世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:二川文太郎( 1 )

雄呂血

先週あたりから「日本経済新聞」の夕刊で「時代劇の楽しみ」という連載が始まりました。

筆者は、未知の人ですが、縄田一男という文芸評論家です。

どのくらいの期間連載されるか、よく分かりませんが、第一回目は、まさに日本の映画が本格的にスタートしようという時期の、旧劇から「時代劇」へと変遷していく状況が記されています。

築山光吉監督・尾上松之助主演の「渋川伴五郎」1920 or 1922と、二川文太郎監督・寿々喜多呂九平脚本・阪東妻三郎主演の「雄呂血」1925の二作品をあげながら説明されていました。

オーソドックスなこの進め方からすると、「きっと長い連載になるだろうな」と考えるか、それとも、時代劇の二度の隆盛期と、二度の試練の熾烈な時期を交互に経てきた盛衰を完結にまとめていけば、「せいぜい五回くらいが、適当なところか」という見解もあると思います。

しかし、そこのあたりはどうあれ、その記事の「まえがき」にあるとおり、名作の名場面を思い出させてくれて、「時代劇映画の尽きせぬ魅力と楽しみ」を堪能させてくれるだけでも、それでもう十分という気持です。

その第一回目が、この「渋川伴五郎」に対する「雄呂血」というわけですよね。

つまり、カメラを据えっぱなしで撮っていた旧劇に対しての時代劇、つまり、その思想として必然的に持たねばならなかった活劇としての「ちゃんばら」→「主人公の斬って斬って斬りまくる修羅の中にこそ示されなければならなかった」その作品が「雄呂血」だったのだと書かれています。

この「雄呂血」を見て、スタンバーグがスクリーンに一礼したという逸話を始めて知りました。

なるほど、世の中の矛盾や不正に対して筋を通そうとすればするほど落魄し、ついには無頼漢の汚名を着せられ、最後には大立ち回りの末に捕縛されるというこの物語、考えてみれば身動き出来ない苦境に追い込まれていく人間のあがらいようもない破滅の不条理を描き続けたスタンバーグが如何にも愛しそうな作品なのだなと膝でも叩きたくなる思いで読みました。

この「終始一貫、封建的階級制度に対する弱者の不満、疑義、反抗が憤りの爆発として飛沫をあげてほとばしっている」という活弁独特の「言葉自体」に酔ってしまうような部分を、無意識にでも「昭和初期のニヒリズムによる反権力のドラマ」と重ね合わせている部分が面白いと思いました。

その時代的な雰囲気としての「反権力的な気分」が愛された延長線上に、伊藤大輔による意識的な映画作りが位置していたのだと思うと、日本で育った社会主義思想が、必ずしも切羽詰まった生活困難上の必然によるものではなく、むしろ判官贔屓的なコンプレックスとか同情レベルから発した極めて雰囲気的なブーム程度のものにすぎなかったのではないかと、ぼんやりと考えました。

「モボ」とか「モガ」とかと同レベルの流行的なものにすぎず、その一時の現象性は、強権による弾圧によって(根強いレジスタンスを生み出すでもなく)、なんのこだわりもなく、またたくまに壊滅してしまったことを見ても分かるような気がします。

その「雰囲気」的な空気を示唆するものとして、よく知られるこの「雄呂血」を締めくくる活弁の
「無頼漢と称されるもの、必ずしも真の無頼漢にあらず。善良高潔なる人格者と称せられるもの、必ずしも真の善人にあらず。善人の仮面をかぶって世を欺く大偽善者、いまの世にも数多く棲息するを知れ」
が、その辺をよく伝えていると思いました。

さて、このことをブログに送信しようとした矢先、秋葉原における通り魔の無差別殺人という衝撃的な事件の一報に接しました。

まさに「雄呂血」というこの作品は、数多くの人間(斬り殺される側の彼らが、単に権力の走狗、権力の手先だから「数」として殺されても一向に構わないという想定です)が斬り殺される凄惨な映画です。

そして、そうした「殺戮」を正当化しているその思想が、反権力的な「時代の気分」にすぎず、「権力の犬」は殺してしまえという空気に裏打ちされているものであるのなら、ここであからさまに描かれている「死への不感症」は、ニュースで報じられていた斬り付けられて路上で蹲って苦悶している人々の映像にダブらせて考えるとき、身の毛もよだつ恐ろしい考え方なのだと、ちょっとパニクってしまいました。

同胞は命を掛けて守るけれども、敵の命なんか徹底的に殺し尽くし殲滅してしまえという考え方を内包している「雄呂血」という作品が、なにか恐ろしいモンスターのように思えてきて、しばし送信する勇気が萎えてしまったのです。

こうしてパソコンに向かってブログに書き込むという行為自体も・・・。

さて、この欄の次回のテーマは、体制の破壊者としての「大菩薩峠」の机竜之助の紹介だそうですので、これまた楽しみにしています。

(1925阪東妻三郎プロダクション・マキノプロダクション)
総指揮・牧野省三、監督・二川文太郎、助監督・村田正雄、宇沢芳幽貴、原作脚本・寿々喜多呂九平、撮影・石野誠三、撮影補助・稲葉蛟児、岡本勝人、舞台装置・川村甚平、電機照明・奥貫一、字幕・坂本美根夫、
配役・阪東妻三郎、関操、環歌子、春路謙作、中村吉松、山村桃太郎、中村琴之助、嵐しげ代、安田善一郎、森静子
1925.11.20 浅草大東京 11巻 2,537m 白黒 無声
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by sentence2307 | 2008-06-14 10:10 | 二川文太郎 | Comments(1)