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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:松本俊夫( 2 )

薔薇の葬列

この松本俊夫作品「薔薇の葬列」69のストーリーは、簡単に言えば、同性愛の美少年が勤めているゲイ・バーのママと、経営者の男をめぐって起こした痴情事件を挑発的に描いた下世話な物語です。

経営者の男との浮気な情事、捨てられる中年のオカマの嫉妬と焦燥と失望、母親殺しの記憶、ベトナム帰還黒人兵との情事、陰謀と破綻の末の恋敵の自殺。

そして、すべてを手に入れた後の情事が、近親相姦であることを知り絶望した父親の自殺、絶望の中でみずからの両目を抉り取る美少年。

ストーリー的には、どこかジャン・ジュネの「泥棒日記」を思わせる雰囲気があるかもしれませんが、借りているのは設定だけ、同時期大島渚作品に「新宿泥棒日記」というタイトルもあり、当時サルトルの激賞という強い後ろ盾があったジャン・ジュネの、汚辱願望を伴ったマゾっぽい失墜観が、知的な階層にあっては一種のブームだったことを受けて、それらのネーミングにも反映したことが、これだけでもよく分かりますよね。

この松本俊夫の「薔薇の葬列」は、ギリシャ古典劇「オイディプス王」のストーリー、息子がそうとは知らずに父を殺して母親と結婚して、やがてその事実を知って悲嘆のなかで呪われた我が両目をみずから抉るという壮絶な悲劇がベースになっているのですが、設定を新宿のゲイバーに、そして戦士を性倒錯の美少年に、父親殺しを母親殺しに変えた強引さが、「刺激的な試み」のためにどうしても必要だった分だけ、単にアタマで考えたにすぎない図式的で現実味のない凡庸な作品に仕上がってしまったように思います。

その置き換えの根底を支えるモチーフが、偶然の思いつきと見えてしまうのは、「オイディプス王」の人物設定の父親・母親を単に入れ換え「母を殺して、父と同衾する」という、きわめて挑発的でスキャンダラスな「同性愛かつ近親相姦」という線で父子が繋がるという素晴らしい「思いつき」にみずから酔ってしまっているような鼻持ちならない部分にあるからでしょうか。

あるいはまた、同性愛が十分に「刺激的なもの」と信じる作者の、当時にあっても既に時代遅れで無様な固定観念・思い込みにも疑問に感じざるを得なかった点です。

「刺激的な試み」としての実験映画たり得ているかどうかは、見終わった後の失望がすべて証明しているといえてしまうかもしれません。

なによりも疑問に感じることは、ストーリーの奇抜さを狙って、このように人物設定をまるで将棋の駒を入れ換える小手先だけの操作が、それまで営々として積み上げてきた松本俊夫の仕事の延長線上に位置する作品として相応しいのかどうか、きっと僕の中で消化できなかったからかもしれませんね。

そして、僕たちがこの作品「薔薇の葬列」に接したときには、すでにパゾリーニの「アポロンの地獄」の鮮烈な体験を経ていたことも、この作品への失望を誘ったことと無関係でなかったような気がします。


★松本俊夫フィルムグラフィ

『銀輪』実験映画/企画、脚本参加、助監督、仕上げ監督/35ミリ//C/10分/1955年
『潜凾』記録映画/16ミリ/B&W/20分/1956年
『春を呼ぶ子ら』記録映画/16ミリ/B&W/20分/1959年
『300トン・トレーラー』記録映画/35ミリ/C/25分/1959年
『安保条約』記録映画/16ミリ/B&W/18分/1959年
『白い長い線の記録』実験映画/35ミリ/C/13分/1960年
『西陣』映画詩/35ミリ/B&W/26分/1961年
『黒い長い影の記録』ラジオドラマ/TBS/30分/1962年
『石の詩』映画詩/16ミリ/B&W/25分/1963年
『嘘もほんとも裏から見れば』演劇/劇団青俳/脚本・演出/2時間30分/1964年
『母たち』映画詩/35ミリ/C/40分/1967年
『つぶれかかった右眼のために』実験映画/マルチプロジェクション/16ミリ3台/13分/1968年
『マグネチック・スクランブル』ビデオパフォーマンス/B&W/1968年
『イコンのためのプロジェクション』インターメディア作品/16ミリ5台、オーバーヘッド2台、照明多数、直径4Mのビニール風船20個/15分/1969年
『エクスタシス』実験映画/16ミリ/B&W/10分/1969年
『薔薇の葬列』劇映画/出演:ピーター、土屋嘉男、小笠原修、内山豊三郎/製作:松本プロ+ATG/35ミリ/B&W/1時間47分/1969年 
『シャドウ』インターメディア作品/回転ストロボと人体と影/時間無限/1969年
『スペース・プロジェクション・アコ』インターメディア作品/大阪万国博/35ミリ10台、ステップ8台、一連の照明システム、彫像壁/15分/1970年
『修羅』劇映画/出演:中村賀津雄、唐十郎、三条泰子/製作:松本プロ+ATG/35ミリ/B&W/2時間14分/1971年
『メタスタシス 新陳代謝』実験映画/16ミリ/C/8分/1971年
『オートノミー 自律性』実験映画/16ミリ/C/12分/1972年
『エクスパンション 拡張』実験映画/16ミリ/C/14分/1972年
『十六歳の戦争』劇映画/出演:秋吉久美子、下田逸郎、嵯峨三智子/製作:サンオフィス/35ミリ/C/1時間34分/1973年
『モナ・リザ』実験映画/16ミリ/C/3分/1973年
『マルチビデオのためのモナ・リザ』ビデオインスタレーション/モニター10台/1974年
『フライ 飛ぶ』実験映画/16ミリ/C/9分/1974年
『モーニング・デュー(あさつゆ)』インターメディア・詩劇/映写機2台、スライド8台、照明、出演5名/1時間20分/1974年
『アンディ・ウォーホル:複々製』実験映画/16ミリ/C/23分/1974年
『色即是空』実験映画/16ミリ/C/8分/1975年
『青女』実験映画/16ミリ/C/30分/1975年
『トータルシアター・葵の上』インターメディア・前衛能/映写機1台、スライド2台、照明、出演3名/1時間/1975年
『ファントム 幻妄』実験映画/16ミリ/C/l0分/1975年
『アートマン』実験映画/16ミリ/C/l1分/1975年
『ユーテラス、子宮』全天周マルチ映像/映写機2台、スライド6台/7分/1976年
『凧』記録映画/16ミリ/C/30分/1976年
『ブラックホール』実験映画/16ミリ/C/3分/1977年
『エニグマ 謎』実験映画/16ミリ/C/3分/1978年
『ホワイトホール』実験映画/16ミリ/C/7分/1979年
『水族館』ビデオインスタレーション/モニター3台、水槽、魚/1979年
『コズミック・リレーション』3D可動スクリーン装置映像/16ミリ3台/C/9分/1980年
『気 Breathing』実験映画/16ミリ/C/30分/1980年
『コネクション』実験映画/16ミリ/C/10分/1981年
『絵馬』記録映画/16ミリ/C/30分/1982年
『リレーション 関係』実験映画/16ミリ/C/10分//1982年
『シフト 断層』実験映画/16ミリ/C/9分/1982年
『フォーメイション 形成』実験映画/16ミリ/C/9分/1983年 
『WAVE』実験映画/16ミリ/C/7分/1984年
『ディレイ・エクスポージャー』実験映画/8ミリ/3分/1984年
『EEコントロール』実験映画/8ミリ/3分/1985年
『バイブレーション』実験映画/8ミリ/3分/1985年
『揺らぎ スウェイ』実験映画/16ミリ/8分/1985年
『バイブレーション』実験映画/8ミリ/3分/1985年
『マルチ・コネクション』インスタレーション/16ミリ1台、モニター4台/1986年
『アーティキュレーション 文節』インスタレーション/モニター6台、カメラ1台/1986年
『エングラム 記憶痕跡』実験映画/16ミリ/15分/1987年
『ドグラ・マグラ』劇映画/出演:桂枝雀、室田日出男、松田洋治/製作:活人堂シネマ/35ミリ/C/1時間49分/1988年
『ルミナス・グローブ』インスタレーション/球体スクリーン+円環リアスクリーン/1989年
『トラウマ』ビデオ/C/18分/1989年
『ウランド伝説』メディアシアター/HDTV2台、レーザー他/60分/1990年
『気配』ビデオ/C/20分/1990年
『ナラトロジーの罠』インスタレーション/モニター23台、回転雲台、カメラ、砂スクリーン/1992年
『ディシミュレーション 偽装』ビデオ/C/20分/1992年
by sentence2307 | 2005-01-10 10:12 | 松本俊夫 | Comments(1)
あるサイトの芸能ニュースを眺めていたら、「ピーター=池畑慎之介が『MATATABI(仮題)』(白岩久弥監督、年内公開予定)という映画に36年ぶりに主演する」と報じている記事に接しました。

そこには、ピーターが主人公のホームレス役を男臭く意欲的に演じると紹介されています。

その記事の中で「36年ぶりの主演」という部分が意外だったので、思わず検索してしまいました。

初めての出演作、松本俊夫の「薔薇の葬列」69が最初で最後の主演作、そしてその後の黒澤明監督の「乱」85に狂言回しの道化でワキとして出演したことで役者として本格的に評価されたというのは周知の事実だとしても、高められたその知名度が映画ではなく舞台の方で発揮されたというあたり、なんだか日本の映画界での黒澤明の冷ややかな遇され方とどこか通ずるものを感じてしまいます。

でも、とにかく、「薔薇の葬列」69の衝撃的なデビューと、16年を経た「乱」がピーターにとって大きなターニング・ポイントだったことは確かなわけですね。

しかし、「薔薇の葬列」と「乱」の印象を引き比べると、「乱」の印象の方が、僕にとって遥かに強烈に残っているのは、あながち製作年の時間的な差とばかりは言えないような気がします。

当時、この「薔薇の葬列」を見たとき、既に僕たちは、パゾリーニの「アポロンの地獄」を体験した後でした。

ギリシャ悲劇をベースにしたパゾリーニ作品「アポロンの地獄」の土俗的で因習美に満ちた斬新さは、薄汚れた都会のちまちまとした美少年の倒錯と死を描いた陳腐なコピー作品「薔薇の葬列」を跡形もなく僕たちに忘れさせてしまう程の強烈なものでした。

きっと、そこには、ふたつの失望が「あった」からかもしれません。

「薔薇の葬列」という作品への失望と、松本俊夫への失望と。

ある時期、僕たちにとって松本俊夫は、その著「映像の発見-アヴァンギャルドとドキュメンタリー」によってとても近しく、そして懐かしい名前です。

僕が映画に接近した当初、まず最初に出会った名前が松本俊夫であり、その著作「映像の発見-アヴァンギャルドとドキュメンタリー」でした。

この本によって、僕は、ブニュエルを知り、ベルイマンを知り、レネを知り、ゴダールを知り、アントニオーニを知り、フェリーニを知り、それらの傑出した映像作家たちの作品の見方もまた、教えられました。

映画というものに対してまるで知識のない初心者にとって、またとない幸せな出会いだったと思います。

その後も「表現の世界」、「映画の変革」、「幻視の美学」などを図書館などで探して夢中になって読みふけった記憶があります。

多分その頃、映画青年に与えた影響度からいえば、いまの衒学的な蓮實重彦をはるかに凌ぐでしょう。

少なくとも、読み終えて、得るところが何もないと感ずる蓮實本へのあの苛立ちと空しさなど、微塵も感じることはありませんでした。

「映像の発見-アヴァンギャルドとドキュメンタリー」には、情熱に裏付けられた誠実で確かな「知識」があったからでしょうか。
by sentence2307 | 2005-01-09 12:10 | 松本俊夫 | Comments(139)