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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:ヴィクター・フレミング( 6 )

風と共に去りぬ

最近の不安定な株価を見ていたら、つい、つられて変なことを考えてしまいました。

よく世界の映画評論家が選定するというランキングってあるじゃないですか、ベスト100位まで選んで、だいたい、いつも第1位は「市民ケーン」が選ばれるっていう、あれです。

あの選定は、たぶん数年毎とか十年毎とかに行われているのでしょうけれども、なんかいつも同じような作品が選ばれているので、いつの間にか関心がなくなってしまいました。

ただ、あれを株価みたいに時代々々の人気の変化に応じて、作品のランクを日々乱高下させてみたらどうかな、なんて馬鹿なことを考えました。

ランキングを総入れ替えしてしまうほど、あるとき突然名作が輩出されるなんてことは、ちょっと考えられませんし、そこは不朽の名作群です、変わり映えしないのは、当たり前ですよね。

しかし、思いつきそのものは、それほど突飛なことではないかもしれません。

別に意識しなくとも、自分の中だけでは、結構それっぽいことを普通にしてきたことだったような気がします。

あのベスト100を見ていると、どうしてこの作品がこんなに上位なんだとか、あるいは、逆に下位なんだとか思うことが結構あるような気がします。

日本人の立場から言わせてもらうと、何故もっと日本の監督の作品がランクアップされないのだという不満とかも当然ありますから。

そして、もうひとつの印象は、日本で高い評価を受けている作品が、アメリカ本国では、意外とそうでもないような作品に出会ったりすることもあります。

たとえば、僕にとって、そういう印象を持っていた作品に「風と共に去りぬ」がありました。

日本では、この作品のファンは物凄く多いと思います。

僕の周囲にいる映画をよく見ている女性たちの「風と共に去りぬ」への熱い思い入れからすると、この作品を「駄作だ」などといおうものなら、彼女たちから爪弾きされ、袋叩きにされかねない殺気立った雰囲気さえ感じますし、とにかく日本におけるこの作品に対する人気は、異常なものがあるという印象です。

それだけに、「風と共に去りぬ」という作品が、アメリカにおいても日本と同じように、評価を受けているのかというのが、僕の素朴な疑問でした。

そこで、例のAFIベスト100を検索して確かめてみました。

なるほど、なるほど、これは失礼しました。

「風と共に去りぬ」は、「市民ケーン」、「カサブランカ」、「ゴッドファーザー」に続いての堂々第4位でした。

一応アメリカでの評価を確かめたのですから、所期の目的は達したわけで、もう十分なのですが、まだ少し腑に落ちない部分がありました。

アメリカで好まれている理由が、日本で好かれている理由と本当に一緒なのか、懐疑的にならざるを得ない理由は、黒人差別など南部の嫌な部分をアカラサマにしている部分、「これがアメリカだ」と言い切っているのは南部の人間だけで、あとの半分のアメリカ人は冷ややかにこの映画を見ているのではないかという疑問です。

この映画が謳い上げている嫌味な部分を、「あとの半分」のアメリカ人がどう克服して「評価」の一票を投じているのか、それに、黒人がこの映画を見て「いい映画だ」と思うかどうか、すごく知りたいところではあります。

それに、日本人が、この作品を手放しで賞賛する理由も、よく理解できません。

実は、その理由を、自分なりにこじつけてみました。

入り口は
「スカーレット・オハラは、本当にレット・バトラーを好きだったのか」
という設問から出発します。

それは、もちろん「好き」だったと思います。

ただ、彼の愛を受け入れるためには、南部という土地を心から愛するスカーレットにとって、許すことのできない深刻な障碍もあったのだと思います。

金儲けのためなら、北軍・南軍のどちらにでも、金を多く出すほうに武器を売るという彼の無節操な徹底した処世哲学、いわば「死の商人・バトラー」が許せなかったのだと思います。

金が儲かりさえすれば、北軍も南軍も、忠誠も不忠誠も、そんなものは無価値だという価値観の前で、スカーレットはもう一歩を踏み出すことができなかったに違いありません。

「金が儲かりさえすればいい」という考え方を資本主義の根本精神だとすると、「それだけじゃない」と信じたい部分を指示する人々、つまり、もうひとつ徹底した資本主義に馴染めないでいる日本人が、そこにいるような気がします。

南部という土地にこだわるスカーレットの意固地な生き方が好ましく思われる、それが理由かと。

日本経済が世界に伍していくには、もうひとつ弱い核の部分に、そういうこだわりがあるのかもしれません。

実は、レット・バトラーのモデルになったであろうとされる人物がいます。

その名は、J・P・モルガン。

軍から安値で払い下げてもらったポンコツ銃を、戦争が始まるや再び高値で軍に売りつけて巨額の富を得、財閥の祖となった人物です。

株がらみの話で落ちのついたところで、そろそろ失礼します。
by sentence2307 | 2008-02-02 16:18 | ヴィクター・フレミング | Comments(0)

風と共に去りぬ

この作品、つい最近もビデオを引っ張り出して見ています。

いろいろと問題を抱えている作品ですが、それだけに興味が尽きないのだと思います。

聞くところによると、現在のアメリカ合衆国では、公民権運動の結果、この映画は人種差別映画との評価をされて公的な場所では上映禁止となっているとか。

原書では、ニガーやダーキーというあからさまな言葉が頻繁に使われ、更にクー・クラックス・クラン(KKK)まで登場してきます。

アメリカ人がこの映画を国民的映画と思っているなら、それは単に意思の強い南部女のラブ・ロマンスとだけ見ている訳ではないという所を分かっていないと、ちょっとまずいかなという気がします。

スカーレットのコルセットを閉めているしつけの厳しい黒人の乳母マミーの役を演じたハッティ・マクダニエルは、この作品で黒人女優初のオスカー、アカデミー最優秀助演女優賞を受賞しましたが、逆に、この受賞で、皮肉にも以後ハッティにもたらされた役は乳母役に限定されたばかりでなく、多くの黒人女優たちの、何か他に演じることができるかもしれない可能性の芽をも潰す結果を作ったというシビアな評価もあります。

それでなくても、黒人女優に回ってくる役といえば乳母かメイドの役ばかり、ハッティも「風と共に去りぬ」の乳母役を獲得するまでに50本を超える映画でメイド役を演じたそうです。

白人のインタビュアーの、何故メイド役しか演じなかったのかという的外れな質問に対し、「黒人女性の仕事といえば、週給7ドルでメイドをやるか、週給70ドルでメイドの役を演じるしか他になかったからだ」と答えています。

最初のうちは黒人社会からも盛大な拍手を送られていたハッティも、1940年代後半に入るとNAACP(全国黒人地位向上協会)は、黒人のステレオタイプとされるマミーのような(黒人奴隷が白人農園主に忠誠を尽くすという)役柄を批判すると同時に、役を引き受けた俳優への批判に発展していきました(世に言うハッティ・マクダニエル排斥運動です)。

300本の映画でメイドの役だけを演じた黒人女優ハッティ・マクダニエルは、他の役による演技の実力を示すことが出来ないまま1952年、57歳で亡くなりました。

そういえば、確かBSでも、KKK讃美のグリフィス監督「国民の創生」をやっていましたね。

あまりにもあからさまな差別感の表明に度肝を抜かれました。

この映画が、様々な人種の子供たちが見ているテレビで放映されるなど、アメリカでは考えられないことなのかも知れません。

それとも、日本があまりに無邪気で鈍感なのか、僕にはよく分かりません。

因みに僕の持っている「世界映画人名事典・男女優編」には黒人女優は一人も掲載されていません。

最優秀助演女優賞を取ったこのハッティ・マクダニエルでさえも。

1915年に製作されたグリフィスのこの「国民の創生」が、映像処理の基本的技法(フラッシュ・バックによる映画的時間の処理とか、クロス・アップや超ロングによるモッブ・シーンの使い分け、様々な形のマスキングの使用、ふたつの場面進行を交互に見せるクロス・カッティングなど)を確立した作品といわれるだけに、その優れた映画話法の完成度の高さと饒舌とにより、いま見ても左程語り口の古さを感じることなく鑑賞できるので、逆に、そこで描かれている強烈な人種的偏見も一層生々しく感じてしまうのかもしれません。

この作品は、南北に分かれて戦った二つの家族の若者同士が、南北の和解を象徴するかのように結ばれ結婚するというのが主要な話しの部分なのですが、それとは別に、北軍の勝利により、解放された黒人たちの凶悪な暴動に対処するために、自衛のため仕方なくKKKが組織されたという理由付けもなされています。

結成のタテマエは、自由の身となった黒人たちが白人に対し激しい憎悪をもって対抗し、その脅威に、やむを得ず白衣覆面のKKK団が暴徒と化した黒人に制裁を加えるためと説明されています。

実際に南軍の大佐だったという父親をもったグリフィスが、南軍的雰囲気の環境の中で育まれたに違いないこの暴力的な白人優越主義の人種偏見を、ごく日常的な常識として身につけていたことに驚くと共に、それを抵抗なく受け入れていた社会にも脅威さえ感じます。

そこには黒人を奴隷として虐待していた記憶に根ざす白人の根深い恐怖感が当然あったでしょうが、一方黒人自身のなかにも階級化された選民意識のようなもの(自分だけは特別白人に近いというような一種の優越感のようなもの)を持っていたらしいのです。

例えば1930年代のある黒人劇場では、冷酷で無知で野蛮なステレオタイプの堕落した黒人が、金髪の美女に襲い掛かろうとしている描写とのクロス・カットで、その黒人を制裁するために馬で駆けつけるKKK団の描写の場面が大写しになった時、黒人の観客が抗議どころか、KKKへ熱狂して喝采を送っていたという当時の新聞記事が紹介されており、黒人の中にもそれぞれ階層があって、ある選民意識を持った者の存在もあったことが窺われます。

しかし、これとても形を変えた「奴隷根性」でしかなく、黒人たちの隷従に甘んじた精神の打撃がいかに深刻なものであったかを示唆したエピソードだと思いました。

なお、こんな機会でもなければ決して読むこともなかったツンドク本「タラへの道-マーガレット・ミッチェルの生涯」(アン・エドワーズ著・文春刊)を読んで驚きました。

インタビューの引用ですが、映画化にあたって、黒人役を北部の知恵の着いた生意気な黒人のスラム訛りでやられたんじゃたまらない、とか、自分の作品を非難するアカの裏切り者とか、激烈な言葉が次々に飛び出してきます。

コテコテの南部の女だったのだなと実感しました。

さしずめ黄色い肌をした僕などは彼女によって、《奇妙な果実》にされて吊るされてしまう“くち”かもしれませんね。

ジャン・メイエールの「奴隷と奴隷商人」には、リンチにあった黒人二人が木からぶら下がり、それを薄ら笑いを浮かべた白人たちが、まるで花火見物をするかのようにぞろぞろ見物にきている写真が掲載されていました。

おそろしー。
by sentence2307 | 2007-04-21 18:00 | ヴィクター・フレミング | Comments(0)

風と共に去りぬ

この「風と共に去りぬ」について、こんなふうに、みんなよく言いますよね。

「日本じゃ食うや食わずでヒイヒイ言ってた時にアメリカじゃ、あんな凄い映画作ってた」って。

でも、あの映画、そんなに名作ですか? 

少しでも共感する部分があれば何とか理解もできるのでしょうが、全く駄目でした。

ほとんどの人が手放しで絶賛しているこの映画、どこがいいのかさっぱり分からないのです。

だいたい、このスカーレットという女、よく観ると実に嫌なタイプの女だと思いませんか?

美人であることを鼻にかけて、黒人奴隷をこき使い、傲慢な上にぞっとするほど身勝手で、取り巻きにご機嫌をとられている時はまだいいものの、自分以外の幸福そうなカップルを見ると、あからさまに嫉妬するばかりか、実際にその恋人を奪い取って、ざまあみろとほくそ笑み、また、その男が自分に対して関心を失ったことを知ると、「あんな男」よばわりをして打ち棄てる。

バトラーに対しても、さんざん怒らせておいて、別離がくると追いすがる。

何だか訳が分かりません。

自分が始終ちやほやされていなければ気のすまないヒステリー女の、打算とはいっても、極めて低次元の感情の動きしか描かれていないこの程度の映画と、そしてこんな女のどこに共感できますか。

ところが最近眼からウロコのコメントを女ともだちから入手したのです。

彼女いわく
「女は、スカーレットに自分を置き換えるのが好きなのよ。皆からちやほやされ、人の恋人を奪うくらいの傲慢さで、野性的な男をさんざん焦らせて求愛させるように仕向け、その後で棄てるの。」

唖然としました。

この一大巨編が、作品の質に関係なく、女たちの妄想によって支持され、歴史的な不朽の名作として映画史に定着してしまったのだとしたら、それこそ鳥肌が立つ程の嫌悪と恐怖とに襲われました。

それに較べたら、男たちが思い描く淫らな妄想の所産であるポルノの方が、まだまだ罪が軽いとおもいませんか。

きっと、男と女の、超えることの出来ない生理の違いを試すようなものが、この「風と共に去りぬ」の中に象徴的に潜んでいて僕の嫌悪感が、この作品を本能的に拒絶したんだろうな、とは思うのですが・・・。
by sentence2307 | 2005-02-13 23:30 | ヴィクター・フレミング | Comments(128)

風と共に去りぬ

BSで、「風と共に去りぬ」を見ながら、以前、やはりBSで見たベティ・デイビスの「愛の勝利」(39,エドムンド・グールディング監督)のことをぼんやり考えていました。

不治の病に侵され、余命幾許もないことを知った娘が、医師の献身的な行為から真実の愛に目覚めるというこの女性映画は、その年、観客の涙を最も多く搾り取った作品だったそうです。

アカデミー賞作品賞にノミネートされたほか、名女優ベティ・デービスの演技も高く評価された作品でした。

ベティ・デイビスは、その時すでに「青春の抗議」(35)と「黒蘭の女」(38,ウィリアム・ワイラー監督)で、2度のアカデミー主演女優賞を獲得していました。

その力量は既に証明済みで、作品に恵まれたこともあって、ベティが3度目のオスカーを手にすることは、ほとんど当然視する周囲の雰囲気だったにもかかわらず、しかし、結果は、セルズニックが600万ドルをつぎ込んで製作した大作「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーにオスカーが与えられました。

主演女優賞だけでなく、作品賞、監督賞、助演女優賞、脚色賞、美術賞、編集賞、色彩撮影賞、特別賞など、主演男優賞以外は、主要部門を総なめにした凄まじい結果でした。

彗星のように登場した若きヒロイン・ヴィヴィアン・リーの前に霞んでしまったのは、なにもデイビスばかりではありませんでした。

スカーレット役を決めるための芝居がかったオーディションや、前評判を煽るために、金にものを言わせた露骨で強引な宣伝が、おもにヴィヴィアン・リーに対してなされただけだったことが、各賞を総なめした中でゲーブルだけが主演男優賞を逃したことで、はじめて明らかになりました。

MGMの専属スターだったゲーブルを、セルズニックが、MGMに配給を任せることを条件に借り受けながら、新人女優に対しては宣伝費を惜しまなかったMGMもセルズニック・プロも、ゲーブルに対しては冷淡だったといわれています。

結局、主演男優賞をロバート・ドーナットに持っていかれてしまいました。

オスカーを逸して、ひとり恥をかかされた形になったゲーブルは、レット・バトラー役は自分しかいないという触れ込みでわざわざ出演したのに、まるで見殺し同然のこの扱い(宣伝不足や根回しの怠慢)に、MGMとセルズニックに対し、あからさまな不快感を隠そうとしませんでした。

しかしこれとても因縁めいた話しがあって、例えば数年前に他社のコロンビアで撮った「或る夜の出来事」(34,フランク・キャプラ監督)で“たまたま”主演男優賞を獲得してしまったことと関係(MGMとの確執)があったとか、更には、前年にドーナットが「城砦」(38,キング・ビダー監督)で好演したのに賞を逸したことへの「借り」をアカデミーが返したからだという見方もあったそうです。

同業者の功績を称え合うという性格を持つアカデミー賞では、しばしば見受けられることですが、その年の優れた仕事に対してというより、前年に優れた仕事をしながら、しかし不運にも、更に優れた作品の評価の影に隠れてしまい、正当な評価を受けられなかった作品や人に対し、改めてその才能を追認する所謂「報奨のシステム」という機能が働く場合が多々あるようなのです。

ゲーブルが、たまたまその「あおり」をくってしまったことは、皮肉というしかありませんが、ベティ・デイビスにしても「青春の抗議」で初めての主演女優賞を得た時、むしろ、直接の評価の対象となったのは、その前年に出演した「痴人の愛」(34)での演技に対してで、ノミネートすらされなかったその時のアカデミーの「穴埋め」だったとも言われています。

「痴人の愛」はRKO作品、ワーナーのトップスターでもあったベティがRKOに貸し出されて主演したもので、他社のスターのハク付けに協力したくないRKOの思惑と、他社作品でヒットを飛ばされても困る抱え主ワーナーの思惑とが一致しての「ノミネートなし」の政治的判断の結果だったという経緯もあったそうです。

しかし、また一方では、「黒蘭の女」でベティが2つ目のオスカーを獲得した時、実は、同年に作品賞を獲得したフランク・キャプラ監督「我が家の楽園」のジーン・アーサーの演技が高い評価を得たにも関わらず、ノミネートさえされなかった事実も重要な周辺事情として書き添えておかない訳にはいきません。

理由は、一般的にアカデミーにおいては、コメディーでの軽い演技よりも、シリアス・ドラマでの重厚な演技の方が評価され易いという偏見が当時にもあって、ベティが「黒蘭の女」で演じたような「気性の激しい女性の愛と破綻」という演技こそ、最もアカデミー好みの典型であったということも忘れてはならないことなのですが、しかし、その翌年、同じタイプの「わがままで強情な南部女の激しい愛と破綻」を鮮烈に演じた新人女優ヴィヴィアン・リーに主演女優賞を持っていかれたことは、何とも皮肉なこととしか言いようがありません。

だから、「風と共に去りぬ」がアカデミー賞において数々の栄誉を得ることとなった1939年という年が、「実にとんでもない年」だったというのが、アメリカ映画史においてこの年を語る場合の枕詞のように使われるのも何だか頷けるような気がします。

そこでは、しばしば「豊饒」とか「成熟」という形容詞が多用され、事実アメリカ映画の巨匠たちがエネルギッシュで充実した仕事を残したひとつのピークだったという見方が評論家たちの一致した見解のようなのです。

しかし、不吉な危機感を帯びた迫り来る戦雲を背景としていたので、必ずしも手放しの楽観ばかりを意味していた訳ではありませんが、例えばピーター・ボグダノビッチは、その著書「ハリウッド・インプレッション」で、わざわざ「1939年アメリカ映画BEST 10」として、BEST作品を選出して、そのことを指摘したひとりでした。

ただ、興味深いのは、そこでは、アカデミー賞を独り占めにした「風と共に去りぬ」を評価の対象から全くはずしたところに特徴があります。

以下は、そのBEST 10の紹介です。

 ①若き日のリンカーン(ジョン・フォード)、
 ②コンドル(ハワード・ホークス)、
 ③ニノチカ(エルンスト・ルビッチ)、
 ④駅馬車(ジョン・フォード)、
 ⑤スミス氏都へ行く(フランク・キャプラ)、
 ⑥邂逅(レオ・マッケリー、後年「めぐり逢い」でリメイク)、
 ⑦モホークの太鼓(ジョン・フォード、初カラー作)、
 ⑧彼らは顔役だ!(ラォール・ウォルシュ)、
 ⑨ザ・ウーメン(ジョージ・キューカー)、
 ⑩は5本あり・ガンガ・ディン(ジョージ・スティーブンス)、ミッドナイト(ミッチェル・ライゼン)、大平原(セシル・B・デミル)、北西への道(キング・ヴィダー)、砂塵(ジョージ・マーシャル)の内から各自の好みで選んでよしとしていますが、しかしなお、ここにおいても「風と共に去りぬ」は、この5本の中にも入らないと特記しています。

しかし、この選考の基準を、単に奇を衒ったものと判断するのは早計です。(もっとも、是を非とし、非を是とする「奇を衒う」ところがなければ、評論なんて書く意味がありませんが。)

アカデミーが、あえて切り捨てて賞の対象とさえしなかった作品にも、これだけの充実した作品があったことを示したかったのだと考えた方がいいかもしれません。

やはり、アカデミー賞にノミネートされた作品群を前提にしてこそ、初めて上記のボグダノヴィッチの選択も光彩を放ち得るものと思い、彼の外した作品を以下に列挙しておきます。

こちらの方もかなり豪華なラインナップになっています。

風と共に去りぬ(ビクター・フレミング)、オズの魔法使い(ビクター・フレミング)、明日来りなば(ジョン・M・スタール)、サージェント・マッデン(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)、嵐が丘(ウイリアム・ワイラー)、青春一座(バズビー・バークレイ、後年MGMミュージカルの振付師に)、巌窟の野獣(アルフレッド・ヒッチコック)、廿日鼠と人間(ルイス・マイルストン)、チップ先生さようなら(サム・ウッド)、愛の勝利(エドムンド・グールディング)

しかし、これを見ると映画評論という微妙で危なっかしい立場がよく分かります。

逸脱が過ぎると、どうしても寄生虫のような甘えの部分が露呈してしまいます。

この「風と共に去りぬ」、アメリカのある州では、公民権運動の影響から、この映画を人種差別映画とみなして、いまだに公的な場所では上映を禁止していると聞いたことがあります。

原書では、ニガーやダーキーというあからさまな言葉が頻繁に使われ、更にクー・クラックス・クラン(KKK)まで登場してきます。

アメリカ人がこの映画を国民的映画と思っているなら、それは単に意思の強い南部女のラブ・ロマンスとだけ見ている訳ではないという所を分かっていないと、ちょっとまずいかなという気がします。

スカーレットのコルセットを閉めているしつけの厳しい黒人の乳母マミーの役を演じたハッティ・マクダニエルは、この作品で黒人女優初のオスカー、アカデミー最優秀助演女優賞を受賞しましたが、逆に、この受賞で、皮肉にも以後ハッティにもたらされた役は乳母役に限定されたばかりでなく、多くの黒人女優たちの、何か他に演じることができるかもしれない可能性の芽をも潰す結果を作ったというシビアな評価もあります。

それでなくても、黒人女優に回ってくる役といえば乳母かメイドの役ばかり、ハッティも「風と共に去りぬ」の乳母役を獲得するまでに50本を超える映画でメイド役を演じたそうです。

白人のインタビュアーの、何故メイド役しか演じなかったのかという的外れな質問に対し、「黒人女性の仕事といえば、週給7ドルでメイドをやるか、週給70ドルでメイドの役を演じるしか他になかったからだ」と答えています。

最初のうちは黒人社会からも盛大な拍手を送られていたハッティも、1940年代後半に入るとNAACP(全国黒人地位向上協会)は、黒人のステレオタイプとされるマミーのような(黒人奴隷が白人農園主に忠誠を尽くすという)役柄を批判すると同時に、役を引き受けた俳優への批判に発展していきました(世に言うハッティ・マクダニエル排斥運動です)。

300本の映画でメイドの役だけを演じ続けた黒人女優ハッティ・マクダニエルは、他の役による演技の実力を示すことが出来ないまま1952年、57歳で亡くなりました。

そういえば、確かBSでも、以前KKK讃美のグリフィス監督「国民の創世」をやっていましたね。

あまりにもあからさまな人種差別の表明に度肝を抜かれました。

この映画が、様々な人種の子供たちが見ているテレビで放映されるなど、アメリカではちょっと考えられないことなのかも知れません。

それとも、日本があまりに無邪気で鈍感なのか、僕にはよく分かりません。

因みに僕の持っている「世界映画人名事典・男女優編」には黒人女優は一人も掲載されていませんし、また最優秀助演女優賞を取ったこのハッティ・マクダニエルでさえも掲載されていませんでした。
by sentence2307 | 2005-02-09 00:14 | ヴィクター・フレミング | Comments(5)
「映画のエラー」についての書き込みをしたら、物凄い数のアクセスをいただいたので、引き続き手元にあるメモから面白いエピソードを少し紹介しますね。

僕たちの印象からすると、「映画の中のエラーを数え上げる楽しみ」などと言うと、人の悪い嫌味な悪趣味と感じてしまうかもしれませんが、その辺のニュアンスをアメリカで生活したことのある知人に聴いてみると、決してそういうことではないという意外な答えが返ってきました。

映画作りというものを、アメリカ人は僕たちが考えているよりも、はるかに身近で温かな人間的な行為の作業であると捉えているというのです。

たとえ思わず失笑してしまうようなエラーやチョンボを通しても、その影でフィルムを支えている多くの裏方たちの人間ドラマを文字通り「楽しむ」のだそうです。

そこには冷笑的なものなど少しも感じられない、まるでスポーツ観戦のような、いかにもアメリカ的な楽しみ方という面もありますが、しかし、しっかりとしたスピリットに支えられているという面もまた感じることができます。

そういえば、アメリカ映画には、思いつくだけでも「イヴの総て」50とか「女優志願」58とか「キャバレー」72、そして「シカゴ」03など、日本映画にはあまり見られない業界の内幕を描いた題材が多いような気がします。

きっとそれは、ハリウッドやブロードウエイなどのショービジネスの発達と、観客の側の成熟度が、華やかな面ばかりではなく、その影にあるほろ苦い人生もまたしっかりと視野に入れた繊細で辛らつな優れた大人の映画を作らせてきたからでしょうね。

そういうことをすべて踏まえたうえで「コンティニュティ・エラーを楽しむ」という成熟した観客としてのアメリカ人の考え方には、映画との「繋がり」という部分で特別ホットなものを感じてしまいました。

日本の映画のよそよそしさを考え合わせてみれば、この感覚のもつ意味の深さが分かってきますよね、それは、僕たちが、ついぞ感じたことのなかったもののひとつかもしれません。

前フリが長くなってしまいましたが、不朽の名作「風と共に去りぬ」のエピソードの幾つかを紹介しましょう。
(難解な単語は前後の関係から当て推量で見当をつけてしまうタイプなので、誤訳があるかもしれません。なにとぞご容赦。)

まず最初は、スカーレットが戦火につつまれたアトランタの街を走り抜けるシーン、キャメラがクレーンを使って寄りから引きの画面になっていくとき、ガス灯に似せた電灯をなめてしまっているそうです。

エジソンの登場は、もう少し後の時代になりますから~。

次は、早馬で帰ってきたスカーレットの父親が南北戦争を終わったことを家族に知らせるシーン、父親が玄関のドアを開け、「戦争が終わったぞ!」と大声で叫ぶと、その声で、スカーレット、妹、そしてメラニーがフロアーに集まってくる。

この時メラニーは階段を降りきらない所で、叫んでいる父親を見つめています、手には何も持っていない。

そして、キャメラは妹のアップからメラニーの寄りに移っていくと、手ぶらだったはずのメラニーが、いつの間にか赤ん坊を抱いている、というシーンです。

前のシーンをすっかり忘れ、赤ん坊を抱かせた方が喜びの表情を効果的に演出できると考えた監督の咄嗟の思いつきだろうというのが後世の定説。

そもそも、このマーガレット・ミッチェルの原作自体に辻褄の合わない部分が幾つかあって、有名な話では、メラニーの妊娠の期間がよく取り上げられます。

北軍の猛攻撃で南軍がジョージア州から全面的に撤退したのが1864年の春。

この時、メラニーは臨月を迎えています。

そうすると63年の6月か7月頃にはアシュレイはメラニーの傍にいなければならない計算になりますが、しかし、この時期のアシュレイは、ゲッティスヴァーグの戦いでそれどころではなかったはずです。

では、アシュレイが「可能」だった時期がいつ頃だったかを推理すると、彼が南軍に入隊して初めて一時帰休することが許された1863年の暮れでは計算が合いませんので、もっと以前というと、二人が結婚した戦争開始直後1861年の夏頃までさかのぼらなければならなくなり、メラニーは実に30ヶ月にわたつて妊娠状態だったことになる。

この食い違いを生前のマーガレット・ミッチェルに問いただしたというエピソードが、ジョークっぽい答えと共に残っています。

ミッチェルいわく
「南部の人間は北部の人間なんかよりも、なんでもスローペースでのんびりしているからね。だから、戦争にも負けたのよ」だってさ。
by sentence2307 | 2005-01-15 19:11 | ヴィクター・フレミング | Comments(1)

風と共に去りぬ

この「風と共に去りぬ」について、こんなふうに、みんなよく言いますよね。

「日本じゃ食うや食わずでヒイヒイ言ってた時にアメリカじゃ、あんな凄い映画作ってた」って。

でも、あの映画、そんなに名作ですか? 

少しでも共感する部分があれば何とか理解もできるのでしょうが、全く駄目でした。

ほとんどの人が手放しで絶賛しているこの映画、どこがいいのかさっぱり分からないのです。

だいたい、このスカーレットという女、よく観ると実に嫌なタイプの女だと思いませんか?

美人であることを鼻にかけて、黒人奴隷をこき使い、傲慢な上にぞっとするほど身勝手で、取り巻きにご機嫌をとられている時はまだいいものの、自分以外の幸福そうなカップルを見ると、あからさまに嫉妬するばかりか、実際にその恋人を奪い取って、ざまあみろとほくそ笑み、また、その男が自分に対して関心を失ったことを知ると、「あんな男」よばわりをして打ち棄てる。

バトラーに対しても、さんざん怒らせておいて、別離がくると追いすがる。

何だか訳が分かりません。

自分が始終ちやほやされていなければ気のすまないヒステリー女の、打算とはいっても、極めて低次元の感情の動きしか描かれていないこの程度の映画と、そしてこんな女のどこに共感できますか。

ところが最近眼からウロコのコメントを女ともだちから入手したのです。

彼女いわく
「女は、スカーレットに自分を置き換えるのが好きなのよ。皆からちやほやされ、人の恋人を奪うくらいの傲慢さで、野性的な男をさんざん焦らせて求愛させるように仕向け、その後で棄てるの。」

唖然としました。

この一大巨編が、作品の質に関係なく、女たちの妄想によって支持され、歴史的な不朽の名作として映画史に定着してしまったのだとしたら、それこそ鳥肌が立つ程の嫌悪と恐怖とに襲われました。

それに較べたら、男たちが思い描く淫らな妄想の所産であるポルノの方が、まだまだ罪が軽いとおもいませんか。

きっと、男と女の、超えることの出来ない生理の違いを試すようなものが、この「風と共に去りぬ」の中に象徴的に潜んでいて僕の嫌悪感が、この作品を本能的に拒絶したんだろうな、とは思うのですが・・・。
by sentence2307 | 2004-11-05 23:29 | ヴィクター・フレミング | Comments(1)