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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:ルネ・クレマン( 3 )

禁じられた遊び

最近、映画を立て続けに見ていてよく感じることがあります、そこそこ上手に作られている映画なのに、記憶に止まらずにすぐに忘れてしまうということが度々あって、なんだか戸惑っています、「オレも、そろそろアレかな」と。

しかし、実際に当の映画を見てみれば、見たか見ないかくらいはすぐに判断できるので、やっぱ自分がボケているわけじゃないんだなと安堵したり気を取り直したりしているわけですが、しかし、それにしても多くの作品の印象が薄いというのは事実なので、それって、そのまま、いまの作品に強烈なインパクトが欠けているからなのだとか、それに映画のタイトルからして、内容を象徴するような、すぐにも「あれだな」と連想させるだけの絶妙なタイトルというのが少なくなっていて(タイトルと内容のミスマッチ)、責任回避みたいな原タイトル流用という弊害からもたらされたものなのではないかなどと、ぐずぐずと自分のまだらボケをすっかり棚に上げて(やっぱ、そうじゃん!)、タイトルにまで八つ当たりしようというのですから、ほんとにもう我ながら「末期症状」の入り口に足を踏み入れているのかもしれません。


すこし前に、旧い友人と酒を酌み交わしながら、そのことについて話したことがありました。
しかし、すぐに「そりゃあ、むしろ受け手側の感性の鈍化が原因だわな」と即座にバッサリやられてしまいました。

いえいえ、もちろんそれは「ボケ」の話とかじゃなくて、我々の世代のもっている感性というやつが、現代の映画へコミットするだけの取っ掛かりを失ってしまって無力化しているうえに、映画のほうも「ある種の情感」を持った内容の作品がごく少なくなったということもあるかもしれません。

「映画」に対する思い入れも現代の感覚とは、少しずつズレが生じているからじゃないかなというのが彼の意見です。いわば「時代遅れ病」とでもいうのでしょうか。ホント、「ばっさり」です。

そして彼は、なんの脈絡もなしに突然、ルネ・クレマンの「禁じられた遊び」を語り始めました。

そりゃあ、自分だってあの「禁じられた遊び」が映画史に残るほどの重要で素晴らしい作品であるくらいは十分に承知しているつもりですし、そのことに関してはまったく異論もありません。彼と同じように1ミリもたがわず十分に名作だと思っています。

しかし、その「名作」の方はいいとしても、この「なんの脈絡もなしに突然に話しはじめた」がずいぶん唐突すぎて、どういう切っ掛けでそうなったかが不明なので、熱く語りはじめている彼には大変申し訳ないのですが、その話の腰を折り、あえて「なぜいま『禁じられた遊び』を?」とその理由を尋ねてみました。

しかし、あらたまって聞いてみると、その理由なんて、なんてことありません。

wowowのオンデマンドの配信リストの中に、たまたまこの「禁じられた遊び」があったので、だからそれを見たというだけのことでした。

そうそう、言い遅れましたが、彼は自分とは違い、いまだ現役で仕事を続けていますので、昼間はそれなりに多忙で映画などのんびり見ている場合じゃないと(彼に言わせると「なんたってこっちは、オタクみたいに遊んでいられる身分じゃないからね」というのが口癖です)、ですので仕事を終えて夕食も済み、そのあとの就寝までの時間を、ネット配信の映画を見るのを楽しみにしているということで、wowowのオンデマンド配信もそのうちのひとつのツールとして活用しているらしいのです、もっぱらパソコンでオンデマンド配信の映画を楽しむという生活スタイルをもっている御仁です。

その配信リストに最近「禁じられた遊び」がアップされていたので見たということでした。

まあ、いざ聞いてしまえばなんてこともありません。

しかし、自分にしてからも映画のテレビ放映を同時的に視聴するということは大変マレで、やはり映画鑑賞はもっぱらネット配信を利用している一人ですが、ただひとつ難を言わせてもらえば(wowowの場合です)、最新映画に比べてクラシックな名作映画の放送枠がとても少ないということがあって、とても残念な思いをしています。まあ、それがwowowの売りであることも十分に承知しているので、思わず彼に「へえ~、wowowで『禁じられた遊び』とは、そりゃまた珍しいね」と思わず彼に同調しました。

そんな感じで、その夜の酒宴は、彼が久しぶりに見た「禁じられた遊び」の感銘を熱く語る独壇場となりましたが、しかし、彼のその話、よくよく聞いてみると、「懐かしさ」という部分での感銘の再現(思い起こし)というだけで、なにもリアルな感銘とか、リアルな「賛辞」とかというのとは、またひとつ違うみたいなのです、その微妙な温度差が少し気になったので、彼がひととおり語り終えたタイミングをつかまえて「それで、今回の場合はどう感じたわけ?」とあえて突っ込んで聞いてみました。

「それがさ、久しぶりに見てね、変なところばかりが気になって仕方がなかったんだよ」と彼は、意外にも少々うんざりしたような醒めた真顔で話し始めました。

まず冒頭、パリの戦火を逃れて避難する群衆(そこにはポーレット一家も含まれています)にドイツ軍の戦闘機が襲い掛かってきて機銃掃射でポーレットの両親が撃たれて死ぬという場面、自分の飼犬のことばかりに気を取られているポーレットは、制止する両親の手を振り切って逃げた犬を追い橋の中央に飛び出していきます、あわてて娘を追った両親は、その場で戦闘機の機銃掃射の狙い撃ちにあって射殺されてしまいます。

犬を抱き締めながら、ポーレットは、すでに死んでいる母親の顔を撫ぜながら「ママ、ママ」と問いかけますが、すでに死んでいるので反応などありません。

その場面で彼は、「むかしだったらさ、きっとこの場面で泣いたんだろうなと思ったね。死の意味も分からないくらい幼いポーレットがとても哀れでさ」と言い、「でも今回はね」とさらに続けて語りました。

この過酷な時代に、いくら幼いからとはいえ、ああした迂闊な行為は家族すべての死につながる危険で切実な重要事なわけなのだから、その戦時下、両親は子供に「死」がどんなものか常日頃しっかりと説いて聞かせておかなくちゃダメだったんじゃないのかな、厳しく叱りつけるくらいにね。それに、あの時代、いくら子どもとはいえ「死」がどういうものか、ドイツ軍が迫ってくるフランス市街の緊張感とか、もしかしたら身近にもリアルな「死」があったかもしれない、そういう状況下で、あのポーレットの無知で無邪気すぎる設定がずいぶん無理があって、作為に満ちた「カマトト」みたいに見えてしまって仕方なかったよ。なんだか「小綺麗でいたいけな可哀そうな少女の視点」をあえて作り上げるために、まわりを、虚偽のリアリズムで飾り立てたみたいな気がしてね。

オレたちはいままでテレビ報道なんかで子供を巻き込んだ多くの戦争と、その悲惨な戦禍(無差別爆撃によって手足を失った血まみれになった子供たち)を嫌というほど見せつけられてきて、そのうえでこの「ポーレットの無邪気さ」をあらためて考えると、なんだか机上の空論というか、巧みに組み上げられた「悲劇」のためだけの「設定」に見えてしまって、今回はずいぶんと「苛立たしく腹立たしい」ものを感じてしまったんだよね。

そうそう、あの場面で唯一「リアリズム」を感じさせたシーンは、両親を失い一人で道端にたたずんでいたポーレットを、可哀そうに思った行きずりの一家が彼女を荷車に抱え上げたとき、その中年女がポーレットの抱えている犬を見て「それ、もう死んでるよ」とか言って取り上げ、無造作に川に投げ捨てる場面だね。

少なくともあれが、いつどこで自分だって死ぬかも分からない極限の戦時下に、人間が当然持つに違いない「ありふれた死」に対して、反射神経を弛緩させ麻痺させてみずからを防御する感覚を鈍化させる庶民の生活の知恵というか、認識のかたちだと、あの部分だけは妙に納得できたくらいかな。
シビアな現実に直面したとき、人間は生き延びるために感性を必要なだけ鈍化させて適応してしまえる逞しさを持っている生き物だと。そうやって人間は、あらゆる極限状態を耐えてやり過ごし生き延びてこられたんだと。

だけど、「死」を理解できないポーレットは、川に流れ去っていく犬の死骸を追って、このストーリーを展開させ、やがて、死を弄ぶ「墓遊び」にまでストーリーを広げながら、巧みに「駅の雑踏に迷子として呑み込まれる痛切なラスト」にまで引っ張っていくわけだけど、ひとむかし前なら気にも留めなかったその巧みさが、つまり、この「可哀そうなポーレットちゃん」のお話の「組み立て方」がどうにも鼻について仕方なかったんだよ。

さらに続けて、彼は、ここに描かれているフランス農民の愚かな狡さとか、事務的にすぎる官憲や意地の悪そうな修道女の冷ややかさとか、「可哀そうな」な迷子のポーレットを呑み込む駅の雑踏が象徴する酷薄な民衆の不自然な描き方などについても語ったのですが、それらはすべて「可哀そうな孤児の物語」を誇張するために人間を歪めて描く必要からそうしたまでのことで、リアリズムとは何の関係もない作為と悪意に満ちた誇張にすぎないと、いささか憤慨気味(そう見えました)に彼は語っていました。

あの設定がもし仮に、ポーレットを可哀そうに思う愛情深い善意の農民だったり、温情溢れる官憲だったり、愛情深い修道女だったりしたなら、この物語はもっと違う物語になっていたかもしれないよね、でもそれじゃあ観客を感銘させることはできない・悲しませることはできない、そのために巧みに「脚本」をこねくり回しているうちに、「名作」には仕上がったかもしれないにしても、その無理がたたって随所にほころびができているのが気になって仕方なかったんだよな。

ポーレットが「ミシェル! ミシェル!」と泣き叫びながら雑踏の中に消えていくあのラストを盛り上げるためだけに、あきらかり無茶ぶりとしか思えないこの観念の倒錯の必要から、信仰心のあつい敬虔な信者・少年ミシェルを、まるでポーレットに隷従する「墓標盗人」に豹変させる奇妙で強引なストーリーが作られていったのだなと。

この倒錯したミシェル像が矛盾して描かれる切っ掛けとなっているシーンは、ポーレット自身が、もはや用無しになった犬の死骸をまるでゴミのように無造作に投げ捨てる場面に込められていると言いました。前半の犬への執拗なこだわりを、後半の死を弄ぶ「墓遊び」につなげるにはとんでもない飛躍がどうしても必要になってしまって、その矛盾した乖離を収束する辻褄合わせのために、ポーレットに、あれほど執着し、取り戻すことにこだわっていた「犬の死骸」をいとも無造作に捨て去るという奇妙な行為をとらさなければならなかったのだと。
「悲劇」をでっちあげるために、この現実に悪意ある作為をほどこすこの「捻じ曲げ感」は、ちょうど不自然なまでにいじめ抜かれる「おしんストーリー」(あの冨樫森作品も顕著に「それ」は感じました)のヘドが出るような悪質な嘘(映画の堕落)と同じタイプのものだと。

これはつまらない蛇足ですが、今回、自分もかなり冷静にこの作品を改めて見直してみたのですが、ラストのポーレットが駅の雑踏に呑み込まれる場面は、その少し前に修道女がポーレットの首に名札を掛けているシーンがあるので、一時は迷子になったとしてもすぐに連れ戻される可能性もあったことに気が付いたことも付け加えておきますね。

まあ、こんな感じで、自分はただ彼の話にほぼ相槌を打つということに終始しただけだったのですが、しかし、この「ただ相槌を打つだけ」という態勢からイメージするような消極的で受け身だったわけではありませんでした。

彼の話を聞きながら、自分にもいささか思い当たるフシがあったので、帰宅してさっそく書棚から、まずトリュフォーの「映画の夢 夢の批評」(山田宏一・蓮實重彦訳、たざわ書房1979.401.2刷、276頁、1600円)を取り出しました。

その夜、彼が話していることを聞いているうちに、それって、もしかしたらトリュフォーの「受け売りじゃん」という気がしてきたからです。

だって、ほら、ヌーヴェル・ヴァーグの初期っていうのは、フランス映画界の大御所にトリュフォーが噛みついたってところから始まったっていうじゃないですか。ただし、その大御所たちが誰々で、彼らのなにが悪くってトリュフォーがあんなにもむきになって噛みついたのかまでは、すっかり忘れているので、ここはいい機会です、パラパラと走り読みしながら、久しぶりにフランス映画史でも勉強してみますか。酔って帰った真夜中に、よりにもよって始めるようなことじゃありませんが。

しかし、残念ながら、この本からは該当の記事を発見することはできませんでした。ただ、トリュフォーの書いた「あとがき」には、ヤマダと話し合い、パリで出版した自分の映画評論集「わが人生の映画たち」(1975、フラマリオン社刊)のなかの全5章を三つに分割して逐次日本で刊行しようという計画が合意されたと書いてありました。

具体的にいうと、

【第1段階】(いま読んでいるこの本です)
第1章 大いなる秘密+「批評家は何を夢みるか」(書下ろし)

【第2段階】
第4章 異邦人たち
第5章 ヌーヴェルヴァーグの仲間たち+<日本映画賛歌>「溝口健二、木下恵介、市川崑、中平康」

【第3段階】
第2章 トーキー時代の映画作家(1)アメリカ映画の監督たち
第3章 トーキー時代の映画作家(2)フランス映画の監督たち

ということで、目指す記事はどうも
【第3段階】第3章 トーキー時代の映画作家(2)フランス映画の監督たち
のようです。

そこには、錚々たる監督名が列記されていて、トリュフォーがこのうちの誰をけなし、誰を持ち上げたのかまでは分かりませんが、そのリストのなかに、確かにルネ・クレマンの名前がありました。

それらの監督名は、以下のとおりです。

クロード・オータン=ララ、ジャック・ベッケル、ロベール・ブレッソン、ルネ・クレマン、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ジャン・コクトー、サッシャ・ギトリ、アルベール・ラモリス、ジャン=ピエール・メルヴィル、マックス・オフュルス、ジャック・タチ、


このあとに、さらにこうも書かれていました。

「・・・というところまでヤマダと話し合ったのだが、もちろん、これは、まず本書が出版されて成功したらの話である。そのためにも、ぜひ本書が成功してくれることを祈りたい。」

なるほど、この本が、はたして「成功」したのか否か(つまり条件を満たして次段階の出版が叶ったのかどうか)までは、調べている時間はもうありません、そんな悠長なことをしていたら、そのうち夜が明けてしまいます。

もうこれ以上、この本につきあっている暇はありません、時間切れです。次に、やはりヤマダつながりで「トリュフォーの手紙」平凡社(山田宏一)2012.7.25.1刷、493頁、2400円、を引っ張り出しました。

この本、時系列で書かれているので、たいへん探しやすく、ありました、ありました、

「・・・と、のっけから総括的、断定的、攻撃的な喧嘩口調だ。『これでいいのか』と体制に、既存の支配勢力に、一気に食って掛かるような勢いだ。」(123頁)

という、実に嬉しくなるような牙をむきだした一文が燦然と輝いて、向こうからこちらの目のなかに飛び込んできたじゃないですか。これですよ、これ、不良少年にして怒れる狂犬トリュフォーなら、こうでなくっちゃいけません。噛みつけ噛みつけ、コノヤロー、片っ端からぶっころしちまえってんだよ。

いやいや、勝手に興奮している場合じゃありません。その先の一節を読んでみますね、キイワードを見つけて、その前後をこうして広げていくという読み方は、邪道であっても結構有効で合理的な方法です、「早わかり」のためには最適です。

「フランス映画の進歩とは、要するに脚本家と脚本の進歩、すなわち文学の名作(アンドレ・ジッドの小説「田園交響楽」、レイモン・ラディゲの小説「肉体の悪魔」等々)を映画化するための大胆な脚色法(それは文学と「等価」の映画的表現形式があるという傲慢な確信に基づいて「原作を裏切らずに、その文学的精神に基づいて創造する」というものである)、そして、ふつう難解とみなされる主題(とくに宗教的な問題にかかわる)にきわめて積極的に敏感に対応し、その(みせかけの)真摯さゆえに大衆が簡単に受け入れてくれることへの絶対的な確信にもとづくものなのである。」

なんだ、なんだ、こんな括弧ばかりあちこち挿入した文章なんて、読みにくくって意味が掴めないじゃないか、これじゃあまるでオレの書いたものと同じだっての、いったいお前は、なにを言いたいんだ(それに加えて、どういうヘタレな訳なんだこりゃ)などと鼻白んでいる場合じゃありません。

要するに「原作の主題を忠実に生かすようにすれば、失敗ない」といっているのだと思います。原作(の主題)を忠実・完全に脚本に写し取って再現できれば、原作のチカラ(主題)に守られて、映画も大過なく大衆に受け入れてもらえ、成功できるに違いないと、いままで名作といわれた映画は、そういうふうに作られてきたわけだけれども、はたして「それでいいのか」とトリュフォーは言っているのだと思います。「そんなもんは、映画なんかじゃねえや、バーロー」と。(誰彼構わず「噛みつく」トリュフォーだったら、これくらいの言い方がふさわしいかもしれません)

そして、そのあとには、こうも書かれています。

「そして、これらの大御所の脚本家たちの大胆で真摯な脚本の欺瞞に満ちた美徳を告発し、なで斬りにしてよくできた脚本によるよくできた映画を、ということは戦前からのフランス映画の良質の伝統を受け継ぐ、つまりはフランス映画の主流を、徹底的に批判し、過激に、まさに急進的に作家主義を主張しつつ、ヌーヴェル・ヴァーグを予告する、いわば革命前夜の論文であった。」

つまり、脚本をなぞるだけのものではない「映画のための映画」を作るべきだと言いたいわけなのでしょうね。なんだか、こうして文脈を追っていくだけでは、なんだかわけが分からなくなってしまいました。

そもそも、「禁じられた遊び」よりも「大人は判ってくれない」が決して優れている作品とは、どうしても思えない「信仰心」を欠いた自分などには、この気負った幼稚な文章の数々が見え透いてしまい、どこまでも「嘘っぽい」ものとしか感じられないから、もうひとつ分からないのかもしれませんが。

また旧友と会うことがあったら、今度は言い返してやろうと心に決めました、かれ、きっと逆上すると思います、なにしろヌーヴェル・ヴァーグ大好きの敬虔な信者ですから、カレ。やれやれ

(1952)監督・ルネ・クレマン、脚本・ジャン・オーランシュ、ピエール・ボスト、ルネ・クレマン、原作・フランソワ・ボワイエ『Les Jeux inconnus』、製作・ポール・ジョリ、音楽・ナルシソ・イエペス、撮影・ロベール・ジュイヤール、編集・ロジャー・ドワイア、
出演・ブリジット・フォッセー(ポーレット)、ジョルジュ・プージュリー(ミシェル・ドレ)、リュシアン・ユベール(ミシェルの父ジョゼフ・ドレ)、シュザンヌ・クールタル(ミシェルの母)、ジャック・マラン(ミシェルの長兄ジョルジュ・ドレ)、ロランス・バディ(ミシェルの姉ベルト・ドレ)、アメデ(ベルトの恋人フランシス・グアール)、ルイ・サンテヴェ(司祭)、ピエール・メロヴェ(ミシェルの次兄レイモン・ドレ)、アンドレ・ワスリー(フランシスの父グアール)、





☆☆ ☆

この小文を少しずつ書いていたここ1週間にさまざまな事件が起こりました。

そのもっとも大きな事件といえば、やはりパリの世界遺産「ノートルダム大聖堂」の消失でしょうか。

屋根の部分が大きく炎上し、猛烈な炎に煽られた尖塔が、またたくまに崩れ落ちるというリアルな光景は、あのツインタワービルの崩壊の瞬間を思い出させるほどの惨状を連想させて大きなショックを受けました。

記事によると、ノートルダム大聖堂が今の形になるまでには1163年の着工から、さらに200年を要したというのですから、内部の装飾の贅の凝らし方がいかに壮大で華麗なものだったかは、この「かかった時間」からでも想像できると思います、今年が何年であり、引き算が正確にできさえすれば、その加減乗除の法則によって、建築年数などすぐにも算出できるというものです。(できないのかい!?)

しかし、世界遺産に指定されたこれほどの建築物をいとも簡単に焼失させてしまうなんて、「いったい管理体制は、どうなってんだ」という怒りと苛立ちにまず最初に捉われたとき、現場に駆け付けたというマクロン・フランス大統領が記者の質問に答えている姿が、テレビの画面に大写しになりました。

彼は言いました「世界に呼びかけて大聖堂を再建する」と。

えっ~!?と、思わず拍子抜けし、つづいて、「このバカ、アホちゃうんか」と、思わず口走ってしまいました。条件反射的に「不意」に発してしまった生理的嫌悪の雄叫びだったので、もし仮にこの失礼な言葉を不快に思われる方がいらっしゃったとしたらどうぞお許しくを願いたく存じます。ついつい本音が・・・。

だって、そうですよね、重要文化財のこれだけの大火災です。まずは「けが人は?」と気遣い、テロの可能性も含めたうえでの故意の放火だったのか(厳戒態勢の緊急手配)、それとも不慮の失火だったのか(捜査)の両面から、それらを想定した防火体制の管理に不備はなかったか(他の文化財の防火管理体制は大丈夫かの緊急確認手配)、それとも人為的なミスだったのか、いや、そもそも最初から「管理」などという金のかかる余計なものなんてやってなかったのではないか(例の仕分け、あの大衆迎合・人民裁判の大いなる恥さらし、日本でもありました。その大罪を犯した仕掛け人がいまでもしゃあしゃあと政治家としてのさばっているのが理解できません)、工事規則なんてものは最初からなくて業者のやりたい放題に任せていて、燃えやすい木製の危険極まりないチープな足場を組んだその近くで、意識の低い工事関係者がタバコか煙の出るものをスパスパやらかして火のついている燃えかすをそのままポイ捨てしたとか、芋でも焼いたりしていなかったかなど工事人のモラルも含めたセキュリティの両面で調査・究明していくと、まずは言明するのが、一国の元首たる者のタシナミだと思うのに(なにも緊急性のない「再建」の話など、誰が考えてもずっとあとでいい話です)、金に取り憑かれた頭の回転も鈍そうなこの呑気な大統領は、言うに事欠いて、開口一番「世界から金を集めて再建しま~す」とかなんとか寄付金を募っている始末ですから、もうなにをかいわんやです。

こんなテアイしか一国の元首として据えられないような国民は、まったくもって不運というしかありません。だいたい発想自体が、植民地経営の大国気分が抜けきらない、どこまでも東洋人から富をかすめ取ることしか考えていない「ゴーン」的発想なんだよな。自分の財布と他人の財布の区別がつかず、ショーグンだかシャチョーだか知らないが、日本をナメタ勝手な名前をちゃっかり盗品に付けて澄ましているあのコソ泥のいかさまヤローを最初のうちは庇い立てていたこと(献金の鼻薬が効いていて首を横に振ることがどうしてもできなかったという事情もあったのでしょうが)を極東の島国のわれわれ東洋人はいまだ忘れていませんから。まったくあきれ返ってものが言えません。とにかくサイテーだよ、お前ら。一発そのドタマを張り倒して「ゴ~ン」とでもうたわしたろかい、オンドレ。除夜の鐘じゃねえや、ばかやろー。

わたしは言いたい、日本企業からネコババした金でこそこそ買った豪華クルーザー「社長号」に、えげつないリストラで失業に追いやられ、いまも苦しい生活を余儀なくされている元・社員たちの家族を、どうか・どうかその「社長号」とかに招待して乗せてあげてくださいませな。お願いしますよ、拘置所のゴ~ンさん!!

もし、ルイ=フェルディナン・セリーヌが生きていたら、「まあ、いずれにしても今回の大聖堂消失は、ずさんな安全管理の欠如か、それとも堕落したフランス社会に神がくだした鉄槌だな」とでも、きっと爽やかな毒を吐くに違いありません。(最初は、「天罰だな」と書いてみたのですが、そこまで言うなよと言われそうなので「鉄槌」に書き直しました。)



by sentence2307 | 2019-04-19 15:16 | ルネ・クレマン | Comments(0)
先週の木曜日、毎月恒例の「半日出張」というのがありました。

最近は、もっぱら若い課員たちの持ち回りで行われていたので、永い間、この「半日出張」から自分は遠ざかっていたのですが、本当に久し振りにお鉢がまわってきました、そのワケというのを書きますね。

大企業の出張といえば、華々しい「ニューヨーク出張」とか、「ロンドン出張」ということになるのでしょうが、わが社では、せいぜい東京近郊の営業所に顔を出して、現場で最近の営業成績の報告を聞き、それを報告書にまとめて本社の担当部長にあげるだけの、半日あれば十分こと足りる楚々とした可愛らしい出張です。

まあ、営業所とのコミュニケーションを図るというのが主たる目的ですね。

それでもバブルの頃は、このミーティングのあとには「酒席」が用意されて、現場の営業所員の慰労も兼ねた賑やかな親睦の会が持たれていました。

なにしろ、景気のいいピークのときなどは、コンパニオンの綺麗どころをよんでチークダンスを踊ったり、飲めや歌えの大騒ぎをしたなんてこともあったんですよ、実にシアワセな思い出です、いまとなっては大昔の夢物語です。

なので、当時は、これは課長(あるいは、それに準ずる管理職)の特権的な出張ということだったのですが、現在のこの深刻な営業成績の大低迷期にそんな浮かれた「酒宴」などとんでもない話で、最近では、若手が順番に営業所に出向いて報告を聞き、そのまま帰ってくるという素っ気ない出張に落ち着いています。「落ち着いてきた」というのは、言い換えれば、「ダレ始めてきた」ということでもあったかもしれません、後述しますが

そして先月、ちょっとした事件がありました。

当日、出向く予定だったわが課の若手担当者が、その朝になって俄かに急用ができて、営業所に
「急に行けなくなったので、こちらで報告書を上げておきますから、行ったことにしておいてほしい。ついては、そちらの方も口裏だけ合わせてください」
と連絡したのだそうです。

これはなにも悪気があって会社の方針に楯突くとか叛逆するとか、そんなダイそれたことではありません、「急用ができたので仕方ない」という素直な気持ちから(たぶん上記の「ダレ始めていた」ことが、その発想を後押ししたとしても、「出張拒否」までの意識はなかったと思います)、彼は定石通り「ホーレンソー」の「連絡の項」をチョイスし、忠実に責務を果たしたのだと思います。

連絡を受けた営業所も、営業報告なら定期的に逐一本社に送っているわけだし、なにも本社の人間がわざわざ出向いてくるには及ばない、しかも来る人間といえば何の権限もない若手ばかり、といっても、本社の人間がわざわざ来るとなればムゲにもできず、時間を割いてそれなりの対応をしなければならない、そのうえで実際に話すことといったら決まりきった儀礼的な話をするだけで半日つぶされてしまう、日ごろはこちらの事情も無視して「もっと頑張れ、稼げ、稼げ」などと無理難題を吹っかけてくるくせに、なにもこの忙しい時期に形骸化した鬱陶しい慣行を押し付けて営業の邪魔をしなくたっていいじゃないか、本社はなにを考えているんだ、マッタクモウ、こんなもの「さっさとやめてしまえ」というのが、常日頃の営業所の「本音」なので(時間をとられるということでは、本社の若手課員の方だって同じです)、この申し出には営業所の方もすぐにのってきて、架空の相互アリバイ工作は成立しました。常日ごろ、抑制していた不満が噴出する切っ掛けみたいになって、互いに共鳴してしまったという感じです。

もともと形骸化していた「半日出張」です、相互で「懇談」があったことにすれば、あとは営業所が本社に告げた数字を教えてもらい、定型文書の空欄にそれを書き込み、通常ルートでハンコをもらって、上へあげておけばそれでオシマイというわけです、「なんの支障もありません」とこの若手社員は考え、このダレた半日出張のその「ダレ」感を、営業所ばかりでなく、本社の担当部長も共有しているに違いないといつの間にか思い込んでいたのが、そもそもの誤りだったのかもしれません。

この、「あったことにする」という口裏合わせの企み(甘い誘惑)は、出張の当事者なら誰もが一度は妄想した魅惑のアイデアには違いありませんが、それを実行に移すかどうかは、また別の問題です。けれども、実際、出向いた営業所で話されることといえば、先月だって先々月だって、半年前だって1年前だって、いつも同じなので、口裏を合わせるもなにもそんな大仰なことでなく、虚を捨てて実を取るという観点からすれば、この「相互アリバイ工作」、それなりに合理的な考えだったことは否めませんが、のちにこの事件が発覚した時、事件にかかわった関係者のすべてが、基本的にこの考え(「口裏合わせ」には「やめてしまえ」が強く作用しています)に同調したことは明らかで、これが「半日出張」を立案した担当部長の怒りをさらに一層煽って逆上させたといえるかもしれません。

「無礼者! 会社の決め事をどう考えておるのだ」という感じです。

さて、「事件の発覚」の話に戻りますね。

この事件、関係書類さえ完璧に整っていたら、あるいは、「発覚」までは至らなかったかもしれません、たぶん、ここで話はおしまいだったはずでした。しかし、この企み、ひょんなところ(ささいな書類の不備)から「足が付いた」のです。

営業所とのミーティングには、さすがにお酒こそ出ませんが、その都度、人数分のコーヒーを近所の喫茶店からとることは許されており、コーヒー代は予算にもしっかり計上されています、そのほかには電車賃相当額の「出張旅費 請求書」と「半日出張手当 請求書」というのが、部長の元に集まることになっており、それを部長が一括して専用ファイルに綴り込むというのが手順になっています。

つまり、担当部長の手元には、その日の「出張報告書」、「半日出張手当 請求書」、それに当日出された「コーヒーの請求書」と「交通費請求書」がセットになって提出されるのですが、そのときの書類のセットに、「コーヒーの請求書」だけが欠落していることを部長は気づきました、経理に問い合わせても、それらしい「領収書」も「請求書」も届いてないという返事がかえってきました。
担当部長は、当初、

「なにも遠慮することないじゃないか、コーヒーくらい頼めよ」

と慰労するくらいの積りで(そのときは、当然上機嫌でした)担当者を部長室に呼びました。

サラリーマンなら、誰しも「部長室に呼ばれる」ということが、いかにプレッシャーであるか、お分かりいただけると思いますが、なにしろ、われわれはまさに「ここ」で、突然の僻地への「異動」を命じられたり、君には本当に申し訳ないが、なにしろこの不景気でねと「減俸」を告げられたり、酒席での暴言を咎められて「譴責」を受けたり、果ては悪夢のような「解雇」だって言い渡されかねない、そういうさまざまな「理不尽で忌まわしい命令」に甘んじて受けなければならない実に恐ろしい処刑場のような場所なので、「部長室に呼ばれ」た若者が、部長室に歩を運ぶまでに「自分がなにか悪いことでもしでかしたのか」と恐る恐る妄想をめぐらし、「もしかしたら、あの半日出張の口裏合わせ!」と思い至り、「ああ~あれか!」と恐怖・恐慌に襲われた瞬間がちょうど部長室の前、震える手でノックするときには、顔面蒼白、血の気が一気に失せて、部長の問いにもまともな返事ができないまま、すぐに「出張報告書」が虚偽であることを自供しました。
A部長が、烈火のごとく怒ったのは、当然といえば至極当然のなりゆきといえます。

この「半日出張」は、いまも担当部長をしているこのA氏の肝いりで始められたプロジェクトだけに、「会社の決め事を無視した」よりも、「自分のプライドを傷つけられた」と思ったとしても無理ありません。

たぶん、どこの会社もそうだと思いますが、「本社」と「営業所」は、なにかと敵対し合い、いがみ合って、つまらないことで仕事そっちのけの見苦しい足のすくい合いをします。

営業所勤務の長かったA部長は、かつて当事者だっただけにそういう事情(弊害です)には精通・熟知していて、それをとても気に病んでおり、なんとかして本社と営業所との風通しをよくしようと様々な施策を講じてきました、チームワークなくして営業成績アップなんて、とても望めないのだと全社員に力説し続けてきたのです。

その施策のひとつが、「半日出張」で、A部長にとってはとても思い入れの深い施策でした。まさに、A部長にとっての理想(本社と営業所が手を取り合い、かばい合い、和気藹々と協力し合って一丸となって仕事をする)につながる大切な施策です。

みんなが努力すれば「全社一丸」は夢物語なんかじゃないと固く信じている「半日出張」推進の懸案者で推進当事者でもある担当部長(「一人は皆のために、皆は一人のために」が口癖です)にとって、この「半日出張」こそは、その精神性のシンボル的な仕事として位置づけ、重要視し、とても熱心に注視していたことが、あとで分かりました、この出張は部長にとっては「形骸化」でもなんでもない、とても重要な施策だったのです。

その大切な施策を虚偽の出張報告で誤魔化そうとしたことは、たぶん、A部長のプライドを深く傷つけただけではなく、同時に、この虚偽報告を通して、本社と営業所のほとんどの人間がこの「半日出張」を批判的に冷笑していることを瞬時に察知したのだと思います。

それは、徳川綱吉が、目の前で「生類憐みの令」の愚かしさ・馬鹿々々しさ・愚劣さを家臣から正面切って直接罵倒され嘲笑され冷笑されたようなものだったかもしれません。誰一人自分の理想を理解しようとしないA部長の失望と怒り(社員のすべてが自分を揶揄する敵に見えたに違いありません)は、想像を絶するものがあったのだと思います。

疑心暗鬼になったA部長の怒りの嵐は、本社と営業所を揺るがしました、部長室には入れ替わり立ち代わり関係者や無関係者(人事課長とか営業所長とか)が慌ただしく出入りし、そのたびにトビラは叩きつけるように閉められたり、恐る恐る開けられたり、その一瞬開いた扉の向こうからは誰のものとは分からない悲痛な絶叫「お前たちはな!」とか「そんな理由で有能な社員を・・・」などというさまざまな声が入り乱れて漏れ聞こえてきます。

それを同じフロアで逐一聞かされている当の青年はじめ社員たちは、身をすくめて、真っ青になって聞いていました。

やがて、部長室の騒ぎもだんだん収まってきたのが雰囲気で分かるようになった頃、部長室の扉が静かに開いて人事課長の顔が現れ、自分を手招きしています。

ジェスチャーで「わたし?」と自分を指さして目を見開いた顔が、我ながらなんとも間抜けだなと思いましたが、この際そんなことを気遣っている場合ではありません。

フロアにいる社員全員の注視を受けながら、おずおずと部長室に入りました。

実は、A部長と自分とは同期です。

例の「コンパニオンとチークダンス」の際も、一緒になって泥酔して騒いだ仲です、たぶんそのときが、彼と「同僚」として付き合った最後の時期だったかもしれませんが。

その後、彼はめきめきと頭角を現し出世街道を邁進しました。

しかし、相変わらず、その根っから「叩き上げ」のような貪欲な仕事ぶりから、彼が、とんでもない高学歴の持ち主であることが、どうしても結びつかず、その辺の愚直さも周りから好感をもたれたことのひとつだったと思います。

そして、この部長室に呼び入れられたとき、自分は気心の知れたかつての同僚として「事態の収束」の役目を課せられるのだなと察しました。

A部長は、まず、今度の虚偽出張は、社員の無自覚と綱紀の緩みにあるが、そもそも、そういうことを許した管理職にも責任の一端があり、自分としては、当事者数人を処分すれば、それで今回の問題が済むなどとは少しも考えていない、「半日出張」なんてつまらないことかもしれないが、会社の仕事で「つまる」ことなんてどこにある、円滑な人間関係があってはじめて・・・とかなんとか話をまとめたA部長は、自分に向かって、

「そこで当分のあいだ、半日出張は、営業所に顔の利く〇〇さん(自分です)に、行ってもらうことにしましたので、よろしく」と指示しました。

一連の騒動は、これでお仕舞いになりました。

管理職が皆退出したあと、自分は、ガチガチになっている虚偽出張の当事者の若者を呼び入れて、ともに部長に謝罪し、深々と最敬礼しました。

部長は青年に歩み寄り、肩に手を置いて「これからは気をつけろよ、君にもいい薬になっただろう。この経験を忘れるな」と言い渡しました。

元はといえばこの事件を引き起こした当の本人が、ごく間近で、身をすくめながら騒動の一部始終を見ていたわけですから、それだけで十分な制裁を受けたと判断した部長の、これがいまの彼ができる精一杯の励ましなのだなと思いました。

さて、これでようやく自分が「半日出張」に行くようになったイキサツが書けました。

それが文頭の
「先週の木曜日、毎月恒例の『半日出張』というのがありました。」
です。

ですが、なにせ午後から出かければいいので、前夜床に入る際には、翌朝はぎりぎりまで朝寝をして、午前中は家でゆっくりできるなと思いながら寝付いたのですが、結局、骨身にしみた貧乏性のために、いつものとおり午前6時前には目が覚めてしまいました。

いったん、目が覚めてしまうと、体まで目覚めてしまい、それ以上横になっていることができません。

起きだして自分が最初にすることは、新聞なんか読むより先に、今日どんな映画を放送するか、プログラムを眺めて確かめることから始まります。

そんなことをしても、会社のある日には、ほとんど見られないのですが、眺めて「こんな作品をやる」と思うだけでも楽しいのです、これはストレスではなく、十分な楽しみな習慣のひとつになっています。

その木曜日、なんと日本映画専門チャンネルで午前6時30分から佐伯幸三監督の「ぶっつけ本番」(1958東宝)が放映されると書いてあるじゃありませんか。

この作品の高評価は、ずっと以前、友人から聞いたことがあったのですが、いままで見る機会がありませんでした。

まだ間に合う、いやいや、間に合うどころじゃない、大セーフだ、それに今日は午後出張だから、ゆっくり見られます。

実にいいタイミングだ、こんな巡り合わせって、滅多にありません、初めての経験です。

「あなた、出張、大丈夫なの」と女房に嫌味を言われながら、見事全編を見通しました。

ということで、次回は、佐伯幸三監督「ぶっつけ本番」(1958東宝)のコラムを書こうと考えています、予告先発みたいですが。


さて、このコラム、実は、フランス映画「パーフェクトマン 完全犯罪」(2015、監督・ヤン・ゴズラン)を見たときに、思わず最近の会社であったこの騒動を連想し、しかし、完全犯罪映画の傑作といえば、やはり「太陽がいっぱい」だろう(死体をビニールでぐるぐる巻きして処理した感じが似てました)と連想がさらに飛び、あの死体のバラシ方が「パーフェクトマン 完全犯罪」の方では随分あっさりしていて淡白なので、やはり、そのあたりを凝りに凝って見せた「太陽がいっぱい」は、やはり名作だったんだなという思いを込めて書きたかったのですが、実際の生々しい事件を前にしては、どうもしっくり嵌りませんでした。


パーフェクトマン 完全犯罪
(2015フランス)監督ヤン・ゴズラン、製作チボー・ガスト、マシアス・ウェバー、ワシム・ベシ、製作総指揮ウーリー・ミルシュタン、脚本ヤン・ゴズラン、ギョーム・ルマン、撮影アントワーヌ・ロッシュ、音楽シリル・オフォール
出演ピエール・ニネ、アナ・ジラルド、アンドレ・マルコン、バレリア・カバッリ、ティボー・バンソン、マルク・バルベ、ロラン・グレビル



by sentence2307 | 2017-06-25 09:28 | ルネ・クレマン | Comments(0)

太陽がいっぱい

アラン・ドロンを語り始めるのに最もふさわしい作品といえば、「太陽がいっぱい」以外には見当たらないように思えます。

この作品の全編にみなぎる卑しさと哀しみの影が、アラン・ドロンの美貌にいっそうの陰影をあたえ、観客はトム・リプレイが犯す犯罪の良き理解者としての視点から、この作品を深い共感をもって見ることができたのだと思いました。

ただの美貌を売りにするだけの映画なら、観客になんのインパクトも、そして感動も与えることが出来ないことは、皮肉にも、その後のアラン・ドロンの多くの出演作が示していると思います。

裕福な上流家庭の育ちのフィリップとマージュの前で、貧しい生まれのリプレイが彼らに合わせて上品に振舞おうとすればする程、ボロが出て、彼らのからかいの餌食となってしまう卑しさを、更に増してしまうような結果となります。

そして、その無様な振る舞いを、傲慢で冷酷なフィリップから嘲笑され、馬鹿にされればされる程、リプリーは、「反射的に」なんの抵抗もないかのように、卑屈さをあらわにして媚びへつらいます。

この場面は、富める者の前で、反射的に媚びへつらいの「しな」を作ってしまう自分の、貧しい生まれによって培われてしまった卑屈な習性への嫌悪が鋭く描かれていると思いました。

多くの解説書では、リプリーの殺意が、マージュへの思慕を絡めたうえでの、フィリップに馬鹿にされ嘲笑されたことへの恨みと復讐心からの殺人が動機づけられたとしているものが多く見受けられましたが、ルネ・クレマンの描くあの場面からは、それほどのストレートな個人に対する憎悪や憤りは感じにくく、むしろ、富める者一般に対して、反射的に追従してしまう自分という卑しい者に対する嫌悪感=自己否定(放棄)としての「殺人」をどうしても強く感じてしまいます。

フィリップになり切り、彼の振りをする場面は、まるで、ヒッチコックの「サイコ」のように思えてなりません。

奇しくも同じ1960年製作、ヌーヴェル・ヴァーグの絶頂期に撮られた作品です。

原作は、ヌーヴェル・ヴァーグの世代から崇拝を受けていたヒッチコックの「見知らぬ乗客」1951の原作者でもあるパトリシア・ハイスミスの小説。

キャメラマンのアンリ・ドカエも脚本家のポール・ジュゴフもともにヌーヴェル・ヴァーグの作品で既に多くの実績を残している人たちでもありました。
by sentence2307 | 2004-11-12 21:09 | ルネ・クレマン | Comments(0)