世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:北林谷栄( 1 )

北林谷栄のこと

最近とみに、テレビをつけたまま、居眠りしていることが多いらしく(これがなんとも気持ちよく、うたた寝は、もちろん自分自身でも十分に自覚していたことですから、正直なところ、放って置いてほしいというのが本音だったのですが)、そのうたた寝を家人から指摘されたとき、思わず「寝てない」と頑なに否定したら、それ以来、こちらが気持ちよく居眠りしかけているところを、絶妙なタイミングで突っつかれて起こされます。

なんだか老いたトルストイになったような悲惨な心持です、家人のその所業の理不尽さは、ホント納得できないのですが、こちらとても非がないわけじゃないので引っ込みもつかず、なんだか強情者同士の意地の張り合いみたいになってしまいました。

しかし、本当に責められるべきは、居眠りさせてしまうような退屈な番組しか提供できないテレビ局の方にあるのではないかと、なんだか釈然としない気持ちもあります。

まあ、そんなふうに思わなければ、気持ちの持って行き場がないというのもあるかもしれません。

それに、常日頃、見てもいないのにテレビをつけっぱなしにしておくという悪い癖もあるので、コチラとしても、家人の暴挙をことさらに非難して、この些細な家庭争議を拡大させようなんて気は毛頭ありません。

こだわってグズグスとゴネていたら、それこそ日頃のだらしなさの方を指弾されるという好ましからざる事態を招来し、どう考えても当方に得策ではないことは明らかですので、そこのところは適当に和睦に持ち込むということで治めています。

そんな感じで、先日、ウトウトと居眠りしながら、耳だけでぼんやり聞いていた番組がありました。

なんだか、北林谷栄がインタビューに受け答えしている番組です。

あの独特のしゃがれ声は、ベティ・デイビスの吹き替えでむかしから慣れ親しんできた声です。

夢うつつながらも、北林谷栄は、今年だったかに、たしか亡くなったよなあ、などとぼんやり考えながら、ときどきは、薄目を開けたりして、ぼんやりと眺めたり、聞いたりしているうちに、いつの間にか眠ってしまいました。

そして、例のように家人に突っつかれてムゲに起こされ、仕方なく、なにやかやの家事仕事をしぶしぶ手伝い、いつもながらの夕食も終えたころになって、不意に、その夢うつつの中で、ぼんやり聞いていた番組のことが、鮮明によみがえってきました。

そこには、北林谷栄が出演していた映画「阿弥陀堂だより」2002の一場面や、「楢山節考」をもとに芝居にしたような一場面も紹介されていました。

それと、その合い間に、北林谷栄に対するインタビューの場面(そこまでが、古い番組みたいです)が挿入され、それを受けて現在スタジオにいるゲストがコメントするというものでした。

北林谷栄がインタビューに答えている時点と、ゲストがコメントしている時とのあいだに、どれだけの時間の開きがあるのか、まるで見当もつきませんが、北林谷栄のコメントに対して、見ている方が気恥ずかしくなるくらい褒めちぎる大仰さ、節操のないワザとらしさや、薄っぺらな当たり障りのない内容からして、北林谷栄とコメンテイターとの間には、生死の境という決定的な溝が穿たれているのだろうなということは、容易に察せられました。

あの番組が、どういう番組だったのか、知らずにはいられなく、すぐさまインターネットで検索しました。

分かりました、分かりました。

9月19日(日曜日)午後1時35分から2時45分にかけて放送された70分の番組「日本のおばあさん役者・北林谷栄の世界」という番組でした。

ゲストは、作家の佐江衆一とシンガーソングライターの植村花菜、キャスターはアナウンサー桜井洋子。

僕が気になっていたのは、桜井アナウンサーが、ゲストたちに、「なぜ、北林谷栄さんは、おばあさん役ばかりなさったとお思いですか」と問い掛けた部分です。

思い返してみれば、この何気ない質問は、北林谷栄という女優の人生の根源を問うような途轍もなく重要な質問です。

なぜ北林谷栄は、おばあさん役ばかりを演じたのか、その問いに対してあのゲストたちが、どのように答えたのか、あるいはまた、古い番組のなかで北林谷栄自身が、その重要な問いに答えていたのかどうか、残念ながら、自分は、そこでも居眠りをしていて聞き漏らすという体たらくを遣らかしています、あるいは、ゲストたちの相も変らぬ月並みな回答に失望し、さらなる退屈さを増す結果となり、抵抗しがたい眠りに落ちていったというケースも考えられないわけではありません。

すくなくとも「びっくりして目が覚めた」というような答ではなかったことだけは、確かだったのではないかと思います。

「なぜ北林谷栄は、おばあさん役ばかりを演じたのか」という疑問は、数日間、僕の頭の中を駆け巡り続けました。

たしか番組のなかでも、北林谷栄は、お婆さん子で、身近にそうした格好の教材があったので演じ易かったのではないか、みたいなことをいっていたような気がします。

しかし、身近に教材があったというだけでは、北林谷栄が生涯老婆役に固執した特異な女優の一生を説明するには、とても説得力のある理由とはいえません。

こんなふうに、いろいろと考えているうちに、jmdbの北林谷栄出演作一覧表に彼女の映画出演作の2番目の作品として成瀬巳喜男の「白い野獣」1950の記載を見つけました。

婦人補導院に収容された三浦光子を相手に、街娼同士お互いの髪の毛を引きむしる大立ち回りを演じたのが、なんと北林谷栄だったのを知って、思わずのけぞってしまったのを鮮明に覚えています(のけぞったのは、おそらく、その若さに対してではなく、彼女が「若さ」を演じた時期があったことに対してでした。)。

たぶん、あの映画でも、彼女は、その役を一生懸命に演じていたに違いないのでしょうが、その印象は、彼女の懸命さほどには伝わらず、猛り狂えば狂うほど、きわめて凡庸にして希薄、たぶん誰が演じても、あのくらいには演じられるだろうなと思える程度の低調なものだったように記憶しています。

それに比べたら、後年の「原爆の子」「ビルマの竪琴」「オモニと少年」「キクとイサム」「にあんちゃん」「キューポラのある街」など、老婆を演じた彼女の強烈な印象は、あの「白い野獣」の比ではありません。

「白い野獣」から「原爆の子」に至るまでの時間差は、なんとたったの2年、「にあんちゃん」までですら、9年にすぎません。

つまり、「白い野獣」と「原爆の子」「にあんちゃん」のあいだにこそ北林谷栄の答えがあるということなのだと思います。

「白い野獣」において街娼を演じた彼女は、演じれば演じるほど演技が空回りし、行き詰まりと限界を感じているのではないかというのが、そのときの僕の印象でした。

そこには、女であること、若いこと、その満たされない欲望を体全体でぶつかって演技したとしても、ますます凡庸で希薄な表現にしかならない限界を感じたに違いないという印象です。

そして、ここからは、僕の単なる想像にすぎませんが、北林谷栄は、そのとき、こんなふうに感じたのではないかと思います、自分の演技がどこまでいっても「希薄」なものにすぎないのなら、その「希薄さ」をこそ観客にリアルと感じさせる演技をすればいいのではないか、自分に足りない「女らしさ」や「若さ」や「欲望表現」をすべて否定し失わせたうえでのリアルな存在として、そこに「老婆」を演じるという線が見えてきたのではないか(身近にいた祖母の存在が、そのとき始めてヒントになったかもしれません)と想像してみました。

彼女のなかでは、それくらい驚異的な大転回が行われたに違いないと思いました。
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by sentence2307 | 2010-09-23 23:07 | 北林谷栄 | Comments(2)