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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:木下恵介( 7 )

陸軍

映画「はじまりのみち」は、木下恵介と兄・敏三が、空襲の激しくなった浜松市内に住み続けることが困難になったため、半身不随の母親をリヤカーに乗せて、山奥の村に疎開(避難)するというエピソードを描いた、いわばロードムービーです。

浜松市で2件の店舗を経営していた木下一家は、ぎりぎりまで疎開するのを躊躇していたのですが、度重なるB29の波状攻撃により全市が火の海となり(昭和20.6.18だけで)1000人を超す市民が焼死、1万6000戸におよぶ家屋が焼き払われて、木下家の経営していた店舗「尾張屋」も消失するという事態に立ち至り、ついに疎開を決意します。

直接の動機は激化する空襲ですが、まことしやかに囁かれた噂では、「大空襲のあとに、いよいよ米軍が上陸してきて、日本人の男たちは去勢されたうえで銃殺され、婦女子は強姦されて妾にされる」との噂が囁かれたこともあったかもしれません。

情報をまるっきり断たれた極限状態にある人間が、抑えがたい恐怖心から妄想を暴走させパニック状態に陥ったとしても、敗戦が色濃くなった戦時下では無理からぬことだったかもしれません。

しかし、それにしても「半身不随の母親をリヤカーに乗せて山奥に疎開する」、距離にしていえば50キロ~60キロという、とんでもない距離(熾烈な峠越えだってあります)を歩きとおすというこのエピソードを聞いたとき、正直すこし奇異に感じました。

戦時下とはいえ、もっとほかになにか適当な移動手段がなかったのか、母親をリヤカーに乗せ、歩かなくてもよさそうなものじゃないか、という気持ちです。

なんでそこまで、わざわざ自分から苦しい手段を選ぶ必要があるのか、そこのところがどうしても理解できず、これではまるで自虐行為ではないか、としか思えなかったからでした。

もちろん時は激烈な戦時下にあったわけですから、安直な「交通手段」の模索など、当時の状況をまるっきり理解しない愚かな疑問といわれればそれまでなのですが、しかし、それでも「奇異」な感じが払拭できなかったのは、そこに「半身不随の母親」が絡んでいるからだと思います。

しかし、すぐに、そこには木下恵介が母親に対して、単に愛情だけでない、なにか贖罪感のようなものを抱えていたからではないか、という疑いを抱きました。「贖罪」と「自虐」とは、とても親しく寄り添いあう関連概念です。

木下恵介年譜には、「陸軍」が封切り上映される昭和19年12月7日のちょうど一週間前に、木下恵介の身の回りの世話をするため上京していた母・たまが、東京蒲田の家で夜間の空襲に遭遇し、驚愕と恐怖のあまり脳溢血で倒れたと記されています。

自分の世話のために浜松から上京してくれた母が、空襲のショックで倒れ半身不随の体になったことについて、木下恵介は、心から詫び、深く後悔したに違いありません。

「はじまりのみち」において、忘れられないシーンとして記憶される、豪雨の中をやっとのことで峠越えしてたどり着いた宿屋の店先で、木下恵介が、母の顔についた泥のはねをゆっくりと拭い取る美しいシーンには、彼の優しさばかりでなく、木下恵介のもっと違う種類の感情がひそんでいることをなんとなく感じ取ったのは、きっとこのことだったのだと思いました。

映画「陸軍」が、軍部・情報局にとって、あまり芳しい作品でなかったことは事実でしょうが、不評なりにも検閲がとおり、「陸軍報道部委嘱作品」と「陸軍省後援」という輝かしい推薦の金文字を得て上映が許可されたことは、間違いありません。

まがりなりにも現代の僕たちがこの作品を完全な形で鑑賞できるということは、検閲を通過した事実を示しているわけです。

しかし、上映してから、田中絹代の母親が行進中の息子のすぐそばまで駆け寄り、戦地でも、どうか無事でいてと縋り付きながら願うシーンについて、上映当時、軍関係者から、
「なんびとであろうと(母親でさえも)、行進中の軍の隊列を外部のものが乱すことなどということは絶対に有り得ない。こういう作品に許可を与えるとは、検閲官は、なにをしておったか。日本の軍隊でこんなことが許されるはずがないではないか」
などという、情報局の手落ちを厳しく指弾罵倒する声があったとかいう資料を読むと、こうした不評や批判や痛罵も、結局はすべて上映後の出来事であったことが分かります。

だから、こうしたどのような批判も「陸軍」という作品自体には、なんら影響を与えるものではなかったと考えていいわけで、むしろ、影響があったとすれば、次作に撮る予定だった国策映画「神風特別攻撃隊」の企画が、情報局によって反対され、撮れなくなったということの方であって、木下恵介は、そちらの方の企画中止に憤慨して大船撮影所に辞表を叩きつけて郷里・浜松に引っ込んだというのが事実らしいのです。

情報局が、なぜ「陸軍」のラストシーンをパスさせてしまったのかというと、当局としては通すことについて、確かに釈然としないものがあったのだが、木下恵介の力強い演出力に圧倒され許可してしまったというのが通説として伝えられているのですが、その後(上映後)に、好戦的な市民(つまり、ほとんどすべての市民です)から「女々しすぎる」や「あんなのは、英米の母親だ」などの批判が湧き起こり、「陸軍」をパスさせてしまった軍部は、当初感じた「釈然としない思い」が正しかったことに遅ればせながら気が付き、また木下恵介の抜群の演出力に圧倒されて許可を与えてしまった悔しさもあって、次作の国策映画「神風特別攻撃隊」の演出から木下恵介をはずしたとされています。

いまの僕たちは、木下恵介というと、すぐにガチガチの「反戦」とかゴリゴリの「厭戦」のヒューマニストをすぐにイメージしがちですが、ここにいる木下恵介青年は、国策映画「神風特別攻撃隊」を撮れなくなって腐りきり、撮影所に辞表を叩き付けて郷里に引っ込むという、実に可愛げのある愛国青年だったわけですね。

しかし、この「陸軍」のラストシーンの田中絹代の熱演を繰り返し賛美するうちに、「本当にそうなのか」という気持ちに捉われてきました。

もし、田中絹代の周囲を取り巻く民衆の熱狂がなければ、あの熱演が、存在し得ただろうかという思いです。

息子を見失うまいと必死で追う母親を阻み、こづき、押し倒しそうになる熱狂する民衆と、顔を輝かせながら堂々と行進する若き出征兵士たちがいなければ、たぶん田中絹代の演技もあれほどの切迫感を出せたかどうか疑問です。

最初、自分は、これだけの群集を撮影のために用意することなど不可能なこととアタマから考えていました。

つまり、何かの記念行事で行われた実際の兵士たちの行進風景と、実際に集まった群衆の中に木下恵介は田中絹代をひとり紛れ込ませ、出征する息子を送る母親役を演じさせ望遠とかで撮ったからこそ、ドキュメンタリー映画のようなあれだけの臨場感がだせたのではないかと思っていました。

行進する兵士や熱狂する市民の群れは、まさに現実そのものの生々しさと迫力が感じられます、作り物にはどうしても見えませんでした。

しかし、そこにすぐにある考えが覆いかぶさってきました。
そうか、この作品は、陸軍報道部委嘱作品であり、「大松竹の演技陣技術陣の總力を結集、社運を賭してこの豪壮雄大なる劇映画の完成に邁進、一億国民の陸軍精神把握に些か寄與せんとす。」とぶち上げた陸軍省後援作品だったのだから、軍部のメンツに掛けて軍隊や愛国婦人会をエキストラとして幾らでも動員することくらいのことは、なんということもなかっただろうし、「切迫した臨場感」とか「熱狂する民衆」などといっても、むしろそれが、民衆にとって当時のあるがままの日常そのものだったわけなのだから、そういう人たちを軍部の後ろだてを得て、木下恵介は、思うがままに動かすことができたのに違いありません。

そんなあるとき、長部日出雄の「天才監督 木下恵介」を読んでいたら、こんな一節に遭遇しました。

「なにしろ、「陸軍省後援」というお墨付きだから、撮影は、福岡の中心の大通りを完全に交通止めにし、西部軍司令部と市内の大日本国防婦人会や国民学校の全面的な協力の下に行われた。
広い通りの両側を、びっしりと埋めた何千人もの人垣が、日の丸の小旗を打ち振って、熱狂的な歓呼の声を送るなか、整然と隊伍を組んだ出征兵士の列が、果てが知れないほど長く連なって行進してくるのを、ビルの上から俯瞰して撮った画面のスケールの壮大さには、誰もが感嘆せずにおられなかった。
軍隊も含めて何千人もの人間が、木下恵介の思い通りに動くのだ。
クライマックスは、行進する隊列の中の息子と、それを負って走る母親の姿を、延々とカットバックで捉える長い移動撮影である。
移動車に乗せられたキャメラの位置と、レンズの種類を細かく切り替えて、テストと本番が繰り返されるたびに、気合が入った恵介の鋭い指示の声が飛ぶ。
見送る側にとっても、見送られる側にとっても、それは次第に映画の撮影ではなく、現実そのものとなった。国民学校の生徒を含めて、人垣を作った老若男女は、心の底から声を振り絞って「バンザイ」「バンザイ」と叫び、撮影隊もまた感激して仕事を忘れ、テストのときはみんな本気になってそれに唱和した。
恵介もこのとき、確固とした反戦や厭戦の意識はなかったろう。戦場に向かう兵士と、見送る母親の双方の心情を描こうとして「映画の申し子」としての全能力と全感覚を夢中になって発揮したことが、「好戦」とか「反戦」といった一言で割り切ったり決め付けたりすることの出来ない、時代を超越していつまでも生き残る珠玉のシーンを誕生させたに違いない。」

なるほど、なるほど、そういうことだったわけですか。

だからこそ、迫力ある行進や、臨場感あふれる熱狂だって思う存分だせたのであって、出征する息子をおくる母親・田中絹代の殊更な悲しみの名演も一層輝きを増したというというわけですよね。

木下恵介だって、「陸軍」をそういう「官製」の映画であることを十分に意識したうえで、あのラストシーンを撮ったと考えるのが、むしろ自然です。

だから、なにもあのラストシーンに彼があえて「反戦」を込めたとは到底考えにくい。

むしろ「なにを勘違いしているのだ、誤解するのもいい加減にしろ」と憤ったのではないかとさえ感じられます。

雄雄しく行進する出征兵士たちの意気顕揚さも事実なら、民衆の歓呼の声だってきっとそうであるように、その中に「どこの母親が、息子に死んでこいなんていうものか」という思いで無事を念じて見送る母親の思いも、すべてひと繋がりのものとして、あの見送りのラストシーンに同時に存在した、そのどれが欠けても成立しなかった木下恵介のリアリズムだったのであり、木下恵介の国策映画そのものだったのだと思います。

長部日出雄の「天才監督 木下恵介」には、「陸軍」のラストシーンについてこんな後日談が記されていました。

「映画の行進場面に、エキストラとして出演したのは、西部46部隊113連隊の827人。
福岡、佐賀、長崎の北九州3県から、南方軍要員として召集された補充兵で、ほとんどが妻子もちであった。・・・
補充兵ばかりの113連隊は、撮影から1ヵ月後、10月19日の深夜、こんどはひとりの見送り者もいないなか、博多駅まで映画と同じ道を行進し、門司港から南方に向かった。
上陸したマニラで、連隊は二手に分かれ、レイテ島に向かった一隊は、そこで玉砕し、マニラ近郊で戦闘に加わった一隊は、敗走をつづけてルソン島の山奥に入り、飢えとマラリアでつぎつぎに斃れ、祖国に帰還できたのは数十人しかいなかった。」

(1944松竹・大船撮影所)監督・木下惠介、脚本・池田忠雄、原作・火野葦平、製作・安田健一郎、撮影・武富善男、美術・本木勇、録音・小尾幸魚、後援・陸軍省
出演・笠智衆(高木友助、高木友彦)、信千代(友助の妻)、三津田健(息子友之丞)、横山準(友之丞の少年時代)、杉村春子(セツ)、山崎敏夫(友彦の少年時代)、田中絹代(わか)、星野和正(息子伸太郎)、上原謙(仁科大尉)、東野英治郎(桜木常三郎)、長浜藤夫(藤田謙朴)、細川俊夫(林中尉)、佐分利信(機関銃隊長)、佐野周二(金子軍曹)、原保美(竹内喜左衛門)、

公開1944.12.07 白系 10巻 2,392m 87分 白黒
by sentence2307 | 2014-07-26 19:03 | 木下恵介 | Comments(1)

二十四の瞳

いままで撮られた映画の中で最も美しいシーンは何かと問われたら、僕は躊躇なく「二十四の瞳」の前半のシーン、櫻の花びらが舞い散る下で、大石先生が幼い子供たちとともに汽車ごっこをして遊んでいるあの場面を挙げると思います。

高峰秀子演ずる大石先生は、子供たちの先頭を駆けながら、軽く振り向いて笑顔で子供たちを見守っています。

縄をしっかりと握った子供たちは、連なって満面の笑顔で先生のあとを追っています。

この映画「二十四の瞳」を最初に見たときは(今ではすっかり忘れてしまっているのですが)、きっと最後のシーンの、教え子から自転車を贈られる感動的な場面で泣いてしまったのだろうなという気がします。

しかし、幾度も繰り返して見るうちに、逆に、この冒頭の場面のあまりにも美しく、それだけに一層悲しい追憶の残酷さが僕の胸を締め付けずにはおかなくなりました。

その子供たちの幾人かは戦場で命を落とし、あるいは病没し、あるいは行方知れずとなることを既に知っている僕たちには、楽しそうに遊び興じる子供たちの笑顔の無邪気さを、一層哀切なものとして感じずにはおられないのでしょう。

人が生きていくうえで、何が大切で、何が愚劣なことか。

優れた映画は、本質的なことを一瞬のうちに分からせてくれます。

この映画には、大声で叫ぶようなアジテーションも、激昂した怒りの主張もありません。

辺境の孤島の小さな分教場で、女教師と子供たちとの間に交わされた日々の小さな喜びと悲しみ、その何気ない日常の描写のひとつひとつを、すぐ背後に迫り来る戦争の暗い影を怯えのように感じ取りながら、まるで残された一瞬一瞬を惜しむかのように大石先生との平穏な日々の永遠を切実に願う幼い子供たちのささやかな、そしてあまりにも儚い祈りのように思えました。

心に残る二つの場面があります。

ひとつは、2里の道を歩いて見舞いに来てくれた子供たちに、大石先生がバスの中から気づく場面です。

自分たちが仕掛けた悪戯のために先生に怪我を負わせた罪悪感に泣いている子供たちへ、大石先生は「あなたたちのせいではないのよ」と言いながら抱き締めます。

もうひとつは、貧しさのために、学校を諦めて家のために働いているかつての教え子に逢いに行く場面です。

大石先生は、ただ「がんばってね」と励ますことしか出来ません。

否応なく大人たちの世界に呑み込まれていく幼い子供たちへ、何もしてあげられない自分の無力を大石先生は、悲しむことしかできません。

しかし、何も出来ないと嘆く彼女の深い悲しみにこそ、心から子供を思う人間の本質的な愛情の姿を感じます。

この映画は、これからも鋭い刃のように僕たちの胸を刺し、幼い者たち、力ない無力な者たちへの愛を忘れ掛けた時にはいつでも、人を愛する力の在り場所を教えてくれる作品であり続けるに違いありません。

(1954松竹大船)製作・桑田良太郎、監督脚本・木下恵介、原作・壺井栄、撮影・楠田浩之・音楽・木下忠司
出演・高峰秀子、月丘夢路、田村高広、小林トシ子、笠智衆
1954.09.15 16巻 4,237m 白黒
by sentence2307 | 2013-04-03 23:51 | 木下恵介 | Comments(0)

木下恵介の怒り

少し前のNHKのスペシャル番組で、木下恵介監督の特集番組を放送していました。(ネットで調べたら11月7日の夜10時からの番組です。)

僕の印象からすると、松竹の優等生・木下監督の人生って順風満帆というイメージだったのですが、放送を見ていたら、どうも晩年はそうでもなかったみたいですね。

繊細な天才肌で自我が強かった分だけ、次第に特異な部分が際立って企画が通りにくくなり、松竹との関係がギクシャクし、思うように仕事ができなくなっていく、やがて事実上ホサれ、やむなくテレビの仕事に流れていったと解説されていました。

それが例の「木下恵介劇場」だったんですね。初めて知りました。

そういうなかで、このNHKの番組が、繰り返し強調していたことは、分け隔てなく深い愛情を周囲に注いだ彼の母親を、木下監督自身が、映画の中で描き続けた「こだわり」でした。

番組では、そういった木下監督の母親観を、たとえばマザコンなどという無神経な言葉で一蹴するような製作意図はなかったにしても、もう一歩踏み込んで木下恵介を描くことができなかったのか、はっきり言って僕としては、その番組の不完全燃焼さに失望したのだと思います。

そのように失望したことが、結果的にこの番組の印象を薄め、また、今日の今日まで、忙しさに紛れていたこともあって、その番組のことと、そのとき感じたことの一切をすっかり忘れてしまっていたのだと思います。

しかし、今日、不意に「それらのこと」が思い浮かんできたのでした。

自分があの番組の何に、あるいは木下監督の何に失望したのか、逆に言えば自分が木下恵介の「晩年」に何を望んでいたのか、ということを、です。

たぶん、不治の病魔に冒されながら映画製作に執着し、断ち難い未練をこの世に残しながら断腸の思いで、あるいは失意のなかで死んでいった多くの天才監督たち、溝口健二や小津安二郎や黒澤明のように、オレは、木下恵介にも絶望の中でもがき苦しみながら死んでいったことを、暗に期待していたのではなかったのかと思い至って愕然としたのでした。

しかし、すぐに、僕が自分自身に対して愕然としたのが、自分がこの天才監督の不遇を暗に「期待」したことに対してでないと気がつきました。

「不遇」でもなく、「絶望」することもなく、「失意」のなかで生涯を終えるわけでもない映画監督なら、それこそゴマンといます。

たぶん彼らは、ただ「苦しんだ」のではなく、むしろ「苦しみを求めた」のだと思います。

この番組のなかでは、数々の木下監督作品の一シーンが映し出されていました。

どのシーンも記憶のなかにあるものばかりです。

ただひとつ、自分が印象していた場面と異なるシーンがありました。

「日本の悲劇」のラストシーン、すべてを失い尽くした望月優子の母親が、疾走してくる列車に身を投げる場面です。

僕の印象では、文字通りホームからフラっと「身を投げる」感じで記憶していたのでした。

しかし、実際には、母親は、疾走してくる列車に向かって突然自分も疾駆しています。

これは、ショックでした。

死ぬことに対する意思の強固さというか、絶望をバネにして我が身を疾走してくる列車に叩きつける計り知れない怒りの在り様というか、この「日本の悲劇」をいままで「救いのない作品」と片付けていたことを修正しなければならないかもしれません。

きっとこれは、木下恵介の怒りが込められた「救いを拒む作品」なのかもしれませんね。
by sentence2307 | 2006-11-19 21:49 | 木下恵介 | Comments(0)
改めて「二十四の瞳」という作品を見て、あることに気が付きました。

この映画から受ける感動は、他の多くの木下恵介作品から受ける印象とは、どこか大きく違うような気がします。

確かにこの作品も、他の多くの作品と同じようなパターン化した類似点はあります。

たとえば戦争の時代に翻弄されたひとりの女教師の年代記風なタイプの作品とか。

まあ、それはそのとおりなのでしょうが、「二十四の瞳」は、そうした木下作品のパターン化されたストーリーの枠を大きく踏み越えるような、まるで絶叫するみたいに驚くほどの強い調子で、戦争から子供たちを守りきれなかった「不甲斐ない大人」のやりきれない悲しみが見事なほど率直に描かれた物語なのだなと改めて感じました。

いつも感じていることなのですが、木下作品に特徴的なことは、主人公が自分の悲しみに夢中になって恍惚と浸り込んでしまうような自己陶酔的なひとりよがりの部分があり、時には観客を置き去りにしてまでも独走していってしまって、僕などは、そのナルシズムに付いていけなくて、常にストーリーから「置き去り」にされてしまう組でした。

しかし、この「二十四の瞳」の印象は、明らかに他の木下作品とは違う異質の感性を感じました。

「子供を守り切れなかった」という大石先生の視点を通して、そこにはまず、戦争で傷ついた子供たちに対して何もできなかった大人たちの率直な気持ちが表明されています。

このような、「不甲斐ない」、「すまない」という思いを顕わにした大人が、かつて日本の映画の中で描かれたことがあったのか、寡聞にして推測で書くことしかできないのがとても残念ですが、この「二十四の瞳」は、木下作品が持つ自己陶酔的なあの独特な「くさみ」から幸いにもまぬがれることができた稀有な作品だと思いました。

実は少し前、観客に若い世代が多いある上映会で、とてもショッキングな場面に立ち会ってしまいました。

上映された作品は、木下恵介監督の「日本の悲劇」53です。

ご存知のように、この作品は、戦争未亡人が、戦後のきびしい時代に女手ひとつで子供を育て上げること、ただそれだけを楽しみに、懸命になってどんなにいかがわしい仕事にも耐えて頑張ってきたというのに、成長した息子は、そんな堕落した母親を責めて、さっさと資産家の養子になってしまい、見捨てられた母親は絶望して鉄道自殺をとげるというなんとも衝撃的な作品で、公開当時はかなりの評価を得た作品でした。

この年のキネマ旬報ベスト10をみると、

①にごりえ(今井正)
②東京物語(小津安二郎)
③雨月物語(溝口健二)
④煙突の見える場所(五所平之助)
⑤あにいもうと(成瀬巳喜男)
⑥日本の悲劇(木下恵介)
⑦ひめゆりの塔(今井正)
⑧雁(豊田四郎)
⑨祗園囃子(溝口健二)
⑩縮図(新藤兼人)

となっているくらいですから、この作品「日本の悲劇」がいかに高い評価を得たかが分かろうというものですよね。

しかし、この上映会における雰囲気には、この作品のそうした過去の栄光に敬意を払うという空気など、残念ながら微塵もありませんでした。

敬意のかわりにあったものと言えば、そう、しいて言えば「冷笑」でしょうか。

こよなく「映画史」を愛する者にとっては、物凄いショックでした。

大げさではなく、自分の過去の一部を辱められた気分にもなりましたが、しかし、「場の空気」というものは、その拒否反応の理由を分からせてもくれるものなのですね。

その上映会における木下恵介監督作品「日本の悲劇」に浴びせられた若い世代からの「冷笑」の意味を自分なりにしっかりと納得しておかないと、そこで受けたショックから二度と立ち直れないような暗澹たる気持ちになったのは確かでした。

大げさではなく、自分の過去の一部を辱められたような気分にもなりました。

それは僕自身の価値観の切実な問題だったからでしょうか。

だから、混乱する頭を必死になって整理しながら、「その場の空気」から、考えうる幾つもの拒否反応の理由を探しだそうとしたのだと思います。

たとえば、息子に見放された母親の置かれた状況が、はたして自殺を考えねばならない程の「不幸」だったのか。

たとえば、見返りを期待して子供を育て上げるという感情に何か歪んだものがなかったのか。

たとえば、子供の自立を、自分への裏切りとしか思わず、また、子供が自分の言いなりになる奴隷やロボットだったのなら、親としてそれで満足だったのか。

たとえば、曖昧宿で酔客相手にきわどい商売をしている母親が客にまとわり付いて媚を売っているあのシーン、それを見た子供たちが母親を軽蔑する契機になる問題のシーンをどう見るか、とか。

酔った好色そうな客に体中をまさぐられ、媚を売りながらも一方で嫌悪をあらわにするというあのなんとも複雑な表情を映し出すあの場面です。

子供を育てるために自分のことはすべて犠牲にして、嫌悪しかもよおさないような嫌な仕事に耐えながら、結局は子供に裏切られて自殺するというこの母親の惨憺たる最後に、それでも感情移入できなかったのは、彼女が抱え持っている、そして、木下恵介が抱え持っているすっかり古びた奇妙な道義心にあり、その女性像がいまではすっかり普遍性を欠いているからかもしれないことを痛切に感じました。

独りよがりの古臭い道徳観がすたれるのと同じ速度で、木下作品のある部分(この母親の道義心)が確実に若い世代から拒まれ、やがて忘却されてしまうのではないかという恐れもそのとき感じました。

若い世代の冷笑を受けてみると、いままで「悲劇のヒロイン」の美しい死も、結局は、自分だけの悲しみに酔うという自己陶酔の延長として、思うように周囲を動かせない憤懣を、そのまま身勝手な「あてこすり自殺」につなげただけの愚劣なものに見えてきました。

「二十四の瞳」がそうした古臭さからまぬがれているのは、きっと自己陶酔から距離を置いた主人公・大石先生の子供たちへの謝罪の気持ちを、まず前面に押し出たからだと思います。

いままで撮られた映画の中で最も美しいシーンは何かと問われたら、僕は躊躇なく「二十四の瞳」の前半のシーン、櫻の花びらが舞い散る下で、大石先生が幼い子供たちとともに汽車ごっこをして遊んでいるあの場面を挙げると思います。

高峰秀子演ずる大石先生は、子供たちの先頭を駆けながら、軽く振り向いて笑顔で子供たちを見守っています。

縄をしっかりと握った子供たちは、連なって満面の笑顔で先生のあとを追っています。

この映画「二十四の瞳」を最初に見たときは(今ではすっかり忘れてしまっているのですが)、きっと最後のシーンの、教え子から自転車を贈られる感動的な場面で泣いてしまったのだろうなという気がします。

しかし、幾度も繰り返して見るうちに、逆に、この冒頭の場面のあまりにも美しく、それだけに一層悲しい追憶の残酷さが僕の胸を締め付けずにはおかなくなりました。

その子供たちの幾人かは戦場で命を落とし、あるいは病没し、あるいは行方知れずとなることを既に知っている僕たちには、楽しそうに遊び興じる子供たちの笑顔の無邪気さを、一層哀切なものとして感じずにはおられないのでしょう。

人が生きていくうえで、何が大切で、何が愚劣なことか。

優れた映画は、本質的なことを一瞬のうちに分からせてくれます。

この映画には、大声で叫ぶようなアジテーションも、激昂した怒りの主張もありません。

辺境の孤島の小さな分教場で、女教師と子供たちとの間に交わされた日々の小さな喜びと悲しみ、その何気ない日常の描写のひとつひとつを、すぐ背後に迫り来る戦争の暗い影を怯えのように感じ取りながら、まるで残された一瞬一瞬を惜しむかのように大石先生との平穏な日々の永遠を切実に願う幼い子供たちのささやかな、そしてあまりにも儚い祈りのように思えました。

心に残る二つの場面があります。

ひとつは、2里の道を歩いて見舞いに来てくれた子供たちに、大石先生がバスの中から気づく場面です。

自分たちが仕掛けた悪戯のために先生に怪我を負わせた罪悪感に泣いている子供たちへ、大石先生は「あなたたちのせいではないのよ」と言いながら抱き締めます。

もうひとつは、貧しさのために、学校を諦めて家のために働いているかつての教え子に逢いに行く場面です。

大石先生は、ただ「がんばってね」と励ますことしか出来ません。

否応なく大人たちの世界に呑み込まれていく幼い子供たちへ、何もしてあげられない自分の無力を大石先生は、悲しむことしかできません。

しかし、何も出来ないと嘆く彼女の深い悲しみにこそ、心から子供を思う人間の本質的な愛情の姿を感じます。

この映画は、これからも鋭い刃のように僕たちの胸を刺し、幼い者たち、力ない無力な者たちへの愛を忘れ掛けた時にはいつでも、人を愛する力の在り場所を教えてくれる作品だと思いました。

   *       *

あるとき、慌ただしい出勤前に、その辺にあった高峰秀子の執筆した文庫本を鞄に突っ込んで家を出たことがありました。

それは、「いっぴきの虫」というタイトルの、高峰秀子が親交を深めた著名人について書いた人物評みたいな著作です。

ずっと前、この本について書かれた書評を読んで以来、この本の読む気をすっかり失っていました。

いわく、「有名人との交際を自慢気に書いた鼻持ちならない本」みたいな書評です。

別に僕としては、著名人との交際を自慢気に書くことに対して偏見はありません。

別にいいじゃないかとという感じです。

むしろ、下卑た嫉妬に満ちた悪意だけのそうした書評(まあ、はっきり言えば、この本は、「私はこれだけの有名人の知り合いを持っている」といった感じの単なるヨイショ的な自慢本だと言う非難でしょうか。)に嫌悪感を覚えましたし、そんなものを平然と掲載した雑誌編集者の見識も疑います。

そういうことなら、つまり罪が本にないなら、この「いっぴきの虫」を読んでもよさそうに思われるかもしれませんが、一旦ケチをつけられた本に向かう気の重さが、僕にはクリアできませんでした。

これが、いままでこの本を遠ざけていた理由です。

さて、前置きが長くなりました。

この本を読んで得た「思わぬ収穫」というのを書きますね。

電車に乗り込んで、「いっぴきの虫」を取り出してざっとページを繰ってみてみました。

いちばん面白そうな部分から読んでしまうのが僕の行き方なので、まずは「美味しいところ」から入っていきます。

数々の著名人の名前の羅列の中に「『二十四の瞳』の子役たち」というひときわ目立つタイトル(字数の多さで)がありました。面白そうです。

文庫本のページにして20ページに満たない短さですから、たとえ詰まらなくて、そのときはすぐに止める積りで読み始めました。

前半は17年振りに会った「二十四の瞳」に出演した子役たちと思い出を語り合う楽しそうな座談会です。

しかし、あれこれの懐かしい思い出話のあとで、不意に、アメリカ人夫婦の養女になって渡米したひとりの少女のことに話が及んだところで、この座談会は不意に途絶えます。

高峰秀子のこんな述懐とともに。
「あの子は日本が好きだったのよ。アメリカへ行っちゃって・・・。私、なんだか可哀想なことしちゃったみたい。」

高峰秀子のこの述懐には、映画の中で肺病を病んで物置小屋で死んでしまうコトという幸薄い役を演じた少女の像と、アメリカへ貰われていった寂しげな実在の少女の面影とが、高峰秀子の贖罪の思いの中でほとんど区別されることなく語られているからでしょうか。

母をなくし、面倒見切れなくなった少女の父親からに相談を受けて、養子を探していたアメリカ人夫婦に少女を紹介した高峰秀子が、なぜ罪の意識を持ったのかというと、きっとその独り残された孤独な少女が、母親のぬくもりを自分に求めていたことが分かっていたからではないかという気がします。

高峰秀子は、こんなふうに書いています。

「ねえ、コトやん。小石先生も小さいときお母さんが死んで、新しいお母さんのところに貰われてきたのよ。
でも、そんなことは、たくさんたくさんあることなの。
自分だけがこんな悲しい目に遭うなんて思っちゃ駄目よ。
生きているお母さんをお母さんだと思って元気に暮らすのよ。
小石先生だってホラ、こんなに元気でしょ。
コトやん。もう七つだもの、分かるわね。
新しいお家へ行って、うんと勉強してアメリカへ連れてってもらって元気に暮らす? 
東京にいる間は小石先生も遊びに行くし、寂しくないと思うけど・・・」

私は、自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
涙でガラス窓がにじんで見えた。
コトやんは、じっと前を見詰めてまばたきもせずにコックリコックリとうなずいていた。


ここには、この少女の薄幸さと共鳴する高峰秀子という女優のクールさの秘密が、語り尽くされているのかも知れませんね。

*日本の悲劇(53松竹大船撮影所)
製作・小出孝 桑田良太郎、監督脚本・木下恵介、撮影・楠田浩之、音楽・木下忠司、
出演・望月優子 桂木洋子 田浦正巳 上原謙 高杉早苗 高橋貞二 佐田啓二
1953.06.17 13巻 3,172m 白黒

*二十四の瞳(54松竹大船撮影所)
製作・桑田良太郎、監督脚本・木下恵介、原作・壺井栄、撮影・楠田浩之、音楽・木下忠司、
出演・高峰秀子、天本英世、夏川静江、笠智衆、浦辺粂子、明石潮、高橋豊子、小林十九二、草香田鶴子、清川虹子、高原駿雄、浪花千栄子、田村高廣、三浦礼、渡辺四郎、戸井田康国、大槻義一、清水龍雄、月丘夢路、篠原都代子、井川邦子、小林トシ子、永井美子
by sentence2307 | 2006-04-23 09:51 | 木下恵介 | Comments(123)

木下恵介特集 NHK・BS2

木曜日の朝は、朝刊と一緒に届けられる1週間分の番組表をひとあたり眺めるのを、なんとなく楽しみにしています。

まあ、眺めるとはいっても放送予定の「映画」をチェックするだけなのですが。今日のそれを見ていたら、11月末から12月初旬にかけてしばらくの間、NHK・BS2で木下恵介作品を連続放映するみたいじゃないですか。

楽しみですねえ。

まず皮切りは、木下惠介監督86年の人生で残した映画49本を短くまとめた「名匠・木下惠介の軌跡」というのを11月25日(金)後7:30~7:45と、11月27日(日)後7:45~8:00で放送されるそうです。

ちっとも知りませんでした。

心覚えのために、まずはネットで放送予定をざっと抜き出しておくことにしました。

忘れては大変です。

でも、こうしておいても、いつも3分の1くらいは見逃してしまうのですが。

<懐かし映画劇場>
花咲く港(43松竹大船)          ★11月28日(月) 後1:00~2:23
テンポある軽妙な演出で木下恵介の類い稀な才能を既にして縦横に示し得た衝撃のデビュー作。
昔、ある男が九州の港町に造船所を造ろうとし、その人柄から人々の尊敬を集めたが、不況のあおりで実現かなわず、男は南方に旅立ったまま歳月が過ぎる。それから15年、彼の遺児を装った2人のペテン師が島に現れ、島民に造船所建設をもちかけ、ひともうけをたくらむが… 。人を疑うことを知らない善良な島の人々のなかで、ペテン師たちが巻き起こす騒動をユーモラスに描いた佳作。
〔監督〕木下惠介〔原作〕菊田一夫〔脚本〕津路嘉郎〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕安倍盛
〔出演〕小沢栄太郎、上原謙、笠智衆、東野英治郎、東山千栄子、村瀬幸子 ほか
〔白黒〕

陸軍(44松竹)               ★ 11月29日(火) 後1:00~2:28
第二次大戦末期、新聞に連載された火野葦平の同名小説の映画化。西南戦争から日清、日露、大東亜戦争にいたる富国強兵政策の時代、忠君愛国に身をていした一家族の3代にわたる年代記。戦意高揚映画として製作されながら、出征する息子の部隊をいつまでも追っていく母親の姿に感動的なヒューマニズムを描き出し、木下作品の系譜を語るうえで重要な作品となったが、そのため当時軍部からにらまれる結果となった。
〔監督〕木下惠介〔原作〕火野葦平〔脚本〕池田忠雄〔撮影〕武富善男
〔出演〕田中絹代、笠智衆、杉村春子、上原謙、東野英治郎、三津田健  ほか
〔白黒〕

大曽根家の朝(あした)(46松竹)    ★11月30日(水) 後1:00~2:22
劇作家・久坂栄二郎の脚本により、演劇的演出を試みた木下惠介監督の戦後第1作。未亡人の母親と子供たちが平和に暮らしていた大曽根家に、戦争の悲劇がふりかかる。思想犯で検挙される長男、次々に出征する次男と三男、家出する長女、わが物顔で家に乗り込み一家の上に君臨する軍人の叔父。杉村春子演じる母親が、息子を失った悲しみと怒りを胸に、横暴な軍人の叔父に戦争責任を糾弾するラストシーンが印象的な反戦映画の力作。
〔製作〕細谷辰雄〔監督〕木下惠介〔脚本〕久坂栄二郎〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕浅井挙曄
〔出演〕杉村春子、三浦光子、小沢栄太郎、徳大寺伸、大坂志郎 ほか
〔白黒〕

わが恋せし乙女(46松竹)         ★12月1日(木) 後1:00~2:16
血のつながりのない妹への報われない愛情を胸に秘め、妹の幸せを願って身を引く兄の切ない恋を描く。美しい牧場で、とある夜明けに発見された赤ん坊。その子は亡き母の遺言から「美子」という名であることがわかり、牧場主草三郎の妻おきぬは、美子を実の息子甚吾とわけへだてなく大切に育てた。その名の通り美しく成長した美子に恋心を抱く甚吾は、美子に告白しようとするが・・・。音楽担当の木下忠司は木下監督の実弟。
〔企画〕細谷辰雄〔監督・脚本〕木下惠介〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕木下忠司
〔出演〕原保美、井川邦子、東山千栄子、増田順二  ほか
〔白黒〕

<衛星映画劇場>
喜びも悲しみも幾歳月(57松竹)     ★11月28日(月) 後7:45~10:26
木下惠介監督が時代背景と各地の風俗を織り込みながら、灯台守夫婦の半生を描いた感動作。上海事変がぼっ発した昭和7年、新婚夫婦(佐田啓二・高峰秀子)は神奈川県観音埼灯台に赴任する。そして北海道石狩にある灯台に勤め、長男と長女に恵まれる。その後も、長崎県の孤島から佐渡島、静岡県の御前埼灯台など、各地の海を守る夫婦の姿と、子供たちの成長、家族が味わう悲しみと喜びを映し出す。同名の主題歌が大ヒットした。
〔監督・原作・脚本〕木下惠介〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕木下忠司
〔出演〕高峰秀子、佐田啓二、中村嘉葎雄、桂木洋子 ほか
〔カラー〕

少年期(51松竹)               ★11月29日(火) 後8:00~9:52
心理学者・波多野勤子と息子との交流書簡をまとめた、同名ベストセラーを木下惠介監督が映画化。苦難の時代に生きる少年の心の成長を、母子の愛情を通して描いた感動作。戦時中、敬慕する先生の戦死に大きな衝撃をうける少年・一郎。その後、信州の学校に転校し軍国主義教育に直面した彼は、反戦主義者のらく印を押された学者の父の生き方に反感を抱くが、やがて父を理解する日が訪れる。自由主義の父を笠智衆が演じている。
〔製作〕小倉武志〔監督・脚本〕木下惠介〔原作〕波多野勤子〔脚本〕田中澄江〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕木下忠司
〔出演〕田村秋子、石浜朗、笠智衆、三國連太郎、小林トシ子  ほか
〔白黒〕

野菊の如き君なりき(55松竹)      ★11月30日(水) 後8:00~9:33
伊藤左千夫の小説「野菊の墓」を、「二十四の瞳」、「楢山節考」などで知られる名匠・木下惠介が映画化。何十年ぶりに故郷である信州の美しい川を訪れた老人が、遠く過ぎ去った切なく、美しい恋の思い出を語る。封建的な昔の思想によって引き裂かれた若い男女の恋、そして訪れる悲しい別れを描いた純愛映画の傑作。後に、「野菊の墓」として山口百恵や松田聖子主演でドラマや映画となった。
〔製作〕久保光三
〔監督・脚本〕木下惠介〔原作〕伊藤佐千夫〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕木下忠司
〔出演〕有田紀子、田中晋二、笠智衆、杉村春子 ほか
〔白黒〕

永遠の人(61松竹)             ★12月1日(木) 後8:00~9:48
日本映画を代表する映画監督、木下惠介が雄大な阿蘇山を舞台に描く叙事詩。高峰秀子演じるさだ子には隆という恋人がいたが、大地主の息子・平兵衛の暴力によって体を奪われ、結婚することになる。子供を3人もうけながらも、さだ子は隆を忘れられずに夫を憎み続けるのだが・・・。仲代達矢が夫役を演じ、さだ子の息子役で田村正和が出演している。
〔製作〕月森仙之助〔製作・監督・脚本〕木下惠介〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕木下忠司
〔出演〕高峰秀子、仲代達矢、佐田啓二、乙羽信子、加藤嘉  ほか
〔白黒〕

二十四の瞳(54松竹)           ★12月2日(金) 後7:30~10:07
瀬戸内海の島にある分校を舞台に、新任の女性教師と生徒たちとの交流を描いた名匠木下惠介の代表作で日本映画史に残る名作。女学校を出たばかりの久子は、分教場で新入生12人と出会った。ハイカラな先生と生徒は唱歌を歌ったり、野原を駆け回ったりと美しい日々を過ごす。やがて戦争が始まり、それぞれに辛い現実と悲しみが訪れるのだった・・・。主人公の教師役を高峰秀子が好演し、生徒役は地元の子供達が出演している。
〔製作〕桑田良太郎〔監督・脚本〕木下惠介〔原作〕壷井栄〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕木下忠司
〔出演〕高峰秀子、笠智衆、夏川静江、天本英世、明石潮  ほか
〔白黒〕

お嬢さん乾杯(49松竹)          ★12月5日(月) 後1:00~2:30
新藤兼人が脚本を担当し、佐野周二と原節子という豪華キャストで送る純愛喜劇。自動車修理業で成功し、若くして財を成した圭三のもとに、没落華族の令嬢との縁談が舞い込んだ。熱心にすすめられて見合いをしてみると、彼女は高慢な所のない、賢く美しい女性だった。そんな彼女と結婚が決まり、交際がスタートするが・・・。あまりにも違う価値観をもったちぐはぐな二人を明るくコミカルに描き、さわやかな感動を誘う一編。
〔製作〕小出孝〔監督〕木下惠介〔脚本〕新藤兼人〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕木下忠司
〔出演〕佐野周二、原節子、佐田啓二、坂本武、村瀬幸子 ほか
〔白黒〕

破れ太鼓(49松竹)             ★12月6日(火) 後1:00~2:30
頑固親父とその家族が繰り広げる家庭騒動を描いた人情喜劇。時代劇スター阪東妻三郎の強烈な個性を、木下惠介監督が現代劇で見事にいかした秀作。戦後の混乱の中で財をなした土建業の津田軍平は、無教養でわがままな暴君。四人の息子と二人の娘が母を中心に仲良く過ごす団らんも、軍平の前ではさんざんなことに。そんな日々のなか、長男と長女が軍平と衝突して家出したことをきっかけに、家族全員が軍平に反旗をひるがえす。
〔製作〕小倉浩一郎〔監督・脚本〕木下惠介〔脚本〕小林正樹〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕木下忠司
〔出演〕阪東妻三郎、村瀬幸子、森雅之、木下忠司、大泉滉、小林トシ子 ほか
〔白黒〕

カルメン故郷に帰る(51松竹)       ★12月7日(水) 後1:00~2:30
日本初の全編カラー作品という歴史的一編。東京に出てストリッパーとなった娘おきんが、リリー・カルメンと名乗り、同業の女友達とともにふるさとに錦を飾りに帰ってきた。派手な衣装とふるまいで村中を驚かせたふたりは、やがて村でストリップの公演を行い、大成功をおさめ東京へ戻る。二人の公演は、思わぬ人助けにもなり・・・。底抜けに明るいおきん役の高峰秀子が名コメディエンヌぶりを見せる。
〔製作〕月森仙之助〔監督・脚本〕木下惠介〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕木下忠司
〔出演〕高峰秀子、小林トシ子、佐野周二、笠智衆 ほか
〔カラー〕

カルメン純情す(52松竹)         ★12月8日(木) 後1:00~2:30
「カルメン故郷に帰る」で初めて高峰秀子と組んだ木下監督が、カルメンの東京での後日談をつづった姉妹編。前作で一緒に故郷に帰った朱実が、赤ん坊を抱いてカルメンのもとに飛び込んできた。男に捨てられ、到底育てるめどがたたないため、ふたりは泣く泣くとある家の前に赤ん坊を置き去りに。その家の主はパリ帰りの芸術家で、カルメンはほのかな恋心を抱くが・・・。カルメンの泣き笑い人生の中に悲しい女の性を描き出す。
〔製作〕小倉武志〔監督・脚本〕木下惠介〔撮影〕楠田浩之〔音楽〕黛敏郎、木下忠司
〔出演〕高峰秀子、若原雅夫、淡島千景、小林トシ子、北原三枝 ほか
〔白黒〕
by sentence2307 | 2005-11-24 20:49 | 木下恵介 | Comments(1)

木下恵介「永遠の人」

これは、自分を強姦した当の相手と結婚し、そして、生涯にわたり相手を憎み続け、苦しめ続けるという復讐の物凄い執念によって生きようとした女性の半生記です。

犯されたときに身ごもった子供にもその憎しみはおよび、母親の冷たい仕打ちに疑問をもっていた息子は、やがて出生の秘密を知って自殺します。

この映画には、こうしたあらゆる悲惨が描きこまれています。

ことさらにこういう「悲惨」を並び立て描ききることが、天才監督・木下恵介の「腕の冴え」たるユエンなら、僕は木下恵介の天才にも感覚にも疑問を持たざるを得ません。

従来から、ずっとそう思ってきました。

「生きる」こと自体、改めて特に意識したこともなく過ごしてきてしまったようなチャランポランな自分ですが、人生を憎しみとか悲惨のみを拡大して描くような、このような一面的な描き方・撮り方にはどうしても承服できないでいました。

チャランポランでもチャランポランなりの真実があるだろうし、日常生活をとにかく辛抱強く生き続けねばならない人間にとっては、むしろ「チャランポラン」の方にこそ、もしかしたら「悲しみ」や「憎しみ」や、そして悲憤ともいうべき「真実」もあるのではないか、とずっと考えていました。

きっとそこには、小津安二郎を支持し、成瀬巳喜男を支持してきた自分の、木下恵介的な描き方への疑問視があってのことだったのかもしれません。

基本的にはいまでもその気持ちは変わっていないのですが、最近では従来の先入観を捨てて、もう少し冷静に白紙の状態で木下作品を観てみようと努力しています。

たとえばこの映画、「生きる」原動力に「憎しみ」という感情をすえようというこの映画には、最初見たときは、まずたまらない「嫌悪感」に襲われました。

いままで見てきた日本の映画の中で、このような執念深く、かつ30年にも及ぼうという一方的な「憎しみ」を描いた映画が、かつてあったでしょうか。

今回の感想も、それはまるであの「嵐が丘」でも見ているような、徹底的に憎しみ続けるという実にゆとりのない違和感です、そう感じました。

しかし、「そうか」という気持ちも同時に抱きました。

この「永遠の人」は、もしかしたら「嵐が丘」だったのかもしれませんよね。

木下恵介を頭から純日本風な心象風景を描き続けてきた映像作家と思い込んできた自分の考えの狭さを実感しました。

木下恵介をそのように観ていくと、いままで違和感を感じていた彼の諸作品が一変していくのが分かりました。

(61松竹大船)(製作)月森仙之助 (監督製作脚本)木下惠介(撮影)楠田浩之(美術)梅田千代夫(音楽)木下忠司(編集)杉原よ志(録音)大野久男(スクリプター)堺謙一(照明)豊島良三

(出演)高峰秀子、佐田啓二、仲代達矢、乙羽信子、石浜朗、東野英治郎、藤由紀子、野々村潔、加藤嘉、永田靖、浜田寅彦、田村正和、戸塚雅哉 (8巻 2,922m 、103分・35mm・白黒)
by sentence2307 | 2004-11-17 00:11 | 木下恵介 | Comments(2353)

木下恵介「陸軍」

木下恵介は、黒澤明と同じ年に新人監督賞を得て注目されてスタートしました。

男性的な豪快さの黒澤と、女性的な繊細さを有する木下は、資質的には好対象ながら、共にその才気煥発と明晰な資質は他を圧するものがあったのだと思います。

木下恵介の「香華」を見たときに、この人の演出力のただならぬものを感じました。

男にだらしない淫乱な母親に振り回され、憎しみながらも、その母に寄り添って生きた娘の一生の話です。

有吉佐和子の名作ですが、ただ、僕はその原作への忠実さが少し気になりました。

もちろん、偉大な演出力がなければ、あそこまでは撮れません。

それを踏まえても、あえて言えば、時としてその器用さが災いすることもあり得た映画監督だったのじゃないのかな、という印象がありました。

例えば、黒澤明の力強さから派生する無骨さ不器用さを見るとよく分かると思います。

登場人物の一人一人が魂の底から自らの存在価値を、身を震わせるようにして問いかけます。

カメラは、心臓が脈打つように縦横に彼らの周りを踊り狂います。

黒澤作品の強烈なリアリズムは、自ずから見る者を厳しく選び、いずれにしても観客として好悪をはっきりとさせない中途半端な立場は許されません。

多分、それが熱烈な黒澤ファンを産むと同時に、忌避する層をも明確に生み出していったのだと思います。

しかし、木下恵介の作品は、それ程の厳しい選択を強いられることもなく、感動する質も他人との差をそれ程感じることなく、鑑賞することができるような気がします。

そのことを強烈に意識したのが、木下恵介が戦時中に撮った「陸軍」でした。

黒澤明が同時期に撮った「三四郎」や「一番美しく」と何となく比較してみました。

共に軍部の干渉を強く受け、またそのことを十分に意識した作品です。

それらの作品に登場する主人公、三四郎や軍需工場で働く女子挺身隊の少女たちは、自らの技をみがくことや、課せられた職務を誠実に果たしていこうとする行為を通して自分を高めようと努力します。

自分の足元をしっかりと定め、自分らしく納得して生きていくことが必要なんだ、こんな時代だからこそ、とでも言っているようです。

まるで過酷な時代に耐えて生きていくための一種のニヒリズムとでもいえばいいのでしようか。

木下恵介の「陸軍」は少し趣きが異なります。

「陸軍」は、代々軍に仕えてきた一族の話です。

立派な軍人になることが、一族の勤めであり誇りだと、繰り返し映画の中で語られます。

軍人として立派に死ぬことが求められていることを、折りあるごとに息子に言い聞かせます。

この作品を見ていて、そこまで軍部におもねらなくてもいいじゃないか、と思うくらい露骨な描写が続きます。

ラストシーンで、出征する息子を見送りながら母親が泣くシーンが軍部の怒りをかったことは、あまりにも有名な逸話ですが、そのことで彼の反戦思想を云々するのは、あまりにもかいかぶりにすぎるのではないかなと、その極論を危惧します。

多分、あの場面においてもかれは、ただ単に演出の工夫を凝らして才能豊かに泣かせ所を考えただけなのに、それに軍部がクレームをつけるなんてあんまりだという気がしたのです。

あれだけ軍部を持ち上げてあげたのに、ただその一箇所で木下の媚びを退けるなんて、と。

おそらく彼は、卓越した演出家であっても、看板だけの人道主義とか観念的な平和主義とかには無縁の人です。

常に庶民の感覚から総てを推し量り、それに沿って原作を選択する嗅覚というか能力に長けた人だったのだろうな、と思います。

しかし、あの過酷な時代に、どうにか映画を撮り続けようとした多くの映画人にとって、とにかく不幸な受難の時だったわけですから、それをとやかく言うことはもとより無意味です。

むしろ、踏絵を踏むことで撮ることが許されるなら、「陸軍」を撮ることは、映画人としては当然の選択だったと思います。

時代と密接な関係をもつ映画の宿命として、「陸軍」をとおして木下恵介を考察することは、それなりに意義あることと信じていますが、そこには、「二十四の瞳」を撮った木下恵介のイメージからは若干のズレをみせている別の木下恵介がいるかもしれないこともまた事実なのです。

そして、それもまた隠蔽したり否定すべきことではないと思っています。

木下恵介のような才人も、時代にがんじがらめに囚われ、無様に足掻きながらも必死に生きる途を模索した姿を晒したあの「陸軍」が戦争協力映画だろうとなんだろうと、彼は「陸軍」を撮り「二十四の瞳」を撮り、そして「楢山節考」を、そのどれをも、彼は「上手」に撮ったのです。

そして、それが彼の生き方だったのです。

そんなふうに感じました。
by sentence2307 | 2004-11-06 11:50 | 木下恵介 | Comments(2)