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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:内田吐夢( 3 )

自宅と駅のほぼ中間に図書館があって、平日は夜の9時まで開館しており、早めに帰宅する日はふらりと立ち寄れるので、とても便利に使っています。

高価でとても手が出ないような新刊書とか、読みたい記事がほんの僅かしかないような雑誌などは、受付にリクエストしておけば、たとえ入手するまでに多少の日数を要するとしても、だいたいは希望どおりに読むことができるので、もはや自分の生活には欠かせないサイクルの一部となっています。

もっとも、リクエストされた本がすべて市の予算で購入されているのではなくて(市民税は結構高いのですが、図書館に割く予算がどれほどあるかは不明です)、館が所蔵していない本などは、全国の(あるいは県内の、かもしれません)図書館ネットワークを通して取り寄せてもらえますし、そこにもなければ、在庫のある大学の図書館とか国会図書館とかを教えてくれるという、ものぐさで貧しい読書愛好家には、物凄くいい時代になったものだと喜んだり感心したりしています。

館になくて仕方なくわざわざリクエストするという本は、それだけに「誰がそんなマニアックな本を読むんだ」という感じの本が多いわけで、手垢のついていないような本がくるのかと思いきや、いざ手にしてみると、意外にも結構先人が読み込んだ形跡が顕著だったりして、奇特な愛読者というのはどこにでもいるものだなあと妙に感心したり近親感を抱いたりということも多々あります。

ちょうど昨夜も帰り際に図書館に立ち寄りました。

図書館には、公的機関の各種パンフレットも置いてあるので、映画に関連したイベント告知のチラシなどは注意して見るようにしていまして、昨夜などもフィルムセンターのパンフレットが眼に止まりました。

2月下旬から3月の中旬にかけての新企画「よみがえる日本映画・松竹篇」というプログラムの告知です。

子供の頃は、なんといっても東映映画ばかり見て育ってきた自分なので、大学生になるまでは松竹映画というものをすすんで見たという記憶はありません(わずかに、まだ若かった亡き母に連れられて「この世の花」という作品を見たくらいでしょうか)、年を重ねるにつれて古い松竹映画の雰囲気が、だんだん肌に馴染んできた感じがします。

自分もやっと人間関係の機微とかきめ細やかな繊細さとかが分かる(松竹作品を鑑賞できる)「大人並み」になったんだなあと実感します。

ですので、この「よみがえる日本映画・松竹篇」などという企画は、まさにいまの自分の心持ちにぴったりと寄り添い、トリワケ親しく感じられるのかもしれません。

上映される25本の作品というのは、すべて松竹作品で(当然です)、1933年から1946年にかけて製作された作品です。

以下にそれらの作品のタイトルだけちょっと書いてみますね。

琵琶湖(1933松竹蒲田)監督・野村芳亭
東京音頭(1933松竹蒲田)監督・野村芳亭
銀色夜叉(1934松竹蒲田)監督・佐々木恒次郎
狐(1939松竹大船)監督・渋谷実
お譲お吉(1935第一映画)監督・高嶋達之助
男の償い・前後篇(1937松竹大船)監督・野村浩将
水郷情話 湖上の霊魂(1937松竹大船)監督・宗本英男
風の女王(1938松竹大船)監督・佐々木康
半處女(1938松竹大船)監督・佐々木啓祐
妹の晴着(1939松竹大船)監督・宗本英男
春雷(1939松竹大船)監督・佐々木啓祐
感激の頃(1939松竹大船)監督・大庭秀雄
涙の責任・前篇 紅ばらの巻、後篇 白ばらの巻(1940松竹大船)監督・蛭川伊勢夫
花は偽らず(1941松竹大船)監督・大庭秀雄
君よ共に歌はん(1941松竹大船)監督・蛭川伊勢夫
男の意気(1942松竹大船)監督・中村登
敵機空襲(1943松竹大船)監督・野村浩将
むすめ(1943松竹大船)監督・大庭秀雄
母の記念日(1943松竹大船)監督・佐々木康
勝鬨音頭(1944松竹大船)監督・大庭秀雄
天狗倒し(1944松竹下加茂)監督・井上金太郎、小坂哲人
水兵さん(1944松竹大船)監督・原研吉
ことぶき座(1945松竹京都)監督・原研吉
お光の縁談(1946松竹大船)監督・池田忠雄、中村登

上記の作品を年度別に表(下記参照)にしてみたのですが、これを見ると戦争が激しくなるにしたがって、だんだん映画の年間製作本数が減少し、映画人にとって厳しい時代に突入していく様子が顕著に分かります。

そしてJMDB検索で各年度の製作された映画リストをぼんやり眺めていたら、ふとあることに気が付きました。

国内の戦局が次第に厳しくなり国内製作本数が激減するなかで、1938年以降から「満映」の項が加わるわけですが、国内製作本数の激減に対する一方で、製作本数を伸ばしていく「満映」の勢いというか、その印象がとても鮮烈なのです。

例えば、1941年、国内製作本数をずっと年間500本台を保っていたのが、この年にきて、ほぼ半数の落込みを示す275本という数字が出てきます(以後、1945年までには、44本と落ち込み続けます)。

頭を整理する意味で、今回フィルムセンターで上映される作品を各年度別に仕分けしたものと国内年間製作本数を対比させて、さらに「満映」での製作本数を加えたものを以下のとおり「表」にしてみました。

1933年 2本(全社年間製作本数 501本)
1934年 1本(448本)
1935年 1本(477本)
1937年 3本(573本)
1938年 2本(549本)満映10本
1939年 4本(551本)満映5本
1940年 1本(518本)満映18本
1941年 2本(275本)満映27本
1942年 1本(125本)満映16本
1943年 3本(85本)満映10本
1944年 4本(66本)満映14本
1945年 1本(44本)満映6本
1946年 1本(84本)

なぜこんな表を作ったかというと、実は、今回上映される映画の宗本英男監督作品「妹の晴着」と佐々木啓祐監督作品「春雷」を1939年の項で探していたところ、そのふたつの作品に挟まれるようにして内田吐夢監督の「土」に偶然遭遇したからでした。

こんな感じですよね。(アタマの番号は、作品の年間通し番号で、月日は封切り日です)


150.1939.04.08 妹の晴着  松竹大船 宗本英男
151.1939.04.11 裸の教科書  東宝映画東京 渡辺邦男
152.1939.04.13 葉隠れ天狗  極東 大塚隆太
153.1939.04.13 銭形平次捕物控  松竹下加茂 星哲六
154.1939.04.13 阿波狸合戦  新興京都 寿々喜多呂九平
155.1939.04.13 家なき娘  新興東京 伊奈精一
156.1939.04.13 蝙蝠安  全勝 金田繁
157.1939.04.13 土  日活多摩川 内田吐夢
158.1939.04.13 春雷 前篇 愛路篇  松竹大船 佐々木啓祐
159.1939.04.13 化粧蜘蛛 前篇  大都 白井戦太郎
160.1939.04.13 春雷 後篇 審判篇  松竹大船 佐々木啓祐
                                          」

こう見るとほとんどが時代劇やお色気もの、または新派悲劇からコメディ作品がずらりと並ぶこれらのラインナップから受ける印象としては、迫り来る戦局の暗雲のきざしを探すことは、むしろ困難かもしれません。

いや、時代が徐々に息苦しくなり始めていたからこそ、製作者の側も庶民の側もこのような能天気な作品を求めたのかもしれません。

それは、あるいは庶民の力強さの証かもしれませんが。

それならばなおさら、これら軽めの作品群に埋もれるようにポツンと位置する内田監督作品「土」のその場違いなほどの真摯なリアリズム、真っ向から時代に向かおうとする生真面目さ、逼迫する戦局の中でなおさら自分を律しようとする厳しさは、ずいぶんと異色な感じがします。

もっと噛み砕いていえば、こう状況を実際の「人」に例えるなら、その融通のきかない生真面目さが突出していて、まさに「孤立」という感じでしょうか。

そういう内田監督の姿勢が、自分から徐々に映画を作りにくくさせる状況を招いてしまったのではないか、と思えてなりません。

そんな息苦しい膠着状態に落ち込んだ内田吐夢が「満映」の力づよい勢いを目の当たりにして、どのように思ったのだろうかと、内田吐監督渡満の理由や満州で考えたこと、そして戦後日本への帰国を何年も遅らせねばならなかった理由などについて、夜の図書館でひとり想像をかきたてられていました。
by sentence2307 | 2014-02-08 20:45 | 内田吐夢 | Comments(3)

自分の穴の中で

内田吐夢監督の「自分の穴の中で」1955年日活作品は、少し前に日本映画専門チャンネルで放映された映画です。

キネマ旬報社から刊行された「オールタイム・ベスト・映画遺産200」(とかいう本があるのだそうです)の中から、埋もれた名作を映画評論家が掘り起こし推薦するという斬新な企画で、たしか「日の当らない名画・名作たち」とかタイトルされ放映されたうちの1本だったと思います。

実は、この映画「自分の穴の中で」を見たとき、たまたま「帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史」(與那覇潤著・NTT出版)という小津安二郎が中国大陸に出征したことを論述した本を、ほとんど同時に読み、このふたつの奇妙な一致が面白くて、そのとき感じたことを書き残しておこうかなと思いたちました。

内田吐夢監督と小津安二郎監督は、監督第一作を撮ったのが同じ年だった(1927)ということもあって、とても親しかったという話を、なにかで読んだことがあります。

映画界に入るまでが、さほど順風満帆だったわけでもなかったことが、お互いを引き寄せたのかもしれないと考えたこともありました。

そして、このふたりの交流を知ったとき、ごく限られた友人との付き合いしか持たなかった小津監督の交友関係の中でも、内田吐夢監督との付き合いは、腹の底から本音をぶつけ合うことができた仲だったのではないかとツイ想像してしまいました。

作品に対する内田吐夢監督の真摯な態度とか、融通のきかない愚直な、切羽詰ったギリギリの極限にからだごとぶつかっていくような内田監督の生き方の姿勢に対して、そういう真摯な部分を絶対他人には見せたくない、むしろ茶化して誤魔化そうとするタイプの小津監督には、そのストレートな生真面目さが却ってとても好ましく、羨ましく、常に気に掛かっていた存在だったのではないかと思えてなりません。

「帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史」は、多くのページを割いて、この2人の映画監督の、中国大陸に対する考え方の違いを明らかにしようとしたとてもヘビーな論稿なのですが、いかんせん叙述が、自分の本音を隠したところで為される責任逃れの引用ばかりで(大学教授の書いたものなので当然といってしまえば、それまでですが)読後感の消化不良加減は最悪なものでした。

しかも、小津の「晩春」を「血槍富士」と無理やり対比し、一向に共通点のない2作品を摺り合わせることによって、書籍のあらゆる部分に軋み音を発しさせ、綻びの生じまくった惨憺たる著作でした。

「晩春」と「血槍富士」のどこにいったい、対比できるほどの共通点があるといえるのでしょうか。

そんなふうに苛立たしく感じていたところ、たまたま「自分の穴の中で」を見たのでした。

すぐに、この論者・大学教授は、不運にも、この内田監督作品を見ていなかったのだと直感しました。

もし、見ていたとしたなら、この「自分の穴の中で」こそ、まさに「晩春」に対する明確なメッセージ映画であることに気がついたはずです。

この映画が始まる直前の数分間、この作品について、実に要領よくまとめられた解説が付されていました。

それは、この映画を推薦したという映画評論家(らしいのですが始めて聞く名前です)齋藤敦子という人のお薦めコメントで、これがまた、精緻を極めたなかなかの名文でありまして、この映画を見る意欲をかきたてずにはおきませんでした。

というか、この映画を見ているあいだじゅう、それらの言葉が脳裏を行き交い舞い騒いで、どうしても意識せずにはおられなかったというのが本当のところでした。

推薦文というのは、まあこんな感じです。

《「自分の穴の中で」は、内田吐夢の傑作群の中で最も特異な作品である。
テーマは名家の娘の結婚だが、主人公の多美子と、小津の「晩春」の紀子には目も眩むような落差がある。
嫉妬と欲望に翻弄され、すべてを失う娘は、他の登場人物同様、何一つ共感を持って描かれていない。
その突き放した、覚めた視線には、戦後の日本に対する吐夢の嫌悪感が込められている。
原節子に失われた日本女性の美徳を夢見た小津と、北原三枝の硬質な美貌の下で打算と性欲が蠢く様を暴いた内田吐夢。
映画のまん中に置かれた、ごろりとした嫌な感じが、見終わった後もずっと何かを問いかけてくる。》

どうしても「意識」せずにはいられなかったのは、「晩春」に描かれた紀子と、この「自分の穴の中で」で描かれた多美子との、目も眩むような「落差」という部分です。

つまり、このごく短い小文から窺い取ることのできる「落差」というのは、「日本女性の美徳」に対する「硬質な美貌の下で蠢く打算と性欲」という「隔たり」のことらしいのですが、これだけはっきり言われてしまうと、あっさり「はい、そうですか」と聞き流すわけにはいきません。

聞き捨てにすること自体、罪なのではないかとさえ思えてしまいました。

はたして「晩春」の紀子には、打算も性欲もなかったのか。

小津監督は、紀子をそのように描いているのだろうか、確かめてみたくなりました。

「晩春」の紀子を象徴する最も代表的なセリフがあります。

それは、銀座で偶然、父周吉の友人の大学教授・小野寺と出会った紀子が、小料理屋「多喜川」において、小野寺と交わす短い会話の中で、「小父さま、奥さまお貰いになったんですって。」というセリフのあとに引き続いて語られています。

「そうかしら、でも何だかいやねえ」
「なんだか、不潔よ」
「きたならしいわ」

ここで紀子があからさまに表明している異常なほどの性への嫌悪感と恐怖心は、ただ「未経験」であるというだけで否定的に話さずにいられなかったものの、それだけで紀子が「性欲」までをも否定しているのかと考えるのは、早計です。

あえていえば、紀子は、自分に「性欲」があることを認めたくないだけで、小野寺の再婚を嫌悪をもって否定することによって、逆に自分の中の「性欲の存在」を認めてしまったのだとさえ言えるような気がします。

紀子にこのセリフを吐かせている背景には、そろそろ婚期を逸しかけている彼女の元に結婚話が幾つか寄せられており、目下紀子にとって、差し迫った現実問題として考えねばならないことと、彼女のその「結婚観」が語られている場面と考えていいと思います。

それは、「不潔」で「きたならしい」ものと生理的な感覚として表現されていることによって、彼女にとって「結婚」とは、イコール「性生活」と認識していることが分かります。

しかし、確かに性生活が結婚の一部ではあっても、別段結婚のすべてが性生活であるわけのものでもない、彼女が結婚に踏み切れないでいる理由(過剰な妄想)が語られているにすぎないと考えてもいいかもしれない。

そしてそれは、紀子にとっての、もうひとつの「硬質な美貌の下で蠢く打算と性欲」だったのではないかと考えました。

(1955日活)監督・内田吐夢、製作・岩井金男、脚色・八木保太郎、原作・石川達三(朝日新聞連載、新潮社・版)、撮影・峰重義、美術・木村威夫、照明・三尾三郎、音楽・芥川也寸志、録音・神谷正和、編集・辻井正則、助監督・牛原陽一、樋口弘美、藤田敏八、特殊撮影・日活特殊撮影部、製作主任・野村耕祐
出演・月丘夢路、北原三枝、三國連太郎、宇野重吉、金子信雄、利根はる恵、宮城道雄、滝沢修、清水将夫、左卜全、北林谷栄、広岡三栄子、関弘子、相馬幸子、高田敏江、木室郁子、明美京子、志摩桂子、若原初子、土方弘、澄川透、雪岡純、稲垣實、峰三平、歌川まゆみ、木室郁子、江沢葉子、明美京子、三鈴恵以子、芳川千鶴、三船明子、紀原土耕、光沢でんすけ、志賀夏江、芝あをみ、河上信夫、伊丹慶治、坂井美紀子、明石淳子、橘田良江、里実、須藤孝、井東柳晴、高野誠二郎
製作=日活 1955.09.28 13巻 3,422m 125分 白黒
by sentence2307 | 2011-07-02 21:03 | 内田吐夢 | Comments(1)

飢餓海峡

極貧に追い立てられるような彷徨のすえに、なりゆきから強盗殺人放火事件に巻き込まれてしまった男と、食うや食わずの極貧のなかで家族のために自ら娼婦として身を堕とした女が、社会の最底辺・北端の地のうらぶれた女郎屋で偶然に出会うこの物語、もしそのとき、最下層まで堕ちたこのふたりに、強盗放火殺人犯たちを殴り殺して強奪した大金がなかったら、彼らは依然として人並みな生活に這い上がることもできずに、社会の最下層でぼろぼろになるまで働き通した挙句、お定まりのように体を壊し、多くの貧しい日本人がそうだったように、病魔に取り付かれて、まるで使い物にならなくなった家畜のような惨めな死が待っていただけだったかもしれません。

たまたま強盗放火殺人犯たちとの逃避行を共にした犬飼にとって、津軽海峡のド真ん中でふたりを殴り殺して手に入れたその「大金」は、まともな社会へ這い上がるための、人間らしさを取り戻すためには是非とも必要で切実な命綱だったに違いないし、杉戸八重にとっても、その切実さは、まったく同じだったはずです。

その過酷な意味をよく知っていたからこそ、杉戸八重は犬飼太吉に対する恩を、どんなに時間が経とうとも忘れることがなかったし、その感謝の気持ちをどうにかして伝えたいと思い続けたのだと思います(たとえ、堅気の生活を願った八重にできる仕事といえば、やはり身を売るしかなかったという厳然たる過酷な事実から逃れられなかったとしても)。

その感謝の気持ちを伝えたいと願う八重の切実さが、やがて群集の中から犬飼=樽見京一郎を見つけ出し、会いに行くことになります。

しかし、八重のどんな言葉も、もはや樽見京一郎には届きません。

貧しさのどん底にいた無一文の犬飼になら届いた八重の善良さや優しさも、時が経ち、社会の名士に成り上がった樽見京一郎には、不意に現れた八重の善良さや優しさは、かえって自分を脅かすただの脅迫でしかなく、その言葉から受ける怯えと恐怖の強さは、八重の首の骨をへし折るほどの強迫感に反映してしまっているほど、日本の荒廃をそのまま引きずって生き続けてきた八重と、日本の荒廃と自ら犯した犯罪の記憶とを同時の過去の闇へ葬ってきた樽見京一郎との間には、埋めがたい溝ができてしまっていたのだと思います。

かつての出会いを樽見京一郎に悉く否定された八重は、それでも必死に彼に取り縋って「接点」を探し続けます。

そして、八重はついに押し潰された犬飼の指を見出し、そこに、ふたりが北端の女郎屋で肌を重ね心を通わせた「接点」を見出すことができました。

この場面が描写するものは、もはや「八重からの感謝」ではなく、愛を否定する不実な男をなじる八重の哀訴です。

その怨みのなかには、北端のうらぶれた女郎屋で、性欲を吐き出すことだけが目的の多くの客=男たちの性の慰み物になってきた八重が、はじめて心通わせて性交した犬飼との一夜を、体に刻み込んだ特別な思い出として大切にしていたことを樽見が否定したことへの怒りでもあることが分かります(八重に金が渡されたのが、その性交の後だったことを思えば、犬飼もきっと八重と同じ感情を抱いたに違いありません)。

しかし、八重が、犬飼の押し潰された指に逃れようのない接点を発見したとき、それは犬飼を追い詰めることでもあって、彼によって八重の存在自体が否定されなければならなかった「接点」でもあったことを思うと、極貧に喘ぐ貧しい者たち同士、虐げられた者同士が、互いに殺し合わねばならないこの物語の悲惨さには、遣り切れない思いがどうしても残りました。

あらゆる犯罪が、深い絶望の淵から(身勝手であるにしろ)止むに止まれぬ叫びのように発せられる怒りの行為なら、その怒りの衝動の無残な痕跡には、あるいは人間的な一端の真実が刻印されているのかもしないと考えさせるものが、この映画「飢餓海峡」にはありました。

ここに描かれている殺人事件にまつわる人物たちの、それぞれにぶつかり合って生きる凄まじい「執着」と、行く手を阻む者すべてを打ち倒し、愛するものを殺してまでも守ろうとしたものが、はたして北端の寒村の女郎屋で八重と交わした情交以上のものであったのかどうか、貧しく惨めな生い立ちの中で培った社会に対する強靭な悪意が、ゆきずりの娼婦から示されたほんのかすかな好意と善意によって脆くも動揺した結果、はからずも善行を施してしまう瞬間に露呈した人間的な優しさと弱さが、この悲惨な殺人事件のすべての発端だと思うと、なにかの暗喩のような人間のその悲しい向上心が、僕たちを暗然たる思いにさせたのかもしれません。

(1965東映・東京撮影所)監督・内田吐夢、製作・大川博、原作・水上勉、企画・辻野公晴、吉野誠一、矢部恒、脚本・鈴木尚之、撮影・仲沢半次郎、W106方式指導・碧川道夫、宮島義勇、音楽・冨田勲、美術・森幹男、編集・長沢嘉樹、録音・内田陽造、スチール・遠藤努、照明・川崎保之丞、助監督・山内柏、太田浩児、福湯通夫、高桑信、特撮・上村貞夫、記録・宮本衣子、進行主任・内田有作、
出演・三國連太郎、 風見章子、左幸子、加藤嘉、伴淳三郎、進藤幸 、加藤忠、 岡野耕作、菅原正、志摩栄、関山耕司、外山高士、河合絃司、最上逸馬、安藤三男、曽根秀介、牧野内とみ子、北山達也、山本麟一、大久保正信、矢野昭、 松川清、西村淳二、遠藤慎子、田村錦人、沢彰謙、 安城百合子、荒木玉枝、 河村久子、亀石征一郎、山之内修、須賀良、八名信夫、 久保一、北峰有二、 三井弘次、沢村貞子、高須準之助、藤田進、 室田日出男、松平峯夫、鈴木昭生、菅沼正、八木貞男、斎藤三男、田村錦人、相馬剛三、 大木史郎、真木亜沙子、速水由貴、大村修、沢村隆、三田耕作、美原亮、菅原チネ子、高倉健、

1965.01.15 オリジナルは4館のみ 他は短縮版(18巻 4,580m 167分)を上映
18巻 5,012m 183分 白黒 東映W一〇六方式 シネマスコープ
by sentence2307 | 2008-07-26 14:06 | 内田吐夢 | Comments(138)