世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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カテゴリ:本木荘二郎( 2 )

本木荘二郎の凄惨

名古屋城さん、ご教示ありがとうございます。

遅ればせながら、「週刊ポスト」7月23日号の「現場の磁力・エロ快人列伝・本木荘二郎」を繰り返し読んだところです。

うらぶれた安アパートの一室で、誰ひとり看取る者もなく、弁当の箱やラーメンの袋が散乱しているゴミの中で、腐り尽きるように息絶えた凄惨な本木荘二郎の最期の野垂れ死にの描写からはじまって、誰彼構わず小銭をたかり、安酒と女に溺れ込んだその日暮らしの自堕落の、胸の悪くなるようなエピソードの数々を、これでもかこれでもかと目の前に突きつけられて、いささかうんざりしました。

僕の脳裏に、あの「七人の侍」の冒頭に敢然と映し出される「製作・本木荘二郎」の墨痕鮮やかな堂々たる文字の残像がなかったら、こんなにも遣り切れない惨憺たる気持ちには、ならずに済んだかもしれません。

終戦直後、「映画芸術協会」を立ち上げて、数々の名作にかかわって混沌の時代を颯爽と駆け抜けたあの時代の寵児「本木荘二郎」が、なにも、そこまで堕ちることはないではないか、という気持ちでいっぱいでした。

ああ、そうか、堕ちたのは岸本恵一であり、高木丈夫であり、藤本潤三であり、そして藤本潤二であり、品川照二であって、なるほど「本木荘二郎」ではなかったのだ、とでもいう積もりだったのでしょうか。それにしても、考え付いたペンネームのすべてに、数字が読み込まれている奇妙な執着は、自分と過去をついに否定し切れなかった男の哀しみみたいなものを感じてしまいました。

しかし、この安アパートのシケタ一室での野垂れ死にと、燦然と輝く栄光のヴェネチア国際映画祭の金獅子レプリカとでは、どう考えても尋常とは思えないほど、その落差さあまりにも大きすぎます。

第二次東宝ストライキ直後の新生東宝の陣容の中に、プロデューサーとして、松崎啓次、伊藤武郎、田中友幸、藤本真澄、井手俊郎など錚々たるメンバーのひとりとして、そして、やがてこの業界で他の追随を許さないくらいの実績も残した 本木荘二郎が、なんでこの「週刊ポスト」で描かれているような、末路をたどらなければならなかったのか、その落魄の徹底振りが、どうしても理解できないのです。

日本の活動屋たちの誰もが、金にきれいで、会計士みたいに清潔で清廉潔白だったのならともかく、なんで使い込み程度のことで断罪されなければならないのか、そんなヤワな話は聞いたことがありません。

もし巷間の噂どおり、本木荘二郎が金にも女にもだらしなく、公私の区別が付かない金にルーズな面があったとしても、しかし、それだけで彼が場末の安アパートの一室の悪臭漂うゴミの山に顔を埋めて野垂れ死にしなければならないくらい重大なことたったのか、それがあれほど徹底的に業界からの追われなければならないような「犯罪」だったのか、二度と浮かび上がれないようなその徹底した業界追放が、自分にはどうも不自然で腑におちないのです。

タカが食い詰めた爺さんひとりを、やがてトップに上り詰めたあの錚々たるメンバーのなかの一人くらい、救いの手を差し伸べ、せめてむかしの業績に恥じないようなささやかな役職をアテガウことができなかったのか、いやいや、やろうと思えば簡単にできたことだったのではないかという疑問でいっぱいでした。

あるいは、当時、レッドパージが吹き荒れていたことと何か関係でもあったのかなどという妄想も湧いてきたりしたのですが、しかし、本当のところは、いまやビックネームとなった巨匠・黒澤明の創作活動に、あまりにも深く関わりすぎたことが、かえって徹底した追放の理由になったような気がします。

それは、黒澤明からの利害にかかわる取りまきが自己防衛のために本木を遠ざけたというよりも、黒澤明自身の映画づくりのプライドに関わる部分で、助言者・本木の存在が大きかった分だけ、ことさらに鬱陶しかったのだと考える方が、なんだか納得しやすい気がします。

名作を増産した絶頂期を支えた助言者たちをひとりひとり遠ざけ、イエスマンばかりで固めた黒澤明もまた、その結果、以後10年の沈黙を強いられたうえ、ついには自殺未遂に至るほどのダメージを受けなければならなかったということは、いまや定説となっていると思います。

黒澤明に煙たがられ、一方的に忌避されてしまったら、いさめるどころか、いまや世界的な映画監督として大成した黒澤明の顔色を窺い、遠慮しないわけにはいかなかったであろうかつての仲間たちの見て見ぬ振りをも含めて、それはまさに真の意味での「失墜と追放」というべきものだったのかもしれませんし、あるいはまた、本木自身、意地でも陽のあたる場所など、二度と浮かび上がるものかと、高邁な芸術映画を撮り続けている黒澤明の視線を意識しながら、ひたすら自尊心を傷つけるためだけにまるで退路を断つようにして、ピンク映画にこだわり、のめりこみ、自嘲・自虐・自壊に耽っていったのかもしれません。

「週刊ポスト」のこの記事のなかで殊更に印象的だったのは、若き男優・久保新二が、金もなく腹を空かせている老いぼれ本木荘二郎に、いつものように「この爺い、金やるから、パンと牛乳買って来い」と命じて、時には頭を小突いた時もあったと話すエビソードです。

その若造・久保新二の横暴を、こちらも若き山本晋也が通りかかり、見るに見かねてたしなめるという部分です。

山本晋也は、久保に言います「おまえ、このお方を誰だか知ってんのか。黒澤映画の本木荘二郎先生だぞ」と。

まさに、ご存知水戸黄門お約束の「現われの場」みたいで、読めば読むほど、ほのぼのと気恥ずかしくなる台詞ですが、それを大真面目でホザクところがさすが大監督山本氏たる所以ですし、ピンクの世界に居たくらいでは(別にこだわりがあっていたとも思えませんが)一向に傷つかないどころか、公共放送で堂々と薀蓄を傾けるタフガイ・山本晋也らしさなのかもしれませんね。

しかし、この記事の凄いのは、それに続く「そうか、荘二郎、オマエそんなに偉かったのかって。爺さん、そのあいだずっとニコニコしてた。」という部分です、この文脈からすれば「ニコニコしてた」は、この場面にはそぐわないほど好々爺然としていて、この場の説明になってない、とても残念な稚拙な表現です。

ここでの本木荘二郎には、思いっきり卑屈にして凄惨に、しかも悲憤を抑え込んだ自嘲くらいの表現が欲しいところなのですが、しかし、「黒澤映画の本木荘二郎先生だぞ」という山本監督のこの台詞、本当に真剣な顔つきで真実そう言ったのかどうか、その場の状況からすれば、きわめて疑わしいと感じました。

山本晋也もまた、蔑みの薄ら笑いを浮かべながら、久保新二とおなじように、酔いの回った老いぼれの本木荘二郎の頭を小突きながら、かくのたまったと考えるくらいの方が、むしろしっくりくるような気がします。

例えば「嘆きの天使」のラート教授(名優エミール・ヤニングスが、まるで悪夢のように演じていました)がローラに踏みつけらながら鶏のトキの声を叫び上げる屈辱に満ちた凄惨さこそが相応しいと感じました。

映画への憧れを抱き、ピンク映画くらいで大いに満足していた能天気の若き監督と、映画と時代に押しつぶされ社会の最底辺で考えられる限りの辛酸を嘗め尽くし、絶望のどん底にあった抜け殻みたいな老人の、ふたつの魂が、たまたまピンク映画という場で出会い、交錯した一瞬なのだと思いました。

「週刊ポスト」のこの記事は、ひとりの人間の生きた混沌にただ圧倒されただけの力の無い作文にすぎないという印象を受けたのですが、ただ一箇所、心動かされた部分がありました。

それは、黒澤と本木の出会いの場面、
「ふたりが出会ったのは、下宿屋の玄関脇の三畳間と、二階の八畳の縁だった。NHKのアナウンサーをやめ、助監督として東宝に入社したと本木は黒澤に話した。『狭い下にいないで、おれの二階に上ってこいよ。』黒澤に誘われた。黒澤は、その八畳間で脚本を一生懸命書いていた。本木が会社に盾をついてまでも黒澤を守ったのは、その宿縁に似た信愛のためだった。」
「嘆きの天使」だ、これは・・・という確信が、これでさらに深まりました。


参考
【時代を切り裂いた「映画芸術協会」の作品群】
★風の子(1949映画芸術協会・大泉プロ、東宝)製作・本木荘二郎、多胡隆、監督脚本・山本嘉次郎、原作・山本映佑、撮影・植松永吉、音楽・古関裕而、美術・松山崇、録音・酒井栄三、照明・吉沢欣三、
出演・夏川静江、竹久千恵子、渡辺篤、進藤英太郎、藤原釜足、久保謙一
1949.02.22 9巻 2,468m 白黒

★静かなる決闘(1949大映・東京撮影所)企画・本木荘二郎、市川久夫、監督脚本・黒澤明、脚本・谷口千吉、原作・菊田一夫、撮影・相坂操一、撮影助手・中川乃士、音楽・伊福部昭、美術・今井高一、美術助手・荒木清、録音・長谷川光雄、録音助手・須田武雄、音響効果・花岡勝次郎、照明・柴田恒吉、照明助手・法島繁義、編集・辻井正則、装置・石崎喜一、小道具・神田一郎、背景・西牧恭平、園芸・坂根音次郎、工作・田村辰治、電飾・横手三四郎、技髪・牧野正雄、結髪・田中つねえ、衣裳・藤木しげ、移動・大久保松雄、スチール・椎名勇、記録・右川八千恵、俳優事務・相川好子、製作主任・川本武男、
配役・三船敏郎、三條美紀、志村喬、植村謙二郎、山口勇、千石規子、中北千枝子、宮島健一、佐々木正時、泉静治、伊達正、宮島城之、宮崎準之助、飛田喜佐夫、高見貫、須藤恒子、若原初子、町田博子、松村若代、池上湧子、松本茂、工藤洋輔、
1949.03.13 9巻 2,591m 95分 白黒

★春の戯れ(1949映画芸協・新東宝、東宝)製作・青柳信雄、山本嘉次郎、監督脚本・山本嘉次郎、撮影・山崎一雄、音楽・早坂文雄、美術・松山崇、録音・神谷正和、照明・秋山清幸、
出演・高峰秀子、江川宇礼雄、徳川夢声、宇野重吉、三島雅夫、飯田蝶子、志村喬
1949.04.12 11巻 2,985m 109分 白黒

★野良犬(1949映画芸術協会・新東宝、東宝)製作本木荘二郎、製作主任平木政之助、監督脚本・黒澤明、助監督本多猪四郎、今泉善珠、脚本・菊島隆三、撮影・中井朝一、音楽・早坂文雄、美術・松山崇、録音・矢野口文雄、照明・石井長四郎、編集・後藤敏男、振付・縣洋二、
出演・三船敏郎、志村喬、淡路恵子、三好栄子、千石規子、本間文子、河村黎吉、飯田蝶子、東野英治郎、永田靖、松本克平、木村功、千秋実、菅井一郎、清水元、柳谷寛、山本礼三郎、伊豆肇、清水将夫、高堂国典、伊藤雄之助、生方明、長浜藤夫、生方功、水谷史郎、田中栄三、本橋和子、戸田春子、登山晴子、安雙三枝、三條利喜江、
1949.10.17 12巻 3,342m 122分 白黒

★暁の脱走(1950新東宝、東宝)製作・田中友幸、監督脚本・谷口千吉、脚本・黒澤明、原作・田村泰次郎、撮影・三村明、音楽・早坂文雄、美術・松山崇、録音・神谷正和、照明・大沼正喜、
出演・池部良、山口淑子、小沢栄、伊豆肇、田中春男、若山セツコ、利根はるゑ
1950.01.08 10巻 3,180m 116分 白黒

★魔の黄金(1950大映・東京撮影所)企画・田中友幸、本木荘二郎、監督脚本・谷口千吉、脚本・松浦健郎、原作・関川周、撮影・高橋通夫、音楽・伊福部昭、美術・仲美喜雄、録音・米津次男、
出演・森雅之、相馬千恵子、宇野重吉、星美千子、伊沢一郎、東野英治郎、志村喬
1950.02.19 12巻 3,053m 111分 白黒

★脱獄(1950大泉映画・映芸協、東京映画配給)監督脚本・山本嘉次郎、撮影・中井朝一、
出演・高峰三枝子 三船敏郎 小沢栄 志村喬
1950.03.05 11巻 2,833m 白黒

★醜聞(1950松竹・大船撮影所)企画・本木荘二郎、製作・小出孝、監督脚本・黒澤明、脚本・菊島隆三、撮影・生方敏夫、特殊撮影・川上景司、音楽・早坂文雄、美術・浜田辰雄、装置・小林孝正、装飾・守谷節太郎、調音・大村三郎、照明・加藤政雄、編集・杉原よ志、現像・神田亀太郎、焼付・中村興一、スチール・梶本一三、記録・森下英男、衣裳・鈴木文治郎、結髪・佐久間とく、床山・吉沢金五郎、演技事務・上原照人、撮影事務・手代木功、経理担当・武藤鐵太郎、進行・新井勝次、
出演・三船敏郎、山口淑子、桂木洋子、千石規子、小沢栄、志村喬、日守新一、三井弘次、 大杉陽一、清水一郎、岡村文子、清水将夫、 北林谷栄、青山杉作、高堂国典、上田吉二郎、縣秀介、左卜全、殿山泰司、増田順二、神田隆、千秋実、島村俊雄、遠山文雄、小藤田正一、谷崎純、仲摩篤美、野戸成晃、土田慶三郎、藤丘昇、高瀬進、太田恭二、長尾寛、大杉陽一、大沢之子、後藤泰子、秩父晴子、江間美都子、山本多美
1950.04.26 国際劇場 一般封切 30 日11巻 2,860m 104分 白黒


★羅生門(1950大映・京都撮影所)製作・箕浦甚吾、企画・本木荘二郎、製作主任・小林利勝、監督脚本・黒澤明、助監督・加藤泰、若杉光夫、田中徳三、脚本・橋本忍、原作・芥川龍之介「薮の中」、撮影・宮川一夫、撮影助手・本田平三、音楽・早坂文雄 、美術・松山崇、美術助手・太田誠一、装置・山本卯一郎、背景・太田多三郎、装飾・松本春造、録音・大谷厳、録音助手・林土太郎、効果・山根正一、照明・岡本健一、照明助手・中岡源権、編集・西田重雄、記録・野上照代、演技事務・中村元次郎、進行・竹内次郎、美粧・明石悦夫、結髪・花井リツ、衣裳・大畠卯一、扁額・宇野正太郎、スチール、浅田延之助、擬闘・宮内昌平、
出演・三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之、千秋実、上田吉二郎、本間文子、加東大介、
1950.08.26 9巻 2,406m 88分 白黒

★薔薇合戦(1950松竹・京都撮影所、映画芸術協会)企画・本木荘二郎、製作・杉山茂樹、監督・成瀬巳喜男、助監督・倉橋良介、監督助手・菊池靖、脚本・西亀元貞、原作・丹羽文雄、撮影・竹野治夫、撮影助手・広田彰三、音楽・鈴木静一、美術・松山崇、美術助手・加藤喜昭、装置・中大路義一、装飾・山口末吉、装飾助手・野村治、録音・高橋太朗、録音助手・奥村泰三、照明・寺田重雄、照明助手・一瀬与一郎、編集・相良久、衣裳・佐々木愛子、スチール・河中久一郎、記録・岩崎伊三郎、進行担当・久保友次、進行助手・吉岡哲也、
出演・三宅邦子、若山セツ子、桂木洋子、鶴田浩二、安部徹、永田光男、若杉曜子、大坂志郎、仁科周芳、進藤英太郎、鮎川十糸子、井上晴夫、静山繁男、青山宏、小林立美、大川温子、 光静江、荒木久子、鈴木房子、滝暎子、三宅妙子、日野道夫、園田健次、村上記代、千石規子、
1950.10.28 10巻 2,686m 白黒

★真珠夫人(1950大映・東京撮影所)製作・中代富士男、本木荘二郎、監督脚本・山本嘉次郎、原作・菊池寛、撮影・相坂操一、音楽・渡辺浦人、美術・松山崇、録音・西井憲一、
出演・高峰三枝子、池部良、小杉勇、星美千子、春日俊次、潮万太郎
1950.10.21 10巻 2,372m 87分 白黒

★愛と憎しみの彼方へ(1951映画芸術協会、東宝)製作・田中友幸、監督脚本・谷口千吉、脚本・黒澤明、原作・寒川光太郎、撮影・玉井正夫、音楽・伊福部昭、美術・北辰雄、藤好昌生、岸田九一郎、
出演・池部良、水戸光子、三船敏郎、志村喬、小沢栄、上田吉二郎
1951.01.11 12巻 2,927m 白黒

★悲歌(1951映画芸術協会、東宝)企画・星野和平、製作・本木荘二郎、演出脚本・山本嘉次郎、演出補佐・本多猪四郎、原作脚本・小国英雄、撮影・中井朝一、音楽・渡辺浦人、美術・松山崇、録音・宮崎正信、照明・岸田九一郎、スチール・高木暢二、製作主任・根津博、
出演・上原謙、高峰三枝子、三船敏郎、志村喬、三原純、小杉義男、青山杉作、英百合子、鏑木ハルナ、吉沢京子、堺左千夫、生方功、小林十九二、木村功、川久保トシ子、三好栄子、安芸津融、草間璋夫、鴨田清、柳谷寛、沢村貞子、左卜全、榊田敬治、成田寿、熊谷二郎、河崎堅男、神山勝、鵜野満雄、一万慈多鶴恵、
1951.02.22 12巻 3,000m 白黒

★白痴(1951松竹・大船撮影所)製作・小出孝、企画・本木荘二郎、監督脚本・黒澤明、助監督・萩山輝男、小林桂三郎、野村芳太郎、中平康、生駒千里、二本松嘉瑞、脚本・久板栄二郎、原作・ドストエフスキー、撮影・生方敏夫、音楽・早坂文雄、美術・松山崇、装置・関根正平、古宮源造、装飾・島田忍太郎、録音・妹尾芳三郎、録音技術・佐々木秀孝、照明・田村晃雄、編集・杉原よ志、現像・神田亀太郎、焼付・桜井輝代、衣裳・田口ヨシ江、結髪・北島弘子、記録・池田義徳、演技事務・生田進啓、スチール・堺謙一、工作・三井定義、進行・山吉鴻作、後援・札幌観光協会、美術工芸品提供・はっとり和光
出演・原節子、森雅之、三船敏郎、久我美子、志村喬、東山千栄子、柳永二郎、千秋実、千石規子、高堂国典、左卜全、三好栄子、文谷千代子、明石光代、 井上大助 、遠山文雄、 横山準、 仲摩篤美、手代木国男、小藤田正一、大杉陽一、泉啓子、秩父晴子
1951.05.23 東劇 一般封切 6月1日20巻 4,543m 166分 白黒

★誰が私を裁くのか(1951大映・東京撮影所)
監督・谷口千吉、脚本・新藤兼人、原作・井上友一郎、撮影・相坂操一、音楽・伊福部昭、美術・柴田篤二、録音・西井憲一、
出演・乙羽信子、山村聡、伊豆肇、沢村晶子、関千恵子、利根はる恵
1951.05.18 10巻 2,725m 99分 白黒
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by sentence2307 | 2010-07-17 16:48 | 本木荘二郎 | Comments(2)

本木荘二郎の光と闇

いま、BS2でかなりの期間をかけて、連続的に黒澤明作品を放映していますよね。

近々あの名作「生きる」も流されるということで、今から楽しみにしています。

こんなふうに、かなりの頻度で黒澤作品を繰り返し見る機会に恵まれているので、自然とスタッフの名前も頭の中に入っていることに気づかされることが、たまにあります。

つい先日、山形国際ドキュメンタリー映画祭のサイトを見ていたら、こんな記事を見かけました。

「『モデルと写真家』(1960監督・亀井文夫、配給日本ドキュメントフィルム)と『女は下着で作られる』(1958監督・中村正也・小山内治夫、配給日本ドキュメントフィルム)の2作は、ピンク映画でもなければ劇映画でもない。
ジャンル的にはドキュメンタリーであり、PR映画にも相当するもので、1958年に作られた所謂クラシック、考古学の分野に属するものであり、この『モデルと写真家』に至っては、1962年の『肉体の市場』(小林悟監督)、『肉体自由貿易』(本木荘二郎監督)に先立つエロティック映画(ピンク映画)の始祖と位置づけられているのだそうだ。」
という文章です。

ここに書かれている本木荘二郎が、あの「酔いどれ天使」、「静かなる決闘」、「野良犬」、「醜聞」、「羅生門」、「白痴」、「生きる」、「七人の侍」等の数々の名作を製作した本木荘二郎と同一人物なら、これは大変なショックです。

全然知りませんでした。

早速、インターネットで調べてみたのですが、その偏った情報の、そして少なさには驚きました。

まるで、映画界においては触れてはいけないことなのか、と思わせられるほどの印象です。

それでも、それらの記事の断片を繋ぎ合わせるとこんな感じになりました。

黒澤明とともに「素晴らしき日曜日」「酔いどれ天使」「羅生門」「生きる」「七人の侍」などの名作をプロデュースした本木荘二郎は、昭和32年「どん底」製作中契約解除されたのち、一転してピンク映画の制作者(小針二郎、岸本恵一、品川照二、高木丈夫、藤本潤三の別名を駆使)としてピンク映画を量産し、また金銭的な不義理を重ねながら、最後には陋巷にて斃死した日本映画黄金時代の暗部である人物。
昭和52年、本木は、新宿のアパートの一室で心不全のために死亡。使い古しのダブルベッドの上で、洋服を着たまま仰向けに横たわっていた。
その2Kのアパートの室内には、インスタント・ラーメンの塵屑やらパック詰め弁当の食べかす、読み散らしたスポーツ新聞などが散乱し、座る場所もなかったという。

生前の彼を知る人物を訪ねて歩いて話を聞くというノンフィクション風に書いた本で、藤川黎一『虹の橋 黒澤明と本木荘二郎』(1984虹プロモーション)という本があるそうですが、独特の独りよがりな書き方で評判のほうはあまり良くなく、それだけに入手が困難な幻の本になっているようです。

前期黒澤作品をはじめ、日本映画史に残る数々の名作をプロデュースした本木荘二郎が最後に監督した作品は、「好色女子大生 あげちゃいたい!」でした。
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by sentence2307 | 2008-08-02 12:05 | 本木荘二郎 | Comments(240)