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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:衣笠貞之助( 1 )

風雲城史

長年、使い慣れてきたので、ついついフィルムセンターと言ってしまいますが、今年の4月から「国立映画アーカイブ」と言わなければいけないんでしたっけね。

なかなか慣れることができません。

その開館を記念する上映会のチラシというのを見かけました。

開催期間は、10月16日~10月21日とあり、これまたずいぶん先の話なんだなと、当初は思い、「そんな先の話を、いまから告知しているのか。やっと夏休みが終わったばかりじゃないか」という気さえしたのですが、すぐに考えを改めました。

この夏休みの終わり方の早さを思えば、1か月なんて、その調子でまたたく間に過ぎてしまうに違いありません。

ですので、「10月16日~10月21日・上映会」の告知というのは、決して時期尚早でもなんでもないのだなと考えを改めた次第です。

その上映会のタイトルは、「映画を残す、映画を活かす。―無声映画篇―」ということで、ほぼ100年前に作られた映画7本(6プログラム)を上映すると書かれています。

上映プログラムの作品の詳細については末尾に掲げましたので、ご参照ください。

その上映作品のうち、日本映画は、トーマス栗原監督の「成金」1918と、山崎藤江監督の「風雲城史」1928の2本です。

この2本の作品について調べてみようと思い、インターネットで関連情報を検索してみたのですが、情報らしい情報がまるっきりないのには驚きました。

とにかくこうしてフィルムセンター(国立映画アーカイブ)の上映の予告があったわけですから、もう少しなんらかの記事がアップされていてもよさそうなものと(なにせ、「あらすじ」さえロクなものがないのです)、未練がましく、しばらく「クリック・クリック」していたら、こんな一文に遭遇しました。


《風雲城史(無声)
昭和3年(1928)2月10日公開の松竹下加茂=衣笠映画聯盟映画。
全6巻構成で、父が殺害される場面が抜け落ちているらしい。
監督 山崎藤江は、衣笠映画聯盟に所属していたようで、6本しか監督作品はなく、活動期間は2年間だった。
原作脚色 星哲郎
撮影 円谷英一;円谷英二》

なるほど・なるほど、もし、この監督「山崎藤江」を「やまざき・ふじえ」と読むのだとしたら、当然女性監督でしょうし、それに、実質活動期間2年とは、これまた怪しいじゃないですか。なんか、あったな、という桃色の予感がします。あまりにも不自然に短すぎると、俄然ミステリアスな興味が湧いてきて、ちょっとその生涯を調べてみたくなりますよね。

そりゃそうですよ、女性がからんでくるとなると、情交がらみなんてことも大いにあり得るわけですから、こりゃ楽しみだわ、「ああっ、だめ」とか「いや~ん、いけませんわ」とか、考えているうちに、もうじっとしていられなくなりました。性分です。もちろん性向とか妄想好きというのもあります。これ、言い方が違うだけで、同じ意味かもしれません。

これから映画を生業としようかと考えている方々にひとこと申し上げておきますが、「変態」と「映画好き」とは、同義です。情熱のミナモトです。これなくしては、そのうちに、なにひとつ生み出せなくなり、一歩も前に進めなくなりますよ。


まずは、インターネットとjmdbでフィルモグラフィを確認しました。

★山崎藤江
(「やまざき・とうこう」と読みます。れっきとした男性です、な~んだ、がっかり。1903年生まれなので「風雲城史」を撮った時は25歳です)

監督
1.1927.09.30 紅涙  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
2.1927.10.28 蝙蝠草紙  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
3.1927.12.23 天保悲剣録  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
4.1928.02.10 風雲城史  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
5.1928.03.31 白井権八  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
6.1928.08.20 おんぼろ草紙  中根プロ

脚本
1.1927.09.30 紅涙  衣笠映画聯盟=松竹下加茂

原作
1.1927.09.30 紅涙  衣笠映画聯盟=松竹下加茂

なるほど、なるほど、確かに2年間で6本監督していますね。「情交がらみ」というのは、さすがに期待薄でしょうけれども、でも調べてみるだけの価値はありそうです。

さっそく、キネマ旬報の「日本映画監督全集」を取り出して「山崎藤江」の項を読んでみました。しかし、読んでみて、びっくりしました。「なんですか、これは」という感じです。

この「日本映画監督全集」のどの記事も、その映画作家がどこで生まれ、どういう生い立ちで、何年にどういう作品を監督して、とくに何々という作品が高く評価されて代表作となり、何年に没したということが書かれていればOKで、読者もそれ以上のことは望んでいないという本だと思います。ここに書いている多くのライターたちも、そのことは十分に承知していて、事実のみを簡潔に書こうとしている印象は受けます。

少なくとも、評伝執筆者は、本人の気配を極力「殺して」客観的に書くというのが、一般的ルールなのだろうなと自分でも信じていました。例えば「黒澤明」の項目を見るのは、黒澤明の作家活動と生涯を知りたいと思うからで、この評伝・記事を書いているライターの意見が知りたいと思って読むわけではありません。極端に言えば、黒澤明本人が一人称で語っていると思わせるくらいが相応しいと思っています。

この「山崎藤江」の項目を書いたのは、映画評論家の岸松雄という人、自分も以前、記事から引用をさせてもらったことがあるので、ある程度の知識はあったのですが、並み居る巨匠監督(清水宏、成瀬巳喜男、山中貞雄ら)に対して上から目線のため口で見当違いな作品評や内輪話でお茶を濁しているというだけの、およそ映画評論家などというには、おこがましい、ただ業界の噂話や裏話にやけに詳しいだけの、陰では皆から嫌がられているタチの悪い業界誌のドンみたいな印象でした。

しかし、今回、この「山崎藤江」の項目の評伝記事を読んで意を改めたのかというと、そうではありません、さらに「意を強くした」と書きたいのです。

例えば、こんな箇所

《出生地も学歴もわからない。松竹蒲田撮影所に入社、野村芳亭監督の宅に身を寄せ、助監督として大いに働いた。その後、下加茂に移り、助監督を務めた。食満南北の原作を三村伸太郎が脚色した28年の「海国記」は衣笠貞之助監督の自信作であるとともに三村も処女作として情熱を打ち込んだものであった。チーフ助監督はたしか古野英治ではなかったかと思う。脚本料もたくさん貰うし、撮影所での評判も良かったので、だれかが脚本家より監督になったらとすすめた。三村も少しその気になったが、助監督時代の山崎が、タッツケ袴、草鞋ばき、腰にトンカチを差し込んでいる姿がどうしても気に食わない。あんな格好をしなければ監督に成れないのならごめんだと思った。三村は翌29年下加茂を出て河合映画に入った。》

自分が編集者で、執筆者からこの原稿を持ち込まれたら、まずは受け取りを拒否するかもしれません、ここには「山崎藤江」のことなんか、まるで書かれてないじゃないですか、とね。

あるいは、2行目の「食満南北の原作を三村伸太郎が~」の部分以下すべての削除を求めると思います。

怒った岸先生が怒気荒く「どうしてだ!!」と詰め寄ってきたら、こう言おうと思っています。

「ここには、山崎藤江についてのことなど、なにひとつ書かれてないじゃないですか。書いてあるのは、三村伸太郎がどうしただとか、下加茂を出て河合映画に入っただとか、山崎とはまるで関係のないことでしょ、そして、そのすべてをひっくるめて、おれはこいつらのことは何でも知ってるんだぞという岸先生のくさいエリート臭がぷんぷんと匂ってくるんですよ、先生がどんだけ偉いか知りませんがね、こんな愚にもつかないものを読まされたら大枚を払って本を買った読者はたまらんですわ」なんてね。

「それにですよ、山崎は衣笠映画聯盟にいたときは毎月のように切れ目なく映画を撮っていたのに、5本を最後にぴったり撮らなくなって、それから6か月おいて中根プロというところで『おんぼろ草紙』(中根竜太郎主演)という作品を撮ってますよね。ふつうなら、この間のブランクになにかあったと思うのが普通ですよ、何かあって移ったのか、移ったこと自体がトラブル(背信とか)の原因だったのか、しかもこの作品が、山崎藤江の最後の作品になっているんですよ。そして山崎にとって、この作品の不評ないし失敗が致命的だったんでしょう? そこは情報通の先生だ、本当はなにもかもすべて知ってるんでしょう、知ってて書かないっていうなら、そりゃあずいぶんお人が悪いな。

さらに、評伝のラストの方には、こんなふうに書いてますね。

《以後、山崎は、翌28年まで5本の作品を作ったが、同年5月、日本映画プロダクションの創立とともに、中根プロで中根竜太郎主演の「おんぼろ草紙」を発表する。その当時、山崎は下加茂の永田雅一の別邸に留守番代わりに住んでいたが、ある夜、学生時代からの友人の箕浦甚吾がやってきて、なにごとを企んだか、2人して夜具布団をかついで東京へ行ってしまった。衣笠貞之助が心配して探したが分からない。しかし、夜具布団まで持ち出したのだから、よほどの決心に違いない。東京に来た2人はプロダクションを起こそうとして奔走したが、うまくいかなかった。と同時に「白井権八」などで林長次郎の相手役として抜擢し、恋愛関係にあった糸浦柳子(のちの日活スター櫻井京子)とも別れることになった。それからの山崎の消息はヨウとしてわからない。》

「それからの山崎の消息はヨウとしてわからない。」

これですよ、これ。

いかにも昔気質のやくざな活動屋らしくて、いいじゃないですか、この消息不明。

活動屋は、こうでなくっちゃいけませんよ、天才ばかりじゃ息が詰まる。

撮った作品は凡庸なものばかり、べつに人の評価を待たなくたって、そんなことは自分が一番よく分かってます。くさって、やる気も失せていくうちに、だんだん仕事だって来なくなる。

ついに映画が撮れなくなって、仕方なく東京にでも行ってプロダクションを立ち上げて一旗揚げようと、義理ある人に不義理して内緒で東京に出てきたものの、思うように金が集まらず、ついに夢破れて失意と落胆の日々を下町のスラム街に身を隠して酒浸りの日々を送っている。

そのうち不義理をした永田雅一の追手に見つけられ、追い詰められて、ついに消されてしまったなんていうの、どうでしょう。結構いけるかもしれませんよ、岸先生。

「馬鹿野郎!!」



【風雲城史のあらすじ】
若武者相沢新八は、文武の修行を終えて、3年ぶりに江戸から懐かしい故郷に戻ってきた。丘の上から城下を見下ろす新八は、恋人の千草との思い出を胸に秘めて懐かしんでいた。しかし、兄英之進らの話によると、城内には陰謀の嵐が吹きまくっており、多くの忠臣が反逆の徒の手に掛かっていた。新八の父も暗殺の魔手に倒れ、兄英之進は不治の病でお家の一大事に手をこまねいていなければならなかった。それよりも新八を落胆させたものは、恋人千草が、城主の輝秋の目に叶い、いまでは愛妾お蘭の方として大奥の人となっていたことだった。輝秋の従兄で謀反の張本人である左門之助は、傷心の新八に近づいて煽動し、自分の一派に引き入れようと計ったが、恋人を奪われた恨みはあっても、主君に対する臣下としての道を踏み外す新八ではなかった。陰謀を漏らした新八を左門之助は亡き者にしようと幾度か襲ったが果たさなかった。一方、恋人千草は、3年前に楽しく語り合った丘の上の思い出を懐かしみながら、城内で毎日淋しく新八の幻を思い描いていた。そうしたある夜、新八は一目千草に会いたさに大奥に忍び込んだ。そのことは城主の反感を買ったばかりでなく、友人たちにも反逆者の一味であると誤解された。兄英之進は弟の冤罪をそそぐために切腹した。かくして新八は天誅の刃を振って左馬之助を倒し、反逆の徒を一掃するにおよんだ。彼の名声は国中に広まったが、悲しい恋の痛手はいやせなかった。主君輝秋公は、自分の命が救われたのを喜びながらも、千草をはさんでの恋敵新八をこころよく思わなかった。新八が国を旅立とうとした日、彼のもとに届けられたのは千草の黒髪であった。

(1928衣笠映画聯盟=松竹キネマ・下加茂撮影所)監督・山崎藤江、脚色・星哲六、原作・星哲六、撮影・円谷英一(英二)、
出演・林長二郎(相沢新八)、風間草六(相沢英之進)、中川芳江(母節女)、千早晶子(千草・お蘭の方)、小沢茗一郎(城主峰谷輝秋)、相馬一平;高勢実乗(従兄左門之助)、小川雪子(愛妾お京の方)、正宗新九郎(二階堂十平太)、阪東寿之助(輝秋の側近)
1928.02.10 浅草電気館 6巻 白黒 無声



長谷川一夫は、1908年(明治41年)12月27日、京都府紀伊部堀内村字六地蔵に生まれた。のちにこの土地は、京都市伏見区桃山六地蔵となる。1913年(大正2年)、5歳の時に初舞台を踏み、1914年(大正3年)関西歌舞伎の琴高屋中村福円に弟子入りして中村一夫を名乗り、1917年には嵐佳寿夫と改名、翌18年に関西歌舞伎の大御所初代成駒屋中村鴈治郎の門に入り、鴈治郎の長男林長三郎のもとで林長丸と名乗って修行を積むことになった。
日本における最初の映画スターと目される「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助は、日本映画の父マキノ省三によって発見され、育てられた俳優であった。それ以来、映画俳優を歌舞伎の世界に求める気運が強く、初期日本映画の時代劇スターは、ほとんど歌舞伎出身者であった。歌舞伎の世界では、親子代々の世襲制度が厳然としてあったから、名門に生まれた子でなければ大名跡(だいみょうせき)は継げず、その他の者は実力のいかんを問わず下積みに甘んじなければならなかった。松之助以降の時代劇スターとして名をはせた嵐寛寿郎、阪東妻三郎、大河内伝次郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵、市川百々之助等々、彼らに共通しているのは、歌舞伎の世界で傍流を歩まざるを得ない人々であった。一時代前まで「河原乞食」と蔑まれていた歌舞伎の人々が、新興勢力たる「活動俳優」を逆に見下すという現象が生じた。日本の演劇界の主流をなす歌舞伎界に一大勢力を持つ松竹は、映画界に進出したものの、先発のマキノ、日活、帝キネなどに比べて時代劇部門で遅れをとり、歌舞伎の世界から新人を引き抜かれて大スターに育っていくのを指をくわえて見ていなければならなかった。そこで松竹でも時代劇用の下賀茂撮影所の人気スターを育成しようとして、弱冠18歳の林長丸に白羽の矢を立て、1926年12月25日入社して林長二郎と改名した。ここに日本映画界に「永遠の美男スター」として足跡を残すことになった。映画俳優長谷川一夫の誕生を迎えたのであった。
翌1927年3月19日、入社第1回作品「稚児の剣法」が封切られた。監督は犬塚稔(1901年生まれ)で、下加茂の脚本部員からこの作品で監督としてデビュー、撮影の円谷英一(英二)もこの作品で一本立ちになるという新人トリオの作品となった。林長二郎は注目の的となり、この年1927年中だけでも14本の作品に出演しています。

稚児の剣法(1927.03.19衣笠映画聯盟=松竹下加茂)須田市次郎
お嬢吉三(1927.04.01衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
乱軍(1927.04.15衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
鬼あざみ(1927.04.29衣笠映画聯盟=松竹下加茂)並木麗三郎
勤王時代(1927.05.29衣笠映画聯盟=松竹下加茂)小柳吉之助
板割浅太郎(1927.06.15衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
女夫星(1927.06.30衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
御用船(1927.07.22衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
破れ編笠(1927.08.12衣笠映画聯盟=松竹下加茂)梁瀬籐十郎
暁の勇士(1927.09.01衣笠映画聯盟=松竹下加茂)草間柳太郎
紅涙(1927.09.30衣笠映画聯盟=松竹下加茂)冬木佑之助
蝙蝠草紙(1927.10.28衣笠映画聯盟=松竹下加茂)手代新助
月下の狂刃(1927.12.01衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
天保悲剣録(1927.12.23衣笠映画聯盟=松竹下加茂)南條神之助

この作品の監督山崎藤江は、巨匠衣笠貞之助が主宰する衣笠映画聯盟に属し、犬塚稔、円谷英一らも衣笠のもとにあり、この当時下加茂の時代劇作品は聯盟との提携によっていた。
この作品「風雲城史」は、長二郎デビュー以後18本目の作品である。




国立映画アーカイブ開館記念
≪映画を残す、映画を活かす。-無声映画篇―≫ プログラム

★囁きの合唱 The Whispering Chorus
会社の金を使い込み、その発覚を恐れて死を偽装するも、やがて自らの「殺人」の犯人として窮地に立たされる男。暗闇にぼんやり現れる「顔」たちの“囁き”が、男を追い詰めてゆく。デミルが自伝で経歴上の転換点になったと語る心理ドラマ。ジョージ・イーストマン・ハウス(現ミュージアム)復元による染色版を上映。
(1918フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー)監督・セシル・B・デミル、原作・パーレイ・プーア・シーハン、脚本・ジェニー・マクファースン、撮影・アルヴィン・ワイコフ、美術・ウィルフレッド・バックランド
出演・エリオット・デクスター、レイモンド・ハットン、エディス・チャップマン、キャスリン・ウィリアムズ
(93分・18fps・35mm・無声・染色)

★ぶどう月 Vendémiaire
第1次世界大戦中のフランス。一人の傷痍軍人が自分のぶどう農園に避難民を受け入れるが、そこへベルギー人に偽装した2人のドイツ軍人が紛れてくる…。連続活劇の王ルイ・フイヤードが、故郷の南仏ラングドック地方を舞台に、祖国愛を訴えた大作。題名は、ぶどうの収穫期を示すフランス革命暦の月の名前。
(1918ゴーモン)監督脚本・ルイ・フイヤード、撮影・レオン・クロース、モーリス・シャンプルー
出演・ルネ・クレステ、エドゥアール・マテ、ルイ・ルーバス、ガストン・ミシェル、ジョルジュ・ビスコ
(148分・18fps・35mm・無声・白黒)

★成金
トーマス栗原の数少ない現存作品で、輸出映画”SANJI GOTO”として製作されたスラップスティック喜劇。前半部のみ現存。
(1918東洋フィルム)監督・ハリー・ウィリアムズ、トーマス栗原、撮影・R・D・アームストロング
出演・中島岩次郎、木野五郎、鈴木美代子、鈴木千里、ナダ・リントン
(34分・15fps・35mm・無声・白黒・部分・英語インタータイトル/日本語字幕付)

俳優名(誤)中島岩次郎→(正)中島岩五郎

●参照  JMDBで映画「成金」を検索した結果

☆成金
(1921大活)監督・栗原喜三郎
出演・中島岩五郎、木野五郎、鈴木美代子、鈴木千里、ナダリントン
製作=大活 1921.09.02 水天館 5巻 白黒 無声


●wikiで映画「成金」を検索した結果

☆成金 Sanji Goto - The Story of Japanese Enoch Arden
1918年(大正7年)ごろ、横浜の東洋汽船の子会社・東洋フィルム会社が製作し、まずアメリカ合衆国で上映されるべく、Sanji Goto - The Story of Japanese Enoch Arden (「ゴトウサンジ - 和製イノック・アーデン物語」の意)のタイトルで輸出された。同社は、1920年(大正9年)4月に大正活映と改称され、1921年(大正10年)9月2日に東京・日本橋人形町の水天館で公開された。トーマス・栗原監督による日本のサイレント映画である。
1990年代にアメリカで、英語字幕のみの輸出版プリントが発見され、東京国立近代美術館フィルムセンターに収蔵された。同センターは現在、29分、16ミリフィルムの部分プリントを所蔵している。
(1918製作・東洋フィルム会社、1921配給・大正活映)
監督・トーマス・栗原、製作総指揮・ベンジャミン・ブロツキー、撮影・アームストロング、稲見興美、
出演・中島岩五郎・中島洋好(ゴトウサンジ)、木野五郎(金子)、鈴木美代子、鈴木千里(花子)、ナダ・リントン
初回興行 : 日本橋人形町・水天館 1921年9月2日 5巻 モノクロフィルム スタンダードサイズ(1.33:1) - サイレント

★風雲城史
若々しくキレのある殺陣が魅力的な、林長二郎(長谷川一夫)デビュー翌年の作品。帰藩した相沢新八は、許嫁の千草が藩主の側室となっていることを知り愕然とする。1977年にベルギー王立シネマテークで発見された1本。
(1928衣笠映画聯盟=松竹下加茂)監督・山崎藤江、原作脚本・星哲六、撮影・円谷英一、
出演・林長二郎、小沢茗一郎、相馬一平、小川雪子、千早晶子、正宗新九郎
(68分・20fps・35mm・無声・白黒・英語字幕付)

★のらくら兵 Tire au flanc
軍隊に入れられた詩人と召使が巻き起こすドタバタ騒動を描き、若きトリュフォーに「フランスでつくられた最も愉快な映画の一本」と言わしめた傑作喜劇。怪優ミシェル・シモンが、いやいや兵役につく召使いを熱演。
(1928ネオ・フィルム〔ピエール・ブロンベルジェ〕)監督脚本・ジャン・ルノワール、脚本・クロード・エイマン、アンドレ・セール、アルベルト・カヴァルカンティ、撮影・ジャン・バシュレ、美術・エーリク・オース
出演・ジョルジュ・ポミエス、ミシェル・シモン
(130分・16fps・35mm・無声・白黒)

★東洋の秘密 Geheimnisse des Orients/ Secrets of the East
アラビアン・ナイトの物語を下敷きに、聴けば踊りだす笛を手にした靴職人の、笑いありロマンスありの冒険譚。大胆なアール・デコ様式の美術、バスビー・バークレーに先立つ幾何学的振付けのダンスシーン、要所で使用されるステンシル・カラー技術も見所。
(1928ウーファ/シネ・アリアンス)監督脚本・アレクサンドル・ヴォルコフ、脚本・ノルベルト・ファルク、ロベルト・リープマン、撮影・クルト・クーラン、ニコライ・トポルコフ、フョードル・ブルガソフ、美術・アレクサンドル・ロシャコフ、ヴラディーミル・マインガルト
出演・ニコライ・コリン、イヴァン・ペトロヴィッチ
(103分・20fps・35mm・無声・染色/彩色)

★エリソー Элисо
1864年、帝政ロシアはグルジア(ジョージア)山岳地帯の少数民族たちを強制移住させようとしていた。チェチェン人は、ヘフスル人と宗教の違いを超えて友好関係にあったが、ロシアの策謀で移住承諾書にサインさせられ、チェチェンの娘エリソーは恋人とも引き裂かれてしまう。
(1928ゴスキノプロム・グルジー)監督脚本・ニコライ・シェンゲラーヤ、原作・アレクサンドル・カズベギ、脚本・セルゲイ・トレチャコフ、撮影・ヴラディーミル・ケレセリジェ、美術・ディミトリ・シュワルナゼ
出演・キーラ・アンドロニカシヴィリ、コフタ・カララシヴィリ
(110分・16fps・35mm・無声・白黒)

≪参考≫
まだ見てないテンギズ・アブラゼ監督の「祈り 三部作」
ジョージア(やっぱ「グルジア」の方が、イメージつかめますね)・・・
ジョージア映画の不朽の名作であり、巨匠テンギズ・アブラゼ監督が 21 年の歳月をかけて完成させた「祈り 三部作」<『祈り』(67)、『希望の樹』(76)、『懺悔』(84)>を日本で初めて一挙上映することが決定、8 月 4 日(土)より岩波ホールほか順次全国にて 3 作品同時公開される。あわせてポスタービジュアルと本予告編が完成した。
コーカサスの国、ジョージア(グルジア)に、映画が誕生して今年で 110 年。一世紀を超える雄大な時の流れを感じる節目の年に、世界映画史の金字塔とよばれるジョージア映画の不朽の名作が日本で初公開される。その映画とは、実に 51 年の歳月を経て日本初公開を迎えることとなり、ジョージア映画史の戦後の発展を担ってきた巨匠テンギズ・アブラゼ監督が 20 年の歳月をかけて完結させたトリロジーの一作目である『祈り』。
この『祈り』日本初公開を受けて、アブラゼ監督渾身のトリロジーであり、世界的にも伝説と化していた「祈り 三部作」の一挙上映が今夏、日本で実現。宗教間の対立を描き、人間の尊厳と寛容を謳った『祈り』(67)に加え、1979 年のダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞した『希望の樹』(76)、そして 1987 年のカンヌ国際映画祭の審査員特別賞を受賞した『懺悔』(84)の三作品が同時公開。いずれも異なる視点から、一貫して社会の不条理を告発した作品だ。
このたび解禁されたポスタービジュアルは、『祈り』に登場する少女が右手に蝋燭をかかげながら暗闇に佇む静粛さを感じさせる場面写真が挿入され、『祈り』の作品そのもののような白と黒のコントラストが印象的なビジュアルとなっている。また解禁された予告編は 3 作品の特徴を印象付けるものとなっており、『希望の樹』の若者2人の瑞々しいやり取りが映し出された次には、スターリン時代の粛清を描いた『懺悔』の象徴的なシーンが挟み込まれ、最後に『祈り』の白と黒のコントラストに圧倒される、まさに三者三様の描き方でアブラゼのメッセージを受け取ることのできる予告編となっている。

【「祈り 三部作」 上映作品】
★『祈り』<日本初公開>
日本初公開。19 世紀ジョージアの国民的作家 V・プシャヴェラの叙事詩をもとに、モノクロームの荘厳な映像で描いた作品。ジョージア北東部の山岳地帯に住むキリスト教徒とイスラム教徒の因縁の対立を描き、敵味方を超えた人間の尊厳と寛容を謳う。
<受賞歴>
1973 年サンレモ国際映画祭グランプリ
1967 年/ジョージア映画/ジョージア語/白黒/78 分/シネマスコープ
★『希望の樹』
20 世紀初頭、革命前のジョージア東部カヘティ地方に美しい農村。時代の大きな変化を予感して村人たちはそれぞれに動揺していた。そのなか美しい娘と青年の純愛は古い掟と因習のために打ち砕かれてゆく。20 世紀を代表する G・レオニゼの短編集が原作。
<受賞歴>
1977 年全ソヴィエト映画祭大賞、テヘラン国際映画祭金牛賞、1978 年カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭特別賞、1979 年ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞
1976 年/ジョージア映画/ジョージア語/カラー/107 分/スタンダード

★『懺悔』
架空の地方都市で、元市長の墓が何者かに暴かれ、犯人の女性が捕らえられる。彼女の証言によって、元市長の独裁により、多くの市民が粛清されたことが明らかになってゆく。スターリン時代を描いたといわれ、ソ連邦のペレストロイカの象徴となった。
<受賞歴>
1987 年カンヌ国際映画祭審査員特別賞・国際批評家連盟賞・キリスト教審査員賞、シカゴ国際映画祭審査員特別賞、1988 年ソ連アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞、撮影賞、脚本賞、美術賞
1984 年/ジョージア映画/ジョージア語/カラー/153 分/スタンダード © Georgia Film ,1984



by sentence2307 | 2018-09-10 15:49 | 衣笠貞之助 | Comments(0)