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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:パトリス・ルコント( 1 )

髪結いの亭主

ある女性評論家のコメントで、ルコントの、特にこの作品を、子供じみた男の身勝手さばかりが鼻について、とても見ていられない、嫌悪さえ感じる、という毛嫌いともいえる激しい感想を読んだことがありました。

女性の側からすると、確かにそうかも知れないな、と思います。

職業を持って社会的に自立した「ちゃんとした?」女性が、なんの取り柄もないこんな中年男に、ただ性的に魅かれて、ヒモのような存在でいることを許すという感覚が耐え難いのだと思います。(もし本当にそう思うなら、この人、なにもよりによって映画評論なんかしなくてもいいと思うのですが)

主演のロシュフォールは、1930年生まれということですから、無理ある年齢設定への嫌悪感には、やはり同調せざるを得ないものがありますが、では、何故そんな「うだつ」の上がらない老人に若いマチルドが魅かれたのかと考える時、ルコントの仕掛けた意味深な罠に気づきます。

きっと、その女性評論家も、寄生虫のような亭主(もはや死語となりましたが、昔は、男めかけ(妾)などと言ったものです)への非難にかこつけて、実は自分の欲望をそんな形であからさまにする性的に「ちゃんとしてない」マチルドの節操を欠いた生き方を同性として嫌悪し、拒否したのかもしれません。

例えば、マチルドは、仕事中に密かに体を触られたりすることを嫌がるどころか、むしろ、男をはべらかし、行為を仕掛けられることをも含めて、そうされることを求めている節さえ見受けられます。

また、それを証すように、彼女は、常々、男が自分に関心をなくせば、男の前から潔く姿を消す、とさえ言っていました。

事実、ある日、唐突にマチルドは濁流に身を投じて自殺してしまいます。

しかし、それにしても「自分に関心をなくしたら」とは、相手にただ求めるだけの随分自分勝手な理屈ですよね。

対人関係の円滑を保つための精密さが求められる恋愛においては、時には自分の感情を抑えつけてでも相手の立場を優先させねばならない局面にしばしば遭遇し、またその調整を経験的に学んでいくことによって恋愛関係が日常性を獲得するものなのですが、この映画では、そうした愛憎のぶつかり合いは巧みに逸らされ、だから、何の前触れもなくと感じてしまうほどの「突然の」破局が描かれるのです。

あるいは、単純化して、その辺のごちゃごちゃの部分をすべて取っ払い、この映画を、一人の女性と出会ってから彼女が自殺してゆくまでを、ただ為すすべもなく傍観した男の話とでも要約したら、あるいは何かが見えてくるかもしれませんが、しかし、いずれにしても、それはあまりに孤独な人間関係(とさえ言えないかもしれないほどのもの)であることには変わりありません。

極論すれば、この映画に描かれている男と女の恋愛と同棲生活は、お互いが相手を実体として何も必要としてない、それぞれの自慰のような一方的な関係に思えるのです。

例えば、密かに慕う女を遠くから、ただ「のぞき見」ているだけで十分満足する「仕立て屋の恋」の延長線上の恋愛の形とでも言えばいいのでしょうか。

冒頭の女性評論家の嫌悪が、あるいは本能的にこのあたりに向けられていたのかもしれないと何となく思えてきました。
by sentence2307 | 2005-02-22 23:42 | パトリス・ルコント | Comments(0)