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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:溝口健二( 22 )

折鶴お千

映画を漫然と見ているうちに、それがいつしか惰性におちいり、次第に緊張感を欠いてしまい、ただ「流されて」しまうだけの状態になることを常に恐れています、それだけは避けなければと、注意しているつもりです。

不幸にして、たまたま、そういう「期間」に見てしまった映画が、たとえそれが、いわゆる「名作」と呼ばれる作品だとしても、ほかの多くの駄作に巻き込まれるかたちで、十把ひとからげ的に無感動に(正確にいえば、むしろ「無感覚」という感じかもしれません)スルーし、忘却という「ゴミ箱」に直行して、まったく印象に残っていないという苦い経験をかつて幾度も経験しました。

でも、また新たに意識を整えて再度見ればいいじゃん、とか言われてしまいそうですが、最初の出会いをこんな怠惰なかたちで損なってしまうと、あとはどうやっても「建て直し」ができない感じが以後ずっと付きまとってしまいます(そこは、ホラ、男女の出会いと一緒かもしれません)。

つまり、自分的には、その作品の存在を「見失ってしまった」ことと同じで、あとは他人の価値観や認識を借りて映画をなぞるだけという、自分の価値観や認識でスキャンすることに失敗したわけで、やはり、初めての作品に対する接し方はとても大切だと思うので、努めてそこは慎重に準備しなければと考えていますし、たとえば、自分なりの「基準」なども設けて鑑賞しています。

具体的にいえば、その映像作家の最良の作品を常に念頭に置くという方法なのですが、たとえば、溝口健二作品でいうと、やはりそれは「残菊物語」ということになるでしょうか。

晩年に海外で大いに評価された「西鶴一代女」や「雨月物語」や「山椒大夫」などは、たしかに優れた作品なのかもしれませんが、それは溝口健二の溢れ出る才気や優れた技術を誇示した作品というだけで、しかし、はたしてそれらが、溝口が本当に撮りたかった作品だったかといえば、それはまた別なハナシという感じがして仕方ありません。

やはり、「基準」という観点からすれば、献身と忍従によって自我を貫いた一途な明治の女を凄絶に描いた「残菊物語」が、やはり一頭地を抜いた作品ではないかと考えています。

この作品を筆頭に、ほか一連の「女性像」を描いた作品の系譜があるからこそ、「西鶴一代女」や「雨月物語」や「山椒大夫」が成立したに違いないと思っています。

しかし、こんなふうにして見た「折鶴お千」ですが、実は、そんな「基準」を設定してしまったことに、すぐに後悔した作品でもありました。

この「折鶴お千」には、あの「残菊物語」の衝撃も感激も残念ながらありませんでした、ただ、納まりどころのつかない苛立ちだけが自分の中にワダカマッテしまった感じです。

その「苛立ち」のひとつは、お千(山田五十鈴が演じています)の苦労・苦衷を最後まで理解することのなかった宗吉(夏川大二郎が演じています)の鈍感さが気になりました。

そこに溝口健二らしからぬリアリズムの欠如を感じたからかもしれません。

お千は、最初から脅かされるままに嫌々悪党の手先にさせられて、ときには騙す相手への餌として、その美貌や肉体を提供させられ、ずるずると悪事の加担を強いられてきただけの哀れな女です。

彼女自身に、悪事に対する才覚もその覚悟もあったわけではなく、ただ地獄のような屈辱的な生活から逃れたいという一心があって、やがて、同じように悪党たちから虐待される薄幸の孤児・宗吉への同情が次第に共感となって膨張・共振し、爆発してこの苦界から逃れることができるのですが、やがて、ふたりが居を共にし、お千が宗吉の学業を援助するという後半へつながっていくことを思えば、お千の気持ちのなかに憐れな宗吉に対する「ほどこし」の気持ちだけで居を共にしたわけではないことは十分に認識できます。

宗吉を支えることが彼女の生きる励みともなったその思いが強すぎて、一方で、彼らの生活を支えなければならないお千に、最初から生活の経済的基盤を確保するだけの生活能力が欠如していたこと(そのために、ふたりの生活の破綻はすぐにやってきます)を、当のお千自身が、当初はそれほど深刻には考えていなかった(認識すること自体ができなかったとも考えられますが)ことは理解できるとしても、それは、あくまでも「お千」なら「そう」かもしれないというだけのことで、将来は医学博士にでもなろうかという優秀な青年・宗吉もまた、ごく近い将来に自分たちの生活が破綻をきたすという予想や認識をできなかったとは、どうしても考えられないのです。

ましてや、かつて悪党たちの屈辱的な支配に甘んじていた頃の弱々しい(誰かに寄生しなければ生きていけない生活無能力者といってもいい)お千をつねに身近に見てきて、彼女の卑弱さを十分に知っていた宗吉が、やがて彼らのうえに襲い掛かる生活苦を、そのようなお千が支えきることができるなどと考えたとは、どうしても思えないのです。

ここまで書いてきて、ひとつの仮説が浮かび上がってきました。

悪党たちが、お千の美貌と肉体を散々食い物にしたように、宗吉もまた、お千の好意に寄りかかって、この都合がいい生活をできるだけ長引かせてやろうとしたのではないか。

宗吉の計画は、お千の不注意によって(客が財布を忘れ、届け出る前に彼女は捕縛されてしまいます)この都合のいい生活の破綻は意外に早くやってきてしまいますが、宗吉には、お千以上に世慣れた才覚があり(もともと優秀なのですから、当然の成り行きです)、すぐに次のパトロンを探し当て、将来への途を開きます。

この最後の部分、腹のなかで「舌」を出してほくそえむ宗吉を辛らつに描いたとしても、溝口作品らしさという意味でいえば、それこそ可能性の範囲なのではないかと考えました。

男たちから散々に食い物にされた哀れな女たちを描きつづけ、多くの優れた作品を残した溝口健二への共感が、自分にここまで妄想させたのだなと思いましたが、はたして本当に「妄想」だったのか、この作品が「回想」によって大きく括られていることが、始終気になっていました。

あの「回想」が、どういう意味だったのかといえば、それは、宗吉が、その栄達の間中、「お千のことをまったく忘れていた時間」のことだと思い当たりました。

最後の場面、宗吉が、たとえ取ってつけたように泣き崩れたとしても、「忘却」というその残酷な事実は、消しようがありません。

そのとき、不意に、むかし、加川良が歌っていた歌を思い出しました。

題名はたしか「忘れられた女」だったかとうろ覚えながらネットで検索したら、これは、マリー・ローランサンが作った「鎮静剤」という詩なのだそうですね。

you tubeで確認したところ、高田渡の歌っているものもありましたが、やはり加川良の歌のほうが、メロディの感じなんかがよくつかめるような気がしました。

自分も加川良の歌を聞いて覚えていました。

まさに映画「折鶴お千」のための詩なのではないかと思えるくらい、ぴったりした詩だと思いました。


「鎮静剤」
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは 寄る辺ない女です。
寄る辺ない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。


(1935製作=第一映画社 配給=松竹キネマ)監督・溝口健二、監督補・寺内静吉、 高木孝一、 伊地知正、 坂根田鶴子、脚色・高島達之助、原作・泉鏡花 『売食鴨南蛮』、撮影・三木稔、撮影補・竹野治夫、岡田積、選曲・松井翠聲、装置・西七郎、美術・小栗美二、録音・佐谷戸常雄、録音補・室戸順一、三倉英一、照明・中西増一、普通写真・香山武雄、衣裳・小笹庄治郎、技髪・高木石太郎、結髪・石井重子、衣裳調達・松坂屋、解説・松井翠声、
出演・山田五十鈴(お千)、夏川大二郎(秦宗吉)、羅門光三郎・芳沢一郎(浮木)、芝田新(熊沢)、鳥井正(甘谷)、藤井源市(松田)、北村純一(盃の平四郎)、滝沢静子(お袖)、中野英治(宗吉の恩師・教授)、伊藤すゑ(宗吉の祖母)、
1935.01.20 帝国館 10巻 2,634m 96分 モノクロ/スタンダード シネマ・スコープ(1:2.35) 解説版
by sentence2307 | 2016-08-22 13:13 | 溝口健二 | Comments(0)

マリアのお雪

you tubeで手軽に見られるところから、ここ最近、古典的な日本の名作映画を立て続けに見てきたのですが、一本だけどうしても見ることを躊躇した作品がありました。

溝口健二の1935年作品「マリアのお雪」です。

最初は、溝口健二らしからぬこの「マリアのお雪」という題名が、どうにもなじめず、「隠れキリシタン」でも扱った映画なのかとイラヌ憶測をしたり、やたら重そうなその雰囲気に、見る前から既に圧倒されたことも敬遠した理由のひとつだったかもしれません。

そして、さらに、この作品に関する批評や解説のあまりの少なさもあったと思います。

どちらにしろ、かの溝口健二が撮った作品ですから、見る者を厳しく選別するような暗鬱な作品であることには違いありません。

そんなおり、ある本を読んでいて、長い間、自分が影響(はっきりいって、「呪縛」です)を受けてきた文章に、ついに邂逅したのです。

その本は、三一書房が1970年頃に出版した「現代のシネマ」というシリーズの中の一冊、ミシェル・メニル著「溝口健二」の末尾に付された解説(佐藤忠男筆)の中にありました。

「1970年頃」といえば、自分的には、「すべて」のことが起こり、そして終わってしまった季節と重なります(「ように思える」と書き直すべきか、迷います)。

そのあとの時間を「余生だ」といった友人もいたくらいで、思えば、ずいぶんと長い「余生」ではありましたが。

この三一書房の「現代のシネマ」は、当時の、生真面目で融通がきかない、小難し好きの時代の空気をよく現わしていて、刊行されたシリーズのラインナップを見れば、そのことがよく分かると思います。

①ジャン・リュック・ゴダール(ジャン・コレ著)
②ミケランジェロ・アントニオーニ(ピエール・ルブロオン著)
③ルイス・ブニュエル(アド・キルー著)
④溝口健二(ミシェル・メニル著)
⑤アラン・レネ(ガストン・ブーヌール著)
⑥アンジェイ・ワイダ(アドラン・トリノン著)
⑦フェデリコ・フェリーニ(ジルベール・サラシャ著)
⑧セルゲイ・エイゼンシュタイン(レオン・ムシナック著)
⑨オーソン・ウェルズ(モーリス・ベシー著)
⑩ロベルト・ロッセリーニ(マリオ・ヴェルドーネ著)

いまもって、いささかも色あせていないこの不滅の映画作家たちの揺るぎない重要度には、あらためて驚かされます、自分たちは、とくに異国の感性に写る「溝口健二」を、夢中になって読みふけったものでした。

そこに、日本の映画監督が外国の知識人たちに認知される恍惚感に酔った部分のあったことも否定はしません。

さて、ミシェル・メニルの「溝口健二」末尾に付された解説(佐藤忠男筆)ですが、該当箇所を転写してみますね。

《溝口健二は、サイレント映画時代にすでに第一級の監督として名声を得ていた。1930年代の後半から40年代においては、後輩の小津安二郎や内田吐夢とともに、日本映画界で最高の敬意を受けていた。が、当時、すでに、多くの賞賛と同時に批判が書かれている。
そして戦後には、賞賛よりも批判を受けることが多くなり、それは、「西鶴一代女」がフランスで評判になる時期までつづいた。
批判の要点は、彼の主題と技法が古くさい、ということであった。
たとえば、批評家岸松雄は1930年代のいわゆる「明治もの」をこう批判した。
「右を向いても左を向いても芸術の自由は奪われているのではあるまいか。それならいっそ旧き世界の美しさに帰ろう。ゲテモノ趣味も悪くない。ラムプ、陶磁器、手織の着物にも数寄を凝らそう。ゲテモノ研究に耽っていたこの当時の溝口健二に会った者は誰でも、凝りに凝りやしたナ、と呆れたよう御世辞を言いたくなるものがあった。
「神風連」「滝の白糸」はなるほどおもしろい。考証にもぬかりはない。「折鶴お千」「マリアのお雪」はしかしおもしろくない。というのは、時代考証だけが幅を利かせはじめて、かんじんの人間がお留守になってしまったからだ。少しむずかしいいい方をすれば、時代と人間との相関関係を描くことを忘れたためである。往来を走る二頭立ての馬車は本式かもしれない。畳の上に投げ出される太政官紙幣もでたらめではないだろう。としても、それだけではどうにもならない。溝口健二は、ゲテモノ趣味の外形に淫してしまったのではあるまいか。」(「日本映画様式考」1937年)》

いまとなっては、かつて自分がこのクダリを「確かに読んだのか」という確証は、なにひとつありませんが、自分の中の「溝口健二のいわゆる明治もの」に対する「駄作」という偏見を植え付けられた「元凶」があったとすれば、(海外批評家から認知される以前に)この手の批評を繰り返し読み続けてきたためにモタラサレタものだということは、そうだろうなと言えると思います。

批評家岸松雄なる者が、ほんとうに「折鶴お千」「マリアのお雪」において「人間がお留守になる」という状態をなにを根拠に評したのかの検証はさておき(佐藤忠男が岸評言を引用した動機も、おそらくは同じネガティブな意味でだったでしょうが)、しかし、ここで問題にしなければならないのは、「溝口健二のいわゆる明治もの」が、本当に箸にも棒にもかからないクダラナイ作品なのかという論点整理です。

そして、長年にわたって自分の中に植えつけられた「偏見」にあがらいながら、自分はこの「マリアのお雪」を鑑賞しました、you tubeで。

ときは「西南の役」、戦火が迫る熊本の町を、急いで乗合い馬車で逃れる庶民の姿が描かれます。

その乗合い馬車には、士族の一家もいれば豪商や僧侶もおり、そのなかに二人連れの流しの女芸人も乗り合わせています。

身分の卑しい女芸人などと同席することを、士族一家や豪商夫婦はとても嫌がり「けがらわしいから馬車から降りろ」となじりますが、そんなおり、悪路のために馬車は転倒し、大破して立ち往生、一行は身動きとれなくなります。

やがて猛烈な空腹に襲われる士族一家や豪商夫婦は、流しの女芸人たちが所持していた「弁当」を思い出します。

かつて、馬車の中で「こんなときに弁当など持って花見にでも行くつもりか」と嘲笑して馬鹿にしたあの「弁当」です。

しかし、幾ら金を積まれようと、さっきの屈辱を決して忘れていないおきん(原駒子が演じています)は、「ざまあみろ」とせせら笑い、見せびらかしながら弁当をおいしそうに食べますが、お雪(山田五十鈴が演じています)は、「もしよかったら」と弁当を彼らに譲ってしまいます。

おきんは、お雪の行為が理解できず、唖然としますが、屈辱を受けた憤りのおさまりがつかないまま、お雪に対しても微かな苛立ちが、その歪んだ表情にうかがわれるシーンです。

ここまできて、やっぱり「マリア」は、あの「マリア」のことなのだな、と思いはじめました。

そういえば、朝倉晋吾(夏川大二郎が演じています)の率いる官軍に囚われたとき、士族一家や豪商夫婦が、自分たちの延命のために娘を朝倉に人身御供として差し出そうとする場面、この作品において個々の「人間の質」が問われる重要な場面ですが、泣いて怯える娘の哀れを見かねて、まず、おきん(原駒子)が、朝倉晋吾にしなだれかかり、「なんにも知らないあんな生娘なんかが相手じゃ、面白くもなんともないじゃないかね。私でどう、いい思いさせてあげるわよ」と誘う場面があります(自分など、「いやいや、生娘の方で結構でやんす、イッヒッヒ」などとヨダレを拭いながら思わず口走ってしまいたくなる場面ですが、ここはまず自重して映画のつづきに集中します)。

性技百般、手練手管でいままで男をさんざん蕩かしてきた「その道」のプロです、クンズホグレツのsexのことなら、十分に自信のあるおきんですから、これは当然の申し出だったかもしれませんが、それはあくまで、朝倉晋吾に「その気」があった場合のことで、そもそも、ことの発端の「娘の人身御供」の考えは、士族一家や豪商夫婦が、自分たちの被害妄想から発した恐怖心の何の根拠もない「仮定」による先走った提案にすぎないので、その妄想の延長線上にあるだけの「おきんの申し出」は、朝倉晋吾にとって、はなはだ迷惑、おおきなお世話以外のなにものでもなかったわけで、その辺の「行き違い」を整理と理解ができていないおきんは、朝倉晋吾から拒絶されたことに激怒します。

理解の道筋としては、「この道」で一度として男から拒まれたことのなかった彼女の(性的)自尊心が傷つけられ、激怒につながったと(一応は)見るべきなのかもしれません。

やがて、このコジレタ関係は、さきの「弁当事件」と同じ経過をたどって、ふたたび「お雪」が解きほぐすことになりますが、おきんの場合と異なり、この「お雪」→「朝倉晋吾」の心的紐帯が、すでに、朝倉が士族一家や豪商夫婦たちが画策した保身のための「人身御供」などという卑劣な行為を罵倒する場面において、山田五十鈴の「なんて素晴らしい人だろう」という思い入れたっぷりに朝倉晋吾を見つめる正面からの美しいショットで、すでに十分に語り尽くされているので、朝倉晋吾へのお雪の接近(もはや「恋愛関係」にあります)が、おきんの場合と決定的に異なることが分かります。

いつも「美味しいところ」だけはお雪が持っていってしまうことに対して、なにごとにつけても不器用なおきんには、はなはだ面白くありません。

しかし、その怒りは、ひたすら朝倉晋吾にぶつけることしかできないでいます。

ラストシーン、窮地から逃れてきた傷ついた朝倉晋吾を、敵軍に引き渡すと言い張る憎悪に燃えるおきんに対して、その憎悪こそ朝倉晋吾に対する恋情だとお雪に指摘されてはじめて、おきんは自分が間違っていたことを理解します。納得したかどうかは、ともかく。

「急転直下」、まるでミテリー小説のような終わり方をしてしまうこの「大団円」(お雪のひとことが、まるで神の啓示のようになされ、おきんは、雷に打たれたように自分の不明を悟ります)に関しては、自分としては少し不満な思いを抱きました。

同じようにまた、おきんを演じた原駒子も、もうひとつこの役の終わり方に対して、消化不良みたいなものを感じたのではないかという感じも持ちました。あるいは、彼女はこの役を「演じきれなかった」と思ったかもしれません。

ぼくたちが接することのできる「原駒子」像といえば、乱した日本髪で不適な薄笑いを浮かべながら、着崩れた着物の懐から拳銃をちらつかせて正面を三白眼で睨み据えた物凄い形相の大迫力の毒婦役として認識しています。

それが、「まるで神の啓示のようになされ、おきんは、雷に打たれたように自分の不明を悟ります」などで、本当にこれで良かったのだろうかという思いが残りました。

むしろ、原駒子にとって「一度として男から拒まれたことのなかった彼女が、朝倉晋吾から拒絶されたことに性的自尊心が傷つけられ、激怒した」ままの方が、なんぼか彼女らしかったかのではないか、という「残念」な思いだけが残った感じがしたのでした。

朝倉晋吾に言い寄った理由が、生娘を救うための身代わりであろうと、あるいは心底から愛していたためであろうと、そんなことはどうだっていい、おきんは、いずれにしても、やはり同じ行動をとっただろうと思ったのは、「性愛」こそが、ヴァンプ女優・原駒子の真骨頂だと感じたからでした。

以前見た三浦大輔の「愛の渦」のなかで、「好きになってんじゃねえよ」という新井浩文の吐くセリフが、ふと脳裏に過ぎったことを申し添えます。それもひとつの真実かなと。

(1935製作・第一映画社、配給・松竹キネマ)監督・溝口健二、監督補・寺内静吉、高木孝一、高橋富次郎、坂根田鶴子、脚色・高島達之助、原作・川口松太郎「乗合馬車」(原案:モーパッサン『脂肪の塊』)、撮影・三木稔、撮影補・竹野治夫、内炭吉四郎、宮西四郎、選曲・高木孝一、伴奏・中央トーキー音楽協会、指揮・酒井龍峯、金馬雄作、装置・西七郎、斎藤権四郎、西山豊、録音・室田順一、擬音・西沢都時、照明・堀越達郎、編集・石本統吉、技髪・高木石太郎、美髪・石井重子、衣裳・小笹庄治郎、字幕・小栗美二、
出演・山田五十鈴(お雪)、原駒子(おきん)、夏川大二郎(官軍・朝倉晋吾)、中野英治(佐土原健介)、歌川絹枝(おちえ)、大泉慶治(宮地與右衛門)、根岸東一郎(権田惣兵衛)、滝沢静子(お勢)、小泉嘉輔(儀助)、鳥居正(官軍大佐)、芝田新(横井慶四郎)、梅村蓉子(通子)
1935.05.30 浅草電気館 10巻 2,370m 1時間16分 白黒
by sentence2307 | 2016-08-07 15:15 | 溝口健二 | Comments(0)

愛怨峡

ある人に指摘されるまで全然気がつきませんでした、無意識というのは、ホント恐ろしいものだなとつくづく感じたことが、つい最近ありました。

これまで、たぶん何年にもわたってだと思います、その人と何気なく映画のことについて、あれこれ会話を交わしている際に、自分が必ず溝口健二作品「愛怨峡」に言及したというのです、それも二度や三度のことじゃない。

自分では全然意識してなかっただけに、この指摘には驚きましたし、大変なショックを受けました。

それというのも、自分は、そのときまで、映画「愛怨峡」という作品をまだ見ていない状態だったからです。

では、それならなぜ(無意識にもせよ)その「愛怨峡」というタイトルを再三にわたって口にしたのかと推測すると、(もちろん、「愛怨峡」という字体の、見るからに妖艶な立ち姿にも惹かれたのですが)思い当たることといえば、ただひとつ、自分が所有している「日本映画作品全集」の最初の第1ページ「あ」の項目に、当のその作品が掲載されていて、つねに必ず目にしていたところから、いつも気になっていたのだと思います。

この本をつねに机の脇に置き、絶えず眺めている自分にとって、いわば座右の書といえる存在なのですが、この本を開くたび(たぶん習慣で、いつも、まずは最初の頁を開けているに違いありません)、そこに印刷されている「愛怨峡」の三文字が必ず目に止まって、そのたびに意識のどこかで、「これは、まだ見ていない作品だ」という密かな条件反射を繰り返していた結果、なんども意識のどこかに刻みつけられたものが、そんな形でジワジワ表出していたのかもしれません。

しかし、このときの「ショック」は、ただそれだけではありませんでした。

このように指摘されたあと、その友人は、さらに驚くべきことを口にしたのです。

「溝口健二の『愛怨峡』なら、you tubeでいつでも見られるよ」

まさに「えっ~!」でした。

さっそく、つねにデイバックに忍ばせて持ち歩いているタブレットを引っ張り出して、検索してみました。

そして、びっくりしました、あるわあるわ、なんだ、こりゃ、という感じです。

パッと見ただけで「虞美人草」「残菊物語」「マリアのお雪」「ふるさとの歌」「夜の女たち」「赤線地帯」「瀧の白糸」「山椒大夫」「東京行進曲」「噂の女」「折鶴お千」「女性の勝利」「歌麿をめぐる5人の女」「祇園囃子」「お遊さま」「女優須磨子の恋」「雨月物語」、そしてカノ「愛怨峡」です。

さらにスワイプすれば、まだまだゾロゾロありそうですが、いや、もうこれだけあれば十分です、よく分かりました。

その場でさっそく、「愛怨峡」の冒頭の部分をチラ見しました。

なるほど、なるほど、お客の立て込む旅館の台所とおぼしき場所で、若旦那の謙吉(清水将夫)と女中のおふみ(山路ふみ子)が、人目を忍んでなにやらヒソヒソと深刻な話を交わしている場面です。

おふみさんは「謙吉さん、みんな、あなたが悪いんだわ」てなことを言っていますから、さしずめこの色男に孕まされて、彼の不実をなじっているという場面でしょうか、フムフムよくあるパターンだな、こりゃあ。

島崎藤村をはじめとして、信州の人は、みんなスケベだから。

そうですか、なんか、面白そうじゃないですか。

ひとむかし前なら、フィルムセンターにでも行かなければ絶対に見られそうになかった貴重な作品ばかり、折角のキャブレット端末も自分などに持たせると、ただの小重たい役立たずのガラス板に成り下がるというわけです。

なんでいつも、こんなに重い物を持ち歩かなければならないんだと、ずっと厄介に思っていたくらいですから、宝の持ち腐れとは、まさにこのことで、これが「猫に小判」ということなのかもしれませんね。

我ながら、自分の迂闊さ、血のめぐりの悪さには、ほとほと呆れ返ります。

さて、念願の作品「愛怨峡」との出会いは、こんなふうに始まったのですが、作品の感想を書く前に、こんなサイトを見つけたので、紹介しておきますね。

題して「溝口健二監督の映画ランキング」。溝口健二監督の全36作品をランクづけしたものです。これによると・・・

1 残菊物語 1939 主演:花柳章太郎
2 瀧の白糸 1933 主演:入江たか子
3 西鶴一代女 1952 主演:田中絹代
4 近松物語 1954  主演:長谷川一夫
5 雨月物語 1953 主演:京マチ子
6 山椒大夫 1954 主演:田中絹代
7 お遊さま 1951 主演:田中絹代
8 祇園の姉妹 1936 主演:山田五十鈴
9 赤線地帯 1956 主演:京マチ子
10 浪華悲歌 1936 主演:山田五十鈴
11 夜の女たち 1948 主演:田中絹代
12 歌麿をめぐる五人の女 1946 主演:坂東簑助
13 噂の女 1954 主演:田中絹代
14 新・平家物語 1955 主演:市川雷蔵
15 武蔵野夫人 1951 主演:田中絹代
16 雪夫人絵図 1950 主演:山村聡
17 楊貴妃 1955 主演:京マチ子
18 愛怨峡 1937 主演:山路ふみ子
19 折鶴お千 1935 主演:山田五十鈴
20 虞美人草 1935 主演:夏川大二郎
21 元禄忠臣蔵 前篇 1941 主演:河原崎長十郎
22 藤原義江のふるさと 1930 主演:藤原義江
23 女優須磨子の恋 1947 主演:田中絹代
24 マリヤのお雪 1935 主演:山田五十鈴
25 名刀美女丸 1945 主演:花柳章太郎
26 女性の勝利 1946 主演:田中絹代
27 わが恋は燃えぬ 1949 主演:田中絹代
28 ふるさとの歌 1925 主演:木藤茂
29 元禄忠臣蔵 後篇 1942 主演:中村翫右衛門
30 宮本武蔵 1944 主演:河原崎長十郎
31 紙人形春の囁き 1926 主演:山本嘉一
32 浪花女 1940 主演:坂東好太郎
33 あゝ故郷 1938 主演:河津清三郎
34 団十郎三代 1944 主演:河原崎権十郎
35 露営の歌 1938 主演:山路ふみ子
36 必勝歌 1945 主演:佐野周二

この「溝口健二監督の映画ランキング」を眺めていると、単に世評の高い作品を頭から順に並べただけなので、なんの面白味も感じられません。

これじゃあまるで優等生を成績順に整列させただけの殺伐とした成績リストです。

ここには知的冒険など一切感じられないどころか、これではまるで選者の個性という主張がないじゃありませんか。

その証拠に「愛怨峡」が18位というのが、大いにおかしい。

36作品のちょうど真ん中ということは、つまり名作ではないけれど、駄作でもないという、いわば選者自身が判断を放棄して逃げをうつという姿勢を露骨に表している証拠です、それ以外には考えられません。

この作品の女優・山路ふみ子の豹変振りは、もっと評価されていい出色の演技です。

それも、捨て鉢とかやけっぱちからの他動的で軽々しい「豹変」じゃない、彼女は、子どもの養育費を稼ぐために、女の武器を十分に機能させる自発的な「豹変」であることを意識的に力強く演じており、「そこ」のところが、「愛怨峡」より上位にランクされている、いわゆる名作群とはちょっと異なるところです。

つまり「残菊物語」「瀧の白糸」「西鶴一代女」「近松物語」「雨月物語」「山椒大夫」「お遊さま」「祇園の姉妹」「赤線地帯」「浪華悲歌」「夜の女たち」の、時代や社会の制度、そして運命に翻弄され、いじめられるばかりの卑弱な女たちとは決定的に異なるのと同時に、そこが溝口作品らしくないと「愛怨峡」が疎まれ忌避されたところなのかもしれません。

実は、「愛怨峡」をyou tubeで見たあとで、そのままのノリで木村荘十二の「兄いもうと」1936も見てしまいました。

以前、成瀬巳喜男の「あにいもうと」1953の感想を書いたとき、機会があれば、木村荘十二作品も、是非見てみたいということを書きました。

いま考えると、成瀬作品において、兄・森雅之の演技があまりに強烈すぎて、受けに回る妹・京マチ子(こちらもかなり強烈な演技でした)の、森雅之の強烈な演技を受け止めるのが精一杯、あの場面の京マチ子はただただ振り回されているだけのように見えましたし、兄妹で言い争うクライマックスの修羅場があまりにも痛々しく激しすぎるために、それがいったい何のための罵り合いなのかまですっかり分からなくさせてしまったかもしれません。

見る側も、単なる「激しい応酬」に気をとられてしまって、兄妹の距離感とか、一家の物語の大切な部分(凋落)を見逃してしまっていたことを、この木村荘十二作品「兄いもうと」が明確に教えてくれました。

この物語は、奉公先で妊娠させられた妹が、そのことが原因で静かに・確実に身を持ち崩していく転落の姿を描いていて、家族もまた、なすすべもなくその転落を見守っていくしかないという、遣り切れない家族の失意と絶望を描いた作品だったのだと気がつきました。

妹の留守に、妊娠させた相手の学生が、彼女のその後の様子を気にして訪ねてきたことを母から聞かされた妹は、当初、その学生が、粗暴な兄と会わずに帰ったと聞いて、ほっと安心します。

あの乱暴者の兄のことだから、彼に会えばどんなことをするか分からないと心配したのです。

しかし、そのすぐあとで、兄の口から直接、帰り道で待ち伏せして野郎を半殺しの目に合わせてやったと聞きおよび、妹は「そんなことを、誰が頼んだ!」と逆上して、兄にむしゃぶりついていきます。

怒った兄も殴る蹴るの応酬があって、「さあ、殺しやがれ!」と妹は叫びます。

ふたりの諍いを呆然と見ていた老母は、娘のその姿を見て「大変な女におなりだねえ」と嘆きます。

なにも妹は、かつての恋人の学生をかばって、そうした修羅場を見せたわけではありません、もはやこんなにも身を持ち崩してしまった自分が、いまさらあの学生と、元の関係に戻れるなどとは少しも思っていないはずです。

もちろん兄の暴力の報復に「いらぬお節介だ」と憤りを感じたかもしれませんが、それとても彼女が逆上したことのすべての理由ではない。

むしろ、兄妹それぞれ、家族それぞれが、互いを深く思い合いながら、しかし、空回りするばかりで噛み合わないそのもどかしさ、これからどう生きていけばいいのか分からない不安と絶望、そうした互いの苛立ちを悲痛にぶつけ合ったのだと思います。

木村荘十二の「兄いもうと」は、その辺(家族の凋落)をしっかりと見せてくれました。

冒頭で、親方の老父が、多くの河職人の荒くれ者たちを荒々しく束ねて、激しい仕事に従事している労働の丹念な描写が的確で、どの子どもたちも、その無骨な父の粗暴さのもとで成長しながら、おそらく反発したり、ひねくれたり、同情したりしながら成人したのだということが、ストーリー全体をしっかりと覆っていて、それが十全に「効いて」おり、息子の荒くれ、長女の反発、次女の優しさの意味するところを、よく理解させてくれました。

わが「愛怨峡」もまた、優柔不断で不実な男に孕まされて捨てられ、転落のなかで生きる、いわば「大変な女におなりだねえ」という女性像を描いてはいるのですが、しかし、彼女は、ただ途方にくれるばかりの女では終わってはいません。

生きるために「大変な女」になった以上、彼女は決然と、どこまでも「大変な女」であることの誇りを抱いて、彼女の道を歩んでいくのだと、映画は幸福の余韻さえ込めて終わっているように見えます。

溝口作品としては、珍しく肯定的で「前向きな女性像」(そのラストも、ハッピーエンド風です)であることが敬遠されて、もし「18位」という低評価のランキングにつながったのだとしたら、その「判断」の在り方は、やはり誤っているというしかありません。

漫才の相方・河津清三郎が演じる鈴木が、復縁を求めて山路ふみ子に会いに来た若旦那・謙吉(清水将夫)に対し、彼のこれまでの不実をなじりながら、手荒くすごんで金品をもとめる脅迫の場面があります、そして実際に暴力を振るって警察に逮捕されます。

しかし、釈放された彼は、「彼女が宿屋の女将におさまって幸せになってくれればそれでいい。ああでもしなければ、ここから離れていく切っ掛けがつかめなかっただろう」と述懐しますが、ふみを思いやる彼のその密かな意図は、ラストで、どこまでも不甲斐ない謙吉の不実を見限って再び家を出る際のふみの怒りの言葉の中で、彼女もまた、自分のことを気遣い思いやってくれる鈴木の気持ちをまっすぐに受け止め、理解していたことが明かされます。

ふみは、再び鈴木とともに、みずからの不運な人生をネタにした漫才で客から笑いをとりながら、貧しい放芸人として暮らしていくに違いありません。

ぎりぎりの場所まで追い詰められた人間が、わが身の不幸や不運、あるいは不具を見世物として人目にさらして飯のタネにする下積みの人間の悲痛な強靭さを、溝口健二はまるで「希望」のように描いているのが鮮烈で印象的でした。

そういえば、この旅一座の閑散とした不入りの芝居小屋の寒々しい描写が素晴らしく、嬉々として自虐ネタを演じるふみの漫才を、恐る恐る物陰から盗み見る謙吉の怯えた表情の描写が圧巻です、これはのちの「赤線地帯」のラストに生かされたのかもしれません。

最近考えていることを、ひとこと書いておきますね、いわば蛇足です。

誰の証言だったか忘れてしまいましたが、「ある映画監督の生涯」のなかで、溝口健二のことを、「溝口健二は、本当の意味のリベラリストではなかった」とか「階級意識が強かった」とか「官尊民卑の思想が強かった」と評されている場面がありました。

たしか、文部大臣賞やベニス映画祭銀賞や紫綬褒章をもらうことを非常に喜んでいたという流れを受けての証言だったと思います。

なにをことさらに、そんなことを言わなければならないのかと、この場面を見るたびに、とても違和感を覚えました。

あたかも、あれだけ優れた作品を量産した溝口健二が、まさか・・・という感じで編集されているように感じたからです。

しかし、あれってむしろ逆じゃないのか、という気がして仕方ありません。

その証拠に、リベラルで、階級意識にも捉われず、官尊民卑の思想もない現代の映画監督たちが、溝口に匹敵するだけの仕事ができているかというと、そんなことはありません。

発想も枯渇し、映画への情熱もとっくに失せ、映写技術は格段の進歩を見せながら、映し出す作品は、どれも愚劣なものばかり、「映画」の発明以来、最大の危機を迎えているといってもいいくらいです。

その凋落の原因は明らかです、「リベラル」などという悪平等の幻想に呪縛され、「階級意識」や「官尊民卑」という公認されることの栄誉の喜びが支える「上昇志向」という倫理観をすっかり失って骨抜きにされてしまったために、その活力も共に去精されてしまったのだといえます。

むしろ、封建的で、階級意識にも捉われ、官尊民卑の思想にこだわって権力に弱く、しかし自分は天才だと思い上がる偏見だけを頼りにして(ときには、その妥協のなさが、「軍部への迎合」だったり、「戦後民主主義への妄信」のカタチをとることもあったにしても、です)優れた映画は、そのように作られ成り立ったのだということを、そろそろ気がついてもいい時期にきているのかもしれません。

ときはいま、溝口健二の再発見。

(1937新興キネマ・東京大泉撮影所)監督・溝口健二、原作・川口松太郎、脚色・依田義賢、溝口健二、台詞監督・水品春樹、撮影・三木稔、美術監督・水谷浩、衣裳・新興衣裳部、編集・板根田鶴子、近藤光夫、音響効果・杵屋正八郎、音楽・宇賀神味津男、助監督・高木孝一、関忠果、監督補助・寺門静吉 上砂泰蔵、助撮影・田島松雄、源佑助、堀越達郎、装置・川上栄、装飾・北川鉄治郎、録音・安藤彰、灘源太郎、照明・内田昌夫、阿部定雄、技髪・高木石太郎、美髪・桜井君子、漫才指導・奈美乃一郎、舞踊指導・ジョー・オハラ、ジャズ・コーラス・東京ロマンス・クラブ
出演・山路ふみ子(村上ふみ)、河津清三郎(流しの艶歌師・鈴木芳太郎)、清水将夫(旅館の若主人滝沢謙吉)、 三桝豊(謙吉の父安造)、明晴江(謙吉の母おしん)、加藤清一(おふみの伯父村上藤兵衛)、田中春男(謙吉の友人広瀬恒夫)、野辺かほる(その妻里子)、浦辺粂子(産婆村井ウメ)、大泉慶治(その夫浩太)、菅井一郎(街の紳士森三十郎)、大友壮之助(刑事新田格)、大川修一(よたもの小山譲二)、鳥橋弘一(講談師神田伯山)、田中筆子(万才師春廼家小春)、上田寛(万才師春廼家笑福)、ジョー・オハラ(小唄流行亭左松)、奈美乃一郎(浪曲師天広軒虎松)、滝鈴子(女道楽立花家歌之助)、
1937.6.17 帝国劇場/電気館/新宿大東京 10巻 2,498m  108分 白黒
by sentence2307 | 2016-05-04 10:01 | 溝口健二 | Comments(2)
たいていの出版関係者(主に編集者)にとって、長い期間を編集作業に費やして、ようやく一冊の本を刊行まで漕ぎつけた時の嬉しさは、筆舌には尽くしがたいものがあるとともに、しかし、その反面、とても緊張する瞬間でもあります。

その感じというのは、ちょうど「祈るような気持ち」という高潔な感じから、「丁半バクチ」のサイコロの目に人生の浮沈を掛けるみたいな下世話な切迫感まで、出版関係者の焦燥をぴたりと言い当てていて、どれもが相応しい気がします。

もしも、この本が売れずに最低限の資金回収にも届かなければ、当面、次の企画の資金繰りの目途が当分たたず、見通しもたちません。

それに会社にも予算的に相当なダメージを与えるわけですから、それなりの期間、そのダメージの調整のために奔走しなければならなくなるでしょう。

また、この社内のマイナス・イメージを払拭するために、それなりの策を講じる必要があるかもしれない。

いずれにしても、混乱を招いた事態を収拾するという煩瑣な作業に多くの時間をとらねばならないであろうことは容易に想像できます。

とにかく、本はまず売れなければどうしようもありません、売れてなんぼの世界です。

売れさえすれば、なんの問題も生じないということなのです。

「それじゃあ、まるで商品の売り上げに腐心する普通の製造業と同じじゃないか。知的産業といわれる出版社もそんな低次元の自転車操業みたいなことをしているのか」と揶揄や非難をされても仕方ありません。

執筆していただいている先生方とか、「本」というものに崇高なイメージを抱いている読者の方々には大変申しあげにくいことですが、出版社も普通の製造業となんら変わりがありませんし、出版関係者にとっては、「本」もぶっちゃけ、ただの商品にすぎません。

そして、たった一冊の本といえども、それが売れないとなると会社はそれだけで動揺し、震撼し、自分たち社員の明日からの生活もリアルに脅かされるということになるのです。

しかし、現実は、面白い読み物など到底書けそうにない多くの執筆者たちや、綺麗な装丁だけに目を奪われたり、せいぜい「ゲーム本」とか「旅行・グルメ」くらいにしか興味を示さない気まぐれで財布の紐の固い読者さまの間に挟まって、編集者は常に深刻な苦境に立たされています。

かといって、本が売れないときの「神頼み三大企画」と言われる「健康もの」「スキャンダル・犯罪もの」「エログロナンセンスもの」とかにいまさら手を出すわけにもいきません。

だいたいそんな企画は社風に合いませんし、唐突すぎてそんなものに手を染める必然性も見つけることはできません、つまり到底できる話ではないのです。

なので、売り上げを伸ばすために編集者ができることといったら実に相当限られていて(こんなことを言うと、上司から、そんな言い訳をするな、そんな消極的なことでどうする、お客様にすがり付いてでも売りつけてこい、バカヤローと叱られそうです。殴られるかもしれない)、自分たちにできることといえば、せいぜい本にチャラチャラした帯をつけるとか、向こう見ずな装丁者にお願いして、やたら派手な表紙デザインを考えてもらうことくらいしかないわけで。

あっ、そうそう、こういうのもありました。

「まえがき」を、誰もが知っているようなその道の大家(権威)にお願いして、箔を付けるのです。

自分だって読書をはじめるときには、習慣として、まずは「まえがき」から読みはじめますからね。

極端な本になると10頁以上にわたる「まえがき」などもあって、そこには本文の重要なエッセンスが書き尽くされており、目次と照らし合わせて読めば、もうその本の主だった理解は済んでしまうという、この本文はいったい何のためにあるんだと思えるほどの優れものもあるくらいです。

ことほどさように「まえがき」というものは、その本の内容の要約とか、執筆者のヨイショが書かれているものなのですが、あるとき、その常識を打ち破るような斬新な「まえがき」に遭遇したことがありました。

岩波書店刊行の「講座 日本映画 第3巻・トーキーの時代」の「まえがき」です。

執筆者は、新藤兼人監督、そして、その内容は、本の中身とはまるで関係のない溝口健二監督の「元禄忠臣蔵」撮影現場(昭和16年初夏)におけるエピソードでした(もっとも、書名が「トーキーの時代」というのですから、まったく関係がないか、そうなのかと糾問されれば、なくはないと答えざるを得ませんが)。

以下は、その「まえがき」です。

《その大名屋敷のセット。大石内蔵助に扮した河原崎長十郎が座敷から出てきて縁側に立つ。時は元禄13年3月13日、浅野内匠頭が、江戸城松の廊下で、吉良上野介に刃傷に及ぶのは翌14日、内蔵助は主君の身を案じて夕闇の庭に向かって佇むのである。

キャメラマン杉山公平は、庭にキャメラをすえて、縁側に立つ内蔵助をフルショット(全身像)でとらえている。
執拗なテストのくり返し。そのたびに長十郎はおもおもしく出てきて佇むのだが、監督の苛立ちはしだいにたかまってきた。

いきなり、台本の一箇所を指さして、たたきつけるような調子でいった。

「花は芝居をしません」

内蔵助の気持ちを表わす描写として、夕闇の庭に名も知れぬ白い花ぽつんと一つ、というようなト書きがあった。

「脚本家を呼んでください」と、さも腹立たしそうに庭の花を蹴飛ばして、私を見た。

この映画の美術を私は水谷浩と共同でやっていた。だから、脚本の指定どおり、庭師に上等の白い菊を植えてもらった。花に罪があるわけでもないのに蹴とばすとは。むっとして私は見返していた。

原健一郎と依田義賢が駆けつけた。真山青果の戯曲を共同脚色したのである。

「夕闇にぽっかり白い花、なんの意味ですか」相手を睨みつけて丁寧な切口上だ。

「それはですね、かくべつ意味があるわけじゃないんですが、つまり、その、内蔵助の、内面描写として・・・」

「しかし花は口はきけませんからね、見つめられても答えられませんね」

「それはまあそうですけど・・・」

「花を見た内蔵助は、花から何を与えられるんですか、それとも花にある予感でも覚えるんですか」

「そういう理屈っぽいもんじゃなくて、なんとなくひとつの雰囲気なんです」

「そんなあいまいなものは撮れません。夕闇の中の白い花が、内蔵助の心に、何を語りかけたんですか。なんとなくじゃ困るんです。白い花のアップでも撮って、内蔵助のアップとカットバックでもしろというんですか。芝居をする花を書いてください」

長十郎は黙ってきいていた。脚本家も溝口健二のいうことはよくわかるから、沈黙していた。私は、むちゃくちゃをいうなあ、と思いながら耳を傾けていた。

花は芝居をしない、というのは、溝口健二の一貫した演出態度だった。

溝口作品には、美しい花とか、夕焼けの空などが、それ自体意味を持って、作品に参加するということはない。徹底して対象は人間なのである。シナリオライターにもそれを要求した。

ときにそれは溝口作品を息苦しくしたが、わが道はこれを歩むほかないと信じ込んでいたから、徹底して、花のいらない作品を作りつづけた。

瑤泉院(内匠頭未亡人)が、真夜中、ふと松の枝を滑り落ちる雪の音で目覚める。時刻はちょうど赤穂浪士たちが吉良邸に乱入しているときである。

この松の枝から落ちる雪のカットを、セットでいくらやってもうまくいかない。黒部渓谷の奥まで行って、やっと適当と思えるカットを撮って帰ったが、さてこれが瑤泉院の寝顔にどうしてもつながらない。

なぜだろう。雪は芝居をしません、としかいいようがない。

溝口健二は、ごまかしの映画描写をふるい落とそうと、けんめいに、自らを窮屈な世界へ押し込んでいった。
「キャメラは、何でも写すから、用心しなくてはいきません」といった。》

これが、一冊の本の「まえがき」だとすると、なんとも格調の高い、垂涎ものの「まえがき」ですよね、実に羨ましい。

ちなみに、御園京平の労作「映画の忠臣蔵」の「元禄忠臣蔵」の項には、こんなふうに書かれています。

【前篇】興亜映画というのは松竹が超大作を製作する場合の別組織として新設されたもので事実上は松竹の作品であることにはかわりはない。真山青果のライフワークともいうべき一大戯曲をもとに、著名な時代考証家に、武家建築、風俗資料、民間建築、能、史実、衣裳などについて的確な指導を得て、溝口一流の凝った演出で描いた従来の忠臣蔵に見られぬ史実性のある作品である。前篇は、「江戸城の刃傷」「第二の使者」「最後の大評定」「伏見撞木町」までである。

批評は「映画旬報」55号より紹介してみよう。

「如何に史実に忠実であり、また芸術に真摯であるとしても、これほどの巨費を投じ、これほどの工作を致すべきか否か、問題解決のひとつの道は作品そのものの成否如何にあると考える。その成否とは、日本の映画界にこれほどの巨費を投じさせることを可能にする映画作家が生まれたことを、日本映画の成長を賀すべきである。全体としての演出は失敗しているように思うが部分的に見れば流石溝口の巨腕と風格をうかがうに足るものがあった。・・・しかしこの映画の失敗を演出だけに帰すべきではない。俳優陣の貧しさと音楽の失敗も大きい。長十郎の大石も貫禄はまだ不足している。小杉勇その他の面々も香しくない・・・」(内田岐三雄)
この映画でまず驚かされるのは松の廊下のセットで、今までは中廊下であったのが、庭に面した大セットに組まれている。建築に二ヵ月半かかり、所要人員5250、建築費6万8000円、総畳数600という、美術監督が水谷浩、建築監督として新藤兼人が名を連ねている。

出演も前進座を中心に、松竹傘下の大船、京都、新興京都、第一協団、フリーなどの俳優が出演した。

いままで松之助から大河内、阪妻などの忠臣蔵を見てきたわたしなど(御園京平)は、面食らった。真山青果の「元禄忠臣蔵」というものを知らなかったところへ、いきなりこういう忠臣蔵を見たときはなんともいえなかった。この映画が封切りされた週に太平洋戦争がはじまった。

【後篇】細川越中守(河津清十郎)、堀内伝右衛門(中村鶴三)、おみの(高峰三枝子)、その他スタッフ、キャストは前篇と同じ。

映画の企業統制により、東宝、松竹、大映の三社に統合されたため興亜映画の名は消えて、後篇は、松竹京都作品となる。「御浜御殿」「南部坂の別れ」「吉良屋敷裏門」「千石屋敷」「大石最後の一日」までが描かれる。後篇の宣伝ポイントはなんといっても高峰三枝子の男装姿で、細川家に預けられた磯貝十郎左衛門の許へ堀内伝右衛門に伴われて小姓の姿に替えて現れる許婚おみのの役。高峰が期待を裏切らず素晴らしい出来栄えだった。前篇より後篇の方がそういった意味で興行的に当たる要素があった。長十郎の大石も南部坂、泉岳寺引き上げ、最後の一日の死の迫るシーンなど光芒と冴えてきた。御浜御殿では翫右衛門と右太衛門の長台詞の掛け合いもまずまずの部。筆者(御園京平)はこの映画の封切り当時は未だ若年のため、前篇は画面も暗く、録音も悪く退屈をした。後篇でも討入りのチャンバラがなく、丹下左膳や鞍馬天狗に熱を上げているミーハー的映画ファンを落胆させた。

泉岳寺での主君の墓前の長い台詞や、細川家に預けられ義士のひとりひとりが呼び出されて切腹するシーンは、今までのものになかっただけに驚いたが、ただそれだけのものであった。何十年か経って、歌舞伎座の芝居で見たり、フィルムセンターでこの映画を見て、お恥ずかしい話だが、始めて作品の良さを知った。

(1941,1942興亜・松竹京都)総監督・白井信太郎、監督・溝口健二、原作・真山青果、脚色・原健一郎、依田義賢、撮影・杉山公平、音楽・深井史郎、美術・水谷浩、建築監督・新藤兼人、
出演・嵐芳三郎(浅野内匠頭)、三桝万豊(吉良上野介)、中村翫右衛門(富森助右衛門)、小杉勇(多門伝八郎)、市川右太衛門(徳川綱豊)、阪東調右衛門(原惣右衛門)、三浦光子(瑤泉院)、河原崎長十郎(大石内蔵助)、羅門光三郎(井関徳兵衛)、河原崎国太郎(磯貝十郎左衛門)、山路ふみ子(お喜代)、山岸しず江(りく)、細川越中守(河津清十郎)、堀内伝右衛門(中村鶴三)、おみの(高峰三枝子)、
by sentence2307 | 2013-05-04 18:20 | 溝口健二 | Comments(245)

女優須磨子の恋

いよいよ年末になって、また映画のベスト10が選ばれる季節になりましたね。

そのベスト10の季節になると、決まって考えることのひとつに、こんなことがあります。

映画を見ていると、なんでこの程度の作品が、当時そんなにも高い評価を受けたのか、よく分からないというようなこと・・・。

自分の安易な推測ですが、ベスト10選出の審査員(映画評論家とか業界関係者なんですよね)が、たまたま映画界の不作の年で、それでもあと1本どうしても選ばなければならないというとき、ただ、候補として残された作品のどれもが、自分にはまったく関心も興味のない作品ばかりだったとしたら、仕方なく数合わせのために、可もなく不可もないある程度のレベルをクリアした作品「まあ、このあたりなら無難なところか」とばかり選んだ作品が、他の審査員たちの判断ともダブって、結局その「安全作」が予想以上の票を集めてしまう結果となって、上位に食い込んでくるというような現象が結構あるのではないか、それによって、「なんでこの作品が」的な印象を与えるのではないか、と。

多数決が生み出す奇妙な「名作」という幻影の怖さみたいなものを感じます(芸術作品を多数決でランクを決めるなんて、考えてみれば奇妙な話しですが)。

いやいや、そういう作品だからといって、なにも因縁をつける積もりは毛頭ありません。

その作品にとっては、それは大いにラッキーなわけで、しかし、同時に、やがて時間の経過のなかで次第に話題性と装飾が剥がされ、徐々に作品本来が持っていた(あるいは、元々無かった)それなりの格としての姿を暴かれ、露わにされ、中身を失った(あるいは見限られた)虚しいタイトルだけが晒し者のように記憶の荒野に取り残されて、時の冷笑を浴びせ掛けられ、永遠に無視の刑罰を受けるわけですから、身に過ぎた評価は、むしろ、その作品にとって「災禍」なのかもしれません。

しかし、本当のところは、多くの優れた作品が無視され、冷や飯を食わされることの方が、ずっと多いわけで、そういう意味からすると、溝口健二の「女優須磨子の恋」(1947松竹京都)は、そのなかでも際立って「不遇な作品」だったと思わずにはいられません。

同じ年に競作となった東宝作品「女優」(1947東宝、衣笠貞之助監督・山田五十鈴主演)が、女性解放・自由恋愛をのびのびと描いて、さらにど派手な、監督対主演女優という驚嘆の「熱愛」スキャンダルも味方して話題性を一挙にさらってしまい、かたや、観客の共感を得るにはあまりにも硬質で生真面目すぎる須磨子を演じた田中絹代の演技は、その作品とともに無視される憂き目に会いました。

佐藤忠男は、その著書で「田中絹代の須磨子がひたすら深刻に努力するだけのあまり魅力的と思えない女性だったのに対して、山田五十鈴の須磨子は、おのれのエゴイズムも明るく肯定して堂々とわが道を行く魅力的名女性になっていて、この勝負は山田五十鈴の方に分があった」と書いています。

しかし、それは、「女優須磨子の恋」という作品の本来の評価といえるでしょうか。

そして、「戦後風俗の上っ面をなでているだけで、溝口独特の凄みが感じられない」などというような評価のどこに、この作品の本質を正確に見極めようという姿勢や誠意が感じられます? 

田中絹代は、どう間違っても山田五十鈴の演技に比肩したり比較したりすることなどできはしません、それは、絹代の演技が、山田五十鈴の演技とはまったく異質なものだからです、たぶんそれは、ただそれだけのことでしかない。

作品の価値は、その作品の中にしか存在しないし、だから、そこから見出すしかないのです。

溝口作品に描かれた絹代の演じた須磨子の渇えは、男との自由恋愛や、社会の束縛から放たれて奔放に生きることなどには明らかに向かってはいません。

それを溝口が「時代を理解できなかった」といってしまっては、ひとりの創作者を評価するに際して、評者としてあまりにも能がなさすぎると思わないわけにはいかない。

家庭を築くことに何度も失敗した須磨子は、社会人としての失格者として演劇に出会い、そして、演劇の中でこそ初めて自分が社会人として生きることができると感じ、演技者になっていきます。

島村抱月への愛は(もし、そういうものがあったなら、という話にすぎません)抱月の演劇への情熱を加味したうえでないと、きっと、須磨子の気持ちも行動をも見誤るおそれがある。

映画で仄めかされている抱月との最初のSEXの場面は、性交場面特有の、女性の側の快楽への淡い期待感や、甘い羞恥心など一切描かれていない極めて素っ気無い、まるで強姦場面と見まがうほどの殺伐とした印象のシーンです。

そして、須磨子と抱月が男女の性の世界に耽溺していったとはいえ、それが二人を結び付けていたとは思えない。

抱月の演劇への情熱を共有したいがために、須磨子は彼との同衾を繰り返していたにすぎません。

なぜなら、それは須磨子が抱月のいる「場所」でしか生きられないことを知っていたからだと思います。

劇中劇で演じられる「人形の家」の絹代の稚拙な演技に失笑した評文も読んだ記憶がありますが、しかし、まさにあの熱狂し、逆上し、激昂をまるだしにする稚拙さこそが、絹代が演じようとした須磨子という人間の魅力だったのだと思います。

(1947松竹京都)監督・溝口健二、助監督・酒井辰雄、岡田光雄、企画・糸屋壽雄、原作・長田秀雄『カルメン逝きぬ』、脚本・依田義賢、撮影・三木滋人、照明・寺田重雄、録音・橋本要、八田亥三郎、美術・本木勇、編集記録・坂根田鶴子、スチール写真・三浦専蔵、装置:高須二郎、舞台背景・丹羽親、装飾・山口末吉、衣裳・中村ツマ、床山・井上力三、結髪・木村よし子、製作進行・久保友次、製作担当・清水満志雄、主題歌作曲・中山晋平、音楽監督作曲編曲・大澤壽人、演奏・シルバーシリーズ合唱団及交響楽団、劇中劇指導・千田是也、舞踊指導・峯エミ(伊藤道郎舞踊研究所)、風俗考証・甲斐荘楠音、時代考証・加藤精一、劇中劇出演・俳優座一同、資料提供・早稲田大学演劇博物館
出演:田中絹代、山村聰、毛利菊江、東山千榮子、朝霧鏡子、東野英治郎、岸輝子、小澤榮太郎、青山杉作、佐伯秀男、南光明、千田是也、黒井洵、永田光男、月丘千秋、南部章三、富本民平、永井智雄、小久保久雄、濱田寅彦、木村功、美甘駿、保瀬英二郎、加藤貫一、田中謙三、瀬川美津枝、河合光子、葵邦子、瀧瑛子
1947.08.16 10巻  2,622m  96分 白黒
by sentence2307 | 2011-12-17 21:30 | 溝口健二 | Comments(6)

残菊物語

溝口健二の「残菊物語」は、運命に翻弄されて日陰で生きることを強いられ、そして報われることなく死んでいった明治の女のとても悲しい物語です。

多くの解説書にもそのように書かれていましたし、繰り返し見てきたこの作品についての僕の感慨も、確かにそのように納得して自分の気持ちのなかに収めてきたと思います。

しかし、今回改めてこの作品を見直してみて、本当に「運命に翻弄され日陰で生きることを強いられ、報われることなく死んでいった明治女の悲しい物語」というだけで片付けてしまっていいのかという思いに駆られ、なんだか不安になってきました。

子守女・お徳が、自分の意思によってではなく、周囲の男たちの思惑に翻弄されて、深刻な事態に巻き込まれ、文字通りひたすら他人の運命に引きずられ、もてあそばれ、ついには不治の病に取り付かれて命を落としていくという部分だけが(物語の主流は事実そうなのですが)強調されて、上記の紋切り型の解説文が定着してしまったのだと思います。

そして、この作品が、ただ「それだけのこと」を描いているというのなら、そのように言い切っても構わないでしょうが、「それだけ」ではない何かがあるからこそ、僕たちにこの映画を何度でも繰り返して見させてしまうパワーがあるのだと感じました。

それならば、この作品のなかでお徳の意思というものがまったく描かれていないのかといえば、そうではありません。

菊之助が父親と衝突して家を出て大阪歌舞伎に流れていったのを、少しのちにお徳は大阪まで追っていきますし、その大阪歌舞伎で自分のことを唯一庇ってくれた恩人の叔父が急死し、庇護を失った菊之助が旅回り一座の役者にまで身を落として、その長い旅回りのなかで芸も人も荒んでいくばかりの彼を励まし続けて、やがて、めぐってきたチャンス(東京歌舞伎が関西に興行にきています)に、彼が東京歌舞伎に復帰できるように自分の身を犠牲にしてまでも菊之助のために駆け回り、彼の東京歌舞伎復帰のために尽力します。

そのことごとくがお徳の「意思」なのですが、このように整理して書き連ねてみると、これらのことは、なにも「恋慕」に動かされて為されたことでない、まったく別の感情に基づいて為されたことのような気がしてきました。

お徳と夫婦になることを養父・五代目菊五郎に反対され、激昂した菊之助が、養父からの勘当を易々と受け入れるまでにお徳と夫婦になりたいと強く望んだ同じ気持ちを、お徳も共有していたかというと、それはすこぶる疑問です。

お徳は、若旦那がそういう気持ちでいてくれるのなら嬉しいと感じ、「それならば」という気持ちで、彼の思いを受け入れ、従ったにすぎません。

そもそも養父との衝突というのが、本当にお徳との結婚を反対されたことだけに基因しているのかといえば、それはただの切っ掛けにすぎなかったという気がします。

いつまでたっても芸が未熟で上達しない不甲斐ない養子の菊之助に業を煮やしていた養父・五代目菊五郎の苛立ちを、日頃から十分に察知していた菊之助にとっては、その緊迫した親子関係から逃れることができれば、切っ掛けなんかなんでもよかったのだと思います。

それがたとえ、お徳との結婚問題でなければ、また別の問題が持ち出されたでしょうし、要するに菊之助が必要としたものは、この緊迫した親子関係からの逃避のための契機だっただけで、その根底にあったものは、お徳との結婚話などではなく、菊之助自身も自覚していた彼の芸の未熟と、それを苦々しく思っている養父からの逃避だけだったからだと思います。

そしてたぶん、その拗れた状況と菊之助の思惑すべてを、正確に認識していたはずのお徳にとって、彼女に「恋慕」の情を抱かせる余地があったかと想像することは困難な気がします。

映画のどの場面とは特定できないのですが、お徳の口から「恋慕」ではなく「女の意地」という言葉が語られた場面があったように記憶しています。

ここで語られた「女の意地」とは、この状況の紛糾(親子関係の破綻)を招いた原因が、すべて自分にあると名指しされたことへの憤りのような気がします。

たぶん自分が、もう少し裕福な家の娘であったのなら、この紛争は起こらなかったに違いない、貧しいがために裕福な歌舞伎界から拒絶され、蔑ろにされることへのお徳の憤懣が描かれているような気がします。

こんなふうに書いてくると、あのもっとも悲痛な場面として語られてきた、死の床にあるお徳が、菊之助を無理やり船乗り込みに送り出すという最後の場面は、「女の意地(階級的な意味での)」を貫き通した彼女の拒絶と、誇らしげな勝利を描いているような気がしてきました。

もしこれが「傾向映画」のかすかな影響の痕跡だとしたら、それもまた映画を見る愉しみのひとつかもしれませんね。

溝口健二のこの作品「残菊物語」が語られるとき、枕詞のように必ず付け足される文言に「軍国主義のはびこる風潮を嫌った名匠・溝口健二が、松竹京都を拠点にして活路を見出した芸道もの第一作」というのがあります。

新藤兼人の「ある映画監督の生涯」を見ると、その忌避は、必ずしも反戦思想とか権力に対する確固たる反骨精神に基づくものでもなかったらしいことが分かりますし、むしろ溝口は、強がりながらも(一時期「傾向映画」といわれる作品も撮っています)その一方で強権に対する動静をびくびくとうかがい、ひとたび恫喝でもされれば、怖気をふるって平身低頭して懺悔し、ただちに「主義」を変節することくらい訳なくできるタイプのご仁であったというふうに描かれていたかもしれません。

しかし、そのことが語られる場面を観ながら「臆病者」に苦笑を誘われていた多くの観客たちのなかにあって、自分としては逆に、そのことこそが、いかに天才的な名匠といえども、矛盾に満ちた熾烈な現実の中で、生活人としてどうにか折り合いをつけて生きなければならなかった溝口健二の「苦闘」がうかがえ、たまらなく溝口という人が好きになりました。

小津安二郎を「静謐な抑制の人」だったとするなら、溝口健二は、「そうじゃなかった人」と表現するしかありませんが。

高まる戦時色を嫌って撮られたはずのこの作品「残菊物語」は、迫り来る戦争を見据え映画の国家統制を目指して立法・施行された悪法「映画法」によって、皮肉にも、第一回文部大臣賞の一作に選ばれています。

あくまでも、これは自分限りの推測にすぎませんが、晴れがましいことが大好きだった溝口は、その選奨を多分驚喜して受けたに違いない、そいうい妄想を許す溝口の人間的な闇を抱え込んだ矛盾の可笑しみみたいなものに、心地よさのなかで、いまはもうすっかり馴染んでしまっています。

ただ、この作品にひとつだけ不満があります。

東京にいた頃は芸が未熟だった菊之助が、東京歌舞伎に復帰できる名古屋の舞台では見違えるような演技をみせるという場面があります。

都落ちして大阪歌舞伎に出ていたときには、まだまだ同僚役者から芸の未熟の陰口をきかれていたわけですから、見違えるように芸が磨かれたというのは、たぶん旅回りの一座にいた時期と推測されるのですが、この作品には、菊之助が芸について工夫したり苦慮する場面が欠落しているような気がします。

観客には、彼の演技のなにが良くなったのかが、さっぱり分からないという不満が残りました。

これは、志ん生と落語「淀五郎」を愛する者の悔いみたいなものなので、どうか聞き流してください。

この映画は、1939年度のキネマ旬報ベストテンで「土」(内田吐夢監督)に続く第二位を獲得した作品として記憶されています。

(1939松竹京都撮影所)監督・溝口健二、総監督・白井信太郎、監督助手・坂根田鶴子 田原正三 花岡多一郎、原作・村松梢風、構成・川口松太郎、脚色・依田依賢、撮影・三木滋人、藤洋三、撮影助手・田島松雄 藤原進 清水保一 竹下祐司、長唄・坂田仙八、音楽・深井史郎、三味線・杵屋勝寿郎、鳴物・望月太明蔵、常磐津・常磐津文糸、常磐津文之助、浄瑠璃・豊澤猿二郎、美術監督・水谷浩、装置・清水太一、六郷俊、装飾・菊田常太郎、荒川大、録音・志木田隆一、録音助手・杉本文造、光線・中島末二郎、編集・河東與志、美術考証・木村荘八、食満南北、時代考証・寺門静吉、技髪・井上力三、高木石太郎、技装・山口清三、髪結・木村ヨシ子、衣裳・奥村喜三郎、普通写真・遠藤勝利、字幕・望月淳、進行・西七郎、舞踏振付・音羽菊蔵、
出演・花柳章太郎、森赫子、河原崎権十郎、梅村容子、高田浩吉、嵐徳三郎、川浪良太郎、高松錦之助、葉山純之輔、尾上多見太郎、花柳喜章、志賀廼家弁慶、結城一朗、南光明、天野刃一、井上晴夫、石原須磨男、広田昴、柳戸はる子、松下誠、富本民平、島章、保瀬英二郎、伏見信子、花岡菊子、白河富士子、最上米子、中川芳江、中川秀夫、西久代、花田博、春本喜好、橘一嘉、磯野秋雄、鏡淳子、大和久乃、田川晴子、柴田篤子、秋元富美子、国春美津枝、白妙公子、
1939.10.10 大阪劇場 1939.10.13 国際劇場 15巻 4,011m 146分 白黒
by sentence2307 | 2009-12-06 09:40 | 溝口健二 | Comments(105)

雨月物語

映画を録画して、その作品を見てしまえば、だいたいは消去することにしていますが、見たあとでも、どうしても残しておきたい作品というのが次第に溜まってくると、結果的に自分の「ライブラリー」みたいなものになっていく感じがします。

意識的にではないにしても、それはそれで素敵なことかもしれないなとは思い、ある時期までは、自然に任せていました。

しかし、「保存」を意識しだすと、そこには微妙な問題も発生することが分かりました。

考えてみればどうでもいいことかもしれませんが、例えば、いちばん最初に録画した映画が、それ以後に収録する作品に微妙に影響するというか、つり合うだけの作品になかなか巡り合えないということに気がついたのです。

というか、だんだん欲がでてきて、当初の「なんでもいいや、片っ端から録画してしまえ」から、「少しは同レベルの作品を収録したい」という思いに変わっていったのかもしれません、う~ん、やっぱり「名作」には「名作」を続けて録画したくなるじゃないですか。

あまりにもチグハグな取り合わせではイメージが壊れるし、できれば統一的なイメージで一本のテープを完成させたいという欲がでてきたのだと思います。

深刻な社会派ドラマと破茶目茶なドタバタ喜劇の組み合わせの違和感を僕自身が感覚的にクリアできなかったのだと思いますが。

しかし、いざこの願望を実行してみようとすると、その名作に続くに相応しい作品というのが、タイミング的にもなかなか難しい要求であることが分かってきました。

いつも同じタイプの名作が安定的にTV放映されているわけではありません。

むしろ、こちか側がそんなことにこだわっていると、あらかじめ数多くのテープを用意してスタンバイしておかない限り、ジャンルの違う優れた作品をみすみす見逃す事態に直面します。

自分の意図した計画は、状況的にも物量的にも最初から無理があったのです。

そのことを最も痛感したのは、かなり以前に溝口健二の「雨月物語」を収録したときのことでした。

去年の後半に、BS2で溝口健二特集をしたとき、その「雨月物語」に続けて、他の溝口作品を録画しておけば何の問題もなかったのですが、根がズボラなうえに薄らぼんやりときているので、ついうっかり録るチャンスを逸してしまいました。

返す返すも残念でなりませんが、それ以来、いまだに「雨月物語」に続くに相応しい作品に出会えていません。

いろいろな作品の録画を試みてみたのですが、バランス的にどうしても納得できませんでした。

考えてもみてください、「雨月物語」と並べてみて遜色の無い映画なんて、そう滅多にあるものではありません。

結局「雨月物語」のあとに様々な作品を録画してみては、どれもあまりに不釣合いすぎ、我慢できず、消去しては、また別の作品を録画するということを繰り返しています。

しかし、この小文を書き残しておきたいと思った動機は、なにも「録画に耐える名作に巡り会えない」という愚痴を書くためではありません。

他の作品を録画し、保存するまでもないとテープを巻き戻すたびに、やや巻き戻し過ぎて「雨月物語」の最後のシーンを繰り返し見るということになり、ラストの部分を繰り返し見ているうちに、いままで見過ごしていたことに気がついたのです。

欲に駆られ戦場で一旗あげようとして、結局は失敗した夫・源十郎(森雅之が演じています)が、無一文の落ちぶれ果てた絶望のなかで故郷に帰ると、朽ち果てたあばら家で妻・みやぎ(田中絹代が演じています)は、子供を守り続けて夫の帰りを待っていました。

夫は妻との再会を喜び、そして安らかに寝ている子供を抱きしめ、喜びにむせび泣きます。

この喜びの姿には、夫にとって家族の掛け替えの無さと生きて在ることの歓びを深く思い知ったという描写であるとともに、自分の身勝手によって妻や子につらい思いをさせたことを詫びる贖罪の気持ちが、森雅之の深い演技によって示されていました。

そのことについては僕としても異論なく、ずっとそういう見方でこのシーンを鑑賞していましたので、自然と森雅之の演技ばかりを注視していたとしても、それは無理からぬことだったと思います。

しかし、このシーンを繰り返し見ているうちに、いままで何気無く見過ごしていたこのシーンの妻・みやぎが、既に死んでいる亡霊であることに意識が強く傾いて、今頃気がつくなんて本当に迂闊ですが、次第に田中絹代の演技の方に注視するようになりました。

夜半に夫が真っ暗なわが家に立ち帰ると、荒れ果てた家の中は閑散としていて誰ひとりいません。

夫は、妻の名を呼びながら、家の中から外へと必死に経巡り、再び戸口に立つと、そこに妻みやぎが座って火を起こしている姿が仄かな灯りを伴って忽然と現れます。

しかし、そこは、つい先ほど夫が妻の名を呼びながら通り過ぎた暗く荒れ果てた同じ場所だったはずですが。

妻の名を大声で呼び続けて戸口に立った夫の姿に、一瞬の間をおいて、妻は初めて気が付いたように、夫を見止めます。

それからの田中絹代の、片時も夫の顔から視線を逸らそうとしない鬼気迫る演技は、この映画が夫に棄てられた妻の怨嗟と許しの絡み合った薄幸な女の物語であることを教えてくれました。

夫が子を抱く姿を見つめる視線の、差すような非難と一瞬光る歓喜の厳しさ、夫のために鍋のなかの食べ物を椀に注ぐ顔のアップ(幽玄に迫る大胆な「寄り」です)にそれは現れていました。

しかし、なによりも驚嘆したのは、それに続く場面、したたかに酒に酔った夫が、「心が晴れ晴れとした。また格別の酒の味だ。・・・静かだな。」と呟きながら抱いていた子供を寝床に戻すシーンでしょうか。

背中を見せている妻・みやぎは、子供を寝かしつける夫に手を貸すでもなく、まるで置物のようにその影は微動だにしません。

その不吉な影は、確固たる存在感をもって画面の中央を不気味に占拠しています。

夫の「静かだな」という言葉が、既に夫には幽冥の妻を捉えられないことを示唆している深い場面であることを感じました。

(1953大映京都撮影所)製作・永田雅一、企画・辻久一、監督・溝口健二、助監督・田中徳三、原作・上田秋成、脚本・依田義賢、川口松太郎、撮影・宮川一夫、撮影助手・田中省三、音楽・早坂文雄、作詞・吉井勇、音楽補助・斎藤一郎、和楽・望月太明吉社中、梅原旭涛、美術監督・伊藤憙朔、装置・山本卯一郎、装飾・中島小三郎、背景・太田多三郎、美術助手・岩木保夫、録音・大谷巌、移動効果・山根正一、録音助手・鈴木暉、照明・岡本健一、照明助手・太田誠一、編集・宮田味津三、風俗考証・甲斐荘楠音、能楽按舞・小寺金七、陶技指導・永楽善五郎、製作主任・橋本正嗣、美粧・福山善也、結髪・花井りつ、衣裳・吉実シマ、擬斗・宮内昌平、スチール・浅田延之助、記録・木村恵美、演技事務・松浪錦之助、進行・大橋和彦
出演・森雅之、田中絹代、小沢栄、水戸光子、京マチ子、青山杉作、羅門光三郎、香川良介、上田吉二郎、毛利菊枝、南部彰三、光岡龍三郎、天野一郎、尾上栄五郎、伊達三郎、沢村市三郎、村田宏二、横山文彦、玉置一恵、藤川準、福井隆次、石倉英治、神田耕二、菊野昌代士、由利道夫、船上爽、長谷川茂、堀北幸夫、清水明、玉村俊太郎、大崎史郎、千葉登四郎、大美輝子、小柳圭子、戸村昌子、三田登喜子、上田徳子、相馬幸子、金剛麗子、
1953.03.26 10巻 2,647m 97分 白黒
by sentence2307 | 2009-01-12 08:24 | 溝口健二 | Comments(2)

夜の女たち

昭和51年にキネマ旬報社から刊行された「日本映画監督全集」は、僕にとっては、常に身近に置いて、折に触れ繰り返し拾い読みしたくなる優れものの一冊です。

ただ、残念なことに、この本の執筆陣のなかには、その証言がやがて後世において貴重な証言となるかもしれないという認識がなく、きわめて個人的・主観的なこだわりで露骨に好悪を晒した聞き苦しい暴言のたぐいもないではありません。

そういう露悪的な私情が執拗に顔を出す部分には、ほとほと閉口させられますし、またそれがこの本を随分と読みにくくさせてしまっている一因かもしれません。

それ加えて、個々の作品に対する評価なども、公正さを欠くことが感受性の証明だ、みたいな押し付けがましい独善が気になり、思わず首を傾げたくなるものもありました。

なぜこの本の編集者は、こんな人にこの監督の評伝を執筆させたのか、おそらく過去のシガラミに捉われただけの理由で選ばれたにすぎないその人選が、はたして本当に最適だったといえるのかと釈然としない気持ちにされられることも一度や二度ではありませんでした。

これではまるで贔屓の引き倒しになってしまうではないかという感じを受けました。

例えば、溝口健二の項を例にとれば、というのは、いまでもこの項を何度も繰り返し読み込んでいる自分なので、ここに述べられている個々の作品に対する芳しからぬ評価(この評伝によるとスランプ期に撮られた溝口作品をひとまとめに駄作と切り捨てています)は、きっと読者である僕もそうした評価の影響下にあるに違いないという思いは、いままでに戦後すぐの溝口作品を見ようとしたときに感じた抵抗感を思い返せば、なんとなく思い当たります。

そして、これらの作品のそうした悪先入観を排除するためには、まずは自分の中に刷り込まれた悪印象をまず払拭してからでないと、この時期の溝口作品と真正面から対峙できないのではないかという意識が常にありました。

そういうわけで、戦後すぐに撮られた溝口健二の諸作品を見るときには、相当な恐怖感を抱いてきたと思います。

溝口健二がこの時期に撮った諸作品は、すべて駄作にすぎず(と思い込み)、ですからたとえ見るチャンスがあっても、自分の気持ちのが「たじろぎ」をどうすることもできなかったのだと思います。

その部分を「日本映画監督全集」の「溝口健二」の項のなかから抜粋してみますね。

「・・・いずれにしても、戦後のこの時期の溝口作品は、彼の周囲の人間たちが溝口健二という着せ替え人形に、あれこれと新規な衣装を選んで着せていただけの感が強い。1946年の『女性の勝利』から1949年の『わが恋は燃えぬ』までの作品群がそうだが、『夜の女たち』1948にしても戦後風俗の上っ面をなでているだけで、溝口独特の凄みがみられない。」

つまり、これら溝口作品は、「『現代』という時代を捉えることも、そして消化することもできず、世相の上っ面をなでただけの時代遅れの作品」らしいのです。

こんなふうに断定のされ方をしたら、どんなに好意的な観客も怖気づいてしまいますし、見る意欲を失ってしまうのは当然でしょう。

暴言ともいえるこうした緻密さを欠いた軽率な断定が、評論家のなすべき仕事なら、評論家とは実に愚劣な仕事だと思わざるを得ません。

ものを書くという行為が如何に難しいか、こうした論評が読者に与える影響の怖い側面を、身をもって見せ付けられた気持ちです。

しかし最近、たまたま「夜の女たち」を見る機会がありました。

実際に見て、その力強さに圧倒されました。

それはまさに、見ることを敬遠してきた自分のつまらないこだわりを嘲笑うかのような力強さでしたし、その力強さに圧倒されることによって、長年のトラウマから一挙に解き放たれた感じです。

「夜の女たち」が、《『現代』という時代を捉えることも消化することもできずに、世相の上っ面をなでただけの時代遅れの作品》などではないことをこの眼でしっかりと確認したのだと思います。

この作品には、溝口監督が、やがて出会うであろう研ぎ澄まされた「古典」の風格とか、流れるような映像美によってたたみ掛けるような途切れのない巧みな語り口という「洗練」はないにしても、しかし、だからといって、観客は卓越した技量だけに感動するわけではありませんし、抑制の効いた美しい「洗練」だけが、人を感動させるわけでもありません。

むしろ逆に、「稚拙」だからこそ率直に伝えることが出来るものもあると思います。

溝口健二の「夜の女たち」は、敗戦という過酷な時代にあって、それでも生き続けなければならなかった女たちが、身につけねばならなかった逞しさの残酷な意味とその無残な生態とを重厚なリアリズムで描き切った卓越した作品です。

いままで僕が読んできたこの作品に対する評価の多くは、おしなべて、ラストのこの田中絹代演じる房子が、この世の中と男たちを呪って絶叫する悲憤の場面を、ストーリー的にこなれていない生硬なラストだとして批判的に論じたものばかりでした。

たぶん、「現実の社会において堕ちるところまで堕ちつくした売春婦たちが、新派の愁嘆場みたいなラストにおいて、あんなふうな大芝居じみた泣き叫び方をするものか」という、つまり、その当時にあって溝口健二が最早「現代」を的確に描くことのできない既に古くさい映画監督であるという断定が、「夜の女たち」という作品を、まるで現実から取り残された骨董品のようなものとして揶揄を込めて論じられていたのだと思いますが、その裏には、同年に撮られた田村泰次郎のベストセラー小説「肉体の門」にえがかれた売春婦に対する考え方の違い(時代的風潮)が大きく反映していたからだと思います。

パンパンと呼ばれた彼女たちが、不運なめぐり合わせから肉体的堕落を余儀なくされたとしても、しかし、彼女たちは決して社会の被害者などではなく、あらゆる拘束から解き放たれ、体裁も棄て、誇り高くアグレッシブに本音で生きようとした存在として描かれ、肉体の穢れなどなにものでもないのだという描かれ方をしており、どこまでも倫理という社会的観念=「純潔思想」という旧来の価値観に捉われた悲劇的な社会抗議作品「夜の女たち」とは対極に位置する象徴として「肉体の門」はあったのだと思います。

しかし、さらに時代を経たいまとなっては、そのどちらが本当に真実に近い姿なのかは、判断の難しいところだとは思います。

しかし、ただひとついえることは、「夜の女たち」のなかで溝口健二が描いた鮮烈なリアリズムは、膨大な時間を超えて僕の気持ちに確実に届いています。

溝口の長回しに一歩も引かなかったあの田中絹代の壮絶な慟哭の演技をいつまでも映画の記憶の中に大切に仕舞っておきたいと思っています。

そんなんやったら、このまま泥沼に入れ。
こんな、来い。
生意気な。病気になって、この眼もメクラになれ。
鼻も崩れてしまえ。
骨まで腐れ。
心の底まで腐ってしまえ。
そして、カタワのバケモノの子供を産め。
そして日本中の男という男、女という女、人間という人間を目茶目茶にしてしまえ。
あほ、あほ、あほ。

画面を見ながら急いで書き止めたので正確ではないかもしれませんが、とにかく素晴らしい場面でした。

(1948松竹・京都撮影所)企画・絲屋寿雄、監督・溝口健二、助監督・酒井辰雄、岡田光雄、脚色・依田義賢、原作・久板栄二郎 『女性祭』、撮影・杉山公平、撮影助手・太田真一、荒井満次郎、音楽・大沢寿人、演奏・中沢寿士とM・S・C楽団、美術・水谷浩、装置・松野喜代春、装飾・山口末吉、録音・高橋太郎、照明・田中憲次、編集記録・坂根田鶴子、衣裳・中村ツマ、床山・井上カミ、結髪・木村よし子、普通写真・三浦専蔵、移動・吉田六吉、演技事務・藤井キヨ、製作進行・桐山正男、製作担当・清水満志雄、
出演・田中絹代、高杉早苗、角田富江、永田光男、村田宏寿、浦辺粂子、富本民平、大林梅子、毛利菊江、青山宏、槇芙佐子、玉島愛造、田中謙三、加藤貫一、加藤秀夫、岡田和子、西川寿美、林喜美子、滝川美津枝、忍美代子
1948.05.26 国際劇場 一般封切 27日 8巻 2,042m 75分 白黒
by sentence2307 | 2008-12-20 13:49 | 溝口健二 | Comments(202)

西鶴一代女

アルキメデスの原理とかってあるじゃないですか。

自分の名前を冠した原理とか定理とかが、数千年にわたって全世界の人々によって語り継がれるなんて、ものすごいことだと思います。

ある意味、永遠の命を獲得したのと同じことですものね。

もっとも、そんなこと、われわれ凡人には到底望むべくもないことではあるのでしょうが。

しかし、つい先だって溝口健二の「西鶴一代女」についての佐藤忠男の解説を読んでいて、天啓のように、映画に関するひとつの大きな発見をしたのです。

これは、決して単なる「思いつき」などではありません。

いかなる物語も、この方程式に当て嵌めさえすれば、すべからく「傑作」を生み出すことが出来るに違いないという完全無欠の方法論というか、「原理」といえるものだと確信さえ持ちました。

「西鶴一代女」といえば、ヌーヴェル・バーグを語るときには、必ず引き合いにだされる作品です。

まずは、アンドレ・バザンの映画理論を見事に例証した作品として、そして、ジャック・リヴェットが「西鶴一代女」の意図的な模倣として「修道女」65を撮りオマージュを捧げたこととして、それから、ジャン・リュック・ゴダールが、「軽蔑」63のラストのカットを、カメラを海へ向かってパンさせることで、「山椒大夫」のラストにオマージュを捧げたということも有名なお話ですよね。

そこで、佐藤忠男の「西鶴一代女」についての解説に戻ります。

佐藤忠男は、溝口作品を論じる前置きとして、原作の「好色一代女」について、こんなふうに書いています。

「(好色一代女は)元禄時代のひとりの尼さんの生涯の回想という形式で語られているが、この時代における情事と売春の諸形態のカタログ的な総まくりである」と。

これは、とても示唆に富む文章でした。

一対一の肉体の絡み合いを描いたリアルなら、その描写には、同時に描写の可能性をも封じてしまう限界を自ら抱え込んでしまうのではないかという思いは、自分としては、ずっと以前からありました、例えば「ポルノ」という限界です。

大島渚の「愛のコリーダ」を見たとき、あれが性描写の限界を極めることによって国家権力に挑みかかった営為だったとしても、その先にはいったい何があったのか、いや、「ない」ことも含めて考えるべきという問題意識を持ちました。

(事実、それほどの収穫があったとは、長い時間を経たいま、それは考えにくいものがあると思います)

「ポルノ」であろうとすれば、つまり、人間の欲望を満たす対象物であろうとする限り(いわゆる「なんとかネタ」というやつですが)、代償に作品自体のオリジナリティを放棄し、作家自身も傷つき消耗することも覚悟しなければならないだろうなという思いを持ちました。

つまり、「ポルノ」であろうとするかぎり、それ以上の作品には、どうしても成り得ない宿命のような限界があるのだと思うのです。

それでは、その限界を打破するためには、どうすればいいかというのが、僕の発見した「原理」です。

それがつまり、「諸形態のカタログ的な総まくり」です。

いろいろなケースがあるでしょうから、一概にはいえませんが、かいつまんで言ってしまえば「遍歴」とか「巡礼」というものです。

「売春の諸形態をカタログ的に総まくり」しただけの「西鶴一代女」という作品が、人間存在の深遠にある虚無を赤裸々に表現しえたのは、有為転変・その描写の繰り返しにあったからだと思います。

優れた作品には、必ずこの「諸形態のカタログ的な総まくり」要素が潜んでいます。(ほんとか?)

いやいや、少なくとも「遍歴」とか「巡礼」的な要素は潜んでいるはずです。

今村昌平の「エロ事師たちより・人類学入門」とか、クリスチャンマルカンの「キャンディ」とか。

どうでしょう?

酒の席で、ある友人に、この原理の発見のことをそっと話してみました。

そして、話の最後に、こう付け足しました。

「ここだけの話だけどさ、この方法論の特許を取って、ひとつ大儲けしてやろうかと思っているってわけ」

それを聞いた友人は、なに言ってんだという呆れ顔で、こういいました。

「それってさあ、つまりロードムービーってことだろ、もうずっと以前に下火になった。」

「(驚愕)・・・」

(1952児井プロ=新東宝)製作・児井英生、監修・吉井勇、監督・溝口健二、監督補佐・荒井良平、助監督・内川清一郎、脚本・依田義賢、構成・溝口健二、原作・井原西鶴『好色一代女』、撮影・平野好美、音楽・斎藤一郎、美術・水谷浩、録音・神谷正和、照明・藤林甲、編集・後藤敏男、特殊技術・新東宝特殊技術、特別出演・文楽座三ツ和会、人形・桐竹紋十郎、太夫・竹本紋太夫、三味線・豊沢猿二郎、振付・井上八千代、琴・萩原正吟
出演・田中絹代、山根寿子、三船敏郎、宇野重吉、菅井一郎、進藤英太郎、大泉滉、清水将夫、加東大介、小川虎之助、柳永二郎、浜田百合子、市川春代、原駒子、毛利菊枝、沢村貞子、近衛敏明、荒木忍、上代勇吉、高松錦之助、水野浩、志賀廼家弁慶、坂内永三郎、玉島愛造、石原須磨男、横山運平、出雲八重子、平井岐代子、金剛麗子、草島競子、津路清子、国友和歌子、衣笠淳子、林喜美枝、大和久乃、松浦築枝、
1952.04.17 15巻 4,055m 148分 白黒
by sentence2307 | 2008-01-26 17:05 | 溝口健二 | Comments(8)

溝口健二の嫉妬

新藤兼人監督が書いた溝口健二に関する著書を読んでいると、溝口健二にとって田中絹代との関係を明らかにすることが、いかに大きな部分を占めていたか、つくづく実感されます。

そもそも「ある映画監督の生涯」や「小説・田中絹代」など、あのような大きな仕事を為し得た原動力になったものが、この不世出の天才監督と名女優との恋愛関係の存否を極めようとする一点にあったのではないかと思われるくらいです。

しかし、その繋がりを、単に「恋愛」の存否だけに拘っていると、この二人の関係の実態はなかなか掴め切れないかもしれません。

「ある映画監督の生涯」や「小説・田中絹代」などで新藤兼人が執拗に試みている関係者へのインタビューによって次第に明らかになってくるふたりの人間性の間には、色だの恋だのという浮ついたものとは程遠い強烈な自我を張り合う「確執」だけが明確に浮き出してくるだけで、恋愛関係に不可欠とされる感情-情愛とか譲歩とか敬愛とかのような種類のものが何一つ存在しないことでも分かるような気がします。

二人の間に浮かび上がってくる最も明らかな感情は、同じ時代・同じ次元で覇を競って譲り合おうとしない芸術家同士が抱くであろう、おそらくあからさまな「嫉妬」です。

しかし、僕には長い間、素朴な疑問がありました。

なぜ、このような二人の関係を知ることが斯くも重要なことなのか、いや、そもそも新藤監督のあの情熱の意味するところが僕にはよく分からないというのが本当のところでした。

「受け狙い」で、有名人のゴシップを興味本位に追いかけるにしては、あまりにも時間が経ちすぎています。

それとも常人には想像もつかないストイックな天才の恋を知ることが、ミゾグチ・ワールドを解析することの何かに役立つとでもいうのでしょうか。

きっとそれは、溝口健二という天才監督のもとで血の出るような苦しみのなかで仕事をし、その暗中模索・五里霧中のなかから魔術のように・奇跡のように次々と素晴らしい作品を生み出していく至福の瞬間を同じ現場で目の当たりにした者だけにしか分からないものかもしれません。

しかし、溝口健二と田中絹代との関係を探求するということは、つまりは、この二人の関係の「破綻」を探り出すということでもあるわけですから、その「破綻」がどのようにしてもたらされたかということが重要になってくるのではないかと思いはじめました。

多分その「破綻」は、田中絹代が初めて監督業に手を染めようとした時の溝口健二のあの有名なコメント「絹代のアタマでは、監督はできません」のひとことによってもたらされたのだと思います。

新藤兼人は書いています。

「『絹代のアタマでは、監督はできません』と、溝口健二が言ったと聞いて、絹代は真っ青になってふるえた。
言い方があるだろう。
絹代のアタマでとはなんだ。」

この溝口健二の辛らつで屈辱的な一言に即座に反応した激昂のリアクションには、恋愛関係にあるかもしれない男と女の特殊で微妙な感情など、些かも窺うことはできません。

ここには、同じ分野で成功を対等の立場で競い合っているライバルからの侮辱に対して、敏感に反応するナーバスでぴりぴりとした苛立ちがあるだけです。

このことがあって以来、このふたり溝口健二と田中絹代は、文字通り溝口健二が死の床に横たわるまでずっと逢うことがなかったといわれています。

溝口健二が京都府立病院で死を数日後に迎えようとしている時になされた再会は、ふたつの才能がぶつかりあって火花を散らし続けた末の破綻とは根本的に無関係な接点だったと考えるべきかもしれません。

ただ、僕は、この事件のすべての元凶とされている溝口健二のあの言葉「絹代のアタマでは、監督はできません」を額面どおり受け取ってもいいものか、長い間疑問に思っていました。

溝口健二は、田中絹代の前に出ると赤面し禄に顔も見られないほどだった、そこまで思いを募らせていたと伝えられています。

それほど惚れている女になら、男として良く思われたいためのお世辞や、ある程度の嘘くらいは当然許されてもいいように思います。

新藤兼人は、溝口のこの苦言を「出来ない監督業なんかやって、いままで築いてきた女優としての田中絹代の名前を汚すことはない。」という思いがあったからだと解釈していました。

そして、その言葉の裏には、田中絹代が名前を落とすことによって、自分の作品の評判が落ちることをなによりも恐れたのだとしています。

しかし、カッとくると前後の見境がなくなって何を言い出すか分からないといわれた短気な溝口健二が、そこまでの深謀遠慮を尽くしての物言いをするとは、僕にはどうしても考えられないのです。

ここは、どうしても、溝口健二が前後の見境がなくなりカッとして「絹代のアタマでは、監督はできません」と言ったという方を信じたいと思っています。

この暴言を吐いた当の相手は、小津安二郎でした。

監督協会の理事をしていた小津安二郎が、協会の資金稼ぎの責任をはたすために、自分が松竹で撮るために用意していたシナリオ「月は上りぬ」を田中絹代の監督でやることを提案し、協会理事の小津自ら監督交渉を田中絹代に持ちかけています。

田中絹代がこの小津安二郎の依頼を、初監督作「恋文」が評価されたと受け取り喜んだと想像するのは、それほど困難なことではありません。

戦争直後の田中絹代の出演作は、溝口健二監督と木下恵介監督が交互に撮っているのですが、その中に混じって小津安二郎は「風の中の牝鶏」を撮っています。

野田高悟が、このひたすらに暗い作品を見て小津安二郎の監督としての将来に危機感を抱いたと言われている重要な作品です。

しかし、溝口健二がこの作品を見てどう思ったかは、どの資料にも書かれていません。

「風の中の牝鶏」が小津安二郎らしからぬ作品だったとしても、もしあの作品を溝口健二が撮ったといわれたとしたら、はたして溝口健二らしからぬ作品といえたかどうか。

ラストで描いた夫婦の和解を、妻の更なる堕落と描き変えたら、それこそ溝口健二作品としてもいいくらいだと思いました。

そして、きっと田中絹代の演技をあそこまで引き出した小津の力量に溝口健二は瞠目し、恐れもしたのではないかという気がしてなりません。

「風の中の牝鶏」が撮られた同じ時期に、溝口健二が田中絹代で撮った作品「歌麿をめぐる5人の女」、「女優須磨子の恋」、「夜の女たち」、「わが恋は燃えぬ」などのどの作品と比較しても、小津演出の田中絹代が、はるかに(溝口健二の演出では果たせなかった)「ナマの女」を演じ切っているような気がします。

電話口で溝口健二が小津安二郎に吐いた「絹代のアタマでは、監督はできません」という激しい言葉は、溝口健二の中で小津安二郎に対して長い間燻っていたものが、ある切っ掛けを得て噴出しただけのような気がしてならないのです。

田中絹代監督問題がたまたま「そこ」にあったから、「絹代のアタマでは・・・」という言い方になっただけで、吐き出した内容よりも、ここでは「小津に対して吐き出す」という行為そのもの、あえて言えば「激しい言葉を吐きかける行為自体」を溝口は抑制できなかったのではないかという気がしています。

もちろん、この得体の知れない苛立ちが「小津安二郎への嫉妬」に基づくものであることなど、溝口健二自身にも分かっていたはずもないでしょうが・・・。

ただ、その繊細すぎる暴言を電話口で小津安二郎がどう聞いたかといえば、その辺のところは十分に察していたであろう小津安二郎は、多分静かで寛容な笑みを浮かべていたと考えるのが至当かもしれません。
by sentence2307 | 2007-05-04 21:42 | 溝口健二 | Comments(8)