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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:フレデリック・ワイズマン( 3 )

動物園

以前、グラフィック・デザイナーの鈴木一誌という人が書いた「光の底-フレデリック・ワイズマン論」という論評を読んだことがありました。

1999年に製作されたワイズマン作品「メイン州ベルファスト」を手がかりにしたワイズマン試論という感じの論評です。

そんなに長い文章ではありませんし、一見難解に見えるかもしれないワイズマン作品をそれこそ正統的に解説(ワイズマン作品の一貫しているテーマは、アメリカ社会の施設・組織の日常生活である、みたいな・・・)している常識的なもので、その「メイン州ベルファスト」をこんなふうに分析していました。

《かつてワイズマン的であると思われていたものは、施設や機関の内部と外部を信じることで成立していた。
が、「メイン州ベルファスト」では、作家が作家らしさの境界線におさまらない。
その変化は、作風の変遷など時系列に辿られる違いではなく、作家の個性を維持しながらも休むことなく風向きを変える、部分と全体の関係の変動であるようだ。
部分のざわめきが作品の境界線を揺らせ、個は全体に、小さなものは大きなものに、あるいはその逆に、居場所を変える。
内部は外部に、外は内に、内になったものは再び外へと変わる。》

この論評を読んだとき、はっきり言ってワイズマンの作品とは、なんと面白味のない映画なのかという悪印象を持ってしまいました。

しかし、よく考えてみれば、面白味のないのは、アチラの権威ある本(R・M・バーサム「ノンフィクション映像史」)に引き摺られたその論評の方であって、ワイズマン作品のせいでないことは、たとえば優れたドキュメンタリー作品「動物園」を見たときに、すぐに分かりました。

《 》で括った引用を少し冷静に読んでみれば、これは、「ワイズマン的な作風」という定説に括りきれない部分(どのような映像作家でも、撮られたすべての作品に一貫性や法則性を求める困難があるのに、です)を、「揺れる境界線」などという葛藤も無視→放棄した言い回しだけの逃げで「例外」として定説の中に取り込もうとしているにすぎません。

もとより作家の個々の作品に統一性を求めたいという思いは、誰もの当然の欲求だと思います。

しかし、定説に寄り掛かるような論評を、ただ言い回しを工夫しただけで、不安定な作家性を強引に押さえ込もうとする論理の在り方が、とても残念でならないのです。

「ワイズマン作品の一貫しているテーマは、アメリカ社会の施設・組織の日常生活である」などという面白くもない定説をどこまで敷衍させようと、「時代」に立ち向かっていった熱い血の通った人間ワイズマン論にたどり着くことは至難のわざかもしれません。

今回、実際に「動物園」93を見てそのことを痛感しました。

ドキュメンタリー作品「動物園」は、ある動物園に勤務する獣医や飼育係の職員たちの、日々動物たちと接する勤務をひとつひとつ忠実に追いかけた極めて素直なドキュメンタリー作品です。

特に捻ったような作為とか「やらせ」めいた奇を衒うわざとらしさもありません。

カメラを据えて対象を辛抱強く撮り続けているだけの、なんていうこともない作品です。

シンプルなそのような撮り方を「手法」などと言えるかどうかはともかく、僕たちは素朴なその眼差しによって次々と暴かれていく残酷で冷ややかな「真実」を立て続けに目の当たりにさせられます。

例えば、この作品のなかにサイの死産のエピソードが描かれています。

夜中に産気づいた母親のサイが、難産のために夜通し苦しんで、やっと産み落とした赤ちゃんは既に息をしていませんでした。

なんとか子供を助けようと獣医や飼育係のチームは、夜通し難産で苦しむ母親サイを励まし、赤ちゃんサイの救命に必死になってあらゆる手を尽くして努力しますが、胎内の滞在時間が長すぎたことで手の施しようがありません。

死んだ赤ちゃんサイの死骸を前にした疲れ切った職員たちの呆然とする表情をカメラは捉えています。

多分ここまでなら、子供にも見せられる「感動的な動物愛」の素直なドキュメンタリー映画といえるでしょう。

しかし、このシーンには、ある種の感情移入を許すだけの間延びした時間を割いているわけではなく、場面はすこぶる淡々と次の事態に進んでいきました。

ここから先で描かれていたものは、この赤ちゃんサイの貴重な内臓の標本を採るためのきわめて事務的な腑分けの作業です。

メスで腹を切り開き、鋏で各内臓のサンプルを切断し、それを次々と保存していきます。

内臓を切り刻んだあとは、当然のように胴体と頭を切り離し、まるでなにかの置物のように生首を肉片の散乱したなかに立て掛けようとします。

この場面は、そこに生首が存在していなければ、まるで親しい仲間内だけの楽しいホーム・パーティーと錯覚してしまうくらいの和やかさに貫かれています。

談笑も漏れる楽しげな雰囲気のなかで行われるこの腑分けの作業は、死につつあった赤ちゃんサイを必死になって救おうとしていた一連の場面と密接に関係していることで、観客を一種の混乱状態に陥れてしまうかもしれません。

観客は、チームが必死になって「懸命の救命行為」をしたことと、この「談笑のなかで行われる頭部の切断」の行為の、一見相容れない「違和」をどうにかして受け入れることを強いられます。

少なくともあの救命行為が、単純な「動物愛」だけから発せられたものではないらしいこと、珍しい胎児の標本を嬉々として楽しげに腑分けしている冷静な学術的な行為を通してあの「救命行為」を理解しなければ、「動物園」という実態は見えてこないことを示唆しています。

そして、たとえそれが理解しがたい特異なものであるとしても、そこにこそ、世間から隔絶された「動物園」だけがもつ独特な価値観が貫かれているとワイズマンは語っていると思いました。

この作品の別の場面で、ゴリラの身体検査を撮影する美人のレポーターが「この身体検査は、決して興味本位のものではない。ゴリラを絶滅から守る切実な努力のひとつだ」とカメラ写りを気にしながら繰り返す場面があります。

僕たち観客は、その語られなかったそのフレーズの後に続く言葉を、当然のように素直な「動物愛護」と考えてしまいがちですが、しかし、そこにあるものは、興味津々死んだサイの赤ちゃんを切り刻み、嬉々として内臓のサンプルを採集し、談笑しながら切断した胎児の生首をまるで何かの置物のように、散乱した肉片の中に立て掛けて遊ぶという異常な価値観が暴き出されるその現場に立ち会わされたのだと思います。

少なくとも、それは死んだ赤ちゃんサイの遺体を前にして、いつまでも嘆き悲しんでいるような、あるいは、可愛らしさの思い出をいつまでも胸に抱きしめて感傷にふけっているようなタイプの「動物愛」ではないらしいことは確かに理解できました。

このドキュメンタリー「動物園」もまた、衝撃作「チチカット・フォーリーズ」の「監禁」の思想性をしっかりと受け継いでいる作品であることを理解した次第です。



★フレデリック・ワイズマン Frederick Wiseman
 1930年、弁護士を父に社会活動家を母にアメリカのボストンに生まれる。
法律を学び、イェール大学大学院卒業後、マサチューセッツ州にて弁護士会会員となり、弁護士活動を始めた。
やがて軍隊に入り、除隊後、弁護士業の傍らボストン大学で教鞭を取るようになる。
1958年、彼が28才のとき、法的医療や犯罪法の実地見学でブリッジウォーターにある精神異常犯罪者のための州立施設に行った。
1961年、彼はハーレムを地獄のように描いたウォーレン・ミラーの小説「クール・ワールド」を読み、衝動的にミラーに会いに行き映画化権を獲得、自らは制作を担当。
ワイズマン製作、シャーリー・クラーク監督の手により、1964年映画に『クール・ワールド』を完成させる。
これを機にワイズマンは映画監督に進出、『チチカット・フォーリーズ』を作り上げた。
映画は赤字で、ワイズマンは貯金を使い果たしたが、映画製作に目覚めた彼にブリッジウォーターでの強烈な印象が蘇り、1967年、精神異常犯罪者を収容したマサチューセッツ州立ブリッジウォーター矯正院を舞台にした伝説的なドキュメンタリー映画『チチカット・フォーリーズ』が完成したが、マサチューセッツ州の最高裁判所で公開禁止処分となり一般上映が禁止され、およそ四半世紀にわたる法廷闘争が始まった。
以後、ワイズマンは逆に創作意欲をかきたてられたかのように次々とアメリカの社会構造を見つめる組織・施設のシリーズ・ドキュメンタリーを発表。
21世紀に入った現在も、ほぼ年1本のペースで新作を発表し続けている。
1971年に、現在も拠点とする自己のプロダクション、ジボラ・フィルムを設立した。
制作、監督のほかに、サウンドと編集を手掛けるが、それらはワイズマン独自の映画制作スタイルによって行われている。
撮影時は、最少人数のスタッフを率い、自らは録音を担当、マイクを手に持ったままカメラマンに映す対象を指示する。
撮影は機動力のある16 ㎜で行われる。
編集は、80時間から120時間の撮影フィルムをベースに、自らの手で8ヶ月から12ヶ月かけて行うという。 
現在、アメリカにおけるドキュメンタリー映画制作の第一人者であり、常に新たな課題を提起する作品群によってきわめて高い評価を得ている。
by sentence2307 | 2006-11-23 09:21 | フレデリック・ワイズマン | Comments(1)

★撮影賞
「バットマン ビギンズ」ウォリー・フィスター、ASC
「ブロークバック・マウンテン」ロドリゴ・プリエト、ASC、AMC
「グッドナイト&グッドラック」ロバート・エルスイット、ASC
「キング・コング」アンドリュー・レスニー、ASC、ACS
「SAYURI」ディオン・ビーブ、ASC、ACS

★功労賞
リチャード・H・クライン

★会長賞
シャーウッド・オーメンズ

★国際賞
ギルバート・テイラー

★理事会賞
シドニー・ポラック

★名誉賞
フレデリック・ワイズマン


僕の関心は、5人の撮影監督賞のノミネートよりも、フレデリック・ワイズマンの「名誉賞」でした。
以前「チチカット・フォーリーズ」について少し調べたことがあったので、その関係でずっと気に掛かっている監督でした。
きっとアメリカ国内でも特別なオーラを持っている人なんだなあと、今回の「名誉賞」で感じました。
以下は、自分のための心覚えのためのものですので、悪しからず。


*フレデリック・ワイズマン Frederick Wiseman
1930年、弁護士を父に社会活動家を母にボストンに生まれる。法律を学び、イェール大学大学院を出るとマサチューセッツ州弁護士会会員となり、弁護士となり活動を始めた。やがて軍隊に入り、除隊後弁護士業の傍らボストン大学で教鞭をとるようになった。そのうちの一つ、法的医療や犯罪法の実地見学でブリッジウォーターにある精神異常犯罪者のための州立施設に行った。1958年、彼が28才のときである。1961年彼はハーレムを地獄のように描いたウォーレン・ミラーの「クール・ワールド」を読み、衝動的にミラーに会いに行き、映画化権を取得した。『クール・ワールド』は、ワイズマン製作、シャーリー・クラーク監督で1964年に完成した。映画は赤字で、ワイズマンは貯金を使い果たしたが、映画製作に目覚めてしまった彼にブリッジウォーターでの強烈な印象が蘇ってきた。この映画は1967年に伝説的なドキュメンタリー『チチカット・フォーリーズ』として完成したが、マサチューセッツ州の最高裁判所で公開禁止処分となり、およそ四半世紀にわたる法廷闘争が始まった。以後、ワイズマンは逆に創作意欲をかきたてられたかのように次々とアメリカの社会構造を見つめるドキュメンタリーを発表。1971年に、現在も拠点とする自己のプロダクション、ジボラ・フィルムを設立した。


フレデリック・ワイズマン監督作品

【チチカット・フォーリーズ】 Titicut Follies 1967
マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者のための州立刑務所マサチューセッツ矯正院の日常を克明に描いた作品。収容者が、看守やソーシャル・ワーカー、心理学者たちにどのように取り扱われているかがさまざまな側面から記録されている。合衆国裁判所で一般上映が禁止された唯一の作品である。永年にわたる裁判の末、91年にようやく上映が許可された。

【高校】 High School 1968
フィラデルフィア郊外にある“模範的な”高校の日常を追っている。朝のホームルーム、授業の風景、生活指導、父母を交えた進路相談、男女別に行われる性教育や家庭科の授業、クラブ活動・・。高校を構成する教師、生徒、親、管理職たちの関わり合いの中で、イデオロギーや価値観が醸成され、伝えられていく様が映し出される。

【法と秩序】 Law and Order 1969
ミズーリ州カンザス・シティの、最も犯罪率の高いアドミラル・プールヴァール管轄区にある警察の様々な活動を追っている。売春の摘発、犯罪を繰り返す未成年犯罪者や拳銃を所持する窃盗犯の逮捕など緊迫した状況を追う一方で、老女のバッグ探しや迷子の保護、養育権をめぐる夫婦のいさかいの仲裁など、市民生活のあらゆる側面に関わる警察の活動をとらえている。

【病院】 Hospital 1970
ニューヨーク市、ハーレムにある大きな都市病院、メトロポリタン病院の活動を緊急棟と外来患者診療所に焦点を当てて記録した作品。都市病院に運びこまれる様々な患者とその処置をする職員とのやりとりを通して都市が抱える多くの問題を浮き上がらせる。

【霊長類】 Primate 1974
霊長類に関する生物医学的、行動学的研究における先駆的な施設として知られるヤーキーズ霊長類研究所で撮影。猿を使った様々な動物実験が、その研究の目的や意義は殆ど説明されないままに、次々と映し出される。虐待と見誤りかねない数々の実験の映像は、故意に研究所を貶めたとする人々と、生体実験に反対する人々との間に激しい議論を巻き起こした。

【福祉】 Welfare 1975
ニューヨーク市のウェイヴァリー福祉センターを舞台に福祉行政のありようを描いた作品。住宅問題、失業問題、医療問題、幼児虐待などの児童問題、老人問題など、多様な問題と係わる福祉システムの性質を検証し、福祉活動家の置かれている状況、受益者の問題、福祉の本質などを浮かび上がらせる。

【肉】 Meat 1976
野の草を食む「牛」はいかにして「肉」となるか。牛がトラックで牧場の外へと連れ出されてから、巨大精肉工場で製品化され、市場に送り出されていくまでの全工程を記録する。「牛」が徹頭徹尾「肉」として扱われるこの場所で、無数に細分化された各工程が一分の狂いもなく進行する過程を、的確な映像と編集のリズムによって映し出していく。

【シナイ半島監視団】 Sinai Field Mission 1978
エジプトとイスラエルの間のシナイ緩衝地帯で、監視の任務を遂行する米軍の小隊。自転車で見回る他に大してすることもない彼らは、ときにこの地を西部劇の「西部」になぞらえて無為をやり過ごす。「アメリカの外のアメリカ」として「アメリカらしさ」が奇妙に凝縮されたこの場所を、ワイズマンは広大な砂漠のごく小さな一点として映像に収めている。

【軍事演習】 Manoeuvre 1979
東西対立時代に毎年行われていたNATOの秋季大演習に密着取材しその全貌を記録したもの。この作品の撮影が行われた1978年の演習は北極海から地中海までの加盟国全域に渡って大演習が繰り広げられたが特に演習が集中したのは旧東ドイツとの国境近くで、当時、第三次世界大戦を想定したデモンストレーションと見なされ、国際的に大きな波紋を呼んだ。

【モデル】 Model 1980
ニューヨーク市でも最高のモデル事務所であるゾリ・マネージメント社を舞台に、CMやファッション・ショー、雑誌、広告写真、デザイナーズ・ブランドなどの仕事をする男女のモデルたちを追っている。彼らを取り巻くカメラマンやエージェント、撮影スタッフやデザイナーなどの姿を通してファッション・ビジネス界のありさまが描かれている。

【ストア】 The Store 1983
1907年の開店以来、高級百貨店として揺るぎない地位を築いてきたニーマン=マーカス百貨店テキサス州ダラス本店。1982年のクリスマス・シーズンにおけるニーマン=マーカスを舞台に、訪れる客や接客する従業員、華やかな売場の舞台裏で働く人々の姿、そして営業時間外のミーティングの模様などが映し出されていく。百貨店が作り出す高級感もまた商品の付加価値としてあり、それがダラスの有閑階級の購買心理にいかに深く関与しているかが示唆されている。

【競馬場】 Racetrack 1985
サラブレットの競馬場として世界でも指折りのニューヨークのベルモント競馬場についてのドキュメンタリー。厩舎での馬の出産から始まり、調教師や飼育係、馬主、獣医たちの活動、レースをとりまく人々、観客たち、騎手たち、この競馬場の経営を支えるオーナーたちの巨大なパーティとその舞台裏まで、競馬というビジネスのあらゆる側面が映し出される。

【聴覚障害】 Deaf 1986
アメリカでも有数の障害者のための複合的な教育機関アラバマ聾盲学校の日常を記録したシリーズの中の一編で、アラバマ聾学校のドキュメンタリー。口頭での会話、聴覚補助、読唇術、筆読などと手話を組み合わせて使うトータル・コミュニケーションによる教育、心理カウンセリング、通常の学科の授業、職業訓練やレクレーションなど、この学校の中で行われる様々な活動が記録されている。

【臨死】 Near Death 1989
ボストンのベス・イスラエル病院特別医療班についての映画。尊厳死、植物人間、脳死、インフォームド・コンセント、インフォームド・チョイスなど死と生の境界をめぐる末期医療の新しい問題を臨床現場から掘り起こした6時間に及ぶ超大作。ハーバード大学の付属機関であり先端の医療技術を誇るこの病院の集中治療棟で行われる生命維持装置を使った診療をめぐり、患者と医者が直面する現実に多角的に迫っている。

【動物園】 Zoo 1993
フロリダ州マイアミのメトロポリタン動物園の日常を記録している。世界中から訪れる入場者、飼育係による動物の世話、獣医の仕事などをとらえる。表面には現れない、寄付を募るパーティーや広報活動、調査・研究活動などを紹介しながら動物園が運営されていくメカニズムに迫る。

【バレエ】 Ballet 1993
1992年のアメリカン・バレエ・シアターの活動を記録した作品。前半はスタジオでのリハーサル風景やバレエ団の運営に関わる活動を、後半はアテネ公演、コペンハーゲン公演の様子を追っている。作品を完成させるために繰り返される振付家とダンサーたちのリハーサルの様子や、アクロポリス、コペンハーゲン国立劇場という荘厳な舞台での華麗な公演風景は見るものを魅了する。

【コメディ・フランセーズ 演じられた愛】 La Comedie-Francaise ou l'amour joue 1996
歴史と伝統を誇るフランスの国立劇団「コメディ・フランセーズ」の全貌を映し出した作品。企画会議から舞台のリハーサル風景、劇場の全景、演出家や俳優の表情など裏方の様子、経営委員会、劇団の年金制度に至るまでを克明に描き出す。また、ラシーヌの「ラ・テバイット」モリエールの「ドン・ジュアン」など四つの芝居の上映の模様が部分的に記録されている。

【パブリック・ハウジング】 Public Housing 1997
シカゴ郊外の公共住宅供給事業の記録。貧しい居住者のほとんどが黒人である公共住宅の日常を撮している。居住者の管理組合の運営、警察の役割、住宅内で行われる職業訓練、青少年のための放課後の活動や託児所の運営など公共住宅のプログラムやここに住む10代の母親たち、崩壊した家庭、老人の居住者など、公共住宅が抱える問題を描く。

【メイン州ベルファスト】 Belfast, Maine 1999
メイン州にある人口6000人の典型的なアメリカの町ベルファスト。現在ではメイン州でもっとも貧しい地区の一つであるが、歴史的には商業的に栄えた町であり、天然資源に恵まれた土地でもある。ワイズマンは「ベルファストの日常生活が経済的圧力によっていかに変化したかあるいは変化していないかを記録しようと考え、この町のさまざまな組織とそこでの日常生活を検証した」と述べている。

【DV-ドメスティック・バイオレンス】 Domestic Violence 2001



以下は、以前「チチカット・フォーリーズ」に触発されて書いた駄文です。よろしければ、読んでみてください。


映画のタイトルで一番長い題名は? なんて考えたことってありませんか。

まあ、だいたいは、キューブリックの通称「博士の異常な愛情」、つまり「博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」を挙げると思います。

僕もそうでした。

しかし、すぐにもうひとつの長いタイトルを思いつきました。

あれです、通称「マラー/サド」、つまり「マルキ・ド・サドの演出により、シャラントン精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」です。

英国の有名な舞台演出家ピーター・ブルックの作品でした。

この極めて刺激的で挑発的な作品を思い出した時、切っ掛けの「タイトルの長さ」など、もうどうでもよくなっていました。

この映画の設定は、サド侯爵が精神病者たちに治療法のひとつとして寸劇を演じさせるというものなのですが、鉄格子のこちら側で寸劇を眺めている貴族階級と、その映画を現在見ている観客とが同位置に置かれてしまうような、革命の激しい息吹を背景に持っていた動乱の時代の貴族階級へ向けられた糾弾であるとともに、現代の観客に対する糾弾という二重構造になっているという刺激的で素晴らしい作品でした。

素晴らしいと感じながら、しかしまた、同時にどこか嘘っぽいなという感じも抱いたのかもしれません。

登場人物たちの動きが、リアルで素晴らしいと感じたということは、逆に言えばそれらがすべて指示され統制された「演技」にすぎないと思ったからでしょう。

もし本当の精神病者によって実際に演じられる映画というものが撮れたとしたら、どんなに素晴らしい映画が撮れるだろうかとチラッと考えたかもしれません。

しかし、この考えは、人権問題など映画にとって自殺行為とも言い得るとても危険な考えなのは僕自身も認識していた積りです。

映画は常にフィクションに守られている部分がありますものね。

そのことをすっかり忘れてしまった頃に、ひとつの映画についての紹介記事に出会いました。

フレデリック・ワイズマン監督の「チチカット・フォーリーズ」・マスチューセッツ州ブリッジウォーター精神病院刑務所の日常、という副題がついていました。

そして、この映画がアメリカ映画史上猥褻罪と国家保安上の理由以外で上映が禁じられた唯一の映画なのだそうです。

1991年に上映が解かれたときに明らかにされた上映禁止の理由「受刑者たちのプライバシーの侵害を保護する」という大義名分が、この映画の公開それ自体、そして内容そのものによって突き崩された、とその紹介記事はさまざまな例を挙げて論証していました。

そこには人間の人間に対する過酷にしてもっとも本質的な陵辱のカタチが描かれているといっています。

僕がもっとも感動した箇所の一文を引用します。

「看守の多くは彼らなりの人間的限界の中でまじめに仕事をしている。」

例えば、「看守」という言葉の前に「ナチスの」と書き加えれば、あるいは、より多くのイメージが見えてくるかもしれません。

そこらの気のいい勤勉なオッサンたちが、時間通りに強制収容所に出勤し、そしてユダヤ人を疑いもなくせっせと、そして真面目に、ただの仕事としてマニュアルどおり忠実に、殺戮を「日常的にコツコツとこなしていった」あのアウシュヴィッツの日常=狂気を思うと、本当に空恐ろしくなりますものね。

僕にとって、是非とも見てみたい映画の一本となりました。
by sentence2307 | 2006-01-16 23:56 | フレデリック・ワイズマン | Comments(37)
会社という所は、どうしてああも会議が好きなのか、ほとほと理解に苦しみます。

実は、このセリフをそのまま、入社したての時に上司だった人に訊いたことがありました。

答えは、「会社の会議とは、会社のある方針をみんなで決定するというよりも、その方針を全社員に遍く理解させることの方が目的なので、出席することは強制だが、会議の場で居眠りしても一向に構わない。」でした。

しかし、その上司は、電話応対などで会社の方針を正しく理解していないような受け答えをしようものなら、係りに厳しい叱責を与えた人でした。ですので僕としては、会議には立ち会いますが、意識的に「参加」したことはありません。

あからさまに寝たりはしませんが、「発言」を求められれば積極的にはぐらかして、だいたいはぼんやりと他のことを考えています。妄想とか連想とか、そんな感じです。

そして、どんなことが多いかというと、なんといっても映画のこと、なかでもギネス・ブック的なことが多いかもしれませんね。

そんな時に考えたことのひとつが、映画のタイトルで一番長い題名は? というものでした。


まあ、だいたいは、キューブリックの通称「博士の異常な愛情」、つまり「博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」を挙げると思います。

僕もそうでした。

しかし、すぐにもうひとつの長いタイトルを思いつきました。

あれです、通称「マラー/サド」、つまり「マルキ・ド・サドの演出により、シャラントン精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」です。

英国の有名な舞台演出家ピーター・ブルックの作品でした。

この極めて刺激的で挑発的な作品を思い出した時、切っ掛けの「タイトルの長さ」など、もうどうでもよくなっていました。

この映画の設定は、サド侯爵が精神病者たちに治療法のひとつとして寸劇を演じさせるというものなのですが、鉄格子のこちら側で寸劇を眺めている貴族階級と、その映画を現在見ている観客とが同位置に置かれてしまうような、革命の激しい息吹を背景に持っていた動乱の時代の貴族階級へ向けられた糾弾であるとともに、現代の観客に対する糾弾という二重構造になっているという刺激的で素晴らしい作品でした。

素晴らしいと感じながら、しかしまた、同時にどこか嘘っぽいなという感じも抱いたのかもしれません。

登場人物たちの動きが、リアルで素晴らしいと感じたということは、逆に言えばそれらがすべて指示され統制された「演技」にすぎないと思ったからでしょう。

もし本当の精神病者によって実際に演じられる映画というものが撮れたとしたら、どんなに素晴らしい映画が撮れるだろうかとチラッと考えたかもしれません。

しかし、この考えは、人権問題など映画にとって自殺行為とも言い得るとても危険な考えなのは僕自身も認識していた積りです。

映画は常にフィクションに守られている部分がありますものね。

そのことをすっかり忘れてしまった頃に、ひとつの映画についての紹介記事に出会いました。

フレデリック・ワイズマン監督の「チチカット・フォーリーズ」・マスチューセッツ州ブリッジウォーター精神病院刑務所の日常、という副題がついていました。

そして、この映画がアメリカ映画史上猥褻罪と国家保安上の理由以外で上映が禁じられた唯一の映画なのだそうです。

1991年に上映が解かれたときに明らかにされた上映禁止の理由「受刑者たちのプライバシーの侵害を保護する」という大義名分が、この映画の公開それ自体、そして内容そのものによって突き崩された、とその紹介記事はさまざまな例を挙げて論証していました。

そこには人間の人間に対する過酷にしてもっとも本質的な陵辱のカタチが描かれているといっています。

僕がもっとも感動した箇所の一文を引用します。

「看守の多くは彼らなりの人間的限界の中でまじめに仕事をしている。」

例えば、「看守」という言葉の前に「ナチスの」と書き加えれば、あるいは、より多くのイメージが見えてくるかもしれません。

そこらの気のいい勤勉なオッサンたちが、時間通りに強制収容所に出勤し、そしてユダヤ人を疑いもなくせっせと、そして真面目に、ただの仕事としてマニュアルどおり忠実に、殺戮を「日常的にコツコツとこなしていった」あのアウシュヴィッツの日常=狂気を思うと、本当に空恐ろしくなりますものね。

僕にとって、是非とも見てみたい映画の一本となりました。

会議の内容は終了後、同僚によく聞いておきました。
by sentence2307 | 2005-01-22 23:43 | フレデリック・ワイズマン | Comments(2453)