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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:アントニオーニ( 1 )

この映画を見たとき、これまで僕が見てきたアントニオーニ作品(情事、太陽はひとりぼっち、赤い砂漠、欲望などですが)とは趣きを全く異にするので驚きました。

アントニオーニの初期は、こんなにも土俗的だったのですね。

しかもネオレアリズモの影響も色濃く感じます。

先入観で、アントニオーニを無機質な都会が似合う中産階級の満たされない孤独を巧みに描く洗練された映像作家という印象をもっていたのですが、この「さすらい」を見て根底から考えを改めました。

長い間同棲していたイルマに男がいると知り、絶望したアルドが娘を連れて家を出るところから映画は始まります。

昔の恋人を訪ねたり、あるいはゆきずりの幾人もの女と出会い親しくなりますが、彼女たちとの暮らしも満たされぬ思いのなかに常にイルマがいて、その関係を長続きさせることができません。

そんな思いを抱えたまま、アルドは再びさすらいの旅を続けます。

そのとき描写される荒涼とした風景が物凄いのです。

この映画を見ながら「さすらい」の意味が分かりました。

何かと対決することを恐れ逃避し旅立った元の場所(家族のいる場所)に戻ることができないのだと。

鬱々とした放浪の旅から、アルドは意を決してイルマの元に帰るのですが、そこで自分がいなくても十分幸福そうな彼女を垣間見て、絶望したアルドの痛ましい飛び降り自殺で映画は終わります。

求めれば求めるほど逃げていく愛に対する徒労と絶望と、あるいはそこに、屈辱感とかいうものが介在し人間関係を強く忌避する自閉的な心情が生ずるとしたら、それからのアントニオーニの作品群にみられる人間関係の距離感を喪失し無力感に支配された登場人物たちにつながっていくのかな、という気がしてきました。
by sentence2307 | 2004-11-06 23:51 | アントニオーニ | Comments(0)