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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:侯孝賢( 1 )

恋恋風塵

僕の旧い友人で、ルキノ・ヴィスコイティの作品が物凄く好きな男がいます。

お互い社会人ともなれば会う機会も次第になくなり、疎遠になればなるほど、ますますこちらからも連絡がとりづらくなってしまい面倒な気持ちになりかかっているようなとき、本当に何年か振りくらいに連絡がきたりします。

そんなときは、むかしツケがきいて飲みまくった馴染みの店でサカズキを交わして、結局は懐かしい映画の話・お互いの得意分野の映画のことなどを延々と話したりします。

例えば会社の同僚と飲むときなどは、なんのためらいもなく話せる会社の人事や仕事の段取りの話も、学生時代をともに過ごした旧友となると何となく気恥ずかしくて、どうしても話せません。

なぜなのか、なんとなく不思議ですが、考えてみれば、きっとお互いの若かった頃、夢を語りあった者同士、脂ぎった生活臭のある生臭い話を実務的に交わすことなんて、とても出来そうにないのだと思います。

夢を語る、その延長線上にあるのが、もしかしたら「映画」を語ることなので、生活の中に功利で計れないそういう部分があってもいいかなと最近感じ始めています。

彼の話す映画は、もちろんヴィスコンティ作品、そのなかでも特に彼が好きなのが、初期作品です。

なぜか退廃美に満ちた後期の作品、つまり「地獄に堕ちた勇者ども」や「ルートヴィヒ」や「イノセント」は、ヴィスコンティらしくない、とはっきり嫌っています。

初期と後期のどちらがヴィスコンティらしいかは、きっと意見が分かれるところでしょうけれども。

逢ったその日、ネオリアリズモに強く傾倒していた懐かしい彼を髣髴とさせる熱弁を久し振りに聞きました。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」です。

素晴らしい作品です。

僕もあの映画はいい作品だと思います。

しかし、彼には悪いのですが、ある思いに囚われてしまい、僕は彼の熱弁を上の空で聞いてしまいました。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」というタイトルから、僕がどうしても連想してしまうのは、申し訳ないのですが、侯孝賢の「恋恋風塵」です。

ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、郊外の寂れたドライブインで社会から見放されたような生活を強いられている女が、行きずりの恋に燃え破滅していく物語でした。

欲望剥き出しのリアルな描き方には感動はしましたが、しかし、その「感動」は、少なくとも自分のものではありませんでした。

ドライブインの欲求不満の人妻とともに亭主を殺し愛欲の逃避行を決行するかと問われれば、自分とは無縁の世界のことだというしかありません。

しかし、幾度も残念な恋愛を経験した身にとって「恋恋風塵」で描かれている恋の破綻は、決して他人事の「痛み」とは思えません。

彼女にラヴレターを送り続け、そしてその手紙を配達し続けた郵便配達と彼女が結ばれてしまうという皮肉な寓話のような話は、しかし僕にとって客観的に笑えるような話ではありませんでした。

恋を失った男が「声を上げてベッドの上で泣く」というシーンを見たとき、ああいう風に自分の気持ちをあからさまにする方法もあったのか、という自虐的な思いに囚われたことを鮮明に思い出しました。

彼の熱弁を上の空で聞いた挙句に、生返事で返してしまい、旧友には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。
by sentence2307 | 2005-01-28 00:19 | 侯孝賢 | Comments(0)