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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:是枝裕和( 1 )

万引き家族

つい昨日もバス停でバスを待っていた複数の児童と、付き添っていた親が刺し殺されるという身の毛のよだつ悲惨な事件が起こりました。

いまの時点では事件の詳細は、まだ分かっていませんが、なんとも痛ましい事件で、ニュースを見るのが怖くなってしまうくらいです。


それでなくとも最近は、子殺しの事件とか児童虐待に関する報道があまりにも多くて、この国はいったいどうなってしまったのかという不安にかられています。

あの野田の事件など、夫の暴力におびえた妻が、この異常者のご機嫌を取るために被害者児童(自分の子供です)の動静をまるで媚びるみたいに逐一報告するなど、積極的に父親の虐待に加担した事実が明らかになっています。娘を人身御供に捧げれば、たとえイットキでも夫のDVから免れられるという、身勝手な自己保全のために子供の命を犠牲にしたとんでもない母親です。

同じように父親から恫喝されておびえた担任の教師が、こともあろうに子供の救命を求める必死の作文をそのまま父親にチクるという愚劣な事実も明らかになりました。そのことによって子供はさらにこの異常な父親によって痛みつけられたはずです。それでもお前は人間か、人の痛みを知らないこんなチクリ野郎がのうのうと教師面して日頃偉そうなことをほざいていたかと思うと、正直ハラワタが煮えくり返る怒りを感じます、これだって明らかな刑事罰に値する犯罪でしょう、刑事責任を追及してきちんと処罰しなければ下劣で悪質なこの手の教師はこの世からいつまでたっても一掃できません。

身勝手な親や愚劣な教師たちが寄ってたかって、子供をまるで家畜のように追い立て、なぶり殺し、聴くところによれば父親の性的虐待までもからんでいるらしく、歯止めのきかないこの状態は、もはや陰惨を通り越して異常というしかありません。

先日、アメリカで宗教上の倫理観にもとづく「堕胎禁止条例」に反対する集会とデモ(写真で見ると、参加者はほとんど女性でした)があったことが報道されていましたが、いまの時代、そりゃあ堕胎禁止に反対するのも一理あるかなと思います。馬鹿面してsexだけ楽しんでいればそれだけで十分の、とうてい子供など育てることのできない、最初から持つべきでない幼稚で身勝手なただの色情狂たちにとって、「堕胎」こそは「親」にならずに済む・そして望んでもいない子供を持たずに済む・だから子供を殺さずに済む、唯一彼らの必須アイテムだからです。

もう、これ以上、「子殺し」の悲惨なニュースは聞きたくありませんし、こんな惨憺たる状況を呼び寄せかねない無闇な「生めよ増やせよ」の呼びかけで、逆に子殺しを増やしてしまうくらいなら、むしろこの国の滅びにつながる「人口減少」を受け入れるほうが、まだマシというものです。どんな熾烈な環境にあっても、どんなに貧しくとも、子供を大切に思い、扱うことのできる人間なら、この世界には、まだまだ、たくさんいるはずだと信じたいです。もはや、この国の将来の望みは、愛と常識を兼ね備えた他国民に託すほかないのかという、こうした遣り切れない「時代の空気」のなかで、この「万引き家族」という映画に出会えたことは、自分にとってとても意義のあることだったと思います。映画を見る習慣を持っていて、本当によかったなと感じることのできた幸せで稀有な瞬間でした。

思い入れが激しく、ただ好きな映画に対しては、「分析」や「解釈」や「批評」など到底似つかわしいとは思えません、できることといえば、ただひたすらな「回想」だけです。

「さて、」と本論に取り掛かろうとしていたタイミングで、たまたまwowowで「万引き家族」の放映があり、幾人かの人と(偶然、みな女性でしたが)この映画について話す機会があって、それぞれの方から三つのことを訊かれました。


① お姉ちゃん(亜紀)は、なぜ、お客さん(4番さん)を抱きしめたの? そのときなんて言ったの?
② 祥太は、なぜ、わざと捕まったの?
③ りんちゃんの最後のシーンは、何を意味しているの?
と。


なるほど、なるほど。

自分的には、取調室における妻・信代(安藤サクラ)と夫・治(リリー・フランキー)の供述の場面からまともに語り出そうかと考えていた矢先なので、むしろこの「夫婦」が語る「家族たち」(実際は戸籍的な夫婦や家族ではなく寄せ集まりの関係にすぎないので、正確を期するなら、このようにカギ括弧でくくる必要があります)について考えてしまうほうが、この映画の本質にダイレクトに迫ることのできる卓越した設問に違いないと感心し、正直、虚を突かれた感じでした。

だって、そうですよね、取調室における妻・信代の供述の場面は、安藤サクラの圧倒的な演技と相俟って、おそらくは映画史に残るこの映画の重要な核となる場面で思わず目を奪われてしまいますが、しかし、大切なのは、彼女が語っている「内容」のほうなのであって、アタマから順序立ててストーリーを忠実にたどろうとした構想自体は決して誤りではなかったとしても、この夫婦の供述を逐一追うことで、はたして「偽の家族」と生活を共にし、その中でのびやかに育まれた子供たちの姿を捉えることができるかどうか、むしろ見えなくさせられる部分のほうが多いかもしれないなと思い当たるものがありました。

とにかく、①~③に注目し語り出そうというのは、自分の発想にはない面白い視点なので試してみる価値はあります。

ただ、①の「お姉ちゃん(亜紀)は、なぜ、お客さん(4番さん)を抱きしめたの? そのときなんて言ったの?」という質問を、現実に面と向かって問われたとしたら、

《亜紀は「4番さん」の自傷行為の傷跡を見つけてしまい、彼が同じ欠落を抱える人間であることを知り、心動かされ、同情して抱き締めた》

と結構あっさりと模擬試験の回答みたいに答えてしまうかもしれません、まあ、そんなふうに言ってしまったら、それこそ身もフタもありませんが、それは、この「万引き家族」において「亜紀」の存在だけは、いかにも作られた画一的で希薄な印象しか受けなかったために、そこにはそのままの「正解」しか思い浮かべることしかできなかったのだと思います。

さらに、「そのとき、亜紀はなんて言ったの?」という問いですが、その部分、全然覚えていないので、改めてそのシーンを録画で確認しました。

亜紀が客の「4番さん」(池松壮亮)に膝枕をして会話する場面、話しながら彼のコブシに殴り傷があるのを見とめた亜紀は「どうしたの、これ?」と尋ね、そして「殴ったの、誰かを」と言い掛けた瞬間、どう見ても彼がそんなふうに他人に関わることができるような人間でないことを察知した亜紀は、思わず「4番」を抱き締め、「あたしもねえ、自分を殴ったことありますよ」と言い、さらに「痛いねえ、これ。痛い痛い、痛いよね」と続け、「4番」が、おそらく重度の吃音のためにうまく発音できないくぐもった声に亜紀はうなづいて、「分かったからね」と感極まって共感する場面です。ただ、その傷が、本当に「自傷」によるものかどうかは最後まで分かりません。

この映画についてのコメントのなかに、「このシーンは余計」と断じた感想を読んだことがありますが、むしろ、「おばあちゃんは、お金が欲しかっただけなのかな、私じゃなくて」も含めて、「余計な演技」という印象を持ちました。

「4番」の傷が「自傷」であると即断して「共感」するという悲痛な心の動きを表現するのに、こういう説明的な演技ではなく、もう少し工夫して抑制する演技ができなかったのか、安藤サクラの衝撃的な演技に照らすと(比較的に見てしまうのは仕方ありません)、とても残念な思いが残りました。

次に「② 祥太は、なぜ、わざと捕まったの?」ですが、取調室で供述する信代の場面が、この映画の白眉だとすると、「もうひとつ」の白眉が、拘置所での信代との面会を終えたあとで、偽の父親・治と祥太がアパートの一室で最後の一夜を過ごす場面です。

部屋の灯りを消し、布団に入った偽の父親・治は祥太に問い掛けます。

「明日、帰るんだよな」
「うん」
「そっか」
「ねえ、ぼくを置いて逃げようとしたの」

祥太は、取調官から聞いた「あの人たちは君を置きざりにして逃げようとしたんだよ。本当の家族だったらそんなことしないよね」という話をただそうと、思い切って偽の父親・治に訊きます。

しかし、その答えは、「ああ・・・(置き去りにしようと)した。その前に捕まっちまったけどな」でした。

「そか」
「ごめんな」
「うん」
「父ちゃんさ、おじさんに戻るよ」

あの拘置所の面会室で信代の言った「もう分かったでしょう。うちらじゃダメなんだよ、この子には」と言い、さらに、夫・治の制止も無視して、祥太に彼を保護した場所とクルマの車種を伝えています、松戸のパチンコ屋で、クルマは習志野ナンバーの赤いヴィッツだと。

偽の父親・治もそのことを十分に理解し、「父ちゃんさ、おじさんに戻るよ」と伝えたのかもしれませんが、「でも、しかし」という思いは、治には断ちがたくあったに違いありません。それは、翌朝のバス停の場面によって証明されます。

バス停でバスを待ちながらふたりは言葉を交わします。

「施設の人にちゃんと謝るんだぞ。おじさんに無理やり止められたってな」

「うん、そうする」

いよいよバスが来て乗り込もうとする祥太(城桧吏)は、意を決したように、偽の父親・治にこう告白します。

「おじさん・・・わざと捕まった、ぼく、わざと捕まったんだ」

「そっか・・・そっか」

そして、動き出すバスを追いながら、「おいっ、祥太!」と偽の父親・治が何ごとかを伝えようと必死に走りながら叫ぶ姿が窓のすぐそこにあっても、祥太は振り返ることもなく下を向いたままじっとしています、やがてバスは加速し、もはや治の姿も見えなくなり、後戻りできないくらいに「距離」がついたときに、始めて祥太が振り返るというあの象徴的な場面があります。

あのとき、偽の父親・治は、なにを伝えようとしたのか、その声は確かに届いていたはずなのに祥太がなぜ振り返ろうともせずに、「もはや後戻りできないくらいの距離になったときに始めて振り返った」のか、偽の父親・治は、「おれには、万引きの仕方以外に教えられるものなんて何もない」といいながらも、「自分の本名をつけた痛切な思い」だけはどうしても伝えたかったのではないか、しかし、その治の問い掛けにも答えようとしなかった祥太の頑なな拒絶とのあいだにあった「溝」が、「なぜ」だったのか、ということだったとしたら、これは、あくまで自分だけの推測ですが、こんにふうに考えてみました。

思うに、祥太だけは、皮肉なことに他の子供たち、亜紀(松岡茉優)やゆり(佐々木みゆ)と同じような、この家族がそれぞれお互いを結束させた「虐待の記憶」(社会からはじき出された疎外感)を有しておらず、皮肉にも、この偽の家族のなかでは愛されて育った記憶しかなくて、だから祥太は「偽の家族」にすがりつくだけの「理由」を有していなかったのではないかと。

店に並べられている品物は、誰かに買われるまでは誰のものでもない、だから盗んでも構わないのだと、治から万引きの正当性を教えられた祥太は、それを信じ積極的に万引きを繰り返します。

しかし、そのとき彼に「信仰」はあったかもしれませんが、犯罪を犯すことの「理解」までは持っていなかったと思います、祥太が疑いもなくこの「万引きの哲学」を素直に受け入れたのは、なにもこの奇妙に屈折した哲学を理解し納得していたからではなくて、彼の「信仰」を支えたものは、「家族」で過ごした「幸せな日々」という時間だったに違いないと是枝監督は描いていたのだと思いました。

しかし、信代の失職と老婆の死(年金がからんでいます)によって一家の生活を支える収入が途絶えることを恐れて、さらなる「万引き」を必要とした過程で、「妹・ゆり」も、かつての自分と同じように、疑いもなくみずから万引きに手を染めていく事実を目の当たりにしたとき、「悪いこと」の意味をうすうす悟った祥太は、自分が捕まること以外に、この偽の家族の犯罪を止めることができないと考えて、それを実行に移したときに、祥太の「幸せな日々」も同時に破綻したのだと思います。

バスを追い掛ける治を祥太が振り返らなかった理由は、捕まったあのときに、祥太のなかでは、すでに「家族」との関係(紐帯)を断ってしまったからに違いありません。

信代が言った「もう分かったでしょう。うちらじゃダメなんだよ、この子には」とは、このことを指していたのだなと思いました。

しかし、いずれにしても、そのような祥太も、たとえ自分の子が姿を消しても失踪届さえ出されることなく厄介払いされた「忘れられた子供たち」のなかのひとりであることに違いなく、行き場のない子供・彼が絶望的な境遇であることには、なんら変わりがないのですが。

さて、次の「③ りんちゃんの最後のシーンは、何を意味しているの?」です、

ここまで書いてきて、迂闊ですが、この「りん」という少女の名前に幾つかの変転があったことに気がつきました、またまた録画で確認です。

なるほど、なるほど。

一人でいるところを保護し「家族」の家に連れてきたときにつけられた仮の名前が「ゆり」、テレビで行方不明者として報道されたのを知り慌てて髪を切って付け替えた名前が「りん」、本来は「じゅり」でしたよね。

取調室で、偽の父親・治が、彼女がひとりでいるところを保護したと言うと、取調官から、「それを誘拐というのですよ」と断じられた言葉とともに、信代の「捨てたんじゃない、捨てたものを拾ったんです。捨てた人っていうのは、ほかにいるんじゃないんですか」と返した言葉が的確に響き合います。

自分としては最初からこの「ゆり→りん→じゅり」を特に意識せずに使い分けていなかったので、いまさらどうしたものかと迷ったすえに、安直ですが露出度からいえば、「りん」とするのが一番ふさわしいと考え、この拙文を冒頭から改めて修正しようとしたとき、あの取調室における信代と取調官(池脇千鶴)のやり取りの場面を思い出しました。

信代は「りん」が家に戻されたことを知り、「戻りたいって言ったの? りんが?」と取調官に不審気に聞き返します。

すかさず取調官は「『じゅり』よ」と本来の名前に言い直しています。

「そんなこと言わないよ、あの子は」と信代は、そのことをつよく否定します。あのひどい虐待を受け、痛みつけられ、怯えきっていた「じゅり」では最早なく、生活をともにし、やっと安らぎを得て子供らしさを取り戻したワタシの娘の「りん」(これが信代のつけた名前です)が、ふたたび虐待を受けるしかない荒んだあの家に戻るわけがないと否定したのだと思います。

しかし、取調官は、信代が「りん」の名前にこだわる語気を察して、彼女の痛いところを突いてきます。(取調官のバイブル「供述心理」に記されたマニュアルどおりにです)

「子供にはねえ、母親が必要なんですよ」

「母親がそう思いたいだけでしょう? 産んだらみんな母親になるの?」

「でも、産まなきゃなれないでしょう。あなたが産めなくて、つらいのは分かるけどね、うらやましかった? だから淫売したの?」と取調官は、信代の自尊心を傷つけるような屈辱的で侮辱的な質問をたたみかけて挑発します。

「そんな・・・憎かったかもね、母親が」

挑発にのせられて、動揺する信代に浴びせかけるように取調官は言い募ります。

「ふたりの子供は、あなたのこと、なんて呼んでました、ママ、お母さん?」

そしてここで、安藤サクラの迫真の演技が展開されるのですが、この場面を最初に見たとき、あの拭っても拭っても湧き出る涙は、「でも、産まなきゃ母親にはなれないでしょう」というぶしつけな言葉の屈辱に耐えた「悔し涙」だろうか、それとも自らが犯した罪の「悔悛」かとずっと考えていました。

実は、取調官の「子供たちは、あなたのこと、なんて呼んでいました、ママ、お母さん?」と尋問され、嗚咽で身を震わせて涙を流したあとで、信代は、ふた言、なにごとかをつぶやいたのですが、残念ながらその言葉をどうしても聞き取ることができませんでした。

しかし、たとえ聞き取れなかったとしても、それはそれで良かったと思い始めていました。

せいぜい「仕方ない」とか「私が悪かった」とか、そういうことだろうと考えたからですが、少しずつ時間が経つにつれて、彼女は「そいういことじゃない」と言っているように聞こえて仕方なくなりました。ただ産んだからといって誰もが親になれるわけではない、子供なんか持つべきでない弱々しい親たちが、自分を傷つけるだけでも足りず、子供まで虐待し殺してしまう、どうしてそんな人間が「親」といえるのか、と。

なので、ここはどうしても信代の思いを受けて「りん」という名であらねばならないと強く確信しました。あっ、村上春樹みたいになってしまいました。

りん(佐々木みゆ)は、人気のないアパートの廊下で、ひとりで遊んでいます。そこは、かつて彼女が「偽の家族」に拾われた場所でもあり、実家に帰されたあとも、やはり以前と変わらない母親の虐待にさらされ、思い余って再び同じ場所に逃れてきていることが分かります。

やがて、彼女は囲いの隙間から何かを見止めて柵から伸び上がり、遠くを見た一瞬、目を見開いて「あっ!」という顔のアップでこの映画は不意に終わります。

これが、この映画「万引き家族」のラストです。

親から見捨てられたこの少女が、いったいなにを見たのかについてまでは、この映画ではことさらな説明があるわけではありませんし、分からないのですが、ただ、「たぶん」という仮定で語ることが許されるなら、それは偽の父親・治か、あるいは他の「家族」の姿を見たからだ、ぜひとも「そうあってほしい」という自分の甘々な願望を打ち消すことがどうしてもできませんでした、親から虐待され、行き場を失ったこの薄幸の少女にだって安息の場所がきっと許されていいに違いない、というせめてもの妄想に浸れた一瞬の「あっ!」だったことには間違いありません。


(2018)監督・脚本・編集・是枝裕和、製作・石原隆、依田巽、中江康人、プロデューサー・松崎薫、代情明彦、田口聖、アソシエイトプロデューサー・大澤恵、小竹里美、撮影・近藤龍人、照明・藤井勇、録音・冨田和彦、美術・三ツ松けいこ、装飾・松葉明子、衣装・黒澤和子、ヘアメイク・酒井夢月、音響効果・岡瀬晶彦、音楽・細野晴臣、助監督・森本晶一、キャスティング・田端利江、制作担当・後藤一郎、ラインプロデューサー・熊谷悠、製作プロダクション・AOI Pro. 配給・ギャガ
出演・リリー・フランキー(柴田治)、安藤サクラ(柴田信代)、松岡茉優(柴田亜紀)、城桧吏(柴田祥太)、佐々木みゆ(ゆり(りん、北条じゅり))、樹木希林(柴田初枝)、池松壮亮(4番さん)、緒形直人(柴田譲)、森口瑤子(柴田葉子)、蒔田彩珠(柴田さやか)、山田裕貴(北条保)、片山萌美(北条希)、黒田大輔(JK見学店店長)、松岡依都美(根岸三都江)、清水一彰、毎熊克哉、井上肇、堀春菜、柄本明(山戸頼次)、高良健吾(前園巧)、池脇千鶴(宮部希衣)、


第10回 TAMA映画賞・最優秀作品賞、最優秀女優賞・安藤サクラ、松岡茉優
第42回 山路ふみ子映画賞・山路ふみ子女優賞・安藤サクラ
第4回 エル シネマアワード・エル シネマ大賞
第43回 報知映画賞・助演女優賞・樹木希林
第36回 ゴールデングロス賞・優秀銀賞
第40回 ヨコハマ映画祭・主演女優賞・安藤サクラ、助演女優賞・松岡茉優
第31回 日刊スポーツ映画大賞・作品賞、主演女優賞・安藤サクラ、助演女優賞・樹木希林
第42回日本アカデミー賞・最優秀作品賞、最優秀監督賞・是枝裕和、最優秀脚本賞・是枝裕和、最優秀主演女優賞・安藤サクラ、最優秀助演女優賞・樹木希林、最優秀音楽賞・細野晴臣、最優秀撮影賞・近藤龍人、最優秀照明賞・藤井勇、優秀主演男優賞・リリー・フランキー、優秀助演女優賞・松岡茉優、優秀美術賞・三ツ松けいこ、優秀録音賞・冨田和彦、優秀編集賞・是枝裕和、
第61回 ブルーリボン賞・助演女優賞・松岡茉優
第43回 エランドール賞・特別賞・「万引き家族」製作チーム
第73回 毎日映画コンクール・日本映画大賞、女優主演賞・安藤サクラ
女優助演賞「樹木希林」
第28回 東京スポーツ映画大賞・作品賞、主演男優賞・リリー・フランキー、主演女優賞・安藤サクラ、助演女優賞・松岡茉優
第14回 おおさかシネマフェスティバル・日本映画 作品賞ベストテン 第2位
第92回 キネマ旬報ベスト・テン・日本映画ベスト・テン 第1位、主演女優賞・安藤サクラ、読者選出 日本映画監督賞・是枝裕和、読者選出 日本映画ベスト・テン 第1位
第23回 日本インターネット映画大賞・日本映画作品賞 第2位、日本映画監督賞・是枝裕和、日本映画助演女優賞・樹木希林、日本映画ベストインパクト賞・樹木希林
2018年度 全国映連賞・日本映画作品賞、監督賞・是枝裕和、女優賞・安藤サクラ
2018年度 芸術選奨文部科学大臣賞・映画部門・黒澤和子
2018年 日本映画ペンクラブ賞
2018年度ベスト映画 日本映画部門 第1位
第38回 藤本賞・藤本賞・是枝裕和
第71回 カンヌ国際映画祭・コンペティション部門 パルムドール(最高賞)
第36回 ミュンヘン国際映画祭・シネマスターズ・コンペティション部門 アリ・オスラム賞(外国語映画賞)
第55回 アンタルヤ国際映画祭・監督賞・是枝裕和
第37回 バンクーバー国際映画祭・外国長編映画観客賞
第3回 スレマニ映画祭・長編作品審査員賞
第76回 ゴールデングローブ賞・外国語映画賞ノミネート
第24回 放送映画批評家協会賞・外国語映画賞ノミネート
第44回 ロサンゼルス映画批評家協会賞・外国語映画賞
第3回 ニューメキシコ映画批評家協会賞・助演女優賞・安藤サクラ
第39回 ボストン映画批評家協会賞・外国語映画賞、アンサンブル・キャスト賞
第23回 フロリダ映画批評家協会賞・外国語映画賞、助演女優賞・安藤サクラ
第53回 全米映画批評家協会賞・外国語作品賞 3位入賞
第72回 英国アカデミー賞・外国語映画賞ノミネート
第30回 パームスプリングス国際映画祭・外国語映画賞
第44回 セザール賞・外国語映画賞
第91回 アカデミー賞・外国語映画賞ノミネート
第16回 国際シネフィル協会賞・主演女優賞・安藤サクラ



by sentence2307 | 2019-05-29 11:50 | 是枝裕和 | Comments(0)