤良輔、図斎与一、原作・斎藤良輔、図斎与一
98. 小楠公とその母 (製作=日本合同映画) 1936. . 白黒 サウンド版 監督・中川紫朗、脚本・中川紫朗、原作・小楠公会、撮影・渡会六蔵
99. 母校の花形 (製作=日活(多摩川撮影所)) 1937.04.01 富士館 6巻 白黒 監督・千葉泰樹、脚色・小国英雄、山崎謙太、原作・サトウ・ハチロー、撮影・長井信一
100. 母の夢 (製作=松竹(大船撮影所)) 1937.04.01 帝国館/丸の内松竹/新宿松竹館8巻 白黒 監督・佐々木康、脚本・斎藤良輔、原作・菊池寛、撮影・野村昊

101. 真実一路 母の巻 (製作=日活(多摩川撮影所)1937.06.10 大阪常盤座 9巻 白黒 監督・田坂具隆 脚色・荒牧芳郎 原作・山本有三 撮影・伊佐山三郎
102. 軍国母の手紙 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1937.10.21 大阪朝日座 7巻 1,410m 白黒 監督・久松静児 脚本・陶山密 原作・陶山密 撮影・鈴木栄
103. 母への抗議 (製作=松竹(大船撮影所) 1937.11.01 新宿松竹館 8巻 白黒 監督・深田修造 脚本・斎藤良輔 原作・斎藤良輔 撮影・渡辺健次
104. 母よ安らかに (製作=新興キネマ(東京撮影所) 1937.11.11 大阪朝日座 8巻 2,042m 白黒 監督・田中重雄 脚本・如月敏 原作・如月敏 撮影・二宮義暁
105. 呼子鳥 後篇 母の時代 (製作=新興キネマ(東京撮影所) 1937.11.18 大阪朝日座 7巻 白黒 監督・久松静児 脚本・陶山密 原作・加藤武雄 撮影・古泉
106. 母の勝利 (製作=松竹(大船撮影所) 1937.11.25 帝国館 8巻 白黒 監督・斎藤寅次郎 脚本・野田高梧 撮影・武富善男 出演・葉山正雄 坪内美子
107. 母の曲 前篇 (製作=東宝映画(東京撮影所) 1937.12.11 日本劇場 2,156m 79分 白黒 製作・萩原耐 監督・山本薩夫 脚本・木村千依男 八住利雄
108. 母の曲 後篇 (製作=東宝映画(東京撮影所)
母の曲 後篇 1937.12.21 日本劇場 1,915m 70分 白黒 製作・萩原耐 監督・山本薩夫 脚本・木村千依男 八住利雄
109. 母の鐘 (製作=G・S映画研究所 1937. . 白黒 無声 監督・永富映次郎 脚本・永富映次郎 原作・永富映次郎 撮影・田中春光
110. 母親人形 (製作=東宝映画(京都撮影所)) 1938.01.07 日本劇場 8巻 2,056m 75分 白黒 監督・石田民三 脚本・白浜四郎 原作・長谷川伸 撮影・玉井正夫

111. 母の瞳 (製作=大都映画) 1938.01.10 大都劇場 8巻 白黒 監督・吉村操 脚本・大井利与 原作・大井利与 撮影・富沢恒夫
112. 母ぞよく知る (製作=松竹(大船撮影所) 1938.03.10 帝国館/新宿松竹館/渋谷劇場/銀座映劇8巻 白黒 監督・原研吉 脚本・斎藤良輔 原作・斎藤良輔
113. 母の魂 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1938.04.14 大阪朝日座 11巻 3,192m 白黒 総指揮・六車修 監督・田中重雄 脚本・陶山密 撮影・二宮義暁
114. 軍国涙の母 (製作=日活(多摩川撮影所)) 1938.04.21 富士館 4巻 白黒 監督・渡部恒次郎 脚色・荒牧芳郎 原作・竹田敏彦 撮影・渡辺孝 配役 高岡邦
115. 二度目の母 (製作=大都映画) 1938.06.16 大都劇場 6巻 白黒 無声 監督・和田敏三 脚本・ 三木誠 撮影・岩藤隆光 出演・大河百々代 藤間林太郎
116. 母と子 (製作=松竹(大船撮影所)) 1938.07.01 大阪劇場 10巻 2,426m 89分 白黒 監督・渋谷実 監督補助・厳谷平三 荒井英郎 大屋善三 本郷武雄 脚色・柳井隆雄
117. 瞼の母 (製作=東宝映画(東京撮影所)) 1938.07.10 日本劇場 10巻 2,295m 84分 白黒 製作・森田信義 監督・近藤勝彦 脚本・竹井諒 原作・長谷川伸
118. わが家に母あれ (製作=松竹(大船撮影所) 1938.08.18 帝国館/新宿松竹館/渋谷劇場/横浜常設館/銀座映劇6巻 白黒 監督・渋谷実 脚本・柳井隆雄 原作・森山季子
119. 姉ちゃんは母ちゃんは (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1938.09.08 大阪朝日座 6巻 1,430m 白黒 監督・須山真砂樹 脚本・小出英男 原作・小出英男
120. 母の歌 前篇(誓) (前篇(誓) 製作=松竹(大船撮影所)) 1938.12.15 帝国館/新宿松竹館/横浜常設館/銀座映劇5巻 白黒 監督・佐々木康 脚本・斎藤良輔 撮影・野村昊

121. 母の歌 後篇(縁) (製作=松竹(大船撮影所)) 1938.12.15 帝国館/新宿松竹館/横浜常設館/銀座映劇7巻 白黒 監督・佐々木康 脚本・斎藤良輔 撮影・野村昊
122. 美はしき母性 (製作=松竹(大船撮影所) 1938.12.24 帝国館/新宿松竹館/横浜常設館7巻 白黒 監督・蛭川伊勢夫 脚本・柳井隆雄 斎藤良輔 原作・山岡荘八
123. 幸福の母 (製作=オールキネマ社) 1938. . 1巻 326m 12分 白黒 演出・芦田宏昌 撮影・芦田宏昌
124. 母子船頭唄 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1939.01.14 大阪朝日座 5巻 1,313m 白黒 監督・青山三郎 脚本・村上徳三郎 撮影・青島順一郎
125. 日本の母 母の巻 (製作=大都映画) 1939.02.15 大都劇場 7巻 白黒 監督・吉村操 脚本・中川竜夫 原作・中川竜夫 撮影・永貞二郎
126. 日本の母 子の巻 (製作=大都映画) 1939.02.23 大都劇場 7巻 白黒 監督・吉村操 脚本・中川竜夫 原作・中川竜夫 撮影・永貞二郎
127. 誓ひの乳母車 (製作=大都映画) 1939.03.01 大都劇場 6巻 白黒 監督・中島宝三 脚本・中島宝三 撮影・広川朝次郎 出演・藤間林太郎 雲井三郎
128. 母に捧ぐる歌 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1939.05.25 電気館/大阪朝日座 8巻 1,977m 白黒 監督・伊奈精一 脚本・中田龍雄 原案・伊奈精一
129. 母を讃へる歌 (製作=松竹(大船撮影所)) 1939.07.06 帝国館/新宿松竹館/横浜常設館/銀座映劇7巻 白黒 監督・原研吉 脚本・野田高梧 森山李子撮影・厚田雄春
130. 母 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1939.10.12 大阪朝日座 11巻 2,957m 白黒 監督・田中重雄 脚本・陶山密 原作・鶴見祐輔 撮影・行山光一

131. 母は強し (製作=松竹(大船撮影所)) 1939.12.17 帝国館/新宿松竹館/渋谷松竹/銀座映劇12巻 白黒 監督・佐々木啓祐 脚本・猪俣勝人 原作・竹田敏彦
132. 母恋千鳥 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1939.12.24 大阪朝日座 7巻 1,976m 白黒 監督・須山真砂樹 脚本・一木章 原作・一木章 撮影・樗木喬
133. 母よ正しき愛を (製作=大日本文化映画製作所) 1939. . 2巻 白黒
134. この母にしてこの子あり (製作=大都映画) 1940.01.10 大都劇場 7巻 白黒 監督・吉村操 脚本・土田耕平 原作・土田耕平 撮影・永貞二郎
135. 雲月の九段の母 (製作=東宝映画(東京撮影所)) 1940.01.11 日本劇場 8巻 1,733m 63分 白黒 製作・滝村和男 監督・渡辺邦男 脚本・平野直
136. 母の踏む路 (製作=大都映画) 1940.03.21 大都劇場 6巻 白黒 監督・宇佐美彪 脚本・宇佐美彪 原作・土田耕平 撮影・広川朝次郎
137. 母の願ひ (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1940.04.18 大阪朝日座 9巻 2,183m 白黒 監督・久松静児 脚本・村上徳三郎 原作・浜本浩 撮影鈴木栄
138. 悲曲「母」 (製作=日活(多摩川撮影所)) 1940.06.27 富士館 9巻 白黒 監督・伊賀山正徳 脚色・館岡謙之助 原作・萩原四郎 撮影・渡辺五郎
139. 母なきあと (製作=大都映画) 1940.09.26 大都劇場 5巻 白黒 監督・小崎政房 脚本・小崎政房 原作・小崎政房 撮影・広川朝次郎
140. 闘ふ母 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1940.10.05 大阪朝日座 8巻 1,902m 白黒 製作・高岩肇 監督・久松静児 脚本・山上七郎 原作・広津和郎

141. お母さん (製作=松竹(大船撮影所)) 1940.11.07 国際劇場/新宿・渋谷松竹 7巻 白黒 監督・瑞穂春海 脚本・斎藤良輔 長瀬喜伴、撮影・桜井清寿
142. 母の真情 (製作=大都映画) 1941.01.07 大都系 5巻 白黒 監督・山内俊英 脚本・土田耕平 原作・諏訪三郎 撮影・富沢恒夫
143. 母系家族 (製作=日活(多摩川撮影所)) 1941.01.30 日活系 13巻 白黒 監督・清瀬英治郎 脚本・千葉泰樹 原作・石川達三 撮影・山崎安一郎
144. 大将の母 (製作=大日本教育映画協会 配給=皇国映画) 1941.02.22 大阪朝日座 4巻 白黒 監督・山本紀夫 撮影・渡辺孝 出演・村瀬幸子
145. 母代 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1941.02.22 大阪朝日座 9巻 白黒 製作・今村貞雄 監督・田中重雄 脚本・鈴木英夫 原作・舟橋聖一
146. 母の姿 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1941.03.15 大阪朝日座 4巻 白黒 監督・青山三郎 脚本・望月幸三 原作・田郷虎雄 JOAK放送劇「父の碑」
147. 母の灯 (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1941.06.12 大阪朝日座 9巻 白黒 監督・深田修造 小石栄一、脚本・笠原良三 原作・石橋みつ子 撮影・高橋通夫
148. 母なき家の母 (製作=日活(多摩川撮影所)) 1941.07.24 日活系 9巻 白黒 監督・伊賀山正徳 脚本・比佐芳武 撮影・渡辺五郎 音楽・大久保徳二郎
149. 戦陣訓 母と戦場 (製作=大都映画) 1942.01.14 大都系 10巻 白黒 監督・倉谷勇 脚本・水町青滋 原作・火野葦平 撮影・松井鴻
150. 母の顔 (製作=皇国映画) 1942.01.24 新興系 6巻 白黒 監督・村上潤 脚本・鈴木忠一郎 撮影・岡野進一 出演・林千歳 田中春雄 三島慶子

151. 海の母 (製作=日活(多摩川撮影所)) 1942.02.07 日活系 11巻 白黒 監督・伊賀山正徳 脚色・永見隆二 原作・永見隆二 撮影・渡辺五郎
152. 母よ嘆く勿れ (製作=新興キネマ(東京撮影所)) 1942.04.16 紅系 8巻 白黒 監督・深田修造 脚本・柳川真一 原作・加藤武雄 撮影・古泉勝男
153. 日本の母 (製作=松竹(大船撮影所)) 1942.06.18 白系 10巻 白黒 監督・原研吉 脚本・野田高梧 八木沢武孝、撮影・武富善男 音楽・浅井挙曄
154. 母の地図 (製作=東宝映画) 1942.09.03 紅系 11巻 2,825m 103分 白黒 演出・島津保次郎 演出助手・杉江敏男 脚本・植草圭之助 潤色・島津保次郎
155. 母は死なず (製作=東宝映画) 1942.09.24 紅系 11巻 2,841m 104分 白黒 製作・藤本真澄 演出・成瀬巳喜男 脚本・猪俣勝人 原作・河内仙介
156. 母の記念日 (製作=松竹(大船撮影所)) 1943.11.11 白系 9巻 2,372m 87分 白黒 監督・佐々木康 脚本・野田高梧 柳井隆雄 柳川真一、原作・佐々木孝丸
157. 雛鷲の母 (製作=大映(東京撮影所)) 1944.01.27 紅系 10巻 2,407m 88分 白黒 製作・三浦信夫 監督・吉村廉 脚本・八田尚之 撮影・山崎安一郎
158. 母の灯 (製作=松竹(京都撮影所)) 1947.07.01 8巻 2,081m 76分 白黒 企画・石田清吉 監督・市川哲夫 脚本・沢村勉 原作・小糸のぶ
159. 母 (製作=大映(東京撮影所)) 1948.08.23 8巻 2,115m 77分 白黒 企画・中代富士男 監督・小石栄一 脚本・館岡謙之助 撮影・山崎安一郎
160. 母紅梅 (製作=大映(東京撮影所)) 1949.01.24 9巻 2,281m 83分 白黒 企画・中代富士男 監督・小石栄一 脚本・館岡謙之助 撮影・姫田真佐久

161. 母三人 (製作=大映(東京撮影所)) 1949.04.24 9巻 2,297m 84分 白黒 企画・中代富士男 監督・小石栄一 脚本・館岡謙之助 原作・川村花菱
162. 母恋星 (製作=大映(京都撮影所)) 1949.06.12 10巻 2,331m 85分 白黒 企画・高桑義生 浅井昭三郎、監督・安田公義 脚本・波多謙治 撮影・武田千吉郎
163. 母呼ぶ鳥 (製作=松竹(京都撮影所)) 1949.08.16 国際劇場 一般封切 22日 10巻 2,549m 白黒 製作・糸屋寿雄 監督・高木孝一 脚本・柳井隆雄
164. ホルスタイン物語 母の丘 (製作=六和映画) 1949.09.06 8巻 2,134m 白黒 監督・八木沢武孝 脚本・八木沢武孝 撮影・草刈裕夫 出演・水島道太郎
165. 母燈台 (製作=大映(東京撮影所)) 1949.11.05 10巻 2,488m 91分 白黒 企画・中代富士男 監督・久松静児 脚本・八木沢武孝 撮影・高橋通夫
166. 母椿 (製作=大映(東京撮影所)) 1950.01.10 9巻 2,149m 78分 白黒 企画・関幸輔 監督・小石栄一 脚本・館岡謙之助 原作・筒井順
167. 母の調べ (製作=松竹(京都撮影所)) 1950.02.05 国際劇場 一般封切 12日 8巻 2,158m 白黒 製作・中野泰介 監督・高木孝一 脚本・沢村勉 原作・谷屋
168. 遙かなり母の国 (製作=大映(東京撮影所)) 1950.03.05 11巻 2,639m 96分 白黒 企画・奥田久司 監督・伊藤大輔 脚本・依田義賢 原作・川口松太郎
169. 母 (製作=松竹(京都撮影所)) 1950.05.14 9巻 2,560m 白黒 製作・中野泰介 監督・佐々木啓祐 脚本・長瀬喜伴 原作・鶴見祐輔
170. 拳銃の前に立つ母 (製作=大映(東京撮影所)) 1950.06.24 9巻 2,151m 79分 白黒 製作・中代富士男 監督・小石栄一 脚本・館岡謙之助 原作・川口松太郎

171. 母情 (製作=新東宝) 1950.06.28 9巻 2,347m 86分 白黒 製作・清水宏 製作主任・山本喜八郎 監督・清水宏 助監督・石井輝男
172. 母月夜 (製作=大映(東京撮影所)) 1951.01.27 10巻 2,354m 86分 白黒 製作・中代富士男 監督・佐伯幸三 脚本・松田昌一 撮影・秋野栄久
173. 母千鳥 (製作=大映(東京撮影所)) 1951.04.21 10巻 2,523m 92分 白黒 監督・佐伯幸三 脚本・松田昌一 撮影・秋野栄久 音楽・渡辺浦人
174. 母恋草 (製作=松竹(大船撮影所)) 1951.06.29 11巻 2,544m 白黒 製作・久保光三 監督・岩間鶴夫 脚本・鈴木兵吾 原作・竹田敏彦
175. 母を慕いて (製作=松竹(京都撮影所)) 1951.07.27 8巻 2,291m 白黒 製作・石田清吉 企画・福島通人 監督・斎藤寅次郎 脚本・池田忠雄 中村定郎
176. 母待草 (製作=松竹(大船撮影所)) 1951.08.17 9巻 2,118m 白黒 製作・山口松三郎 監督・佐々木啓祐 脚本・長瀬喜伴 原作・竹田敏彦
177. 月よりの母 (製作=新東宝) 1951.08.24 11巻 2,740m 100分 白黒 製作・青柳信雄 監督・阿部豊 脚本・八木隆一郎 中田晴康、原作・中田晴康
178. 母は嘆かず (製作=新東宝) 1951.09.28 7巻 2,055m 75分 白黒 監督・渡辺邦男 脚本・渡辺邦男 撮影・友成達雄 出演・水谷八重子 灰田勝彦 永田とよ
179. 母人形 (製作=大映(京都撮影所)) 1951.10.26 10巻 2,276m 83分 白黒 監督・佐伯幸三 脚本・松田昌一 撮影・牧田行正 音楽・渡辺浦人
180. 母化粧 (製作=松竹(大船撮影所)) 1951.12.14 8巻 2,166m 白黒 製作・山口松三郎 監督・佐々木啓祐 脚本・池田忠雄 長瀬喜伴、原作・竹田敏彦

181. 瞼の母 (製作=大映(京都撮影所)) 1952.01.08 9巻 2,195m 白黒 監督・佐伯幸三 脚本・松田昌一 原作・長谷川伸 撮影・牧田行正
182. 母なれば女なれば (製作=キヌタプロ 配給=東映) 1952.01.17 11巻 2,741m 白黒 監督・亀井文夫 脚本・棚田吾郎 原作・徳永直 撮影・瀬川順一
183. 嵐の中の母 (製作=東映(東京撮影所)) 1952.02.07 9巻 2,366m 白黒 監督・佐伯清 脚本・八住利雄 撮影・横山実 出演・水谷八重子 岸旗江 香川京子
184. 母山彦 (製作=大映(東京撮影所)) 1952.04.24 10巻 2,733m 白黒 監督・田中重雄 脚本・八住利雄 撮影・渡辺公夫 出演・三益愛子 長谷川裕見子
185. 母の願い (製作=松竹(大船撮影所)) 1952.05.22 9巻 2,232m 白黒 製作・山口松三郎 監督・佐々木啓祐 脚本・伏見晁 原作・小糸のぶ
186. 母を恋う歌 (製作=新映プロ 配給=東宝) 1952.05.29 9巻 2,247m 白黒 製作・大塚和 監督・並木鏡太郎 脚本・高柳春雄 山崎謙太、撮影・小原譲治
187. 母子鶴 (製作=大映(東京撮影所)) 1952.07.03 9巻 2,513m 白黒 監督・小石栄一 脚本・館岡謙之助 原作・川口松太郎 撮影・姫田真佐久
188. 母の山脈 (製作=松竹(大船撮影所)) 1952.07.24 9巻 2,254m 白黒 製作・山口松三郎 監督・佐々木康 脚本・野田高梧 原案・清閑寺健
189. 母の罪 (製作=東映(東京撮影所)) 1952.08.06 10巻 2,626m 白黒 監督・伊賀山正徳 脚本・館岡謙之助 原作・菊池幽芳 撮影・西川庄衛
190. 巣鴨の母 (製作=大映(京都撮影所)) 1952.10.16 11巻 2,530m 白黒 監督・安達伸生 脚本・八尋不二 撮影・伊佐山三郎 出演・三益愛子 根上淳 船越英二

191. 母のない子と子のない母と (製作=民芸) 1952.11.04 9巻 2,466m 白黒 監督・若杉光夫 脚本・久板栄二郎 原作・壺井栄 撮影・井上莞
192. 二人の母 (製作=東映(東京撮影所)) 1952.12.11 10巻 2,794m 白黒 監督・伊賀山正徳 脚本・館岡謙之助 山崎謙太、撮影・西川庄衛 出演・折原啓子
193. 母の瞳 (製作=大映(東京撮影所)) 1953.01.09 10巻 2,393m 白黒 監督・安田公義 脚本・八住利雄 原作・八住利雄 撮影・秋野友宏
194. 母子鳩 (製作=宝プロ 配給=東映) 1953.02.05 9巻 2,630m 白黒 監督・伊賀山正徳 脚本・館岡謙之助 原作・加藤武雄 撮影・松井鴻
195. 鞍馬天狗 疾風雲母坂 (製作=東映(京都撮影所)) 1953.02.12 9巻 2,219m 白黒 監督・萩原遼 脚本・小川正 丸根賛太郎 鏡二郎、原作・大仏次郎
196. 母波 (製作=大映(東京撮影所)) 1953.04.22 9巻 2,157m 白黒 監督・小石栄一 脚本・田辺朝治 原作・川口松太郎 撮影・峰重義
197. 母と娘 (製作=東宝) 1953.05.27 9巻 2,195m 白黒 製作・田中友幸 監督・丸山誠治 助監督・広沢栄 脚本・井手俊郎 原作・源氏鶏太
198. お母さんの結婚 (製作=日本映画新社 配給=東宝) 1953.07.01 7巻 1,800m 白黒 製作・中村正 監督・斎藤達雄 脚本・池田和夫 撮影・白井茂
199. 秘めたる母 (製作=新映プロ 配給=東宝) 1953.10.14 5巻 1,269m 白黒 監督・小田基義 脚本・原聡 星川清司 撮影・井上莞 音楽・佐藤勝
200. 母の誕生日 (製作=松竹(大船撮影所)) 1953.10.27 5巻 1,036m 白黒 製作・大町竜夫 監督・萩原徳三 脚本・津路嘉郎 原作・中里恒子 美川きよ

201. 母系図 (製作=東映(東京撮影所)) 1953.12.08 10巻 2,548m 白黒 監督・ 伊賀山正徳 脚本・館岡謙之助 撮影・西川庄衛 音楽・木下忠司
202. 母の湖 (製作=大映(東京撮影所)) 1953.12.15 10巻 2,339m 白黒 監督・小石栄一 脚本・笠原良三 原作・萩原四朗 撮影・渡辺公夫
203. 伊津子とその母 (製作=東宝) 1954.02.17 9巻 2,535m 白黒 製作・田中友幸 監督・丸山誠治 脚本・井手俊郎 原作・由起しげ子
204. 四人の母 (製作=大映(東京撮影所)) 1954.02.23 10巻 2,617m 白黒 監督・佐伯幸三 脚本・松田昌一 佐伯幸三、撮影・渡辺公夫 出演・三益愛子 折原啓
205. 母の秘密 (製作=新東宝) 1954.06.15 10巻 2,456m 90分 白黒 監督・内川清一郎 脚本・館岡謙之助 撮影・岩佐一泉 出演・轟夕起子 筑紫あけみ
206. 母恋人形 (製作=東映(東京撮影所)) 1954.06.22 11巻 2,767m 白黒 監督・伊賀山正徳 脚本・館岡謙之助 原作・竹田敏彦 撮影・西川庄衛
207. 母時鳥 (製作=大映(東京撮影所)) 1954.07.04 10巻 2,289m 白黒 監督・枝川弘 脚本・田辺朝二 原作・竹田敏彦 撮影・高橋通夫
208. 母の初恋 (製作=東京映画 配給=東宝) 1954.09.17 7巻 2,807m 白黒 製作・滝村和男 三輪礼二、監督・久松静児 脚本・八田尚之 原作・川端康成
209. 伊達騒動 母御殿 (製作=大映(京都撮影所)) 1954.10.13 10巻 2,487m 白黒 監督・安田公義 脚本・阿蘇太郎 池田菁穂、撮影・竹村康和 出演・三益愛子
210. 継母 (製作=東映(東京撮影所)) 1954.10.26 11巻 2,986m 白黒 企画・依田一郎 原進一 監督・伊賀山正徳 監督補佐・加島昭 脚本・館岡謙之助

211. この子この母 (製作=松竹(大船撮影所)) 1954.12.01 12巻 2,658m 白黒 製作・長島豊次郎 監督・萩山輝男 脚本・長瀬喜伴 撮影・井上晴二
212. 母千草 (製作=大映(東京撮影所)) 1954.12.15 11巻 2,516m 白黒 監督・鈴木重吉 脚本・松田昌一 撮影・中川芳久 出演・三益愛子 川上康子 信欣三
213. 母を尋ねて幾山河 (製作=東映(東京撮影所)) 1954.12.21 6巻 1,726m 白黒 監督・小石栄一 脚本・八木沢武孝 撮影・佐藤三郎 出演・月丘千秋
214. 母の曲 (製作=新東宝) 1955.05.15 12巻 2,700m 99分 白黒 製作・柴田万三 監督・小石栄一 脚本・笠原良三 原作・吉屋信子
215. 母性日記 (製作=松竹(大船撮影所)) 1955.06.15 11巻 2,836m 白黒 製作・長島豊次郎 監督・佐々木啓祐 脚本・中山隆三 撮影・鶴見正二
216. 母水仙 (製作=東映(東京撮影所)) 1955.07.20 9巻 2,456m 白黒 企画・坪井与 原伸光 監督・伊賀山正徳 脚本・笠原良三 原作・三好一光
217. 母笛子笛 (製作=大映(東京撮影所)) 1955.08.03 11巻 2,540m 白黒 製作・藤井朝太 企画・中代富士男 監督・斎村和彦 脚本・舟橋和郎
218. 美しき母 (製作=東宝) 1955.12.04 11巻 2,681m 白黒 製作・堀江史朗 監督・熊谷久虎 脚本・浄明寺花子 原作・林房雄
219. 母ふたり (製作=新東宝) 1955.12.13 10巻 2,497m 91分 白黒 製作・三上訓利 監督・野村浩将 脚本・大木弘二 原作・川口松太郎
220. 不良少年の母 (製作=東映(東京撮影所)) 1955.12.20 9巻 2,356m 白黒 製作・依田一郎 監督・小石栄一 脚本・八田尚之 撮影・星島一郎

221. 若人のうたごえ お母さんの花嫁 (製作=新東宝) 1956.01.08 5巻 1,286m 47分 白黒 製作・伊藤基彦 監督・毛利正樹 脚本・川内康範 村山俊郎
222. 父と子と母 (製作=京都映画 配給=松竹) 1956.02.26 6巻 1,305m 白黒 監督・井上和男 脚本・岸生朗 本山大生 井上和男、撮影・谷口政勝 音楽・池田正
223. お母さんの黒板 (製作=松竹(大船撮影所)) 1956.04.11 6巻 1,637m 白黒 製作・保住一之助 監督・佐々木啓祐 脚本・津路嘉郎 原作・小田和夫 土井行
224. 母子像 (製作=東映(東京撮影所)) 1956.06.01 9巻 2,383m 白黒 企画・マキノ光雄 坪井与 吉野誠一、監督・佐伯清 脚本・植草圭之助 原作・久生十蘭
225. ひとりの母の記録 (製作=岩波映画 配給=日活) 1956.06.07 4巻 1,028m 白黒 製作・小口禎三 監督・京極高英 脚本・岩佐氏寿 撮影・加藤和三
226. 唄祭母恋しぐれ (製作=宝塚映画 配給=東宝) 1956.06.08 5巻 1,233m 45分 白黒 監督・倉谷勇 脚本・龍富雄 撮影・近藤憲明 音楽・河村篤二
227. 母恋月夜 (製作=東映(東京撮影所)) 1956.08.01 7巻 1,746m 白黒 企画・原伸光 監督・石原均 脚本・笠原良三 原作・吉野不二郎
228. 母を求める子等 (製作=大映(東京撮影所)) 1956.08.08 10巻 2,405m 88分 白黒 製作・永田秀雄 企画・中代富士男 監督・清水宏 助監督・弓削太郎
229. 愛の翼 お母さん行ってきます (製作=東映(東京撮影所)) 1956.10.02 6巻 1,663m 白黒 企画・光川仁朗 監督・石原均 監督補佐・若林栄二郎
230. 乳母車 (製作=日活) 1956.11.14 11巻 3,004m 白黒 製作・高木雅行 監督・田坂具隆 助監督・牛原陽一 脚本・沢村勉 原作・石坂洋二郎

231. 母孔雀 (製作=東映(東京撮影所)) 1956.12.05 8巻 2,278m 白黒 企画・原伸光 監督・伊賀山正徳 脚本・笠原良三 原作・竹田敏彦
232. 母白雪 (製作=大映(京都撮影所)) 1956.12.19 9巻 2,145m 白黒 製作・武田一義 企画・蔭山敏雄 監督・安田公義 助監督・多田英憲
233. 母星子星 (製作=東映(東京撮影所)) 1957.01.22 6巻 1,685m 白黒 企画・原伸光 依田一郎、監督・石原均 脚本・中田竜雄 撮影・星島一郎
234. 東京だヨおッ母さん (製作=東宝) 1957.04.23 7巻 1,667m 白黒 製作・竹井諒 監督・斎藤達雄 監督助手・船床定男 脚本・山上光穂
235. 母と子の窓 (製作=松竹(大船撮影所)) 1957.05.28 12巻 2,982m 白黒 企画・小倉武志 監督・番匠義彰 助監督・生駒千里 脚色・猪俣勝人
236. 異母兄弟 (製作=独立映画) 1957.06.25 12巻 3,027m 白黒 製作・栄田清一郎 監督・家城巳代治 脚本・依田義賢 寺田信義、原作・田宮虎彦
237. ふるさとの唄 お母さんの東京見物 (製作=東映(東京撮影所)) 1957.11.17 6巻 1,530m 白黒 東映スコープ 企画・渡辺達人 光川仁朗 監督・村山新治 助監督・鈴木敏郎
238. 母つばめ (製作=東映(東京撮影所)) 1958.01.29 6巻 1,616m 白黒 企画・原伸光 監督・伊賀山正光 助監督・鈴木敏郎 脚本・笠原良三
239. 世界の母 (製作=新東宝) 1958.02.11 9巻 2,281m 83分 白黒 製作・大蔵貢 企画・島村達芳 監督・野村浩将 助監督・勝俣真喜治
240. 母三人 (製作=東京映画 配給=東宝) 1958.02.18 11巻 2,831m 白黒 東宝スコープ 製作・滝村和男 監督・久松静児 監督助手・板谷紀之 脚本・井手俊郎

241. 母 (製作=大映(東京撮影所)) 1958.03.05 13巻 3,045m カラー 大映スコープ 製作・永田雅一 企画・川崎治雄 監督・田中重雄 助監督・瀬川正雄
242. 母恋鳥 (製作=中川プロ 配給=新東宝) 1958.09.14 6巻 1,390m 51分 白黒 製作・加茂秀男 沖悦二 監督・中川順夫 脚本・中川順夫 撮影・福田寅次郎
243. 母の旅路 (製作=大映(東京撮影所)) 1958.09.21 10巻 2,526m 92分 白黒 大映スコープ 製作・永田秀雄 企画・中代富士男 監督・清水宏 脚色・笠原良三
244. 母と拳銃 (製作=東映(東京撮影所)) 1958.11.19 9巻 2,226m 白黒 東映スコープ 企画・岡田寿之 岡田実彦、監督・関川秀雄 脚本・舟橋和郎 森田新
245. 母しぐれ (製作=東映(東京撮影所)) 1959.01.15 白黒 東映スコープ 監督・和田篤人 脚本・村松道平 出演・松島トモ子 三浦光子 小野透 三波春夫
246. 母と娘の瞳 (製作=東映(東京撮影所)) 1959.02.04 9巻 2,246m 白黒 東映スコープ 企画・根津昇 監督・小林恒夫 脚本・甲斐久尊 原作・小島政二郎
247. 母のおもかげ (製作=大映(東京撮影所)) 1959.03.04 10巻 2,434m 89分 白黒 大映スコープ 製作・武田一義 企画・中代富士男 監督・清水宏
248. 僕らの母さん (製作=東京映画 配給=東宝) 1959.03.29 4巻 1,640m 白黒 東宝スコープ 製作・金原文雄 監督・板谷紀之 脚本・野木一平
249. 母子草 (製作=東映(東京撮影所)) 1959.04.22 9巻 2,427m 白黒 東映スコープ 企画・原伸光 監督・山村聡 脚本・楠田芳子 原作・小糸のぶ
250. とどけ母の叫び (製作=松竹(京都撮影所)) 1959.09.06 5巻 2,124m 白黒 松竹グランドスコープ 製作・杉山茂樹 監督・福田晴一 脚本・依田義賢

251. 娘・妻・母 (製作=東宝) 1960.05.21 9巻 3,347m カラー 東宝スコープ 製作・藤本真澄 監督・成瀬巳喜男 監督助手・広沢栄 脚本・井手俊郎 松山善三
252. 遙かなる母の顔 (製作=東映(東京撮影所)) 1960.10.05 7巻 2,170m 白黒 東映スコープ 企画・植木照男 監督・小石栄一 脚本・鈴木兵吾 原作・大林清
253. 母桜 (製作=大映(東京撮影所)) 1960.11.16 6巻 1,825m 白黒 大映スコープ 製作・中泉雄光 企画・中代富士男 監督・枝川弘 脚本・星川清司
254. 母と娘 (製作=松竹(大船撮影所)) 1961.07.09 6巻 2,361m 白黒 松竹グランドスコープ 製作・植野哲雄 監督・川頭義郎 脚本・成沢昌茂 原作・小糸のぶ
255. 母あちゃん海が知ってるよ (製作=日活) 1961.11.19 8巻 2,649m 白黒 日活スコープ 企画・大塚和 監督・斎藤武市 脚本・中島丈博 原作・山内久
256. 瞼の母 (製作=東映(京都撮影所)) 1962.01.14 7巻 2,275m 83分 カラー シネマスコープ 企画・橋本慶一 三村敬一、監督・加藤泰 助監督・本田達男 大西卓 清水彰、
257. のこされた子とのこした母と (製作=大映(京都撮影所)) 1962.05.27 6巻 1,889m 白黒 シネマスコープ 企画・高森富夫 監督・西山正輝 脚本・浅井昭三郎
258. 悲しみはいつも母に (製作=新東宝 配給=大映) 1962.06.03 白黒 ワイド 企画・柴田万三 監督・中川信夫 助監督・高橋繁男 原作・西村滋
259. 不貞母娘 (製作=Gプロ) 1963.01. 成人映画指定月 監督・高木丈夫 出演・左京未知子
260. 母 (製作=近代映画協会) 1963.11.08 8巻 2,772m 白黒 監督・新藤兼人 脚本・新藤兼人 原作・新藤兼人 撮影・黒田清巳 出演・乙羽信子

261. 瞼の母より 月夜の渡り鳥 (製作=松竹(京都撮影所)) 1963.12.24 6巻 2,445m カラー シネマスコープ 製作・今泉周男 監督・市村泰一 脚本・鈴木兵吾 元持栄美 桜井義
262. 母の歳月 (製作=松竹(大船撮影所)) 1965.01.30 7巻 2,956m カラー ワイド 製作・城戸四郎 桑田良太郎、監督・水川淳三 脚本・野田高梧 赤穂春雄
263. とめてくれるなおっ母さん (製作=松竹(大船撮影所)) 1969.06.07 7巻 2,362m カラー ワイド 製作・島田明彦 監督・田向正健 脚本・田向正健 南部英夫
264. 子連れ狼 三途の川の乳母車 (製作=勝プロダクション 配給=東宝) 1972.04.22 2,225m 85分 フジカラー シネマスコープ 製作・勝新太郎 松原久晴、監督・三隅研次
265. 子連れ狼 死に風に向う乳母車 (製作=勝プロダクション 配給=東宝) 1972.09.02 2,438m 89分 フジカラー シネマスコープ 製作・勝新太郎 松原久晴、監督・三隅研次
266. 青幻記 遠い日の母は美しく (製作=青幻記プロ 配給=東和) 1973.02.24 117分 カラー ワイド 製作・加藤辰次 成島東一郎、監督・成島東一郎 助監督・臼井高瀬
267. ウルトラマンタロウ ウルトラの母は太陽のように (製作=円谷プロ=TBS 配給=東宝) 1973.08.01 689m 25分 カラー 製作・熊谷健 橋本洋二、監督・山際永三
268. 告白手記 母という女 (製作=東京興映) 1973.08. 66分 カラー ワイド 監督・小川欽也
269. 母をたずねて三千里 (製作=日本アニメーション 配給=東映) 1976.07.18 2巻 25分 カラー ワイド 製作・中島順三 演出・高畑勲 演出助手・横田和善
270. 母と娘 禁じられた性戯 (製作=大蔵映画) 1976.08.21 61分 カラー ワイド 監督・名和三平 出演・中野リエ しば早苗 永田道子

271. 岸壁の母 (製作=東宝映画 配給=東宝) 1976.12.11 2,546m 93分 カラー シネマスコープ 製作・田中友幸 鈴木慶司 田中収、企画・大観プロダクション、監督・大森健次郎
272. 聖母観音大菩薩 (製作=若松プロ=ATG) 1977.06.25 90分 カラー ビスタビジョン 企画・葛井欣士郎 若松孝二、監督・若松孝二 助監督・栗原幸治
273. 濡れて新宿 売春母娘 (製作=新東宝) 1977.06. 61分 カラー ワイド 監督・岡本愛 出演・野田さとみ 乱孝寿 野上正義
274. 獣色母娘 (製作=大蔵映画) 1977.08.09 62分 カラー ワイド 監督・北見一郎 出演・小杉じゅん 杉佳代子 沢木ミミ
275. 花街の母 (製作=テアトル・プロ=松崎プロ 配給=東宝) 1979.12.01 2,652m 97分 カラー ビスタビジョンサイズ 製作・酒井知信 企画・小澤潔 監督・西河克己
276. 母をたずねて三千里 (製作=日本アニメーション 配給=東宝東和) 1980.07.19 107分 カラー 製作・本橋浩一 企画・佐藤昭司 プロデューサー・中島順三 松土隆二
277. お母さんのつうしんぼ (製作=にっかつ児童映画) 1980.10.18 97分 カラー 製作・結城良煕 荒井喜代治、監督・武田一成 助監督・黒沢直輔
278. 蓮如とその母 (製作=「蓮如とその母」映画製作推進委員会) 1981.10.07 虎の門ホール 92分 カラー 製作・安東民児 監督・川本喜八郎 脚本・新藤兼人
279. ワイセツ家族 母と娘 (製作=にっかつ) 1982.05.14 60分 カラー ビスタサイズ プロデューサー・佐々木志郎 山田耕大、監督・那須博之 助監督・菅野隆
280. 淫乱母娘責め (製作=大蔵映画) 1982.09. 60分 カラー ワイド 監督・市村譲 出演・堀江以恵子 恵杏里 井田恵美子

281. 凌辱! 母娘くずし (製作=獅子プロ 配給=東映セントラルフィルム) 1984.01. 60分 カラー ワイド 監督・片岡修二 出演・香川留美 筒見愛 麻生うさぎ
282. 狙われた母娘 (製作=ミリオンフィルム) 1984.12. 62分 カラー ワイド 監督・秋津隆二 出演・村井亜紀 早乙女宏美 相原由美
283. 絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして (製作=日本人妻自由往来実現運動の会=日本人妻里帰運動後援会) 1985.06.20 133分 カラー ワイド 製作・池田文子 監督・井上梅次
284. 味比べ母娘妻 (製作=東活) 1985.10. 60分 カラー ワイド 監督・新田栄
285. 母さんの樹 (製作=翼プロダクション) 1986.09.21 116分 カラー ワイド 製作・山口逸郎 企画・伊藤武郎 監督・橘祐典 脚本・寺島アキ子 小塚清一
286. 母 (製作=松竹=ビックバン=キネマ東京) 1988.04.29 75分 カラー ワイド 製作・大谷信義 静間順二 高橋松男、企画・高橋松男 プロデューサー・脇田雅丈 伊藤秀裕
287. いんらん家族 義母の寝室 (製作=新東宝映画 配給=新東宝映画) 1991.01.12 54分 カラー ワイド 監督・深町章 脚本・周知安 撮影・稲吉雅志
288. ダライラマの母 (原題:達頼活彿之母) (製作=迎滔電影製作有限公司=プルミエ・インターナショナル 配給=東宝) 1993.05.22 第1回欽ちゃんのシネマジャック15分 カラー ビスタビジョンサイズ
289. いんらん巨乳母娘 (製作=新東宝) 1993.05.28 54分 カラー ワイド 監督・ ................ 深町章 脚本・周知安 撮影・稲吉雅志 出演・しのざきさとみ 杉浦みさお
290. 不倫・母・娘 (製作=国映 配給=新東宝映画) 1993.05.28 58分 カラー ワイド 企画・朝倉大介 監督・佐野和宏 助監督・梶野考 脚本・佐野和宏

291. 義母と息子 不倫総なめ (製作=オフィス・コウワ 配給=エクセス・フィルム) 1995.02.24 関西 H06.12.23 59分 カラー ワイド 企画・オフィス・コウワ プロデューサー・高橋講和
292. 母と娘 女尻こすり合い (製作=キクフィルム 配給=エクセス・フィルム) 1995.10.06 60分 カラー ワイド 監督・小林悟 助監督・佐藤吏 脚本・如月吹雪
293. 日本一短い「母」への手紙 (製作=東映) 1995.11.23 117分 カラー ワイド 企画・坂上順 プロデューサー・小島吉弘 進藤淳一 浅附明子、監督・澤井信一郎
294. 義母の長襦袢 淫らな匂い (製作=プロダクション鷹 配給=エクセス・フィルム) 1996.05.31 57分 カラー ワイド 監督・珠瑠美 助監督・近藤英総 脚本・珠瑠美
295. どすけべ三昧 母娘喰い (製作=新東宝映画 配給=新東宝映画) 1996.08.09 50分 カラー ワイド 企画・中田新太郎 監督・深町章 助監督・榎本敏郎
296. 禁断 (年下の義母と息子) (ミュージアム) 1996.03.20 57分 カラー 監督・遠山世々 脚本・佐賀健児 撮影・小沢さとし 出演・桐生さつき 大村波彦
297. 叔母 魔性の血淫 (ピンクパイナップル) 1996.03.29 76分 カラー 監督・内藤忠司 脚本・内藤忠司 塩田明彦 原作・綺羅光 撮影・福沢正典
298. 叔母は家庭教師 (ミュージアム) 1996.08.08 57分 カラー 監督・遠山世々 脚本・京極雅人 撮影・小沢さとし 出演・野本美穂 神倉智之
299. 母が性獣になった理由 (ピンクパイナップル) 1996.11.01 56分 カラー 製作・松島富士雄 普天間琉太郎 下村良樹 監督・池田賢一 脚本・池田賢一
300. びしょ濡れ下宿 母娘のぞき (製作=関根プロダクション 配給=大蔵映画) 1997.02.28 60分 カラー ワイド 監督・関根和美 助監督・加藤義一 脚本・如月吹雪 関根和美

301. 淫行家族 義母と女房の妹 (製作=セメントマッチ 配給=大蔵映画) 1997.06.23 60分 カラー ワイド 監督・池島ゆたか 助監督・佐藤吏 脚本・五代暁子
302. 義母のONANIE 発情露出 (製作=旦々舎 配給=エクセス・フィルム) 1997.11.28 関西 10.24 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 制作・鈴木静夫 監督・浜野佐知
303. 義母と高校教師 息子の眼の前で (製作=フィルムハウス 配給=エクセス・フィルム) 1997.12.26 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 プロデューサー・伍代俊介
304. 異常分娩 義母と息子 (ピンクパイナップル=ケイエスエス販売) 1997.02.07 60分 カラー 製作・加藤文彦 監督・加藤文彦 脚本・加藤文彦
305. 若羞母 (ミュージアム) 1997.02.21 60分 カラー 監督・光石富士朗 脚本・京極雅人 撮影・佐藤徹 出演・小川美那子 新堂有望 川畑博嗣
306. 聖母のララバイ (ワイ・エフ・シー) 1997.02.25 70分 カラー 監督・川村真一 脚本・嶋公浩 原作・睦月彰郎 撮影・下元哲
307. 淫美母 (ミュージアム) 1997.11.21 63分 カラー 監督・光石富士朗 脚本・五代暁子 撮影・小沢佐俊 音楽・村山竜二
308. 女刑事RIKO 聖母の深き淵 (製作=角川書店=エース・ピクチャーズ 配給=エース・ピクチャーズ) 1998.04.25 99分 カラー ワイド 製作・原正人 企画・原正人
309. 母娘どんぶり 密壺くらべ (製作=IIZUMI Production 配給=エクセス・フィルム) 1998.05.29 大阪 5.01 60分 カラー ワイド 製作・北沢幸雄 企画・稲山悌二 業沖球太
310. 喪服義母 息子で喘ぐ (製作=サカエ企画 配給=エクセス・フィルム) 1998.11.27 大阪 10.21 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 監督・新田栄 助監督・竹桐哲也

311. 義母と新妻 (ミュージアム) 1998.01.21 60分 カラー 監督・平野秀昭 脚本・大地健太郎 撮影・佐久間公一 出演・浅見まお 篠原さおり 森羅万象
312. 淫恥母 (ミュージアム) 1998.08.21 63分 カラー 製作・佐藤昌平 加藤章生 監督・鈴木誠二 脚本・五代暁子 撮影・今井裕二
313. 美熟母 (ミュージアム) 1998.09.21 66分 カラー 製作・常泰文幸 榎本靖 佐波正彦 監督・吉村典久 脚本・江面貴亮 撮影・三浦忠
314. 義母の寝室 寝乱れ襦袢 (製作=フィルムハウス 配給=エクセス・フィルム) 1999.02.05 関西 1.05 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 プロデューサー・伍代俊介
315. 未亡人寮母 くわえてあげる! (製作=フィルムハウス 配給=エクセス・フィルム) 1999.03.05 関西 2.03 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 プロデューサー・伍代俊介
316. MARCO 母を訪ねて三千里 (製作=松竹=三井物産=日本アニメーション 配給=松竹) 1999.04.03 96分 カラー ワイド 製作・幸甫 真藤豊 土橋寿一、企画・曽根俊治 佐藤昭司
317. 和服義母の貞操帯 -肉締まり- (製作=シネマアーク 配給=エクセス・フィルム) 1999.05.28 関西 4.28 60分 カラー ワイド 企画・奥田幸一 稲山悌二、監督・下元哲
318. 母娘ONANIE いんらん大狂艶 (製作=小川企画プロダクション 配給=大蔵映画) 1999.09.16 大阪 9.04 59分 カラー ワイド 監督・小川欽也 助監督・寺島亮 脚本・池袋高
319. 義母覗き 爪先に舌絡ませて (製作=国沢プロ 配給=大蔵映画) 1999.10.09 60分 カラー ワイド 監督・国沢実 助監督・細貝昌也 脚本・樫原辰郎
320. 義母と娘 羞恥くらべ (製作=サカエ企画 配給=エクセス・フィルム) 1999.11.26 関西 10.20 61分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 監督・新田栄 助監督・加藤義一

321. 和服義母 息子よやめて! (製作=ENKプロモーション 配給=エクセス・フィルム) 2000.02.04 関西 1.05 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 プロデューサー・駒田愼司
322. 王母鄭氏 チョンおばさんのクニ (製作=シグロ 配給=シグロ) 2000.03.25 90分 カラー プロデューサー・山上徹二郎 製作デスク・佐々木正明 鏑木亜樹 全燦伊
323. 義母の淫臭 だらしない下半身 (製作=フィルムハウス 配給=エクセス・フィルム) 2000.04.14 関西 3.15 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 プロデューサー・伍代俊介
324. 義母35才 息子が欲しい (製作=サカエ企画 配給=Xces Film) 2000.11.23 関西 10.18 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 監督・新田栄 助監督・加藤義一
325. 淫熟母 (ミュージアム) 2000.01.21 74分 カラー 監督・西保典 脚本・西保典 大河原ちさと 撮影・福沢正典 音楽・平野朱美
326. 熟女と母性愛 (プレイス) 2000.01._ 70分 カラー 製作・服部龍三 監督・原田サンタマリア
327. 覗かれた人妻 夫がいない昼下がりの若義母 (カレス・コミュニケーションズ) 2000.03.03 72分 カラー 監督・新里猛作 脚本・高木裕治 撮影・立花宣
328. 半熟女 義母の誘惑 (ピンクパイナップル=ケイエスエス販売) 2000.05.12 70分 カラー 製作・高橋巌 監督・油谷岩夫 脚本・是安弥生 出演・徳井唯
329. 義母教師 禁じられた想い (製作=O・H・C 販売元=カレス・コミュニケーションズ) 2000.08.14 71分 カラー 監督・石川二郎 脚本・高木裕治 原案・大河原ちさと
330. 緋色の淫熱母 自虐の近親相姦 (ブルーム) 2000.12.21 90分 カラー 監督・西藤玄太 出演・高梨さとみ 愛田レイ 鹿嶋智子

331. 義母の秘密 息子の匂い (製作=サカエ企画 配給=Xces Film) 2001.01.19 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 監督・新田栄 助監督・加藤義一
332. いんらん母娘 ナマで愛して (製作=新東宝映画 配給=新東宝映画) 2001.04.27 58分 カラー ワイド 企画・福俵満 監督・深町章 助監督・佐藤吏
333. 義母と教師 教え娘の部屋で (製作=フィルムハウス 配給=Xces Film) 2001.07.13 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 プロデューサー・伍代俊介 監督・勝利一
334. 股がる義母 息子の快感 (製作=IIZUMI Productuion 配給=Xces Film) 2001.10.05 60分 カラー ワイド 製作・北沢幸雄 企画・稲山悌二 業沖球太 監督・北沢幸雄
335. 人妻不倫痴態 義母・未亡人・不倫妻 (製作=フィルムハウス 配給=Xces Film) 2001.11.17 61分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 プロデューサー・伍代俊介
336. お母さんへ (配給=アップリンク) 2001.12.22 1998年製作 4分 カラー 8mm 監督・能瀬大助
337. 蜜恥母 (ミュージアム) 2001.01.21 74分 カラー 製作・佐藤昌平 糟谷東 監督・沢木良介 脚本・堀内靖博 撮影・福沢正典
338. 艶熟母 (ミュージアム) 2001.02.21 81分 カラー 監督・藤原健一 脚本・石田二郎 撮影・福沢正典 出演・愛染恭子 星野海二 桜井風花 深沢和明
339. 堕ちてゆく人妻 禁断の母娘 (レジェンド・ピクチャーズ) 2001.05.08 75分 カラー 製作・菊田昌史 原田健二 企画・斎藤晃一 監督・松岡邦彦
340. 愛義母 (ミュージアム) 2001.06.21 69分 カラー 製作・佐藤昌平 黒須功 監督・神野太 脚本・神野太 撮影・茂呂高志 出演・ローバ

341. 義母の貞操隊 (ジャンク) 2001.10.22 120分 カラー 監督・下元哲 北沢幸雄 脚本・岡野有紀 小猿兄弟舎 五代暁子 出演・黒田詩織 風間今日子 しのざきさとみ
342. 理想の母親 マザコン男の歪んだ愛情 (ブルーム) 2002.01.22 90分 カラー プロデューサー・千堂徹 監督・阿久津秀人 脚本・村山雅昌
343. 厚母神太郎 (FMC) 1983.05.23 夢に散る情熱
344. 大阪母親プロ (新日本プロ) 1960.08.12 暴れん坊大将
345. 志母山高也 (東映京都) 1977.01.22 やくざ戦争 日本の首領 入江康夫 1977.02.11 大奥浮世風呂 東映京都
346. 吉母淳 (FIRE Reiciel Studio) 吉母淳 2001.10.27遊び人
347. 母 (製作=東亜キネマ(甲陽撮影所)) 1925.01.22 大阪八千代座 6巻 白黒 無声 監督・桜庭喜八郎 脚本・佐藤紅緑 原作・佐藤紅緑 撮影・三木稔
348. 永遠の母 (製作=マキノプロダクション(御室撮影所)) 1930.05.16 新宿劇場 4巻 白黒 無声 監督・久保為義 原作・長和隆 撮影・三木稔
出演・松浦築
349. 神母英郎 (松竹) 1980.03.15 遙かなる山の呼び声
350. わが母に罪ありや (製作=松竹(大船撮影所)) 1952.12.23 9巻 2,356m 白黒 製作・山口松三郎 監督・佐々木啓祐 脚本・橋田寿賀子 撮影・鶴見正二

351. 真珠母 (製作=松竹(大船撮影所)) 1953.05.27 10巻 2,649m 白黒 製作・山口松三郎 監督・堀内真直 脚本・橋田寿賀子 原作・林芙美子
352. 母なき子 (製作=日活) 1955.12.04 10巻 2,445m 白黒 製作・山本武 監督・堀池清 脚本・新藤兼人 高橋二三 撮影・柿田勇
353. 天竜母恋い笠 (製作=東映(京都撮影所)) 1960.10.23 7巻 2,448m 89分 カラー 東映スコープ 企画・神戸由美 監督・工藤栄一 脚本・棚田吾郎
354. 新任保母日誌 ひらけ!ボッキキー (製作=EMS 販売元=TMC) 2002.05.22 74分 カラー ビスタサイズ ステレオHiFi 製作・海津昭彦 企画・井手正明
355. 母は叫び泣く (製作=松竹(大船撮影所)) 1952.10.11 9巻 2,404m 白黒 製作・山口松三郎 監督・佐々木啓祐 脚本・椎名利夫 撮影・鶴見正二
356. 義母性本能 過ちに溺れて (TMC) 2002.06.22 60分 カラー ステレオHiFi ビスタサイズ 製作・海津昭彦 企画・松下康司 プロデューサー・西山秀明
357. 山口雲母工業所 (スタジオジブリ=日本テレビ=電通=徳間書店) 2001.07.20 千と千尋の神隠し
358. 川奈まり子 牝猫義母 (製作=旦々舎 配給=Xces Film) 2002.01.18 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 制作・鈴木静夫 監督・浜野佐知
359. 義母尻 息子がしたい夜 (製作=ネクストワン 配給=Xces Film) 2002.04.19 59分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 監督・松岡邦彦 助監督・竹洞哲也
360. 淫夢母 (ジーピー・ミュージアム) 2002.08.25 70分 カラー 監督・山口誠 脚本・江面貴亮 撮影・中尾正人 出演・冴島奈緒 稲垣尚吾 瀬戸純 深沢和

361. 少年母を助く (新声館) 1909.02.17 白黒 無声
362. 母の慈愛 (提供=M・パテー商会) 1909.03.01 第一文明館 白黒 無声
363. 母の茲愛 (製作=M・パテー商会) 1909.04.12 大勝館 白黒 無声
364. 艶美母 (ジーピー・ミュージアム) 2002.10.25 76分 カラー 製作・佐藤昌平 寺西正巳 監督・藤原健一 脚本・江面貴亮 撮影・中尾正人
365. 愛恥母 (ジーピー・ミュージアム) 2002.11.25 74分 カラー 監督・亀井亨 脚本・江面貴亮 撮影・中尾正人 出演・谷川みゆき 杉本聖帝 中渡実果
366. ドすけべ母娘 (製作=国映 配給=新東宝映画) 1995.07.14 60分 カラー ワイド 企画・朝倉大介 監督・松岡邦彦 助監督・久万真路 脚本・瀬々敬久
367. 父よ母よ! (製作=松竹) 1980.09.20 132分 カラー ワイド 製作・沢村国雄 斎藤守恒 監督・木下恵介 監督助手・横堀幸司 脚本・木下恵介
368. あまえさせて・・・ 義母のかほり (ブルーム) 2003.01.21 90分 カラー プロデューサー・千堂徹 監督・阿久津秀人 出演・米倉京子 星野えみ 杉原恵美子 中野千春
369. 女体ドラフト会議 第二幕 保母編・華道家元編・看護婦編 (製作=BILLOW 販売元=アンカー・ビジュアルネットワーク) 2003.01.24 78分 カラー プロデューサー・碇まもる 徳原英孝 三木和史
370. 義母の秘密 息子愛撫 (製作=ENKプロモーション 配給=Xces Film) 2002.11.29 60分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 プロデューサー・駒田愼司 監督・渡辺護

371. 発情義母 息子いじり (製作=メディアミックス 配給=Xces Film) 2002.08.02 56分 カラー ワイド 企画・稲山悌二 監督・川崎軍二 助監督・山根浩三
372. 新任保母日誌 お姉さんといっしょ (製作=ジャンク 販売元=TMC) 2003.05.22 75分 カラー ビスタサイズ ステレオHiFi 製作・海津昭彦 企画・井出正明 制作・入江友彦
373. 邊母木仲治 (グルーヴコーポレーション=現代映画) 2003.04.05 鏡の女たち
374. 義母の誘惑 禁断の関係 (製作=レジェンド・ピクチャーズ 販売元=レジェンド・ピクチャーズ) 2003.07.04 65分 カラー プロデューサー・江尻健司、制作・佐々木文夫
375. 母を恋はずや (製作=松竹キネマ(蒲田撮影所)) 1934.05.11 帝国館 9巻 2,559m 白黒 無声 監督・小津安二郎、構成・野田高梧、脚色・池田忠雄
376. 邊母木伸治 (ケイエスエス=衛星劇場=グループコーポレイション) 1997.05.24 うなぎ2003.07.19 踊る大捜査線THEMOVIE2レインボーブリッジを封鎖せよ! フジテレビジョン
377. 万里尋母 (製作=満州映画協会) 1938._._ 白黒 監督・坪井與、脚本・坪井與、撮影・大森伊八、配役・葉苓
378. 慈母涙 (製作=満州映画協会) 1939._._ 白黒 監督・水ケ江龍一、脚本・荒牧芳郎、撮影・藤井春美、配役・李麗萍(実母)、李明高諭
379. 風船売りの小母さん (製作=小笠原プロダクション)1924._._ 白黒 無声 監督・水谷登志夫、脚色・水谷登志夫、原作・水谷登志夫
380. 疼く義母と娘 猫舌くら、 (製作=フィルムハウス 配給=XcesFilm) 2003.04.21 59分 カラー ワイド 企画・稲山剃二、プロデューサー・伍代俊介、監督・山董

381. いんらん家族計画 発情母娘 (製作=新東宝映画 配給=新東宝映画) 2003.08.29。 61分 カラー ワイド 企画・福俵満、監督・深町章、助監督・佐藤吏
382. 義母レズ 息子交換 (製作=シネマアーク 配給=XcesFilm) 2003.11.28 60分 カラー ワイド 企画・稲山剃二、奥田幸一、監督・下元哲、助監督・高田宝重
383. 子母沢寛原作(松竹下加茂) 1931.04.10紋三郎の秀 1931.08.30 刀の中の父1931.10.08 投げ節弥之助 みちのくの巻 1931.10.16 郷土くずれ1931.10.23 
384. 欲情義母 息子を喰う (製作=サカエ企画 配給=XcesFilm) 2004.04.30 カラー ワイド 企画・稲山悌二、監督・新田栄、助監督・加藤義一
385. 母の居る場所 台風一過(製作=KAERUCAFE 配給=KAERUCAFE) 2004.05.08 37分 カラー 製作総指揮・秋原正俊、制作・松下和義、高山創一、監督・秋原正俊
386. 義母の寝室 淫熟のよろめき (製作=加藤映像工房 配給=オーピー映画) 2004.05.22 カラー ワイド 監督・加藤義一、助監督・竹洞哲也、脚本・岡輝男
387. お母さんといっしょ 禁じられた母娘関係 (製作=レジェンド・ピクチャーズ 販売元=レジェンド・ピクチャーズ) 2004.07.04 74分 カラー ステレオ プロデューサー・江尻健司、
388. 濡恥母 (ミュージアム) 1999.01.21  60分 カラー 製作・塩谷勲、榎本靖、佐波正彦、監督・横山楽居、脚本・樫原辰郎、撮影・佐藤和人
389. 親友の恥母 さかり下半身 (製作=ネクストワン 配給=XcesFilm) 2004.08.13 カラー ワイド 企画・稲山悌二、監督・松岡邦彦、助監督・菅沼隆
390. エロ義母と発情息子 淫らな家族 (製作=フィルムハウス 配給=XcesFilm) 2004.08.27 カラー ワイド 企画・稲山悌二、プロデューサー・伍代俊介、監督・坂法

391. 義母と巨乳 奥までハメて (製作=新東宝映画 配給=新東宝映画) 2004.10.01 カラー ワイド 企画・福俵満、監督・深町章、助監督・佐藤吏、
392. 義母同窓会 息子を食べないで (製作=サカエ企画 配給=Xces Film) 2004.12.10 カラー ワイド 企画・稲山剃二、監督・新田栄、助監督・加藤義一
393. 変態姉妹母 (製作=東活) 1981.05. 71分 カラー ワイド 監督・吉野優、出演・篠順子、南条碧、杉江良子
394. ひばりの母恋ギター (製作=東映(東京撮影所)) 1962.08.12 7巻 2,286m カラー シネマスコープ 企画・亀田耕司、原伸光、監督・佐伯清、脚本・鷹沢和善
395. 淫恋母 (GPミュージアム) 2004.03.25 70分 カラー 監督・川野浩司、出演・三東ルシア、白土勝功、仲真リカ、なかみつせいじ
396. 痴漢義母 汚された喪服 (製作=新東宝映画、配給=新東宝映画) 2005.03.25 カラー ワイド 企画・福俵満、プロデューサー・黒須功、監督・廣田幹夫
397. 母袋暁野 (多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科2002年度 卒業制作展) 2003.01.20 Parade GroupB しもきた映画祭 ProgramC なゆたー
398. 朋の時間 母たちの季節 (製作=「朋の時間」製作委員会 配給=「朋の時間」上映委員会) 2003.03.08 大阪シネ・ヌーヴォ 123分 カラー ビデオ プロデューサー・貞末麻哉子
399. 沖縄県読谷村障害児を守る父母の会 (沖縄県読谷村障害児を守る父母の会) 2003.03.08 朋の時間 母たちの季節 「朋の時間」製作委員会
400. 母子草 (製作=松竹(太奏撮影所)) 1942.06.04 白系 13巻 白黒 監督・田坂具隆、脚本・小糸しのぶ、原作・小糸のぶ、撮影・伊佐山三郎

401. ねっちり母娘 赤貝の味 (製作=ナベシネマ 配給=オーピー映画) 2003.10.21 60分 カラー ワイド 監督・渡邊元嗣、助監督・小川隆史、脚本・山崎浩治



by sentence2307 | 2019-05-08 13:16 | 映画 | Comments(0)

教誨師

前回のブログでドキュメンタリー映画「マーロン・ブランドの肉声」の感想を書いた際、オードリー・ヘップバーンのデビューまでのエピソードを主題の導入部として迷わず使いました。

自分的には、この「迷わずに」という選択はごく普通の感覚だったので、そのことについて特に説明することもないと思っていたのですが、しかし、あらためて読み返してみると、やはり、この部分の「唐突感」はまぬがれません。

ヘップバーンもブランドも同時期に彗星のように現れ、同じように衝撃的なデビューをはたした稀有なスターという印象が強かったので、2人をつなぐためのことさらな「接続詞」など、ハナから不要と考えていたというのが、説明を端折った主たる理由です。

しかも、その生涯と、そして生涯の最後も、ともに、決して平穏だったり幸福だったりしたわけではなかったにしろ、生育したシビアな境遇と環境に精一杯あがらい、その生き難さを、あえて自ら求めて生きた部分は、同じ人間として尊敬に値するものと考え、どうしてもこのふたりの生きざまを並列的に書いてみたかったのだと思います。

それらは、ともに、あえて求めなければ、波乱にも不運にも見舞われることもなかったはずのもので、だから一層無残な思いにさせられたのですが、その一方で、(自分もふくめて)そのような困難などあえて求めることなく、無難な場所で平穏に幸福に暮らしている人なら幾らでもいることの理不尽さに反発を感じた部分も確かにありました。

しかし、この「マーロン・ブランドの肉声」という作品に出会ったのは、そもそも録画の予約を間違えての偶然(それにしては、ずいぶん不甲斐ない「偶然」ですが)から見ることになった映画なので、それを思えば最初からモチベーションなど不在の不甲斐ない経緯であったことには間違いなく、それについては猛省しているところです。

なにしろ、その期間で、意識的に見たまともな作品といえば、ジャ・ジャンクーの「一瞬の夢」1997くらいだったので、いかに自分が、いま現在の同時代映画に嫌気がさし始めていて「現実ばなれ」をおこしているかが分かろうというものです。

そんな感じでいたときに、早世した大杉漣の遺作「教誨師」をまだ見ていないことがずっと前から気に掛かっていたので、この機会に見てみることにしました。

この映画、終始、拘置所の面会室において、死刑囚たちとの会話のやり取りだけで展開する教誨師のお話です、まあ、異色と言えば異色の作品ですが、「映画なら、もうひとつ、そのさきを見せてほしい」という正直な感想を持ちました。

ここには、6人の死刑囚が登場し、日々それぞれに何気ない会話が交わされる場面が延々と続いていくわけですが、しかし、演出にしても観客にしても、緊迫感を欠いたその「何気なさ」に流されてしまうと、そこには単なる「なにものでもない映画」を見てしまうことになるのではないかという危惧を感じました。

ここに登場する6人の人間は、かつて(その切っ掛けが不運か凶悪かはともかく)殺人事件を起こし、裁判で死刑判決を受けて拘置所に拘禁され、いつ不意に死刑執行を言い渡されるかも分からない不安な極限状態に身を置いていて、日々「その瞬間」がやってくるのを恐れながら、その恣意的な「確実」をじっと待つしかないぎりぎり日常生活のなかで、日常的行事のひとつとして「教誨師」との面談があり、その「局面」(教誨師との面談)を自分の生き延びる数少ない、いや、もしかするとこれが唯一の突破口=手立てかもしれない「彼」を、いかに取り込み利用できるかと必死になって考えているはずです。

自己中心的な若者・高宮(玉置玲央)、おしゃべりな関西の中年女・野口(烏丸せつこ)、お人よしのホームレス・進藤(五頭岳夫)、家族思いで気の弱い父親・小川(小川登)、心を開かない無口な男・鈴木(古舘寛治)、気のいいヤクザの組長・吉田(光石研)。

おもねるとか、泣き落すとか、だますとか、脅し付けるとか、奇策としては虚を突いて真情を吐露するとか、あるいは駄弁によって主題をはぐらかし、韜晦をもって相手を篭絡するとか(おっと、これはわがブログの基本方針でした)。

一方の教誨師は、「受刑者の心の救済につとめ、彼らが改心できるように導く」という職務の大前提があって(映画ではそう言っていました)、したたかな死刑囚たちが秘める前述の企みとのその乖離のなかで、虚々実々とまではいいませんが、彼らの「命の利害」がかかった土壇場の必死の駆け引き(この次元で、もはやこの設定自体が「軋轢」です)にさらされ、あるいは挑まれたとき、教誨師はどう対応するのか、はたして「受刑者の心の救済に務め、彼らが改心できるように導く」というきれいごとのタテマエだけで対応して課せられた職務が全うできるだろうかというのが、この作品を見ながらずっと考え続けたことでした。

そして、作品を見終わったあと、やはり、これは教誨師という仕事を誠実に対応しようとしたひとりの男の困難を描いた映画なのだろうなという最終的な印象を持ちかけたとき、いや、待てよと、自分の中でその印象を拒む思いを払拭できないものがあることにも気が付きました。

この教誨師の主人公が為したこの映画で描かれている一連のいきさつを、たとえ「困難」と描かれていたとしても、なにも「失敗」したわけではありません、たとえ、面談したそれぞれの死刑囚たちにやり込められ、なにもコクらなくてもいいような過去まで思わず告白し、恫喝されておびえ、戸惑い、うろたえながらも、この教誨師の主人公は実に立派に、これら不特定な「彼」の死刑執行の時までどうにか間を持たせ、とにかく時間を稼ぎ、死刑台に送ることができたのですから、彼の仕事は「成功」したと言ってもいいのではないかと思えてきたのです。

それこそが、死刑囚たちのしたたかな「手練手管」に対する教誨師の精一杯の、そして、計算しつくされたしたたかな「手練手管」だったのではないかと。

しかし、この映画自体は残念ながら、そこまで描いていたわけではありませんでした。というか、そういう終わり方はしていませんでした。

お守りのように大切に持っていたグラビアページ(水着アイドル)の片隅に書き込まれた死刑囚のメッセージ、それは文字を書けなかった彼が、生れてはじめて書いたメッセージで、「あなたがたのうち、だれがわたしに、つみがあるとせめうるのか」と書かれていて、しかし、それをどのように解釈したらいいのか、呆然として歩み去るその場面の教誨師の表情をどうしても読みとれず、「残念」だけが残ってしまった自分には、判断できようはずもありませんでした。

死刑執行に失敗し、心神喪失状態におちいった死刑囚に、彼自身(そもそも自分がなにものであるのか)と彼の犯した「犯罪」を思い出させるために(「心神喪失状態」だと死刑執行は停止されます)、その犯罪を犯さなければならかった無残な「過去」へとたどり、日本の抑圧と差別の爛れた歴史をあからさまにして、国家権力の支配と抑圧のシステムを巧みにあばいた大島渚の「絞死刑」が自分の中に強く刻印されているかぎり、これからもずっと、この手の中途半端に不全な作品には、同意できようはずもありません。

(2018)監督・脚本・原案・佐向大、エグゼクティブプロデューサー・大杉漣、狩野洋平、押田興将、プロデューサー・松田広子、撮影・山田達也、照明・玉川直人、録音・整音・山本タカアキ、美術・安藤真人、衣装・宮本茉莉、ヘアメイク・有路涼子、編集・脇本一美、助監督・玉澤恭平、制作・古賀奏一郎、製作会社・TOEKICK☆12、ライブラリーガーデン、オフィス・シロウズ
出演・大杉漣(教誨師・佐伯保、少年時代・杉田雷麟)、玉置玲央(高宮真司)、烏丸せつこ(野口今日子)、五頭岳夫(進藤正一)、小川登(小川一)、古舘寛治(鈴木貴裕)、光石研(吉田睦夫)、青木柚(佐伯健一)、藤野大輝(長谷川陽介)、




【参考 日本編「著名教誨師」列伝】 by wiki

★留岡 幸助(とめおか こうすけ、1864年4月9日(元治元年3月4日) - 1934年(昭和9年)2月5日)は、日本の社会福祉の先駆者で、感化院(現在の児童自立支援施設のこと)教育の実践家。牧師、教誨師。東京家庭学校、北海道家庭学校の創始者として知られる。石井十次、アリス・ペティ・アダムス、山室軍平とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。
留岡自身は「感化」という呼称や概念を「不遇ゆえに触法に追い込まれてしまった子どもに対する、大人と子どもという力の上下関係を元にした、卑しい意味での慈悲のあらわれ」と嫌っており、自身の事業は「個人の考え方を論も無く押し付けて変えさせる『感化』などではなく、子どもに家族の在り方や人としての愛情を対等の立場から共に論を立てて教え学び合うための『家庭教育』である」としている。
<生涯>
備中国高梁(現・岡山県高梁市)に生まれる。吉田万吉、トメの子の6人兄妹の次男として生まれ、生後まもなく、留岡家の養子となる。留岡家は、米屋を営んでいた。子供同士の喧嘩で武家の子供を怪我させ、商いに支障が出て、養父から厳しい折檻を受け、家出。高梁にある日本基督組合教会のキリスト教会に逃げ込み、その伝で福西志計子の元に匿われ、さらに福西により岡山市にいた金森通倫の元に保護され、のち18歳で上代知新牧師より正式な洗礼を受ける。
徴兵検査は不合格、1885年(明治18年)同志社英学校別科神学科邦語神学課程に入学。新島襄の教えを受ける。京都での学生時代、徳富蘆花と交友を結ぶ。彼の小説『黒い眼と茶色い眼』の中に登場する「邦語神学の富岡君」は留岡がモデルだといわれる。1888年(明治21年)卒業後、福知山で教会牧師となる。
1891年(明治24年)北海道市来知(いちきしり)の空知集治監の教誨師となる。1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけてアメリカに留学。コンコルド感化監獄で実習、その後、エルマイラ感化監獄ではブロックウェーに直接指導を受ける。
帰国後、国内でも感化院(家庭学校)の設立のために奔走する。1899年(明治32年)、ようやく資金の目処もつき、巣鴨に土地を購入し、家庭学校を設立。留岡は、また牧会者として霊南坂教会に所属し、「基督教新聞」の編集を行った。
感化院としては、これ以前に1885年に高瀬真卿の東京感化院、その翌年1886年の千葉県仏教各宗寺院連合の千葉感化院がある。前者は神道、後者は仏教精神によるもの。(それ以前にも池上雪江の活動も挙げられる)ただし上述の通り留岡自身は「感化」という概念を嫌い、それとは異なる感化概念の構築を目指したため、それ以前の「感化教育」と家庭学校以降の「感化教育」(家庭教育ないしは児童自立支援教育)を同一のものとして扱うべきかは意見が分かれる。
1900年(明治33年)、最初の妻であった夏子と死別。のち高梁時代の伝で順正女学校卒業後、巣鴨家庭学校に就職していた寺尾きく子と結婚。
1914年(大正3年)、北海道上湧別村字社名淵(かみゆうべつむら、あざしゃなぶち)に国有地の払い下げを受けて、家庭学校の分校と農場を開設。1915年(大正4年)11月9日、藍綬褒章を受章(『官報』第993号、大正4年11月23日)。
1922年(大正11年)には神奈川の茅ヶ崎にも家庭学校の分校を作るがこちらはまもなく関東大震災で建物が倒壊して、1933年(昭和8年)閉校となる。留岡はこの間、北海道と巣鴨を行き来しながら、二つの学校を指導監督する。
1931年(昭和6年)巣鴨の家庭学校本校で、奉教五十年を祝う感謝の会が開かれ、彼は徳富蘇峰と会談中に脳溢血で倒れる。1933年(昭和8年)にきく子夫人が死去。留岡は家庭学校の名誉校長に就任し、現場から退く。二代目の校長に就任したのは、牧野虎次である。1934年(昭和9年)2月5日、旧友・徳富蘆花の住まいに程近い東京・上祖師谷の自宅で死去。
留岡の死後34年経って北海道家庭学校は、1968年(昭和43年)社会福祉法人の認可を受け、東京の家庭学校から分離、独立した施設となった。
<親族>
三男 留岡幸男(内務官僚・警視総監・北海道庁長官)
四男 留岡清男(北海道大学教授・北海道家庭学校長)
<留岡幸助を扱った作品>
『大地の詩 -留岡幸助物語-』2011年4月9日公開の日本映画。留岡幸助を村上弘明が演じる。監督は山田火砂子。
<参考文献>
同志社大学人文研究所編『留岡幸助著作集』全5巻、同朋舎、1978年
高瀬善夫『一路白頭ニ到ル 留岡幸助の生涯』岩波新書、1982年
室田保夫『留岡幸助の研究』不二出版、1998年
二井仁美『留岡幸助と家庭学校 近代日本感化教育史序説』不二出版、2010年
兼田麗子『福祉実践にかけた先駆者たち-留岡幸助と大原孫三郎』藤原書店、2003年
倉田和四生『留岡幸助と備中高梁 石井十次・山室軍平・福西志計子との交友関係』吉備人出版、2005年

★藤井恵照(ふじい えしょう、1878年〈明治11年〉1月11日 - 1952年〈昭和27年〉12月26日)は 浄土真宗本願寺派僧侶、教誨師(東京監獄〈のちの市ヶ谷刑務所〉の教誨師。更生保護施設の創設に尽力した。刑務教誨事業研究所〈刑務教誨司法保護事業研究所の前身〉の設立・育成もその一つである)。広島県福山市(旧沼隈郡)の正光寺出身。
<経歴>(『真宗人名辞典』290頁)
1878年(明治11年)広島県福山市の浄土真宗本願寺派正光寺生れ。
1900年(明治33年)本願寺大学林(現在の龍谷大学)卒業。
1902年(明治35年)京都監獄での教誨実習生に任ぜられ、その後、本願寺派遣の内務省警察監獄学校留学生となる。市谷監獄の教誨師であった河野純孝を訪ね、大きな感化を受ける 
1904年(明治37年)台南監獄教誨師事務嘱託に就き、1909年(明治42年)以降、高松(1909年〈明治42年〉)、小菅(1915年〈大正4年〉)、東京(1918年〈大正7年〉)、豊多摩、市谷の監獄や刑務所の教誨師を歴任。
1936年(昭和11年)東京保護観察所の保護司。
1938年(昭和13年)東京保護観察所の保護司退官。
1939年(昭和14年)法務大臣官房保護課事務嘱託(司法保護委員の指導)。
1940年(昭和15年)司法大臣表彰。
1950年(昭和25年)藍綬褒章受章。
この間、保護施設の台南累功舎の創立、高松讃岐修正会と東京の小菅真哉会の整備。1926年(大正15年)、両全会、帝国更新会と和敬会母子寮の創立に当たる(『真宗人名辞典』290頁)。刑務所内の売店の権利を獲得して保護事業の資金にするなどのアイデアマンの一方、自宅官舎の一室を事務所兼施設代わりで母子寮を創始し、逝去するまで家族と共に施設内に住み込むなどこの道に献身した(山下存行『更生保護史の人びと』275-281頁、『教誨百年』下巻 浄土真宗本願寺派本願寺 真宗大谷派本願寺112頁、『龍谷大学論集』242-243頁)。1952年(昭和27年)、東京信濃町両全会において還化。行年77歳(『死刑囚物語』1951年、160頁)。
<更生保護施設の創設>
a)両全会(現、更生保護法人 両全会)
日本を代表する更生保護施設のひとつ。1917年(大正6年)、東京監獄(後の市ヶ谷刑務所)の教誨師であった藤井恵照により創設された女性のための更生保護施設。女子釈放者のために自分の官舎自室を事務所として解放。収容保護も自室をあてる。更生のための収容保護と指導を始めたのが起源。1926年(昭和元年)に新宿区信濃町に2階建て木造一棟を購入し収容保護施設を開設。家族と共に入居し、1952年(昭和27年)還化まで施設にとどまる。(『教誨百年』下巻 浄土真宗本願寺派本願寺 真宗大谷派本願寺 112-124頁)1998年(平成10年)、現在の渋谷区代々木神園町に新築、移転。
b)帝国更新会(現、更生保護法人 更新会)
1926年(大正15年)、「起訴猶予者・執行猶予者の更生保護団体」として大審院検事の宮城長五郎と教誨師の藤井恵照によって、起訴猶予者と執行猶予者を対象に、東京芝区(現港区)田村町に創設。経営責任者。日本刑事政策史としても大書に値する画期的保護事業。1931年(昭和6年)、思想部を併置して、思想事犯者の保護開始。1945年(昭和20年)、西早稲田に本部を統合(『教誨百年』下巻 浄土真宗本願寺派本願寺 真宗大谷派本願寺 124-125頁)。1996年(平成8年)、更生保護事業法施行に伴い「財団法人」から「更生保護法人」に法人名を変更。
c)和敬会(現、社会福祉法人 和敬会)
両全会の姉妹団体。1937年(昭和12年)に和敬会母子寮と和敬保育園の創設。刑務所在所中の者の家族に対する保護。
d)刑務教誨事業研究所
設立育成。のちに刑務教誨司法保護事業研究所を発足。
<信念>保護の裏付けなくして刑務教誨の徹底は期し得ない(『教誨百年』下巻 浄土真宗本願寺派本願寺 真宗大谷派本願寺120頁)。
<その他>両派本願寺は何かにつけ、ややもすると対立的傾向にあったとみなされるなかにあって、刑務教誨に関する限り、同心一体の姿で事に当たり、業績を上げたことも、同氏の宗我を離れた政治的手腕によるものである(『教誨百年』下巻 浄土真宗本願寺派本願寺 真宗大谷派本願寺 120頁)。
<著作>『死刑囚物語』(百華苑)、月刊誌「刑務教誨」発行

★本多まつ江(ほんだ まつえ、1889年(明治22年)12月25日 - 1969年(昭和44年)4月26日。教師であり、僧侶夫人、司法保護司、教誨師(名古屋拘置所の教誨師。晩年は『死刑囚の母』と讃えられた)。旧姓は赤羽。
<来歴>
長野県東筑摩郡神林村字下神(現・松本市)に赤羽吉弥の五女として誕生する。神林尋常小学校卒業。長野県立松本高等女学校を卒業したのち、東京九段の和洋女子専門学校(現和洋九段女子中学校・高等学校)に進学。卒業後は、市立松本女子職業学校、新潟県立長岡高等女学校経て、埼玉県立久喜高等女学校に奉職。久喜高女時代は、国立療養所多磨全生園で、見習い看護婦として勤労奉仕をしている。
川島芳子の養父で、同郷の川島浪速に請われ、1916年(大正5年)4月に芳子の家庭教師となる。当時、東京・赤羽(現在の十条あたり)にあった川島邸に、まつ江は住み込みで芳子の教育にあたった。家庭教師を始めた頃、芳子は、豊島師範附属小学校に入学している。
1921年(大正10年)川島一家が東京の家を引き払い、浪速の故郷である信州松本に転居した年の3月、まつ江は名古屋市中村区岩塚町「林高寺」の住職・本多恵孝と結婚。本多まつ江となる。しかし、挙式後1ヶ月した頃にアメリカのコロンビア大学に単身留学をし、3年後の1924年(大正13年)に帰国するまで、夫とは別居生活をする。
1933年(昭和8年)「大日本連合女子青年団満州視察団員」として中国大陸へ渡り、芳子と再会している。日中戦争の間は、アジアからの留学生の援助をしていた。1938年(昭和13年)司法保護司を委嘱される。
1960年(昭和35年)名古屋拘置所の教誨師となり、晩年は『死刑囚の母』として讃えられた。癌性腹膜炎のため79歳で逝去。
<人物とエピソード>
川島芳子に対し、利害関係なく愛情を注いだ数少ない人物である。
芳子からは『赤羽のお母様』と呼ばれて親しまれ、芳子が甘えられる数少ない人物であった。
利発な芳子のことを考え、単なる家庭教師には終わりたくない気持ちもあり、まつ江は謝金を断ったという。
芳子は食事の時、まつ江の好物が膳に乗っていると、「わたし、これ嫌いだから赤羽のお母様召し上がって」と言って押し付けたという。芳子は何でも気のつく優しい子供だったそうが、ひねくれた愛情を見せる子だったのであろう。
まつ江は、当時にしてはインテリな女性であり、また国際的視野を持つ人物と思われる。
結婚直後に3年間の留学生活に入るという、行動力の裏には、僧侶である夫の絶大な信頼関係があったからであり、その信頼関係は終生変わらなかったという。
1933年(昭和8年)の再会の時は、芳子は事前にまつ江に手紙を出し、「久しぶりにお母様に会へると思ふと、飛びあがりたくなるようにうれしゅうございます。お出での時には、栄泉堂の最中と甘納豆をドッサリ買って来てね」と書いている。
戦後、逮捕された芳子の獄中からの書簡の中に、「このわたしが死んだと聞いて、悲哀の涙にかきくれ、心から歎いて下さるのは、赤羽のお母様だらう」という、赤羽まつ江に関する記述がある。
蒋介石夫人の宋美齢とは、コロンビア大学で同じ留学生クラブだった。
芳子が戦後、軍事裁判で漢奸として処させると知るや、芳子の助命活動を始める。まずは松本の浅間温泉にいた芳子の養父・川島浪速を訪ね、散在している松本高女の卒業生を訪ね、東奔西走ののち、3千名以上の署名を集めた。その趣旨は「芳子はすでに日本人であるから、漢奸として扱うべきではない」というものだった。食糧難、交通難の中、親戚友人から寄せられた資金で上京。長年親交のある大妻コタカを訪ねて落ち着くと、政界の各方面に足を運んで援助を要請した。まず社会党の松岡駒吉、長野・愛知県選出の国会議員、川島浪速と懇意の頭山満の三男・頭山秀三、GHQの幹部などに再三訪問した。しかし、多大な協力によりいよいよ北京へ飛ぶ段取りがついた時、ラジオ放送で芳子の処刑を聞いて、精根尽き果てたまつ江は卒倒したという。
<栄典・表彰>
1962年(昭和37年)11月 日本宗教連盟理事長より表彰
1966年(昭和41年)7月 名古屋矯正管区長により感謝状授与
1969年(昭和44年)4月26日 勲六等瑞宝章
<関連文献>
本多まつ江顕彰会『松風の跡』本多まつ江顕彰会(非売品)1971年
渡辺龍策『川島芳子 その生涯 見果てぬ滄海』番町書房 1972年(単行本)
渡辺龍策『川島芳子 その生涯 見果てぬ滄海(うみ)』徳間文庫1985年
上坂冬子『男装の麗人・川島芳子伝』文藝春秋1984年(単行本)
上坂冬子『男装の麗人・川島芳子伝』文春文庫1988年 
上坂冬子『女たちが経験したこと 昭和女性史三部作』中央公論新社(新版)2000年

★田嶋 隆純(たじま りゅうじゅん、1892年〈明治25年〉1月9日 - 1957年〈昭和32年〉7月24日)は、チベット語に訳された仏教文献の精査解読とそれに基づくチベット訳と漢訳の仏典対照研究の先駆けとなった仏教学者。大正大学教授。真言宗豊山派大僧正。教誨師(花山信勝の後を受けて巣鴨プリズンの教誨師になる。『代受苦』〈地蔵菩薩の身代りの徳〉の活動が多くの戦犯者から感謝され、『巣鴨の父』と慕われた)。
大正末期、日本におけるチベット語の先駆者河口慧海に師事しチベット語を修得。昭和初期にフランスに渡りソルボンヌ大学に留学。チベット訳の『大日経』や曼荼羅の研究に学績を残した。
また大戦後、花山信勝の後を受けて巣鴨拘置所の教誨師となり、刑場に臨む戦犯に寄り添い処刑に立ち会うとともにBC級戦犯の助命減刑嘆願にも奔走した。その「代受苦」(地蔵菩薩の身代りの徳)の活動が多くの戦犯から感謝され、「巣鴨の父」と慕われた。
田嶋が出版に尽力した『世紀の遺書』(1953、巣鴨遺書編纂会)は大きな反響を呼び、その益金の一部によって東京駅前広場(丸の内南口)に「愛(アガペ)の像」が建てられ、巣鴨で処刑された戦犯らの平和への想いの象徴となった。「愛の像」のなかには本書が納められた。
<経歴>
1892年(明治25年)1月9日、栃木県下都賀郡(現在の栃木県栃木市都賀地域)で農家の四男に生れ、13歳の時、栃木市満福寺(当時、新義真言宗智山派)の長澤泰純のもとに入室。生来頭脳明晰で、常用経典の読誦や、弘法大師の主著『十巻章』や漢籍の素読に目を見張るものがあった。14歳の時、永見快賢(後の護国寺貫首)に随い得度。
1911年(明治44年)上京し、護国寺の豊山中学(現・日本大学豊山中学校・高等学校)・豊山派尋常学院に学ぶ。豊山中学を卒業後、護国寺の援護のもと、1919年(大正8年)豊山大学(現・大正大学)本科を卒業。同時に研究科(今の大学院)に進み、教授・荻原雲来の薦めにより河口慧海に師事しチベット語並びにチベット訳仏教文献を学び、『大日経』のチベット訳と漢訳の対照研究に励んだ。
1922年(大正11年)研究科を修了。その時の論文が後に出版される『蔵漢対訳大日経住心品』である。同年、豊山大学講師。1925年(大正14年)、満福寺の新師・長澤泰隆の長女フミと結婚。1927年(昭和2年)、大正大学助教授。1928年(昭和3年)、同大学教授。折しも『中外日報』紙上で、師の河口慧海が高野山大学教授・栂尾祥雲の『曼荼羅の研究』(1927、高野山大学出版部)の問題点を指摘。師の後を受け論拠を挙げて批評したところ、栂尾も田嶋の『蔵漢対訳大日経住心品』を厳しく批判。お互いに譲らず真摯な学術論争が半年続いた。
1931年(昭和6年)ソルボンヌ大学に留学。1934年(昭和9年)3月、弘法大師1100年御遠忌を機に、パリ東洋語学校のポール・ドミエヴィルやハーバード大学のセルゲイ・エリセーエフなどの協力のもと、ギメ東洋美術館新講堂で記念講演を行い、続いて「弘法大師の教義と両部曼荼羅」と題しての連続講演を行った。これを縁に東洋学のシルヴァン・レヴィやアルフレッド・フーシェと知遇を得、その指導のもとで仏文の『大日経の研究』を上梓し学位論文とした。4年10ヵ月の留学中、折からパリに滞在していた『放浪記』の林芙美子や考古学者の森本六爾たちとの交遊もあった。
1936年(昭和11年)帰国し、師・長澤泰隆の後継として高平寺(現・栃木市岩船地域)に入る。1941年(昭和16年)、宗教関係者や代議士らとともに渡米し、日米開戦回避と平和維持をアメリカ各地で訴える。1942年(昭和17年)、東京江戸川区小岩の正真寺(真言宗豊山派)に移る。
戦後、1945年(昭和20年)から、大正大学文学部長・図書館長・仏教学部長・真言宗研究室主任などを歴任。1949年(昭和24年)、花山信勝の後を受け巣鴨拘置所の教誨師となる。大学の講義中、突然会いに来たアメリカ兵から受諾を要請されたという。
1951年(昭和26年)教誨活動・助命減刑嘆願・戦犯遺族との連絡・世界宗教者会議への提訴・国連軍への輸血協力等々による過労のため巣鴨拘置所で倒れ、以後亡くなるまで肢体言語不自由の闘病生活となる。
1952年(昭和27年)巣鴨拘置所において田嶋の還暦祝賀会が行われ、「教誨師の還暦を祝う会が獄舎で行われたことがあるだろうか」「日夜、死と対決して生きる苦しみに悶える死刑の友を、生きる喜びに導いた<菩薩の変化(へんげ)>と思われる最高の師」といわれた。
1953年(昭和28年)田嶋の尽力により、戦犯と家族の遺書・遺稿701篇を集めた『世紀の遺書』が刊行され、その益金によって、1955年(昭和30年)、東京駅丸の内南口広場に「愛(アガペ)の像」が建てられた。「愛」の字を田嶋が揮毫している。
1957年(昭和32年)65歳で遷化。葬儀には旧戦犯やその家族、巣鴨プリズン関係者らが多く参列した。
弟子に柴崎徳純(栃木市太山寺)、釈昭純(東京葛飾区普賢寺、葛飾区議会議員)、義弟に長澤實導(仏教学者、大正大学教授、智山教化研究所初代所長、文博、真言宗智山派満福寺第29世)がいる。
<関連資料>
田嶋隆純『蔵漢対訳 大日経住心品』新興社(1927年)
田嶋隆純『仏文 両部曼荼羅及密教教理』田嶋隆純遺著刊行会(1959年)。新版1984年
『世紀の遺書』巣鴨遺書編纂会(1953年)
大岡昇平『ながい旅』新潮社(1982年)。新潮文庫、角川文庫で再刊
田嶋信雄『田嶋隆純の生涯』隆純地蔵尊奉賛会(正真寺、2006年)。著者は後任の住職

★花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年(明治31年)12月3日 - 1995年(平成7年)3月20日)は、日本の仏教学者、浄土真宗本願寺派の僧侶。東京大学名誉教授。教誨師(1946年〈昭和21年〉2月から巣鴨プリズンの教誨師となり、東條英機ら7名のA級戦犯の処刑に立ち会った)。

<概要>
石川県金沢市生まれ。第四高等学校卒、東京帝国大学印度哲学科卒。大学院で日本仏教史を専攻し、東洋大学教授、東京大学文学部教授、國學院大學教授等を歴任する。1935年(昭和10年)、『聖徳太子御製法華経義疏の研究』で学士院恩賜賞を受賞。
1946年(昭和21年)2月から巣鴨拘置所の教誨師となり、東條英機ら七人のA級戦犯の処刑に立ち会い、その時の模様を『平和の発見-巣鴨の生と死の記録』に記した。東條は、「米国憲兵と一緒に合掌するのも仏縁だね」と笑っていた、と語った。なお被告の重光葵の手記『巣鴨日記』には、長期間の収監で精神的に消耗していた被告たちにとって、花山との接触はひとつの救いでもあった、という旨の記述がある。(『文藝春秋』1952年(昭和27年)8月号掲載、翌年に文藝春秋新社刊)
<家族>
長男の花山勝道は、金沢で浄土真宗本願寺派「宗林寺」の住職を務めた。
次男の花山勝友は仏教学者、武蔵野女子大学副学長を務めたが、父の後を追う形で同じ年に病没した。なお次男勝友や門下生達との座談会での回想が、『東方学回想 Ⅵ 学問の思い出〈2〉』(刀水書房、2000年)に収録。
<著書>
『聖徳太子御製法華義疏の研究』 東洋文庫, 1933
『聖徳太子の仏教』 仏教年鑑社, 1936
『聖徳太子と日本文化』 日本文化協会、1937
『日本の仏教 内閣印刷局』(国体の本義解説叢書), 1942
『憲法十七条の精神』 厚徳書院, 1943
『日本仏教』 三省堂, 1944
『勝鬘経義疏の上宮王撰に関する研究』 岩波書店, 1944
『白道に生きて』 北方出版社, 1948 (顕真叢書 ; 1)
『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』 朝日新聞社, 1949
『「巣鴨の生と死 ある教誨師の記録」』 中公文庫, 1995
『万世を照らすもの-仏教学徒の記録』 酣灯社, 1949
『永遠への道 わが八十年の生涯』 日本工業新聞社, 1982
『聖徳太子と憲法十七条』 大蔵出版, 1982
『太平洋戦争とお念仏』 国際真宗学会, 1986
<訳註・校訂>
『法華義疏 聖徳太子』 岩波文庫上下, 1931-33 改版 1975
『往生要集 源信』 小山書店,1937 岩波文庫(旧版),1942、復刊1988、復刻版一穂社,2004 
『勝鬘経義疏 聖徳太子』 岩波文庫, 1948、復刊1988ほか/改訂新版吉川弘文館 1977
『維摩経義疏 聖徳太子』 百華苑, 1971 改訂版 1980
『上宮聖徳法王帝説』 狩谷エキ斎(棭齋)證註、岩波文庫(共注),1941 復刊1988

★加賀尾 秀忍(かがお しゅうにん、1901年1月5日 - 1977年5月14日)は、昭和期に活躍した真言宗の僧侶。フィリピン・モンテンルパの戦犯刑務所で教誨師として尽力したので『モンテンルパの父』と慕われた。
<概要>
1901年1月5日、岡山県真庭郡落合町の極楽寺に生まれる。落合尋常小学校を卒業後、おなじ落合にある木山寺に入り、住職の高藤秀本に師事し漢籍・経文を習った。1929年、真言宗京都大学を卒業して真言宗の僧侶となる。宝蔵院の住職をつとめたのち、高野山東京別院の副主監となる。
1949年11月4日、フィリピン・マニラ郊外のモンテンルパにある、当時、戦犯刑務所だったニュー・ビリビット刑務所に、病気のため早期帰国した安達本識(あだち・ほんじき)教誨師の後任として赴任する。当初、6ヶ月の任期であったが、自ら無給で残ることを決め、死刑判決を受けて、処刑の瀬戸際に立つ日本人戦犯の助命活動にたずさわる。ダグラス・マッカーサー元帥などの、当時の日本の指導者たちに助命嘆願書を提出するも、1952年1月19日には、明らかに無実の者もいる日本人BC級戦犯14名の処刑に立ち会う。3月半ばのある日、戦犯たちと会議をもち日本への世論喚起のため、歌の作成を提案する。こうして完成した歌は、死刑囚である代田銀太郎作詞で、同じく死刑囚の伊藤正康作曲の『モンテンルパの歌』と題がつけられて日本へ郵送された。
そして、この歌はNHKラジオ「陽気な喫茶店」で紹介され、たまたまゲストとして出演していた歌手の渡辺はま子の目にとまった。そして当時、鎌倉にあった自宅に帰ると、すぐにピアノで試し弾きをやってみて、望郷と帰国の念に駆られる感じ漂う哀しいリズムの歌であることを知った。そして、自分がかつて、戦争協力者として台湾や中国大陸各地の前線や基地、軍の病院を歌で慰問して巡っていた頃の自分を責め、生涯をかけてこの歌を歌っていこうと心に決めると、さっそく曲の手直しと編曲にとりかかった。具体的には当初、5番から成っていたものを2番削除して3番構成とした。そして曲名も『あゝモンテンルパの夜は更けて』と改められて発表された。レコードも宇津美清とのデュエットで吹き込んだものがビクターレコードから発売され、20万枚の売り上げを記録するなど大ヒットする。当時のローマ法王のピウス12世に協力要請を行い、フィリピン大統領へのメッセージが実現し、フィリピン大統領との会見が実現する。1953年5月、当時のフィリピン大統領エルピディオ・キリノと面会した。そして、このときに『あゝモンテンルパの夜は更けて』のオルゴールをプレゼントする。大戦末期に行われたマニラ市街戦で、妻や子を日本軍に殺害されていたキリノ大統領も、オルゴールの中の曲の作詞作曲が2人の日本人戦犯であることを加賀尾氏より知る。そして、会見から1ヶ月後の6月27日、日本人戦犯の釈放が決定される。こうして1953年7月7日、フィリピン独立記念日の日、晴れて日本人戦犯の全員特赦と帰国が実現し、7月15日、処刑された戦犯兵士の遺骨17柱と、戦犯としてニュー・ビリビッド刑務所に収容されていた108名の元日本人兵士同胞とともに、現地時間の午後2時過ぎに帰還船「白山丸」(日本郵船所属の貨客船)でマニラを出港し、7日後の7月22日朝、横浜港大桟橋着で日本に帰国する。
その後、日本国内で僧侶として活躍しながら、『13階段と平和』と題して講演活動を行う。1973年には、日比親善に功労があったとして、勲三等旭日中綬章を授与された。
1977年5月5日朝、岡山県井原市の自坊で3度目の脳出血を発症して倒れる。倉敷市の倉敷中央病院に入院するも、5月11日重篤に陥り、3日後の5月14日午前12時22分、死去する、享年76歳。
<演じた人物>テレビドラマ・・・小日向文世『戦場のメロディ 〜108人の日本軍兵士の命を救った奇跡の歌〜』(2009年9月12日、フジテレビ)薬師丸ひろ子演じる渡辺はま子が主人公となっているものの、処刑立会いのシーンや歌作り提案の場面など、加賀尾秀忍が登場する重要な場面も少なからずある。
<著作>
モンテンルパに祈る 1953年 富士書苑

★道城 重太郎(どうじょう じゅうたろう、1905年(明治38年)5月26日 - 1980年(昭和55年)2月6日)は、牧師、日本イエス・キリスト教団の第2代目委員長。教誨師(神戸刑務所教誨師)。
<生涯・初期>
福岡県京都郡蓑島村に生まれる。1923年(大正12年)に日本メソジスト教会行橋教会で求道を始め、梶原景虎牧師の指導を受ける。
<入信・献身>
伝道会で沢村五郎の説教を聞いて新生を体験する。1923年11月フィリップ宣教師より洗礼を受ける。1925年(大正14年)日本伝道隊御影聖書学舎(現、関西聖書神学校)に入学し、神学を学ぶ。
<日本伝道隊牧師>
1926年に神学校を卒業して岡山独立教会へ赴任する。1930年(昭和5年)に小林静英と結婚する。1935年(昭和10年)正教師の按手礼を受ける。翌年、明石人丸教会に赴任する。
<日本イエス・キリスト教団>
1951年(昭和26年)に日本イエス・キリスト教団が創設される時に教団の設立に参与する。1958年(昭和33年)まで教団の副委員長として、小島伊助委員長を補佐する。1958年より日本イエス・キリスト教団第2代目委員長として、1965年(昭和40年)まで教団を指導した。
1961年(昭和36年)には日本イエス・キリスト教団代表として新改訳聖書刊行協力会に加わる。
神戸刑務所教誨師、関西聖書神学校の講師としても活躍した。1980年(昭和55年)に現職のまま死去する。
<参考文献>『日本キリスト教歴史大辞典』教文館、1988年

★大谷 光照(おおたに こうしょう、1911年(明治44年)11月1日 - 2002年(平成14年)6月14日)は、日本の宗教家で浄土真宗本願寺派第23世宗主、伯爵。諱は光照。法名は勝如上人。院号は信誓院。 昭和天皇の従兄弟にあたる。教誨師。
<経歴>
第22世法主大谷光瑞(鏡如上人)の実弟大谷光明 (浄如上人)の長男として京都府京都市で誕生した。母は九条道孝の七女紝子(きぬこ)、紝子の姉は大正天皇皇后(貞明皇后)の節子。
1914年(大正3年)、西本願寺の疑獄事件に端を発して光瑞が法主の座を引退、弟の光明に継承権があったが、光瑞が遠慮を求めて光明も就任を辞退した。新々門であった光照は当時4歳であったため、大谷家側近(近松尊定、六雄澤慶など)が4代にわたり管長代理を務めた。1927年(昭和2年)に得度して第23世法主を継職。以後50年の間、本願寺派教団の陣頭指揮にあたった。
その後、旧制第一高等学校を経て1935年(昭和10年)に東京帝国大学文学部東洋史学科卒業。1937年(昭和12年)4月、徳大寺実厚長女の嬉子と結婚。1977年(昭和52年)、門主を引退し前門となる。
<戦前戦中の活動>
青年法主光照は、昭和の戦時下の教団を指導した。1933年(昭和8年)には声明集の改定に取り組むなどする一方で、1941年(昭和16年)に宗制を改定、従来神祇不拝を旨としていた宗風を放棄し、「王法為本ノ宗風ヲ顕揚ス是レ立教開宗ノ本源ナリ」と宣言。国家神道と結びついた「戦時教学」を推進した。
特に、親鸞の著作に皇室不敬の箇所があるとして該当部分を削除するよう命じたり(聖典削除問題)、門信徒に戦争協力を促す消息(声明)を発して戦時体制を後押しした。戦時中に発布された消息では、天皇のため命を捧げよと次のように説いている。 「凡そ皇国に生を受けしもの誰か天恩に浴せざらん、恩を知り徳に報ゆるは仏祖の垂訓にしてまたこれ祖先の遺風なり、各々その業務を格守し奉公の誠を尽くさばやがて忠君の本義に相契ふべし、殊に国家の事変に際し進んで身命を鋒鏑におとし一死君国に殉ぜんは誠に義勇の極みと謂つべし、一家同族の人々にはさこそ哀悼の悲しみ深かるべしと覚ゆれども畏くも上聞に達し代々に伝はる忠節の誉を喜び、いやましに報國の務にいそしみ其の遺志を完うせらるべく候」
光照自身も度々軍隊慰問を行い、南京攻略戦直後には自ら南京に入城し犠牲者追弔会を行った。教団も戦争協力の名目で大量の戦時国債を購入し、戦後の教団財政の危機を招くこととなった。今日、「戦時教学」を推し進め、その指導的立場にあった光照らの戦争責任を問う声もある。
西本願寺は敗戦後GHQの指導のもとで、宗制の改革を行い、宗主の権限を縮小し、西本願寺の象徴的存在へと変更となる。1945年(昭和20年)まで、法主または門跡と呼称されたが、1946年(昭和21年)より、門主と改称される。
<戦後の主な活動>
1946年(昭和21年)管長制廃止などの教団制度改革を実施
1948年(昭和23年)蓮如上人450回遠忌法要
1961年(昭和36年)親鸞聖人700回大遠忌法要
1973年(昭和48年)親鸞聖人誕生800年・立教開宗750年慶讃法要
<主な職歴>
1952年(昭和27年)第2回世界仏教徒会議名誉総裁
1955年(昭和30年)全日本仏教会会長
1956年(昭和31年)全国教誨師連盟総裁
1961年(昭和36年)全日本仏教会会長(2回目)
1962年(昭和37年)財団法人全国教誨師連盟総裁
1969年(昭和44年)全日本仏教会会長(3回目)
1970年(昭和45年)世界宗教者平和会議京都大会名誉総裁
<人物>
門主在任中には、正信偈の改譜をはじめ、法式規範などを着々と整備していったことからも伺えるように、儀式儀礼には非常に厳格な面があった。
趣味は切手収集、テニス、ゴルフ好きでも知られた。
<著書>
『唐代の仏教儀礼』(有光社、1937年)
『「法縁」抄 : 勝如上人の九十年』(本願寺出版社、2002年7月

★古川 泰龍(ふるかわ たいりゅう、1920年8月23日 - 2000年8月25日)は、日本の真言宗の僧侶。教誨師(福岡刑務所の死刑囚教誨師。死刑囚の冤罪撤回運動に尽力した)。
<生涯>
真言宗の僧侶の子として、佐賀県に生まれる。
高野山専修学院を卒業し、佐賀県藤津郡塩田町の真言宗常在寺の住職となる。1952年より福岡刑務所で死刑囚教誨師を務める。福岡事件の2人の死刑囚と面会する。現場に赴き検証を進め冤罪と判断する。1961年より彼らの無実を訴えるため本格的に助命運動をはじめる。1975年に、完全無罪を主張している1人は、死刑執行となり、実行したが防衛行為であると主張している1人については、無期懲役となり、1989年に仮釈放となるが、古川泰龍は身元引受人となる。40年近く、福岡事件の真相を求める運動で、先頭に立つ。真相究明書『白と黒のあいだ』を、河出書房から出版する。
熊本県玉名市の立願寺に転居。1964年1月2日、冤罪救済支援のため訪ねてきた自称「弁護士」を、当時11歳の娘が強盗殺人指名手配犯の西口彰と見破り、警察に通報、翌日の逮捕に協力する(西口彰事件)。このいきさつが、フジテレビで1991年にドラマ化される(amazon.co.jp実録犯罪史・恐怖の24時間~連続殺人鬼~西口彰の最後)。このドラマでは、古川泰龍がモデルの人物を河原崎長一郎が演じる。逮捕後も、西口彰と手紙のやりとりを行い、書物の差し入れもする。
1965年、ベトナム戦争の泥沼化で、アメリカの戦争介入に反対する市民運動が世界各地に起こるが、「ベトナムに平和を!市民連合」の玉名の運動、「玉名ベ平連」の結成に家族で参加する(旧「ベ平連」運動の情報ページ-元「玉名ベ平連」の古川泰龍さん、8月25日に逝去)。1969年4月のベ平連九州地区懇談会の場所を提供するなどする。
1969年、「神戸シュバイツァーの会」会長の牧師の向井正からアルベルト・シュヴァイツァーの遺髪を授かり、1973年、「生命山シュバイツァー寺」を開山する。1986年に、この寺で生活したイタリア人神父のフランコ・ソットコルノラとの話で、カトリックの別院を設ける(与えられた死-シュバイツァー寺住職・古川泰龍、福岡事件再審請求を支える古川龍樹・龍桃さんに聞く)。
1984年、「日中戦争強制労働殉難者の慰霊塔」を建立する。中国に行き、南京大虐殺記念館での犠牲者の慰霊法要を行う(中華人民共和国駐日大使館-日本の友人が南京大虐殺犠牲者の慰霊法要)。
仏教の僧侶として、キリスト教関係者との対話も重視している。ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世とも3回面会している(福岡事件再審請求を支える古川龍樹・龍桃さんに聞く)。
2000年8月25日に死去。80歳没。
<著作>
『福岡、中国人闇ブローカー殺し殺人請負強盗殺人事件真相究明書 - 九千万人のなかの孤独』(コスモス社、1963年→花伝社、2011年)
『白と黒とのあいだ - 福岡誤殺事件』(河出書房新社、1964年)
『「死」は救えるか 医療と宗教の原点』(地湧社、1986年)
『歎異抄 - 最後の一人を救うもの』(地湧社、1988年)
『叫びたし寒満月の割れるほど - 冤罪死刑囚と歩む半生』(法蔵館、1991年)
『「他力」を明かす - 続歎異抄・念仏のこころ』(地湧社、1992年) 4-88503-093-5
<論文>CiNii>古川泰龍

★岡村 又男(おかむら またお、1931年 - )は、日本の牧師。横須賀中央教会担任牧師、日本聖書刊行会理事長、日本同盟基督教団顧問、久里浜少年院教誨師。群馬県生まれ。教誨師(久里浜少年院教誨師)。
1931年、群馬県出身。舟喜麟一が牧した福音伝道教団前橋キリスト教会が母教会。同盟聖書学院(第三期生)卒業後の1955年、日本同盟基督教団横須賀中央教会牧師となる。その後日本同盟基督教団理事、同理事長、東京基督教短期大学非常勤講師、東京基督教大学非常勤講師などを歴任。東京基督教大学教授の岡村直樹は息子。
2007年日本福音功労賞を受賞する。
<著書>
「主に喜ばれる教会生活」、「主に喜ばれる結婚と家庭生活」「教会員の手引き」「式文」

★鈴木 啓之(すずき ひろゆき、1955年11月-)は日本の牧師、ミッション・バラバ伝道者、NPO「人生やりなおし道場」の道場長、「ふるさと志絆塾」の塾長、教誨師(府中刑務所教誨師)。元暴力団員。2001年(平成13年)製の日韓合作映画『親分はイエス様』のコンセプトモデルとなった「ミッション・バラバ」(暴力団組員等の過去をもつ牧師を中心に結成されたキリスト教宣教団体)の代表者。
<経歴・初期>
1955年(昭和30年)11月大阪市天王寺区の病院で、製薬工場の経営者を父として生まれ、生野区で幼少期を過ごす(鈴木の父は、明治大学で考古学を専攻し、新聞記者などを務める。鈴木が生まれたころは製薬会社を経営していた。両親は創価学会の会員の教学の最高位の『教授』であり、鈴木も幼少期から大石寺の例会などに行っていた熱心な創価学会会員だった。
天王寺区の私立高興国高校商業科に進学する。中退して、ラーメン屋でバイトを始める、翌4月に経理学校に入学するが、半年で退学して、建設関係の仕事をする。
<暴力団員時代>
1972年(昭和47年)頃、暴力団とのトラブルに巻き込まれたことがきっかけになり、酒梅組5代目組長谷口正雄の甥の紹介で、酒梅系の組織に入会する。有名な博打打ちとして、大阪で暗躍し年間20億円以上を稼こともあり、週刊誌で紹介されたこともあった。
1975年(昭和50年)頃、暴力団同士の抗争の後に、警察の捜査を逃れるために瀬戸内海岸に潜伏し、砂利船の作業に従事する。半年後大阪に戻り、最初の結婚をする。1980年頃、警察に出頭し、暴行と器物損壊、ひき逃げの罪で実刑判決を受け、奈良少年刑務所で服役する。1985年頃、3回の抗争に関連して、凶器準備集合、暴力行為で2回目の実刑判決を受けて、大阪刑務所に収監される。
<博打打ち時代>
賭博で3億の借金を負ったことで、組に迷惑をかけまいと思い組に破門状を出してもらい、フリーの博打ちになる。組長から3000万を預けられ、抗争資金の捻出を依頼される。
2度目の、懲役刑が終わって出所した直後に、大坂のコーリャン・クラブで働いていた韓国人女性(現在の鈴木夫人)に出会う。その韓国人女性が不慮の事故で、膝の皿を割り全治三カ月と診断された。しかし、彼女自身と教会のいやしの祈りにより奇跡的に回復する。この奇跡を見て、キリストの力を博打で生かそうと思い自ら教会に出席するようになる。そして、1988年(昭和63年)12月5日の教会で結婚式を挙げる。
奇跡的に3億の借金を清算することができたが、1990年(平成2年)3月、他の組の親分から預かった活動資金を博打に使い込んだことから再び命を狙われる身となる。
大阪から逃亡し、東京都新宿の歌舞伎町に愛人と共に潜伏するようになる。逃亡生活のストレスで不整脈、慢性疲労症候群、自律神経失調症などを患い、通院するが、自殺を考えるほどに追い詰められる。逃亡生活から9か月目の12月に近所の新大久保にある東京中央教会という韓国人系の教会に駆け込む。駆け込んで3日目の礼拝でに日本人副牧師の平塚正弘から「誰でも変わることができる」と声をかけられて回心する。すぐに、新幹線で大阪に戻り妻と再会する。
<神学生時代>
1991年(平成3年)1月東京渋谷区本町の家で妻子と同居し、東京中央教会に通うようになる。
1991年4月に東京中央教会の東京中央神学院に入学する。神学の学びを続けながら、6月からは生活費のために神学校同級生と共に工事現場で働くようになる。7月に『ジェリコ・ジャバン』の聖歌隊に参加する。その時、メッセンジャーだったアーサー・ホーランドと松沢秀章の影響を受けて、新宿で路傍伝道をするようになる。その時、同じく新宿で伝道をしていたアーサー・ホーランドと親しくなり、十字架行進の話が決まる。1992年春の神学校2年生の時に、半年間の休学届を出し沖縄から十字架行進を始める。北海道宗谷岬まで行き、1992年のジェリコ・ジャパンの大阪集会で十字架行進は終了する。その後、杉並区下井草のマンションに住み、建設現場に復帰し、神学校の学びを再開する。
1993年(平成5年)の夏休みに韓国を訪問し、釜山から板門店まで十字架行進を行う。行進中に毎日韓国の教会で集会を開く。元従軍慰安婦などにも謝罪をする。また、夫人の実家にも訪れる。
1993年の暮れに、鈴木ら7人の元ヤクザとアーサー・ホーランドと松沢秀章らが「ヤクザ・フェローシップ」という聖書研究会を始める。それが、改称しミッション・バラバという伝道団体になる。2007年まで鈴木が代表を務める。
<牧師時代>
1994年(平成6年)3月神学校を卒業すると錦糸町にある韓国系教会『ハレルヤ東京教会』に牧師に迎えられる。1994年11月にはミッション・バラバのメンバーと北米の伝道旅行に出かける。その活動がアメリカ合衆国の日系人新聞『羅府新報』や『オークデール・リーダー』などのマスコミに取り上げられ、日本でも毎日新聞などで取り上げられる。
船橋市東船橋で支教会の開拓伝道を始め、ハレルヤ所望(ソマン)教会を発足させる。ハレルヤ教会の活動が軌道に乗ると、1995年頃から開拓伝道を始め、1995年10月31日にシロアム・キリスト教会が設立され、アーサー・ホーランド、小坂忠らに按手礼を受ける。
1998年3月アメリカ合衆国ワシントンD.C.のヒルトンホテルで開催された、ビル・クリントン大統領(当時)も出席する『朝食祈祷会』(英:National prayer breakfast)に出席し昼餐会でスピーチをする。
2001年に劇場公開された映画『親分はイエス様』では、鈴木がモデルの一人になった。2003年には、進藤龍也(現在・[罪人の友]主イエス・キリスト教会牧師)ら元暴力団員が住みこむ。そのことがきっかけになり、もと暴力団員らが、人生をやり直すための共同生活所の『やりなおしハウス』が誕生する。
2004年3月に鈴木は府中刑務所の教誨師に任命される。2008年9月にシロアム・キリスト教会は会堂を船橋市東船橋より千葉県柏市へと移転する。2009年3月にはNPO法人「人生やり直し道場」を設立し、道場長になり、2010年9月には柏市五條谷に新会堂を建設し、教会堂を移転する。
現在、シロアム・キリスト教会主任牧師、「人生やりなおし道場」の道場長、ふるさと志絆塾の塾長などで幅広い活動を行っている。
<教会のアクセス>
シロアム・キリスト教会は、千葉県柏市あけぼの3-9-3(国道6号水戸街道沿い呼塚交差点近く)にあり、同施設には「人生やりなおし道場」を併設している。そこから巣立った牧師・宣教師も多数いる。
また分教会として、北海道札幌市のすすきのに「シロアムクリストチャーチ」をオープンしている。
<著書>
「愛されて、許されて」(2000年10月、雷韻出版刊。
「誰だって人生をやり直せる」(2001年4月、飛鳥新社刊。
<参考文献>
アーサー・ホーランド『親分はイエス様』PHP研究所、1996年
鈴木『愛されて、許されて』雷韻出版、2000年
金沢泰裕『イレズミ牧師とツッパリ少年達』集英社、2000年
進藤龍也『極道牧師の辻説法』学研パブリッシング、2010年

★塩谷 直也(しおたに なおや、1963年(昭和38年)-)は、日本の神学者、青山学院大学法学部教授。教誨師(府中刑務所教誨師)。
<学歴>
1987年、国際基督教大学教養学部卒業
1992年、東京神学大学修士課程修了
<職歴>
日本基督教団中京教会副牧師
梅ヶ丘教会牧師・府中刑務所教誨師
青山学院大学法学部教授
<研究分野>
宗教学、組織神学
<著書>
迷っているけど着くはずだ(新教出版社 2000年)
忘れ物のぬくもり―聖書に学ぶ日々(女子パウロ会 2007年)

★進藤 龍也(しんどう たつや、1970年(昭和45年)12月23日- )は牧師、教誨師。元暴力団員。刑務所伝道になどに従事する。
<経歴・初期>
1970年(昭和45年)に埼玉県蕨市に生まれる。1973年(昭和48年)3歳の時、交通事故に会い、脳挫傷、脳内出血、頭蓋骨骨折の重傷を負うが九死に一生を得る。中学1年の頃から非行に走る。地元の暴力団の草野球チームに入団する。
<暴力団員時代>
17歳頃から池袋の暴力団の事務所に出入りして、1988年(昭和63年)にスカウトを受け、盃をいただいて正式に暴力団員になり、その後広域指定暴力団の武闘派の暴力団の組員になり、池袋をテリトリーとする覚醒剤密売人になる。18歳で西川口で傷害事件を起こして逮捕される。埼玉県警南警察署に留置所に拘留される。その後、浦和少年鑑別所(現さいたま少年鑑別所)に入れられるが、情状酌量を引き出し短期間で出所する。
1989年(平成元年)に、かまぼこ工場の社長の債権の取り立てをしている際に、不渡りを出した社長の自宅を占拠した理由で逮捕され、鑑別所送りを免れ、20日間、四谷警察署の留置場に拘留された後、処分保留で釈放される。
1992年(平成4年)に、執行猶予中に覚醒剤使用の容疑で逮捕される。浦和拘置所支所に収容された後、刑事裁判で1年2カ月の判決を受け、川越少年刑務所に収監される。3カ月の分類審査の後に、松本少年刑務所に懲役刑で収監される。執行猶予が付いていた1年2カ月を含めて2年4カ月収監される予定であったが、2カ月早く茨城の叔父が身元引受人になり、仮釈放される。
1994年(平成6年)に覚醒剤の譲り渡しの容疑で逮捕され、秋田刑務所に2年8カ月収監される。秋田刑務所内の受刑者向けの「キリストクラブ」で初めて福音を聞く。ミッション・バラバに関する鈴木啓之の著作と差し入れられた聖書を読み、キリスト教に興味を持つようになる。 秋田刑務所を出所後に、「ミッション・バラバ」の本を見つけ、鈴木牧師に電話をする。鈴木牧師に「ヤクザにつまづかないように祈っていて下さい」とお願いする。
1998年(平成10年)には、28歳で同系の他の組に移籍して組長代行になる。しかし、覚醒剤中毒で破門になる。
<回心>
2001年(平成13年)5月13日東京都日本橋で覚醒剤所持の容疑で逮捕され東京拘置所に留置される。その時鈴木啓之牧師から減刑の嘆願書を書いてもらう。また、内縁の妻から差し入れられた聖書を読み、旧約聖書のエゼキエル書33章11節を読んで回心する。刑務所の中では、月岡世光に手紙を書いて聖書の教えを学ぶ。その後、裁判で2年4カ月の実刑判決を受け松江刑務所で懲役刑に服する。月岡に紹介された国際聖書通信講座で聖書を学ぶようになる。
<神学生時代>
2003年(平成15年)に2年4カ月の松江刑務所での服役が終わると鈴木啓之牧師のシロアム・キリスト教会に住みこむ。鈴木牧師より洗礼を受けてクリスチャンになる。シロアム・キリスト教会に鈴木牧師を慕い、進藤ら元暴力団員らが住みこむようになり、教会の祈りと献金で「やりなおしハウス」ができる。そして、JTJ宣教神学校に入学して、牧師を目指す。
<開拓伝道・牧師時代>
2005年(平成17年)2年で全科目を終了しJTJ宣教神学校を卒業する。神学校の恩師中野雄一郎の紹介で、中野雄一郎、岸義紘、鈴木啓之、安田眞の4人の牧師に按手礼を受けて牧師になる。
川口の公民館を借りて土曜日に聖書研究を始めながら、単独で開拓伝道を始める。母親のスナックを会場に、土曜日に礼拝をすることになる。その教会をマタイの福音書9章13節に基づいて、「[罪人の友]主イエス・キリスト教会」と命名する。
<参考文献>
進藤龍也『人はかならず、やり直せる』中経出版
進藤龍也『極道牧師の辻説法』2010年
『クリスチャン情報ブック』いのちのことば社
鈴木啓之『イレズミ牧師どん底からの再出発方法』

★兼松 一二(かねまつ かつじ)生年不明。1971年(昭和46年)より活動歴あり。友愛キリスト教会の牧師。JTJ神学校講師、東海神学塾講師、教誨師(笠松刑務所の教誨師。中部教誨師会理事)。 友愛グループ牧会長
<経歴>
1971~1994岐阜県の同盟福音キリスト教会。 
笠松キリスト教会で牧師を務める。
1994 岐阜県各務原市にて開拓伝道を始め、今に至る。
2002法務大臣賞をいただく。
2006長年にわたる教誨師として奉仕した功績により、藍綬褒章を受章。
<現在>
宗教法人 友愛キリスト教会牧師。
JTJ宣教会神学部長として、講師を務める。
東海神学塾講師。
笠松刑務所で教誨師を務める。
中部教誨師会理事を務める。
岐阜県教誨師会副会長を務める。



by sentence2307 | 2019-04-11 10:42 | 映画 | Comments(0)
今朝のmsnのホームページに「世界の名作ベスト100」という記事がアップされていました。この手の記事があると、「またか」という思いも勿論ありますが、ついつい見入ってしまうというのも事実です、そのまま見ないでいると、結局は、あとあとまでもそれが気になって尾を引くということになるので、ここは「きっぱり、見る」というのが自分にとっての正解ということになります。

しかし、世の中には、それこそ、いろいろの団体、あるいは個々人がそれぞれの「世界の名作ベスト100」を持っているので、ひとつには、その多様性と個性をどこまで楽しむことができるかということに掛かってくると思うのですが、ここにある問題が発生します。

例えば、第1位「市民ケーン」、第2位に「東京物語」を選ぶという通念とか良識?というものがある一方で、当然、意表を突くような個性的な第1位もあるわけで、スタンリー・キューブリックが選ぶ第1位なら、その意外性に驚き、さすがキューブリックだ、なるほどなと個性に感心し、楽しむということもできるのでしょうが、今回msnにアップされた「米映画批評サイトが選んだ『不朽の名作』ベスト100」というタイトルの記事で、出典は「英語圏の映画ファンの間で人気の高い批評サイト/データベースのロッテントマトRotten Tomatoe」なのだそうです。

そういえば、ここのところ、msnのホームページに「オズの魔法使」のジュリー・ガーランドのスチール写真がやたらにアップされていたのは、このことかと思い当たりました。

まあ、「いろいろの団体、あるいは個々人がそれぞれ自分なりの『世界の名作ベスト100」を持ってもいい』わけなのですから、なんでもありは当然なのでしょうが、しかし、ざっと見たところ、このベスト100、黒澤明が4本入っているのに、いまどきのベスト100にはめずらしく小津監督の作品がどこにも見当たりません。

そこでこの「ロッテントマトRotten Tomatoe」がどういった批評サイトだか知りませんが、ちょっとこの小津監督作品を欠落させたベスト100位というものが如何なるものか、分析したくなりました。

分析プランとしては、まず、ベスト100位の作品を掲げ、次に、そこに掲げられた作品が、その監督にとって最良な作品と言えるのか、をチェックするとともに、選ばれなかった監督の最良の作品をあげて比較してみようと考えました。

(注)表中「RT評価〇〇%」と記載されている意味が分かりませんが、ただ「90%」が「100%」よりも先んじて表示されているところを見ると、一定の水準を満たしている予備選考の通過した作品と理解しました。


【米映画批評サイトが選んだ「不朽の名作」ベスト100】

1位:『オズの魔法使』(1939年)RT評価:98%
監督:ヴィクター・フレミング 出演:ジュディ・ガーランド、フランク・モーガン、レイ・ボルジャー

2位:『市民ケーン』(1941年)RT評価:100%
監督:オーソン・ウェルズ 出演:オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、ドロシー・カミンゴア

3位:『第三の男』(1949年)RT評価:99%
監督:キャロル・リード 出演:オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリ、トレヴァー・ハワード

4位:『カリガリ博士』(1920年)RT評価:100%
監督:ローベルト・ヴィーネ 出演:ヴェルナー・クラウス、コンラート・ファイト、フリードリッヒ・フェーエル

5位:『メトロポリス』(1927年)RT評価:99%
監督:フリッツ・ラング 出演:ブリギッテ・ヘルム、アルフレート・アーベル、グスタフ・フレーリッヒ

6位:『イヴの総て』(1950年)RT評価:100%
監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ 出演:ベティ・デイヴィス、アン・バクスター、ジョージ・サンダース

7位:『或る夜の出来事』(1934年)RT評価:98%
監督:フランク・キャプラ  出演:クラーク・ゲーブル、クローデット・コルベール、ウォルター・コノリー

8位:『モダン・タイムス』(1936年)RT評価:100%
監督:チャールズ・チャップリン 出演:チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード、ヘンリー・バーグマン

9位:『カサブランカ』(1942年)RT評価:97%
監督:マイケル・カーティス 出演:ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード

10位:『大いなる幻影』 (1937年)RT評価:97%
監督:ジャン・ルノワール 出演:ジャン・ギャバン、ディタ・パルロ、ピエール・フレネー

11位:『雨に唄えば』 (1952年)RT評価:100%
監督:スタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー 出演:ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナー

12位:『サイコ』 (1960年)RT評価:97%
監督:アルフレッド・ヒッチコック出演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ヴェラ・マイルズ

13位:『ローラ殺人事件』 (1944年)RT評価:100%
監督:オットー・プレミンジャー 出演:ジーン・ティアニー、ダナ・アンドリュース、クリフトン・ウェッブ

14位:『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』 (1964年)RT評価:98%
監督:リチャード・レスター 出演:ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター

15位:『白雪姫』 (1937年)RT評価:98%
監督:デイヴィッド・ハンド、ウィルフレッド・ジャクソン、ラリー・モリー、パース・ピアース、ベン・シャープスティーン、ウィリアム・コトレル 声の出演:アドリアナ・カセロッティ、ハリー・ストックウェル、ルシル・ラ・ヴァーン

16位:『キングコング』 (1933年)RT評価:98%
監督:メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザック 出演:フェイ・レイ、ブルース・キャボット、ロバート・アームストロング

17位:『吸血鬼ノスフェラトゥ』 (1922年)RT評価:97%
監督:F・W・ムルナウ 出演:マックス・シュレック、グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム、アレクサンダー・グラナック

18位:『ロビンフッドの冒険』 (1938年)RT評価:100%
監督:マイケル・カーティス、ウィリアム・ケイリー 出演:エロール・フリン、イアン・ハンター、オリビア・デ・ハバランド

19位:『サンセット大通り』 (1950年)RT評価:98%
監督:ビリー・ワイルダー 出演:ウィリアム・ホールデン、グロリア・スワンソン、エリッヒ・V・シュトロハイム

20位:『反撥』 (1965年)RT評価:100%
監督:ロマン・ポランスキ 出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、イアン・ヘンドリー、ジョン・フレイザー

21位:『北北西に進路を取れ』(1959年)RT評価:99%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ケーリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メイソン

22位:『裏窓』 (1954年)RT評価:100%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ジェームズ・ステュアート、グレース・ケリー、ウェンデル・コーリイ

23位:『フランケンシュタインの花嫁』 (1935年)RT評価:100%
監督:ジェイムズ・ホエール 出演:ボリス・カーロフ、コリン・クライヴ、エルザ・ランチェスター

24位:『フィラデルフィア物語』 (1940年)RT評価:100%
監督:ジョージ・キューカー 出演:キャサリン・ヘプバーン、ケーリー・グラント、ジェームズ・スチュワート

25位:『黒い罠』 (1958年)RT評価:96%
監督:オーソン・ウェルズ 出演:チャールトン・ヘストン、ジャネット・リー、オーソン・ウェルズ

26位:『七人の侍』 (1954年)RT評価:100%
監督:黒澤明 出演:三船敏郎、志村喬、津島恵子ほか

27位:『西部戦線異状なし』 (1930年)RT評価:100%
監督:ルイス・マイルストン 出演:リュー・エアーズ、ルイス・ウォルハイム、ジョン・レイ

28位:『十二人の怒れる男』 (1957年)RT評価:100%
監督:シドニー・ルメット 出演:ヘンリー・フォンダ、マーティン・バルサム、リー・J・コッブ

29位:『めまい』 (1958年)RT評価:96%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ジェームズ・ステュアート、キム・ノヴァク、バーバラ・ベル・ゲデス

30位:『大人は判ってくれない』 (1959年)RT評価:100%
監督:フランソワ・トリュフォー 出演:ジャン=ピエール・レオ、アルベール・レミー、クレール・モーリエ

31位:『黄金』 (1948年)RT評価:100%
監督:ジョン・ヒューストン 出演:ハンフリー・ボガート、ウォルター・ヒューストン、ウォルター・ヒューストン

32位:『博士の異常な愛情』 (1964年)RT評価:99%
監督:スタンリー・キューブリック 出演:ピーター・セラーズ、ジョージ・C・スコット、スターリング・ヘイドン

33位:『レベッカ』 (1940年)RT評価:100%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演: ローレンス・オリヴィエ、ジョーン・フォンテイン、 ジョージ・サンダース

34位:『欲望という名の電車』 (1951年)RT評価:98%
監督:エリア・カザン 出演:ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド、 キム・ハンター

35位:『アラビアのロレンス』 (1962年)RT評価:98%
監督:デヴィッド・リーン 出演:ピーター・オトゥール、オマー・シャリフ、アレック・ギネス、アンソニー・クイン

36位:『ローズマリーの赤ちゃん』 (1968年)RT評価:99%
監督:ロマン・ポランスキー 出演:ミア・ファロー、ジョン・カサヴェテス、ルース・ゴードン

37位:『フランケンシュタイン』 (1931年)RT評価:100%
監督:ジェイムズ・ホエール 出演:コリン・クライヴ、メイ・クラーク、ジョン・ボリス

38位:『羅生門』 (1950年)RT評価:98%
監督:黒澤明 出演:三船敏郎、森雅之、京マチ子、志村喬

39位:『波止場』(1954年)RT評価:98%
監督:エリア・カザン 出演:マーロン・ブランド、カール・マルデン、リー・J・コッブ

40位:『怒りの葡萄』 (1940年)RT評価:100%
監督:ジョン・フォード 出演:ヘンリー・フォンダ、ジェーン・ダーウェル、ジョン・キャラダイン

41位:『三つ数えろ』 (1946年)RT評価:97%
監督:ハワード・ホークス 出演:ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール、ジョン・リッジリー

42位:『ローマの休日』 (1953年)RT評価:98%
監督:ウィリアム・ワイラー 出演:グレゴリー・ペック、オードリー・ヘップバーン、エディ・アルバート

43位:『ラスト・ショー』 (1971年)RT評価:100%
監督:ピーター・ボグダノヴィッチ 出演:ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、シビル・シェパード

44位:『バルカン超特急』 (1938年)RT評価:98%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:マーガレット・ロックウッド、マイケル・レッドグレイヴ、ポール・ルーカス

45位:『暴力脱獄』 (1967年)RT評価:100%
監督:スチュアート・ローゼンバーグ 出演:ポール・ニューマン、ポール・ニューマン、 ストローザー・マーティン

46位:『山猫』 (1963年)RT評価:100%
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演:バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ、ジュリアーノ・ジェンマ

47位:『戦艦ポチョムキン』 (1925年)RT評価:100%
監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン 出演:アレクサンドル・アントノフ、ウラジミール・バルスキー、G・アレクサンドロフ

48位:『捜索者』 (1956年)RT評価:100%
監督:ジョン・フォード 出演:ジョン・ウェイン、ジェフリー・ハンター、ナタリー・ウッド

49位:『チャイナタウン』 (1974年)RT評価:98%
監督:ロマン・ポランスキー 出演:ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイ、ジョン・ヒューストン

50位:『或る殺人』 (1959年)RT評価:100%
監督:オットー・プレミンジャー 出演:ジェームズ・ステュアート、リー・レミック、ベン・ギャザラ

51位:『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』 (1956年)RT評価:98%
監督:ドン・シーゲル 出演:ケヴィン・マッカーシー、ダナ・ウィンター、ラリー・ゲイツ

52位:『巴里のアメリカ人』 (1951年)RT評価:95%
監督:ヴィンセント・ミネリ 出演:ジーン・ケリー、レスリー・キャロン、オスカー・レヴァント

53位:『風と共に去りぬ』 (1939年)RT評価:92%
監督:ヴィクター・フレミング 出演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、トーマス・ミッチェル

54位:『黄金狂時代』 (1925年)RT評価:100%
監督:チャールズ・チャップリン 出演:チャールズ・チャップリン、マック・スウェイン、トム・マレイ

55位:『三十九夜』 (1935年)RT評価:96%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ロバート・ドーナット、マデリーン・キャロル、ルーシー・マンハイム

56位:『リオ・ブラボー』 (1959年)RT評価:100%
監督:ハワード・ホークス 出演:ジョン・ウェイン、ディーン・マーティン、リッキー・ネルソン

57位:『成功の甘き香り』 (1957年)RT評価:98%
監督:アレクサンダー・マッケンドリック 出演:バート・ランカスター、トニー・カーティス、スーザン・ハリソン

58位:『生きるべきか死ぬべきか』 (1942年)RT評価:98%
監督:エルンスト・ルビッチ 出演:キャロル・ロンバード、ジャック・ベニー、ロバート・スタック

59位:『赤い靴』 (1948年)RT評価:96%
監督:マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー 出演:モイラ・シアラー、アントン・ウォルブルック、マリウス・ゴーリング

60位:『メリー・ポピンズ』 (1964年)RT評価:100%
監督:ロバート・スティーヴンソン 出演:ジュリー・アンドリュース、ディック・ヴァン・ダイク、デヴィッド・トムリンソン

61位:『アフリカの女王』 (1951年)RT評価:98%
監督:ジョン・ヒューストン 出演:キャサリン・ヘプバーン、ハンフリー・ボガート

62位:『街の灯』 (1931年)RT評価:98%
監督:チャールズ・チャップリン 出演:チャールズ・チャップリン、ヴァージニア・チェリル、フローレンス・リー

63位:『2001年宇宙の旅』 (1968年)RT評価:93%
監督:スタンリー・キューブリック 出演:キア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド、ウィリアム・シルベスター

64位:『三十四丁目の奇蹟』 (1947年)RT評価:96%
監督:ジョージ・シートン 出演:モーリン・オハラ、ジョン・ペイン、エドマンド・グウェン、ナタリー・ウッド

65位:『ヒズ・ガール・フライデー』 (1940年)RT評価:98%
監督:ハワード・ホークス 出演:ケーリー・グラント、ロザリンド・ラッセル、ラルフ・ベラミー

66位:『素晴らしき哉、人生!』 (1946年)RT評価:93%
監督:フランク・キャプラ 出演:ジェームズ・ステュアート、メアリー・ハッチ、ライオネル・バリモア

67位:『フレンチ・コネクション』 (1971年)RT評価:98%
監督:ウィリアム・フリードキン 出演:ジーン・ハックマン、ロイ・シャイダー、フェルナンド・レイ

68位:『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』 (1968年)RT評価:97%
監督:ジョージ・A・ロメロ 出演:デュアン・ジョーンズ、ジュディス・オーディア、カール・ハードマン

69位:『裁かるるジャンヌ』 (1928年)RT評価:98%
監督:カール・テオドール・ドライヤー 出演:ルネ・ファルコネッティ、ウジェーヌ・シルヴァン、モーリス・シュッツ

70位:『地獄の逃避行』 (1973年)RT評価:98%
監督:テレンス・マリック 出演:マーティン・シーン、シシー・スペイセク、ウォーレン・オーツ

71位:『蜘蛛巣城』 (1957年)RT評価:98%
監督:黒澤明 出演:三船敏郎、志村喬、山田五十鈴ほか

72位:『紳士は金髪がお好き』 (1953年)RT評価:98%
監督:ハワード・ホークス 出演:ジェーン・ラッセル、マリリン・モンロー、チャールズ・コバーン

73位:『影なき狙撃者』 (1962年)RT評価:98%
監督:ジョン・フランケンハイマー 出演:フランク・シナトラ、ローレンス・ハーヴェイ、ジャネット・リー


74位:『フリークス』 (1932年)RT評価:94%
監督:トッド・ブラウニング 出演:ウォーレス・フォード、リーラ・ハイアムス、オルガ・バクラノヴァ

75位:『國民の創生』 (1915年)RT評価:98%
監督:D・W・グリフィス 出演:リリアン・ギッシュ、メエ・マーシュ、ヘンリー・B・ウォルソール

76位:『禁断の惑星』 (1956年)RT評価:98%
監督:フレッド・マクラウド・ウィルコックス 出演:ウォルター・ピジョン、アン・フランシス、レスリー・ニールセン

77位:『スパルタカス』 (1960年)RT評価:96%
監督:スタンリー・キューブリック 出演:カーク・ダグラス、ローレンス・オリヴィエ、ジーン・シモンズ

78位:『007 ゴールドフィンガー』 (1964年)RT評価:97%
監督:ガイ・ハミルトン 出演:ショーン・コネリー、ゲルト・フレーベ、オナー・ブラックマン

79位:『我等の生涯の最良の年』 (1946年)RT評価:96%
監督:ウィリアム・ワイラー 出演:マーナ・ロイ、フレドリック・マーチ、ダナ・アンドリュース

80位:『101匹わんちゃん』 (1961年)RT評価:98%
監督:ウォルフガング・ライザーマン、ハミルトン・ラスク、クライド・ジェロニミ 声の出演:ロッド・テイラー、J・パット・オマリー、ベティ・ルー・ガーソン

81位:『赤ちゃん教育』 (1938年)RT評価:95%
監督:ハワード・ホークス 出演:キャサリン・ヘプバーン、ケーリー・グラント

82位:『突撃』 (1957年)RT評価:95%
監督:スタンリー・キューブリック 出演:カーク・ダグラス、ラルフ・ミーカー、アドルフ・マンジュウ

83位:『お熱いのがお好き』 (1959年)RT評価:96%
監督:ビリー・ワイルダー 出演:マリリン・モンロー、ジャック・レモン、トニー・カーティス

84位:『我輩はカモである』 (1933年)RT評価:94%
監督:レオ・マッケリー 出演:グルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス

85位:『ファンタジア』 (1940年)RT評価:96%
監督:ベン・シャープスティーン 演奏:レオポルド・ストコフスキー指揮 フィラデルフィア管弦楽団

86位:『サンライズ』 (1927年)RT評価:98%
監督:F・W・ムルナウ 出演:ジョージ・オブライエン、ジャネット・ゲイナー、マーガレット・リビングストン

87位:『乱』 (1985年)RT評価:96%
監督:黒澤明 出演:仲代達矢、寺尾聰、隆大介、根津甚八

88位:『地球の静止する日』 (1951年)RT評価:94%
監督:ロバート・ワイズ 出演:マイケル・レニー、パトリシア・ニール、ヒュー・マーロウ

89位:『荒野の用心棒』 (1964年)RT評価:98%
監督:セルジオ・レオーネ 出演:クリント・イーストウッド、マリアンネ・コッホ、ジャン・マリア・ヴォロンテ

90位:『血を吸うカメラ』(1960年)RT評価:96%
監督:マイケル・パウエル 出演:カールハインツ・ベーム、アンナ・マッシー、モイラ・シアラー

91位:『理由なき反抗』(1955年)RT評価:96%
監督:ニコラス・レイ 出演:ジェームズ・ディーン、ナタリー・ウッド、サル・ミネオ、デニス・ホッパー

92位:『アパートの鍵貸します』(1960年)RT評価:94%
監督:ビリー・ワイルダー 出演:ジャック・レモン、シャーリー・マクレーン、フレッド・マクマレイ

93位:『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(2001年)RT評価:95%
監督:ピーター・ジャクソン 出演:イライジャ・ウッド、イアン・マッケラン、ヴィゴ・モーテンセン

94位:『鳥』(1963年)RT評価:96%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ロッド・テイラー、ティッピ・ヘドレン、ジェシカ・タンディ、スザンヌ・プレシェット

95位:『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)RT評価:98%
監督:ジャック・ドゥミ 出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・ドルレアック、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリス

96位:『カッコーの巣の上で』(1975年)RT評価:94%
監督:ミロス・フォアマン 出演:ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、ブラッド・ドゥーリフ

97位:『007 ドクター・ノオ』(1962年)RT評価:96%
監督:テレンス・ヤング 出演:ショーン・コネリー、ウルスラ・アンドレス、ジョセフ・ワイズマン

98位:『戦場にかける橋』(1957年)RT評価:94%
監督:デヴィッド・リーン 出演:ウィリアム・ホールデン、アレック・ギネス、早川雪洲

99位:『007 ロシアより愛をこめて』(1963年)RT評価:96%
監督:テレンス・ヤング 出演:ショーン・コネリー、ダニエラ・ビアンキ、ロッテ・レーニャ

100位:『ミーン・ストリート』 (1973年)RT評価:96%
監督:マーティン・スコセッシ 出演:ロバート・デ・ニーロ、ハーヴェイ・カイテル、デヴィッド・キャラダイン


ということなのですが、ちょっと整理しますね。

とりあえず複数本アップされている監督から見ていくと、なんといってもダントツは、ヒッチコックの8作品です、12位に「サイコ」、21位「北北西に進路を取れ」、22位「裏窓」、29位「めまい」、33位「レベッカ」、44位「バルカン超特急」、54位「三十九夜」、94位「鳥」とアップされています。

順位はともかく、このラインアップを見ていると、なんだか物足りない気持ちになってきました。だって「汚名」も「疑惑の影」も「見知らぬ乗客」も「私は告白する」も「海外特派員」も欠けているじゃないですか。

「サイコ」「裏窓」「めまい」は、まあ残すとしても、あとの作品は、「汚名」「疑惑の影」「見知らぬ乗客」「私は告白する」と差し替えたほうがいいような気がします。

1934年から撮られた伝説の4作品にそれほどごだわらなくともいいのではないかと。

つぎは、ハワード・ホークス作品が5本あげられています。41位「三つ数えろ」、56位「リオ・ブラボー」、65位「ヒズ・ガール・フライデー」、72位「紳士は金髪がお好き」、81位「赤ちゃん教育」ですね。

ここだけの話ですが、自分は中学生になるまで、「赤い河」と「リオ・ブラボー」は、ジョン・フォード作品だとずっと思い込んで見ていたのですが、だんだんその違いが分かるにつれて、ジョン・フォード作品の抒情性と深い郷愁とを理解しはじめたとともに、職人ハワード・ホークスの男っぽくてセクシーな作品がたまらなく好きになりました。

ホークスが育て女優たち、キャロル・ロンバート、リタ・ヘイワーズ(「ショーシャンクの空に」では思わず笑ってしまいました)、バージニア・メイヨ、ジョーン・コリンズ、そしてマリリン・モンロー、そういえば、ビリー・ワイルダーの演出するモンローよりも、ハワード・ホークスの作り出すモンロー像の方がはるかにピュアなお色気と可愛らしさが際立っていたように感じました。しかし、やはり「暗黒街の顔役」と「ハタリ!」が欠けているとなるとハワード・ホークスを語り切ることはできないように思います。

つづいて黒澤明の4本、26位「七人の侍」、38位「羅生門」、71位「蜘蛛巣城」、87位「乱」ですね。ほかの巨匠がほぼ2本ずつですので、黒澤作品が4本も入ればそれで十分ですが、「七人の侍」が26位とは、ずいぶん見くびられたものだと思います。

念のために、もう一度、1位~25位にランクされた作品をおさらいしときますと・・・

1位:『オズの魔法使』(1939年)
2位:『市民ケーン』(1941年)
3位:『第三の男』(1949年)
4位:『カリガリ博士』(1920年)
5位:『メトロポリス』(1927年)
6位:『イヴの総て』(1950年)
7位:『或る夜の出来事』(1934年)
8位:『モダン・タイムス』(1936年)
9位:『カサブランカ』(1942年)
10位:『大いなる幻影』 (1937年)
11位:『雨に唄えば』 (1952年)
12位:『サイコ』 (1960年)
13位:『ローラ殺人事件』 (1944年)
14位:『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』 (1964年)
15位:『白雪姫』 (1937年)
16位:『キングコング』 (1933年)
17位:『吸血鬼ノスフェラトゥ』 (1922年)
18位:『ロビンフッドの冒険』 (1938年)
19位:『サンセット大通り』 (1950年)
20位:『反撥』 (1965年)
21位:『北北西に進路を取れ』(1959年)
22位:『裏窓』 (1954年)
23位:『フランケンシュタインの花嫁』 (1935年)
24位:『フィラデルフィア物語』 (1940年)
25位:『黒い罠』 (1958年)

となるのですが、果たしてこれらの作品のいったいどれが、「七人の侍」を上回る作品といえるでしょうか、考えてみなくとも、おのずから答えは明らかです。

こんなヘタレなランキングなど相手にするのも片腹痛いわ、バカヤロー(いま、ちゃぶ台をひっくり返したところです)

なわけなのですから、もうこれ以上なにをかいわんやです、小津監督作品の不在など怒る気にもなれません。もう一回、国際連盟脱退!

とはいっても、まあ、ついでなので、残りの分だけでも表示しておきますね。せっかく調べたので・・・

スタンリーキューブリックの4本、32位「博士の異常な愛情」、63位「2001年宇宙の旅」、77位「スパルタカス」、82位「突撃」
ビリー・ワイルダーの3本、19位「サンセット大通り」、83位「お熱いのがお好き」、92位「アパートの鍵貸します」
ヴィクター・フレミングが、1位「オズの魔法使」、53位「風と共に去りぬ」
ウィリアム・ワイラーは、42位「ローマの休日」、79位「我等の生涯の最良の年」
エリア・カザンの34位「欲望という名の電車」、39位「波止場」
オーソン・ウェルズの2位「市民ケーン」、25位「黒い罠」
オットー・プレミンジャーの13位「ローラ殺人事件」、50位「或る殺人」
ジェイムズ・ホエールの23位「フランケンシュタインの花嫁」、37位「フランケンシュタイン」
ジョン・ヒューストンの31位「黄金」、61位「アフリカの女王」
ジョンフォードの40位「怒りの葡萄」、48位「捜索者」
チャールズ・チャップリンの54位「黄金狂時代」、62位「街の灯」
デヴィッド・リーンの35位「アラビアのロレンス」、98位「戦場にかける橋」
テレンス・ヤングの97位「007 ドクター・ノオ」99位「007 ロシアより愛をこめて」
フランク・キャプラの7位「或る夜の出来事」、66位「素晴らしき哉、人生!」
マイケル・カーティスの9位「カサブランカ」、18位「ロビンフッドの冒険」
マイケル・パウエルの59位「赤い靴」、90位「血を吸うカメラ」
F・W・ムルナウの17位「吸血鬼ノスフェラトゥ」、86位「サンライズ」
ロマン・ポランスキーの20位「反撥」、36位「ローズマリーの赤ちゃん」、49位「チャイナタウン」



by sentence2307 | 2019-03-01 20:50 | 映画 | Comments(0)
全米撮影監督協会(ASC)は100周年を記念して、20世紀において優れた撮影を誇る映画作品100本を発表した。
トップ10以下は順位づけされていない。


ASC Unveils List of 100 Milestone Films in Cinematography of the 20th Century

1.アラビアのロレンス(1962・撮影フレディ・ヤング)
2.ブレードランナー(1982・撮影ジョーダン・クローネンウェス)
3.地獄の黙示録(1979・撮影ヴィットリオ・ストラーロ)
4.市民ケーン(1941・撮影グレッグ・トーランド)
5.ゴッドファーザー(1972・撮影ゴードン・ウィリス)
6.レイジング・ブル(1980・撮影マイケル・チャップマン)
7.暗殺の森(1970・撮影ヴィットリオ・ストラーロ)
8.天国の日々(1978撮影ネストール・アルメンドロス)
9.2001年宇宙の旅(1968・撮影ジェフリー・アンスワース/ジョン・オルコット)
10.フレンチ・コネクション(1971・撮影オーウェン・ロイズマン)


Titles 11–100 (in order of release):

メトロポリス(1926・撮影カール・フロイント)
ナポレオン(1927・撮影レオン・アンリ・ブュレル、ジュール・クルージェほか)
サンライズ(1927・撮影チャールス・ロシャー)
風と共に去りぬ(1939・撮影アーネスト・ホラー)
オズの魔法使い(1939・撮影ハロルド・ロッソン)
怒りの葡萄(1940・撮影グレッグ・トーランド)
我が谷は緑なりき(1941・撮影アーサー・C・ミラー)
カサブランカ(1942・撮影アーサー・エディスン)
偉大なアンバースン(1942・撮影スタンレイ・コルテズ)
黒水仙(1947・撮影ジャック・カーディフ)
自転車泥棒(1948・撮影カルロ・モンテゥオーリ)
赤い靴(1948・撮影ジャック・カーディフ)
第三の男(1949・撮影ロバート・クラスカー)
羅生門(1950・撮影・宮川一夫)
サンセット大通り(1950・撮影ジョン・サイツ)
波止場(1954・撮影・ボリス・カウフマン)
七人の侍(1954・撮影・中井朝一)
狩人の夜(1955・撮影スタンリー・コルテス)
捜索者(1956・撮影ウイントン・C・ホック)
戦場にかける橋(1957・撮影ジャック・ヒルドヤード)
黒い罠(1958・撮影ラッセル・メティ)
めまい(1958・撮影ロバート・バークス)
北北西に進路をとれ(1959・撮影ロバート・バークス)
勝手にしやがれ(1960・撮影ラウール・クタール)
去年マリエンバードで(1960・撮影サッシャ・ヴィエルニー)
8 ½(1963・撮影ジャンニ・ディ・ヴェナンツィオ)
ハッド(1963・撮影ジェームズ・ウォン・ハウ)
博士の異常な愛情(1964・撮影ギルバート・テイラー)
怒りのキューバ(1964・撮影セルゲイ・ウルセフスキー)
ドクトルジバゴ(1965・撮影フレディ・A・ヤング)
アルジェの戦い(1966・撮影マルチェロ・ガッティ)
バージニアウルフなんて怖くない(1966・撮影ハスケル・ウエクスラー)
暴力脱獄(1967・撮影コンラッド・ホール)
卒業(1967・撮影ロバート・サーティーズ)
冷血(1967・撮影コンラッド・ホール)
ウエスタン(1968・撮影トニーノ・デリ・コリ)
明日に向かって撃て!(1969・撮影コンラッド・ホール)
ワイルドバンチ(1969・撮影ルシアン・バラード)
時計仕掛けのオレンジ(1971・撮影ジョン・オルコット)
コールガール(1971・撮影ゴードン・ウィリス)
ラスト・ショー(1971・撮影ロバート・サーティーズ)
ギャンブラー(1971・撮影ヴィルモス・ジグモンド)
キャバレー(1972・撮影ジェフリー・アンスワース)
ラストタンゴ・イン・パリ(1972・撮影ヴットリオ・ストラーロ)
エクソシスト(1973・撮影オーエン・ロイズマン)
チャイナタウン(1974・撮影ジョン・アロンゾ)
ゴッドファーザーPart II(1974・撮影ゴードン・ウィリス)
バリーリンドン(1975・撮影ジョン・オルコット)
カッコーの巣の上で(1975・撮影ハスケル・ウエクスラー)
大統領の陰謀(1976・撮影ゴードン・ウィリス)
タクシードライバー(1976・撮影マイケル・チャップマン)
未知との遭遇(1977・撮影ヴィルモス・ジグモンド)
デュエリスト/決闘者(1977・撮影フランク・タイディ)
ディアハンター(1978・撮影ヴィルモス・ジグモンド)
エイリアン(1979・撮影デレク・ヴァンリット)
オール・ザット・ジャズ(1979・撮影ジョゼッペ・ロトゥンノ)
チャンス(1979・撮影キャベル・デシャネル)
ワイルド・ブラック/少年の黒い馬(1979・撮影キャベル・デシャネル)
マンハッタン(1979・撮影ゴードン・ウィリス)
シャイニング(1980・撮影ジョン・オルコット)
炎のランナー(1981・撮影デヴィット・ワトキン)
U・ボート(1981・撮影ヨリス・バカーノ)
レッズ(1981・撮影ヴットリオ・ストラーロ)
ファニーとアレクサンダー(1982・撮影スヴェン・ニクヴィスト)
ライトスタッフ(1983・撮影キャベル・デシャネル)
アマデウス(1984・撮影ミロスラフ・オンドリチェク)
ナチュラル(1984・撮影キャベル・デシャネル)
パリ、テキサス(1984・撮影ロビー・ミューラー)
未来世紀ブラジル(1985・撮影ロジャー・プラット)
ミッション(1986・撮影クリス・メンゲス)
太陽の帝国(1987・撮影アレン・ダビュー)
ラストエンペラー(1987・撮影ヴットリオ・ストラーロ)
ベルリン・天使の詩(1987・撮影アンリ・アルカン)
ミシシッピーバーニング(1988・撮影ピーター・ビジウ)
JFK(1991・撮影ロバート・リチャードソン)
紅夢(1991・撮影チャオ・フェイ)
許されざる者(1992・撮影ジャック・グリーン)
バラカ(1992・撮影ロン・フリック)
シンドラーのリスト(1993・撮影ヤヌス・カミンスキー)
ボビー・フィッシャーを探して(1993・撮影コンラッド・ホール)
トリコロール/青の愛(1993・撮影スラヴォミール・イジャック)
ショーシャンクの空に(1994・撮影ロジャー・ディーキンズ)
セブン(1995・撮影ダリウス・コンジ)
イングリッシユ・ペイシェント(1996・撮影ジョン・シール)
L. A.コンフィデンシャル(1997・撮影ダンテ・スピノッティ)
プライベート・ライアン(1998・撮影ヤヌス・カミンスキー)
シン・レッド・ライン(1998・撮影ジョン・トール)
アメリカンビューティ(1999・撮影コンラッド・ホール)
マトリックス(1999・撮影ビル・ポープ)
花様年華(2000・撮影クリストファー・ドイル)



by sentence2307 | 2019-01-14 14:36 | 映画 | Comments(0)

人はなんで生きるか

自分は、子どものころに、「ちょっと、おかしな子」と言われていました、どこがどうおかしいのかは、もちろん自分では分かりませんし、大人になったいまでは、お陰様で世間知に長けたごくフツーの常識人として人並な成長をとげ平穏な生活もできていますので、たぶん、あれは、誰もが子ども時代に持ったであろう一般的な特徴としての「おかしさ」の範囲内のものにすぎなかったのだなと思います。

しかし、「おかしな子」と言われていた当時でも、本人としては、これと思い当たることもありませんし、当然、その自覚もありませんでした。

しかし、あるとき、テレビを見ていたら、なにやらの専門家とかいう大学教授の先生が出てきて、この「おかしな子」の特徴として、特定な分野や事象に対して「異常なこだわり」を持つことがあげられ、それが芸術分野だったなら、偉大な芸術家となる素地になるというようなことを話していました。

なるほど、映画「gifted/ギフテッド」2017じゃありませんが、天才数学者だとか、天才物理学者だとかは、もしかするとギリこれだなと、だいたい、ああいう賢さはどこか異常なものがなければ在り得ないことだよな、などと妙に納得しながら、そのテレビを見ていました。

つまり、そのときはまだ、自分とはなんの関係もない、まったくの他人事として聞いていたわけですが、自分は少し前のブログで、黒澤明監督の「デルス・ウザーラ」について、黒澤監督らしからぬ作品であると非難を込めて書いたことがあります。黒澤監督の作品として「あれはないだろう」という感じです。

実は、そのことがずっと気になっていました、いえいえ、非難しすぎて後悔しているとか、疚しいとか罪悪感ということではありません、むしろ、当初これだけは言ってしまおうと考え用意していたものを、書き進む勢いに酔っているうちに、肝心な「これ」の部分をすっかり失念して、コラムを完結させてしまった、その「言い足りなさ」がいまでも気持ちのどこかに引っかかっていて、モヤモヤがずっと晴れなかったのです。

口論をしているうちに、次第に激してしまい、当初考えていた「これだけはどうしても言わなければ」と用意していた重要で決定的なキモの部分を失念し提示できなかったという不完全燃焼のモヤモヤ感です。

そんなふうにウダウダ考えているときに、テレビのあの「おかしな子の異常なこだわり」の解説に遭遇し、そして、かつて自分が「おかしな子」といわれていたことも同時に思い出しました。

しかし、いま自分が囚われているウダウダのこだわりが、もし「それ」なら、それはそれで仕方ないじゃないか、むしろそういうのは優れた資質ではないかという気分になり、なんだかだんだん安らかな気持ちになっていくのが実感できました。「こだわり? あった方がいいでしよう、そりゃあ」という感じでしょうか。

なので、あのとき、失念してしまって「言い足りなかった」ものをストレス解消の意味を込めて書いてみますね。

あのとき、自分は、ロシア文学には、黒澤監督が映画化するのにもっとふさわしい土俗的・土民的な粗野で野蛮で残忍な題材が山ほどあることを具体例(ドイツや満州での暴虐もそのひとつでした)をあげて証明するつもりでした。

横暴な地主は農奴を徹底的に酷使し、彼らが命令に従わなければ足腰が立たなくなるまで殴りつけ、駈りあげ、皮膚が破れ、血が噴き出し、肉が裂けて、骨が見えるまで鞭打ちます。もとより同じ人間などとはハナから考えておらず、2本足で歩く薄汚いただの家畜としか思っていない地主は、強情な家畜のなまけ癖は骨身にしみてぶちのめして分からせなければ示しがつかないと、死ぬほど打擲します、そのためにたとえ死んでも、こんな食い詰めた農奴など代わりならそこらに幾らでもいると嘯きます。

農奴は農奴で、ただ従順に鞭打たれているわけではなく、ひそかに寄り集まっては、自分たちが殺されるよりも先に、横暴で残忍な地主をなぶり殺すことばかりを憎悪と憤怒のなかで謀議しています。

これじゃあ、そのうち革命だって起こるわな、という感じです。

それにこの憎悪の深さは、革命後の反革命勢力にたいする執拗で残忍な徹底弾圧を納得させるものがあるかもしれません、そんな例ならソヴィエトでも中国でもゴマンとあります。

自分が、ロシア文学のなかでこれらの残忍な描写を具体的に意識しだしたのは、実はトルストイ後期の民話集「人はなんで生きるか」(岩波文庫)でした。

トルストイの後期というのは、その特徴として、宗教性・道徳性・社会教化性が顕著になり、宗教家・道徳家の側面が高まり強調されていく時期です、とくにその時期に書かれた「人はなんで生きるか」は、虐げられている下層社会であえぐ民衆の、その救いを描いた作品として夙に知られています。

しかし、その高貴な宗教性にもかかわらず、小説においては、結局最後には否定され、救済されはするものの、核になるその悲惨で無残な「エピソード」というのが、実にリアリティがあるのです。

どういうことかというと、「バカまぬけオタンチン、お前の母さんデベソ、デブ、ブス、インポ、つるっぱげのゲジゲジ野郎」と罵ったあとで、「というのは全部うそ」と否定して澄ましているようもので、つまり、最後には全否定するものの、「全部、言っちゃったじゃん!!」という感じを持ったのです、あとで否定するからといって、そこまで言っちゃっていいのか、という感じです。

とにかく、その「悲惨すぎてむごたらしい」箇所に付箋を付けまくりました。

その前にコラムを書くときに自分がよくやることなのですが、amazonで一般的な「感想文=世評」というのを幾つかチラ見してみることにしています。いわば書く前の「世評」のカンニングというやつですね。

つまり、「世評」に従って添い寝するなり、受けねらいで意表をつくなり、無視するなりと、そこはいろいろ作戦というものがありますから。

ひととおり読んでみて、はは~ん、という気持ちになりました。

やっぱ公式的な「神の愛」とか「隣人愛」とか「心を洗うような作品」ですかね。

こうして大方の感想を読んでみて、なんか予想したままなので、いささか失望してしまいました。

Aと書かれていたら、そのままAとしか読むことも理解することもできないとしたら、そういう人は読書の面白さなんて永遠に味わえないと思いますよ、きっとね。

そりゃあ、「愛」は「愛」でいいですよ、よく分かりましたから。

しかし、トルストイの説く神の愛が、結局は貴族で地主の上から目線の角度で説かれている限界と「姿勢」とを、うまい具合にシンクロさせているだけということも見逃すわけにはいきません、偽善者とまでは言いませんが、農奴の扮装で仮装してひとり悦にいっている貴族地主の変態野郎という思いからどうしても自由になれません、少なくとも本当の農奴ではなかったわけですから。

「人はなんで生きるか」に収録されている作品は5作品、その中で地主・管理人と農奴の確執を描いた「ろうそく」という小説を紹介しますね。

まず、地主に管理人として雇われた男の描写

≪地主がほかの領地で使っていた屋敷つき農奴を抜擢して、その土地の管理人になおした。・・・金もだいぶこしらえていたので、罪なことをしないでも暮らしに心配はなかったのであるが、人を羨む心の強い男だったので、いつでも罪からはなれることが出来なかった。手はじめに、彼はまず百姓たちを、きまりの日数以上の賦役労働に追い立てはじめた。煉瓦工場をはじめて、男女の百姓を酷使し、作った煉瓦を売りに出した。百姓たちは、モスクワにいる地主のところに嘆願に出かけたが、それはなんにもならなかった。地主は百姓たちをただ追い返して、管理人の頭を抑えようとはしなかった。管理人は、百姓たちが嘆願に行ったことを知ると、それを根にもって彼らに仕返しをはじめた。百姓たちの生活はますます悪くなった。百姓たちのなかにも不信なものが出てきて、管理人に自分の仲間を密告したり、互いに告げ口をしたりしはじめた。それで、百姓たちはみんな混乱するし、管理人はいっそう我意をふるうようになった。
こうして進んでいくうちに、管理人はついに人々から、まるで、狂暴な野獣かなんぞのように恐れはばかられるようになった。彼が馬で村を通ると、百姓たちはみな、まるで狼でも来たように彼を避けて、彼に見られないように、ところきらわずどこへでも隠れるのだった。管理人はそれに気がつくと、みんながそんなに自分を恐れることに対して、いっそうひどく腹を立てた。そして打擲と仕事とで、いよいよますます百姓たちを苦しめたので、この男のために百姓たちは、日増しに多くの苦しみを受けなければならなかった。≫

そして、

≪世には、こうした悪者をそっと殺してしまったことがよくあった。そして、この百姓たちのあいだでも、よりよりこんな話が出るようになった。どこかわきのほうでこっそり寄り合うと、その中の血気な者がこう言いだす。「わしらはいつまであの悪党を我慢しなきゃなんねえだ。どうせ破れかぶれじゃねえか。あんな奴はいくらぶち殺したって罪にもなんにもなるもんじゃねえ」
一度、百姓たちが、復活祭の前に森へ集まったことがあった。管理人から主人の森の下生えを刈るように言いつけられたので、昼弁当に集まった時に彼らは相談をはじめた。
「こんなことでわしらはどうして生きていけよう? あいつはわしらの骨までしゃぶっちまうだろう。仕事ばかりむやみに押しつけくさって、昼も夜も、おれたちだって女どもだって、ちっとも休む暇なんてありゃしねえ。ちょっとでもあいつの言い分にさからったが最後、難癖つけてぶちのめしゃがる。セミョーンはあいつにぶん殴られたおかげで死んだし、アニーシムは手枷足枷でへとへとにされちまった。このうえわしらに何を待つことがあるだ。今日だって、夕方ここへやってきて、またひでえことをやりだしたら、かまうこたあねえ、奴を馬から引きずりおろして、斧でたたき切っちまや、それで事はおしまい。そして犬のようにどこかへ埋めて、証拠を水に流してしまうまでのこんだ。ただ申し合わせが大切だ。みんなが心をひとつに合わせて、裏切りなんかしちゃならねえ」≫


激烈な言葉群を一字ずつタイプしているうちに、これって「七人の侍」の利吉のセリフではないかと錯覚してしまうほどでした。

この小説群が書かれたのは1885年ですが、やがて1910年に家庭不和からトルストイが家出を決行して地方の小駅で、野垂れ死に同然で死亡します。

しかし、トルストイの描き夢見た階級融和も神の奇跡も一向に示されることなく、階級対立はますます悪化し、激化し、深刻化して、死の数年後には、ついに同じ民族が凄惨に殺し合うロシア革命が勃発しました。

これらの小説に書かれている「隣人愛」や「神の愛」を多くの善良な読者と同じように額面通り受け取っていいものかどうか、かすかな戸惑いを感じているところです。


by sentence2307 | 2019-01-05 17:28 | 映画 | Comments(0)

樺太脱獄記

書評は、新聞各社にとって看板記事、いわば、その新聞の「顔」ともいい得るものなのではないかと思います。

読売新聞日曜版の朝刊にも、毎週「書評」の特集が掲載されていて、いつの間にかそれを読むのが日曜日の朝の自分の楽しみのひとつになっています、いわば欠かせない日曜日のルーティンと言っても過言ではありません。

でも、つねにのんびりと新聞を読んでいられるようなときばかりではないので、朝から多忙でワサワサしているようなときもあります、そんな忙しさに取り紛れて、新聞などあとでゆっくり読めばいいかと後回しにしたりすると、そのことがいつまでも気に掛かって、気分的になんだか落ち着きません。

というか、言い方としては、ちょっと奇異に聞こえるかもしれませんが、「気持ちが悪い」という感じが、いちばん近いような気がします。

最近でも、大いにインスパイアされた書評があったので、その記事を読み直しながら要所に線を引いていたら、全体のほぼ五分の四を傍線で埋め尽くしてしまいました。

こういうすぐれた書評を、以前なら切り抜いてノートに貼り込んだり保存箱に仕舞っていたりしたのですが、結局、仕舞いっぱなしで、そのまま読み返すこともなくゴミになってしまうことが多いので、それは止めて、そういう記事に出会ったら、即「文字化」することに決めました。

つまり、そのとき受けた感興を、自分の文章にして「消化」してしまうことにしたのです。

そして、それが無理なく実行できるいちばん相応しい場所が、このブログに書き込んでしまうことだと思いつきました。

思い立ったが吉日ということで、最近気になった書評からさっそく実行しようと思います。

書評に紹介されている書籍の書名は、「ヒトラーのモデルはアメリカだった」(みすず書房)という本で、著者は、ジェイムズ・Q・ウィットマン(米国、イェール・ロー・スクール教授)、そしてこの書評の執筆者は藤原辰史准教授(京大)です。

こんな感じです。

≪本書は、こうしたナチスの暴力の根拠となった人種主義のアイディアの最大の源泉がアメリカであると主張する。私たちがいまなお政治、経済、軍事的に強く依存し、その文化を存分に味わっている、好感度の高い国である。ヒトラーは、「数百万人ものインディアンを銃で撃ち殺して数十万人まで減らした」としてアメリカへの賛美を惜しまなかった。ナチスは、人種法を制定するにあたって、アメリカの移民法や異人種間の結婚に重罰を与える法律、黒人の選挙権の制限、移動の自由の制限、職業の選択を制限する制度を学び、それを人種法構築に応用したのだった。

ナチスの著述家たちはアメリカを「移民立法を通じてその血をよみがえらせようとしている」と褒めたり、「自身の至上性を維持」しそれを未来永劫確保するために「外国人種分子の流入を防ぐ」ことに共感を示したりする。アメリカの白人至上主義がなければ、ナチスはこれほどまでにエスカレートしなかったかもしれない、と思ってしまうほどだ。

本書の分析のなかで重要なのは、こうした民主主義国家と独裁国家の法的な親和性だけではない。アメリカとナチスを支える社会心理的基盤の共通性を分析していることだ。階級意識の強いヨーロッパと異なり、「最下層の者でも才能さえあれば」上り詰めることができるアメリカン・ドリームは「白人の平等主義」と表裏一体だったが、実はヒトラーもまたアーリア人であれば貧困から救出することを約束した。民主主義とナチズムの相違点と類似点。現代史の核心を衝く論点である。≫

なるほど、なるほど。

アメリカの白人至上主義と人種差別が、ナチズムの思想的基盤を形作り支えていたとは、実に驚くべき明晰な分析じゃないですか。感心しました。いやいや、これだけの傑出した書評を読めば、もう一冊の本を読了したのとナンラ変わりません。いやいや、たとえ一冊の本を読んだとしても、自分がこれだけ簡潔に理解できるかどうか、どう考えても無理な話です。

とまあ、こんな感じで書評をアレコレいじりまわして楽しんでいるわけですが、本当のところをいえば、そりゃあ新聞に掲載されている書評ですから、いまこの瞬間に世界で起こっている問題を取り上げている最新刊の書籍の紹介や書評もそれなりに貴重で魅力的なのですが、自分としてはむしろ、ある程度時間が経過して評価が定着している明治から昭和初期にかけての名作小説の記事とか、かつての文豪たちの紹介など幾分古びた話題の方がどちらかというと好ましいので、そちらの方の記事を積極的に読んでいます。

思えば、「映画」についても、そういうことが言えるかもしれませんよね。

wowowなどで2016年~2018年あたりの最新作ばかりを毎日毎日追いかけて見ていると、なんだか目まぐるしくって、それなりの「感動」というものは、もちろんあるのですが、そのうちになんだか気持ち的にパサパサに乾いてしまうような飢餓感みたいな強迫観念を抱いてしまい、その切迫感に追い立てられるのに耐えられず、そんなときは少し古い時代の名作映画を見て癒されるというか、充電して気分を一新させています。

例えば、つい最近も、久しぶりに清水宏監督の「信子」1940(神保町シアターで「清水宏と小津安二郎」の特集上映をしていますよね)を見て、「当時にあって、現在にないもの」を実感しました、こういう気分はささくれだった最近の映画からは決して得られるものではありません。

地方出身の若い女性教師(高峰三枝子)が、その方言を都会の洗練された生意気な女生徒(三浦光子)から嘲笑され、いびられて、その悔しさのあまり泣き崩れるのですが、それが意外にも見た目ほどのダメージではないらしく、むしろ継母に心を開けないまま荒んでしまった女生徒の孤独を理解してあげて逆に改心させてしまうという、現在から見るとなんとも無防備で超楽天的な不思議な映画でした(獅子文六の原作で、漱石の「坊ちゃん」の逆バージョンらしいことは分かるのですが、なにせ設定に無理があってホコロビが見えてしまい苦笑するような場面もあちこちにあります)、いまならもっと陰湿で深刻な感情問題とか人権問題が絡んできて、とてもじゃありませんが、こういう軽い結末には到底なりようがないと思う反面、現代のすっかり歪みきってしまった人間関係というものを逆に痛感した次第です。

たぶん、そう感じてしまうのも、自分の考え方とか価値観が、いまの時代の「それ」と少しずつズレ始めているからだと思いますけれども、だからなおさら「信子」みたいな、清水宏監督作品の安心できる映画が必要なのだなと自分的には考えています。

いまさら映画に社会悪をえぐったり、深刻な怒りで絶叫したりするような内容を求めようとも思っていませんし。なんだか最近、小津監督の晩年の境地に近づいているんじゃないかと我ながら思うこともあります。

しかし、このプログラムの冒頭によりにもよって清水監督の最高傑作とはいいがたい「信子」持ってきた神保町シアターの姿勢にはある意味感心するものがありました。

だって、プログラムの最初を飾る作品なのですから、ここは一発ガツンと「有りがたうさん」とか「風の中の子供」とか「按摩と女」とか「みかへりの搭」とか「簪」とか「女医の記録」とかを持ってくるのが普通じゃないですか。それをよりにもよって、フィルム状態だって万全とはいいがたい「信子」を持ってくるなんて、意外性を突いた見上げた見識だと思いました。

ちょっと寄り道をしてしまいました、例の書評の話に戻りますね。

先月末、脇に退けて置いた例の「読めないまま、後回しにした書評欄」というのが、ずっと気に掛かっていたのを遂に引っ張り出して読みはじめました。

なぜ、その新聞を忘れずに覚えていたかというと、≪「夏目漱石と森鴎外」のどちらが好みか≫という見出しがとても気になっていたからです、あとで是非とも読まなければなと思ったからでした。

自分は、漱石も好きですし、鴎外のものも「文学全集」などに掲載されている作品くらいなら、ひととおり読んでいるつもりです。

ということで、楽しみにその記事を読み始めたのですが、その内容というのが、どの図書目録にも掲載されているような、なんとも新鮮味のない代表作の羅列に過ぎないので、少しがっかりしてしまいました。

舞姫、文づかひ、山椒大夫、高瀬舟、最後の一句、寒山拾得、雁、阿部一族

なるほど、なるほど、こうしてラインアップすると、鴎外の作品というのは、ずいぶんと生真面目で堅苦しい小説ばかりなんだなあと、いまさらながら思います。

映画化された作品「山椒大夫」「雁」「阿部一族」は、なんといっても巨匠たちの名作映画ばかりなので、映画の方は繰り返し見ていますが、しかし小説自体は、たぶんその重厚な堅苦しさもあって自分も二度まで読んだ小説は、たぶんないと思います。

しかし、ただ、それだけなら、「夏目漱石と森鴎外」という見出しから、それがどういう内容の記事かとか、あるいはどういう作品が取り上げられているかなど、わざわざ確認する気にもならなかっただろうと思います。

実は、自分は、むかしから鴎外の翻訳ものをとても面白く読んでいて、いまでも折に触れて読んでいるという意味では、愛読書と言ってもいいかもしれません。

手元にある岩波書店刊「鴎外選集」でいえば、第14巻、第15巻の「諸国物語」というのがそれに該当します。

「えっ!! そりゃあダメだわ、翻訳なんか、いわば他人の作品の紹介にすぎないわけでしょう。そういうのはオリジナルとはいわないから。だめだ、だめだめ」

まあ、そりゃあそうかもしれませんが、鴎外が、欧米のもろもろの社会情勢や文学事情を紹介した「椋鳥通信」として書き続けた仕事は、まだまだ海外の事情に疎かった日本の民衆や作家たちに与えた影響は計り知れないものがあって(芥川龍之介なんかにね)、それは同時に、当時の欧米の世紀末的な文学状況を紹介し、日本の社会に多大な影響を与えたことを考えれば、この貴重な仕事の考慮と評価を欠くとすれば、森鴎外という作家の位置と役割と見損なうことにはならないかと危惧しているくらいです。

ちょっと、その内容というのを紹介しますね。


「鴎外選集 第14巻 諸国物語・上」(岩波書店)
尼(グスタアフ・ヰイド)
薔薇(グスタアフ・ヰイド)
クサンチス(アルベエル・サマン)
橋の下(フレデリツク・ブテエ)
田舎(マルセル・プレヲオ)
復讐(アンリ・ド・レニエエ)
不可説(アンリ・ド・レニエエ)
猿(ジユウル・クラルテエ)
一疋の犬が二疋になる話(マルセル・ベルジエエ)
聖ニコラウスの夜(カミイユ・ルモンニエエ)
防火栓(ゲオルヒ・ヒルシユフエルド)
己の葬(ハンス・ハインツ・エヱルス)
刺絡(カルル・ハンス・ストロオブル)
アンドレアス・タアマイエルが遺書(アルツウル・シュニツツレル)
正体(カルル・フオルミヨルレル)
祭日(ライネル・マリア・リルケ)
老人(ライネル・マリア・リルケ)
駆落(ライネル・マリア・リルケ)
破落戸の昇天(フランツ・モルナル)
辻馬車(フランツ・モルナル)
最終の午後(フランツ・モルナル)
襟(オシツプ・デユモツフ)
パアテル・セルギウス(レオ・トルストイ)


「鴎外選集 第15巻 諸国物語・下」(岩波書店)
★樺太脱獄記(コロレンコ)
鰐(ドストエフスキー)
センツァマニ(マクシム・ゴルキイ)
板ばさみ(オイゲン・チリコフ)
笑(アルチバシエツフ)
死(アルチバシエツフ)
フロルスと賊と(クスミン)
★馬丁(アレクセイ・トルストイ)
うずしホ(エドガア・アルラン・ポオ)
病院横町の殺人犯(エドガア・アルラン・ポオ)
十三時(エドガア・アルラン・ポオ)


と、こうあるのですが、読んでいて思わず「黒澤明」を思い描いたロシア小説が2作ありました、「★」印を付けた作品です。

コロレンコの「樺太脱獄記」は、定職も住む家もない貧しい乞食同然の流れ者たちが、ロシア本土で犯罪をおかし、樺太の監獄に囚人として送られてくるのですが、厳寒の地での看守たちの過酷な扱いに堪えられず、ついに集団脱獄を果たして、数々の要所を警戒する官憲の手を辛うじてのがれながら、遂に逃げ延びるという波乱万丈のストーリーです。たとえロシア本土に帰っても、しょせんは無一文の流れ者の身にすぎず、また犯罪を重ねなければ生きていけないことは十分に分かっていても、それでも自由の身になりたいと過酷な脱出をやりとげるその姿には、なにか神聖なものを感じてしまいました。

アレクセイ・トルストイの「馬丁」は、ある日、自分の牧場から自慢の名馬が盗まれ(見張りの男は居眠りをしていたから気づかなかったと証言します)、どうしても諦めきれない牧場主は、ある土地で大きな「馬市」が開かれると聞き込み、その市には各地で盗まれた馬が持ち寄られるという噂話を頼りに、馬を探す旅にでます。そして、その市で牧場主は自分の馬を見つけます。盗んだ男は、その土地でも数々の悪さを重ねていて、タチの悪い盗人として反感をかっていることから、この事件を切っ掛けにして土地の百姓たちになぶり殺しにされてしまいます。牧場主は自分の馬を引いて牧場に戻ってきますが、そこで見張り番をしながら馬を盗まれた男を問い詰めます。問い詰められた男は逆上し、あの馬市で百姓たちになぶり殺されたのは自分の息子で、自分が手引きして馬を盗ませたのだと叫び、憎しみに燃えて牧場主を殺そうと襲い掛かってきます。二人の争う声を聞きつけて牧場の人間が駆けつけ、牧場主はかろうじて助かります。牧場主を殺しそこなった男は、憎悪と殺意にみちた叫び声をあげながら、裸馬に乗って脱兎のごとく走り去っていきました。

どうにか要約してみたのですが、この小説の荒々しさと広大さとが、うまく表現できないので、「解説」の該当箇所をちょっと引用させてもらいますね。

≪コロレンコによる樺太と東シベリアの描写からは極寒の北陬の荒い風土とそこに生きる囚人や半ば流人であるともいふべき寂しい開拓者たちの、あきらめに裏打ちされた深いため息が立ち昇ってくる。また、アレクセイ・トルストイはロシアの大平原に文明の秩序も社会通念も無視し蹂躙して野獣のやうに生きる土民の、恐るべき生活力を容赦のないリアルな筆致で描いている。ともにロシアの途方もない大きさと底知れぬ険しさ荒っぽさを如実に体現し得た作品である。これがロシアなのだ、といふ鴎外の感嘆と、その感嘆をなんとかして日本の読者に伝へてみたいといふ熱情が堅く凝縮したやうな剛直の文体であると評してよいだらう。(小堀桂一郎)≫

この2作品の解説を読みながら、自分は、黒澤監督の「デルス・ウザーラ」のことを考えていました。

「七人の侍」のような豪快な作品を撮っていた黒澤監督が、果たしていつから、撮るべき作品を選び誤ったのか、とその晩年にはつい考えてしまう時期が続きました。

思い返せば「赤ひげ」も「どですかでん」も、明らかに素材の選択を誤ったと感じました。

「ヒューマニズム」も「市井に生きる庶民の哀歓」もその「色彩」でさえも、別に黒澤明が撮らなくたって、もっと器用に上手に撮ることのできる映画監督なら日本にはたくさんいるわけだし、黒澤明は、黒澤明でなければ撮れない映画だけをどうして撮れないのかと考えたものでした。

粗野で荒々しい野獣のような小説、「樺太脱獄記」や「馬丁」を読みながら、黒澤監督は、なんでよりにもよってあまりにも静謐なあの友情物語「デルス・ウザーラ」なんかを選んだのだろうかと、ちょっと疑問を感じてしまいました。



by sentence2307 | 2018-12-18 23:28 | 映画 | Comments(0)
デッド・エンド (1937)ウィリアム・ワイラー監督
オズの魔法使 (1939)ビクター・フレミング監督
マルタの鷹 (1941)ジョン・ヒューストン監督
カサブランカ (1942)マイケル・カーティス監督
無防備都市 (1945)ロベルト・ロッセリーニ監督
戦火のかなた (1946)ロベルト・ロッセリーニ監督
自転車泥棒 (1948)ビットリオ・デ・シーカ監督
黄金 (1948)ジョン・ヒューストン監督
赤い靴 (1948)マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー監督
白熱 (1949)ラウール・ウォルシュ監督
勇者の家 (1949)マーク・ロブソン監督
忘れられた人々 (1950)ルイス・ブニュエル監督
羅生門 (1950)黒澤明監督
地獄の英雄 (1951)ビリー・ワイルダー監督
巴里のアメリカ人 (1951)ビンセント・ミネリ監督
ミラノの奇蹟 (1951)ビットリオ・デ・シーカ監督
雨に唄えば (1952)ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督
裏窓 (1954)アルフレッド・ヒッチコック監督
波止場 (1954)エリア・カザン監督
道 (1954)フェデリコ・フェリーニ監督
狩人の夜 (1955)チャールズ・ロートン監督
炎の人ゴッホ (1956)ビンセント・ミネリ監督
突撃 (1957)スタンリー・キューブリック監督
戦場にかける橋 (1957)デビッド・リーン監督
群集の中の一つの顔 (1957)エリア・カザン監督
めまい (1958)アルフレッド・ヒッチコック監督
黒い罠 (1958)オーソン・ウェルズ監督
黒いオルフェ (1959)マルセル・カミュ監督
お熱いのがお好き (1959)ビリー・ワイルダー監督
大人は判ってくれない (1959)フランソワ・トリュフォー監督
北北西に進路を取れ (1959)アルフレッド・ヒッチコック監督
甘い生活 (1960)フェデリコ・フェリーニ監督
勝手にしやがれ (1960)ジャン=リュック・ゴダール監督
スパルタカス (1960)スタンリー・キューブリック監督
ウエスト・サイド物語 (1961)ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス監督
用心棒 (1961)黒澤明監督
アラビアのロレンス (1962)デビッド・リーン監督
アラバマ物語 (1962)ロバート・マリガン監督
8 1/2 (1963)フェデリコ・フェリーニ監督
大列車作戦 (1964)ジョン・フランケンハイマー監督
怒りのキューバ (1964)ミハイル・カラトーゾフ監督
博士の異常な愛情 (1964)スタンリー・キューブリック監督
パリは燃えているか (1966)ルネ・クレマン監督
アルジェの戦い (1966)ジッロ・ポンテコルボ監督
俺たちに明日はない (1967)アーサ・ペン監督
暴力脱獄 (1967)スチュアート・ローゼンバーグ監督
夜の大捜査線 (1967)ノーマン・ジュイソン監督
真夜中のカーボーイ (1969)ジョン・シュレシンジャー監督
M★A★S★H マッシュ (1970)ロバート・アルトマン監督
パットン大戦車軍団 (1970)フランクリン・J・シャフナー監督
暗殺の森 (1970)ベルナルド・ベルトルッチ監督
ラストタンゴ・イン・パリ (1972)ベルナルド・ベルトルッチ監督
ゴッドファーザー (1972)フランシス・フォード・コッポラ監督
チャイナタウン (1972)ロマン・ポランスキー監督
ゴングなき戦い (1972)ジョン・ヒューストン監督
ミーン・ストリート (1973)マーティン・スコセッシ監督
地獄の逃避行 (1973)テレンス・マリック監督
さらば冬のかもめ (1973)ハル・アシュビー監督
映画に愛をこめて アメリカの夜 (1973)フランソワ・トリュフォー監督
ゴッドファーザー PartII (1974)フランシス・フォード・コッポラ監督
カッコーの巣の上で (1975)ミロス・フォアマン監督
狼たちの午後 (1975)シドニー・ルメット監督
Cooley High (1975)マイケル・シュルツ監督
マラソンマン (1976)ジョン・シュレシンジャー監督
未知との遭遇 (1977)スティーブン・スピルバーグ監督
Killer of Sheep (1977)チャールズ・バーネット監督
天国の日々 (1978)テレンス・マリック監督
ブルーカラー/怒りのはみだし労働者ども (1978)ポール・シュレイダー監督
マッドマックス (1979)ジョージ・ミラー監督
レイジング・ブル (1980)マーティン・スコセッシ監督
ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー (1981)マイケル・マン監督
マッドマックス2 (1981)ジョージ・ミラー監督
ストレンジャー・ザン・パラダイス (1984)ジム・ジャームッシュ監督
カメレオンマン (1984)ウッディ・アレン監督
乱 (1985)黒澤明監督
赤ちゃん泥棒 (1987)ジョエル・コーエン監督
太陽の帝国 (1987)スティーブン・スピルバーグ監督
黒い雨 (1989)今村昌平監督
ボーイズ’ン・ザ・フッド (1991)ジョン・シングルトン監督
バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト (1992)アベル・フェラーラ監督
フープ・ドリームス (1994)スティーヴ・ジェームズ監督
堕天使のパスポート (2002)スティーブン・フリアーズ監督
シティ・オブ・ゴッド (2002)フェルナンド・メイレレス監督
カンフーハッスル (2004)チャウ・シンチー監督
アポカリプト (2006)メル・ギブソン監督
第9地区 (2009)ニール・ブロンカンプ監督





★ハリウッド業界人が選ぶお気に入り映画・100本
HOLLYWOOD’S 100 FAVORITE FILMS -

オズの魔法使(1939)ビクター・フレミング監督
風と共に去りぬ(1939)ビクター・フレミング監督
市民ケーン(1941)オーソン・ウェルズ監督
カサブランカ(1943)マイケル・カーティス監督
素晴らしき哉、人生!(1946)フランク・キャプラ監督
イヴの総て(1950)ジョセフ・L・マンキーウィック監督
サンセット大通り(1950)ビリー・ワイルダー監督
雨に唄えば(1952)ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督
波止場(1954)エリア・カザン監督
裏窓(1954)アルフレッド・ヒッチコック監督
七人の侍(1954)黒澤明監督
十二人の怒れる男(1957)シドニー・ルメット監督
戦場にかける橋(1957)デビッド・リーン監督
めまい(1958)アルフレッド・ヒッチコック監督
お熱いのがお好き(1959)ビリー・ワイルダー監督
北北西に進路を取れ(1959)アルフレッド・ヒッチコック監督
サイコ(1960)アルフレッド・ヒッチコック
ウエスト・サイド物語(1961)ロバート・ワイズ監督
アラビアのロレンス(1962)デビッド・リーン監督
アラバマ物語(1962)ロバート・マリガン監督
メリー・ポピンズ(1964)ロバート・スティーヴンソン監督
博士の異常な愛情(1964)スタンリー・キューブリック監督
ドクトル・ジバゴ(1965)デイヴィッド・リーン監督
サウンド・オブ・ミュージック(1965)ロバート・ワイズ監督
俺たちに明日はない(1967)アーサ・ペン監督
卒業(1967)マイク・ニコルズ監督
2001年宇宙の旅(1968)スタンリー・キューブリック監督
明日に向って撃て! (1969)ジョージ・ロイ・ヒル監督
時計じかけのオレンジ(1971)スタンリー・キューブリック監督
ゴッドファーザー(1972)フランシス・フォード・コッポラ監督
チャイナタウン(1974)ロマン・ポランスキー監督
ゴッドファーザー Part II(1974) フランシス・フォード・コッポラ監督
ブレージングサドル(1974)メル・ブルックス監督
JAWS/ジョーズ(1975)スティーブン・スピルバーグ監督
ヤング・フランケンシュタイン(1975)メル・ブルックス監督
モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル(1975)テリー・ギリアム監督
カッコーの巣の上で(1975)ミロス・フォアマン監督
ロッキー(1976)ジョン・G・アビルドセン監督
タクシードライバー(1976)マーティン・スコセッシ監督
大統領の陰謀(1976)アラン・J.パクラ、ジョン・ブアマン監督
スター・ウォーズ / EP4 新たなる希望(1977)ジョージ・ルーカス監督
アニー・ホール(1977)ウディ・アレン監督
未知との遭遇(1977)スティーブン・スピルバーグ監督
ディア・ハンター(1978)マイケル・チミノ監督
エイリアン(1979)リドリー・スコット監督
地獄の黙示録(1979)フランシス・フォード・コッポラ監督
シャイニング(1980)スタンリー・キューブリック監督
レイジング・ブル(1980)マーティン・スコセッシ監督
フライング・ハイ(1980)ジム・エイブラハムズ監督
スター・ウォーズ/帝国の逆襲(1980)アービン・カーシュナー監督
レイダース/失われた聖櫃(1981)スティーブン・スピルバーグ監督
E.T. (1982)スティーヴン・スピルバーグ監督
ブレードランナー(1982)リドリー・スコット監督
ゴーストバスターズ(1984)アイバン・ライトマン監督
アマデウス(1984)ミロス・フォアマン監督
バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)ロバート・ゼメキス監督
ブレックファスト・クラブ(1985)ジョン・ヒューズ監督
フェリスはある朝突然に(1986)ジョン・ヒューズ監督
プリンセス・ブライド・ストーリー(1987)ロブ・ライナー監督
ダイ・ハード(1988)ジョン・マクティアナン監督
恋人たちの予感(1989)ロブ・ライナー監督
グッドフェローズ(1990) マーティン・スコセッシ監督
羊たちの沈黙(1991)ジョナサン・デミ監督
美女と野獣(1991)ゲーリー・トゥルースデイル、カーク・ワイズ監督
レザボア・ドッグス(1991)クエンティン・タランティーノ監督
テルマ&ルイーズ(1991)リドリー・スコット監督
ジュラシック・パーク(1993)スティーヴン・スピルバーグ監督
恋はデジャ・ブ(1993)ハロルド・レイミス監督
シンドラーのリスト(1993)スティーヴン・スピルバーグ監督
フォレスト・ガンプ / 一期一会(1994)ロバート・ゼメキス監督
ショーシャンクの空に(1994)フランク・ダラボン監督
パルプ・フィクション(1994)クエンティン・タランティーノ監督
ライオン・キング(1994)ロジャー・アラーズ, ロブ・ミンコフ監督
ユージュアル・サスペクツ(1995)ブライアン・シンガー監督
ブレイブハート(1995)メル・ギブソン監督
トイ・ストーリー(1995)ジョン・ラセター監督
セブン(1995) デヴィッド・フィンチャー監督
ファーゴ(1996)ジョエル・コーエン監督
グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)ガス・ヴァン・サント監督
タイタニック(1997)ジェームズ・キャメロン監督
プライベート・ライアン(1998)スティーブン・スピルバーグ監督
ビッグ・リボウスキ(1998)ジョエル・コーエン監督
ファイト・クラブ(1999)デイビッド・フィンチャー監督
アメリカンビューティー(1999)サム・メンデス監督
マトリックス(1999)アンディ&ラリー・ウォシャウスキー監督
メメント(2000)クリストファー・ノーラン監督
グラディエーター(2000)リドリー・スコット監督
あの頃ペニー・レインと(2000)キャメロン・クロウ監督
アメリ(2001)ジャン=ピエール・ジュネ監督
ロード・オブ・ザ・リング(2001)ピーター・ジャクソン監督
ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還(2003)ピーター・ジャクソン監督
エターナル・サンシャイン(2004)ミシェル・ゴンドリー監督
ブロークバック・マウンテン(2005)アン・リー監督
パンズ・ラビリンス(2007)ギレルモ・デル・トロ監督
ウォーリー(2008)アンドリュー・スタントン監督
スラムドッグ$ミリオネア(2008)ダニー・ボイル監督
ダークナイト(2008)クリストファー・ノーラン監督
カールじいさんの空飛ぶ家(2009)ピート・ドクター監督
アバター(2009)ジェームズ・キャメロン監督
インセプション(2010)クリストファー・ノーラン監督



by sentence2307 | 2018-12-12 12:42 | 映画 | Comments(0)
以前、会話していた成り行きから、友人とアメリカのアカデミー賞について、お互いの雑学らしきものを披露し合ったことがありました。いわば他愛ない時間つぶしです。

そうそう、その話の切っ掛けというのは、自分が「ビリー・ワイルダーとウィリアム・ワイラーの区別がつかないよ」という問い掛けから始まりました。

しかし、それは、ただ単にふたりの名前のカタカナ表記がなんとなく似ているので混乱するというだけの発想からつい口にしたものだったのですが、友人はそれを言葉通りに真に受けて深読みして、「それぞれの作風の違い」という感じで、いろいろな作品を挙げつらいながら一生懸命この話に乗ってきてくれました。

しかしながら、このふたりの作風は、比べるまでもなく明らかに天と地ほども異なるものなので議論の余地などあろうはずもなく(「お熱いのがお好き」と「ローマの休日」では、あまりにも清濁が違いすぎます)、議論として成立することも発展することもなく、結局、お互いの選んだ個々の作品の好き嫌いというレベルにまで尻すぼみして話は落ち着きました。

自分がそのとき挙げた作品は、ワイラーの「コレクター」1965でした。テレンス・スタンプとサマンタ・エッガーの名演が忘れられません。たしかこのふたり、この演技でカンヌ映画祭の演技賞をそれぞれ受賞したと記憶しています。そうそう、最近でいえば、ティム・バートンの「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」でテレンス・スタンプの懐かしいご尊顔を拝したばかりでした、そうですか、もう79歳になるのですか。時の経つのは実に早いものですね。

さて、「コレクター」ですが。

主人公は真面目で小心な銀行員の青年、たまの休日には郊外に出かけて蝶を採集し、それを丹念に蒐集箱に整理することを唯一の趣味としています。野原でひとり楽し気に蝶を追う姿をカメラは執拗に捉えて、青年のその無心の懸命さのなかに、逆に孤独の痛ましさを巧みに捉えて伝えることに成功しています。

ある日、サッカーくじに当たった彼は、その大金で郊外に地下室付きの家を購入し、そして、その地下室にベッド、衣装ダンス、女性服、下着、化粧品と買い揃えていきます。というのも、通勤途中で見掛ける美術学校の清楚で美しい女子学生・ミラーダに長いあいだ思いを寄せていて、かねてからいつかは自分のものにしたいとねらっていたからでした。ほどなくその夢は実現します。

ある日、人気の絶えた街路でミラーダを誘拐し、地下室に閉じ込め、家畜を飼いならすように飼育しますが、そのような関係から愛情など芽生えるはずもなく(しかし、いままであまりにも孤独に生きてきた男には、「そのこと」がどうしても理解できません)、ミラーダは奇策を巡らせ偽りの好意をちらつかせ男を騙し、スキを見て逃げようとしますが、彼女のハカリゴトを見透かした男は、彼女の前に立ちふさがり、彼女の裏切りに対する失望と怒りによって警戒は厳重になり、その過酷な監禁によって、彼の異常な強制に屈服することなく、ついにミラーダは死んでしまいます。

男は、彼女からの「愛」を得ることなく死なせてしまったことに対して一時的には落胆しますが、すぐに気を取り直し「新たな獲物」を求めて(あたかも新たな蝶を物色するかのように)再び街をさまようという衝撃のラストが付け足されていました。

目の前にある美しいものを我がものにせずにいられないコレクター(収集狂)の異常心理と、手に入れてしまえば、たちまち野原を舞っていたときのあの生命力の美しさと生気を失い朽ち果てるしかない生命の定めを理解することも受け入れることもできないまま、新たな「美」をさらに追い求めずにはいられないという異常者の限りない心理を描いた名作でした。

実は、余談ですが、このブログのタイトルもそのコレクターの果てしのない収集欲と、その後の落胆という、追い求める行為の空しさも含めて(「蝶」を「映画」に引っ掛けました)「映画収集狂」と命名したわけですが、その発想のベースには、このウィリアム・ワイラー作品「コレクター」がありました。

さて、友人との雑談でアカデミー賞について雑学を披露し合っていたときに、なぜ自分がわざわざビリー・ワイルダーを持ち出したのかというと、以前、「深夜の告白」1943について関係資料を読み漁っていたとき、この完璧な仕上がりのワイルダー作品(アカデミーもそのことは認識していたと思います)に作品賞を与えられなかったツケを払うかのように、アカデミーは翌年、アルコール中毒者の底なしの酒への渇望と禁断症状の恐ろしさを描いた「失われた週末」に作品賞を与えたのだという評文を読み、アカデミー賞の「受賞するための傾向」みたいなものを知ったからでした。

そこには確かこんなふうに書かれていました。この作品の受賞によって「アル中、精神異常、身体障害者を演じること、そして描くことが、オスカーへの近道という伝説が生まれた」と。

個々の作品の質を無視して、このようにひとことで括られてしまうと、なんだか身も蓋もないような気もしますが、歴代の結果を比較的に見ていけば傾向として、たぶんそういうこともあるかもしれないなという気持ちになってきました。

その「受賞の傾向」のことを友人に話したところ、彼は逆に質問してきました「『エレファント・マン』のときは、どうだったっけ?」と。

さっそくタブレットを取り出して検索してみました。

なるほど、なるほど。

作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞、美術監督賞、編集賞、作曲賞、衣装デザイン賞、いずれもノミネートどまりで、ことごとく受賞を逃していますね、そう伝えると友人は誇らしげに眉毛を挙げ下げして、まるで「ほら、な、ダメじゃん」と言っているようでした。

「あっ!」と、そのとき、はじめて気が付きました。「エレファント・マン」にかこつけながら、実は、かの無冠の帝王「グレイテスト・ショーマン」のことを彼はほのめかしているのだな、と。

念のためにさっそく、各賞をひとつひとつ検索してみました。

作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイキャップ&ヘアスタイリング賞、視覚効果賞、録音賞、音響効果賞、作曲賞、アニメーション映画賞、外国語映画賞、ドキュメンタリー映画賞(長編)、ドキュメンタリー映画賞(短編)、短編映画賞(実写)、短編映画賞(アニメーション)

ふむふむ、なるほどね。

いや~、これを見ると、受賞どころかノミネートからさえ外されてしまっている壊滅状態です、これはもう「伝説」どころの騒ぎじゃない、もはや「忌避状態」じゃないですか(唯一のノミネートといえば主題歌賞の「This Is Me」くらいです。ちなみにこのとき受賞歌は「リメンバー・ミー」の主題歌「Remember Me」でした)。

いやはや、むしろ「メイキャップ賞」のノミネートも外したあたりは、「負けねえぞ」というアカデミーの強固な姿勢と見識さえ感じ取れます。逆に、これで受賞してしまったりしたら大変なことになっていたでしょうね。

あきらかにアカデミーは、この作品を「嫌がってんじゃん」という感じです。

自分は以前「エレファント・マン」のコラムを書いたことがありました。そのコラムの中で比較のために引用した1本の映画があります。

それは≪伝説の映画、トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」、1932≫です。

そこで自分は、こんなふうに書いています。

≪トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」は、実に驚くべき映画ですが、しかし、見ていくうちに、その「実に驚くべき」は、実は自分が「常識」から一歩も抜け出せなかった硬直した感性の持ち主であることに次第に気づかされたからにすぎません。
いわば、そこには「奇形」を普通に撮り続けたために、狡猾非情な健常者たちからの侮蔑と虐待に対する怒りの報復が描かれていく過程で、人間の正常な在り方が示されているラストの爽快感が余韻として残るのに比べたら、いじめ抜かれて死んでいく「エレファント・マン」の救いのない無力で陰惨なデビッド・リンチの描き方は、逆に実在のジョン・メリックを、その最後まで人間性を放棄した惨めな小動物に貶めたというしかありません。≫

「エレファント・マン」を見たときに感じたあの違和感が、「グレイテスト・ショーマン」にも確かにありました、そのことを書きますね。

興行師P・T・バーナムの存在をこの映画で初めて知りました。

彼がどういう人物だったのか、ひととおりネットで読んで知識としては得ることができましたが、ショーマンだかなんだか知りませんが、そこには受け入れがたい山師的な嫌悪感はやはり残りました、市民の無知と偏見の激しかった当時、「人間動物園」だか「人間博覧会」だか「地上最大のショー」だかを逆手にとり「見世物」として奇形の者たちの姿を晒すことによって、木戸銭を取り、彼らの生き場所を確保し、そういう者たちも生活の糧を得られて命を長らえることができたのだということは認めなければならないとしても、人間の「奇形」を見世物にするという、とんでもない愚劣な行為を強引に正当化しようというアクロバット的論法に最低限組みするしかないのかという諦念の部分で、奇形の子を持った親たちがはたして皆が皆自分の子供の将来の行く末を考えてサーカスに売り渡さねばならないのかという、そういうことをずるずると際限なく容認してしまいかねない恐ろしさは、たしかにあります。

自分が調べた限りでは、あの映画には実際に以下の人たちが出演していました。

ハリー・アールス(ハンス(小人症))、デイジー・アールス(フリーダ(小人症))、オルガ・バクラノヴァ(クレオパトラ)、ロスコー・エイテス(ロスコー(吃音症))、ヘンリー・ヴィクター(ヘラクレス)、ローズ・ディオン(マダム・テトラリニ(団長))、デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン(シャム双生児)、エドワード・ブロフィー(ロロ兄弟)、マット・マクヒュー(ロロ兄弟)、ピーター・ロビンソン(骨人間(るいそう))、オルガ・ロデリック(ひげの濃い女性)、ジョセフィーヌ・ジョセフ(半陰陽者)、クー・クー(クー・クー(ゼッケル症候群))、エルヴァイラ・スノー(ジップ(小頭症))、ジェニー・リー・スノー(ピップ(小頭症))、シュリッツ(シュリッツ(小頭症))、ジョニー・エック(ハーフボーイ(下半身欠損))、フランシス・オコナー(腕の無い女性)、プリンス・ランディアン(生けるトルソー(手足欠損))、アンジェロ・ロシェット(アンジェロ(小人症))、エリザベス・グリーン(鳥女)

そして自分は、あのコラムでこう書きました。

≪トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」は、実に驚くべき映画ですが、しかし、見ていくうちに、その「実に驚くべき」は、実は自分が「常識」から一歩も抜け出せないでいる硬直した感性の持ち主でしかないこと(自分の限界)に次第に気づかされたからにすぎません。≫

不運にもたまたま身体の一部が変形し、欠損し、肥大し、歪曲したにすぎない自分たちと同じ人間のその「部分」だけを見世物として興行するといういかがわしい行為と観念を乗り越えるには、普通の隣人として生活を共にして敬意をもって「見慣れてしまうこと」以外にはないのかもしれません。同じ人間としてね。

実際に、たまたま奇形に生まれついてしまった人々の姿形を、器用に真似たメイキャップによって健常者の俳優たちがそれっぽく演じたというそのいかがわしさ自体に「グレイテスト・ショーマン」が、同時代のどの作品、「君の名前で僕を呼んで」、「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」、「ダンケルク」、「ゲット・アウト」、「レディ・バード」、「ファントム・スレッド」、「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」、「シェイプ・オブ・ウォーター」、「スリー・ビルボード」などの作品よりもはるかに劣るどころか、トッド・ブラウニング監督作品「フリークス」にさえ及びもつかない愚劣な映画だという印象を観客に与えたのだと思います。

(2017アメリカ)監督・マイケル・グレイシー、脚本・ジェニー・ビックス、ビル・コンドン、原案・ジェニー・ビックス、製作・ローレンス・マーク、ピーター・チャーニン、ジェンノ・トッピング、製作総指揮・ジェームズ・マンゴールド、ドナルド・J・リー・Jr、トーニャ・デイヴィス、音楽・ジョン・デブニー、ジョセフ・トラパニーズ、ベンジ・パセック、ジャスティン・ポール、主題歌『ディス・イズ・ミー』キアラ・セトル、撮影・シェイマス・マクガーヴェイ、編集・トム・クロス、ロバート・ダフィ、ジョー・ハッシング、マイケル・マカスカー、、ジョン・ポル、スペンサー・サッサー、製作会社・チャーニン・エンターテインメント、シード・プロダクションズ、ローレンス・マーク・プロダクションズ、TSGエンターテインメント
出演・ヒュー・ジャックマン(P・T・バーナム)、ザック・エフロン(フィリップ・カーライル)、ミシェル・ウィリアムズ(チャリティ・バーナム)、レベッカ・ファーガソン(ジェニー・リンド)、ゼンデイヤ(アン・ウィーラー)




by sentence2307 | 2018-11-21 16:07 | 映画 | Comments(0)

ポーランド映画祭2018

ポーランド映画史に残る名作や傑作を特集する「ポーランド映画祭2018」が、11月10日~11月23日に東京都写真美術館ホールで開催される。
名匠ロマン・ポランスキー監督の85歳を記念し、ポーランド時代の「水の中のナイフ」(62)とドキュメンタリー「ロマン・ポランスキー 初めての告白」(2012)などの上映をはじめ、ポーランド独立回復100周年を記念し、名作映画から見るポーランド史の企画で、
「灰とダイヤモンド」(1958/アンジェイ・ワイダ監督)、
「夜と昼」(75/イエジー・アントチャック監督)、
「戦場のピアニスト」(2002/ロマン・ポランスキー監督)、
「大理石の男」(76/アンジェイ・ワイダ監督)、
「リベリオン ワルシャワ大攻防戦」(2014/ヤン・コマサ監督)、
「約束の土地」(74/アンジェイ・ワイダ監督)、
「ヴォウィン」(2016/ヴォイチェフ・スマジョフスキ監督)
の7作品を紹介する。
そのほか、本映画祭監修を務めるイエジー・スコリモフスキ監督の「ムーンライティング」(82)、「イレブン・ミニッツ」(2015)も上映される。

★ムーンライティングFucha監督:イエジー・スコリモフスキ
1982年/英語・ポーランド語/97分/カラー/デジタル・リマスター版
イギリスに不法滞在する4人のポーランド人。彼らは別荘の改修作業に励むが、ひとり英語を解するノヴァクだけは祖国に戒厳令が敷かれたことを知る。しかし作業の遅れを恐れた彼は、その事実を仲間にひた隠しにした。独立自主管理労組“連帯"を弾圧するため戒厳令が敷かれた事件を背景に、同時代の緊迫感が伝わる快作。第35回カンヌ国際映画祭で最優秀脚本賞受賞。

★イレブン・ミニッツ 11 Minutes監督:イエジー・スコリモフスキ
2015年/ポーランド語/81分/カラー/デジタル
午後5時から5時11分までの間にワルシャワ都心部で、互いを知らぬ人々の間に起こる11分間のドラマをモザイク状に構成した、リアルタイム・サスペンスの傑作。クライマックスまで緊張感溢れる映像。「11という数字は美しくて好きなんだ!」と語るスコリモフスキ監督の最新作を、今年は11月11日(日)11:00から上映する。

★水の中のナイフNóż w wodzie監督:ロマン・ポランスキー
1962年/ポーランド語/94分/モノクロ/デジタル・リマスター版
裕福な中年夫婦と貧しい青年が偶然に湖でバカンスを過ごすことになる。ボートの上で繰り広げられる人間模様から見える世代間の断絶や階層のギャップ。ポランスキーの名前を世界に広めた長編処女作。脚本はスコリモフスキとの初めての共同執筆、そこにクシシュトフ・コメダのモダン・ジャズがスパークする、今日でも全く色褪せない傑作。ヴェネチア国際映画祭批評家連盟賞受賞。

★ロマン・ポランスキー 初めての告白Roman Polański: moje życie監督:ローラン・ブーズロー
2012年/英語/94分/カラー/デジタル/提供:KADOKAWA
ポランスキー自身が、生い立ちから今に至るまでを自らの言葉で赤裸々に語ったドキュメンタリー。2009年から2010年にかけてスイスの自宅に軟禁中の彼に、長年のビジネス・パートナーである監督がロングインタビューを決行。親しい友人相手に自分の全てをさらけ出し、時には涙すら浮かべる彼の姿に心を奪われる。同時に、その偉大さが伝わる。

★メモリーズ・オブ・サマーWspomnienie lata監督:アダム・グジンスキ
2016年/ポーランド語/90分/カラー/デジタル/配給:マグネタイズ
1970年代の後半、小さな地方の町で暮らす12歳の少年ピョトレックは、母親と強い絆で結ばれていた。だが母親は、父親が去ってから毎晩のように外出し始め・・・。大人への階段を昇る過程の一瞬の季節を瑞々しいタッチで描き出し、青春の光と影をとらえた傑作。第32回ワルシャワ国際映画祭コンペティション部門入選。2019年日本公開予定。

★マリア・スクウォドフスカ=キュリーMaria Skłodowska-Curie監督:マリー・ノエレ
2016年/ポーランド語・フランス語/96分/カラー/デジタル(英語字幕付)
女性初のノーベル賞に輝いた“キュリー夫人”の波瀾万丈の人生を映画化。男性優位の風潮が根強い20世紀初頭のフランスを舞台に、最愛の夫を事故で失い2人の幼い娘を育てながら、再び栄冠をつかむ一人の科学者に迫る。キュリー役を演じたカロリナ・グルシュカは第20回ポーランド映画賞の主演女優賞にノミネートされた。

★ゴッホ~最期の手紙~Twój Vincent監督:ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン
2017年/英語/96分/カラー/デジタル/提供:パルコ
オランダ人画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。この不世出の天才を死に追いやったものは何だったのか? 全編、125名のアーティストが再現した動く“ゴッホの絵”によって表現された斬新なアニメーション作品。2017年のアヌシー国際アニメーション映画祭で観客賞を受賞した他、アカデミー賞やゴールデングローブ賞にもノミネートされた。

★クリスマスの夜にCicha noc監督:ピオトル・ドマレフスキ
2017年/ポーランド語/97分/カラー/デジタル
海外で働くアダムは、クリスマス・イヴに突然ポーランドへ帰ってくる。出迎える家族たちは、アダムが彼らの人生を変えてしまうほどの、ある計画を企んでいることなど知る由もなかった。主演は『幸せのありか』(13)『イーダ』(13)『イレブン・ミニッツ』(15)のダヴィド・オグロドニク。第20回ポーランド映画賞の作品賞、主演男優賞をはじめ多数受賞。

★ピウスツキ・ブロニスワフ~流刑囚、民族学者、英雄~Piłsudski Bronisław: zesłaniec, etnograf, bohater監督:ヴァルデマル・チェホフスキ
2016年/ポーランド語・日本語/53分/カラー/デジタル
弱者の側に立ち続けたポーランド人民族学者についてのドキュメンタリー。アレクサンドル3世の暗殺計画に巻き込まれサハリンへ流刑された後、アイヌをはじめとした少数民族の研究で偉大な功績を残し、日露戦争や第一次世界大戦を経て、最期はセーヌ川で水死したピウスツキ。彼に縁のあった人物や研究者の証言からその数奇な運命を紐解く。

★夜と昼Noce i dnie監督:イエジー・アントチャック
1975年/ポーランド語/170分/カラー/デジタル・リマスター版
全4巻からなるマリア・ドンブロフスカの長編小説の映画化。1863年から第一次世界大戦が勃発した1914年にかけての50年間を、歴史に翻弄されたある家族を通して壮大なスケールで描く。第49回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、ドラマシリーズ化もされた。監督は『ショパン 愛と哀しみの旋律』(02)のイエジー・アントチャック。

★灰とダイヤモンドPopiół i diament監督:アンジェイ・ワイダ
1958年/ポーランド語/103分/カラー/デジタル・リマスター版
ポーランド映画を代表する傑作として、映画史にその名を刻む金字塔的作品。第二次世界大戦末期のポーランド。誤ってターゲットとは別の人物を殺害してしまった若きテロリスト、マチェクが、翌朝、虫けらのごとく空しく死んでいく様を鮮烈に映し出す。『世代』『地下水道』と並ぶ、アンジェイ・ワイダの“抵抗三部作”の一本。

★戦場のピアニストPianista監督:ロマン・ポランスキー
2002年/英語・ドイツ語・ロシア語/149分/カラー/デジタル・リマスター版/提供:ブロードメディア・スタジオ
戦火を生き抜いたユダヤ系ポーランド人ピアニスト、ヴワディスワフ・シュピルマンの感動の実話。シュピルマンの実体験を記した『ある都市の死』が原作。自身もユダヤ人ゲットーで過酷な生活を送ったポランスキー監督の集大成として絶賛を浴び、カンヌ国際映画祭パルムドール、米アカデミー賞の主演男優賞、監督賞、脚色賞などを受賞した。

★大理石の男Człowiek z marmuru監督:アンジェイ・ワイダ
1976年/ポーランド語/161分/カラー/デジタル・リマスター版
スターリン時代に英雄として祭り上げられたある労働者の人生と、彼の真実を追う映画大学の女子学生。ポーランドの“過去”と“現在”を重層的に描き出す、ワイダ監督渾身の大作。ポーランド国内で大ヒットを記録、海外上映禁止処分を受けながらも第31回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を獲得するなど、世界中で高く評価された。

約束の土地Ziemia obiecana監督:アンジェイ・ワイダ
1974年/ポーランド語/169分/カラー/デジタル・リマスター版
19世紀末、ポーランドの工業都市ウッチ。民族・宗教の異なる3人の若者が大いなる野望を抱いて織物工場を建設するものの、事態は思わぬ方向へ・・・。旧世代に代わって街を支配しようとした男たちが辿る皮肉な運命がドラマチックに描かれる。ワイダの冷徹な洞察力が冴え渡る理想と挫折の物語。第48回アカデミー賞で外国語映画賞にノミネート。

★リベリオン ワルシャワ大攻防戦Miasto 44監督:ヤン・コマサ
2014年/ポーランド語/128分/カラー/デジタル/提供:ニューセレクト
第二次世界大戦の末期、ポーランドに侵攻したソ連軍は首都ワルシャワに迫っていた。ナチスドイツ占領からの解放を信じたポーランド地下抵抗組織(国内軍)は大規模な武装蜂起を決行。しかし突如進撃を止めたソ連の裏切りにより、彼らの戦いは絶望の地獄に突き落とされることになる。1944年8月のワルシャワ蜂起の全貌を描く大スペクタクル映画。

★ヴォウィンWołyń監督:ヴォイチェフ・スマジョフスキ
2016年/ポーランド語・ウクライナ語/150分/カラー/デジタル
ウクライナ人、ポーランド人、ロシア人、ユダヤ人らがモザイク状に共生していた地域ヴォウィン。現在はウクライナに位置するこの地で起こった民族相互の大虐殺は、第二次世界大戦最大の悲劇と言われた。エスカレートする民族主義に疑問を投げかける問題作。スマジョフスキ作品はポーランド国内で人気があり、日本でも過去作品が上映されている。

★ポコット 動物たちの復讐Pokot監督:アグニェシュカ・ホランド、カシャ・アダミック
2017年/ポーランド語・英語/128分/カラー/デジタル
第67回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した、アグニェシュカ・ホランドと娘のカシャ・アダミックの共同監督作。原作はポーランドの女流作家オルガ・トカルチュクの小説。山で連続殺人事件が起こる。大の動物好きで、今は教師として慎ましやかに暮らしている老女が事件の真相に迫るが、住民は誰も彼女を信じようとはしなかった…。

★顔Twarz監督:マウゴジャタ・シュモフスカ
2017年/ポーランド語/92分/カラー/デジタル
ドイツ国境に近い村の建設現場で働いていた男が事故に遭った。顔に大怪我を負った彼は、移植手術を受けて故郷に戻るが、誰も彼のことが分からず…。アイデンティティの喪失を激しい音楽とともに描いた意欲作。第68回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作。監督は前作『君はひとりじゃない』が日本でも公開されたマウゴジャタ・シュモフスカ。

★ゆれる人魚Córki dancingu監督:アグニェシュカ・スモチンスカ
2015年/ポーランド語/92分/カラー/デジタル/提供:ハピネット
1980年代、共産主義時代のポーランドを舞台に、肉食人魚姉妹の少女から大人への成長を野生的に描いたホラーファンタジー映画。海から陸へ上がって来た人魚の姉妹がたどり着いたのはワルシャワのナイトクラブだった。一夜にしてスターとなる姉妹だが、次第にお互いの関係が壊れていく。

★お願い、静かにProszę o ciszę監督:水谷江里
2017年/ポーランド語/26分/カラー/デジタル
多摩美術大学卒業後ポーランドに渡り、ウッチ映画大学で現地のスタッフとともに映画を撮り続ける、京都出身の水谷江里監督作。とある寄宿制の聾唖学校で、音のない世界に生きる子供たちの日常を、1年間かけて丹念に追ったドキュメンタリー。子供たちの何気ない表情や仕草を通し、観る者をファンタジックな異世界へと誘い出す。

★こんな風景Taki pejzaż監督:ヤゴダ・シェルツ
2013年/ポーランド語/23分/カラー/デジタル
既成概念から飛び出し、実際の出来事を元に、死に対する恐怖から救ってくれる奇跡や贖罪、悔恨、祈り、赦しなどのテーマを詩的な映像で紡いだ渾身の一作。女性監督の中でもどこか力強さを感じるヤゴダ・シェルツの短編作品。ヤゴダは既に長編作品を2本発表し、ポーランドで最も注目される監督の一人。

★チプカCipka監督:レナータ・ゴンショロフスカ
2016年/ポーランド/9分/カラー/デジタル
若い女性が家で一人で過ごしている。彼女は一人で素敵なお風呂タイムを楽しもうとするが、思い通りには進まない。自慰についての新しいタイプの可愛らしいアニメーションの誕生。本作は2017年新千歳空港国際アニメーション映画祭でインターナショナルコンペティションにノミネートされた。

★サルトSalto監督:タデウシュ・コンヴィツキ
1965年/ポーランド語/106分/モノクロ/デジタル・リマスター版
昨年のポーランド映画祭で上映した『ズビシェク』でポーランドの名優ズビグニェフ・ツィブルスキが登場し、異様なダンスシーンを披露していたのが本作。戦争の暗い影から逃れられない民族の宿命を描いている。クラブでのダンスシーンは、ポーランド映画史に残る名シーンなので必見。

★イーダIda監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
2013年/ポーランド語/82分/モノクロ/デジタル
2018年のカンヌ国際映画祭で最新作『Cold War』を発表し、見事、最優秀監督賞を受賞したパヴェウ・パヴリコフスキ。本作はポーランド映画初の米アカデミー賞外国語映画賞を受賞。1960年代初頭のポーランドを舞台に、孤児として育てられた少女が自身の出生の秘密を知るために叔母と旅に出るというロードムービー。

★ラブ・エクスプレス ヴァレリアン・ボロフチクについてLove Express. Przypadek Waleriana Borowczyka監督:クバ・ミクルダ
2018年/ポーランド語・英語・フランス語・イタリア語/79分/カラー/デジタル
比類のない感度を持つポーランド映画監督の一人ヴァレリアン・ボロフチク。1960年代には短篇映画が世界中の賞賛を集め、その後、エロティック映画を制作し続けたボロフチクを、テリー・ギリアム、ニール・ジョーダン、アンジェイ・ワイダ、パトリス・ルコントなど、彼に近い映画制作者、知人などのインタビューも含めて掘り下げて紹介する。

★罪物語Dzieje grzechu監督:ヴァレリアン・ボロフチク
1975年/ポーランド語/120分/カラー/デジタル・リマスター版
19世紀末のワルシャワ。誰もが息を呑むほど美しい娘エヴァは、実家が営む下宿に部屋を借りたウカシュに惹かれる。しかし彼は既婚者である上に離婚訴訟中、しかもとんでもなく破天荒な男だった。ひとりの純朴な女性が盲目の愛に溺れ、やがて転落していく様を濃密に描いたコスチューム史劇。原作はステファン・ジェロムスキ。



by sentence2307 | 2018-11-09 21:22 | 映画 | Comments(0)

【コンペティション】

東京グランプリ/東京都知事賞
★「アマンダ(Amanda)」監督・ミカエル・アース

審査委員特別賞
★「氷の季節」監督・マイケル・ノアー

最優秀監督賞
★エドアルド・デ・アンジェリス「堕ちた希望」

最優秀女優賞
★ピーナ・トゥルコ「堕ちた希望」

最優秀男優賞
★イェスパー・クリステンセン「氷の季節」

最優秀芸術貢献賞
★「ホワイト・クロウ(原題)」監督・レイフ・ファインズ

最優秀脚本賞
★ミカエル・アース、モード・アメリーヌ「アマンダ(原題)」

観客賞
★「半世界」監督・阪本順治

アジアの未来
作品賞
★「はじめての別れ」監督・リナ・ワン

国際交流基金アジアセンター特別賞
★ホアン・ホアン「武術の孤児」

日本映画スプラッシュ
作品賞
★「鈴木家の嘘」監督・野尻克己

監督賞
★「銃」監督・武 正晴一
★「メランコリック」監督・田中征爾

東京ジェムストーン賞
★木竜 麻生
★リエン・ビン・ファット
★カレル・トレンブレイ
★村上 虹郎



by sentence2307 | 2018-11-09 21:21 | 映画 | Comments(0)