世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:園子温( 1 )

愛のむきだし

いつも考えることのひとつに、こんなことがあります。

例えば、どんなむずかしい役を振り当てられても、感覚的に消化してなんなくこなしてしまう器用な俳優や、あるいはその役を掘り下げるだけ掘り下げて研究し独特な人物像を作りあげ、思わず「うまいなー」と感心してしまうような才能豊かな卓越した役者たちは、ごくわずかだとしても、確かにいます。

いわば名優といわれている人たちでしょうか。

しかし、不運にも、その役に「成りきる」ことのできる器用さや優れた才能のために、かえってその人自身の印象が薄まってしまい、結局その人を象徴するような役どころに生涯めぐり逢うことができずに、いつのまにか観客の記憶から消えてしまうという皮肉な結果をみると、役者っていったいなんなのだろうかと考えてしまいます。

あるいは、自分にぴったりの「生涯の適役」にめぐり逢うことができたとしても、その観客の期待と先入観に縛られて、その役以外は演じられなくなる役者もまた「不運な役者」というべきで、話の本質は同じことかもしれません。

「寅さん」を演じ続け、やがては「寅さん」以外を演じることを許されなくなった国民的スター・渥美清を思い返してみれば、晩年の彼はもはや俳優などではなく、観客の期待と先入観に雁字搦めにされたイメージの奴隷だったのだと思います。

「生涯の適役」にめぐり逢うということは、俳優にとっては永遠の夢であるとともに、また、役者生命を脅かす厄災というか宿命みたいなものでもあるのだ、ということを考えれば、「愛のむきだし」において、驚異的な集中力でヨーコを演じきった満島ひかりは、まさに俳優としての「永遠の夢」を手に入れたために、今後の俳優生命を試される「厄災」をも同時に手にしてしまったことになるのかもしれません。

誰かが、この満島ひかりの演技を、大袈裟ではなく、映画史に残る熱演だったと評した一文を読んだときから、もちろん僕自身もその絶賛にいささかの異議もなく同意したときから、この作品について「諸手をあげて賛同した」ことを理由に感想を述べることを避けてきたといえるかもしれません。

しかし、正直なところをいえば、これほどの長尺を一気に見せてしまう園監督のチカラワザと、若手の俳優たちから熱い演技を引き出した演出者の強引さと集中力とに脱帽したためというのは表面的な理由で、「感想」を放棄したもうひとつの理由は、この作品が扱っている扇情的な素材群を、自分なりにどう消化できたのかが自身で説明できなかったからだと思います。

それを言葉として数え上げればキリがありませんが、たとえば、パンチラ、勃起、盗撮、家庭内暴力、レズビアン、自慰、近親相姦など、まだまだ数え足りないくらいのこれらのスキャクダラスな観念と、ご丁寧にも更にそれらを総称する「変態」という見出し的言葉さえ用意されているこの扇情的なむきだしの軽薄さを、どうすれば、あの見たあとに確かに自分の中に残っている手ごたえと「重厚さ」とに変化し得たのかが、自分でも(いままでの自分の価値観からでは)どうにも説明できなかったための「沈黙」だったのかもしれません。

こうした理由で、この「愛のむきだし」という作品に、いい加減な感想を書くくらいなら、ヨーコが、荒涼とした冬の砂浜で、あらん限りの憤りに身を震わせ渾身のチカラを振り絞って絶叫した「第一コリント書」の13章13節を丸写しでもした方が、まだしもこの作品の真意を言い表せるはずと考えていた僕にとって、この作品について感想を書くという対象からはずしていたのは、ごく自然な成り行きでした。

しかし、そんなあるとき、ある一文に遭遇しました。

「この作品を、もし観るのであれば、かなり画面に現れるエロとグロで挫けてはならない。いや、そもそも『エロとグロ』をまったく受け付けないのであれば、最初から観るべきでない」というのです。

ははーん、この文章を書いた本人こそ、「この作品のエロとグロとを受け付けられず」、しかし、そこから得てしまった感動の不可解さとギャップとに途方に暮れ、「最初から観るべきでない」などと三人称に託して理解できない自分を告白してしまっているのだと直感しました。

そうなのか、誰しもこの作品が取り上げている数限りない「エロとグロ」とにうんざりさせられながらも、最終的に手にしてしまった「感動」に驚愕し、どうにかその落差を関係付けようとして多くの人たちが必死になって苦慮していることが分かりました。

それなら、僕は、自分なりの原点に立ちかえってみるしかないのかもしれないと考えたのだと思います。

「映画には、文法がないのだと思う。これでなければならないという型はない。優れた映画が出てくれば、それが独特の文法を作ることになるのだから、映画は、思いのままに撮ればいいのだ。」

「映画とは、1人の人間の、ほんとうの個性を描くものだ。ほんとうの人間は、いくらそれを行動の上で、どぎつく描いても描ききれるものではない。喜怒哀楽だけを、一生懸命写し取ってみても、それで人間のほんとうの心、気持が現せたとは言えない。悲しいときに笑う人もいるし、嬉しさを現すために泣かす場合もある。要はその人間の風格を出すことだ。」

「私は、映画を清潔な感じにしようと努める。なるほど、穢いものを取り上げる必要のある事もあった。しかし、それと画面の清潔と不潔とは違うことである。現実を、その通りに取り上げて、それで穢いものが穢らしく感じられることは好ましくない。映画では、それが美しく取り上げられなくてはならない。」

これらは、小津監督の遺した言葉です。

映画をみるうえで自分なりの指針にしています。

どぎつくて清潔とも思えない「愛のむきだし」は、小津監督のお薦め作品には当たらないのかなという気がしますが、しかし待ってください、小津監督は、こんなふうにもいっています。

「映画には、文法がない」と。

そして、僕たちが「愛のむきだし」を見た最後に得た印象は、どぎつさでも不潔さでもない、愛を謳いあげる崇高さだったのではないか、だから、小手先だけの屁理屈をごちゃごちゃと捏ねるよりも、むしろ、ヨーコが絶叫した「コリント書」のクダリを丸写ししようと考えたのだと思います。

この世の汚穢なものすべてを倒錯させ、聖性を与えた満島ひかりの「コリント書」の絶叫をこそ、筆写することで十分だと感じたのだと思います。



最高の道である愛。
たとえ、人々の言葉、天使たちの言葉を語ろうとも、
愛がなければ、わたしの言葉は騒がしい銅鑼、
やかましいシンバル。
たとえ、予言の賜物があり、
たとえ、預言する賜物をもち、あらゆる神秘、
あらゆる知識の奥義に通じ、
必要とあれば山を揺るがすほどの信心を持ち合わせようとも、
愛がなければ、わたしはなにものでもない。
たとえ、持てる全ての財産を他者に与え、
己の身を燃やし尽くそうとも、
愛がなければ、わたしには何の益にもならない。
愛は寛容で、
慈悲深いもの。
愛は妬まず高ぶらず誇らない。
見苦しい振る舞いをせず、
自分の利益を求めず、
怒らず、人の悪事を数えたてない。
愛は決して滅び去ることはない。
予言の賜物なら廃りもしよう。
不思議な言葉ならば止みもしよう。
知識ならば無用となりもしよう。
我々が知るのは一部分、
また予言するのも一部分である故に、
完全なものが到来するときには、
部分的なものは廃れさる。
私は幼い子供であった時、
幼い子供のように語り、
幼い子供のように考え、
幼い子供のように思いを巡らした。
ただ、一人前の者になった時、
幼い子供のことは止めにした。
我々が今見ているのは、
ぼんやりと鏡に映っているもの。
その時に見るのは顔と顔を合わせてのもの。
私が今知っているのは一部分。
その時には自分が既に完全に知られているように、私は完全に知るようになる。
だから引き続き残るのは信仰、希望、愛、この三つ。
このうち最も優れているのは、愛。

(2009「愛のむきだし」フィルムパートナーズ、)監督原案脚本・園子温、エグゼクティブプロデューサー・松岡周作、横濱豊行、河井信哉、アソシエイトプロデューサー・諸橋裕、プロデューサー・梅川治男、音楽・原田智英、ラインプロデューサー・鈴木剛、撮影・谷川創平、美術・松塚隆史、照明・金子康博、録音・永口靖、編集・伊藤潤一、スタイリスト・松本智恵子、アクションデザイン・坂口拓、アクション監督・カラサワイサオ、特殊造形・特殊メイク・西村喜廣、石野大雅、整音・小宮元、VFXディレクター・馬場革、キャスティング・石垣光代、助監督・森倉研弥、制作担当・戸田格、アシスタントプロデューサー・須藤麻衣子、千田一義、製作経理・佐藤尚子、企画・オメガ・プロジェクト、制作・アン・エンタテインメント、制作協力・ステューディオスリー、配給・ファントム・フィルム、宣伝協力・パンドラ、主題歌・挿入歌・空洞です/ゆらゆら帝国(ソニー・ミュージック アソシエイテッドレコーズ)
出演・西島隆弘、満島ひかり、安藤サクラ、尾上寛之、清水優、永岡佑、広澤草、玄覺悠子、中村麻美、渡辺真起子、渡部篤郎、紅音ほたる、板尾創路、岩松了、大口広司、大久保鷹、岡田正、倉本美津留、ジェイ・ウエスト、深水元基、吹越満、古屋兎丸、堀部圭亮、宮台真司、日向ななみ
2009年1月31日 237分

園子温監督23作目、第9回(2008年)東京フィルメックスの観客投票により「アニエスベー・アワード」受賞。第59回(2009年)ベルリン映画祭出品「カリガリ賞」「国際批評家連盟賞」受賞。バルセロナアジア映画祭観客賞、ニューヨークアジア映画祭観客賞・グランプリ、モントリオール・ファンタジア国際映画祭審査員賞特別賞・最優秀女優賞満島ひかり・最優秀アジア映画賞 (金賞)・最優秀革新映画賞 (金賞)、第83回キネマ旬報ベスト・テンで、主演の西島隆弘「新人男優賞」、満島ひかり「助演女優賞」受賞、日本映画ベスト・テン第四位。第64回毎日映画コンクール「監督賞」園子温、「スポニチグランプリ新人賞」西島隆弘、満島ひかり選出。
新約聖書「コリントの信徒への手紙」第13章・愛の賛歌。
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by sentence2307 | 2010-08-29 23:00 | 園子温 | Comments(35)