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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:豊田四郎( 15 )

四つの恋の物語・初恋

池部良のデビュー作「闘魚」から数えて4本目の出演作は、第二次東宝争議が収束した直後に製作されたオムニバス映画「四つの恋の物語」です。

この豊田四郎が監督した第1話「初恋」は、久我美子のデビュー作でもあり、他の3作品(成瀬巳喜男監督「別れも愉し」、山本嘉次郎監督「恋はやさしく」、衣笠貞之助監督「恋のサーカス」)と比べても、とりわけ高い評価を得ている作品として知られています。

その高い評価には、久我美子のデビュー作であることも、大いに関係していると思います。

まだ幼さの名残りをとどめたふくよかな顔立ちにあどけなさを残しながら、思春期の悩みと「初恋」に直面して、未知の世界への期待とおびえに揺れる少女の不安定な心の揺れを、久我美子は、健気でひたむきな演技で新鮮な息吹を感じさせました。

母親を早くに亡くし、留守がちな父親との二人暮らしのなかで、少女・由起子は、ひとりぽっちのさびしさをまぎらすために、亡き母の遺していった形見のオルゴールを常に身近に置いて孤独を慰めているような少女です。

冒頭、高等学校から元気よく帰ってきた正雄(池部良が演じています)が、二階からの聞きなれないオルゴールの音を耳にし、母親が二階にいるのかと呼び掛けながら荒々しく階段を駆け上がりかけたとき、不意に階段の上に見知らぬ少女・由起子が立ち現れる対面の場面、少女は荒々しい若い男の勢いに気おされ、驚愕とおびえで表情をこわばらせて思わず泣き出してしまうというその場面は、いままさに「初恋」に直面しようとする少女と青年の奇跡のような出会いを飾り気なく率直に描きあげた美しい場面でした。

まるで神話のような幸福感に満ちたこの物語のはじまりを前にして、観客は、あえて不吉な結末を付け足さずにはおられないほどの嫉妬を感じさせられてしまうくらいです(皮肉にもその予感は、やがて実現されてしまうことになりますが)。

つぎの場面で、父親(志村喬が演じています)の友人の都合で、その娘・由起子をしばらく預かることになったというイキサツが家族の囲む食卓の場で賑やかに語られ、由起子を交えた家族の新たな日常が語られはじめます。

やがて、ゆっくりとした日常の描写の中で、由起子の孤独を理解する正雄が、次第に彼女との距離を縮めていく様子が描かれ、最初のうちは警戒していた由起子も次第に正雄に親しみを覚え、徐々に兄妹のような自然な関係が結ばれていきます。

最初のうちは、近づき合うことなど困難に見えた彼女との気持ちの隔たりを、なんなく飛び越えてしまうことのできた正雄の率直さのなかには、正雄もまた同じような孤独を自分の中に抱え込んでいたことが巧みに語られていて、それはこの「初恋」の脚本を書いた黒澤明のストーリーテラーとしての並外れた力量をいかんなく示したものといえると思います。

しかし、そんなふうに同じ痛みを持つ者同士が、お互いを求め合い、受け入れ、急速に距離を縮めていく正雄と由起子との様子に、危うさ(当然観客は、それを「性」の危うさと考えてしまいますが)をいち早く感じとった母親(杉村春子が演じています)は、傍から不安気にふたりを見守り、やがて引き離す決意を固めます。

息子の初恋を傍らで見守る複雑な心境を繊細な所作で象徴的に演じる杉村春子の演技をここまで見たとき、思わず木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」を連想してしまいました。

あの作品でも、息子(図らずも、彼氏もまた「まさお」でしたよね)と姪(民子さんだったと思います)とが、次第に仲良くなっていく過程で、いつしかふたりが「間違い」を犯すのではないかと危惧する母親は、無理やりふたりを引き離してしまうという、あの母親役を杉村春子が演じていました。

しかし、思い返してみれば、あの母親は、世間の悪い噂が立って民子さんの将来にキズがつくことを恐れ、良かれと思ってふたりを引き離したのであって、ふたりの間に「間違い」が生じるかもしれないとまでは危惧したのではなかったことに思い至りました。

というか、母親は、そのとき二人がどれくらい真剣・深刻に愛し合っていたかということまでは思い至らず、ただ単に「間違い」を犯す状況を封じてしまおうと考えたにすぎなかったと思うのが妥当かもしれないと考えました。

あの母親がもっとも恐れたのは、むしろ、「世間の噂」の方であって、「あらぬ噂」を立てられて閉鎖的で狭い農村社会で地域住民からの無視の制裁を受ける、たとえば「村八分」などの方が、より恐ろしいものだったのに違いなく、到底SEXなどではなかったことは、すでに今村昌平の土俗的諸作品を通して僕たちはよく認識しているところだったことを思い出しました。

しかしなぜ、「杉村春子」が似たようなシュチエーションで母親役を演じていたということだけで、その母親の行為の意味にこだわってしまったかというと、正雄から由起子を遠ざけて、ふたりの仲を裂いたことで息子・正雄を激怒させ、罵りを受け、彼の怒りに為すすべも無く、ただオロオロしながらも、帰宅した亭主に意気消沈して呟いた母親のセリフがどうにも気になって仕方なかったからでした。

「私、なんだか済まないような気がして。正雄にも由起子さんにも。正直に言ってほしいんですけれど、私のしたこと、むごいと思いますか。女親の嫉妬のようなものがあったんじゃないでしょうか。」

ふたりの仲に性の匂いを嗅ぎ取り、「間違い」が起きない前にいち早く由起子を遠ざけた手当てが不満で、息子がどのように怒り狂おうと、親として当然為すべき正当な理由のある処置だったのですから、親たるもの逆にもっと堂々と「怒るあんたこそ、筋違いだ」くらいのことを言い返してもよかったのではないかとずっと思っていました。

「野菊の如き君なりき」ならいざ知らず、この「初恋」こそは、彼らの留まることを知らない恋の暴走の果てには、早晩SEXに発展しかねない要因をはらんでおり、事実、正雄は午睡している由起子さんの胸に手を伸ばしかけているではありませんか。

そして、由起子さんも、迫り来るその手にある程度の衝撃を受けながらも、それは決して嫌悪を伴うものなのではなく、むしろ期待しているふうにも伺われるくらいたったのですから、親としてはやはり、その野放図な性交に至る前になんとか阻止しようとしたことは、至極当然な行為だったと思うべきところ、しかし、母親は、「女親の嫉妬からの行為ではなかったか」などと反省までしているのです。

なにも自分を責めることはないではないかと、そのとき感じました。

母親が、子供たちの将来を考え、「世間の噂」を危惧してふたりを無理やり別れさせ、あとになって深い恋仲であったことを知って反省するというのとくらべると、「初恋」の母親の自身無げな懺悔の言葉は不自然なほど唐突で、なにかが根本的に異なっているように感じられます。

このセリフに対する僕なりの見方としては、おそらく敗戦が日本人にもたらした自信喪失とか、東宝争議が映画人に与えた絶望感に根ざしたうえでのあの「理不尽な懺悔」ではなかったかと僕なりに考えてみました。

果たしてそれが正しい理解の仕方かどうかは、いまだに分かりません。

四つの恋の物語 第一話 初恋(1947東宝)製作・松崎哲次、本木荘二郎、田中友幸、演出・豊田四郎、脚本・黒澤明、撮影・川村清衛、音楽・早坂文雄、栗原重一、美術・松山崇、録音・空閑昌敏、照明・田畑正一
出演・池部良、久我美子、志村喬、杉村春子、石田鉱、友坂四郎、
1947.03.11 白黒

四つの恋の物語 第二話 別れも愉し(1947東宝)製作・松崎哲次、本木荘二郎、田中友幸、演出・成瀬巳喜男、脚本・小国英雄、撮影・木塚誠一、音楽・早坂文雄、 栗原重一、美術・江坂実、録音・岡崎三千雄、照明・伊藤一男
出演・、木暮実千代、沼崎勲、英百合子、菅井一郎、小林十九二、竹久千恵子、
1947.03.11 白黒

四つの恋の物語 第三話 恋はやさし(1947東宝)製作・松崎哲次、本木荘二郎、田中友幸、演出・山本嘉次郎、脚本・山崎謙太、撮影・伊藤武夫、音楽・早坂文雄、 栗原重一、美術・北川恵司、録音・丸山国衛、照明・岸田九一郎
出演・榎本健一、若山セツコ、飯田蝶子、
1947.03.11 白黒

四つの恋の物語 第四話・恋のサーカス(1947東宝)製作・松崎哲次、本木荘二郎、田中友幸、演出・衣笠貞之助、脚本・八住利雄、撮影・中井朝一、音楽・早坂文雄、栗原重一、美術・平川透徹、録音・安恵重遠、照明・平田光治
出演・浜田百合子、河野秋武、田中筆子、清水将夫、久松保夫、進藤英太郎、浅田健三、花沢徳衛、
製作=東宝 1947.03.11 白黒
by sentence2307 | 2011-01-16 15:44 | 豊田四郎 | Comments(1)

泣蟲小僧

豊田四郎監督が撮った「泣虫小僧」の原作が林芙美子 のものだと知って以来、もしこの原作を、その当時に成瀬巳喜男が撮っていたら、どんな作品になっていただろうという思いに、しばらくのあいだ囚われていました。

その撮られなかった成瀬作品が、例えばこの豊田作品のような痛切な作品に果たして成り得ていただろうかという素朴な興味です。

1938年から1939年にかけての成瀬巳喜男といえば、通説では「『はたらく一家』をのぞいては、なにひとつ、めぼしい作品がなかった」と評されていた、いわば彼の低迷期でもあったと聴いています。

その低迷を脱したのが1951年の林芙美子原作「めし」との運命的な出会いであり、林芙美子の小説群に、自分の描くべき世界をようやく発見するに至って、やっとこの時期に長いスランプから脱する端緒をつかむことができたことを考えれば(「銀座化粧」を上げるべきかもしれませんが)、とにかくそれまでの間、映画監督・成瀬巳喜男にとっては極めて危機的な期間だったはずで、まさにその1938年は、相当深刻な事態の渦中にあったそういう年だったのだと思います。

だからなおさら、成瀬巳喜男が、もしこの時期1938年に林芙美子 の原作に出会い、取り組んでいたら、それから以降の彼のフィルムグラフィも、どのような展開の仕方を見せたのかと想像するだけで、そうした刺激的な妄想に暫し胸を躍らせたのだと思います。

まあ、そうだったとしたら逆に、僕たちは、それから少し後の戦争直後に、産みの苦しみの懊悩のなかから、成瀬巳喜男が血を吐くようにして撮られた、不本意にしてかつ珍妙な作品「浦島太郎の後裔」や「白い野獣」を見ることができなかったかもしれないという負の可能性に怯えも伴ったわけですが。

遅ればせながら、僕は個人的に、これら愛すべき2作品「浦島太郎の末裔」と「白い野獣」を、心から心服していることを「成瀬巳喜男のスランプ期の作品」に深い愛着を持っているマニアのひとりでもあることを付記しておかなくてはならないかもしれません。

さて、この豊田四郎作品「泣虫小僧」を初めて見たとき、僕は咄嗟に大島渚監督の「少年」と共通し合うものを感じました。

その2作品は、ともに、大人たちから一方的に阻害され、虐待されながら、じっと耐えるしかない無力な存在としての「少年の孤独」を、憤りをもって描いた作品ということができると思います。

たぶんこの2作品に異なるところがあるとすれば、大島渚作品に登場した少年・哲夫は、両親からの虐待に対して、むしろ彼らの暴力に共感するかのような素振りで、自分の体をひたすら傷つけ、痛みつけて見せて、彼らの目の前で自分の存在を否定してみせた逆説的な描き方をしたことくらいでしょうか。

愚劣な親たちが憂さ晴らしみたいに子供に投げつける虐待をそのままの姿で見せ付けるかのように、哲夫は自分の存在をこの世から消滅させてしまうための自虐に腐心し、自己存在の抹殺の意思を明かすことで、理不尽な大人たちの暴力に抵抗しようとしたことかもしれません。

しかし、ここでの「抵抗したか・しなかったか」は、それほど重要なことであるとは思えません。

母親からどんなに邪険にされても、あるいは養育放棄という理不尽な仕打ちを受けても、たらい回しにされた先の叔母から、誰が一番好きかと問われれば、「お母さん」と答えてしまう啓吉の母へ寄せる無償の善良さに、僕たちがしたたかに打ちのめされるという衝撃の大きさは、大島作品「少年」に描かれていた、大人たちへの徹底した拒絶の意思を明らかにした痛ましい哲夫の自傷行為と比較しても、それは「勝るとも劣るものではない」などという優劣を許すような種類のものでないことは明らかです。

啓吉が「お母さん」と口にした瞬間、我が子を見捨て、愛欲に狂って九州の地まで男の後を追おうとするだらしのない女、母親として許しがたい観客が抱く侮蔑の思いは、突如として啓吉によって裏切られ、突き放されます。

どのような虐待にあっても母親を許そうとする啓吉の手放しの善良さには、どんな女であっても、子供にとっては、どこまでも掛け替えのない「母親」であり続けることを示していて、しかし同時に、そこには母と子という関係の逃れがたい宿命のどうしようもない残虐さに、遣り切れない思いを突きつけられることになったのだと思います。

親から見捨てられた少年の孤独を描くために、豊田四郎が見逃さなかった少年の仕草やこの一言が示した輝きを、もし成瀬巳喜男がこの作品を撮るのなら、果たしてこの一言に(あえて言えば「敬吉」の存在に)これほど注目することになったかと言えば、僕には、どうしても「そうだ」とは思えません。

なにしろ「浮雲」を撮った成瀬巳喜男です。野垂れ死に覚悟で南海の孤島まで男を追いかけ、愛人への激しい思いを貫き通そうとした極限の愛の物語を撮った成瀬巳喜男なのです。

どんな仕打ちを受けても母を慕う啓吉が、まぶしそうに「お母さん」と呟く淋しく儚げな少年の表情をカメラで追うことなど、ハナから考えもしなかったと思います。

成瀬巳喜男なら、やはり、子供を見捨て、男を追う愛の物語を肯定的に撮ったであろうと想像することは、この架空の妄想(撮られざる成瀬作品)を締めくくる当然の結論だったかもしれません。

(1938東京発声映画製作所・東宝)製作・重宗和伸、監督・豊田四郎、原作・林芙美子、脚色・八田尚之、撮影・小倉金弥、美術・河野鷹思、音楽・今澤将矩、設計・進藤誠吾、装置・角田五郎、録音・奥津武
出演・藤井貢、林文雄、栗島すみ子、逢初夢子、市川春代、梅園竜子、山口勇、一木禮司、高島敏郎、藤輪欣司、吉川英蘭、品川眞人、横山一雄、若葉喜代子、
1938.03.17 大阪東宝敷島 10巻 2,205m 80分 白黒
by sentence2307 | 2009-04-26 12:22 | 豊田四郎 | Comments(3)

冬の宿

もうずっと以前のことになりますが、ある友人から、この豊田四郎作品「冬の宿」に登場する霧島嘉門という主人公について、結局あの嘉門という男は破滅型の人間にすぎないんだろうな、と吐き捨てるように言っていたことを不意に思い出しました。

今回改めて「冬の宿」を見直すということがなければ、友人のその言葉も結局思い出すことがないまま、いつか忘れ去っていたことと思います。

いま思えば、なにかにつけて生真面目で几帳面なその友人は、嘉門のような、平気で家族を犠牲にして憚らない独善的で大風呂敷を広げる無神経で見栄っ張りな男には、嫌悪を通り越して、我慢できない苛立ちから、激してくる言葉を、そんなふうに吐き捨てるしかなかったのかもしれません。

しかし、「破滅型の人間」と「虚栄心の強い人間」とに、はたして接点みたいなものがあるのでしょうか。

具体的に、なにか喩えがなければ理解するのがちょっと難しい自分にとっては、「誰か」に当て嵌めてもらうのが、いちばん脳に血が巡る簡便な方法のような気がします。

例えば「太宰治」とか。

太宰治が「破滅型の人間」であったことは確かだし、また「虚栄心の強い男」というのも、そのとおりだったと思います。

しかし、だからといって、太宰は、あの「嘉門」のような男だったかというと、決してそうではなかったと思います。

では、どこが違ったのかといえば、きっと抑えられない自分の「虚栄心」を、しかし一方で十分に自覚していた太宰治は、自らの「破滅」もまた演出の範囲内でコントロールしたのだと思います。

霧島嘉門が、あらがいがたい欲望のまま本能の赴くままに放蕩の限りを尽くし、自らを窮地に追い込んだ末に、どうすることもできずにただ「破滅」に囚われていったのとは、まるでオモムキが違います。

なぜこんなことを考えたかというと、霧島嘉門が虚栄心から自分の仕事をヒタ隠しにしていた「門衛」という職業からの連想で、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウの「最後の人」1924を思い浮かべたからでした。

エミール・ヤニングスが演じたホテルの老ドアマンは、「ドアマン」であることを誇らしげに思っていて、いつも金モールの制服を自慢するために、制服を着たまま通勤しているような人物です。

一方では、かつては「社長」であったことを自慢すればするほど、現実の「門衛」であることを言い出せずにいる嘉門とは、ここが大きく違うのだと思いました。

ヤニングス演じる老ドアマンが、体力の衰え=老齢を理由に便所の掃除夫に降格させられたとき、しかし、かつてのドアマンは、それでもその仕事にあまんじ、精一杯誠実にその仕事に取り組みます。

かつて友人が感じた霧島嘉門への嫌悪は、きっとそこにあったのだと思います。

この映画のどこにも霧島嘉門が、自分の仕事に誇り高く取り組んでいる場面など、ただのひとつもでてきません。

あらゆる場面は、「俺は、むかし社長だったんだ。こんな愚劣な仕事など誰がやるものか」と嘯く傲慢で不誠実な怠け者の見栄っ張りがいるにすぎません。

友人ならずとも、仕事を愛する人間にとって、とても腹立たしい人物ではありますよね。

(1938東宝・東京発声映画製作所)製作・重宗和伸 、監督・豊田四郎、原作・阿部知二、脚本・八田尚之、撮影・小倉金彌、美術・進藤誠吾、音楽・中川栄三、津川主一、録音・奥津武、照明・馬場春俊
出演・勝見庸太郎、水町庸子、原節子、北沢彪、藤輪欣司、林文夫、島絵美子、堀川浪之助、押本映治、伊志井正也、田辺若男、伊田芳美、平陽光、青野瓢吉、南部邦彦、一木禮司
1938.10.05 日比谷劇場 10巻 2,534m 92分 白黒
by sentence2307 | 2008-06-04 23:24 | 豊田四郎 | Comments(0)

大日向村

この作品は、前進座総出演と書かれています。

印象としてなんとなく山中貞雄を思い浮かべてしまうのは、あの「河内山宗俊」や「人情紙風船」に出演していた同じ顔ぶれが、そのままこの映画「大日向村」でも見られるからでしょう。

しかし、悲観と絶望に満たされた痛切なあの山中作品と、どこまでも明るい手放しの楽観と活力溢れる「大日向村」では、そもそも比較するだけの手がかりになるようなものなど、なにひとつ見つけることのできないくらいの、あまりの違いようです。

そこには、単に、かたや「悲観」、かたや「活力」という括りだけでは説明できないような深いギャップが横たわっているのだと思います。

例えば「人情紙風船」なら、全編に漂う暗さのなかで、社会に適応できないまま押し潰されていく馬鹿正直で不器用な人間の無残な挫折を描きながら、しかし、同時に、そこには、なんとも優しい「救い」さえ見ることもできるのは、きっと、そういう純粋さに殉じる弱き者たちを、山中貞雄がどこまでも肯定的に描いているからだろうと思います。

哀れなほど真っ正直で、馬鹿馬鹿しいほど純粋で、苦笑したくなるほど弱々しくとも、そうした社会への適応力の欠落した不器用な人間たちの無残な破滅を、僕たち観衆が嫌悪感なく受け入れることができるのは、その破滅に、どんなに惨めでも生きることに誠実であろうとする者の気高さが描かれているからだろうと思います。

哀れなほど真っ正直で、馬鹿馬鹿しいほど純粋で、苦笑したくなるほど弱々しい人間でも、「それでもいいじゃないか」と肯定する山中貞雄の優しさが、僕たちを感動で撃つのだろうと思います。

それに引き換え「大日向村」の、観る者を拒むような一種独特な白々しさ・よそよそしさは、そのまま国策の側に身を置いて作られた欺瞞的で、すべてが嘘で塗り固められた製作姿勢にあることは疑いないとしても、そこに、なお残る違和感の意味がぼくにはもうひとつ解せませんでした。

いまでは、この大日向村を語るときには、どうしても「悲劇」という言葉が付きまといます。

中国の農民から土地を収奪したうえで為された国策に乗り、新天地を求めて満州へ移住した大日向村の、そして日本の貧しい農民たちに襲い掛かったソ連軍の進攻と、それに先立つ日本軍の敗走によって引き起こされた凄惨な悲劇は、多くの犠牲者と、さらに残留孤児、残留婦人となって現代に至るもなお未解決のままに残されている深刻な問題です。

日本の貧しい農民たちに「バラ色の夢」を与えたに違いないこの映画にある罪深さを感じてしまうのは、きっとその悲惨な結末のためだろうと思います。

その意味では、集団移民に一役買ったこの映画で熱演した「前進座」も、きっと同罪には違いありません。

あの「河内山宗俊」や「人情紙風船」のなかで誠実な人間の真摯な絶望と諦念を演じて見せた前進座が、このような国策映画に疑いもなく出演し、そればかりではなく、このタダならぬ熱の入れようが僕にはどうしても理解できませんでした。

そんなあるとき、なんとなく眺めていた資料によって、前進座が当時「進歩的な劇団」というふうに位置づけだったことを知りました。

この文言で僕の違和感が一気に氷解し、目からウロコが落ちたようにある考えが思い浮かびました。

もしかしたら、この「進歩的な劇団」は、時局柄どうしても国策に従わなければならないという窮地のなかにあって、彼らはこの「全国初の集団分村移民満豪開拓団」の話に、社会主義=共産主義的な集団農場(確かコルホーズとかいいましたよね)の解釈を重ねて、この国策映画のなかで精一杯彼らの理想を演じたのかもしれない、などと妄想してみました。

戦時下にあった当時の思想転向者たちの起死回生の論理というものがどういったものなのか、僕などに分かるはずもありませんが、そのような「夢」が、当のソ連軍の侵攻によって完膚なきまでに打ち砕かれるという事態に至ったことは、なんとも皮肉で無残な結末としか言いようがありませんけれども。

(40東京発声=東宝)製作・重宗和伸、監督・豊田四郎、脚本・八木隆一郎、原作・和田伝、撮影・小原譲治、音楽・中川栄三、美術・園真、録音・奥津武、照明・北村石太郎
出演・河原崎長十郎、中村翫右衛門、杉村春子、中村メイ子、伊藤智子、藤輪欣司、岬たか子、中村鶴三10巻 2,297m 84分 白黒1940.10.30 日本劇場
by sentence2307 | 2007-04-28 22:48 | 豊田四郎 | Comments(1)

濹東綺譚

豊田四郎監督の「濹東綺譚」60の陰惨なラスト・シーンは、あまりに強烈過ぎて、いまだに忘れられません。

深く愛した娼婦お雪を失った男が、なにもかもすべてに絶望して、夜、既に彼女のいない暗い私娼窟をさまよい歩いています。

男の静かな深い絶望感が描かれることで新しい娼婦を物色しているという下卑た思い入れは後退させられ、あるいは彼女を偲ぶという思いさえも超えて、むしろ、誰かを求めずにはいられない男の深い孤独感が彼に再び娼窟を歩かせていることが分かります。

そのやりきれない思いが観客にもはっきりと伝わってきて、それは同時に、60に近い男の恋が、生命力に溢れた若さの出会う恋とは本質的に違うことをも悟らされます。

今まで独り身で通してきた屈折した思いもあったのでしょう、いや、もしかしたら、彼は今までにも幾人もの「お雪」を失ってきた、そうしたわが身を自嘲せずにはいられない程の重たい気持ちを引き摺りながら夜の私娼窟を彷徨しているのかもしれません。

人間は何にでもすぐに慣れてしまう動物ですが、とりわけ絶望や不幸には、まるで顔を背けるかのようにして、すぐにでも、その頑なさで己を慣らしてしまう哀しい動物でもあります。

そしてラストシーン、路地裏の更に奥にある私娼窟、その娼家の暗い小さな窓から毒々しい厚化粧の顔を覗かせた娼婦たちが、ある者は行過ぎる客を手招き誘いながら、疲れ切った淫らな笑みを浮かべた顔を覗かせています。

その陰惨な「風景」を名手・玉井正夫のカメラは、静かにPANで捉えていきました。

芥川比呂志の「今日も玉の井の女たちは・・・」という呻くようなナレーションが陰鬱に被さって、やがて畳み掛けるように團伊玖磨の重厚な音楽が僕たちに襲いかかります。

この作品で娼婦を演じた山本富士子は、生活感のある生き生きとしたその名演で高い評価を得ました。

ひとつ間違えばドロドロの展開になってしまうこの娼婦と客の物語を、山本富士子は、実に生き生きと、そして健気に演じて、原作の持つ気高さを十分に見るものに伝えました。

この演技によって、従来苦界に身を落とした女たちの、悲しみや苦しみだけを前面に出した観念的で紋切り型の描かれ方が見直されもしました。

考えてみれば、熾烈な境遇にあるからこそ、必ずや開ける未来を堅く信じ希望を持って生きていくことの方に、人間の感情の自然な在り方を、むしろ感じます。

この作品の不思議な清潔感は、そこに起因いていることは明らかです。

代表作「夫婦善哉」55でも知られるように、豊田四郎は、成瀬巳喜男と並び称される「女性映画の名手」といわれ、成瀬の端正な女性像に対して、豊田の描く女性像のアクの強さは、その演技指導の厳しさとともにつとに知られているところでした。

なかでも、戦前の代表作「小島の春」40の夏川静江、「雁」53の高峰秀子(「浮雲」とともに好きな出演作品と述懐しています)、「夫婦善哉」55の淡島千景、「猫と庄造と2人のをんな」56の山田五十鈴と香川京子、「雪国」57の岸恵子、「台所太平記」63の森光子、乙羽信子、京塚昌子、淡路恵子のどの女優もずば抜けた生き生きとした素晴らしい演技を示しました。

この作品「濹東綺譚」は、永井荷風没後1周年を記念して製作された忘れ難い1作です。

(60東京映画)(原作)永井荷風(脚本)八住利雄(撮影)玉井正夫(美術)伊藤熹朔(音楽)団伊玖磨
(出演)山本富士子、芥川比呂志、新珠三千代、乙羽信子、淡路惠子、東野英治郎、中村伸郎、宮口精二、織田政雄、中村芝鶴、岸田今日子、日髙澄子、髙友子、長岡輝子、賀原夏子、原知佐子
(120分・35mm・白黒)
by sentence2307 | 2006-06-25 18:30 | 豊田四郎 | Comments(0)

冬の宿

豊田四郎という映画監督に対して、つい最近まで持っていた知識は、恥ずかしながら「文芸作品の映画化が至極得意な映画監督」という程度の、どの解説書にも書いてあるようなお座成りなものでしかありませんでした。

ところが、ここのところ豊田四郎が「東京発声」で撮ったという作品を立て続けに見る機会があって、僕の固定観念を遥かに超えた豊田四郎という監督の計り知れない力量を思い知らされています。

そして同時に、いままで何ということなく読み過ごしてきたこの監督に与えられた称号のような「文芸作品の映画化が得意な監督」ということを少し真剣に考えてみようかなと思うようになりました。

「東京発声」時代を年代的にみると、1937年の「若い人」から「泣蟲小僧」、「冬の宿」、「鶯」、「奥村五百子」、「小島の春」、「大日向村」にかけて1941年「わが愛の記」に至る時期ということになるでしょうか。

オリジナル・シナリオを映画化するのと異なり、もともと完成されている文芸作品を映画化するとなると、そこには当然、ある困難さとともに安易さが伴ってしまうだろうなという気がします。

他人の感受性が、おそらく極限まで深められて結実したであろう完成度を持つ文芸作品を、自分なりに消化して映画化しようと格闘すれば、そこには当然相当な軋轢というか困難が予想されるであろうし、逆にそこに描かれている「他人の感受性」をそのまま・あるがままに、ただなぞって撮っていこうとすれば、これほどの楽で安易なものはないでしょうが、それだけに「あらすじ」に流されてしまう恐れもあると思います。

以前、この期間に撮られた豊田四郎監督作品「鶯」を見たとき(本当の偶然なのですが、直前にその原作を読んでいます)、この群像小説ともいうべき原作では語られていない個々の人物の描き分けの見事さに驚かされました。

なかでも、堤眞佐子演じる農婦が、売りに来た鶯を禁猟鳥と咎められ、嫌々放す傑出した場面が忘れられません。

生活苦から野鳥を採っては売り歩く貧しい農婦が、禁猟鳥と咎められ仕方なく放す鶯が、鳴き残す囀りの余韻に虚空を見つめて、いつまでも聞き惚れる素晴らしい表情を捉えたあの映像は、神々しい聖なる領域に属するものという印象を受けました。

記録には、この「鶯」という作品は、撮影が遅々として進まなかった「冬の宿」の合間を縫って11日間で撮られた作品ということにも驚かされた覚えがあります。

さて、その「冬の宿」です。

第一印象としては、フリードリッヒ・W・ムルナウの「最後の人」みたいな作品かなと思って見ていたのですが、大変な錯覚でした。

「最後の人」が自尊心をズタズタにされる「理不尽な運命」を描いている映画なら、この「冬の宿」は、自尊心の欠落した虚栄心に満ちた男が、ただ欲望に煽られるままに堕ちるところまで堕ちつくし、すべてを失いながらも、それでもなお、生き続けなければならない「日常生活者の地獄」を描いた作品というべきかもしれません。

きっと、ここに描かれている「堕ちていく人物」は、どこまでも自虐的で無自覚なマルメラードフなのでしょうが、しかし、彼の失墜をどこまでも見守り支えているのは、その自堕落な夫と対比的に描かれている妻の存在かもしれません。

夫の破滅的な所業や理不尽な暴力に堪えるために、みずから狂信的な禁欲のクリスチャンとなった彼女は、「夫の悪行を正すため」という理由で離婚することを受け入れることなく、夫につき従っていきます、まるで彼の破滅をとことん見届けるみたいに。

それは復讐というものとは少し違う種類の、もしかしたら日本の女たちが古来から持っていた「忍従」というものの本当の姿だったかもしれません。

この観念的な人物設定が、この「妻」からリアリティを奪ってしまったことになり、結果的にこの作品の評価を下げてしまったとガイド誌には書かれていますが、僕にとっては、象徴的でとても魅力的な設定でした。

それは、きっとこの作品のラストシーンによく現れているかもしれません。

生活の糧のすべてを失った一家を見送る分かれ道で、貧民街に続く下り坂をゆっくりと下りていく一家の姿を見守る大学生・北沢彪は、やがて約束された自分にとっての上り坂をたどっていくことになるのです。

主演の勝見庸太郎は、キネマ旬報の「日本映画監督全集」1976版に映画監督として記録されている人物です。

元は松竹蒲田のスター、1926年に勝見プロを興してからはマキノと提携し、監督、脚本、主演に腕を振るった多才の人だったということですが、1929年にマキノ省三が他界すると、翌年にはマキノとの提携を解消、勝見プロは解散したとあります。

その間、もしかしたら不遇苦渋の時期があったのかもしれません。

やがて、勝見プロで育てられた八田尚之が、東京発声の企画脚本部長となって、まるで報恩のようにチャンスがあれば勝見庸太郎に役をはからったといわれています。

この「冬の宿」の主役も、きっとそのひとつとみていいでしょう。

勝見庸太郎にとって8年ぶりの出演作となったこの「冬の宿」は、奇しくも、落ちぶれてもなお見栄を張る中年男の悲哀を描いた役柄であることにも、なにか深い思いを禁じ得ません。

夫の悪行と貧苦という救いのない日常を耐える妻まつ子には、この作品が映画初出演となるムーラン・ルージュの水町庸子が演じ、また、彼がほのかな想いを寄せるタイピスト役に原節子が扮し、その「彼ら」を冷めた視線で見つめている大学生に北澤彪が演じています。

この「冬の宿」は、「女學生記」とともに長らく原版の所在が不明となっていて幻の作品と言われていたものが、2003年奇跡的に可燃性原版が発見・復元され、上映が可能となった作品です。

(38東京発声映画製作所)(製作)重宗和伸(監督)豊田四郎(原作)阿部知二(脚本)八田尚之(撮影)小倉金彌(美術)進藤誠吾(音楽)中川栄三、津川圭一(録音)奥津武(照明)馬場春俊
(出演)勝見庸太郎、水町庸子、原節子、北沢彪、林文夫、藤輪欣司、林文夫、島絵美子、堀川浪之助、押本映治、伊志井正也、田辺若男、伊田芳美、平陽光、青野瓢吉、南部邦彦、一木禮司、原田耕一郎
1938.10.05 日比谷劇場、10巻 2,534m 92分 白黒


《参考》
豊田四郎監督
1905年12月25日、京都市上京区生まれ。24年松竹蒲田撮影所に入社し、島津保次郎の助監督などを務めながら、23歳の若さで監督に昇進、『彩られる唇』(29年)を撮る。松竹傘下となった大阪の帝キネでも監督するが、不入り。東京に戻るが「おまえの映画には色気がない」と城戸四郎撮影所長から批判を受け、再び島津監督のもとで助監督修業し、特に生涯のテーマとなった「女性」を島津監督から仕込まれたという。
36年にトーキーを撮りたい気持から東京発声(後に東宝に吸収)に移る。芸術映画へ製作方針を転換した東京発声で石坂洋次郎原作『若い人』(37年)を撮り大きな反響を呼ぶ。以後、文芸作を発表し、自らの方向を掴む。40年の『小島の春』はヒューマニズムと叙情性から高く評価。戦時中は1本も発表せずリベラリストとして面目躍如たるものがあった。
戦後第1作は長谷川一夫主演の『檜舞台』(46年)。東宝大争議の時代をはさみスランプに陥るが、室生犀星原作の『麦笛』などを経て55年に織田作之助原作の『夫婦善哉』を発表。森繁久彌、淡島千景の絶妙の演技を引き出し、文芸映画の名匠として、その後の地位を決定付けた。翌56年の『猫と庄造と二人のをんな』では粘着力のある演出により、人間喜劇の世界を深めた。以来、文芸ものを軸に喜劇とシリアスの両面で、淡島千景、山本富士子、若尾文子、京マチ子らをヒロインに華麗なる女性像を次々と描き続けた。
71年、心筋梗塞にかかるが奇跡的に回復し、73年『恍惚の人』で復活。76年の『妻と女の間』を最後に、77年11月、北大路欣也の結婚披露宴でスピーチを終えたあと心不全で死去。残した作品は60本。最後まで西鶴の映画化に執念を燃やしていたという。
by sentence2307 | 2006-01-03 14:17 | 豊田四郎 | Comments(0)

小島の春

実は、この豊田四郎監督の「小島の春」は、今回初めて見た作品です。

ここのところハンセン氏病を取り巻く社会情勢は、国家レベルで激しく動いており、そんな中この作品「小島の春」への風当たりは、遠慮がちに疑問視するものから相当厳しい拒否反応に至るまで、多分そのほとんどが国策映画として作られたことに対して、作品それ自体の出来以前に、好意的でないものがあることも知っていました。

「美しい叙情的な風景の中でヒューマニズム的に描いた豊田の視点が、逆に長くハンセン氏病差別を助長した」というアレです。

しかし、そのような熾烈な状況にあるにもかかわらず、不遜かもしれませんが、この作品を見るに際して、まず僕の意識にあったのは、高峰秀子が「小島の春」の杉村春子の演技を見て衝撃を受け、演ずることに開眼したという有名なエピソードでした。

高峰秀子独特の照れによって自嘲的に誇張された表現の中には、当時「演技」というものが分からず手探り状態だった彼女の、子役のままで潰されるしかなかったような行き迷っていた危機感がよく現れているエピソードだったと思います。

「女優」への将来を見失い掛けていた焦燥のなかで、天啓のように出会った「小島の春」の杉村春子の演技がどういうものなのか、まずは自分のこの目で確かめてみたいと思いました。

この作品「小島の春」は、まるで予備知識がないまま見たので、最初は杉村春子が二役をこなしていることに気がつきませんでした。

むしろ、それが結果的には、よかったのかもしれません。

菅井一郎の演じる病状のすすむ横川が、遠からず国立療養所に収容されることで、独り取り残されることによる来たるべき厳しい現実に怯える妻を演じた杉村春子の演技は、それなりに優れているにしろ、まあ老練な杉村春子なら、しごく順当な演技だろうなというくらいで、見るものを圧倒するまでの演技とは思えませんでした。

「圧倒する」というなら、誰が見てもあの「桃畑の女」以外には考えにくいと、やはり思いました。

もし「二役」という知識がなかったら、きっと少し戸惑ったかもしれませんね。

罹病によって、世間からの冷ややかな視線と指弾を恐れて人里離れた寂しい場所に身を隠しながら、ひっそりと暮らすうら若き女性が、差し伸べる女医の助けを拒み(迫害され続けてきた者の哀しい身構え、でしょうか)、病で崩れた顔を見られまいと狭い家の中を必死に逃げ惑う場面は、胸を刃で抉られるような悲痛さを感じました。

戦前から戦後にかけて、そのまま引き継がれてきた国策という国家意思が、ようやく否定されたいまなら、それら医学の未発達が人々の迷妄を正せず、結果的に悪しき因習を助長させ、収容の論理によって患者たちを国立療養所に隔離して、人権も自由も奪った国家的な犯罪と糾弾すること(この映画を国策への全面的な加担と見る見方)は、あるいはたやすいことかもしれません。

しかし、「桃畑の女」が、僕たちの胸を打ったのは、多分そういうこととは明らかに違うことだという気がします。

高峰秀子が感動したものは、もしかしたら、杉村春子の演技を超えた、「桃畑の女」そのものに心動かされたからではないのか、という気がしてきました。

この世界を「健常者だけの世界」だと、いつの間にか過信している僕たちの視野の届かない隠された所で、「健常者」でないことで辱められ、排斥され、社会から棄てられて絶望のなかで身を隠しながら生きることと、見え見えの国家的な「同情の救いの手」を拒むこととは、同じことなのではないか。

健常者たちが「見たくない」と思うことによって、国家の隔離政策を暗に肯定してきた僕たちの「良識」というもののあり方を糾弾する渾身の力が、この「桃畑の女」にはあったからだと思います。

国立療養所へ向かう横川を乗せた船を、島の端まで追いかけて泣きながら見送る幼い息子、家族を引き裂くという自分の仕事に女医・夏川静江がふっと顔を曇らせる場面があります。

一瞬の躊躇のあとで、「これでいいんだ」と思い直すようなあのラストシーンが、とても印象的でした。

(40東京発声)製作企画・重宗和伸、監督・豊田四郎、助監督・春山潤、脚色・八木保太郎、原作・小川正子、撮影・小倉金弥、音楽・津川主一 中央交響楽団、美術・園真、装置・角田竹次郎、装飾・柳沢治太郎、録音・奥津武、照明・北村石太郎
出演・夏川静江(小山先生)、菅井一郎(横川)、杉村春子(その妻・桃畑の女※二役)、清水美佐子(横川とし)、水谷史郎(横川賢造)、勝見庸太郎(村長)、林幹(堀口)、英百合子(その妻)、菊川郁子(娘・雪子)、田中筆子(宿の小母さん)、浅野洋太郎(三平)、浅野桂次郎(仙吉)、中村メイ子(キヨ子)、三津田健(宮田)、川田晶子(その妻)、飯塚小三郎(息子)、永井柳太郎(衛生委員)、小森敏(お巡りさん)、小島洋々(校長)、鉄一郎(若い先生)、坂本猿冠者(桃畑の女の老父)、山形凡平、二葉かほる、江崎勇、岬洋二、原田耕一郎、加藤欣子
1940.07.31 日本劇場、10巻 2,416m 88分 35mm・白黒
by sentence2307 | 2005-12-29 11:28 | 豊田四郎 | Comments(1055)

暗夜行路

豊田四郎の生誕100年という今年、CSで繰り返し「暗夜行路」を放映しています。

未見の映画なので、すぐにでも見たいというハヤル気持ちと、逆に躊躇させるある言葉の存在がありました。

小津安二郎の遺したこの映画に関する言葉です。

その言葉は、まさに僕にとっては、「立ち塞がる」という感じの重圧を伴った言葉だったのだろうと思います。


「なあ厚田、文学と映画は違うんだよ。『暗夜行路』が映画にできるものか。」
『暗夜行路』の映画化は他の人の手で実現される。その話を知った小津は、吐き棄てるようにこう言った。
「天に唾を吐く行為だな。ものを知らん奴には勝てん」  (絢爛たる影絵・文春文庫92~93頁)


揶揄と諧謔をこよなく愛する人生の達人・小津監督が、こんなふうにあからさまな非難の意を臆面もなく口にするのは、本当に珍しいことなのじゃないかという気がします。

それだけこの時ならぬ激昂(多分)は、小津監督が志賀直哉という作家をいかに愛していたか、そして更に「暗夜行路」という作品を当の作家以上に愛していたかの、その顕著な証しのように感じられます。

昭和14年5月9日の日記に、小津は、こんなふうに書いています。

「『暗夜行路』を数日前から読んでゐる。後篇は初めてだつた。激しくうたれる。<これは何年にもないことだつた。誠に感ず。>」


「天に唾を吐く行為」と小津監督に名指しされた映画「暗夜行路」を、何もなかったかのように白紙の状態で見られるわけもありませんが、しかし自分の目で、この映画が小津の言うように本当に暴挙かどうか確かめながら見るという、僭越ながら巨人・小津安二郎に挑むような愉しみもないわけではありません。

それに、これだけの負の圧力に抗しながら映画を見るという貴重な体験は、そう滅多に経験できるものでもありませんしね。

そんなこんなで久しぶりに緊張しながら見た映画です。

さて、最近は、見ていて難解な部分を無理に分かろうとするのはよそうと努めています。

この映画でいえば、多分、その難解な部分こそが「文学と映画は違う」というきわどい断層となって剥き出しになっているところだろうと見当をつけました。

ラスト、憔悴しきった謙作が一夜を草の上で過ごし、浅い眠りから目覚めたとき目の当たりにする壮大な朝日を浴びて「悟り」をひらくかのように描かれる「解脱」の部分の、その作り手のテンションが観客にどこまで伝わるか、きっとこの辺りが、小津をして「映画が文学に及ばない」といわしめたところだろうと思いました。

黎明を目の当たりにした感動によって(たぶん「生きる」ということの純粋な象徴みたいなものなのだろうと思うのですが)、いままで自分を縛っていたグチャグチャの「しがらみ」の何もかもからすっかり解き放たれ、そしてすべてを許すという境地に達する重要な部分の描写です。

しかし、はっきり言って、僕には、作り手が意図したような、まるで超常現象のような「境地に達する」というところまでは、どうしても付いていくことができませんでした。

ここのところが、僕が、分からないことを無理に分かろうとするのはよそうと、あえて自分に言い聞かせる契機となった難解な部分です。

それなら分かる部分は何処かと言えば、夫の留守中に妻が、ふとした油断から幼馴染の男から強姦同然に性交を強いられたことで、この夫婦の間がおかしくなっていく部分です。

夫は、犯されたことを負い目に感じているその妻に対して、そんな彼女に「殊更に性欲が昂まる」などと表明し、妻はそういう夫の性欲の在り方に不気味で異常なものを感じて怯え、嫌悪感をあらわにすることで、逆に夫を苛立たせて、逆上を導き、彼女への夫の暴力を引き出すという結果に繋がってしまいます。

この気持ちの行き違いが拗れてグチャグチャになっていくあたり、互いに身動きできなくなっていく夫婦の閉塞感というものが、たぶん厄介なものではあっても、決して理解不能の難解なものであるはずがありません。

ドメステック・バイオレンスというものが、夫の側だけの問題でないことを妄想させてしまう重要な図式が、この場面に潜んでいるのようにも思われます。

この「暗夜行路」という作品には、「風の中の牝鶏」で描かれていたはずの「なにか」が描かれていないという欠落感みたいなものを実感します。

その「あるもの」とは何か、とあえて問われても明確な答えを返せない不甲斐ない自分は、きっと「風の中の牝鶏」を見て欲しいと言うくらいしかできない、何とも情けない自分でもあるわけなのですが・・・。

(59東宝)監督・豊田四郎、製作・滝村和男・佐藤一郎、原作・志賀直哉、脚色・八住利雄、撮影・安本淳、音楽・芥川也寸志、美術・伊藤喜朔、録音・長岡憲治、照明・森康、
出演・池部良、山本富士子、淡島千景、千秋実、文野朋子、中村伸郎、荒木道子、長岡輝子、仲谷昇、北村和夫、杉村春子、汐見洋、三津田健、賀原夏子、加藤治子、市原悦子、南美江、小池朝雄、杉裕之、仲代達矢、矢吹壽子、田代信子、守田比呂也、本山可久子、佐野タダ子、加藤武、若宮忠三郎、岸田今日子、北見治一、田辺元、黒岩竜彦、
10巻 3,840m 白黒 東宝スコープ
by sentence2307 | 2005-12-08 22:31 | 豊田四郎 | Comments(0)

大日向村

この作品は、前進座総出演と書かれています。

印象としてなんとなく山中貞雄を思い浮かべてしまうのは、あの「河内山宗俊」や「人情紙風船」に出演していた同じ顔ぶれが、そのままこの映画「大日向村」でも見られるからでしょう。

しかし、悲観と絶望に満たされた痛切なあの山中作品と、どこまでも明るい手放しの楽観と活力溢れる「大日向村」では、そもそも比較するだけの手がかりになるようなものなど、なにひとつ見つけることのできないくらいの、あまりの違いようです。

そこには、単に、かたや「悲観」、かたや「活力」という括りだけでは説明できないような深いギャップが横たわっているのだと思います。

例えば「人情紙風船」なら、全編に漂う暗さのなかで、社会に適応できないまま押し潰されていく馬鹿正直で不器用な人間の無残な挫折を描きながら、しかし、同時に、そこには、なんとも優しい「救い」さえ見ることもできるのは、きっと、そういう純粋さに殉じる弱き者たちを、山中貞雄がどこまでも肯定的に描いているからだろうと思います。

哀れなほど真っ正直で、馬鹿馬鹿しいほど純粋で、苦笑したくなるほど弱々しくとも、そうした社会への適応力の欠落した不器用な人間たちの無残な破滅を、僕たち観衆が嫌悪感なく受け入れることができるのは、その破滅に、どんなに惨めでも生きることに誠実であろうとする者の気高さが描かれているからだろうと思います。

哀れなほど真っ正直で、馬鹿馬鹿しいほど純粋で、苦笑したくなるほど弱々しい人間でも、「それでもいいじゃないか」と肯定する山中貞雄の優しさが、僕たちを感動で撃つのだろうと思います。

それに引き換え「大日向村」の、観る者を拒むような一種独特な白々しさ・よそよそしさは、そのまま国策の側に身を置いて作られた欺瞞的で、すべてが嘘で塗り固められた製作姿勢にあることは疑いないとしても、そこに、なお残る違和感の意味がぼくにはもうひとつ解せませんでした。

いまでは、この大日向村を語るときには、どうしても「悲劇」という言葉が付きまといます。

中国の農民から土地を収奪したうえで為された国策に乗り、新天地を求めて満州へ移住した大日向村の、そして日本の貧しい農民たちに襲い掛かったソ連軍の進攻と、それに先立つ日本軍の敗走によって引き起こされた凄惨な悲劇は、多くの犠牲者と、さらに残留孤児、残留婦人となって現代に至るもなお未解決のままに残されている深刻な問題です。

日本の貧しい農民たちに「バラ色の夢」を与えたに違いないこの映画にある罪深さを感じてしまうのは、きっとその悲惨な結末のためだろうと思います。

その意味では、集団移民に一役買ったこの映画で熱演した「前進座」も、きっと同罪には違いありません。

あの「河内山宗俊」や「人情紙風船」のなかで誠実な人間の真摯な絶望と諦念を演じて見せた前進座が、このような国策映画に疑いもなく出演し、そればかりではなく、このタダならぬ熱の入れようが僕にはどうしても理解できませんでした。

そんなあるとき、なんとなく眺めていた資料によって、前進座が当時「進歩的な劇団」というふうに位置づけだったことを知りました。

この文言で僕の違和感が一気に氷解し、目からウロコが落ちたようにある考えが思い浮かびました。

もしかしたら、この「進歩的な劇団」は、時局柄どうしても国策に従わなければならないという窮地のなかにあって、彼らはこの「全国初の集団分村移民満豪開拓団」の話に、社会主義=共産主義的な集団農場(確かコルホーズとかいいましたよね)の解釈を重ねて、この国策映画のなかで精一杯彼らの理想を演じたのかもしれない、などと妄想してみました。

戦時下にあった当時の思想転向者たちの起死回生の論理というものがどういったものなのか、僕などに分かるはずもありませんが、そのような「夢」が、当のソ連軍の侵攻によって完膚なきまでに打ち砕かれるという事態に至ったことは、なんとも皮肉で無残な結末としか言いようがありませんけれども。

(40東京発声=東宝)製作・重宗和伸、監督・豊田四郎、脚本・八木隆一郎、原作・和田伝、撮影・小原譲治、音楽・中川栄三、美術・園真、録音・奥津武、照明・北村石太郎
出演・河原崎長十郎、中村翫右衛門、杉村春子、中村メイ子、伊藤智子、藤輪欣司、岬たか子、中村鶴三
10巻 2,297m 84分 白黒
1940.10.30 日本劇場
by sentence2307 | 2005-12-02 21:47 | 豊田四郎 | Comments(0)

映画を見た後で、その原作である小説を読むというのは、僕の場合、まず「ない」のですが、逆のケースなら(偶然ですが)結構あります。

原作の伊藤永之介(未知の作家です)の小説「鶯」は、たまたま少し前に読んでいました。

中央公論社から刊行された「日本文学全集79・名作集3」という文学全集のシリーズ中の19作のうちの1作として収載されている作品です。

私的な事情で恐縮ですが、僕の所蔵している本の量が収容スペースをはるかに上回る過剰な状態にあり、本はどんどん読んでどんどん処分しており(まあ古本とはいえ、買った手前、読まずに処分するとなると、気持ち的にどうしても抵抗がありますし、いったい何のために買い込んだのか我ながら馬鹿馬鹿しいとは承知のうえで必ず眼を通すことを自分に課しています。)その一環として、以前この作品「鶯」を読んでいたのでした。

実は、この本に収録されている作品に、北条民雄の「いのちの初夜」と金史良の「光の中に」があるために(ともにとても素晴らしい作品です)、すでに本自体は読了していたのですが、未練もあって棄てることもできずに、ぐずぐずと持ち続けていたという事情のある1冊でした。

読了したときの印象としては、はっきりいってさしたるものはありません。

極貧の中で生きる農民の悲惨としたたかさとが軽妙な東北弁によって訥々として語られており、その不思議な感覚の対比がステレオタイプの「悲惨さ」を抑えて、味わい深い独特な軽みを出しているというくらいの印象だったでしょうか。

しかし、豊田四郎作品「鶯」を実際に見て、原作をはるかに超えている仕上がりに感動しました。

この作品は、多分グランド・ホテル形式とでもいうのだと思うのですが、様々なエピソードを織り込みながら人間が重層的・同時進行的に描かれていくというなかで、ある程度ストーリーが固まっている部分(杉村春子のもぐりの産婆の話とか、霧立のぼると清川虹子の親子のエピソードなど)は、それなりに制約を受けるという限界もあので別にしても、禁猟の鳥と知らずに鶯を警察に売りにくる女(堤眞佐子が演じています)のエピソードの部分は、原作にはない豊田四郎の哀しみを押し殺したような独特な軽味の叙情が漂っていました。

たまたま鶯を手に入れた(家に迷い込んできたと話しています)女が、警察署にその鶯を買ってくれないかと現れます。

家には腹をすかせた子供たちが、幾らかの金を手にした母親の帰りを待っているというのに、しかし、食うや食わずの近隣の貧しい農村では鶯を買うなどという余裕のある悠長な人間などいるわけもなく、そこで女は、この貧しい農村地域で唯一安定した給料を得ている官吏のいる警察署に出向いてきたというわけです。

そこで、ふた言三言交渉のやり取りが描かれた後で、エライ警察職員に鶯は禁猟の鳥だから放してやれと脅かされます。

女は、この鶯は「採った」のではなく、たまたま家に飛び込んできたのだと説明しますが聞いてもらえず、仕方なく警察署の玄関先で鳥籠の扉を開けて鶯を放すことになる場面です。

いままさに、当面唯一の生活の糧といってもいい大切な「飯のタネ」を失おうとしている貧困にあえぐ女の描き方に心惹かれました。

多分、この小説からすれば、きっと、飛び去る鳥の行方を追いながら、貧しい女は、無念さとか、やりきれない悲しみとか、それに伴う怒りとか、そして諦めの表情や仕草などが描かれるというのが予想される普通の行き方だろうと思います。

しかし、この豊田作品では、驚くべきことに、飛び去る鶯の行方を追いながら、鶯野の鳴き声に思わずうっとりと聞き惚れてしまう女の美しい顔をアップで捉えていました。

自分の絶望的な状況の只中でも、唯一の生活の糧を失おうとしているその時に直面して、美しい鶯の声に思わず聞き惚れてしまうということは、いったいどういう心理なのか、戸惑いました。

豊田四郎作品というと、何故かすぐに井伏鱒二作品を連想してしまうのですが、これはなにか深く関係しているものが潜んでいるのかもしれませんね。

この作品は、豊田四郎監督が「冬の宿」を撮影中の合間をぬって、わずか16日間で撮り上げたといわれている珠玉の名編です。

(38東京発声=東宝)製作企画・重宗和伸、監督・豊田四郎、原作・伊藤永之介、脚本・八田尚之、撮影・小倉金弥、音楽・中川栄三、美術・進藤誠吾、装置・角田五郎、録音・奥津武、照明・馬場春俊、
出演・勝見庸太郎、御橋公、伊達信、鶴丸睦彦、押本映治、北沢彪、藤輪欣司、汐見洋、霧立のぼる、清川虹子、堤眞佐子、村井キヨ、文野朋子、杉村春子、水町庸子、藤間房子、堀切浪之助、江藤勇、恩田清次郎、平陽光、大友純、木浦柴雄、田辺若男、原田耕一郎、榊田敬治
(73分・9巻 1,975m 白黒)
1938.11.09 日比谷劇場
by sentence2307 | 2005-11-19 18:05 | 豊田四郎 | Comments(5)