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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:ジョナサン・テプリツキー( 1 )

伝記映画が好きなので、目の前に「パニック映画」とか「冒険活劇」、「西部劇」、「オカルト映画」があって見る選択をしなければならないときに真っ先に見るのは、やはり「伝記映画」ということになります、加えてそれが「歴史もの」となれば躊躇する理由などいささかもありません、でも考えてみれば、映画って多かれ少なかれ「伝記映画」みたいなものかもしれませんね。なので、今回は問題なく、どの作品よりも優先して「チャーチル ノルマンディーの決断」を見ることにしました。

この「ノルマンディー上陸作戦」なら、ぼくたちの映画の鑑賞経験からいっても、幾らでもド派手に作ることのできるオールスター・キャストが可能な超大作映画になる題材なのに、「イギリスが作るとなると、こうなるか」の見本みたいな、自分たちのバラ色の固定観念の横っ面を思い切り張り倒してくれたスコブル後味の悪い、常人にはちょっと理解しがたい映画を見てしまいました。

それは、結局、どんな題材でもシェイクスピア風にまとめてしまうという「お座敷芸」といってしまえばそれまでですが、はっきり言ってそれは彼の国の「悪弊」以外のなにものでもありません。とくに映画にとってはね。

それにしてもこれってひどくないですか、自分では金科玉条だと固く信じ込んでいるその方法、いくらご立派な「シェイクスピア方程式」かもしれませんが、あらゆるストーリーにこれをそのまま当て嵌めることができるかどうか、この現代にあってはおのずからホドってものがありますから。これじゃあまるで後先のことも考えずに目先の利害と威信だけにこだわってEUを離脱してしまおうという「あの考え方」と同質のものを感じます。後世、国民投票が愚衆政治につながってしまういい例として残ってしまうかも。

いわばこれが、むかしからイギリスが持っている融通のきかない頑なな歴史的認識というものかもしれません、たとえそのために映画という「絵空事」であることで救われる良質な部分を損ない、時間の経過がようやく癒し固定できたはずのものが、一方的な認識によって淡色で描いて成立した気安さを一向に理解できず、相も変わらず深刻ぶって蒸し返しぶち壊すことで悦に入っているものの、その実体は実に薄っぺらでバレバレな自己正当化でしかない例のアレですよね。

特に、あの戦争で米英ソに標的にされ、きたない罠にはめられて痛い目にあった極東の島国の子孫にとっては、実にミエミエな「アレ」にすぎません。

この映画の違和感は、あのチャーチルが、かつて自分の作戦のために多くの死者を出してしまった「ガリポリの戦い」の失敗の記憶に捉われ・苛まれ、まるで悩めるハムレットのように煩悶・悲嘆し、アメリカの提案するノルマンディー上陸作戦(膠着状態にある戦局を一挙に覆し好転させようという捨て身の画期的な作戦です)に対しても「そんなことをしたら、多くの若者の命が失われるではないか」などと難色を示し、グズグズと反対する苦悩が描かれ続けます。戦争の端緒はどうであれ、多くの戦争を指揮してきた指導者の態度としては「それってどうなの?」という理解不能の実に煮え切らない驚くべき醜態です、「んなわけないだろう」という。

傑出した指導者・政治家なら、国を守るための戦争で一定の死者がでるのはハナからあたりまえのことで、いまさら悩むなどありえません、いい加減にしろと。

黒かったり黄色かったりする肌の色の民衆の自主独立の悲願を踏みにじり、散々に弾圧してきて(それも自分の手を汚さずに現地人同士を戦わせ弾圧・互いに殺戮させるという実に狡猾にして悪辣な悪魔の施策です)、そうした植民地経営の圧制のもとで殺戮の限りを尽くしてきたあの大英帝国(「大映」帝国ではありません)の指導者たるもの、悩むにしても、もうちょっと「戦略的な」深みがなければコタビの戦争で痛い目にあった東洋の黄色い観客のひとりとしては納得することなどできません。「ヒューマニズムだと」なにをいまさらほざきゃあがるんでい、片腹痛いわ、このやろう、こんな映画、到底信用するわけにはいきません。

しかもこの映画、ご丁寧にも、まさに明日、天候が回復したらノルマンディー上陸作戦が決行されようかという前夜、チャーチルは、多くの死者を出すくらいなら、むしろ、作戦が決行できないほどの嵐がくるように神に祈る場面さえ僕たちは見せつけられます。

えっ~!? あのチャーチルが!?  まさか、そんなことするわけないだろうが!?

これじゃあまるで、就寝前、宿題をしていないことを思い出した小学生が焦りまくり、翌日、突如台風がきて学校が休みになってください、あるいは、世界が破滅してみんなも死んで学校もなくなってしまいますようにと必死になって祈るようなもんじゃないですか、このチャーチルの浅はかな描き方には、心底呆れ返ってしまいました。結局、嵐も来ることなく、世界も破滅しなければ、せいぜい腹痛とかの仮病をかたってズル休みをしてしまおうという、これはその程度の低次元の貧しい発想と想像力によって撮られた、冷笑にも値しない(そんなことをしたら「冷笑」の品位が穢れます)、このところついぞ見たことも聞いたこともないぶざまなシーンでした。

少し前、自分はこのブログで、チャーチルの名言に感銘し、その幾つかを取り上げたことがありました。

例えば、
「上手な演説というのは、女性のスカートのようでなければならない。大事な点をカバーするだけの十分な長さが必要だが、興味をかき立てる程度に短くなくてはならない」
というものなのですが、無骨な「スピーチ」を論じるにあたりで、そうなのかなと思っていると、突如「スカート」を引き合いにだしてきて、「大事な点」という硬直のはずのイメージを一挙に艶めいて色っぽく変化させてしまうという言葉の魔術、言葉が有しているイメージをアクロバット的に重ねる言葉のモンタージュによって見える景色(映像)を一変させてしまう才能への驚きと衝撃の経験を書いたものでした。眼前には突如ミニスカートから覗くムチムチ・テラテラの太ももが現出し、官能的にうごめき、こすり合わされ、想像力は強引にスカートのさらにその奥、なにやらもやもやしたエロスの極致へとムラムラっと誘われます、う~ん、まったくもう。これじゃあイザナワレナイわけにいきませんから!! 

このような機知は、すぐれた一握りの政治家以外、並みの人間には到底できることではありません。彼らは「言葉」によって民衆を動かすことのできるプロなのだと思います。そしてまた、民衆はすぐれた政治家になら思うままに動かされてみたいと常に渇望し望んでいる存在なのだとも思います。

チャーチルに動かされる民衆もいれば、ヒトラーに動かされる民衆もいて、それは必ずしも幸とか不幸とかの問題ではなくて、政治家への「酔い方」のカタチのような気がします。しかし、その酔いは、いずれ大きな「代償」を払わされる「悪酔い」となるか、あるいは「果実」を受け取れる「夢」となるのかの違いであって、その「選択」可能の猶予の時期に民衆がどのような質の「酔い」を持ったのか拒んだのか、それはそれら民衆が経てきた歴史的資質が問われる問題でもあることは、たとえば某国の大衆迎合に溺れ込み愚民政治に奔走しウツツをぬかしたあげく、土下座外交で媚びへつらった北朝鮮から剣突をくらって無能な馬脚をあらわし、もはや世界からも相手にされず、ついに国を傾けてしまった憐れで愚かな政治家の例をあげるまでもありません。地位を利用した身内びいきで、私利私欲に走り公金を横領して、私腹を肥やしたこの国の多くの先達と同じように、このイカサマ野郎の将来もまた入獄か自殺かの悲惨な末路がすぐそこに待ちうけているなんてことは容易に予想することができます。

さて、この映画に描かれているチャーチル、最後には、周囲からの奥さんとか、秘書官やうら若きタイピストから諌められてようやく国民の指導者としての責任と冷静さを取り戻し、「ノルマンディー上陸作戦」を承諾して、あの史上名高い戦意鼓舞の感動のラジオの名演説に至るというラストになるわけですが、ただ、この映画の冒頭に出てくるチャーチルが移動の自動車の中でスピーチの文案を考えているという場面、秘書官はあれこれと言葉の言い回しや選択等の助言するのを、あるいは撥ね付けたり、あるいは渋々受け入れたりする描写が出てくるのですが、あの場面にもなんだか違和感を覚えました、チャーチルが自らの演説のああした細々とした言葉づかいに対して、あのような神経質なチェックをしただろうかという疑問です。

チャーチルなら、前述した「スピーチ」を「スカート」に例えたような、演説をいかに民衆に分からせることができるかと細心に注意し、様々な機知に思い巡らせたとしても、まさか「細々とした言葉づかい」までも神経を尖らせていたとはどうしても思えません。そういうチェックは、それ以前に秘書官の仕事であって、チャーチルはもっとその先の民衆に分かりやすい皮肉と諧謔に富む「譬え」に思いをめぐらせていたに違いないと思うのが、自分のイメージです。公文書として残るタイプ文書ならともかく、場の勢いを必要とする演説です、そこは「もの」が違うと思いました。

さて、この映画の中で、さらにひどいと感じたテイタラクな場面があります。

「ノルマンディー上陸作戦」をチャーチルが拒んだ驚くべき理由(もうこれ以上若者の死体を見るのはこりごりだ)によって反対の意思を示唆した連合国軍最高司令官アイゼンハワーから、「あんたの意見なんか求めていない。オレは軍人として、やるべきことをやるだけだ」ときっぱり、時代遅れのジジイは引っ込んでろと無視されます。

喧嘩の流儀として売り言葉に買い言葉というものがあるなら、ここは「これでも自分は一国の指導者だぞ、コレコレの理由で反対するのだ、ばかやろう」くらいのことは当然言わなければならないところでしょうが、この映画においてチャーチルの持っている札は、なにせ「弱々なヒューマニズム」だけなのですから、反論もへったくれもありません。

ですので、この映画に描かれているチャーチルは、自分が知っているチャーチルとは、似ても似つかないマガイモノの人物というしかありませんでした。

ただひとつだけ、書いておかなければならないことがあります。

この映画の感想を読んでいたら、チャーチルの奥さん「クレメンティーン」を演じたミランダ・リチャードソンを評価した記事を幾つか見かけました。まあ、コトは「見かけました」程度ですので、評価とまでいえるかどうか疑わしく、むしろ正確にいえば「違和感のある演技なので目についた」程度と考えたほうがいいかもしれません。

自分としても、この妻が宰相チャーチルを心から愛し、尊敬し、信頼して、陰ながら身をもって尽くすという良妻賢母のタイプの「演技」というわけではなく、すこし違う「妻」を演じていたことは気がつきました。

むしろ、たとえば、面倒くさい上司(課長)の下に配属させられてしまった「課長補佐」が、ふて腐れてか開き直ってかして、職務だからすべきことは仕方なくするけれども、それ以上のことはしないからね、それに理不尽な命令なら面と向かって言い返すくらいに冷たく見据え、「あんたのために、なんでオタクの失敗を自分が背負い込まなくちゃならないわけ」と突き放している感じは持ちました。

実は、このミランダ・リチャードソンのデビュー作というのを自分は見ています、その作品を、当時、高く評価した記憶が鮮明によみがえりました。

ですので、多くの方々が持ったかもしれない彼女の演技への「違和感」は、自分のそれとはちょっと質の異なったものでした。

その映画の題名は「ダンス・ウイズ・ア・ストレンジャー」、イギリス最後の絞首刑を受刑した女性ルース・エリスの実話を映画化したもので、ロンドンの酒場でホステスをしていたルースが、自分を真剣に愛してくれる男がいるのに、名家の御曹司の遊び人に入れあげて一方的に付きまとったあげく、無視されて彼を射殺してしまうまでを描いた衝撃作でした。カンヌ映画祭でヤング映画賞というのを受賞したそうです。

当時のこの映画のイメージを思い出すためと、もちろん懐かしさというものもありますので、そのときのコラムを以下に引用してみますね。

《【ダンス・ウイズ・ア・ストレンジャー】(2004. 11. 12)
マイク・ニューエルのこの作品、確か公開時の宣伝コピーは、「1955年、イギリスで最後に絞首台にのぼった女ルース・エリス」だったと思います。
イギリスでは、現在は、死刑制度が廃止されているという社会的な背景が前提になっています。
そして、これは、ふたりの恋人の間で苦悩した末に、憎悪の対象であるとともに最愛の恋人でもあった男を射殺するに至る女の生々しい情念を痛切に描いた傑作です。
僕自身がもっている「女性の愛し方というもの」についての固定観念を根本から揺るがすような、ものすごいショックを受けた作品でもありました。
そういえば、かつて、邦画で同じような感想を持った作品があったことを思い出しました。
吉村公三郎の「越前竹人形」です。
竹細工師の父親が世話をしていた遊女・玉枝を、父の死後、独りぼっちになった女への同情心から、息子が妻として娶ります。
彼は、その美しさを愛でるように玉枝に似せた竹人形の製作に打ち込みます。
「美しいままの存在」で満足している息子に対して、成熟した肉体をもつ玉枝は、何もないままの夫婦生活に欲求不満をつのらせ、偶然に昔の馴染み客(記憶では、西村晃演ずる行商人)と情交をもって不倫の子を宿してしまい、堕胎に失敗し絶命する、という悲劇でした。
若尾文子が官能的に演じたその女は、最初、強姦とも言える無理矢理の情交を強いられたのち、ずるずると続けられる泥沼のような情事にのめり込んでゆく中で、次第に意に反するような肉体の悦楽を覚えてしまいます。
女は、気持ち的には貞淑な妻であろうとし、また、夫を心から愛してもいながら、肉体がどうしようもなくケダモノのような男を求めてしまう肉欲の在り方に、僕は、強い衝撃を受けたのだろうと思います。
心情的には深く夫を愛し、貞淑であろうとする気持ちと、道ならぬ情交の相手の肉体を貪欲にまさぐるという剥き出しの欲望とが、ひとりの女性のなかで違和感なく一体のものとして同時に存在できるという「性欲」の発見は、僕にとって女性の見方を一変させるほどの衝撃だったのだろうと思います。
「ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー」の中で、そのことを象徴するようなシーンがあります。
ナイトクラブの雇われマダム・ルースが、ひと目惚れした客の青年ディヴィッドと店の二階で性交にふける場面です。
そばには、連れ子の赤ん坊が激しく泣いています。
泣き続ける赤ん坊をほったらかしにして、欲望のままに相手の体を激しく求めるというこの描写は、何もかも棄てて、破滅に至ることさえも厭わない彼女の愛欲のあり方をそのまま象徴しているシーンでもあります。
彼女には、親身になって心配してくれる恋人デズモンドがいて、新しい生活の建て直しを決意する度に、ディヴィッドがあらわれて、すべてをメチャクチャにしてしまいます。
「女」が欲しくなればルースの体だけを求めにやって来るディヴィッドと、彼が現れれば、何もかもが壊されてしまうことが分かっていながら、そして憎しみながらも、彼に体を許してしまうルース。
デズモンドとの暮らしの中でも、彼の目を盗んでディヴィッドに逢いに行くその繰り返しの中で妊娠し、途端に逃げ腰になるディヴィッドとの地獄のような関係を清算するために、ルースは、ディヴィッドを射殺します。
ふたりの間に超えがたい階級差別がさり気なく描かれていたことも忘れられません。
この作品は、1985年カンヌ国際映画祭ヤング大賞を受賞した忘れがたい1作です。
Dance with a Stranger
(1985イギリス)監督・マイク・ニューウェル、脚本・シェラ・デラニー、製作・ロジャー・ランドール=カトラー、音楽・リチャード・ネヴィル・ハートレー、撮影・ピーター・ハナン、編集・ミック・オーズリー、美術・アンドリュー・モロ、衣装デザイン・Pip Newberry
出演・ミランダ・リチャードソン(ルース・エリス)、ルパート・エヴェレット(David Blakely)、イアン・ホルム(Desmond Cussen)、ジョアンヌ・ウォーリー(クリスティーン)、マシュー・キャロル(Andy)》


この映画のミランダ・リチャードソンの印象が強烈で、見た当時は衝撃に似た感銘を受けたのですが、その印象を結局忘れてしまったのは、以後の話題作に恵まれなかったからなのかと、彼女の出演作を改めて検索してみました。

なるほど、なるほど。そうですか。

いままでの出演作を以下にリストアップしてみたのですが、このうち見た作品は幾つかあるのに、まったく印象にありません。不思議です。

まだ、これはという作品とか、はまった役に恵まれないということでしょうか。

役柄を深く掘り下げたくとも、それにふさわしい役に恵まれないまま、掘り下げなくともいいような役を重く演じてしまったために、かえってそれがアダとなり、観客に負担を抱かせて、あえてスルーさせるものがあったというか、あるいは、ずばり忌避だったのか、そんな感じだったのかもしれません。

つい最近見た「ボストン ストロング 〜ダメな僕だから英雄になれた〜」の母親役は、まさにそんな感じでしたよね。



★ミランダ・リチャードソン出演作・カッコ内は、役名

1985
ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャーDance with a Stranger(ルース)
ひと夏の青春The Innocent(メアリー・ターナー)
アンダーワールドUnderworld(オリエル)

1987
金持ちを喰いちぎれEat the Rich(DHSS Blonde)
太陽の帝国Empire of the Sun(ヴィクター夫人)

1989
ベーゼ/崩壊の美学El sueño del mono loco(マリリン)

1991
魅せられて四月Enchanted April(ローズ・アーバスノット)ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 受賞

1992
クライング・ゲームThe Crying Game(ジュード)
ダメージDamage(イングリッド)英国アカデミー賞 助演女優賞 受賞

1994
愛しすぎて/詩人の妻Tom & Viv(ヴィヴィアン・エリオット)
ファーザーランド〜生きていたヒトラー〜Fatherland(シャーロット・マグワイア)テレビ映画

1995
欲望の華The Night and the Moment(ジュリー)

1996
カンザス・シティKansas City(キャロライン・スティルトン)
夕べの星The Evening Star(パッツィ・カーペンター)

1997
鉄の枷The Scold's Bridle(サラ・ブラックネイ)

1999
アリス・イン・ワンダーランド/不思議の国のアリスAlice in Wonderland(ハートの女王)テレビ映画
王様と私The King and I(アンナ)声の出演
第一の嘘The Big Brass Ring(ディナ)
スリーピー・ホロウSleepy Hollow(ヴァン・タッセル夫人)

2000
チキンランChicken Run(ミセス・トゥイーディ)声の出演
追撃者Get Carter(グロリア)

2001
スノーホワイト/白雪姫Snow White(エルスペス)

2002
スパイダー/少年は蜘蛛にキスをするSpider(イヴォンヌ/クレッグ夫人)
めぐりあう時間たちThe Hours(ヴァネッサ・ベル)

2003
ロスト・プリンス 〜悲劇の英国プリンス物語〜The Lost Prince(メアリー王妃)テレビ映画
フォーリング・エンジェルスFalling Angels(メアリー・フィールド)

2004
プリティ・ガールThe Prince & Me(ロザリンド女王)
チャーチルズ・ウォーChurchill: The Hollywood Years(エヴァ・ブラウン)
オペラ座の怪人The Phantom of the Opera(マダム・ジリー)

2005
ナターシャの歌にGideon's Daughter(ステラ)テレビ映画
ハリー・ポッターと炎のゴブレットHarry Potter and the Goblet of Fire(リータ・スキーター)

2006
パリ、ジュテームParis, je t'aime
サウスランド・テイルズSouthland Tales(ナナ・メエ・フロスト)

2007
ブラザーサンタFred Claus(アネット・クロース)

2009
ヴィクトリア女王 世紀の愛The Young Victoria(ケント公爵夫人)

2010
ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1 Harry Potter and the Deathly Hallows - Part 1(リータ・スキーター)

2014
マレフィセントMaleficent(ウラ女王)

2017
ボストン ストロング 〜ダメな僕だから英雄になれた〜Stronger(パティ・ボウマン)
チャーチル ノルマンディーの決断Churchill(クレメンタイン・チャーチル)



★チャーチル ノルマンディーの決断
(2017イギリス)監督・ジョナサン・テプリツキー、脚本・アレックス・フォン・チュンゼルマン、撮影監督・デヴィッド・ヒッグス、美術・クリス・ループ、音楽・ローン・バルフ、編集・クリス・ギル、衣装・バート・カリス、ヘア&メイクアップ・ケイト・ホール、
出演・ブライアン・コックス(ウィンストン・チャーチル)、ミランダ・リチャードソン(クレメンティーン・チャーチル)、エラ・パーネル(ミス・ギャレット)、ジョン・スラッテリー(連合国軍最高司令官アイゼンハワー)、ジェームズ・ピュアフォイ(英国王ジョージ6世)、ジュリアン・ウェイダム(モンゴメリー将軍)、リチャード・ダーデン(Jan Smuts)、ダニー・ウェブ(Marshal Brooke)、



by sentence2307 | 2019-06-16 18:55 | ジョナサン・テプリツキー | Comments(0)