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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:伊丹万作( 1 )

伊丹万作の「故郷」

暇つぶしにyou tube動画をあれこれ見ていたら、偶然、伊丹万作監督の「故郷」1937という映画に遭遇しました。

予備知識などまるでない(と思っていた)未知の映画だったのですが、これ幸いとまずは鑑賞しました。

実は、ここのところ、最新映画というやつを何本も立て続けに見てきたために少々食アタリ気味というか、「いわゆる最新映画」を見ることに対して行き詰まりを感じていて、そのパサパサに渇いた「得るものなし感」が徒労感となって積みあがり、無性に疲れてしまったということはありました。

これ以上、苛立ちが募ってきたら「かなりヤバイことになるぞ」という強迫観念というか遣り切れない不安にさいなまれている感じです。

そういうときには、いつもすることなのですが、目先の変わった「古い映画・映像」を見て気持ちを落ち着かせるということをやっています、戦前のサイレント映画や国策映画など、その辺はなんでもいいのですが、古色蒼然たる映像を求めてyou tubeの森を彷徨っていたところ、この伊丹万作の「故郷」に出会ったというわけです。

そうそう、「古い映像」というのは、例えば、リュミエール兄弟が世界各国の珍しい風景や風習を撮って観光を見世物みたいにして商売にしようとしたその国のひとつに日本も含まれており、派遣されたフランス人映画技師が原日本人たちを撮って廻った映像というのが何本か残されていてインターネットで見ることができます。

例えば、街路を往来する真っ黒に日焼けした背の低い多くの男たち・女たち(着物はだらしなく着崩れ、顔は真っ黒に汚れ、髪はボウボウで、ほとんどみな半裸の状態です)が、据えられたカメラを物珍しそうに何度も振り返る姿を写したフィルムがあって、その顔はどれも照れたような奇妙な薄笑いを浮かべており、抑えられない好奇心でカメラのレンズをわざわざ覗き込んでいくというあの姿にたまらない感銘を受けました。

あるいは、戦争直後、多くの日本のやせ細った子供たち(まさか、戦災孤児なんかじゃなかったと思います)が、進駐軍の栄養の行き届いたアメリカ軍人にまとわり付いて口々に「チョコレート、ギブミーしてんか!」と叫びながら必死に異国の軍人に群がりネダっている姿を見ると、屈辱的な浅ましさよりも生きることにどこまでも純粋なその活力に圧倒され、深い感銘を受けるということもあったかもしれません。

それらのフィルムに映し出されている日本人の彼らは、誰もがひとしなみにみすぼらしく、薄汚れていて、極貧のなかでその日の食うものにも事欠くありさまのように見えても、それでも薄笑いを絶やすことなく、とんでもない活力に満ちていて、向けられた異国人のカメラのレンズを物珍しそうに覗き込む好奇心だけは溢れかえるほど持っていたという、そういう「熱」に圧倒されたくて、自分は、フィルムのなかに「古色蒼然」を求めていたのだと思います。

そして、今回の伊丹万作の「故郷」に出会ったという次第です。

いわば「お口直し」を期待して見た映画という感じだったでしょうが、でも、はたして期待したような「お口直し」となり得たかどうかは、大いに「疑問」としなければならなかったかもしれませんが、しかし、「突っ込みどころ満載」という意味でなら、このダレた自分の活性化には大いに役に立ったということはできると思います。

ただ、この映画、見ているうちに、どうしてこうも面白くないのだという思いが幾度も萌して、その退屈さは集中を止切らせ、散漫になった気持ちの隙に雑念が入り込んできたのかもしれません。(しかし、この「雑念」のほうが、この映画なんかよりよほど面白かったので、後述しようかとは思っています、お楽しみに!)

たぶん、この映画、作品自体の面白味に欠けるため、顔は映画の場面に向けられてはいたものの、メリハリのない緩慢な物語のスジを追うのに疲れ果て、徐々に集中を欠いた意識はいつの間にかどこかにスッ飛んでしまったのだと思います。

そりゃあ、なにも東京の大学を出たからって「家業の手伝いくらいするのは当たり前だろ(そもそも東京で職に就けなかったのに、なんで田舎にそれがあると思って帰省してきたのかが理解できません)」など誰が考えても当然のことを、たいそうな「教訓」のようにこれでもかと平然と描くその白々しいストーリーに、われならずとも観客はみな疲れ果ててしまったのだと思います。

都会の大学を卒業し帰省した酒屋の娘(夏川静江)が、東京で就職できなかったものが、まして田舎で「大学出」にふさわしい職などあるわけもなく、彼女が期待を寄せていた有力者のコネも失い、かといって家業の酒屋にもなじめずに、ただ悶々鬱々と日を過ごしているという状態です。

大学を卒業しても行き場も定まらない厳しい現実に、ただ焦るばかりでどうすることもできない妹は、自分のそうした鬱屈を一向に理解しようとしない兄に対して、内心では「所詮、教養のない田舎者は、せいぜい目先のことばかりに拘って愚かにも先が見通せないのだ」と軽蔑しています。

兄は兄で、逼迫した家業の苦境を知っているのに手助けをしようともしない妹に苛立って「身分不相応の教育など、かえって身の毒だ」と決め付けて、互いを罵りあうこの兄妹の軋轢の言葉の数々は、しかし、どれもが実感のないお座なりな説明の域を出ない死んだ言葉にすぎず、仲の良くない兄妹なら世間によくある想定内の凡庸な言葉の応酬でしかない以上、その一連の場面もまた空疎感から免れるわけではありません。

家業を手伝おうともしない妹のそうしたダレた生活ぶり(兄・坂東簑助には「そう」見えました)に苛立ち、ことあるごとに叱責せずには居られない兄との衝突を繰り返すうちに、妹のつい口走った抗弁と突っかかるような生意気な態度に激昂した兄は、はずみで妹の頬を張ってしまうということがおこります。

そのとき兄は、妹を東京の大学にあげるために田畑を売り払ったことを憤懣やるかたなくナジリ、「こんな役立たずになるくらいなら、なにもお前を大学になんぞにやるんじゃなかった」と悔いて罵ります。

打擲を受けたうえに罵倒された妹は、売り言葉に買い言葉で「もう、兄の世話にはならない、家を出る」と捨て台詞を吐いて家を飛び出します。

家を出てから一年後、妹は意気消沈して故郷の駅にふたたび降り立ちますが、この場面、都会に出てから彼女がどのように苦労したのかまでは一向に説明されず、演出者の意識と興味は、むしろその先の「怒っている兄と妹がどのようにして和解するか」にすっかり前のめりに入れ込んでしまっているので、妹が経験したかもしれない苦労などには興味を示さず、それどころか「そりゃあ、いわゆる苦労だよ、わかるだろう」みたいに端折り、単なる概念としてしか考えていないことはミエミエで、そういう突き詰めのない「概念」だけのパッチワークのようなツギハギだらけのこうした映画が、はたしてどこまで観客を引き付け感銘を与えることができるのかという疑問に捉われてしまいました。

しかし、飛び出して行った先の東京で彼女がどのような辛酸を嘗めたのか、どのような過酷な目に遭遇しなければならなかったのかは、この物語にとっては、そのディテールはとても重大で是非とも説明しておくべきものだったはずです。

さしずめ溝口健二なら、都会に出た妹は、やくざな男にすぐに引っかかって騙され、果ては売春までさせられたあげく、ついには悪い病気を背負い込んで鼻が落ち、麻薬にも蝕まれたすえに使い物にならなくなって棄てられ、さらに肺病にかかったうえでやっと性転換して故郷に舞い戻ってきたとかなんとか、そういう「重き履歴」を観客に具体的・重層に的に示すことで、リアリズムは一層の厚みを獲得していくものだと思えば、この伊丹万作作品は「リアリズム」とは別のものを目指していたと思うしかありません。

それはこの物語が単に舞台の戯曲だから仕方ないのかと考えたとき、突然あの「雑念」に囚われたのでした。

そもそも、それがどこに書いてあったかまでは思い出せなかったものの、市川崑監督(当時は伊丹監督の助監督だったそうです)が伊丹万作の映画を見て

「伊丹さんは、シナリオはうまいが、演出は下手だね」

と言ったという言葉を思い出したのでした。

まさに言い得て妙の、目からウロコが落ちるような至言です、こういうのを透徹した直感というのだなと思いました。

しかし、そうは言うものの、この映画を見て一箇所だけ感心した部分がありました。

決して家業に馴染もうとしない娘に母親はさびしそうに語り掛けます、「あんたは、東京に行って、すっかり変わってしまったね」と。

それは母親が娘に会いに東京の大学に行ったときの思い出です。

母親が大学内で娘の姿を見つけて笑顔で合図したとき、そのときの母親の姿が、見るからにみすぼらしく恥ずかしくて母親だとは言えずに、娘は思わず友だちには「あれはうちの婆やよ」と言ったことが聞こえてしまったと、さびしげに母親が娘に語る場面です。

しかし、この含蓄に富んだ衝撃的な母の言葉は、その後、イメージを膨らませることもなく、また、どのような演出的な展開を見せるでもなく、気抜けするくらい孤立したままの単なる「いいセリフ」というだけで立ち消えてしまいました。

伊丹万作は、この傑出したセリフを強烈な映像で印象づけようとするわけでもなく、この悲憤に満ちた母の言葉に娘がどういう表情をして反応したのかを追うことも・作り上げることもなく、あたかもそこには最初から何もなかったかのように、この「セリフ」を終わらせてしまっています。

市川崑監督ならずとも、これは本当に「伊丹さんは、シナリオはうまいが、演出は下手だね」だったのだなと感心しました。

そういうことなら、是非ともこの記事の在り所を確かめたいという気持ちが猛烈に沸き起こってきました。

そうですか、そうですか。それならば手持ちの資料に当たりますか。

最初はまず、岩波書店の「講座・日本映画」から見ていくことにしましょうか。

あっ、そうそう、その前に邦画で「故郷」というタイトルのつく映画がどれだけあるか、検索しておきますね。

Jmdbによると、

1 溝口健二 1923
2 木村荘十二 1931
3 伊丹万作 1937
4 山田洋次 1972
5 向井 寛 1999

の4本がヒットしました。

そのうち
①岩波書店「講座・日本映画」に掲載されている作品は、
溝口健二監督作品 1923
伊丹万作監督作品 1937
山田洋次監督作品 1972   の3本でした。

②田中純一郎の「日本映画発達史」では、
溝口健二監督作品 1923
山田洋次監督作品 1972  の2本が掲載されていて、

③佐藤忠男の「日本映画史」には、
山田洋次監督作品 1972  の1本だけが掲載されていました。

このように邦画のうちで「故郷」とタイトルされた作品がどれほどあるかとまず調べた理由は、「故郷」というタイトルが、日本人の観念上もっとも親しみやすいテーマ(望郷)に違いないという連想から、それだけに当然膨大な量の同名作品が作られているはずという思い込みがあって、その多くの作品のなかから伊丹作品を特定して検索・チョイスするための利便をあらかじめ考えてしまおうと思ったからでした。

しかし、調べてみれば、なんてことはありません、結果は意外に少なくて、まったくもって拍子抜けした感じでしたし、各冊を調べていくうちに、この同じタイトルを持った作品のなかで、映画史からまずは最初に消えていくべく作品の順序みたいなものも、なんだか分かってしまったような感じを受けました。

つまり、伊丹万作作品「故郷」が幾つかの映画史本の中から他の作品に先立ってまずはひっそりとその姿を消した過程を実際に見てしまったような。そして、それはその映画自体の持つある種の「欠落」が起因したために。

実は、この伊丹万作作品を調査している過程で岩波書店の「講座・日本映画 第3巻」にそのものズバリの記事、「伊丹さんの演出」(佐伯清筆)というのが収録されていることにはずっと以前から気がついてはいました。

この小文なら以前にもすでに読んでいることも記憶していますし、その内容のニュアンスというのもなんとなく自分の中に残っていました。そういう意味でなら、自分にとってこの伊丹作品「故郷」に予備知識が皆無だったという部分は訂正しなければなりません。

ぼくたちの知っている佐伯清は、多くの高名な仁侠映画を撮った監督として記憶しているのですが、彼は中学を卒業するとすぐに同郷の伊丹万作を頼って彼の門下生として弟子入りしていて、そして師匠が肺結核で死ぬまで師事したというくらいの人だったので、当然、恩ある伊丹監督への敬愛と尊敬の念は、そりゃあただならぬものがあったでしょうから、そういう人の書いた師匠についての論評「伊丹さんの演出」のなかに、まさか伊丹演出をアタマから下手だと腐した市川崑監督の辛辣な直言など掲載されていようはずがない、検索してみたところでどうせ無駄骨になるに違いないという確信から、この論評の調査だけは省きました。

しかし、いざ目を通してみれば、すぐにでも見つかるような冒頭のごく近い箇所にその記述はしっかりとありました。

それはこんなふうに記されています。

《伊丹さんは大変お洒落な人でした。舶来ものの衣服、帽子、靴、そのどれをとっても一流品です。それが似合うかどうかは別のことで、鼻下に髭を生やした伊丹さんの貴族的ともいえる白皙の顔は、哲学者というか、文学者というか、およそ活動屋の世界では珍しい存在でした。無口で鋭い目をして、対象を、または人間を見つめる伊丹さんの顔は、ときに怖いようでさえありました。その証拠に、今日巨匠などと言われている市川崑が、むかし、私のセカンドで伊丹さんについたとき、
「俺、いやや、伊丹さん怖い」
と言って、僕にこぼしたことがありました。その崑ちゃんが、伊丹さんはシナリオは上だが、演出は下だと言っています。つまり下手糞だと言うわけです。さあ、どうでしょう、兎に角伊丹さんは、我々の世界では異例の紳士でありました。》(講座・日本映画 第3巻157頁下段)

ごく素直に読み流しても、とても違和感の残る一文です、師匠・伊丹監督について褒めていることといえば外見のお洒落な身なりについてだけで、肝心の「演出」については持ち上げるどころか(自分の口から語ってはいないものの)、市川崑の言として「伊丹さんの演出は下手糞だ」と言い切ったそのままの言葉を、なんの注釈も否定の言葉も付すことなく掲載しています。

自分にはそれが「意地悪さ」とか「悪意」とかに読めてしまって仕方ありませんでした。さらに続く「さあ、どうでしょう」も随分だと思いました。

つまり、ここには師匠・伊丹万作を、手放しで一方的に信奉している門下生という視点など微塵もない、それとはまた別の、少し突き放した客観的で辛らつ眼差しの観察者か、同業の批判者しか存在していないように思えてなりません。

例えば、「無口で鋭い目をして、対象を、または人間を見つめる伊丹さんの顔は、ときに怖いようでさえありました。」という一文に続いて、セカンドの市川崑がそういう伊丹監督を怖いと言ったとしながらも、すぐにも「伊丹さんの演出は下手糞だ」と続けています。

それならあの伊丹監督が演出時にみせていた「無口で鋭い目をして、対象を、または人間を見つめた」あの怖い顔は、いったいなんだったんだ、あたかも真に迫って演出しているかのように見せていたのは、ひたすらスタッフの視線を意識して「巨匠」を演じただけの、ただの薄っぺらな演技・ポーズにすぎなかったのか、そういえば、その少し前に書いてあるあのお洒落な「舶来ものの衣服、帽子、靴、そのどれをとっても一流品」と、「怖いような無口で鋭い目」の一文は等価だと仄めかされていて、伊丹監督の演出など、中身などまるでない人目を意識しただけの、意識過剰のただの見せ掛けのポーズにすぎなかったのだと、どうしてもそう読めてしまって仕方ありませんでした。

まさかそこに「揶揄」の気持ちまでは存在しているとは思いませんが、否定の気持ちを真正面から表明することなく、第三者の口を借りて「こういう意見もありますよ」的に真意を隠しながらも巧みに示唆した責任逃れの、いささか屈折した気持ちを抱えた底意地の悪さと、秘められた狡猾さという印象をどうしても拭えませんでした。

そうした気持ちで、この佐伯清の論評「伊丹さんの演出」をアタマから読んでいくと、文中のエピソードのなかにも、このタイプの違和感は随所に見出すことができます。

まず最初のエピソード、撮影所の食堂でスタッフが談笑していたとき、誰かが「えらいこっちゃで、いまオープンで万さんと稲監が喧嘩しとる!」と息せき切って駆け込んでくるという描写のあとに、こんな描写があります。

《「ええ?」と言って、総立ちになった一同の口から突いて出た言葉は
「ついでや、殴ってしまえ、稲監を!」
「そうや、やったれ! やったれ!」
でした。ということは、万さんこと伊丹万作さんは、自分の側の人間で、稲監こと稲垣浩さんは敵側の人間であったということ、伊丹さんは「万さん」と親しまれ、稲垣さんは、「稲監が、稲監が」と、案外嫌われていました。》(講座・日本映画 第3巻158頁上段)

結局、この「ご注進」は早とちりのガセだったので、「すぐそのあと、笑って話し合いながら入ってきたお二人の姿を見て、なんや、ということで、ちょんになりましたが、ざっとこんな具合でした」と収束させています。

しかし、「この際だから」と、稲垣浩監督の日頃の悪評判をこれでもかと開陳し、さらに「案外嫌われていました」を付け加えるなど、随分じゃないか、これじゃあまるで鬱憤晴らしだと感じました。そう考えると、この「悪評判」だって、仲間内で本当に一般化されたものだったのか、それとも個人的な見解にすぎないものだったのではないか、区別がつきません。

それに、この騒動の切っ掛けとなった「ご注進」が、そもそもガセだったわけですから、この「開陳」だって本来は不要の見当違い・場違いな意見表明にすぎず、すぐさま修正か削除の処置を必要としたはずのものでしかなく、ここにも巧みに機を捉えてみせたかすかな「悪意」とか「作為」の気配を感じないわけにはいきませんでした。

つづくエピソードは、「新しき土」をアーノルド・ファンクと共同監督したクダリです。

それは、こんなふうに始められています。

《このあと伊丹さんは乞われてJOへ移り、ドイツの山岳映画の巨匠アーノルド・ファンクとの共同監督「新しき土」の仕事、これが半年以上一年近くの大仕事になり、精神的肉体的に随分と伊丹さんを苦しめたんだと思います。一旦決めてやり始めたことについて、不平不満は一切口に出さない人です、そのことは、先の「忠治売出す」で、何回も同じ演出をやらされながら、ぶつっとも愚痴をこぼされなかったことでもお分かりでしょう。》と。

そして、ファンクと伊丹万作のお互い天才肌の強い個性がぶつかりあっても、決して譲り合おうとしない「確執」が描かれています、人間関係が煮詰まり、絡まりあっても、その打開策をみずから講じることのできない伊丹万作は疲れきって、佐伯清にほとんど任せて、実体は仕事を投げ出した状態だったと記されています。

この記述で伺われることは、伊丹万作という人の天性の虚弱体質というものはもちろんあったでしょうが、人間関係が一旦こじれると自分から折れて打開策を講じることができない性格の卑弱さ(これを「繊細さ」と表現しても一向にかまいません)が顕著で、事態が収拾できないとなると、さっさと自分の殻に逃げ込んでしまうという負の部分もあったのだなということが分かります。

彼が、現象的にみれば「不平不満は一切口に出さなかった人」だったかもしれませんが、逆にいえば「弱みをさらけだして誰に対しても自分から心を開けなかった人見知りで頑なな人」という見方もできるわけで、そのあたりが本当のところだったのでないか、それは、まさに自身が「演出力のない監督である」ことを自認・自覚していた何よりの証拠で、また、それは衣服や容貌など外見を気にするスタイリストと共通するとの認識からは、演出者として劣等感があったからではないかと勘繰りたくなってしまいます。

そうしたことのすべてを見てきた身内の人間・佐伯清でなければ表現しえない伊丹万作との微妙な「距離感と確執」がそこにはあったのだと考えてしまいました。

三つ目にエピソードは、いよいよ「故郷」の撮影現場での事件が描かれています。

アル中気味だった小笠原章二郎(子爵の御曹司と書かれています)という役者が、酔ったまま現場に入ってきて、どうしてもセリフが出てこずに撮影が中断してしまい、これを伊丹監督が激怒したという顛末が書かれている部分です。

酒に酔ったまま現場に入り、セリフもつかえて演技ができず撮影を中断させるなど、考えなくとも、役者としてはなんとも弁解しようのない、もってのほかの失態で、伊丹監督が激怒したというのも無理からぬこととは思いますが、佐伯清がこのアル中役者を説明するクダリのなかに気になるひと言が書き込まれているのを発見しました。

こんな感じです。

《助十に小笠原章二郎、小笠原長生子爵の子息、軽演劇でちょっと売り出していたのを連れてきたわけです。ところがこの人がちょっとアル中気味で、伊丹さんの諧謔精神がなかなか理解できず、少々自棄になったのか、仕事中昼間から酒を飲んでセットに現れるようになりました、私を含め裏方はたびたび彼の傍らに行きますから、このことを早くから気づいていましたが、伊丹さんは彼から離れてキャメラの傍らにおりコンテとか演技に対する注文とかは、私が伊丹さんの意見を彼に伝えるようにしていましたので、その彼に気づいていたかどうか、あるいは知っていて知らぬ振りをしていたのか、私も何度か彼に注意しようと思いましたが、東京からわざわざ京都へ来てもらっている人だし、芝居さえきちんとやってくれるなら、少々のことはしばらく辛抱しよう、いずれ彼自身も気づくであろうと黙っていました。それが、ある日、最悪の事態となって、えらいことになりました。》

幾度かのテストを繰り返しているうちに、酔っていたその役者はセリフも出せずにそのまま座り込んでしまいます。

《ステージの中はシンとして咳ひとつなく、ただ黙って章二郎さんを見つめるのみ、その間何分くらいあったでしょう、私はチラと伊丹さんを見上げ、章二郎さんに声をかけました。
「さあ、もう一度テストをやりましょう!」》

そのとき、伊丹監督から
「お前は、黙っとれ!!」と、突然怒鳴られたと書かれています。怒鳴られたのは後にも先にもこれが初めてだったと付け加えられてもいました。

怒り心頭の伊丹監督は、座り込んでいる役者に歩み寄り顔をぶん殴ってステージから立ち去ったとあります。

しかし、そのあとすぐに佐伯清助監督が追って「出すぎた真似をしてすみません」と謝り、走り込んできた小笠原章二郎も平伏して詫びたと記されていました。

しかし、なにがこれほどまでに伊丹万作を激怒させたのか、これだけのことじゃないはずという疑問が残りました。

だって、「怒鳴られたのは後にも先にもこれが初めてだった」というくらい寛容で通してきた伊丹監督です、役者への指示はすべて助監督が伝えたと書いてあるのですから、まずは見せしめ的に助監督をスタッフの前で叱責したうえで、使えない役者など(幾らでも代りのきく端役です)さっさと交代させてしまえばそれで済むことで、なにもそんなに向きになった逆上しなくともいいじゃないか、という気持ちがいつまでも残りました。

それでこんなふうに考えてみました。

単に、酔って演技ができなかった役者に激怒したというよりも、彼が日頃から「伊丹さんの諧謔精神がなかなか理解できず、少々自棄になったのか、仕事中昼間から酒を飲んでセットに現れるようになった」ことを知り、侮辱されたと感じた伊丹監督が、彼がセリフにつまった機会を捉えて「激怒」を浴びせたのではないかと考えてみたのですが、やはり、それでも激怒の動機づけとしては、もうひとつ「弱い」と感じ、さらに考えました。

そして、こんなふうに考えられないか、というある考えにたどり着きました。

撮影もスケジュールの半分を過ぎたあたりで、監督ならこの映画がどう仕上がるのかくらいは、とうに見当がついていて、その鬱積したストレスがちょっとした契機を捉えて暴発したのではないかと。

(1937製作=J.O.スタジオ、配給=東宝映画)製作・森田信義、監督・伊丹万作、脚本・伊丹万作、原作・金子洋文、撮影・三木茂、美術・高橋庚子、録音・中大路禎二、照明・上林松太郎、衣裳・橋本忠三郎、小道具・山本保次郎、結髪・都賀かつ、床山・濱田金三、監督補助・毛利正樹、松村四郎、尾崎橘郎、撮影補助・荒木秀三郎、直江隆、音楽・ポリドール・レコード、現像・J・O現像所、製作・ゼーオー・スタヂオ
出演・坂東簑助(和田堅太郎)、夏川静江(妹喜多子)、藤間房子(母おとく)、船越復二(弟剛)、五條貴子(歌子)、三木利夫(兄信四郎)、永井柳太郎(人夫八兵衛)、山田好良(県会議員某)、常盤操子(妻)、深見泰三(校長)、石川冷(庄屋)、沢井三郎(村の青年)、丸山定夫(訓導野間彦太郎、父)、高堂國典(深見泰三)
1937年5月1日公開・日本劇場 84分(10巻 / 2,294メートル) / 現存版 84分(NFC所蔵)フォーマット : 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.37:1) - モノラル録音(発声版トーキー)



by sentence2307 | 2019-04-28 13:58 | 伊丹万作 | Comments(0)