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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:ロベルト・ロッセリーニ( 4 )

殺人カメラ

you tubeで志ん朝の「三枚起請」を見たあと、なにか珍しい映画でもアップされてないかとテレテレ検索していたら、奇妙な写真を掲げた動画(すっとぼけたオッサンが、呆けたように、あらぬ方向を向いている写真です)に遭遇しました。

なんだか直感的にルイス・ブニュエルの「昇天峠」を連想させるほどのオーラを放ったインパクトのある写真なのですが、映画のタイトルはといえば、それがなんとも軽々しい「殺人カメラ」というのです。

「なんだこりゃ」的なこのタイトル、古今東西のあらゆる映画の題名に精通していると自負していた自分でも、こんな脱力系のタイトルなんか、今のいままで聞いたことも見たこともありません。

いやいや、むしろ逆に、この手のタイトルなら、言葉の組み合わせを自在に入れ替えただけの幾通りもの紛らわしい題名のバリエーションがある分だけ、今までに接したかもしれないとしても、覚えていられるわけもなく、何が何やら、どれがどれやら、ぐちゃぐちゃに錯綜して、頭の中はカオス状態で最早判別など覚束ないというのが実情です。

そうそう、いま思い出しました、そういえば、むかし、「血を吸うカメラ」とかいう作品(確かカメラにナイフが括り付けてあって、アップしながらグサッと殺す、まさに死の瞬間をリアルに捉えようというカメラ狂の映画だったような記憶です)がありましたよね、これって、あの作品とちゃうのん?。

当時(たぶん、今でもそうかもしれませんが)あの作品は、マニアックな人たちが、盛んに持て囃していたという先入観があったので、急いでウィキで「血を吸うカメラ」を調べてみました。

しかし、そこでは、カルト・ムービーの評価どころか、惨憺たるフィルムの来歴にぶち当たることになりました。

1960年公開のイギリス映画で、監督は、なんと名作「赤い靴」や「ホフマン物語」で名高いあのマイケル・パウエルだそうです。

へぇ~、そうなんだ、ますますこの作品の「解説」を読まないわけにはいかなくなりました、さあ早く早く。

≪本作品はしばしば、ほぼ同時期に発表された映画『サイコ』と比較される。『サイコ』が「殺害される人間の恐怖」を表現しているのに対し、『血を吸うカメラ』では「殺戮を行う側の心理」を惜しげもなく表現している。また、この作品は人間の目から見たカメラ視点が特徴である。≫

ふむふむ、ここまでは、まあいいじゃないですか、ベタ褒めという感じではないにしろ、少なくとも貶したり腐したりしているわけではないし、むしろ、かの名作、ヒッチコックの『サイコ』と並び称された作品とあるくらいですから、一応は敬意を払われているとみてもよさそうですし、当時はそれなりのインパクトのあった作品だったのだろうなと思っていた矢先、このあとがいけません、驚嘆するような事実が書かれていました。

≪性的・暴力的な内容から、公開当時はメディアや評論家から酷評を浴び、イギリスを代表する映画作家の一人ともみられていたパウエルの名声は失墜した。パウエルはこの映画の後はほとんど映画を撮ることができないまま死去した。しかし後年になって再評価の声が高まり、本作は米国を代表する国際ニュース誌『TIME』が発表したホラー映画の歴代ベスト25に入っている。≫

なるほどなるほど、自分は、この「しかし後年になって再評価の声が高まり」と同じ時期にこの作品に遭遇したので、さほどの悪印象を持つことがなかったのだと分かりました。

おまけに、マイケル・パウエルが、この作品によって、名声を失墜させ、二度と映画が撮れなくなって、失意のなかで死んでいったという惨憺たる事実(いかにも、建前と本音の落差の激しいイギリスらしい「おもてなし方」じゃありませんか)も知らなかったくらいですから、多くのB級映画と同じように、呑気に「血を吸うカメラ」を鑑賞し、軽く軽侮の吐息をついたあと大した印象も抱くことなく、あっさり忘れてしまったのだと思います。

さて、呆けたような顔のオッサンの写真を掲げたこの動画が、かの「血を吸うカメラ」じゃないとすると、いったいこの「殺人カメラ」とは何なんだと、さらにクリックを進めると、なんとそこには、ロベルト・ロッセリーニが監督した1948年の作品と書いてあるではありませんか。

おいおい、あの「無防備都市」や「戦火のかなた」、「ドイツ零年」で知られた硬派なロッセリーニが「殺人カメラ」なんて軽々しいオチャラカ映画を撮ったのかよ、嘘だろう、いや、嘘だ嘘だ、そんなはずはない、大嘘にきまってる、自分の記憶の中には、ロッセリーニ作品として「殺人カメラ」なんてタイトルの映画はインプットされていません、そんなの全然知らない、聞いたこともない。

やがて徐々に、ショックというよりも、無知だった自分が、なんだか小馬鹿にされて辱められているような感じがします。

こりゃあ、「紅白歌合戦」どころじゃないぞと(この時間には、そろそろ公共放送で全国民的必見番組「紅白歌合戦」が始まろうとしています)さっそく、最近はとんと開いたことのないジョルジュ・サドゥールの「世界映画史」(1964.12.30発行、みすず書房刊)を書棚から引っ張り出して、ロッセリーニのフィルモグラフィ1948年のページを開きました。

なるほど、なるほど、ありますね、1948年の項に、イタリアの原題で「LA_MACCHINA_AMMAZZACATTIVI」とあり、英語では「THE MACHINE TO KILL BAD PEOPLE」と題された作品が撮られたことが書かれていました。なるほど、これですか、つまり、直訳的には、「悪人を殺すための機械」ということですね。「フムフム、そういうことか」という気持ちです、このふたつのタイトルの違いについては、微妙ですが(「機械」を「カメラ」と意訳したのでしょうが、そういう姿勢が、この場合、ほんとうに正しい姿勢といえるのか、ということについてです)、まずは、とにかく、動画を見ることにしました。実際に見てみなければ、なにひとつ始まりませんしね。

しかし、ここだけの話ですが、こういう歴史的な作品をクリックひとつで手軽に見られてしまうなんて、すごい時代だと思います、しかもロハで。

さて、さっそく、映画「殺人カメラ」を見てみました。以下に、メモ程度にストーリーを書いておきますが、当ブログは、あくまで個人的な心覚えの場所なので、「ネタバレ」などといわれるのは心外です。だいたい「あらすじ」が分かったくらいで、どうこうしてしまうような映画なら、最初から大した映画なんかじゃありません、心配しないでください。

さて「あらすじ」です。

≪舞台は第二次世界大戦後のイタリア南部の小さな漁村、大聖堂の祝祭日に、人の良い写真家チェレスチーノは、多くの人でにぎわう祭りの様子を写真に撮ろうとしたところ、暴君の警察署長に邪魔されてしまいます。その夜、彼のところに、旅の老人が一夜の宿を求めて尋ねてきます。
聖アンドレアと名乗るその老人は、写真の被写体をカメラで撮影するだけで写真の人物(悪人)を殺すことのできるという大変な能力をチェレスティーノに授けます。
この老人を、聖人とすっかり信じている写真屋チェレスティーノは、その驚くべき力に驚きながらも、試しに警察署長の写真を撮ってみたところ、その直後、本当に署長は突然死してしまいます。
常日頃、自分さえよければ他人などどうなっても構わないという強欲な村の人間たちに怒りを覚えていたチェレスティーノは、次第に自分の不思議な力に取り憑かれたようになって「写真」を撮影し、強欲な村人(もちろん欲深い悪人たちです)を次々に殺していきます。
村を牛耳る警察署長の次には、高利貸しの老婆マリアも殺しますが、遺書に遺産の相続人を村で最も貧しい3人に与えると書かれていることを知り、チェレスティーノは動揺し混乱し、さらに事態は紛糾するのですが、そこにアメリカ人によるホテル建設計画も加わって、欲に溺れた村人たちが織りなす騒動はさらに大きくなっていきます。
チェレスティーノはカメラで悪人を次々と消してゆきますが、事態は一向に改善しません。
村で最も貧しいという3人も、善人というわけではないということが分かってきます。
そんな中、彼に力を与えた例の老人が現われ、実は自分は悪魔なのだと告白し、チェレスティーノは彼に十字の切り方を教え、悪魔も改心し、ただの人間になってしまうのでした。
めでたたし、めでたし。≫

というわけなのですが、自分は、この「貧乏人が、必ずしも善人なわけじゃない」という部分に強く惹かれました。このことをロッセリーニは、言いたかったのではないかと思いました。

これは、現代にも通ずる(ヒューマニストとかいう人たちが決して認めたがらない)社会保障の根幹を問う辛辣な指摘です。

生活保護費を全部パチンコにつぎ込むとか、働けば保護を打ち切られるので働かないとか、いまでもこういうのってよく言われているじゃないですか。

人を救うのがヒューマニズムなら、人を堕落させるのもまた、ヒューマニズムだということでしょうか。

ジョルジュ・サドゥールの「世界映画史」で、ロッセリーニのフィルモグラフィを見たとき、あることに気が付きました。


1948年にこの「殺人カメラ」を撮った翌年、「ドイツ零年」に続いて撮ったのが「神の道化師・フランチェスコ」でした。(自分も2004. 11.6に小文をアップした記録がありました)極貧の中で信仰を貫いた聖人を描いた映画です。たしかゼフィレッリも「フランチェスコもの」を撮っていたと記憶しています。

戦争という極限状態の中で撮った「無防備都市」や「戦火のかなた」が、高く評価されればされるほど、やがて平和な時代が訪れたとき、自分の撮るべきものを見いだせないまま、焦燥感のなかで模索し、やがて失意の中で沈黙におちいったロッセリーニの「迷い」の姿を示すような2作だったのかもしれません、ロッセリーニにとって、戦争が過酷だったように、平和な時代もまた同じように過酷だったのかしれないなと思えてきました。

(1948イタリア)監督脚本製作・ロベルト・ロッセリーニ、脚本・セルジオ・アミディ、ジャンカルロ・ヴィゴレルリ、フランコ・ブルザーティ、リアーナ・フェルリ、原案・エドゥアルド・デ・フィリッポ、原作・ファブリチオ・サラツァーニ、製作・ルイジ・ロヴェーレ、撮影・ティーノ・サントニ、エンリーコ・ベッティ・ベルット、音楽・レンツォ・ロッセリーニ、原題・LA_MACCHINA_AMMAZZACATTIVI (THE MACHINE TO KILL BAD PEOPLE)

出演・ジェンナーノ・ピサノ(Celestino esposito)、マリリン・ビュファード、ウィリアム・タブス(Il Padre della Ragazza)、ヘレン・タッブス(La Madre della Ragazza)、マリリン・ビュフェル(La Ragazza Americana)、ジョヴァンニ・アマート、ジョ・ファルレッタ、ジアコモ・フリア、クララ・ビンディ、ピエロ・カルローニ

モノクロ音声 上映時間 83




【参考】
「神の道化師、フランチェスコ」

すごい映画だと聞いていました。

まぼろしの名作と紹介している本もあります。

なにせ「無防備都市」や「戦火の彼方」を撮ったロッセリーニの作品です。

それらの作品が映画史に与えた影響の大きさを思えば、この映画を見る前の期待と緊張は当然だと思います。

それに、イタリア人にとって聖フランチェスコは、特別な意味があるらしいのです。

その証拠に僕たちが知っているだけでもフランコ・ゼフレッリの「ブラザー・サン シスター・ムーン」、リリアーナ・カヴァーニの「フランチェスコ」とそれ以前に「アッシジのフランチェスコ」という作品も撮っているそうです。

話は、中世の修道士たち(聖フランチェスコと仲間たち)の布教活動と、その質素極まる生活をリアルに描いたものです。

荒涼とした原野に廃墟のような小さな教会を建て、粗末なボロ服に裸足という驚くべき徹底した極貧のなかで、彼らは寄り添いながら教化活動に携わります。

俗世の欲望を捨て去り、貧しさの極限で自己犠牲の歓びを見出すという被虐的なまでの修道士たちの様々なエピソードが綴られます。

それはこの世で持てる総ての財産を失い尽くすことが、精神世界の豊かさを得、ひいては神の身元へ近付きうる唯一の方法ででもあるかのような感じです。

「奪い合えば足りず、譲り合えば余る」という逆説的な精神世界が描かれてゆきます。

所有欲から解放されれば、気高い精神世界が獲得できると信じて疑わない単純極まる率直さには、そのあまりの無邪気さに、ときに失笑を誘いますが、しかし、このリアリズムに徹した優れた作品が、「無防備都市」や「戦火の彼方」と、どうつながってゆくのか理解できずに戸惑いました。

作品それ自体が優れて自立していれば、それだけでいいのだとも思いますが、一方ではやはり納得するだけの理屈も欲しい気がします。

パゾリーニの「奇跡の丘」なら分かるのです。

パゾリーニのイエスは、荒涼とした原野をせかせかと足早やに歩き回り、言葉がまるで人を打ち砕くことのできる武器ででもあるかのように人々に、そして権力者に恫喝を投げかけ挑発する、まさに全存在を賭けた戦闘的な布教活動を展開します。

為政者を怯えさせ危機感に追い込んで処刑を決意させた程のイエスとは、多分こうだったんだろうな、とパゾリーニの姿勢とともに十分納得できたのです。

しかし、ロッセリーニのこの作品の異常なまでの被虐的な謙虚さは、いったい何を示唆しているのか、見当もつきません。

これからの宿題です。 



by sentence2307 | 2017-01-02 23:22 | ロベルト・ロッセリーニ | Comments(0)

ロベレ将軍

ロッセリーニが、初期ネオ・リアリズムの僚友だったデ・シーカを主人公にすえて撮った作品です。

内容は、第二次世界大戦中、北伊のパルチザンと連絡を取るために連合軍がひそかに潜入させたイタリア人のロベレ将軍がドイツ軍に射殺されたあと、ナチは、偽のロベレ将軍を仕立て上げてオトリとしてパルチザン情報の得ることで、抵抗勢力を一挙に壊滅させようという謀略を立てます。

偽の将軍に仕立て上げられるのが、デ・シーカ演ずるベルトーニという賭博と女に身を持ち崩した詐欺師です。

彼は自分の密告によってナチに抵抗する若者が無残な拷問を受けながらも屈することなく、むしろ毅然として誇り高い自殺を選び取ってゆく姿を見、またロベレ夫人からの愛情と信頼に満ちた手紙を受け取って衝撃を受けます。

ナチの手先となり国のために闘うパルチザンを裏切って卑怯者の密告者として生きるより、勇敢な愛国者ロベレ将軍として尊敬されながら死んでいくことを選びます。

これは、いい映画だと思いました。

見た後の充実感や感動は嘘ではありません。

この作品に寄せる不評も知ったうえでの「感動」でした。

僕が読んだ不評のひとつに、このラストの「威厳に満ちた死顔の平板な描写」のどこがネオ・リアリズムだ、という批判がありました。

ロッセリーニが戦時下にレジスタンス映画を撮ったとき、そこには明確な善悪が存在し、敵と味方もはっきりしていました。

だから、そこでリアルに描写される単刀直入な激烈な憎悪と怒りが、思うさま真実味を持てたのだと思います。

戦争が終わり、時間の経過とともに平和な時代が訪れて様々な利害が交錯して、何が善で何が悪か単純には割り切れなくなってしまった複雑な社会を活写するためには、「無防備都市」の方法では最早通用しなくなってしまったことは、誰よりもロッセリーニ自身が分かっており、その戸惑いが、再び「あの時代」へ立ち返らせて「ロベレ将軍」を撮ったのだろうと思います。

あの死顔の平板な描写も、純粋な「怒り」で在り得たものも、時の経過によって、「威厳」に腐り変わってしまっただけなのだと思います。

なんの意識もないロッセリーニは、ただ、同じようにカメラを向けていたのだろうな、と考えてしまうのです。

もし、他の若手監督が、この「ロベレ将軍」を撮っていたらどう評価されたか興味はありますが、しかし、これは、やはり「無防備都市」を撮り「戦火の彼方」を撮ったロッセリーニの「ロベレ将軍」なのですよね。

そこには、ただ創造するというだけでは済まされない芸術家の限界のようなものを感じてしまいます。

自分を「追い詰める」創作行為が、逆に自分が(世間から)追い詰められてしまう結果になってしまったロッセリーニの生き方を考えているうちに、井筒和幸監督の著作にあった「表現は、主張なんかより、ずっと素晴らしい」という言葉を思い出しました。

「主張」することの絶望を知っている含蓄に富んだ奥深い言葉ですね。

1959年から1960年という期間は、イタリア映画にとっては、偉大な2つの作品が撮られたことによって記念すべき年と記憶されています。

フェリーニの「甘い生活」とアントニオーニの「情事」です。

この時期、イタリアで公開された約190本の作品のうち、興行収益トップだったフェリーニの「甘い生活」が21億2000万リラを稼いだことと並んで、このロッセリーニの「ロベレ将軍」が7億1000万リラの収益をあげるなど、ネオ・リアリズム期の巨匠たちが相次いで健闘し、やや低迷気味だった彼らの華々しい復活が騒がれました。

この「ロベレ将軍」も、一応興行的には十分に成功したのですから、記念碑的作品といっていいと思います。

しかし、国際的な大きな賞を相次いで得て世界的な名声を欲しい儘にしたこの時期のフェリーニに「華々しい」という形容詞がふさわしいとしても、「無防備都市」や「戦火の彼方」で既に国際的な名声を得ていたロッセリーニにとって、いつまでも世界が認知した「ロッセリーニ」であり続けることの困難にぶち当たり、どういう方向で映画を撮っていけばいいのか分からなくなっていく、そんなこの時期の彼は、まさに混迷の真っ只中にあったのだろうと思います。

やがて、散々な結果となる「ローマで夜だった」を撮り、世間に自身のあからさまな衰弱の姿をあらわにすることになる彼に、果たして「華々しい」という形容詞を被せることが相応しいかどうか疑問です。

興収面では好成績を挙げたこの「ロベレ将軍」が、本当のところどう評価されたのか、ロッセリーニは、この作品を撮った後、低迷が続いたまま劇場用映画を撮る場を失い、テレビ・フィルムで活動を続けていくしかなくなりました。

この作品がどのように評価されたのか、なんとなく察することが出来ます。

それを思うと、カンヌ映画祭グランプリを得た「甘い生活」と「ロベレ将軍」は、確かに、残酷なまでに「記念碑的な作品」だったのだろうなという感慨に、しばしとらわれました。

裏切り者のケチな詐欺師ではなく、いまや本物の将軍として、英雄として銃殺されていく雪の処刑の美しいラストシーンを「深読み」したくなる誘惑に駆られました。

(59イタリア)監督・脚本:ロベルト・ロッセリーニ、製作・モリス・エルガス、脚本:セルジョ・アミディ、ディエゴ・ファッブリ、原作脚色・インドロ・モンタネッリ、撮影:ルイジ・フィリッポ・カルタ、カルロ・カルリーニ、音楽:レンツォ・ロッセリーニ、
出演:ヴィットリオ・デ・シーカ、ハンネス・メッセマー、ヴィットリオ・カプリオーリ、ナンド・アルジェリーニ、サンドラ・ミーロ、アンヌ・ヴェルノン、ジョバンナ・ラリ
by sentence2307 | 2007-04-07 17:38 | ロベルト・ロッセリーニ | Comments(13)

ロベレ将軍

ロッセリーニが、初期ネオ・リアリズムの僚友だったデ・シーカを主人公にすえて撮った作品です。

内容は、第二次世界大戦中、北伊のパルチザンと連絡を取るために連合軍がひそかに潜入させたイタリア人のロベレ将軍がドイツ軍に射殺されたあと、ナチは、偽のロベレ将軍を仕立て上げてオトリとしてパルチザン情報の得ることで、抵抗勢力を一挙に壊滅させようという謀略を立てます。

偽の将軍に仕立て上げられるのが、デ・シーカ演ずるベルトーニという賭博と女に身を持ち崩した詐欺師です。

彼は自分の密告によってナチに抵抗する若者が無残な拷問を受けながらも屈することなく、むしろ毅然として誇り高い自殺を選び取ってゆく姿を見、またロベレ夫人からの愛情と信頼に満ちた手紙を受け取って衝撃を受けます。

ナチの手先となり国のために闘うパルチザンを裏切って卑怯者の密告者として生きるより、勇敢な愛国者ロベレ将軍として尊敬されながら死んでいくことを選びます。

これは、いい映画だと思いました。

見た後の充実感や感動は嘘ではありません。

この作品に寄せる不評も知ったうえでの「感動」でした。

僕が読んだ不評のひとつに、このラストの「威厳に満ちた死顔の平板な描写」のどこがネオ・リアリズムだ、という批判がありました。

ロッセリーニが戦時下にレジスタンス映画を撮ったとき、そこには明確な善悪が存在し、敵と味方もはっきりしていました。

だから、そこでリアルに描写される単刀直入な激烈な憎悪と怒りが、思うさま真実味を持てたのだと思います。

戦争が終わり、時間の経過とともに平和な時代が訪れて様々な利害が交錯して、何が善で何が悪か単純には割り切れなくなってしまった複雑な社会を活写するためには、「無防備都市」の方法では最早通用しなくなってしまったことは、誰よりもロッセリーニ自身が分かっており、その戸惑いが、再び「あの時代」へ立ち返らせて「ロベレ将軍」を撮ったのだろうと思います。

あの死顔の平板な描写も、純粋な「怒り」で在り得たものも、時の経過によって、「威厳」に腐り変わってしまっただけなのだと思います。

なんの意識もないロッセリーニは、ただ、同じようにカメラを向けていたのだろうな、と考えてしまうのです。

もし、他の若手監督が、この「ロベレ将軍」を撮っていたらどう評価されたか興味はありますが、しかし、これは、やはり「無防備都市」を撮り「戦火の彼方」を撮ったロッセリーニの「ロベレ将軍」なのですよね。

そこには、ただ創造するというだけでは済まされない芸術家の限界のようなものを感じてしまいます。

自分を「追い詰める」創作行為が、逆に自分が(世間から)追い詰められてしまう結果になってしまったロッセリーニの生き方を考えているうちに、井筒和幸監督の著作にあった「表現は、主張なんかより、ずっと素晴らしい」という言葉を思い出しました。

「主張」することの絶望を知っている含蓄に富んだ奥深い言葉ですね。

1959年から1960年という期間は、イタリア映画にとっては、偉大な2つの作品が撮られたことによって記念すべき年と記憶されています。

フェリーニの「甘い生活」とアントニオーニの「情事」です。

この時期、イタリアで公開された約190本の作品のうち、興行収益トップだったフェリーニの「甘い生活」が21億2000万リラを稼いだことと並んで、このロッセリーニの「ロベレ将軍」が7億1000万リラの収益をあげるなど、ネオ・リアリズム期の巨匠たちが相次いで健闘し、やや低迷気味だった彼らの華々しい復活が騒がれました。

この「ロベレ将軍」も、一応興行的には十分に成功したのですから、記念碑的作品といっていいと思います。

しかし、国際的な大きな賞を相次いで得て世界的な名声を欲しい儘にしたこの時期のフェリーニに「華々しい」という形容詞がふさわしいとしても、「無防備都市」や「戦火の彼方」で既に国際的な名声を得ていたロッセリーニにとって、いつまでも世界が認知した「ロッセリーニ」であり続けることの困難にぶち当たり、どういう方向で映画を撮っていけばいいのか分からなくなっていく、そんなこの時期の彼は、まさに混迷の真っ只中にありました。

やがて、散々な結果となる「ローマで夜だった」を撮り、世間に自身のあからさまな衰弱の姿をあらわにすることになる彼に、果たして「華々しい」という形容詞を被せることが相応しいかどうか疑問です。

興収面では好成績を挙げたこの「ロベレ将軍」が、本当のところどう評価されたのか、ロッセリーニは、この作品を撮った後、低迷が続いたまま劇場用映画を撮る場を失い、テレビ・フィルムで活動を続けていくしかなくなりました。

この作品がどのように評価されたのか、なんとなく察することが出来ます。

それを思うと、カンヌ映画祭グランプリを得た「甘い生活」と「ロベレ将軍」は、確かに、残酷なまでに「記念碑的な作品」だったのだろうなという感慨に、しばしとらわれました。
by sentence2307 | 2004-11-12 21:08 | ロベルト・ロッセリーニ | Comments(0)
すごい映画だと聞いていました。

まぼろしの名作と紹介している本もあります。

なにせ「無防備都市」や「戦火の彼方」を撮ったロッセリーニの作品です。

それらの作品が映画史に与えた影響の大きさを思えば、この映画を見る前の期待と緊張は当然だと思います。

それに、イタリア人にとって聖フランチェスコは、特別な意味があるらしいのです。

その証拠に僕たちが知っているだけでもフランコ・ゼフレッリの「ブラザー・サン シスター・ムーン」、リリアーナ・カヴァーニの「フランチェスコ」とそれ以前に「アッシジのフランチェスコ」という作品も撮っているそうです。

話は、中世の修道士たち(聖フランチェスコと仲間たち)の布教活動と、その質素極まる生活をリアルに描いたものです。

荒涼とした原野に廃墟のような小さな教会を建て、粗末なボロ服に裸足という驚くべき徹底した極貧のなかで、彼らは寄り添いながら教化活動に携わります。

俗世の欲望を捨て去り、貧しさの極限で自己犠牲の歓びを見出すという被虐的なまでの修道士たちの様々なエピソードが綴られます。

それはこの世で持てる総ての財産を失い尽くすことが、精神世界の豊かさを得、ひいては神の身元へ近付きうる唯一の方法ででもあるかのような感じです。

「奪い合えば足りず、譲り合えば余る」という逆説的な精神世界が描かれてゆきます。

所有欲から解放されれば、気高い精神世界が獲得できると信じて疑わない単純極まる率直さには、そのあまりの無邪気さに、ときに失笑を誘いますが、しかし、このリアリズムに徹した優れた作品が、「無防備都市」や「戦火の彼方」と、どうつながってゆくのか理解できずに戸惑いました。

作品それ自体が優れて自立していれば、それだけでいいのだとも思いますが、一方ではやはり納得するだけの理屈も欲しい気がします。

パゾリーニの「奇跡の丘」なら分かるのです。

パゾリーニのイエスは、荒涼とした原野をせかせかと足早やに歩き回り、言葉がまるで人を打ち砕くことのできる武器ででもあるかのように人々に、そして権力者に恫喝を投げかけ挑発する、まさに全存在を賭けた戦闘的な布教活動を展開します。

為政者を怯えさせ危機感に追い込んで処刑を決意させた程のイエスとは、多分こうだったんだろうな、とパゾリーニの姿勢とともに十分納得できたのです。

しかし、ロッセリーニのこの作品の異常なまでの被虐的な謙虚さは、いったい何を示唆しているのか、見当もつきません。

これからの宿題です。 




太陽の歌(アッシジの聖フランチェスコ) 

いと高き全能のめぐみの主よ、
賛美の歌と栄光栄誉と全ての感謝は御身に帰す
ただいと高き御身のみ、これら全ては御身に捧げられ、
何人とも御身の御名を呼びまつるに価せず、
賛美を受け給え、わが主よ、全ての被造物より、
殊に兄弟なる太陽よりの賛美を。
この兄弟は昼を創り、御身はこれによりて我らを照し給う、
いと高き主よ、この兄弟こそは偉大なる輝きをもって
御身に麗しき光を返しまつる。
主よ、姉妹なる月と星のために賛美せられさせ給え、
御身は天上にこれらの姉妹を創りて、
光に高貴と美とを与え給へり。
賛美を受け給え、わが主よ、兄弟なる風のために、
空気と雲と晴れたる空とすべての天候のために、
御身はこれらの兄弟たちによりて、すべての御身の創造物を支え給う。    
賛美をうけ給え、わが主よ、姉妹なる水のために、
この姉妹こそ有益、謙遜、高貴、純潔なり、
賛美をうけ給え、わが主よ、兄弟なる火のために、
この兄弟によりて御身は夜を照らし給もう。
彼こそ美なり快なり健なり力なり、
賛美を受け給え、我が主よ、姉妹にして母なる大地のために、
彼女こそ我らを支え、我らを守り、
種々なる果実、花、草を生み出だすなり、
賛美と祝福とを受け給え、我が主よ、謙虚なる奉仕を受け給え、
賛美を受け給え、主よ、兄弟なる関係の死によりて、
死は何人も免れず、
大罪の中に死するものに悲みあれ、
御身の聖旨に添える者は幸いなるかな、
何故ならそは第二の死にて朽ちざるべし
主に賛美を
主に謝し仕え
大いなる謙虚もて


フランチェスコは裕福な織物商の家に生まれ、放蕩生活を送ったあと騎士になろうと軍隊に入隊した。しかし捕虜になり、重い熱病の中で宗教的回心に目覚めて以降、徹底した清貧を志し、「神よ、私をあなたの平和のために用いてください」と平和の祈りを捧げた。
太陽の歌は、アッシジの聖フランチェスコが亡くなるとき(1226)、イタリア・アッシジのサン・ダミアノで死の床で書き上げたもの。病のため眼がほとんど見えなくなっていた彼は、その苦しみの中で、生まれてきたこと、生きていることへの喜びと感謝を、被造物と共に、被造物を通して高らかに歌い上げた。
当時教会での公用語はラテン語だったが、フランチェスコはこの「太陽の歌」をウンブリア地方のイタリア語で書いたので「中世のオルフェウス」と讃えられており、ルナンは「聖書以来のもっとも美しい宗教詩」と絶賛「賛歌(ラウダ)」とも呼ばれている。フランチェスコにとって「体の死」は「私の姉妹」であり、太陽や月と同じように神を讃えるものであったことが分かる。現代でも彼は自然保護の守護聖人として尊敬を集めている。
Breath for Peace原曲は「コルトナ・ラウダ37番」という聖歌で、コルトナ・ラウダは、13世紀ごろイタリア・コルトナで聖フランチェスコを慕う信徒たちの間で歌われていた祈りの歌である。


by sentence2307 | 2004-11-06 23:29 | ロベルト・ロッセリーニ | Comments(0)