人気ブログランキング |

世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カテゴリ:パーヴェル・チュフライ( 1 )

パパってなに?

のんべんだらりと過ごしてしまった正月明けの昼近くに起きだし、さて新聞でも読むかと朝刊(読売新聞・平成23年1月4日)を広げたら、文化欄にエイゼンシュテインと、その隣に衣装をまとった歌舞伎役者が、ツーショットで写っている写真が大きく掲載されていたので、正月早々、ちょっと驚いてしまいました。

そりゃあもちろん、エイゼンシュテインとツーショットで写っている歌舞伎役者といえば、すぐに、あの伝説の名優、2世市川左団次(1880~1940)だということは、すぐに分かりました。

記事は、1928年、2世市川左団次(1880~1940)が、歌舞伎史上初の海外公演をソ連で行い、モスクワやレニングラード(現サンクトペテルブルク)で「忠臣蔵」「娘道成寺」などを上演して歓迎を受けたこと、その際に、ソ連政府から現地の新聞記事や写真などを集めた「貼り込み帳」(スクラップブック)が贈られており(遺族が早稲田大演劇博物館に寄贈しました)、いままで一般公開されていなかったその内容が、このほど明らかになったというものでした。

そのスクラップブックというのは、「ソビエト連邦での歌舞伎」と題した革表紙(縦36cm、横53・5cm、台紙66枚)で、現地の新聞、雑誌、写真、劇評や中央アジアなど地方の記事も丹念に集めてあるということです。

しかし、この記事を読んで少し疑問に感じたところがありました。

歌舞伎史上初の海外公演が、なぜソビエだったのかという疑問です。

はじめ、ソビエト政府からの招待されてのことだったのかと考えてみました。

そういえば確か、エイゼンシュテインの後期の作品(「イワン雷帝」だったと思いますが)には、歌舞伎の「見得」に影響されていることを指摘していた評論を読んだことを思い出しました。

記事のなかにも「左団次が、『戦艦ポチョムキン』で知られる映画監督のセルゲイ・M・エイゼンシュテインと一緒に写った写真などもあり(これが新聞に掲載されていた写真です)、ソ連の文化人が歌舞伎に強い関心を寄せたことが分かる。」というクダリもあったので、招待されてのソビエト公演だったのかと考えてみたのでした。

しかし、その文章からは、ソビエトの文化人の歌舞伎への関心が「従来から寄せていた」ものだったのか、それとも「初めて歌舞伎を見たことによって」生じたものだったのかは、判断できません。

たぶん、それは、ソビエト側からの招待というよりも、むしろ逆、日本から押しかけて行った公演だったような気がしてきました。

ほんの数年前に革命をなしとげたソビエトという国への憧れが、この若き歌舞伎役者をソビエトに近づけたと思う方が、つまり、あらゆる演劇に自分の可能性を求めようとした2世市川左団次には、その方が、なんだか自然のように思えてきました。

その時期のことについてWikipediaでは、こんなふうに簡単に記されています。

「歌舞伎役者として活動する傍ら、作家の小山内薫とともに翻訳劇を中心に上演する自由劇場運動を行った(1909〜19年)。
明治17年には、明治座を売却し、松竹専属になった。
また、昭和3年 (1928) にはソ連で史上初の歌舞伎海外公演を行った。」

衰退した歌舞伎の将来をあらゆる演劇の可能性に模索していった過程に当時日本で最も流行していたロシア演劇があり、可能性を追求していった当然の帰結として「歌舞伎史上初の海外公演・ソビエト」があったのではないかと考えるようになりました。

さて、新年早々、そのツーショットの写真自体に驚いたというのはもちろんですが、「エイゼンシュテイン」とかソビエト映画のことを思い出すということ自体が、自分には随分と久しぶりのことだったので、むしろそのことの方に動揺したというのが本当のところだったのかもしれません。

こんなカタチで、忘れかけていた記憶と不意に出会い、エイゼンシュテインの名前さえ忘れかけていたことに、これまで徒過してきた空白の時間を更に思い知らされ、そして戸惑い、郷愁みたいな思いを溢れさせたのだろうなと思いました。

最近では、すっかり「ソビエト映画」について話す相手もおらず、かつて存在したことすらも忘れ去られてしまったのではないかと思うことさえありました。

もっとも、自分だって少し前までは、その「すっかり忘れていたひとり」だったわけで、大きなことは言えないのですが、しかし、エイゼンシュテインと市川左団次のツーショット写真を見たとき、個人的に少なからず動揺したというのには、心当たりがあったのです。

実は去年の暮にパーヴェル・チュフライ監督の1997年ロシア映画「パパってなに?」を見て大変感心し、その監督パーヴェル・チュフライが、かつてのソビエト映画の名作「誓いの休暇」1959を撮ったグレゴリー・チュフライ監督の息子だと知り、しばしソビエト映画に思いに囚われたことがあったからでした。

しかも「パパってなに?」は、オヤジの「誓いの休暇」に引けをとらないくらい優れた作品だと思いました。

父親に対する思いと、その思いを踏みにじられた少年の怒りが、痛切に描かれた苦しいほどの名作でした。

何かにすがらなければ生きていけない過酷な環境の中で、少年は、孤独のあまり大人たちの気まぐれを過信し、そして裏切られていくことの痛切な憤りが描かれていました。

新年早々の大収穫でしたが、ひとつだけ「残念・不満」がありました、このタイトルです。

もう少し内容に即したタイトルが工夫できなかったのでしょうか。

この見るからに軽めのタイトルを敬遠し、この作品と他の作品のどちらかを鑑賞の優先順位を選択しなければならなかったとき、つねに見るのを後回ししてきた主たる原因といえば、この軽々しいタイトル「パパってなに?」にあったことを恨みを添えて記しておかなければなりません。

(1997ロシア・フランス)監督脚本パーヴェル・チュフライ、製作:イーゴリ・トルスツノフ、撮影:ウラジーミル・クリモフ、美術:ヴィクトル・ペトロフ、音楽:ウラジミール・ダシケヴィチ、衣装:ナタリア・モネワ、配給:コムストック、製作総指揮セルゲイ・コズロフ、音響ユーリヤ・エゴーロワ、
出演・ミーシャ・フィリプチュク、エカテリーナ・レドニコワ、ウラジミール・マシコフ、アマリヤ・モルドヴィノワ、リディヤ・サヴチェンコ、アンナ・シツカトゥロワ、オルガ・ペシコワ、
1998年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、、ゴールデングローブ賞外国語映画賞ノミネート、ロシアNIKA賞(ロシア・アカデミー賞)作品賞・監督賞・作曲賞、主演男優賞・主演女優賞・作曲賞受賞、1997年ヨーロピアン・フィルムアワード作品賞ノミネート、ヴェネツィア映画祭国際若手審査員賞、ユニセフ賞受賞、1997年/ロシア・フランス/1時間37分
by sentence2307 | 2011-01-08 15:48 | パーヴェル・チュフライ | Comments(165)