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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:深作欣二( 3 )

仁義なき戦い

電車通勤者にとってあの朝の混雑はどうにかならないものかと、いつもうんざりしてしまいます。

駅に入って来る電車が、既にもう大変な混雑で、ドアや窓ガラスにプレスされた不気味で奇妙なおびただしい顔が、まるで昆虫標本か商品見本みたいに(しかし、自分もすぐにああした浅ましい姿になるのかと思うと、面白がってばかりはいられませんが)減速しながら電車がゆっくりと目の前で停止するところから僕たちの朝の「仁義なき戦い」は始まります。

しかし、停車しても、まず人の圧力でドアが開かない、やっと開いたかと思ったら乗り込むどころか、まずは車内から目を引き攣らせた人たちが殺気立って溢れ出てくる、こんな状態でまだ乗り込む余地が残されているのかと戸惑うくらい少し気の弱い人なら会社行きを断念しかねないほどの、それはホント絶望的な状態です。

やがて乗り込む人々が乗り口に目の色を変えて殺到し、その間合いを一瞬でもはずしたら視野を完全に遮られた人々の背中の砦の前をウロウロしているだけで、無情に人間を選り分ける機械みたいなドア(なんか現代の象徴ですよね)が強引に閉まって、結局乗り込めないまま駅に取り残されるなんてことは、そう珍しいことではありません。

たまに所要があって出勤時間が少しずれた時など、この殺人的な混雑が嘘のように解消しているところを見ると、混雑のピークはほんの僅かの間に集中しているだけで、そんなうんざりするような時間にわざわざ出向いている自分のアホさ加減がつくづく馬鹿らしく思われてなりません。

毎朝の繰り返しなので、いい加減慣れてもよさそうなものなのに、ドアが開いた瞬間に、空いた場所はないかと瞬時にあたりをキョロキョロと窺うという卑しく哀しい習性は、まだまだ当分直りそうにもありません。

しかし、そんなある日のことでした。混雑した車内に苦労して、ようやっと体を割り込ませた時、本能的に「あっちが空いている」という直感に、咄嗟にカラダがそっちの方に動いてしまいました。

しかし、その卑しい直感も、冷静に考えれば、こんな朝の混雑時に空いているはずのない「不自然さ」にまでは、残念ながら考えが及ばなかったみたいです。

行く手を阻む乗客の間をどうにかすり抜けて(今から思うと、その時の感じは、むしろ「押し出されて」といった方が当たっていたみたいですね)、やっとその「空き地」にたどり着いたとき、そこにはなんと、肩を怒らせたダークスーツ姿のふたりの若き(どう見ても)ヤーさんが、怖い顔で凄みながら、こちらを睨み付けている真っ最中でした。

「近づいてきたらぶっ殺すぞ」みたいな恐ろしい形相でヨタりながら、あたりを威嚇しているこの恐るべきふたりから、乗客はできる限り距離を保とうとして恐々遠巻き状態でいたことが、あの「不自然な空き地」を作った理由だったのだと、その時初めて悟りました。

ほとんどの乗客は彼らと視線を合わせないように背を向け、在らぬ方向を見ている格好でいるのですが、恐ろしくも反面興味深いこの状況(ふたりの前に弾き出された僕は、彼らの威嚇の視線とモロ真っ正面からまともに対峙してしまっている状態です。)を怖いもの見たさで、目の端で窺っているのがよく分かります。

「空き地」までは気抜けする程の容易さで辿り着けたのに比べ、後戻りの途は、堅気の皆様の強固な連帯の砦に阻まれてしまっていて、到底開けそうもない感じです。

まさに、孤立無援のイケニエ状態です。

渡世の裏街道をひた走るヤーさんが、朝の混雑時に堅気の人々と一緒になって電車通勤しなくともいいじゃないか(ヤーさんが通勤ラッシュで組事務所に通勤するなんて似合いませんよね。第一どう考えても、物凄くカッコ悪いです。)と、いまさらながらなじりたい気持ちでいっぱいでした。

座頭市だって素人衆には迷惑かけるんじゃねえぞおって言っているじゃありませんか。

しかし、ユーモアなどとても解しそうにない極限を生きる彼らの鋭い視線に対して、爽やかな笑顔とお愛想でお答えするわけにもいかず(そんなことをしたら、彼らをいたずらに刺激して、僕の死期を早めるだけです。)緊張の面持ちで中吊り広告などを眺めている振りをしていましたが、「ぶっ殺すぞ、この野郎」の彼らまでの距離はほぼ50cm、僕にとっては、まさに余命にかかわる切実な距離だったわけです。

この遠距離通勤電車は、ターミナル駅に着くまで無数の駅に停車し、そのたびに何も事情を知らない無数の乗客がどんどん乗り込んできては力まかせにぐいぐいと背後から押してくるに違いなく、そこで展開されるであろう考えられる限りの数々の惨劇が、ごく近い将来すべて僕の身に降り掛かってくる可能性があります。

そんなことを考えるまでもなく、なんとも頼りない不吉な50cmであることは確かです。

彼らはワザとらしく視線を反らしている僕の頭の先から爪先まで全身の隅々まで何度も視線を這わせていました。

いわゆる「がん」をつける、というやつでしょうか。

正直足が震えました。

恐怖で笑い出しそうになっている自分が分かります。

やがて窓外の静かな田園風景が町の景色にとって変わる頃、電車はようやく次の駅に滑り込んでいきました。

車内では物凄いことになっていることなどつゆ知らず、駅で電車を待っている人々の暢気そうな顔&顔が、本当に恨めしく思えました。

何も知らないって、本当に幸せなことなんだなあって、その時つくづく分かりました。

しかし、恐怖の瞬間が、考えていたように徐々に「ごく近い将来」にくるわけではありませんでした。

背後でドアが意を決したように開き、バタバタバタと乗り込んでくる乗客の勢いで、それがまさに「いま」なのを直感しました。

そして、ヤーさんたちも同じように直感したらしく、そのヤバイ勢いに思わず、改めて凄みを効かせて身構える様子で、それと分かりました。

僕が乗客から背中をぐぐーっと押されて強面のヤーさんへ「わー」状態で急接近しかけたのと、極限を生きる彼らが「押すんじゃねーぞ、この野郎!」と耳を劈くような大声を上げるのとが、まさに同時でした。

その声の迫力だけであの狂騒する群集をピタッと止めたのですから、すごいです。

やはりプロは違います。

彼らは立ち塞がる群集を威嚇して道を作らせながら(あれほどの人並みは大きくふたつに割れて、ヤーさんふたりは肩を怒らせ、棄て台詞を残して堂々と下車していきました。

この事態の思わぬ急展開によって、僕も死なずに済みました。
by sentence2307 | 2005-10-15 23:58 | 深作欣二 | Comments(0)

仁義の墓場

深作欣二監督のベスト作品を聞かれたら、僕は躊躇なく、この作品と答えています。

封切り当時、この映画の評価は二分しました。

主人公・石川力夫は、戦後暴力団史上最も凶悪・凶暴といわれた実在した男です。

当時のヤクザ映画に相当好意的だった批評家でさえ、盃も掟も平気で踏み躙るポン中のこんな「はずれ外道」が、どうして映画の主人公になれるんだ、と戸惑い疑問視したくらいです。

組織に歯向かい、親分には斬りつけ、恩ある兄貴分をさえ射殺し、どこまでも献身的な愛人(強姦によって無理矢理自分の女にしました。)は芸者屋へ売り飛ばした挙句に肺病で死なせてしまう、仁義も糞もない、近づく者すべてに牙をむいて斬りかかり、そして自分もまたひたすら自滅へと疾駆するという、あの「仁義なき戦い」シリーズの興行的成功の後ろ盾がなければ、無謀ともいえるこの企画がとてもじゃないが通るとは思えないような壮絶にして陰惨、何とも救いのない全編殺気だった映画なのです。

しかし、前述の否定的な意見を表明した人たちでさえ、この途轍もない無法者、抑え切れない憤りを炸裂させ、房の壁に「大笑い30年の馬鹿騒ぎ」と書き残し、刑務所の屋上から投身自殺した石川力夫に、ある行動の純粋さを見、打たれたことを否定はしませんでした。

あるいは、また「東映実録映画の極北にして異端の最高峰」と絶賛した批評家もいました。

しかし、なによりも、俳優・渡哲也が、狂気を孕んだ生涯最高の演技を見せたことは忘れることができません。

死んだ愛人の遺骨を齧りながら歩くシーンの演技には、正直鳥肌がたちました。

そういえば、原作は「無頼シリーズ」の同じ藤田五郎でしたね。
by sentence2307 | 2005-01-05 23:44 | 深作欣二 | Comments(0)

仁義なき戦い

意識のどこかでは、常に権力を否定しながら、しかし現実にべったりと根を下ろして生活する善良な庶民にとって、権力とは結局肯定せざるを得ないものでしかないとき、そうした日本の民衆の身動きのとれない自己矛盾に満ちた虚無への一種カタルシスとして、時代劇および仁侠映画は、そのような大衆の支持を得て今日まで発展的に存在してきたのだ、と分析したのは、佐藤忠男でした。

そして、そこに一貫しているものは、例えば、道中合羽に三度笠で、いずこからとも知れずに立ち現れ、権力を嵩にきて悪事を働く者たちを、民衆と正義のために打ち倒し、やがて、名も告げずに立ち去っていく旅がらすに、抑圧され続けながら苦しい現実を無為無力のうちに耐え続けて生きる民衆が、せめて託さざるを得なかった反権力妄想によって夢見られ、そして生み出された極めて都合のいい幻の反抗者そのものだったのだとみていたのだと思います。

公的な歴史が、常に時の為政者たちの自己正当化のために、時間を遡って書き換え続けられてしまうなら、民衆の抑圧され、黙殺され続けた歴史は、例えば、今まで作られた無数の映画の中のヒーローやアンチ・ヒーローたちの中に澱のように込められ、あるいは暗示されていると言ってもいい。

あるいは、そのヒーローたちが、明るければ明るい程、一層暗い民衆の悲憤や怨念が逆照射して描き出した「反歴史」なのかも知れません。

太平洋戦争直後の荒廃した日本において、己の信じるただひとつのものを目指して、一瞬の輝きのように暴力を炸裂させて怒りの中で死んでいった無数の青年たちの、途轍もない憤りの炎と苛立ちの青春群像を描いた「仁義なき戦い」の深作欣二の一連の仕事こそ、日本戦後「反」史でした。

しかし、その時代を生きたあらゆる人間の激情も怒りも、悲惨や苦渋も、やがて年表のたった一行の記述の影に埋没し去るしかありません。

山守一家の名の下に費消されたその夥しい死が、全く無意味なものでしかなく、たとえ歴史の一行にその名前を留め得なかったとしても、だからこそ、歴史は常に青年たちのものだったのだと思います。

己のすべてを傾けて、あらん限りの生命の火を燃やし続け、絶叫し、戦い続けた深作欣二の見つめる青年たちは、最早、歴史の壁を突き通してしまい、そこで、彼らは、巨大な機構の中で、その怒りや死をも、利用されるだけ利用され尽くした後でただ棄てられる人柱でしかない自分を悟るとき、その裏切りへのやり場のない怒りの銃口を、親へと向けるしかありません。

山守に狙い定める広能も、河田を刺す石川力夫も、宗矩に斬りかかる十兵衛も、薄汚れた社会を写す「父親殺し」に向けて、その憤激を爆発させるしかなかったのだと思います。
by sentence2307 | 2004-11-06 23:20 | 深作欣二 | Comments(0)