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by sentence2307
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カテゴリ:佐伯幸三( 2 )

喜劇 駅前競馬

前回、映画「ぶっつけ本番」のコラムを書く前に、この作品の予備知識を得ようと、ネットで検索した結果、意外な収穫があって、作品評はそっちのけで、作品の時代背景について、つい熱中して書いてしまいました。

いえいえ、そのことについて反省しているわけではなくて、むしろ「収穫 その2」があるので、そのことを書いておこうと思っています。

実は、このコラムを書く前に、この作品が公開された1958年という年の「キネマ旬報ベスト10」をチラ見しました。

まあ、当時の批評家が、評価を含めてどんなふうにこの作品を見ていたか、その距離感というか、空気感みたいなものを知りたいと思ったのが動機です。

結果は、こうでした。

1 楢山節考(木下恵介)
2 隠し砦の三悪人(黒澤明)
3 彼岸花(小津安二郎)
4 炎上(市川崑)
5 裸の太陽(家城巳代治)
6 夜の鼓(今井正)
7 無法松の一生(稲垣浩)
8 張込み(野村芳太郎)
9 裸の大将(堀川弘通)
10 巨人と玩具(増村保造)

なるほどね、ここまでが、ベスト10圏内の作品ですか。

さすがに、映画「ぶっつけ本番」が圏内に入っているとは最初から思っていませんでしたが、それにしてもお約束のとおり、ベスト10といえば、やはり、名実ともに「ベスト10監督」に相応しい名匠・巨匠がずらりとランクされているわけですが(「なにをいまさら」という当然すぎる話ですが)、しかし、もし仮に、ここに、軽妙洒脱な異色作「ぶっつけ本番」がランクインしていたら、ずいぶん面白いだろうなとチラッと思ったりしました。

べつに、偏ったジャンル(「社会問題」とか「政治的陰謀の暗示された事件」)にこだわった作品や、「深刻さと重厚さと悲壮感」ばかりの「見せかけ」だけ整えた作品が必ずしも優れた映画とは思わないし、むしろ、コメディやエログロに徹した映画の中にも傑出した映画はたくさんあることをいままで学んできた(「思い知った」といった方が相応しいかも)わけで、強引な演出力で最初からグイグイ映画の中に引き込んでくれる、たとえば山中貞雄作品のような、いわば、映画の本質を瞬時に分からせてしまうような映画を、自分的には、ずっと待ち続けながら、日々映画を見漁っているような気がします。

しかし、やはり結果的には、この時代特有の「もっともらしい深刻さと重厚さ」を過大評価する「時代の囚われ」から自由でいられた映画批評家など、ただの一人もいないのだということは、この1958年のベスト10の場合だってなんら変わらないのだということが、すぐに分かりました。

いつの時代でも、評価されるのは、「それ(真実)」ではなく、「それっぽい(深刻ぶった)」作品や人なのであって、鑑識眼が脆弱なら、見極めの基準として「深刻さと重厚さと悲壮感」を頼りにでもすれば、それほど低劣な評価の失敗を世に晒さなくて済むというわけなのかもしれません、やれやれ、結局、今も昔も(右も左も、ですが)映画批評家なんて、やっぱり「右向け右」の人種といわれても仕方ないのかもしれませんね、痛感しました。

さて、わが異色作「ぶっつけ本番」が、ベスト10内に見当たらないので、仕方なく視野を広げて(「下げて」です)少しずつカウントダウンしてみることにしました。

そして、ようやく「19位」に「ぶっつけ本番」を見つけました(しかし、思っていたより高評価でした)、その間の順位は以下の通りです。

11 陽のあたる坂道(田坂具隆)
12 鰯雲(成瀬己喜男)
13 一粒の麦(吉村公三郎)
14 白蛇伝(薮下泰司)
15 赤い陣羽織(山本薩夫)
16 悪女の季節(渋谷実)
17 蛍火(五所平之助)
18 つづり方兄妹(久松静児)
19 ぶっつけ本番(佐伯幸三)
20 谷川岳の記録・遭難(高村武次)


とありました。そして、このベスト10を紹介しているサイトのなかで、合わせて「有名人のベスト10」という記事も併載してありました、面白いのでちょっと紹介しますね。

その「有名人」というのは、安部公房、武田泰淳、花田清輝、淀川長治の4名ですが、安部公房だけは、「洋画」のみを選出対象としているので、この際は除外しなければなりません。


それではまず、武田泰淳から。

1 彼岸花
2 夜の鼓
3 楢山節考
4 裸の大将
5 赤い陣羽織
6 無法松の一生
7 白蛇伝
8 隠し砦の三悪人
9 張込み
10 森と湖のまつり

まあ、取り立てて奇抜さも特徴もなく、「ごくフツウじゃん」という感じです。
それにしても「森と湖のまつり」(泰淳の原作です)があって、「炎上」を入れてないのは、なんだか三島由紀夫に対するジェラシーと思われても仕方ないかもしれませんね。
いかに内田吐夢の力作とはいえ、「森と湖のまつり」と「炎上」では、最初から優劣が明らかにされているわけで(遠慮がちの「10位」という位置づけも、なんだかその辺を自認しているような)、それをどう転倒させてみたところで、世間の人は「奇抜」とは見てくれないと思いますが。

つぎに、淀川長治です。

1 炎上
2 楢山節考
3 彼岸花
4 隠し砦の三悪人
5 杏っ子
6 白蛇伝
7 結婚のすべて
8 紅の翼
9 裸の太陽
10 無法松の一生

こちらは、「ジェラシー」がない分、「公式のベスト10」に接近し、より一層堅実な印象を受けてしまいます。
逆に言えば、映画紹介者としてのバランス感覚に満ちた「公式的見解」に寄り添った、平均点的な大人しい「ベスト10」という感じがしますが、しかし、すでに「公式ベスト10」というものが存在する以上、面白味がまるでない(邦画を面白がろうともしていない)姿勢みたいなものを感じます。「杏っ子」を除いてはね。

そして、最後の花田清輝、見た途端ぶっ飛びました、なんと「ぶっつけ本番」を第4位にランクしているではありませんか、実に驚きです。批評家など皆「せいぜい右向け右の人種だ」などと悪口をいった手前、赤面する思いで「花田ベスト10」をじっくりと眺めました。

以下が、そのベスト10です。

1 張込み
2 炎上
3 夜の鼓
4 ぶっつけ本番
5 隠し砦の三悪人
6 若い獣
7 巨人と玩具
8 大菩薩峠・第二部
9 裸の大将
10 鰯雲

なるほどね、自己主張が、「しっかり見える」力強い印象を与えるベスト10だと思いました。

そして、続いて花田清輝の「選評」(そう言っていいですよね)が紹介されていたので、ちょっと引用させてもらいますね。

≪一般的にいってこの種の行事の選者たちには、ほかの芸術の領域においても同じことだが、大家とかなんとかいわれる人の作品を選ぶ傾向がある。私は次の時代をになう人たちの作品に注目し、一貫してそれらを見てきた。その結果比較的未熟であっても、未来への可能性をもっている作品を選んでみたのである。

決定をみて、ちょっと感じられるのは、こういう選者たちの傾向として、比較的最近封切られた作品が印象に残り、それを推してしまうということである。文学などと違って、たやすく読み返しができぬという映画の特殊性があるとはいえ、いささか不満である。≫


なるほど、なるほど。

「大家・時系列」偏重説ですか、自分がうだうだ言ったことをズバリと言われて、ますます顔が赤らみました。

そして、このサイトの管理者のコメントが続きます。

≪「ほほう、ちょっと個性を感じる10本ですね。当時若手の野村芳太郎の『張込み』を1位に挙げ、石原慎太郎が初監督した『若い獣』まで入れてます」

「若い世代を積極的に評価したい、と主張する花田は翌年の1959年度では、大島渚のデビュー作『愛と希望の街』を6位に推している。キネ旬ベスト・テンでこの作品に票を投じたのは二人だけだったから、大島はとても感激したそうです」≫

この文中、「翌年の1959年度では、大島渚のデビュー作『愛と希望の街』を6位に推している。キネ旬ベスト・テンでこの作品に票を投じたのは二人だけだったから、大島はとても感激したそうだ」とあるのに注目しました。

「愛と希望の街」を翌年に撮り、その次の年には、いよいよ「青春残酷物語」を撮って松竹の看板監督の地位に一気に駆け上る(背景には従来の松竹作品『大船調』の低迷と不振があります)、そういう年だったんですね、この年は。

この時期の勢いを得た大島渚の気負った顔がありありと見えるようです。

半裸の桑野みゆきを、これもまた裸の川津祐介が、思い切り張り倒す、張り倒された女の苦痛に歪んだ顔の大写しが描かれた煽情的な宣伝ポスターに、まるで煽られたかのように大衆は雲霞のごとく映画館に押し寄せました。いままで楚々としたメロドラマ調に慣らされてきた松竹映画ファンには恐ろしくショッキングな驚天動地の「事件」だったと思います。

そのときの小津監督のコメントがあります、「これからも松竹は、筏の上でズロースを干すような映画を作るつもりなのかね」

木下恵介「あの人たちの作ったものを見ているとまったく遣り切れない気持ちになるよ。僕の見た場面で、一人の男が豚のモツで顔を叩かれるというのがあったが、あの人たちはどうしたらお客を不愉快にできるかということに心を使っているのではないかと思った。暴力や愛欲シーンをどぎつく描かなければ、自分の意図が表現できないとすれば、それは演出が未熟だということになる。映画はやはり娯楽であり、美しさが必要だと私は信じている。」

そして、大島渚は、こう言います(木下さんの堕落は『二十四の瞳』以来のことと切って捨て)「いまの松竹は撮影所のスタッフを全部戦後派で固めること。百歩ゆずっても、小津安二郎、渋谷実、野村芳太郎以外の戦前派監督はいらない」とまで言い切っています、木下恵介への痛烈な批判です。

ステージ上で野坂昭如と殴り合った大島渚のあの傲岸不遜は、なにもあれが最初というわけではなく、遠く松竹時代、監督としてスタートをきった時もそのまま「傲岸不遜」だったことは、これでよく分かりましたが、ただ、そのとき、不意にあるひとつのことを思い出しました。

以前、you tubeで、大島渚のナレーションで、日本映画の100年を振り返る「100 Years of Japanese Cinema (1995)」というドキュメンタリー映画を見たことがあります。

その中で、大島渚は、自分が映画界に入ったのは、木下恵介の「女の園」に衝撃を受けたからだと告白しています。

「二十四の瞳」と「女の園」、その作品に対する愛憎の落差のなかに「大島渚」という男の人間像が浮かび上がってくるような気がしますよね。

なんだか、雰囲気が盛り上がってきたので、自分もなにかコクりたい気分になってきました、佐伯幸三監督絡みで、ですが。

実は、リアルタイムで見た「喜劇駅前競馬」1966という作品があります。

競馬にハマッタお約束の面々が、例のドタバタを繰り広げる佳作ですが、その1シーン。

馬券を当てたフランキー堺が、恋人か女房(大空真弓が演じていました)にセーターを買ってあげようと、メジャーで胸を測って寸法をとるという場面です。

それまでに二人の雰囲気は、すでに熱々、相当にヒートアップしていて、ネチネチ・コチョコチョとてもあやしいムードになっています。

メジャーを胸に回され、くすぐったそうに身をくねらせる大空真弓のその悦楽の表情を楽しみながら、フランキー堺は、さらに乳首(薄いブラウスからはっきりと透けて突き出て見えてます)をメジャーで挟み、その柔らかさを楽しむみたいにコリコリと刺激し、妻は身もだえします、これってまるで「前技」です。
当時思春期真っ只中の自分は「これ」にはまいりました。

外の世界は、世情騒然たる時局にあって、暗い映画館の片隅でひとり、密やかな股間の高揚に戸惑っていた、これが自分の佐伯幸三体験の最初でした。

(1966東宝)監督・佐伯幸三、脚本・藤本義一、製作・佐藤一郎、金原文雄、音楽・松井八郎、撮影・村井博、編集・諏訪三千男、美術・小島基司、照明・今泉千仭、録音・原島俊男、スチル・橋山愈、
出演・森繁久彌(森田徳之助)、フランキー堺(坂井次郎)、伴淳三郎(伴野孫作)、三木のり平(松木三平)、山茶花究(山本久造)、藤田まこと(伴野馬太郎)、淡島千景(景子)、池内淳子(染子)、大空真弓(由美)、乙羽信子(駒江)、野川由美子(鹿子)、北あけみ(紙子)、稲吉靖(白馬)、松山英太郎(五郎)、藤江リカ(安子)、千葉信男(由在巡査)、館敬介(駒山)、三遊亭小金馬(ゲスト)、安藤孝子(安藤女史)、星美智子(しるこ屋の女将)、北浦昭義(若い警官)、島碩彌(アナウンサー)、渡辺正人(解説者)、
製作=東京映画 1966.10.29 7巻 2,483m カラー 東宝スコープ


≪参考≫
1.1958.07.12 喜劇 駅前旅館 豊田四郎
2.1961.08.13 喜劇 駅前団地 久松静児
3.1961.12.24 喜劇 駅前弁当 久松静児
4.1962.07.29 喜劇 駅前温泉 久松静児
5.1962.12.23 喜劇 駅前飯店 久松静児
6.1963.07.13 喜劇 駅前茶釜 久松静児
7.1964.01.15 喜劇 駅前女将 佐伯幸三
8.1964.06.11 喜劇 駅前怪談 佐伯幸三
9.1964.08.11 喜劇 駅前音頭 佐伯幸三
10.1964.10.31 喜劇 駅前天神 佐伯幸三
11.1965.01.15 喜劇 駅前医院 佐伯幸三
12.1965.07.04 喜劇 駅前金融 佐伯幸三
13.1965.10.31 喜劇 駅前大学 佐伯幸三
14.1966.01.15 喜劇 駅前弁天 佐伯幸三
15.1966.04.28 喜劇 駅前漫画 佐伯幸三
16.1966.08.14 喜劇 駅前番頭 佐伯幸三
17.1966.10.29 喜劇 駅前競馬 佐伯幸三
18.1967.01.14 喜劇 駅前満貫 佐伯幸三
19.1967.04.15 喜劇 駅前学園 井上和男
20.1967.09.02 喜劇 駅前探検 井上和男
21.1967.11.18 喜劇 駅前百年 豊田四郎
22.1968.02.14 喜劇 駅前開運 豊田四郎
23.1968.05.25 喜劇 駅前火山 山田達雄
24.1969.02.15 喜劇 駅前棧橋 杉江敏男



by sentence2307 | 2017-07-08 08:19 | 佐伯幸三 | Comments(0)

ぶっつけ本番

昼過ぎから「半日出張」に出かける予定だった木曜日、たまたまその午前中に、以前から気になっていた佐伯幸三監督作品「ぶっつけ本番」1958が放映され、ようやく見る好機に恵まれました。

友人から推薦されて以来、意識しながら十数年ものあいだ、ずっと見る機会がなかったわけですから、この巡り合わせは、まさに「好機」といっても差し支えないと思います。

鑑賞前、ざっくりとした知識でも得ようかとネットで検索してみたのですが、その「ヒット」のあまりの少なさには、意外というよりも、ちょっと不吉なタジログものを感じました、「見る機会の少なさ」というものが、あるいは、こういうところにも象徴的に表れているのかなと、チラっと思ったりもしました。

それでも、だいたいの雰囲気を知る情報だけは得ることができました。

ざっとこんな感じです。

≪戦後の混乱期、ニュース・カメラマンとして活躍した松井久弥の、カメラマンとしての逞しく厳しい生涯を描いた異色作で、同僚の水野肇と小笠原基生の原作を笠原良三が脚色し、佐伯幸三が監督した。

終戦後、戦地から戻り、ニュース映画会社に復職した松木は、突撃的な事件カメラマンとして著名な数々の事件現場(下山事件、メーデー事件など)を迫真の映像でとらえて高い評価を受けたが、品川駅で引上げ列車を取材中に列車にひかれて殉職した。

作品には、随所に彼が撮った実写映像が挿入され、迫力ある戦後動乱期を回顧する歴史的ドキュメンタリーの趣きもある作品である。≫

そして、映画を見始めてすぐに松井久弥(劇中では「松木徹夫」です)の最初のスクープとなる下山事件・総裁轢断現場の激写のクダリで、あの綾瀬・北千住間の生々しい現場の実写映像が挿入されています、ああ、このフィルムも松本久弥の仕事だったのか、これなら確か熊井啓の「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」にも一瞬衝撃的に使われていたアレだなと気が付きました。

そこには、後進の多くの優れた映像作家たちの心を震わせる緊迫した冷然たる時間がそのまま切り取られたようなワンショットが写し込まれていました。

あるいは、「三鷹事件列車転覆」、「伊勢湾台風による大洪水」、「オイルタンカー火災」、「メーデーのデモ隊と警官の皇居前衝突」、「洞爺丸沈没」、「相模湖の内郷丸遭難」、「第五福竜丸の被爆者死去」など、それらどの事件の「迫真の映像」も、いささかも揺るぐことなく、それぞれに圧倒的な迫力で当時の緊迫した死の気配を臨場感をもって伝えています。

しかし、その迫力に満ちた映像が世評で高く評価されればされるほど、松木への同業者からの風当たりは強く、仲間内の申し合わせを無視する「抜け駆け野郎」と陰口をたたかれ、スクープ狙いのその孤高の突撃スタイルは、そのたびに同業者からの熾烈な批判に晒され続けていることも描かれています。

オイルタンカーの火災現場を、生命の危険を冒してまでスクープ撮影に成功した松木は、会社の幹部とともに意気揚々と試写に臨みます。

当然、迫力に満ちたそのスクープ映像を皆から称賛されるものと思っていた松木に、しかし、管理職や同僚からの非難が集中します。

「たったこれだけかね」と山田製作部長は松木に尋ねます。

「たったこれだけかって、600フィートも回したんですよ」と松木は部長の冷ややかな言葉を訝しく思いながら抗議します。

山田部長「これじゃ燃えている船が映っているだけで、客観性もなにもないじゃないか」とさらに指摘します。

小林製作課長「客観描写っていうのはな、人物を描き込むってことだよ。例えば、事故を見守る人たちとかね。これじゃ客観描写の欠落って言われても仕方ないぞ」

同僚「いくら松木でも、今度のやり方は反対だな。子供を危険に晒したり、巻き添えにして、燃えているオイルタンカーまで小舟を漕がせたそうじゃないか? そんなスクープ精神は、根本から間違っていると思わないか」

しかし、松木は、この身内からの非難の渦中にあるときでさえ「いまの俺には、ほかにはなにもできないから、この仕事に体を張るしかないんだ」と内心思っていたに違いない、と自分的には確信しています。

たしかに、映画では「そう」は、描いていません。いや、むしろ「逆」かもしれません。

ストーリー的にこの映画を追えば、松木は、人間味を欠いた「スクープ精神」を非難され、少し反省して、「孤児の親探し運動」の人間味あふれるニュース映画を撮り(この仕事で彼は実際に高い評価を得ています)、「改心」して人間的に「成長」したかのように描かれていますが、しかし、それはあくまで「映画」として話を整えただけなので、実際の松本久弥はどうだったかといえば、それは、ラストの「列車で轢死」という事実が証明しているように思えて仕方ありません。

松木は、相変わらずスプーク狙いのために、がつがつと、ひとりホームから線路に降り立ち、危険も顧みず、線路上を彷徨いながら、格好のアングルを探しているそのサナカに列車にひき殺されました。

そして、その直前、同じ取材をしている同業者から、またしても「抜け駆けするなよ」と皮肉を言われ、松木はそれを無視してやり過ごすというシーンも描き込まれています。

このラストは、松木という男のハングリーさが、最初から最後まで、なにひとつ変わっていなかったことを示している証左ではないかと思えて仕方ないのです。

サラリーマンなら、与えられた仕事をこなすだけで、自分の好みで「仕事」を選ぶことなど、とてもできるわけがないことくらい常識です。

その仕事の履歴をつなげて、それがあたかも人間的な成長の軌跡であるかのように描くこの行き方は、なんだか脚本の巧みなウソに嵌められたような嫌な違和感を覚えました。

この「自分の違和感」が、どこから始まったのか、この映画を少しずつ巻き戻しながら探してみました。

メーデーの皇居前騒乱の現場取材で大けがを負った夫・松木を気遣い、妻・久美子は病院で「いつまでもあんな危険な職場にいたら心配だ」と、不安を夫の上司に話す場面がありました。

そこで山田製作部長が「こりゃあ、なんとかせにゃあいかんな」と小林課長(佐野周二の好演がひかります)と話す場面があり、そのすぐあとに松木が、風物を撮る仕事(明らかに閑職です)に職場替えされて、刺激のない仕事に心底腐って、飽き飽きしている場面が描かれていますが、すぐに国会詰めの部署に回されて、紛糾する国会乱闘を夢中になって取材するという場面に続き、松木は改めて事件現場を取材する仕事の充実感を味わい、その喜びを嬉々として妻に話す場面に繋がっていきます。

事件取材ができる仕事の充実を嬉しそうに語る夫の笑顔を見ながら、妻は「あなたは、やっぱり、そういう仕事が好きなのね」、そして、「実は、自分が職場転換を会社にお願いしたのだ」と告白します、松木は激怒し、「自分が今までどんな気持ちで『風物』を撮っていたか、その気持ちがお前に分かるかと」と言い捨てて、家を飛び出す場面です。

ここで松木が怒るのも無理はありません、仲間が嬉しそうに事件取材に飛び回っているのを横目で見ながら、意に添わぬ「風鈴や金魚」を撮っていたわけですから、話の筋は十分に通っています。

しかし、彼がなぜ「国会詰め」(この仕事は明らか事件現場です)にこんなにも早く戻されたのかが不思議でした。

会社は、彼の身の安全や体の心配をしたから(奥さんからの申し出もありました)彼のことを気遣って「風物」に配転したのではなく、なにかの「ほとぼり」が覚めるまで事件現場から意識的に彼を遠ざけていただけなのではないか、という気がしてきました。仕事上のトラブルに巻き込まれたときなど、事態が沈静化するまで一時配転させる(時期がくれば戻すという前提です)ということなら、会社ではよくある話です。

TV業界に転職する仲間(親友・原もそのうちの一人です)の送別会のあとの二次会で、松木は小林課長に「自分の職場転換は、誰が指示したのか、妻が願ったからか」と問いただします。

「そんなわけないだろう。まさか会社が、奥さんの意見を入れて人事なんか動かすと思うか。君の職場転換を具申したのは自分だ」と小林課長は答えます。

驚いて「どうして」と松木が問い返すと、

小林課長は、「これから、TVの速報性にはかなわない時代がくる。君のニュースには迫力や驚きはあるが、感動がない。これからどういうものを撮ればいいか、自分でよく考えろ」と諭します。

ここで自分の職場転換が妻の希望だったのかという疑念は否定され、迫りくるTV時代に対抗するためにはどうすればいいのか考えろという話に(強引に)引き戻されます。

そう諭されて考え込む(かに見える)松木の描写に、自分の違和感は増幅しました。

それは、時代がどのように動こうと、松木がそんなものに捉われて仕事をしたことが、かつてあっただろうか、という思いからです。

彼は、事件現場にいち早く駆け付け、誰もが躊躇するような危険な場所に踏み込み、誰にも撮れない現場を激写した熱血漢です。

警察が張った規制線のさらに遥か後方から「あちらに見えるのが事件現場です」などととんでもない見当違いの場所から安全に中継するチャラチャラとダレきった愚劣なTV報道なんかとはワケが違う。

いまのTVにできることといえば、お笑い芸人の馬鹿笑いを3台のカメラで必死になって追いかけるくらいが関の山ですから。

どのような時代がこようと、誰よりも「踏み込んで撮る」姿勢で撮ってきた松木にとって、TV時代の到来など何ほどのことでもなかったはずです。

この男と、その仕事にとって、TVの隆盛は、果たしてそれほどの脅威だったのか。

どんな職場であろうと、身の危険を冒してでも、突撃取材することが、この男の仕事のやり方である以上、「TVとは、違った方法」など、最初からとるにたりないものだったと思います。

ですので、この一連のやり取りは、なんだかとてもおかしい、不自然と感じた所以です。

TVの速報性は、確かに「脅威」だったに違いありませんし、それに、入場料をとって見せるニュース映画に比べれば、ロハで見られるTVニュースの廉価性の脅威というのも確かにあったでしょう(しかし、この二つが、TVが芸術性から見放され、猥雑で無様な弱体とアンモラルな荒廃を招いたことも明らかで、このことはいつか機会があれば別のときに話したいと思います)。

しかし、当初から松木(松本久弥)が目指していたものが、そもそも速報性なんかでもなければ、「廉価」でもなかったのは明確です。

「下山事件の轢断現場」にしても、「三鷹事件列車転覆現場」や「伊勢湾台風出水現場」や「オイルタンカーの火災現場」や「メーデーのデモ隊と警官の皇居前衝突現場」にしても、また、「洞爺丸沈没」、「相模湖の内郷丸遭難事件」、「第五福竜丸の被爆者死去」など、そのどれをとっても、『君のニュースには迫力や驚きはあるが、感動がない。』の言葉が当て嵌まるとは思えません。

彼のニュースが多くの人々の気持ちを引きつけ捉えたのは、まさにその≪迫真の映像によって、驚きや感動≫を与えたからです。

そういえば、小林課長の「そんなわけないだろう。まさか会社が、奥さんの意見を入れて人事をすると思うか」も言わずもがなで、あまりに当然すぎて奇異な感じさえ受けます。

そして、その転換の理由が何かといえば、

「ニュースが記録と思っているうちはダメだ。本当のニュースキャメラマンになって欲しいんだ」という小林は、なんとも抽象的な理由しか述べていません(元々「ない」のだから、理由など述べられないというのが本当のところかもしれませんが。)。

そこで、ふたたび、松木の「風物撮影」への職場転換の話に戻しますね。

なぜ彼は「一時的」とはいえ、唐突な職場転換をさせられたのか、なんらかの差しさわりがあって、事件取材のセクションから、当分のあいだ遠ざけられたのではないか(会社ならよくある話です)という仮説を立ててみました。

このコメントを書き始める直前に行った「検索」で、映画「ぶっつけ本番」でヒットした事項が気抜けするくらい少なかったことを書きました。文頭に戻って読み返してみると、それを「意外というよりも、ちょっと不吉なタジログものを感じました」と表現しています、なんだか尋常じゃありません。

実は、その「数少ないヒット」のなかで、二つの記事に出会っています、それを紹介しておきますね。

少し長文の引用になるので、その引用文の最後につける予定にしている一文をここに書いておきますね、つい忘れてしまいそうなので。

≪なるほど、なるほど。それでたまたま飛んできた投石に当たって負傷したとしておく方が、すべてにわたって好都合だったと、こういうわけですね。これで、自分の疑問も氷解しました。≫


★引用(文中、松本久弥の名前を目立たせるために墨付きパーレンで囲いました。)

まず最初の引用です、昭和26年3月15日付けの「第010回国会 法務委員会 第10号」議事録となっています。
当日の議題は、3点「犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案(内閣提出第五二号)」、「有限会社法の一部を改正する法律案(内閣提出第一〇〇号)」、「犯罪捜査及び人権擁護に関する件」で、その3つ目の「犯罪捜査及び人権擁護に関する件」の中でこんな質疑が交わされています。
「○上村委員 まず第一に、三月七日に東京都北区の朝鮮人学校において、その前に行われた朝鮮人の不当な捜査に対する事件真相発表演説会というものが持たれました。そのときに、朝鮮人の会合する者二千人、これに対して約三千の警官が参りまして、それを解散しようとしたのでありますが、その光景を写さんといたしまして、日本ニユースのカメラマンの【松本久彌君】がそこへ行つて撮影しておつたのでございます。ところがその撮影が当時の警官の気に入らぬために、そこで暴行を力えられ、右後頭部に非常に強烈な打撃を加えられて、鮮血淋漓たる状態になつて昏倒したのでございます。この事実を一体法務府ではお調べになつておりますか。お調べになつたとすれば、暴行を加えた警官の人たちを取調べておるかどうか、そういう点について詳細の御説明を願いたいのであります。
(中略)
○上村委員 ここに【松本久弥】自身の手記が私どもの方へ届いておりますが、これによるとカメラのサックを忘れて来たので、それを届けに労働者風の人が来て、そいつを受取つた。そうするとそばにおる二人の警官がいきなり、どういう理由ですか、そのカメラのサックを届けたところの青年に手錠をかけてしまつた。そして自分の持つておるカメラをとろうとするので、自分は同業の朝日の記者を呼んだ。そうするとそれがどういうふうに向うへ聞えたか、いきなりそばにおる制服の警官が自分を、こん棒でもつて右の後頭部をたたいた。そして自分はその間に足がよろめき頭が混濁して来た。こういうふうにはつきり言つておるのであります。そうするとそれに対しては、今警視庁と捜査機関としては、そういう点を見のがしておるのでございますか。そういうのを基準にして捜査を進めておるということでございますか。
(中略)
○猪俣委員 これはちつと法務行はうかつでございますよ。そうなつております。そこで当時の新聞を見ますと、トップに出るような大事件について、ニュース写真が載つておらぬのはふしぎだというようなことを、新聞記者が自嘲的に書いておる。それはおわかりにならなければそれでよろしい。そうすると、これは法務府でもごらんになつておらぬと思うのでありまして、これをぜひひとつ法務府でもごらんになつていただきたいし、これは法務委員長に私お願いがあるのですが、あとで国会でこのニュースを映写してもらいたいと思います。どういう理由でこれが一般に映写されないのであるかわかりませんが、事実映写はできないそうであります。
 そこでなおいまひとつ法務府にお尋ねいたしますが、この【松本久彌】が王子駅前の岸病院にまだ入院加療中であります。ところが警視庁の捜査第二課の田島領四郎という警部補がしよつちゆう行つて、お前の傷はぼくらがなぐつたんじやない。あれは石が当つたんだぞということを言い聞かせておる、こういうのであります。一体自分たちがなぐりもせぬのに、病院に行つて、かような病気見舞においでになることは、殊勝なことであるけれども、ちつと異例だと思うのであるが、この辺について何か事情をお聞きになつたことはございませんか。

そして、引用の二つ目です。

青丘文庫月報(第264 号 2012.11.1 1)とあります。
「朝鮮戦争中の1951 年2 月と3 月に米軍政部と日本政府当局による都立朝鮮人中高等学校への武力弾圧が行われた。それを『警視庁史』はこのように記している。
〈2 月23 日占領目的阻害文書を所持した都立朝鮮人中・高校の生徒を検挙し調べたところ、同校内で印刷していることが判明したので、2 月28 日早朝に同校の捜索を実施し多数の印刷物を押収した。翌日、それを不当として朝鮮人が抗議に押しかけ、3 月7 日同校において「真相発表大会」という無届集会が開催された。主催者に対し大会中止を勧告したが応じずに集団暴力行動を行ったので実力で解散させ首謀者を逮捕した。〉
3 月7 日約700 名の警官が出動し校内に突入した際、多くの生徒・教員以外にも取材中の日本映画社カメラマン【松本久弥】も警棒で頭を殴られ重傷を負った。【松本】は翌日、事件に関する一切を布施に委任した。3 月の中・下旬の国会法務委員会では上村進、羽仁五郎らがこの事件を取り上げ、報道の自由の侵害と警官の暴力行為を追及し、ついで4 月27 日には暴行した警官を刑事告発している。
しかし警視庁は警官の暴力を認めない姿勢であるので、同年11 月に東京都と警視総監田中榮一を相手に「謝罪状及びこれに附帯する慰謝料請求」という民事訴訟を提訴することになり、数回の公判が開かれた。
しかし結局この裁判は1960 年に取下げられている。裁判の中心人物である布施が1953 年に病死し、原告【松本久弥】自身も1956 年事故死したこと、さらに警官の暴行を立証するのは非常に困難なことなので、敗訴の判例が出るのを避けるためにも取下げることにしたのではないかと推測される。」

なるほどね、これじゃあメディアもビビッてドン引きするわな。

「はい、こちら事件現場です」なんて呑気なこと言ってる場合じゃないしね。


(1958東京映画)製作・佐藤一郎、山崎喜暉、監督・佐伯幸三、脚本・笠原良三、原作・水野肇、小笠原基生「ぶっつけ本番 ニュース映画の男たち」、撮影・遠藤精一、音楽・神津善行、美術・北辰雄、録音・酒井栄三、照明・伊藤盛四郎
出演・フランキー堺(松木徹夫・ニュースキャメラマン)、淡路恵子(松木久美子・徹夫の妻)、大谷正行(松木隆・長男三歳)、二木まこと(松木隆・長男七歳)、板橋弘一(松木明・次男)、小沢栄太郎(製作部長・山田)、佐野周二(製作課長・小林)、仲代達矢(キャメラマン・原)、増田順二(キャメラマン・川崎)、堺左千夫(キャメラマン・ドンちゃん)、天津敏(キャメラマン・小山)、守田比呂也(キャメラマン・大木)、中村俊一(企画部員・後藤)、佐伯徹(企画部員・長谷川)、内田良平(企画部員・関口)、吉行和子(編集部員・飯田マサ子)、光丘ひろみ(女事務員・北村)、山田周平(他社のキャメラマン・森)、沖啓二(他社のキャメラマンB)、木元章介(他社のキャメラマンC)、三谷勉(他社のキャメラマンD)、水の也清美(アパートの主婦)、黒田隆子(病院看護婦)、塩沢登代路(赤線の女)、中原成男(宗谷船員A)、鷲東弘功(宗谷船員B)、池田よしゑ(相談所の先生)、坂内英二郎(院長)、磐木吉二郎(父親)、川内まり子(産婦人科看護婦)、森静江(産婦人科看護婦)、田辺元(運転手・平さん)、

配給=東宝 1958.06.08 10巻 2,712m 白黒



by sentence2307 | 2017-07-02 08:37 | 佐伯幸三 | Comments(0)