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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:ダニエル・シュミット( 2 )

ダニエル・シュミットにとって「ラ・パロマ」がなかったら、「トスカの接吻」はなかったのかもしれないなという気がします。

それは、ちょうど「フェリーニの道化師」があったからこそ、その延長線上に「老い」という意匠を得た「そして船は行く」とか「ジンジャーとフレッド」が成立し得たことと、同じようなことなのかも知れないと思う気持ちと共通するものがあるのです。

この作品は、かつて、音楽界の第一線で活躍していたオペラ歌手や作曲家、そしてピアニストなどが集う養老院「ヴェルディの家」を舞台にした思い出の中に生きる音楽家を描いたダニエル・シュミットのドキュメンタリイ作品ですが、ここで驚くことは、この老人たちがカメラを向けられることで、戸惑うどころか、それさえも活力として、自分の芸術を堂々と開陳におよぶことです。

自信にあふれた彼らは歌唱の姿は、感動的であるよりもまず、音楽家=芸術家の厚顔さをまず感じさせられてしまいます。

しかし、「芸術」が進歩したり退化したりするような性質のものではない以上、そんなふうに思うことは、明らかにおかしなことなのかもしれません。

時流に置き去りにされ、もはや、忘れられ始めているはずの彼らの芸術の、しかし依然として、その堂々とした存在感を示しうるものとは一体どういうものなのでしょうか。

僕は、そこにクラシックの「存在価値=意味」のようなものをかんじてしまいました。

クラシック音楽に身を挺する者たちの永遠性というもの。

人は滅びる、しかし、芸術は不滅だという観念に生きる=信じる者達の気恥ずかしくなるような力強さというものだろうと思います。

そして、僕が、そういう描写のあり方に、ある種の違和をどうしても感じてしまうのは、きっと映画というはかない芸術の在り様と、クラシック音楽のそれとは、決定的に異なるものがあるからなのだと強く感じたからかもしれません。

なんとなく、ジュリアン・デュヴィヴィエの「旅路の果て」を思い出させられました。
by sentence2307 | 2004-12-18 07:18 | ダニエル・シュミット | Comments(0)
ダニエル・シュミットにとって「ラ・パロマ」がなかったら、「トスカの接吻」はなかったのかもしれないなという気がします。

それは、ちょうど「フェリーニの道化師」があったからこそ、その延長線上に「老い」という意匠を得た「そして船は行く」とか「ジンジャーとフレッド」が成立し得たことと、同じようなことなのかも知れないと思う気持ちと共通するものがあるのです。

この作品は、かつて、音楽界の第一線で活躍していたオペラ歌手や作曲家、そしてピアニストなどが集う養老院「ヴェルディの家」を舞台にした思い出の中に生きる音楽家を描いたダニエル・シュミットのドキュメンタリイ作品ですが、ここで驚くことは、この老人たちがカメラを向けられることで、戸惑うどころか、それさえも活力として、自分の芸術を堂々と開陳におよぶことです。

自信にあふれた彼らは歌唱の姿は、感動的であるよりもまず、音楽家=芸術家の厚顔さをまず感じさせられてしまいます。

しかし、「芸術」が進歩したり退化したりするような性質のものではない以上、そんなふうに思うことは、明らかにおかしなことなのかもしれません。

時流に置き去りにされ、もはや、忘れられ始めているはずの彼らの芸術の、しかし依然として、その堂々とした存在感を示しうるものとは一体どういうものなのでしょうか。

僕は、そこにクラシックの「存在価値=意味」のようなものをかんじてしまいました。

クラシック音楽に身を挺する者たちの永遠性というもの。

人は滅びる、しかし、芸術は不滅だという観念に生きる=信じる者達の気恥ずかしくなるような力強さというものだろうと思います。

そして、僕が、そういう描写のあり方に、ある種の違和をどうしても感じてしまうのは、きっと映画というはかない芸術の在り様と、クラシック音楽のそれとは、決定的に異なるものがあるからなのだと強く感じたからかもしれません。

なんとなく、ジュリアン・デュヴィヴィエの「旅路の果て」を思い出させられました。
by sentence2307 | 2004-11-12 21:41 | ダニエル・シュミット | Comments(0)