世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:北川悦吏子( 1 )

ハルフウエイ

この映画を見たあと、すぐに素朴な疑問にとらわれました。

どうしてヒロ(北乃きいが演じています)は、シュウ(岡田将生が演じています)に対して、あんなにも我侭を押し通すことができたのだろうか。

そして、また、シュウにしても、なんで、あそこまで、ヒロの我侭に対して従順であろうとしたのだろうかと、そこらあたりが自分としては、どう考えても不可解で理解できませんでした。

シュウは、まるで、ヒロの我侭のすべてを、限りなく許してしまおうとしているみたいな印象です。

どうして彼は、あんなにもヒロに譲歩しなければならないのか、そうしなければならないような、なにか「負い目」とか「引け目」みたいなものでもあったのだろうかと、二度目はそのあたりを注意して見直した積りでしたが、それらしい葛藤など、この映画のどこにも描き込まれてはいませんでした。

普通に考えてみても、相手への愛情の証しに自分の進路を変えるなんて、相当な負の理由でもなければ、到底考えられるわけがないとしか思えません。

なにしろ大切な自分の将来が掛かった志望校の選択です、それをタカが恋のために変えてしまおうなんて、ちょっと考えづらい、フツーならできるわけないじゃないですか。

オヤジ的発想からいえば、例えばカラダの関係ができてしまったからとか? まさかね。

でも、それくらいでなければ、自分などは到底納得できない、とまあ、こんなケガラワシイ発想しかできないこのワタクシをどうぞお許しくださいナンテネ。

とにかく、そこまでじゃないにしても、このヒロの「我侭」とシュウの「従順」との関係は、やっぱり僕にとっては相当に謎で、不自然で、理解できなくて、尋常じゃないし、なにしろ、大切な自分の進路と愛情を天秤に掛けて、愛情の方を選ぶなんて・・・とここまで書いてきて、
思わず「あっ!」と叫んでしまいました。

「これってだから、ラブストーリーだったのか」

へんな納得の仕方をしてしまいました。

誰からのものであろうと、どんなものであろうと、愛情なんて名の付くものには一切無縁で、だからまるっきり信じてない自分が、これでバレバレになってしまいましたが、もともと愛情なんてハナから信用してないのですから、自分としても彼らの執着が理解できなかったのも当然というわけだったのです、別に開き直るわけじゃありませんが、我ながら十分に納得がいきました。

ただこんな胴体着陸みたいなオチで、この映画感想文を締め括ってしまっては、ミも蓋もありませんから、もう少しゴネてみようかと思います。

オヤジの自分には、この恋人たちの根拠の無い不自然な主従関係が到底理解できない、というところまで書きました。

しかし、親密になった男女間というものは、お互いの気持ちを確かめるために、ときには無理難題を持ち掛けあったり、それに対して相手の媚びのような従順さを改めて確かめて楽しんだりと、それはまるで性的前技のようなもので、それって一種の愛情表現のマナーみたいなものらしいのですが、不運にしていままで桃色系の経験に恵まれなかったせいか、そういう男女間の駆け引きの微妙なアヤみたいな?その辺のところが、もうひとつよく分からない、不運な境遇にあった残念な自分には、どうしてもそこのところ(ヒロVSシュウのじゃれあいの部分)が理解できなかったのだと思います。

悩みに悩んだすえに、この素朴な疑問を友人にナニゲに投げ掛けてみました。

答え「女も女だけど、そりゃあ男のほうが輪を掛けて優柔不断だったということだったんじゃない、だからドジ踏んで、さらにドツボに嵌っちゃったんじゃないの。最近多いよ、そういうの」ときっぱり断言され、まるで取り合ってもらえませんでした。

しかし、シュウが、ヒロに自分から終始東京行きを告げなかった理由を、その優柔不断さだけをもってして説明ができるのか、という疑問はずっと残りました。

もちろん「否定的」にです。

とにかく、シュウの不実(そう見えました)が原因で、このたどたどしくぎこちない恋人たちのあいだに、小さなサザナミというか亀裂が生じ、やがて別れる別れないのヒト騒動が持ち上がったわけですから、「なぜシュウは東京行きをヒロに話さなかったのか」という疑問の探求は、この映画を理解するうえで、とても重要な要点整理となるに違いないと思いました。

「付き合って欲しい」とシュウがヒロに告白したとき、なぜシュウは、同時に早稲田大学を受験すること(そのことの延長には、彼女を残して東京へ行こうとしていること)をヒロに告げなかったのか、ヒロが彼のその行為(不作為なので、あえていえば「不行為」とでもいうべきでしょうか)に対して不安に揺れ、ましてや、その事実を、ヒロは、シュウからではなく、彼の友人を通して始めて知ったのですから、彼の不実に憤慨し、彼に向けられた怒りは何十倍にも膨れ上がったというのは、彼女にしてみれば至極当然のことだったと思います。

しかし、ここでよく考えてみなければならないことがあります。

この付き合いの本当の発端が、シュウの告白から始まったわけでないことを、観客は十分に知らされているということです。

例の土手道で彼が彼女に告白する以前に、シュウは保健室で偶然、ヒロが自分のことを好きで、まさにその当日にも、彼女が自分に告白するらしい決意を口走っている場面に遭遇しています。

もちろん、ヒロの方は「知られてしまっている」ことなど、まるで気がついていません。

その辺の事情をすでに知っている観客にとっては、土手の道で、なかなか告白することのできないでいるヒロに代わって、いちはやく(というか、むしろ「業を煮やして」)告白してしまうシュウが、「真正の告白者」でなく、うまく言い出せないでいる彼女に代わって告白してあげた、いわば単なる代弁者にすぎないことは、周知の事実というところだと思います。

だから、自分に告白し、付き合う前に「早稲田大学行き」のことを話そうとしなかったシュウの不実を憤慨するヒロの怒りは、少し違うかなと。

あの土手の場面では、シュウは、既にヒロの気持ちのすべてを分かっていたから、あえて彼女に告白する負い目を持たせないために、いち早く自分が告白する側に廻ったにすぎなかったように、彼女に負い目を持たせないために、東京行きを話さなかったのではないかと思います。

確かに、シュウが東京行きを彼女に告げなかったのは、ヒロの思い・ヒロの気持ちを傷つけまいとして、その時点ではまだヒロへの思いがそれほどではなく、ゆくゆくは穏便に別れようと思っていたということは十分に考えられます。

しかし、たとえそれがヒロの勘違いから始まったことであっても、シュウの不実をなじる彼女の気持ちのひたむきさに向かい合う過程で、シュウのヒロへの気持ちも徐々に深まっていったのだと思います。

ただ、その愛情のカタチをいえば、終始「同情」の要素のとても強いものだったには違いないだろうという印象は受けました。

ラストシーン、東京へ向けて旅立つシュウを、ヒロはひとりホームにたたずんで見送ります。

それはまるで「置き去りにされた女」という印象です。

このラストシーンを見ながら、なぜだか、しきりに浦山桐郎の「私が棄てた女」が連想されてなりませんでした。

出世していく男の躊躇と贖罪、そして置き去りにされ忘れられる女の哀しみ、溝口健二の作品にも、ちょうどそんな映画があったのを思い出しました。

(2009シネカノン、幻冬社、ロックウェルアイズ)製作総指揮・岩井俊二、小林武史、監督・脚本:北川悦吏子、製作・李鳳宇、見城徹、岩井俊二、撮影・角田真一、美術・柘植万知、音楽・小林武史、編集・北川悦吏子、岩井俊二、主題歌・Salyu「HALFWAY」
出演:北乃きい、岡田将生、仲里依紗、溝端淳平、成宮寛貴、白石美帆、大沢たかお、
2009.2.21
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by sentence2307 | 2010-09-19 09:14 | 北川悦吏子 | Comments(984)