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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:長谷川和彦( 1 )

「太陽を盗んだ男」

どんな作品でも、だいたいは我慢して面白がって見てしまう方なのですが、この映画だけは、心の底から呆れ返ってしまいました。

虐げられた者たちの側に立って執拗に抵抗の姿勢を貫いた映像作家たち、例えば土本典昭や小川紳介などの誠実な仕事の対極にこうした見せ掛けだけの「抵抗の姿勢」をいぎたなく商品化した映画があったことにちょっと驚きました。

ここに描かれている「抵抗」は、興味本位のエロやグロとなんら変わりありません。

エロやグロなら、そもそもが「興味本位」そのものなのですから違和感が発生する余地もないのでしようが、ある程度の理念や想像力を求められる「抵抗」の方はそうはいきません。

例えば、原爆を作った犯人が、それをネタに「何を」要求しようとするのか、きっとこの答えがこの作品を傑作にするか駄作にするかの岐路だったと思います。

犯人は、当局の覚悟を見極めるために何を要求しようかとあたりを見回し、とりたてて要求するものなどなにも思いつかないままに、取り敢えずナイター中継の時間延長くらいにしておこうか、みたいな「貧弱な思いつき」の要求しかできなかったあの無残なシーンには、そのまま作り手の「貧弱な想像力」を反映したものであることをモロに思い知らされました。

まがりなりにも映像作家なら、なぜあの場面で、どう考えても差し出すことが不可能な超重要人物の命とか赤ん坊の命など人道にもとる要求を出させようとしなかったのか、なんとも不思議な思いに囚われると共に、この作品の限界を感じました。

犯人が持っているものは、爆発させれば相当な数の犠牲者が予想される原爆なのですから、もし何十万人の国民の命を救いたいのなら、ここはひとまず生贄を10人ばかり血祭りに上げてもらおうかとか、あるいは前半に皇居のシーンをわざわざ出したくらいなら、それに繋がるカシコキアタリの方向性を敷衍させるような想像力の展開をもたせても少しも不思議でなかったと思います。

なにしろ犯人が人質にとっているのは何十万人という国民の命です。

少なくともそれと釣り合うだけの深刻な要求、つまり、国家の存亡を掛けた生贄として選ばれた者の死を要求し、当局に「ことの重大さ」を十分に認識させるだけのダメージを与えるような展開こそが、この場合作り手が求められたスペクタクルというものだったと思いますし、犯人が、自分ならいつ死んでも構わないと考え、いずれは日本国民の相当な部分を道ずれにしてやろうと密かに決心しながら不意の爆裂を準備しつつ、しかし片方では、あえて希望を持たせるようなイツワリの交渉を少しずつおし進めていくような悪意がこの映画に少しでも描き込まれていたら、この珍妙な作品も少しは見るに値する作品になったろうと思います。

少なくともこんなにも無残な駄作にならずに済んだかもしれません。

劇的効果を発揮するために、単に「物凄いブツ」が必要だったのなら、なにも「原爆」である必要など、どこにもなかったと思います。

映画に「タブー」という語感だけが欲しかったのなら、それに拮抗するだけのキューブリックのごとき豊饒な想像力の支えがなければ、貧弱な「パワー」だけでは単なるドタバタの空しいから回りしかもたらし得ないのは明らかです。

いやいや、ドタバタに徹したなら笑う余地がまだ残されている分だけ、伝家の宝刀「荒唐無稽」という活動写真の歴史的武器を手に入れられたかもしれません。

この映画に、せめてあの喜劇の体裁をとるという謙虚さが少しでもあったとしたら、まだまだ救いがあったかもしれませんよね。

この作品が作られた以後の時間の中で、僕たちは身も凍るような理不尽で残酷なテロをあまりにも多く見過ぎてしまいました。

テロに巻き込まれて多くの子供たちや女性たち・何の罪もない非戦闘員が、いまこの瞬間にも簡単に命を奪われている現実に心が痛みます。

この映画は、平和にどっぷりと浸かり安穏でいられた鈍感な日本人が、その平和の中で守られていることに苛立ち、まるで夢見るように「反抗」=テロをテーマに反体制映画を量産した時代に便乗するように作られた最悪な作品のうちの一本でした。

このふやけきった鈍感さが、僕を限りなく苛立たせずにはおきません。
by sentence2307 | 2005-02-12 09:09 | 長谷川和彦 | Comments(1)