人気ブログランキング |

世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリ:ミヒャエル・ハネケ( 1 )

愛、アムール

山田洋次の「東京家族」が、「東京物語」のオマージュ作品と公言しながら、ただ筋をなぞっただけで、その「らしさ」をすこしも感じさせなかったことに対して堪らない腹立たしさを覚え、その落胆を書き進めていくうちに次第に激昂していく自分をどうすることもできなかったという苦い記憶があります。

それは「山田洋次に対して」というよりも、たぶん、自分の憤りをどのように書いても正確に表現できないという無力感に対してだったからだと思います。

しかし、たとえ「東京家族」が、ただ筋をなぞっただけの陳腐な作品にすぎないにしても、なぜ、それがオマージュ作品と公言してはいけないのか、世の中には、そのような作品なら、それこそ掃いて棄てるほどあるわけだし、この作品もそのうちの一本にすぎず、そのことだけを理由にして、あんなふうに非難することが、はたして本当に正当なことだったといえるのか(そこに「良さ」だって、なかったわけではないだろうし)、むしろ、感情の昂ぶりに任せて一方的に非難してしまう自分が、いかにも独善的で、ずいぶんと理不尽なことをしてしまったという後悔がだんだん募り、その疚しさみたいなものがずっと気になっていました。

「東京家族」という作品もまた、時間の経過によって次第に理念の欠落が証明され、多くの作品と同じように「忘却」の彼岸に消えて行くという過酷な運命にあっても、単に「東京物語」の「リメイク作品」という理由だけでタイトルくらいは記憶され、かろうじて映画史の片隅に留まるかもしれない可能性に対してなんとも言えない苛立ちを覚えたからに違いありません。

ですので、たとえ弁解がましい「釈明」みたいになろうとも、どうにも抑制のきかなかったあのときの「激昂」のわけを書き継ぐことで、非難に終止してしまった感のあった「東京家族」の未熟な感想を完結できるのではないかと考えるようになりました。

そのことについてなら、ただひとつだけ、思い当たることがあります。

「東京家族」を見る直前に、実はミヒャエル・ハネケの「愛、アムール」を見ていました、たぶんあの作品さえ見ていなければ、あれほどの「憤りの感情」を生じさせることも、増幅させることもなかったような気がします。

逆に言えば、つまり、ハネケの「愛、アムール」から受けた衝撃を語らなければ、「東京家族」への失意の理由を上手に説明できないという思いを強くしたからかもしれません。

「愛、アムール」は、病におかされた老妻を必死に介護する老夫の破綻に至るまでの老々介護の悲痛な日常を淡々と描いた老夫婦の物語です。

この映画を見ながら、「東京物語」へのオマージュ作品というのなら、むしろこちらの方こそが余程相応しいのではないかと痛感したくらいでした。

同時に、いままで「東京物語」という作品が、都会で離れて暮らす息子や娘と、田舎に住む両親とが東京で会うことによって生じる葛藤の物語だと思い込んでいたこと(「東京家族」の視点もこれでした)が、それ以前に、病で老妻を失う老夫の物語なのであって、遠方の都会でそれぞれに暮らす子供たちとの関係というのは、この物語にとっては、ひとり残された老夫の孤独を語るための、あくまでも二次的で付随的なバイストーリーにすぎないと確信するに至りました。

ですので、「東京家族」は、そもそもそのタイトルからして「東京物語」という映画の本質を外していることを、ハネケが明確に示唆してくれたからだと思います。

小津安二郎が、かつて松竹監督会の新年会の酒席において、吉田喜重に苛立ちを込めて語ったという「映画はドラマだ、アクシデントではない」というあの含蓄に富んだ言葉も同時に思い起こしていました。

突然の病におかされた老妻アンヌは、病院で手術を受けて家に帰されますが、その術後は思わしくなく、徐々に死の影に被われるような老夫婦の静謐な日常が描かれています。

脳神経を侵された老妻アンヌは、ゆっくりと、しかし確実に深刻な半身麻痺が進行し、彼女との生活の負荷のすべてが、老夫ジョルジュに重く圧し掛かっていく様子が淡々と描かれます。

半身麻痺が進行し、記憶力や認識力も定かでなくなり、人格も徐々に壊れていく老妻アンヌを必死に介護する夫ジョルジュも軽く脚をひきずって歩かねばならない不自由な体ですが、そこまで彼を支えているものは、妻が病院から戻ってきたとき、彼にもらしたひとこと「もう二度と病院にはやらないでほしい」という言葉でした。

妻の「もう私を一人にしないで。壊れていく惨めな自分の姿を他人の目に晒さないでほしい」と訴える悲痛な妻の最後の哀訴は、夫ジョルジュの胸に突き刺さったに違いありませんが、しかし、それが妻アンヌの求愛であることをもまた熟知している夫には、妻の願いを叶えることが、彼女への愛の証し、妻を守ることだと考えます。

病院や施設の支援を拒み、実の娘の助力の申し出さえも頑なに拒否し続け、次第に深刻な共倒れの危機に追い込まれていく状況のなかでも妻の願いを必死に守ろうとする夫ジョルジュの(観客にとって)不可解な頑迷さの「理由」を、ハネケは、老夫婦の会話を精密に描写することによって、僕たち観客に示します。

社会的な「常識」としてなら、たとえば老人施設とか、病院という選択肢もまだまだ断たれていたわけではない状況のもとで、体の不自由な夫ジョルジュが、社会的援助を拒みながら手に余る妻の介護にこれほど拘わったのか、その頑なさを不可解に思う観客(世間)への痛切なしっぺ返しとして、老夫婦の愛情の固い絆と、世間から妻を庇う夫の強い意思、そしてなによりも「人間」として生きる誇りと同じ意味で「死ぬこと」によって守られる誇りもあるのだという愛の形を、ハネケは僕たちに示したのだと思います。

しかしなぜ、この老夫婦の物語「愛、アムール」を見て、自分が「東京物語」を連想したのかということを説明しなければなりません。

あまりにも激しい「愛、アムール」の老夫婦の結末と、「東京物語」の老夫婦とが、どのように関連し交錯するのか、このとき、自分が、小津監督の「映画はドラマだ、アクシデントではない」という言葉を思い起こしたことについても、です。

いままで長い時間をかけて繰り返し「東京物語」を幾度も見てきて、その度にどうにも解せないひとつの疑問がありました。

笠智衆演じる老夫・周吉は、もしかしたら自分の判断や行為によって老妻(東山千栄子が演じています)の病を重篤にし、さらに死を早めてしまったかもしれないことについて、はたして、どのように考えているのだろうか、ということについてです。

東京の子どもたちを訪ねたりせず、そのまま田舎で静かに暮らしてさえいたら、妻の心臓病をあれほどまでに悪化させることはなかったのではないか、と老夫は後悔しなかったのか、あるいは、さらに、息子や娘が忙しさにカマケテ、老親を厄介者あつかいし、熱海に追いやったり、東京の街をさ迷わせたりすることがなければ、妻を死なせずにすませたのではないか、という思い(当然、これは「怒り」です)についても、です。

このシチュエーションに置かれた老夫の心情を想像すると、前者にあっては「後悔→自己嫌悪」を感じていいし、後者にあっては「苛立ち→憤り」を覚えるのが人間の自然な感情の在り方であり流れであって、伴侶を失い、そうした思いを抱えた老夫=父親なら、妻の死に責任の一端がなくもない息子や娘に対して怒りをぶちまけたとしても、それほど異常なこととはいえません。

むしろ映画「東京物語」において(自分を責めるでもなく、子どもに怒りをぶちまけるでもない)終始淡々とした老夫・周吉の姿こそ、あるいは、異常といえば異常なことであって、そこには、それら「自然」な感情の発露を押さえ込む老夫・周吉の異常なまでの自己抑制の方を、僕たちは見ることになるかもしれません。

次男の嫁・紀子(原節子が演じています)に、老妻が生前もらしていた感謝の言葉を伝えるあのラストシーンの周吉の感情表現が、その少し前、葬儀に来た息子や娘たちが、いよいよ東京に帰るというときに掛ける父・周吉の労いと感謝の言葉を言うときの感情表現とに、どれほど際立った差があるかといえば、その「差」は、ほとんど感じられない僅かなものだったというのが、自分の正直な印象でした。

そこで、小津監督の「映画はドラマだ、アクシデントではない」という言葉を思い起こしたのです。

「老妻・とみの死」が、ただそのことだけなら「アクシデント」にすぎなかったとしても、周吉が次男の嫁・紀子に、老妻の感謝の言葉を伝える感情表現と同じような調子で、そそくさと東京へ帰る薄情な息子や娘たちに対しても差異なく労いと感謝の言葉をかける周吉の抑制を描写することが、小津監督の言う「ドラマ」の意味だったのではないのかという気がしてきました。

夫ジョルジュが、最後まで妻の願い・誇りを必死に守ろうとしたのと同じように、夫・周吉がもしなにかを守ろうとしたのであれば、それがいったいなんだったのか、泣き叫ぶことも怒り狂うこともなく感情を抑えて淡々と生きる異常な抑制が、なにを意味するのか、深遠すぎていまの自分にはまだまだ窺い知ることはできませんが、ラスト、老妻の死を迎えた周吉が、そばにいる紀子に語り掛けるわけでもなく遠い目をしてひとり呟く「今日も暑うなるぞ」という言葉の中に、なにかあるのかと一瞬たじろいだ思いの中に不吉な影を直感的に感じたくらいでした。

(2012フランス、ドイツ、オーストリア)監督脚本ミヒャエル・ハネケ、製作マルガレート・メネゴス、シュテファン・アルント、ファイト・ハイドゥシュカ、ミヒャエル・カッツ、製作総指揮ウーヴェ・ショット、撮影ダリウス・コンジ、美術ジャン=ヴァンサン・ピュゾ、衣装デザイン・カトリーヌ・ルテリエ、録音ギヨーム・シャマ、ジャン=ピエール・ラフォルス、編集モニカ・ヴィッリ、ナディン・ミュズ、原題Amour、字幕・丸山垂穂
出演・ジャン=ルイ・トランティニャン(ジョルジュ)、エマニュエル・リヴァ(アンヌ)、イザベル・ユペール(エヴァ)、アレクサンドル・タロー(アレクサンドル)、ウィリアム・シメル(ジョフ)、ラモン・アジーレ(アパルトマン女管理人の夫)、リタ・ブランコ (アパルトマン女管理人)、カロル・フランク(看護婦)、ディナーラ・ドルカーロワ(看護婦)、ローラン・カペルト(警察官)、ジャン=ミシェル・モンロック(警察官)、シュザンヌ・シュミット(女の隣人)、ダミアン・ジュイユロ(救急隊員)、ワリッド・アフキール(救急隊員)
上映時間127分 日本公開2013.3.9


2012年カンヌ国際映画祭パルムドール〈最高賞受賞〉ミヒャエル・ハネケ
2012年サンセバスチャン国際映画祭 国際批評家連盟大賞作品賞(受賞)ミヒャエル・ハネケ
2012年ダーバン国際映画祭 最優秀映画賞(受賞)ミヒャエル・ハネケ
2012年セザール賞作品賞(受賞)「愛、アムール」、監督賞(受賞)ミヒャエル・ハネケ、主演男優賞(受賞)ジャン=ルイ・トランティニャン、主演女優賞(受賞)エマニュエル・リヴァ助演女優賞(ノミネート)イザベル・ユペール、脚本賞(受賞)ミヒャエル・ハネケ、美術賞(ノミネート)ジャン=ヴァンサン・ピュゾ、撮影賞(ノミネート)ダリウス・コンジ、編集賞(ノミネート)モニカ・ヴィッリ、音響賞(ノミネート)Guillaume Sciama
Nadine Muse(ノミネート)Jean-Pierre Laforce
2012年ニューヨーク批評家協会賞最優秀外国語映画賞
2013年アカデミー賞作品賞(ノミネート)マルガレート・メネゴス、シュテファン・アルント、ファイト・ハイドゥシュカ、ミヒャエル・カッツ、監督賞(ノミネート)ミヒャエル・ハネケ、主演女優賞(ノミネート)エマニュエル・リヴァ、脚本賞(ノミネート)ミヒャエル・ハネケ、外国語映画賞(受賞)「愛、アムール」
2013年ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞(受賞)
毎日映画コンクール外国映画ベストワン賞(受賞)「愛、アムール」

【関連資料】
★映像資料 白いリボン ミヒャエル・ハネケ 監督・脚本,クリスティアン・フリーデル [ほか出演] デイライト 2011
★映像資料 隠された記憶 ミヒャエル・ハネケ 監督・脚本,ダニエル・オートゥイユ [ほか出演] タキ・コーポレーション 2006
★映像資料 ピアニスト(01仏/オーストリア) アミューズビデオ/日本ヘラルド映画 2002
★記事・論文 ミヒャエル・ハネケ監督インタビュー (「白いリボン」) 佐藤 久理子 掲載誌 キネマ旬報 (1571) 2010-12-00 p.73~75
★記事・論文 すばる文学カフェ ひと ミヒャエル・ハネケ 北小路 隆志 掲載誌 すばる 28(6) 2006-06 p.284~287 
★記事・論文 ミヒャエル・ハネケ監督インタビュー (特集「ピアニスト」) Michael Haneke,吉武 美知子 掲載誌 キネマ旬報 (1351) 2002-03-00 p.46~48
★記事・論文 DVDコレクションスペシャル『ミヒャエル・ハネケ DVD-BOX』 鬼塚 大輔 掲載誌 キネマ旬報 (1476) 2007-02-00 p.192~195
★記事・論文 「暴力の監督」? : 映画作家ミヒャエル・ハネケ 井口 祐介 掲載誌 ドイツ研究 = Deutschstudien / 日本ドイツ学会編集委員会 編 (47) 2013 p.192-202
★記事・論文 "恐怖の伝道師"ミヒャエル・ハネケ監督の告白 (くたばれ!? ハリウッド) John Wray 掲載誌 Courrier Japon 5(1) (通号 51) 2009-01-01 p.104~107
★記事・論文 作品評 自らを罰し続ける作家、ミヒャエル・ハネケ (愛、アムール) 黒田 邦雄 掲載誌 キネマ旬報 (1632) 2013-03-00 p.88-91
★記事・論文 ミヒャエル・ハネケの映画の中の子供たち : 子供の受難と子供の教育 香月 恵里 掲載誌 ドイツ文学論攷 (55) 2013 p.7-28
★記事・論文 Culture MOVIES 寄り添い続ける愛を貫いて : オスカーに輝いたミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』は病と向き合う老夫婦の究極のラブストーリー 掲載誌 Newsweek 28(11) (通号 1341) 2013-03-19 p.60-61
★参考情報 ミヒャエル・ハネケ (JK Who's who) JapanKnowledge
★参考情報 愛、アムール (デジタル大辞泉プラス)
★The Violence of Media and Audience in Michael Haneke’s ‘71 Fragments of a Chronology of Chance’IGUCHI, Yusuke Graduate School of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba 2013
by sentence2307 | 2014-05-10 17:18 | ミヒャエル・ハネケ | Comments(2)