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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:渋谷実( 2 )

十日間の人生

サラリーマンの「悲しいサガ」とでもいうのでしょうか、だらだらと惰眠をむさぼりたいような土曜・日曜の朝でも、平日と同じ起床時間にはきっちり眼が覚めてしまいます。

舌打ちのひとつでもして寝なおそうかと思うのですが、既に「出勤モード」になってしまっているカラダもアタマもますます冴えていく一方で、朝の光の眩しさもあり、こうなってしまっては、改めて寝付くことなど、到底できません。

しかたなく、いつもベッドの傍らに置いてあるタブレットを引き寄せて、最近ちょっと習慣になっているyou tubeにアップされている映画を、ゴロゴロしながら見ようかと検索をはじめました。

土曜日の朝の起き抜けにベッドでゴロつきながら、特にすることもないので、「名作映画でも見ようか」などという発想自体、ひとむかし前には、とても考えられなかったことですよね。

かつては、数年に一度しか見るチャンスが訪れないような「名作映画」を見逃すまいと、プログラムに合わせてわざわざ有給休暇をとり、京橋の「フィルムセンター」や「並木座」、池袋の「文芸地下」にまで駆けつけて、長年の思い(自分的には、まさに「百年の恋」状態です)をやっと果たせたなどということを繰り返していたあの頃とは、実に隔世の感があります。

ですので、作品そのものの客観的な評価よりも、抱き続けたその作品への個人的な思いの方がよほど強くて、「邂逅できた」という達成感がなによりも優先し、明滅するスクリーンを見つめる歓びに浸れるだけで十分、その作品が面白いかどうかなど実は二の次で、世間の「評価」など自分にはどうでも良かったのだと思います。

考えてみれば、子供の頃、夜の学校の校庭で行われた「映画上映会」で、風にハタメク布のスクリーンを驚きの目で見つめていたあの無垢な「視線」が持続していたのは、有給休暇をとって見にいった「フィルムセンター」までが最後だったかもしれません。

驚くべきデジタル化の進歩によって、レアな名作映画がいつでも手にはいり、幾らでも見られる環境になった現在、自分はいまでも、一本一本の「映画」を、あの頃と同じように緊張感をもって大切に、そして慈しんで見ているだろうかという忸怩たる思いと、さらなる迷いとに捉われ続けています。

しかし、「失ってしまったもの」があるということは、逆に、「得るもの」だってきっとあるに違いないと信じて、これからも自分なりに映画に対峙していこうと思っています、いや、いくしかありません。

さて、タブレットを手にしながら、そういえば、少し前に内田吐夢の「限りなき前進」(小津安二郎の原案と聞いています)を見かけたのを思い出し、いろいろキイワードを駆使してあれこれと探してみたのですが、どうしても見つけ出せません。

しかし、インターネット検索の面白いところは、あちこちと探していくうちに、当初の目的からどんどん外れていきながらも、むしろそこで思わぬ拾い物をすることもあるので、「当初の目的」などにいつまでも拘っているつもりはなく、そのときも偶然に渋谷実監督の「十日間の人生」に行きあたりました。

この作品に対する予備知識など、まったくありませんでしたが、見ているうちにその風格みたいなものは、すぐに感じ取れました。

そして、見終わったあと、実に優れた作品にめぐり会えたものだという喜びも噛みしめることができました。
しかし、「予備知識が、まったくなかった」という意味は、「調べなかった」ということではなくて、「調べたけれども資料がまったく存在しなかった」ということなので、それは、さらにインターネット上での「情報の貧弱さ」にもそのまま通じていることが分かりました。

それはまた、監督・渋谷実の現代の評価(御三家、五大名にさえ入っていないという意味での無名性です)にも、たぶんそのまま反映されていて、かつて「エスプリの効いたシニカルな笑い」によって高く評価され、また、当時の観客動員数においても小津安二郎や木下惠介に対していささかの引けもとらなかった監督・渋谷実が、いつしかこの松竹二大巨匠に大きく水をあけられ、凡庸な小市民映画の監督に成り下がってしまった理由が、自分には、この1941年作品「十日間の人生」のなかに潜んでいるような気がして仕方ありませんでした。

あっ、それからもうひとつ、この映画で、親に捨てられた孤独な娘役を演じている主演の田中絹代の「発声」についてです。田中絹代って、こんな声だっけ?と思わず隣の人に聞いてしまいたくなるような意外なほどの野太い声に、なんだか彼女の演技の工夫みたいなものが感じられ、そういえば、なにしろ、この前年には「浪花女」による溝口健二監督との出会いがあったわけだし、などとその辺をあれこれ妄想する楽しみは、大いに尽きることがありません。

さて、この作品を、どこから語り出せばいいのか、しばし考えました。

ただ、そもそもこの作品の「あらすじ」というものが、驚くべきことにインターネットには(もちろん、「書籍」的には、なおさらですが)存在しないのです。

作品の理解には「あらすじ」というものは、実に大切なものなのです、特に自分にとってはね。

ですので、この作品「十日間の人生」の「あらすじ」(ネットに存在しないので)をざっと書いてみますね。

船員が三人しか乗ってない小型漁船が、遠洋漁業から帰ってきて、いままさに古巣の港に入港しようとしています。

船の船長(井上正夫が演じています)は、この航海を最後に船乗りを辞めようと決めており、陸にあがって、いよいよ最愛の息子と暮らせるというので、嬉しくて仕方がない様子が描かれています。

一方、工場で働いている羽振りのいい息子・篤一(高田浩吉が演じています)の方は、親爺ほどには同居を喜んでいるようには見えません、「別にどっちでもいいや」というドライな感じで描かれています。

また、宿屋の女中として働いているヤス(田中絹代が演じています)の元に、やつれた父親(水島亮太郎が演じています)が訪ねてきます。実は、ヤスは明日、極北の地・エトロフ行きが決まっていて、彼の地で働く契約の金は、鉱山の投資で失敗した父親の借金の返済に既に充てられたことが、ふたりの会話で仄めかされます。

不甲斐ない父親は、「お陰ですべて無事にすんだよ」と娘に弱々しく礼を言い、娘はほっと安心しながら、父親の「他人行儀」をなじりますが、実は、その父親は、孤児だったヤスを拾って育ててくれた赤の他人=恩人であることが後で明かされます。

やがて、父親が去り、残していった置手紙には、「さらに事業に失敗したこと、最早自殺するしかないこと」が書かれており、ヤスは父親のあとを追って必死で港を探し回ります。

一方、たまたま、父親の自殺の現場に行き合わせた船員と篤一は入水の音を聞きつけ、船員だけが海に飛び込んで父親を引き上げますが、いっとき遅く父親は絶命します。

船員は、一緒に篤一が飛び込んでいたら父親は助かったかもしれない、新調した服が濡れるのが嫌だったのかい、とからかいますが、彼が意気地なしであることは、誰よりも篤一自身が痛いほど分かっていたことでした。

父親の葬儀を済ませた後、船長は、身寄りのないヤス(葬儀のため、エトロフ行きは一週間延期されました)を一時引き取って同居しますが、ヤスに対して疚しい気持ちをもつ篤一は、世話をやこうとする彼女の親身を悉く拒絶します。

船長は、息子と住む空家を探しているとき、同行した船員から、父親が自殺したときに篤一がとった行動(なにも出来なかったこと)を知らされ、不甲斐ない息子に「そんなやつは、自分の息子ではない」と激怒し、激しい言葉でなじります。

深く悔いた息子は、ヤスに代わりエトロフ行きを決め、「親爺の世話をたのむ」とヤスに話します。息子と同居することをあれ程楽しみにしていた船長の気持ちを知っているヤスは、激しく断りますが、「自分の気持ちが済まないのだ、北の地で自分を鍛えなおしてきたい」と、ヤスを無理やり納得させます。

船主の平田(河村黎吉が演じています)から、ヤスに代わって篤一がエトロフ行きを契約したことを聞き知った船長は、急いで港に駆けつけ、「そう決心しただけで十分だ。お前はもう腑抜けなんかじゃない」と息子を押し留め、海に慣れた自分こそが、エトロフ行きには相応しいのだと言い残して、若いふたりの見送りを受けながら北の海へと旅立っていきました。

どうです、まるで、リリアン・ギッシュでも出てきそうな、素晴らしいシチュエーションじゃありませんか。
「あらすじ」だけで、こうも感動させてしまえるのですからね。

ここではただ、万感の思いを抱いて船出する船長に、「ありがとね」と手を振る息子と若き娘(娘は、若いに決まってますが)の幸福感を胸いっぱい味わえばいいのであって、それ以外のなにか余韻のようなものを求めたりしてはなりません。

ここには、「東京暮色」のラストシーン、北海道に旅立つ山田五十鈴と中村伸郎の敗残のやる瀬なさも、「二十四の瞳」の貧しさから学校を退学し奉公を余儀なくされた教え子との別れの痛恨もあるわけではなく、そもそも「そういう映画」ではないわけですから。

そうそう、うっかり書き忘れるところでした。

このストーリー、以前どこかで聞いたことがあるなと、なんとなく考えていたのですが、やっと思い出しました。
「最後の一葉」で有名なオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」です。

貧しい夫妻が、互いにクリスマスプレゼントをしようと思いますがお金がない。

妻は、自慢の長い髪をバッサリ切って売り、そのお金で夫が愛用している金時計の鎖を買い、夫は、妻が欲しがっていた鼈甲の櫛を買うために、自慢の懐中時計を質に入れて金を作ります。

クリスマスの夜、ふたりは、失なわれた物のためのプレゼントを前にして、やるせないため息をつきますが、オー・ヘンリーは、物語の末尾で

「東方の賢者は、ご存知のように、 賢い人たちでした、すばらしく賢い人たちだったんです、飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。 東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。 彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。 二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。 贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。 贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。 世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。 彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。」

と結んでいます。

「賢い」と「賢者」という言葉を連発しているところを見ると、オー・ヘンリーは、このふたりの行為を非難はしていないみたいですが、実際のところは、よく理解できません。

多分、行き違いよりも、「物」を失ったこと(わが身の犠牲)を評価して、そう言っているのではないかという気がするのですが、さらに貧乏になったとはいえ、「誠意」は、充分にお互いに伝わったわけなので、このことによって夫婦仲が悪くなるということは考えにくいと思います。

愛するためには、それなりの犠牲を必要とするのだということなら、なんだか「十日間の人生」にも通じる部分があるかもしれません。

(1941松竹・大船撮影所)製作担当・磯野利七郎、監督:渋谷実、原作:八木隆一郎「海の星」、脚本:斎藤良輔、撮影:長岡博之、音楽・前田王幾、美術:浜田辰雄、編集:浜村義康、現像・宮城島文一
出演:井上正夫(船長)、田中絹代(ヤス)、高田浩吉(篤一)、水戸光子(あや)、山田巳之助(辰吉)、河村黎吉(平田)、斎藤達雄(浅間)、水島亮太郎(ヤスの父)、笠智衆(巡査)、飯田蝶子(下宿の内儀)、岡村文子(港屋の女将)、草香田鶴子(港屋の女中とめ)、高松栄子(雑炊婦)、出雲八重子(雑炊婦)、青山万里子(雑炊婦)、水上清子(雑炊婦)、若水絹子(盛り場の女)、忍節子(盛り場の女)、東山光子(盛り場の女)、磯野秋雄(射的屋の客)、青野清(床屋のおやぢ)、油井宗信(船員)、松本行司(船員)

製作=松竹(大船撮影所) 1941.04.01 国際劇場 8巻 白黒
by sentence2307 | 2016-09-10 17:28 | 渋谷実 | Comments(0)

もず

生き別れた母娘が久しぶりに出会う場面からはじまるこの渋谷実監督「もず」を見たとき、すぐに小津監督の「東京暮色」との酷似を感じました。

それは、どちらの作品にも、有馬稲子が似たような娘役で出演していて、母親との和解を望みながら、長い別離がもたらした気持のずれは如何ともしがたく、そのたびに関係はますます悪化して、結局はどうしても通じ合えないまま母親が病死するという痛切な葛藤の物語がとてもよく似ていたということだったのかもしれません。

製作年度からいえば、小津作品「東京暮色」1957を意識して渋谷作品の「もず」1961がつくられたのだろうなということが、なんとなく想像がつく作品です。

ちなみに渋谷実は、監督に昇進する直前に、小津監督の「淑女は何を忘れたか」1937で助監督についていたということですから、小津監督に対して独特な感情をもって、「東京暮色」を意識した渋谷監督が「もず」を撮ったという構図を想定しても、あながち根拠の無いものではなかっただろうなとは思います。

こう考えてくると、このふたつの作品の共通点を、かなりリアルに指摘できるかもしれません。

ときおり物凄く暗い作品を撮るといわれている小津監督ですが、確かにそのような作品が幾つかあるなかで、象徴的な(小津ファンからすれば「残念な」という印象なのでしょうか)作品のひとつとして「東京暮色」がよくあげられます。

しかし、自分としては、一般にいわれているその「暗さ」というものが、なぜ「小津作品」にだけ否定的に語られなければならないのかが、よく分かりませんでしたし、また、納得できない気持ちもありました。

つまり、小津的なものを愛するあまり、その「完璧な様式美」を崩すというだけの理由で、「暗さ」を失敗作だとみなして、まず否定されてしまう(もしそうなら、それはあまりに臆病すぎる、いわば「贔屓の引き倒し」みたいなものにすぎないような気がします)、それによって作品の本質的な部分=核心に迫るという道筋をミズカラ放棄してしまうような頑ななそういった行き方こそむしろ本末転倒、もしかしたら皮肉な小津監督が後世に仕掛けた巧みな罠に僕たちはやすやすと囚われているだけなのではないか、そんな気もしています。

そんな禁忌に守られなければならないほど小津安二郎という人も作品も脆弱だったのかと思えてしまいます。

もちろん、そんなことはない、むしろ「暗さ」や「弱さ」の側面からしか照らし出すことのできないものもあるはずです。

とはいうものの、世界の映画史に屹立する巨人・小津安二郎に対してなにもわざわざ「脆弱さ」からアプローチしなくたっていいではないかという見方があっても、そう思うのも至極当然で、その気持は僕だって大いに理解できます。

さて、そういう「脆弱さ」という意味からいえば、1950年代のピークを過ぎて失速を囁かれはじめた時期の渋谷実監督に対してそこ当てはまるような気がしています。

よく言われることに、1960年以後の渋谷監督の失速に対する理由付けとして、よく「長い間、松竹のぬるま湯に浸かりすぎたための弱さがでたのだ」という言われ方をしていたことを思い出しました。

この言葉は、そのまま小津監督にも当てはまるはずです。

そういう意味では、「東京暮色」を意識した「もず」という構図は、その「暗さ」において決して突飛な発想ではなかったと考えています。

(1961にんじんくらぶ・松竹)監督・渋谷実、企画・佐々木孟、製作・若槻繁、渋谷実、原作脚色・水木洋子、撮影・長岡博之、美術・松山崇、照明・小泉喜代司、音楽・武満徹、録音・大村三郎、スチール・堺謙一、
出演・淡島千景、有馬稲子、永井智雄、山田五十鈴、深見泰三、桜むつ子、乙羽信子、高橋とよ、清川虹子、川津祐介、岩崎加根子、辻伊万里、柏木優子、日高澄子、佐藤慶、町田祥子
1961年3月1日公開
by sentence2307 | 2011-10-10 07:49 | 渋谷実 | Comments(289)