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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:山本薩夫( 7 )

荷車の歌

せっかく録画しておきながら、なんだか見るのが億劫で延び延びになってしまい、そのうち、録画しておいたことさえ忘れてしまったような作品が、なんだかどんどん溜まってしまう感じで、そういうなかの一作に山本薩夫監督の「荷車の歌」1959があります。

じつは、この作品、子どもの頃に親に連れられて見ています。

きっと当時は、この作品を見ること自体がブームになっていて、これを見なければ時代に乗り遅れるみたいな強迫観念に捉われるくらいの話題作だったらしいのです(これって、三國連太郎が「老人」に扮するために歯を全部抜いたというあの伝説の映画ですよね)。

おそらく誰も彼もが、そのスキャンダラスな話題の勢いに押されて、詳しい内容など分からないまま(そんなことなどお構いなしだったでしょう)映画館に駆けつけたのにつられて、きっと自分の親も見に行ったのだと思います。

その証拠に、このひたすら陰々滅々な映画を、大胆にも「子連れ」で見に行くという、情操教育上「これってどうなの」的な、いわば暴挙なわけなのですから、その薄らぼんやりさ加減を除外すれば、まあ、ある意味、快挙といってもいいかもしれません、その目論見は見事、的中したといえます。

この映画は、自分の子供心に強烈な傷を残しました、それは現在に至るまでトラウマとなって自分のなかに居座り、いまでもタイトルを見ただけでゾーっとし、繰り返し「いや~な」気持ちにさせられています。

なにがそれ程いやだったかというと、どう見ても滅茶苦茶ジジイの亭主(三國連太郎が扮しています)が、滅茶苦茶年寄りのバアサン(浦辺粂子が演じています)を妾として(そこに正妻が住んでいるのに、ですよ)家に引き入れて同居を始めるという部分です。

いくら子どもとはいえ、「夫婦」というものが、どういうことをするのかくらいのことは、なんとなく知っていました。

しかし、そういう桃色行為は、あくまでも若々しくて、見目麗しい青年男女が、羞恥心のなかで裸体を朱に染めて感動的に「いたす」からこそ、まだ納得できる部分があるのであって、これがあの爺さんと婆さんとが絡み合い、どす黒いシワシワの体を重ねてゴシゴシ揉み合い互いの欲情をぶつけ合うのかと思うと、人間の欲情の浅ましさというか、ゲダモノとなんら変わらない人間のおぞましい醜さをトコトン思い知らされたような、たまらない嫌悪感に見舞われて、辟易したのだと思います。

人間の浅ましさを、人生の最初に思い知らされたそういう子どもが、その後、嫌悪感を抱えながら、大人へと辿る人生の、とても困難な青少年期を過ごさなければならなかったことは、これもひとえに映画「荷車の歌」のオカゲなのだと、いまでもカタク信じて、お恨み申し上げております。

しかし、その嫌悪感しか持てなかったような映画を、なぜいまさら思い出したのかというところから説明しなければなりません。

自分は、気になった新聞や雑誌の記事があると、切り抜いてスクラップしておく習慣があるのですが、しかし、スクラップしたからといって、あとでどうこうするわけでもなく、いままでは読み返すということもありませんでした。

それに根が気分屋なので、思い立って何日も続けて切り抜きを励行することもあれば、数ヵ月も切抜帳をほったらかしにすることも多々あり、あるいは、こういういい加減なマダラ気分が、かえってスクラップの習慣を長続きさせているのかもしれません。

最近、久しぶりに、その切抜帳を手にしました。

たぶん、そのときは、たまたま暇を持て余していて、ほかにすることもなく、切抜帳がたまたま手近にあったからにすぎませんが、その切り抜いた記事のなかに「荷車の歌」という文字がチラリと見えてゾーっとし、つい読む気になったのでした。

その記事は、どうも占領下の時代から少したった頃の日本の映画状況が書かれているみたいなのです。

それは、こんな感じでした。

《(占領下の解放的な気分がある一方)同時にまた極端に感傷的な時代でもあった。
戦争の敗北を噛み締め、悲嘆に暮れ、反省にふける時代でもあったから、それは当然である。
多くの感傷的なメロドラマが作られ、歓迎されたが、特にこの時代の感傷を代表するヒット・シリーズとしては、1940年代の終り頃から50年代の終りにかけて主として大映で約30本製作された三益愛子主演のいわゆる「母もの」があげられるだろう。
「母」1948、「母三人」1949、「母紅梅」1949といった一連の母性愛メロドラマである。
あるいは1950年代から60年代にかけての、望月優子主演のリアリズム版の母ものとでも言うべき「日本の悲劇」1953、「おふくろ」1955、「荷車の歌」1959といった作品も挙げることができる。》

ほら、ありました、ありました、「荷車の歌」。

このタイトルがさっき目に飛び込んできた例のやつですよね。

だいたい、このスクラップ、貼ったあとでなにか引用したり利用したりするなど目的など毛頭考えないで始めた大雑把な作業ですから、「どこから切り抜いたもの」とか「誰の書いたもの」など、まったくメモっていない杜撰な作業でホント恐縮もので、まったく分からないながら、ここまで読んできて、この文章の執筆者は、どうも佐藤忠男のような気がしてきました。

まあ、誰がなんと言おうと、自分にとって影響大の映画批評家なので、だからスクラップまでしたんでしょうね。

ではまた、すこし続けることにしますね。

《三益愛子も望月優子も、中高年の母親の惨めさを演じることで人気のあった女優である。
失礼だが、2人ともいわゆる美人タイプの女優ではない。
愛嬌も乏しい。
むしろ、みるからに苦労を重ねてきたという印象が強く、その結果としての恨めしげな悲哀の表情が彼女たちの魅力だった。
その恨めしげな悲哀は、母親として子どもを育てるためにその人生のすべてを犠牲にしてきたということを表しており、それでもし、子どもたちがこの親の苦労を忘れて勝手なことをしたら、親は恨めしさのあまり死んでも死に切れないであろうという気分を示している。
じしつ母ものは、そういう気分をメロドラマ的に拡大して見せるものであった。
この気分が、単に同じような思いを持っている日本の庶民の母親たちの共感を呼んだだけでなく、そういう母親を持つ若者たちをも盛大に泣かせたのである。》

なるほど、なるほど。それで、どういう・・・?

《一説によれば、日本人の親孝行感覚を支えているのは、学校でそれを徳目として教えていたからというよりも、むしろ一般に日本の母親が愚痴っぽいことにあると言う。
日本の母親は、子どものために自分がどれだけ苦労してきたかということをよく子どもに言う。
それを聞かされて育った子どもは、母親に対して罪の意識を持つようになり、母親を悲しませるということをなによりも怖れるようになる。・・・
三益愛子や望月優子が演じたのは、そういう、苦労して恨めしげな口ぶりが身についた母親である。
この時代には(あるいは、この時代までは)子どもたちもまた積極的に感傷に身をゆだねる気風を持っていた。
気の毒な人間の身になって共に泣くことに喜びを感じることができたのである。》

ここまで読んできて、自分のトラウマもだいぶ和らいできたような気がします。

「母親に対する罪の意識」ですか、なるほどね。

しかし、自分の事ばかり考えた果てに被害妄想を抱くようなそういう母親から始終自分は不幸だと愚痴ばかり吹き込まれ続けて、ついには「罪の意識」まで持たされてしまう子ども(自分です)の方が、よっぽど深刻で可哀そうな気がしますけどもねえ。

ナンダロ、この映画。

(1959新東宝) 監督・山本薩夫、脚色・依田義賢、原作・山代巴、製作・中山亘、立野三郎、企画:全国農協婦人組織協議会、撮影・前田実、美術・久保一雄、音楽・林光、録音・空閑昌敏、照明・内藤伊三郎、編集・河野秋和、
出演・望月優子(セキ)、三國連太郎(セキの夫・茂市)、岸輝子(セキの姑)、左幸子(セキの娘・オト代)、西村晃(初造)、稲葉義男(藤太郎)、水戸光子(ナツノ)、佐野浅夫(三造)、奈良岡朋子(コムラ)、利根はる恵(リヨ)、浦辺粂子(茂市の妾・ヒナ)左時枝(オト代の少女時代、当時の芸名は左民子)、矢野宣(セキの末っ子・三郎)、塚本信夫(セキの長男・虎男)大町文夫(セキの父)、小沢栄太郎(ナナシキの旦那)、利根はる恵(リヨ)、辻伊万里(コユキ)、戸田春子(西屋の女房)、小笠原慶子(セキの次女トメ子)、赤沢亜沙子(鈴枝)、奈良岡朋子(コムラ)、島田屯、五月藤江、加藤鞆子(スエ子) 、安芸秀子(セキの母)、
by sentence2307 | 2014-11-09 18:00 | 山本薩夫 | Comments(1)

箱根風雲録

ときおり、映画を集中的に見始めた頃のことを思い出しては、ひとり顔が赤らむ思いに駆られます。

昼夜ぶっ通しで映画館に入り浸り、見た映画の本数なら誰にも負けないと豪語していた怖いもの知らずの傲慢な頃のことです。

思い出すだけでも、顔から火が出るような身の縮む思いがします。

ただ平穏に移ろうだけの日常に苛立ち、もって行き場のない鬱積と憤りを、ただ映画を見るということだけにぶつけていたその頃、知識の裏づけもなく誰彼構わず無茶苦茶な議論を、まるで言い掛かりのように仕掛けて、喧嘩をせずにはすまない居たたまれない思いを持て余しながら、あてどなく彷徨していたちょうどその時期と重なるかもしれません。

いま思えば、そんな自分の傲慢さによって、どれだけの人たちを傷つけ、そして、どれだけの友人を失ったか、考えるだけでぞっとしますし、申し訳なさと、あまりに世間知らずだった自分の傲慢さと無謀さにひとり赤面し、後悔に駆られ、遅すぎた冷や汗をひとりかいているという始末です。

その報いとして、当然のことながら、どんどん孤立を深めざるを得なかったわけですが、当時の自分としては、それとても「望むところだ」くらいにしか考えていなかったに違いありません。

なんという傲慢、なんという厚顔、これぞ「断腸の思い」と呼ぶにふさわしい・・・などというレベルにも届かない、身を切られるような恥ずかしさ、顔を上げていられないような自己嫌悪に駆られる今日この頃です。

しかし、そんななかでも副産物がなかったわけじゃありません(やれやれ、まだ全然反省していません)。

あのとき連発して、きっと多くの人の失笑をかったに違いない「裏づけの無い無茶苦茶な仮説」のなかに、いま思い返すと、俺の直感も決して捨てたものじゃないなと思えるものもありました。

そのひとつが、この山本薩夫監督の「箱根風雲録」と、黒澤明監督の「七人の侍」との比較した関係性の指摘です。

そのとき、もう少し自分が冷静で周囲を見るだけの余裕があったら、僕の話に耳を傾ける多くの映画マニアの、遠慮深いため息や、さりげない失笑を相手の表情から読み取ることができたかもしれません。

映画史の常識を知る者なら、山本薩夫の「箱根風雲録」と、黒澤明の「七人の侍」を比較したり結びつけて考えたりする無謀を口にするはずもなく、見当違いもはなはだしい、検討の余地などアルワケないと断じられたに違いなかったでしょう。

山本薩夫はご存知「真っ赤っか」の映画監督だし、黒澤明はその手の思想性を嫌悪してはっきりと距離をとるエンタテインメントを目指した世界の巨匠なのですから、比較する方がドダイ無理な話なのであって、全然ハタケが違うじゃないか、ソンナモノただの思い付きにすぎないじゃないかと一蹴されても仕方なかったと思います。

確かに、「箱根風雲録」と「七人の侍」との比較論は、ただ単にシチュエーションの共通性から思い付いただけの無謀な仮定にすぎなかったのかもしれません。

しかし、あるとき「日本映画専門チャンネル」で黒澤監督のインタビュー番組を見ていて、黒澤監督が東宝の助監督時代を回想しながら、山本薩夫監督のことを「さっちゃん」と愛称で呼んでいるのを耳にしました。

大袈裟にいえば、これは従来からの自分の思い込みを一挙に覆す驚天動地の出来事でした。

映画を数多く見、各監督それぞれの思想性やその立ち位置みたいなものを知れば知るほど、山本薩夫と黒澤明とに接点などあるわけがないという確信が兆していた矢先のことでしたから、そのときの黒澤監督の懐かしげに「さっちゃん」と呼んだ述懐の場面は、僕の中で完成しかけていた「映画監督思想相関図」を混乱させ、深刻な懐疑をもたらし、そして潰えさせた一瞬だったといえる出来事でした。

そして、その瞬間、単なる妄想と思い掛けていたあの「箱根風雲録」と「七人の侍」を関係付けが、それこそ一瞬のうちに現実味を帯び、復権したのだと思います(製作年度からいえば、正確には「箱根風雲録」の「七人の侍」に対する影響とでもいうべきかもしれません)。

改めて山本薩夫の「箱根風雲録」1951と黒澤明の「七人の侍」1954におけるシチュエーションの共通性を考えてみると、そこにはとても大きな違いがあることに気がつきます。

「箱根風雲録」は、一町人が水不足に苦しむ貧しい農民のために山を貫通させるという灌漑工事を企て、そして農民とともに力を合わせて難工事を成し遂げる物語です。

物語の始めに据えられているもの、企画されたその事業計画を支えている動機はといえば、灌漑によって新たに多くの水田が開かれ、それによって見込まれる「巨額な利益」です。

やがて、その「我欲」に根ざした動機を悔いて、農民たちの前にひれ伏し民衆への奉仕に目覚めるというこの手の映画によく見られる思想開眼映画の常套手段とはいえ、その事業の動機が、決して「正義感」からではないこと、見え透いた「浅はかな欲望」にあるところに、この映画が「七人の侍」とは到底違う「大人の部分」を心憎いばかりに持ち合わせている(かに見える)巧妙の計算に感心させられるかもしれません。

また、幕府の権力者たちでさえも成功させることができなかったこの難工事を、たかが一町人が農民の支持を得て挑むこと自体、ましてや成功などされてしまってはその面目は丸潰れ、権力の威信に関わるという権力者の切実な危機感が、その背景に更に描かれていて、映画好きの誰が見ても、これは映画における完璧なシチュエーションといわないわけにはいきません。

しかし、このような完璧な手練手管を尽くした作品構成の巧妙さによって、はたして「箱根風雲録」が「七人の侍」よりも観客を感動させることができたかといえば、やはりそれは映画史において退けられたという事実を認めないわけにはいかないでしょう。

それなら何故、この完璧なシチュエーションだったはずの作品が、観客を感動させることが出来なかったのか、考えさせられてしまいました。

しかし、そんなことは、考えるまでもありません。

「七人の侍」において最も顕著なのは、侍たちの劣らず、「農民たちの顔が、ひとりひとり明確に識別できる作品」だったということではないでしょうか。

残念ながら、そのことが民衆の擁護を謳い上げた映画だったはずの「箱根風雲録」を、「民衆の顔」さえ捉えることに失敗した単なる生臭い権力争いのエピソードを描いただけの作品にオトシメタのだと思います。

「どっこい生きてる」やこの象徴的な作品「箱根風雲録」によって迎えた独立プロ運動のピークは、同時にその衰退を内部に抱えこんでしまったことは、時代の残酷な皮肉といわなければなりません。

まさに独立プロ作品の根幹であるむき出しの左翼的イデオロギーが観客に敬遠され、民衆の共感を急速に失い、観客層が狭められていくに従ってますます先鋭化して、その題材が更に押し付けがましくなり、大衆の指示を失って、ついにその役割を終え、時代の牽引力を急速に失っていったのだと思います。

実は、この箱根用水を研究した裾野市の郷土史研究家・佐藤隆という人が各地区の旧家に残された古文書を調査して著した「箱根用水史」という本が、インターネットで以下のとおりの要約されて紹介されていました。

そこには、
①箱根用水は小田原藩が領内の米の増産をはかり、農民のくらしの向上と藩の利益を目的に計画した。
②友野与右衛門は その工事の請負人であった。
③工費は9,700 両、うち自己資金3,700 両、幕府の貸付金6,000 両であった。
④友野や大庭は小田原藩の御厨代官の指図に従いながら工事をした。
⑤芦ノ湖の水を深良川に落とし、下流に新川を掘って黄瀬川に合流させ、古来の黄瀬川の潅漑の補助用水とし、用水路を増設して新田開発を促した。新川の用水の利益を受けない広範囲の小田原藩の農民も動員された。
⑥友野等は新田の年貢米を7年間取りたてて資金回収し、さらに利益をあげる目論見であった。しかし、1年の予定の工期が4年もかかり、畑地に水路が出来たので畑を水田に作り替えたところが多く、新田開発は200 町歩に満たなかった。
⑦友野等は年貢米が予定通り入らず、資金の回収が困難となり、経済的破綻に追い込まれ、最後には沼津領農民の幕府への上納金を横領して訴えられる。
とありました。

「どの」歴史が真実なのか、僕には確認するスベなど、もとよりありませんが、「七人の侍」を対照的に考えるとき、ある素材を映画へと構成するについて、視座というものが如何に重要であるかを感じないわけにはいきません。

田中純一郎の「日本映画発達史 第4巻」(中公文庫)の第76節・独立プロの反省の項には、「どっこい生きてる」や「箱根風雲録」等を作った新星プロの岩崎昶の反省の弁として、こんな記述が紹介されていました。

「リアリズム(といっても独立プロの場合は多くは否定的だが)を目指しながら、主題の押し付けが目立つのは、芸術家の能力に関係することだと反省してみても、独立プロ製作を応援する労組や一部の団体が、独善的に主題のむき出しを要求したことも、過去の独立プロ作品には多かった。それらが、度重なる経営上の失敗や、北星映画社の敗退などで、ようやく深刻な反省期に入ったのが、昭和30年頃からである。」

(1952新星映画・前進座)製作・松本酉三、宮川雅青、監督脚本・山本薩夫、監督協力・平田兼三、楠田清、脚本・楠田清、小坂哲人、原作・タカクラ・テル『ハコネ用水』(理論社、1951)、撮影・前田実、仲沢半次郎、美術・本木勇、江坂実、音楽・大木正夫、特撮・円谷英二
出演・河原崎長十郎、中村翫右衛門、山田五十鈴(ブルー・リボン主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞)、轟夕起子、河原崎国太郎、瀬川菊之丞、河原崎しづ江、坂東調右衛門、橘小三郎、中村進五郎、飯田蝶子、岸旗江、三島雅夫、清水将夫、石黒達也、清水元、嵯峨善兵、加藤嘉、薄田研二、野々村潔、林孝一、沼崎勲、花沢徳衛、市川笑太郎、谷晃、内田礼子
1952.03.14 14巻 3,741m 白黒 配給・北星株式会社
by sentence2307 | 2010-09-12 16:02 | 山本薩夫 | Comments(130)

太陽のない街

「太陽のない街」は、今回はじめて見た作品でした。

自分としては、先入観無しに、まっさらな気持ちで見た積りだったのですが、しかし、なぜか「場違いな憤懣」だけが残ってしまいました。

展望のない労組幹部たちの場当たり的な指導によって、食うに事欠くほどの生活の困窮に晒された労組員や家族たちは、本当にあれで良かったのだろうか、という「憤懣」です。

この作品を「名作」と持ち上げていたカイドブックがありました。

しかし、そこには、なにをもって名作と結論づけたかまでの根拠は書かれていません。

組合指導部からなんの補償もされない怠業を強いられ、生活に困窮したために玉野井の女郎屋に身売りさせられた娘の悲しみが描かれていたためでしょうか。

身重の娘が警察の過酷な拷問にあって理不尽な死をとげた悲惨さが描かれていたためでしょうか。

中風の老父が前途を悲観して縊死したむごたらしさが描かれていたからでしょうか。

この作品は、大正15年に起こった共同印刷所大争議(映画では、「大同印刷」となっています)を扱った作品だそうですが、この映画を見ただけでは、この争議の結果がどのように収束されたのか、さっぱり分かりません。

ネット検索によって、共同印刷の経営者が操業短縮と鉛版工38人を解雇したことに抗議して、全職工がその家族とともにストライキに突入したことを受け、経営者側も工場を逆封鎖してストライキに対抗した60日間にもおよぶ大争議となった事件ということをで知ったのですが、そもそものコトの始まりは、この労働組合が日本共産党と共同歩調をとる日本労働組合評議会系の組合だったために、経営者側が組合の弱体化を狙ったことが発端だということも知りました。

そして、この作品では、その結末まで描かれているわけではありませんが、会社側の硬軟取り混ぜた策謀に嵌まって、組合が徐々に弱体化され、また逼迫した政治状況に挟撃されて押し潰されていく様子が、特に生々しく描かれているところから見ても、この争議が無残な結果に終わったであろうことは容易に察することができました。

それに、この映画が、あえて「結果」を描くことを必要としなかったのではないか、つまりこの映画が救いの無い「過程」(凄惨な弾圧と狡猾な挑発とによって、労組員とその家族たちは、いかに絶望的な闘いを果敢に闘い抜いたか)を描くことだけを主眼としていたからなのではないかという気がしてきました。

言ってみれば「私たちは、権力からこんなにも酷いことをされました」という哀訴だけが綿々と描かれているだけであって、それ以外のものが描かれているわけではありません、例えば「革命」をちらつかせた労組側の展望の欠けた戦略の誤りとか。

過酷な争議に耐えた労組員とその家族たちが抱いていた概念としての「革命」は、まるで絶対不可侵の「天皇制」と絶妙なバランスをとっているかのような印象(同じ質の「聖性」です)さえ受けました。

この争議で生活の困窮に晒される民衆が、争議に関わっていないそれ以外の民衆と区別できるようなものは、何もありません。

当時の大衆が「天皇」を無条件に絶対と信じ込んでいた(あるいは、権力につながる世間の監視下の手前、「信じる振り」をしなければならなかった)のと同じ思考回路で、なんの根拠もなく「革命」を信じ込まされていたにすぎないように僕には感じられました。

もし、この作品が、「弾圧される民衆の悲しみ」を描こうと意図したものなら、それは権力と反権力の両者からの狭撃にあい、どちらの側からも「それらしく」振舞うことを強いられ、そしてその両者から「弾圧される」民衆の悲しみが描かれなければならないのではないか、そのようなマルチな視点を獲得することによって、偏り歪んだ視点で撮られたこの映画が、「人間の自由」の傍にもうすこし近づくことが出来たのではないかと感じられました。

これは新星映画第4回作品です。

(1954新星映画=独立映画)監督・山本薩夫、製作・嵯峨善兵、原作・徳永直、脚本・立野三郎、撮影・前田実、音楽・飯田信夫、美術・久保一雄、録音・岡崎三千雄、照明・吉沢欣三、
配役・日高澄子、桂通子、薄田研二、永田靖、加藤嘉、二本柳寛、信欣三、玉川伊佐男、原保美、神田隆、多々良純、清州すみ子、小田切みき、田中啓子、徳永街子、岸旗江、滝沢修、東野英治郎、殿山泰司、三田国夫、野々村潔、三島雅夫、福地悟朗、水村靖、清村耕二、北林谷栄、小峰千代子、赤木蘭子、三好久子、戸田春子、田中筆子、宮口精二、原ひさ子、安部徹、高原駿雄、原泉
1954.06.24 13巻 3,836m 白黒  キネマ旬報ベストテン6位 チェコ国際映画祭名誉作品賞
by sentence2307 | 2008-08-10 08:38 | 山本薩夫 | Comments(5)

証人の椅子

この映画の原作、開高健の「片隅の迷路」を読んでから、もう随分長い時間が経過してしまっています。

開高健の原作が、この冤罪事件を、こんなふうに真正面から告発調で書いていた作品だったかどうか、どうしても思い出せないでいるのですが、ただ、山本薩夫が撮ってきたような告発タイプのモロ政治的な作品と、開高健の混沌とした作風が一致するとはどうしても考えられないというのが正直な気持です。

あの開高健が書くとしたら、カフカの「審判」のごとき迷路のようなねちっこい作品、たとえば裁判という手続きの迷宮で道を失い、どうにも身動きできなくなってしまう虫けらのような卑小な人間の懊悩を繊細に描くみたいな作品こそが相応しいような感じがしていました。

ですので、開高作品に相応しい映像作家といえば、例えば今村昌平とか勅使河原宏のような錯綜した世界を粘り強く描き切ることのできる監督を思わず想起してしまいます。

ましてや「民芸」のような分かりやすい演劇集団の全面協力と、さらに権力悪に真っ向から挑みかかるというこれもまた大変「分かりやすい」映画を撮ってきた監督とが、開高健という作家の晦渋な作品を撮るということ自体が、そもそも理解できなかったのかも知れません。

この作品を見終わったあとでも、特にその考えが変化したわけではありませんが、検事の強引な取調べによって被疑者のごく身近にいた二人の証人が虚偽の自白をしたために、無実の女性が冤罪に陥れられるという過程が描かれていくこの映画で、いままで観てきた冤罪を告発する映画とは少し違う部分があることに気がつきました。

それは検事の描き方です。

多くの場合、裁判を報じる新聞記事には、判決を言い渡す裁判官の名前は掲載されても、その事件や裁判に関わった検事の名前が書かれることはありません。

おそらくそこには検察一体の原則というものがあって、検察官の行為は、あくまでも「検察庁」の行為なのであり「個人」の行為ではないという考え方があるからでしょう。

いままでのそうした描き方が、検察官の「顔」を見えなくさせ、一層「権力」を捉えどころのないもの、威圧感と脅迫感・強制力を有する不気味な抽象として描かれてきたし、そのように僕たちも感じてきたのだと思います。

しかし、この「証人の椅子」には、冤罪を生み出した検察官の個人的な「歪んだ個性」が具体的に描かれているところが面白いなと感じました。

上司の検事から訝しげに「君の取調べは大丈夫だろうね」と聞かれると、彼は、愚かしい大衆の迎合しやすい愚鈍さと弱さを侮蔑し嘲笑の薄笑いを浮かべながら「大丈夫です」と断言します。

もはや自分が「権力」の体現者であり行使者であることに酔い痴れている確信に満ちたその毅然とした表情には、「狂気」のかげりさえも窺われました。

最近の多くの収賄事件を見るにつけ「権力は腐りやすい」という言葉がよく聞かれる昨今ですが、それに付け加えて「権力は人を狂わせやすい」とでも付け加えたくなる作品でした。

(65山本プロ・大映)製作・伊藤武郎、宮古とく子、監督・山本薩夫、脚本・井手雅人、原作・開高健、撮影・上村竜一、音楽・池野成、美術・菊池誠、録音・空閑昌敏、照明・高橋一三
出演・奈良岡朋子 吉行和子 新田昌玄 福田豊士 永田靖
1965.05.15 10巻 2,815m 白黒 ワイド



★山本 薩夫(やまもと さつお)
1910年7月15日/鹿児島県鹿児島市
父・源之助が鹿児島県庁農林課に在籍していた時に誕生。
母・のぶ。長兄・狷吉はのち新潟大学教授になり、次兄・勝巳は建築業を営み、俳優の山本学、圭、亘の父。姉・満寿子がいる。
父が愛媛県庁に転任し、23年、県立松山中学に入学。
先輩の伊丹万作のもとに絵を習いに通っている。
父は定年になり単身満州へ渡るが、残った家族は25年に東京に移る。
30年、第一早稲田高等学院に入学し演劇に熱を入れ、新興劇協会に加わり『ガスマスク』などを上演し左翼思想に感化される。
ニコラス・エックの「人生案内」などロシア映画に感動し映画界入りを決意し、すでに監督になっていた伊丹に相談するが、彼は勧めず、兄の紹介状を持って、やはり中学の先輩にあたる伊藤大輔監督を訪ねる。
「続大岡政談・魔像解決篇」の撮影現場に2週間通い、伊藤から松竹入社を勧められる。
33年4月、蒲田撮影所の助監督試験に合格し、成瀬巳喜男監督の「双眸」でサードとしてつく。
セカンドが渋谷実で、成瀬は城戸撮影所長に冷遇されており、P・C・Lから誘われたのをきっかけに渋谷に同行を求めるが断られ、代わって山本が専属チーフ助監督として入社。
「乙女ごゝろ三人姉妹」「妻よ薔薇のように」などの秀作で成瀬から学ぶものが多かった。
監督第1作は「お嬢さん」(37年)で、南の島の女学校を舞台にお嬢さん育ちの霧立のぼる演じる英語教師をめぐる「坊ちゃん」の女性版。
アメリカの母もの「ステラ・ダラス」の翻案「母の曲」(37年)、「家庭日記」(38年)と3作とも吉屋信子原作で、メロドラマ監督としてスタート。
「田園交響楽」(38年)はアンドレ・ジイドの小説を原節子主演で翻案し、劇作家・田中千禾夫がシナリオを書いた初期の力作。
明治後期の札幌で友愛学舎を設立し、教育に情熱を傾けるヒロインを入江たか子が演じた「リボンを結ぶ夫人」(39年)、成瀬のオリジナル脚本による「そよ風父とともに」(40年)は高峰秀子演じた銭湯の娘が養父に実父以上の愛を知る人情物で、今井正とともにP・C・Lのホープと注目される。
戦中は、黒澤明脚本で陸軍航空本部後援によりテスト・パイロットの生活と新鋭機・隼号の空中戦を見せた「翼の凱歌」(42年)、八幡製鉄所員が戦争のため増産に励む「熱風」(43年)を完成させた直後に応召。
中国・済南の第12軍指令部報道部付となり、記録映画「河南作戦」を撮るが、終戦になりフィルムは焼却。
国府軍に抑留され、46年6月に帰国。
東宝に復社し、新憲法発布記念作として作られた反戦がテーマの「戦争と平和」(47年)で、記録映画作家・亀井文夫と共同監督。
夫の戦死の報を受け再婚した妻のもとに生きていた夫が生還し、二重結婚の苦境に立たされた妻を通して二人の男の戦争体験に反戦をアピール。
キネマ旬報ベスト・テン2位になるが、折から東宝に労働争議が起こり、青年時代からの左翼思想が再燃して共産党闘士になり、48年10月の労使団交による解決条件に従い、伊藤武郎委員長ら20人の組合幹部のひとりとして退職。
フリーになり、東横映画で「こんな女に誰がした」(49年)を撮る。
トーマス・ハーディの『テス』を下敷きに、戦争中にレイプされた野戦病院の看護婦をしていたヒロインを通して反戦色を出した。
「暴力の街」(50年)は朝日新聞社浦和支局が、警察と癒着した暴力団追放のキャンペーンをやった実録をもとに製作された独立プロ映画の先駆作。
セミ・ドキュメンタリー・タッチで暴力団の妨害にあいながら現地で撮影され興行的にも成功。
東宝争議で退社しレッドパージを受けた人たちによって新星映画社が設立され、タカクラ・テル原作「箱根風雲録」(52年)が作られる。
幕府の反対を押し切って箱根用水を完成させた歴史実録。
野間宏原作「真空地帯」(52年)は太平洋戦争中の陸軍兵営内での古参兵が新兵を殴りまくる暴力地獄のような軍隊の実態を暴露。
監督自身も体験した迫力が全編にあふれ、軍隊という組織悪を初めて白日のもとにさらした。
梅崎春生原作「日の果て」(54年)は戦争末期のルソン島で現地娘と脱走した軍医を追う将校の死闘に、戦争のむなしさをあふれさせた。
大正15年の共同印刷労働争議に取材した徳永直のプロレタリア文学の古典「太陽のない街」(54年)は群衆シーンも大掛かりに再現した大作。
55年に山本プロを設立し、「浮草日記」を発表。
解散寸前のドサ回り一座に労働組合を鼓舞するストライキ劇が持ち込まれての喜劇。
「台風騒動記」(56年)は台風災害の政府補助金をせしめようとする地方政治ボスたちの陰謀を暴く風刺劇。
木下順二の戯曲から権威と権力を振りかざす代官を風刺した「赤い陣羽織」(56年)、松川事件を目撃したという泥棒の証言をめぐっる裁判風刺「にっぽん泥棒物語」(65年)は秀作で、喜劇にも意外な才能を実証。
戦後3大怪事件の一つである「松川事件」(61年)は、いかに政治的なでっち上げ事件かを主張し大衆カンパ資金で作られた。
明治から太平洋戦争まで日本の農村を生き抜いた女の一生「荷車の歌」(59年)と、50年代の高度成長に進む農村の現実を捉えた「乳房を抱く女たち」(62年)は全農協の資金で、「人間の壁」(59年)は教師と教育問題をテーマに日教組の資金で作る。
右翼の凶刀に倒れた代議士・山本宣吉伝「武器なき戦い」(60年)、徳島で起こったラジオ商殺し事件で夫殺しの犯人にされた主婦をめぐる裁判批判「証人の椅子」(65年)、密入国収容所から脱走した韓国学生をめぐる「スパイ」(65年)も実話で、社会派の鋭い視点で力作が続いた。
62年、大映で撮った「忍びの者」は忍者ブームを起こす大ヒットになるが、石川五右衛門を主人公に政治の権謀術策の手段に利用される忍者の悲痛な運命を描き、続編も作る。
「座頭市牢破り」(67年)、「牡丹燈籠」(68年)、農民出身の仙太が世直しを旗印にした天狗党に入るが武士に利用されるだけの悲劇「天狗党」(69年)、大原幽学伝「天保水滸伝」(76年)と時代劇も手掛ける。
石川達三原作の2作「傷だらけの山河」(64年)は巨大コンツェルンの巨頭とその一家の家庭崩壊にも動じない資本家の非情さを山村聡が好演。
「金環蝕」(75年)はダム建設をめぐる構造汚職と総裁の座を狙う抗争。
山崎豊子原作の3作「白い巨塔」(66年)は医学界の派閥抗争、「華麗なる一族」(74年)は金融界の内幕、「不地帯」(76年)はロッキー事件を予見し航空機選定を巡る商社マンの暗躍と、日本映画が苦手だった政財界まで深く食い込んだスケールの大きい社会派ドラマに残した業績は大きい。
この間、日活最後の大作「戦争と人間」3部作(70~73)で、中国侵略を推進していった日本の財閥一族と軍閥の謀略を通して昭和史を大河ドラマにし、3作の配収合計31億円の大ヒット。
大正時代の紡績女工の悲惨な実話をもとに「あゝ野麦峠」(79年)も16億円稼ぐが、続篇「あゝ野麦峠/新緑篇」(82年)が遺作になる。
長男・駿はカメラマンになり晩年の「アッシイたちの街」(81年)で父親と組み、次男・洋は大映倒産当時の労組委員長ををつとめ、徳間書店による再建の大映で父が撮る「悪魔の飽食」のプロデューサーが決まっていたが実現しなかった。
83年8月11日、膵臓ガンで死去。73歳だった。
by sentence2307 | 2006-11-23 21:57 | 山本薩夫 | Comments(1)

浮草日記

ギャオで小津監督の「浮草」を見ながら、少し前に見た山本薩夫監督の「浮草日記」と、いつの間にか比較して見ていました。

この2作品に共通していることは、浮草稼業の旅まわりの一座が、客の不入りから興行先で苦境に追い込まれ、一座解散の危機に直面することにあります。

そして、対照的なのは、興行主の描き方にあるといえるでしょう。

小津作品の興行主は、実に寛容で温厚な人情家(笠智衆が演じています)として描かれていますが、山本作品の興行主は、強面の地回りを引き連れた悪辣な搾取者(小沢栄太郎)として描かれています。

これは、もちろんミエミエの「階級映画」の線を狙っての設定なのですが、あくまでも旅役者の側から描くことに徹しているので、小憎らしいくらいに抑えた捻りが効いて、「アカ」嫌いな旅役者たちが徐々に「階級に目覚める」あたり、それが完全な達成まで至らず不完全燃焼のままで中断することも含めて、説得力に満ちた作品になっていると思いました。

ですので「左側」の人たちの画一的な善良ぶりも、それほど気にはなりませんでした。

しかし、小津作品のシビアな視点と比べるとき、その山本監督の持つ楽観の視点・姿勢には、見過ごしにできないものも確かにあります。

例えば、座長の東野英治郎が、熱狂する観客に素直に感動するくだりです。

東野座長は言います。「俺の役者人生で、こんなに凄いリアクションを貰ったことがない。」

それはそうかも知れません。

コチラの方の左傾の芝居・・・芝居というよりも、むしろ大衆団交の糾弾集会の延長みたいな劇なのですから、最初からその手のリアクションが加味されて成立する舞台だったはずです。

今まで経験したことのなかったこの大歓声に幻惑された東野座長は、座員の励ましもあって解散の危機を乗り越え、再起を賭けてもうひと踏張りしてみようとするところで、この映画は終わっています。

しかし、この一座に僅かでも再生の未来が開かれているかといえば、それは極めて疑わしいと思わないわけにはいきません。

興行主に逆らい、全国に公演できなくさせられるような「フレ」を出されたりすることが、この一座の未来が閉ざされていると感じた理由ではありません。

東野座長が、まるでサクラのような観客=「左側の人々」の熱狂を、一般の観客の熱狂と同じに見ている誤解にあります。

劇団自身が、受ける観客を自ら選んで為されるような演劇が、はたして健全な演劇といえるかどうか、僕が「疑わしい」と言わずにおられなかった部分です。

それに比べれば小津作品の「浮草」で描かれている芝居小屋の観客席は、終始悲惨な状態です。

日々観客動員数は目に見えて落ち込み、次の興行地へ交渉に行った営業マンは雲隠れし、いち早く危機感を持った座員には金目のものを洗い浚い持ち逃げされ、ついに一座は解散に追い込まれます。

しかし、解散の原因を辿っていくと、一座に解散を齎したこのさびれた不景気な土地にわざわざやってきたのは、座長が隠し子に逢うためもあったとすると、そもそもの解散の直接の責任は、もしかすると座長にあったという見方もあながち否定はできません。

小津監督の「浮草」が持っている底深い哀しみは、不安定な浮草稼業に身をやつす老いた役者が、父親と名乗れないまま「おじさん」として久し振りに「甥=わが子」に逢いにいくという「虚偽」の設定の中に込められており、その「逢う」こと自体のもつ愛の衝動が、すべての破綻に繋がってしまうというところにあるのかもしれません。

観客の不入りもそのうちの重要な要素のひとつです。

厳しい現実への直視を避け、その関係をあからさまにしてしまえば、きっとすべてが破綻してしまうことを誰よりも理解し、「今のままでええ」と言いながら、「真実」から目をそらし、偽りの関係を生きよう決意したにもかかわらず、わが子に逢いたいという愛の衝動を抑えられず、すべての破綻の原因になっています。

そして、その「偽りの関係」が許されていた拠り所でもあったはずの座長の芸への情熱も、突きつけられた「客の不入り」というシビアな現実(役者としての自分の存在価値を真っ向から否定されること)に叩きのめされることと、どこかで繋がっているような気がしてなりません。

(55山本プロ・俳優座、松竹)製作・浅野竜麿 佐藤正之、監督・山本薩夫、脚本・八住利雄、原作・真山美保、撮影・前田実、音楽・芥川也寸志、美術・久保一雄、録音・安恵重遠、照明・平田光治
出演・東野英治郎、津島恵子、松本克平、菅原謙二、福原秀雄、花澤徳衛、花沢徳衛、上田茂太郎、江幡高志、佐藤茂美、中村美代子、小沢栄、仲谷一郎、高橋昌也、加代キミ子、岸輝子、東山千栄子、岩崎加根子、島田屯、田中筆子、浜田寅彦
1955.11.15 12巻 2,904m 白黒
by sentence2307 | 2006-08-06 17:35 | 山本薩夫 | Comments(15)

精神純化のひとつの描き方、精神増強映画のテーマは、「勤労の美しさと勤労団結の楽しさ」となった。

そしてこれが一旦軌道に乗り出すと、この基本的な物語構成上の定式から逸脱する映画はなくなった。

すなわち、
①政府が工場に軍需製品の生産増加を要請する。
②これを達成するにあたって主人公が様々な障害にぶつかる。
③この問題の解決方法をめぐって、意見の衝突がおこる。通常この衝突は「科学的な正攻法」を主張する保守的な技術者陣営と、奇跡的な突破を目指す過激な精神主義陣営の間で展開される。
④主人公が甘いロマンチックな関係に巻き込まれる。
⑤最後に、主人公の属する精神主義陣営が、増加されたノルマを見事に達成して勝利する。

山本薩夫の「熱風」は、この定式に従った最初の映画であり、1943年の秋に封切られた。

幕開けのドキュメンタリー風のシークエンスでは、中国の鉄鉱石採掘現場が映し出される。
苦力クーリーたちが鉄鉱石を船に積み込む。やがて船は日本に向かって出港する。見張り番が敵潜水艦を発見。爆雷が次々に発射される。潜水艦は逃げる。

船が日本の港に到着する。キャメラは、大勢の白人捕虜たちを丹念に捉える。彼らは休憩時間でタバコを吸っている。次のショットでは、白人捕虜たちが鉄鉱石の山をシャベルで掘っている。

一連のショットが、溶鉱炉を映し出す。

実は、この映画の物語的発端はここにある。

現場監督が所長の事務所にやってきて、第4溶鉱炉がうまく働いていないと訴える。

会議のシーンで所長は、溶鉱炉は「赤ん坊」のようなもので、よい「母親」を必要とするのだと説く。

若い技師の菊地(技術者陣営の代表)が、溶鉱炉の「母親役」をやらせてほしいと立ち上がる。

所長は彼を、深い精神主義的な眼差しでじっと見つめてから、「よし!」と言い放つ。

溶鉱炉で火事が発生し、数人が重症を負う。

技師の柴田(藤田進)は、必死で消化にあたり、ついに消し止める。

柴田は、第4溶鉱炉を再び生産可能にするのは自分のほかにいないと宣言する。

「僕は命を投げ込む積もりなんだ」こうして、菊地と精神主義陣営の代表柴田との衝突は不可避となる。

藤田進の演じる柴田は、数ヶ月前に作られた黒澤の映画で姿三四郎を演じたときに開発した同じ仕草を多く用いている。

姿とちょうど同じように、褒められると、はにかんだ謙遜の笑みを浮かべて、短く刈った頭をなでる。

しかし、姿が口数の少ない男であるのに対し、柴田はしばしば部下たちに、あるべき「勤労精神」について説教をする。

部下たちが、溶鉱炉を再利用不可能として「あの化け物め!」と罵るとき、柴田は自分のモットーに従って、「できない仕事はない、できない人間がいるだけだ! もっと度胸を!」と励ます。

彼は、白紙で召集された徴用工に対して、特に要求がきびしい。

「徴用工は召集兵と同じだ。何もかも捨てて、お国のために働かなきゃいかんのだ!」

別のシークスエンスの柴田は、明らかに彼に恋をしていると分かる久美子と並んで歩いている。

一列に並んだ捕虜たちが二人の方へ歩いてくる。

久美子が気の毒そうに、「どんな気持ちかしら」と言うと、柴田は皮肉っぽく「お可愛そうに、か」と答える。

この箇所は明らかに、数ヶ月前に新聞で報道された実際の出来事を踏まえたものである。

やつれ切ったアメリカ人捕虜たちの列を見て、ひとりの女性が、「お可愛そうに」と声を上げたのである。

彼女はその場で激怒した市民に取り囲まれ、「非国民な感情」を抱いたとして罵倒された。

「よして頂戴。『お可愛そうに』はあなたですから」と謎めいた答えを返している。

精神主義戦争映画の主人公のように、柴田にも、吉野という現場監督が「導き手」として付いている。

吉野は、「溶鉱炉の神様」として知られている。

溶鉱炉で停電が起こり、溶けた鉄の表面が冷えて固まってしまったときも、吉野だけはそれを救う方法があると主張する。

彼の案は過激である。ドイツで奇跡的な結果をもたらした「非常策」で、溶鉱炉にダイナマイトを仕掛け、固まった「かさぶた」を吹き飛ばすのである。

科学的合理主義者の菊地は震え上がって、吉野に言う。

「君たちは単純だよ。監督として、科学者としての僕の立場を了解してください。断然反対だ!」

所長もやめさせようとするが、吉野と柴田は、ひそかに計画を推し進める。

そして溶鉱炉の最上部で老いた吉野は、発作で倒れ、落下して死んでしまう。

菊地はその死を柴田のせいにして責める。

「あの男の無鉄砲な情熱が吉野を殺したんだよ。」

暗い裏通りで、柴田は菊地に決闘を挑む。

素手での殴りあいは、壮絶な根競べになっていく。

二人とも、殴り倒されては立ち上がり、再び殴りかかるがついに両者とも付かれきって地面に寝そべり、はあはあと息をつく。

そして、互いに見詰め合ったとき、猛烈な闘争心は解けるように消えうせて、相手に対する賞賛の気持ちが湧き出してくる。

雲の向こうから太陽が現れるように、柴田の顔に笑みが溢れる。

それは、深い理解と仲間意識の笑みであり、戦場で兵士たちが見せる精神主義の笑みでもある。

菊地も大きく笑みを返す。

これはもちろん、今や菊地が柴田の爆破計画に協力することを意味している。

ダイナマイトが仕掛けられ、精神主義の勝利である奇跡がまたひとつ成し遂げられるのである。

(43東宝)製作:松崎啓次、監督:山本薩夫、脚本:八住利雄、小森静男、原作:岩下俊作、撮影:木塚誠一、音楽:江文也、美術:戸塚正雄、録音:安恵重造、照明:大沼正喜、特殊技術:円谷英一
出演:藤田進、沼崎勲、花井蘭子、原節子、菅井一郎、黒川弥太郎、清川荘司、進藤英太郎、高野由美、花沢徳衛
1943.10.07 白系11巻 2,773m 101分 白黒
by sentence2307 | 2005-04-11 22:31 | 山本薩夫 | Comments(1)

熱風

国策映画らしい意味深なタイトルのこの映画「熱風」は、お国から煽られたにしろ、あるいは巧みに装ったプロパガンダ映画であるにしろ、思わず引き込まれて観てしまった意外な力作でした。

国策映画の作り方というものに、もし公式的な定型というものがあるとすれば、この作品は、かなり上質の作品に仕上がった方だったのではないかと思います。

とはいえ、どうしても目が行ってしまうのは、やはり藤田進をめぐって恋のさや当てを展開する原節子と花井蘭子の華やかな絡みの部分でしょうか。

この映画のメインのテーマは、なんといっても、銃後の国民は一致団結して鉄鋼の増産に励めと呼びかける戦意高揚なのですから、ひとりの男をめぐって色恋の葛藤が描かれているというこの部分は、やはり映画の体裁上やむを得ぬ付け足しというか、物語の流れからすれば傍流に位置するものだろうと思いますが、洋風の原節子と和風の花井蘭子との対比が図式的にならずに、とても面白く見ることができ、そこになにか象徴的なものも感じてしまいました。

何事にも積極的で、男の前でも物怖じせずに自分の意見を堂々と開陳する洋風女性のタイプを演じる原節子に対し、何事も控えめでひたすら優しく、どんなに親しい男の前でも自分の意見を主張するなどということにも少しのこだわりも持たず、苦境にじっと耐えることで逆に芯の強さを際立たせる和風女性のタイプを演じている花井蘭子の、いわば紋切り型ともいえるこの対比を、嫌味なく素直に受け入れることができたのは、撮られてから六十数年という時間的隔たりを超えて僕たちの中に花井蘭子演じる和風タイプの女性を好ましいと感じてしまう「日本人」としての何かがあるからだろうと思います。

この対比が最も鮮明に描き出されていたのは、生産が止まってしまっている「魔の第4溶鉱炉」を再生させるために、いままさに藤田進が溶鉱炉にダイナマイトを仕掛けて一気に障害を取り除いてしまおうという荒療治に出掛けるというクライマックスの部分です。

それはひとつ間違えば落命するかもしれないというとても危険な仕事です。

原節子は、死地に赴くその藤田進に駆け寄り、何の躊躇もなく、死なないで帰ってきて欲しいと自分の恋慕の情を伝えます。

そして、少し離れた所で、彼を密かに思い続けてきた花井蘭子が、その二人のやり取りをじっと、しかし動揺を隠すこともできないまま悲痛な表情で見ています。

ここには、「自分が愛している」という感情を何の迷いも衒いもなく、まっすぐに相手にぶつけていく女と、愛する人の身は気懸かりだけれどもじっと耐えて待つ健気な女とが対比的に描かれています。

相手がどうであろうと、まず自分が「愛している」かどうかが最も大切とする個人の感情の在り方を重要視する(現代の僕たちからすると些かの違和感も感じない真っ当な感情だと思います)のに対して、「愛されること」そして「待つこと」に価値を帯びさせている感情のあり方が対比的に描かれているのです。

よく言うじゃないですか。「自分が愛してもいない相手から愛されても、恋愛感情は生まれない」とか、「愛されてもいないのに、愛し続けることなんて、そんな孤独で辛いことに堪えられるものじゃない」とか。

これは、「愛」というものについて考えるときの、いわば永遠のテーマなのかもしれませんね。

この「熱風」を見て、
「個人の感情を最優先に考える人間の視点と、信頼して『待つ』ことで幸福が約束されている、社会と揺るぎない『信頼関係らしきもの』によって結び付けられ常に対社会の関係の中で生きることを定められている人間とが描かれている作品なのだ」
なんて見当違いの感想を持ってしまった自分自身に、なんか苦笑してしまいそうです。

映画の方はもちろん、無事に生還した藤田進が、原節子には目もくれずに、花井蘭子に駆け寄って真っ先に無事を報告するという愛の行為によって、戦時下にある理想的な女性像が如何にあるべきかを国民に感動的に示唆した場面でこの国策映画は終わっていました。

(43東宝)製作:松崎啓次、監督:山本薩夫、脚本:八住利雄、小森静男、原作:岩下俊作、撮影:木塚誠一、音楽:江文也、美術:戸塚正雄、録音:安恵重造、照明:大沼正喜、特殊技術:円谷英一
出演:藤田進、沼崎勲、花井蘭子、原節子、菅井一郎、黒川弥太郎、清川荘司、進藤英太郎、高野由美、花沢徳衛
1943.10.07 白系11巻 2,773m 101分 白黒
by sentence2307 | 2005-04-09 22:45 | 山本薩夫 | Comments(2)