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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:落語( 2 )

仕事納めの数日前から軽く風邪をひいてしまい、納めの翌日から予定していたツアー旅行を泣く泣くキャンセルしなければならなくなりました。

でも、当日までにどうにか平熱に戻って参加できるだろうくらいに高をくくって楽観し、ギリギリまでねばったのですが、熱はなかなか下がらず、キャンセル料はどんどん嵩むで、結局、コン負けして3日前に旅行会社にキャンセルの連絡を入れざるを得ませんでした。

手持ちの札は惨憺たるものなのに、ハッタリをかまし、ギリギリまで手を明かさないで、相手が先に勝負を降りるのを待つような、まるでポーカーでもしているような追い詰められた気分でした。

この数か月、仕事に忙殺され、休暇をとる暇も余裕もなかった毎日の中で、「年末の旅行」だけが、いつのまにか単調な生活に耐える唯一の励みになっていたので、キャンセルしたときはとてもショックで気落ちし、まるでうつ状態みたいになってしまったのですが、結局なにもかもがすべて自分の油断からきたことなので、諦めも結構早かったかもしれません。

ですので、この年末、旅行の予定を入れていたことから、それがスッポリ抜けてしまったので、これといってとりたてて用事もなく、どこからも電話が入らない(自分は、今頃、どこかに旅行中のはずです)まったくの空白の数日を過ごしました。

ここで電話が鳴っても、ばつの悪い言い訳のひとつも言わなければならないのかと思うと気が重く、たぶん電話は鳴りっぱなしにしておくことになると思います。かえってその方がいいような気がします。

その一方で、あれほど望んでいた「自由時間」を突然手にしたわけですから、これまでしたくとも出来ずにいたことを片っ端から処理できる絶好の機会のはずなのですが、いざ「自由時間」が実現したとなると、何をすればいいのかさっぱり思い当たりません。

あれやこれや考えてみるのですが、いざ「それ」を目の前に据えると、自分にとって、こんなことがそれほど重要なことだったのか、「なにも今、わざわざそんなことをしなくともいいではないか」という感じで、結局いままで後回しにしてきたことには、それなりの理由があったことが判明し、逆に自分の「ズボラ」を正当化してしまう妙な納得をしてしまいました。

そこで、常日頃、わずかの余白時間を工面して行っていることを、ひとつひとつ箇条書きにしてみました。

その選択の条件としては、時間切れで中断されて悔しい思いをしたことがあるもの、そして、いつも時間切れになるのをビクビクしながらしていることの2つです。

①録画を最後まで見切れずに中断しなければならない。一夜ではどうしても見切れずに、一本の映画を刻んで見ている現状です。鑑賞したあとで、さらに映画の感想を書くというのも、一応自分に課しているスケジュールのひとつです。

②小説でも評論でも、そこらにあるものを手当たり次第、手に取って読んでいるぶつ切りの乱読状態なので、読みたいものを読むなんてほど遠い、じっくり関連付けて読書するなんて、いまの生活では夢みたいな話です。

③上記と関係あるのですが、毎週の「書評」を読んでから、その中から興味のある本を選択して読むというのが理想なのですが、そもそも「書評」をwebでも新聞でも、じっくりなんて読めたためしがありません。新聞は、たまるいっぽうだし。mailチェックも追いつかないし。

④ときどき東大TVの特別講義を見ているのですが、どれも一コマでは済まず、短くても200分以上あるので、午後9時に帰宅して、明日も早出などという限られた時間しか持てないしがないサラリーマンの身では、到底見るなんてことは不可能です。

⑤パソコン(you tubeなど)で見られるクラシックな邦画もだいたい100分はありますから、東大TVとほぼ条件は同じです。そうそう、ときどき、志ん生、文楽、円生、志ん朝、米朝の落語を聞くというのも、自分にとって大切なストレス解消の一つになっています。

⑥パソコンの前にいることが多いので、わざわざ録画を見るよりもパソコンで見られるwowowのメンバーズ・オンデマンドの映画が見やすいので、極力見るようにしているのですが、なにせ上記の項目が押せ押せになっているので、どうも捗々しくありません。

⑦投資信託の基準価格のチェックというのもあります。いまになって、やっと景気も上向きかけ「そろそろ」と盛り上がってきた雰囲気なのですが、「売り」にでるほどには、まだまだ「戻り」に至ってないというデリケートな時期ではあります。

⑧そうそう、この時期、そろそろアカデミー賞の情報が飛び交い始めるので、いろいろなサイトをのぞき見しています。

う~ん、これだけの「したくても出来ないこと」を毎晩抱えているのですから、こりゃストレスになるのが当然かもしれませんが、よく考えてみれば、これって結局自分が自分にストレスをかけているだけじゃないかと思えてきました。あほくさ

そこで、結局は、「今晩もyou tubeで落語」ということにしました。

最近の出版物を見ていると、落語の関連本が何冊も出ていて、ちょっとした落語ブームみたいな印象を受けますが、みなさん「古典」をじっくり聞いてのブームなのか、いまひとつ疑問です。

実は、この晩に聞いた落語は、志ん朝の「三枚起請」、やり手の女郎が客をつなぎ止めるために起請文(本来は、誓紙なので1枚のはず)を乱発し、それを知った3人の騙され男たちが、仕返しに女郎に恥をかかせようとお茶屋に乗り込むのですが、逆に開き直られてしまい、剣突を食わされてしまうというストーリーです。

じつは、この落語、いろいろな噺家で何度も聞いているのですが、この晩に聞いた印象が、以前とは少し異なっていました。

噺は、通りかかった亥之吉を棟梁が呼び止め、「最近、遊びが過ぎてるっていうじゃねえか、たいがいにしねえな、おふくろさんが心配していたぜ」と問うところから始まります。そこで亥之吉は、ナカにいいのが出来た、末を誓った起請文まで貰った仲だと告白します。

その起請文を読んだ棟梁は、すこし驚きながらも、自分も同じ女郎から貰ったという起請文を見せます。

そこに清公がやってきて亥之吉の起請文を読み、自分も同じ女郎から起請文を貰ったことと、それについちゃあ妹に苦労を掛けた顛末を話して「あの女郎、ただじゃおかねえ」と激怒します。

そして、お茶屋に乗り込み、証拠の乱発した起請文を突き付けて追及するのですが、

「打つなと、蹴るなと、好きにするがいいや。だけど言っとくけどね、あたしの体は売り物だ。身請けしてからどうなと好きにしておくれ」
と開き直られます。

男たちは、鉄拳制裁ができずに、たじたじになるという結末ですが、話を順に聞いていると、この「たじたじ」になるずっと以前に、彼らは、すでに制裁の意思を喪失しているように見えます。

いまさらながら「女郎の体は売り物だ」と言われなくとも、彼らはそんなことは十分に承知していて、むしろ、最初から「制裁」なんて真剣に考えているとは思えない軽妙なお祭り気分で登楼していくようにさえうかがわれます。

陰惨な「女郎の体は売り物だ」というあまりにも生々しい台詞の彼方に広がる現実をいささかでも薄めるためにも、一方で、この軽妙なシチュエーションが、バランス的にどうしても必要だったのかもしれませんね。

川島雄三「幕末太陽傳」の軽妙さと共鳴するなにかが、この「三枚起請」には、あるのではないかと、ふと感じた年の瀬でした。



by sentence2307 | 2017-01-01 22:27 | 落語 | Comments(0)
インターネットの威力のひとつに、古い名作映画や、遺された名人の映像を手軽に無料で見られるということがありますよね。

ひとむかし前では考えられもしなかった物凄いことだと思います。

思いついた映画の題名(現在ではとても見る機会のないとても古い映画です)を何気なく入力して「動画」のボタンをクリックすると、うまい具合にヒットすれば、たちまちその映画が始まり、まるまる一本を見られてしまうというラッキーに遭遇したことは幾度もあります。

映画もそうですが、テレビドラマとか歌や講演、そして自分として最も多いのは、落語をそんなふうに見ています。

もっとも、じっと「見ている」というよりも、そのお気に入りの落語や歌の画面を別画面で流して音だけ聞きながら、一方で文書の打ち込みをするという「ナガラ作業」がモッカの実態です。

そういう時間が自分的にはとてもリラックスできる「至福の時間」になっています。

いつも聞く落語家といえば、志ん朝とか米朝とかですが、演目としては「中村仲蔵」や「淀五郎」が好きで、志ん生や円生の演じるもの(ほかの演者といえば、立川談志くらいです)のを暇を見つけてはパソコン動画で繰り返し鑑賞しています。

実は、その噺を聞いていて、いつも気になっている部分がありました。

親方・団蔵が、次の出し物を「忠臣蔵」と決めて稽古にかかっていたところ、初日間近になって、急遽判官を演じる役者が急病になり、代役をたてなければならなくなりますが、もう主だった役者はいないというとき、団蔵が「ちょっとコウバンを見せてみろ」というクダリがあります。

この「コウバン」というのは、いわば「役者名鑑」で、名題役者からシモにいたるまでのすべての役者の名前が書かれている帳面です。

その中から若手・淀五郎を抜擢して芝居をさせるというのが、この噺の滑り出しです。

どういう字を書くのか分からないまま、その「コウバン」という響きだけが耳に残っていました。

あるとき、映画用語に「コウバン表」というものがあることを知りました。

漢字では「香盤表」と書くらしく、製作する映画のシナリオのシーンを順番に書き出し、一覧表にしたものだそうで、そこには、シーン・ナンバー、シーン名、内容要約、主要登場人物、その他のメモで成る、とあります。

それを製作前にスタッフに配るのが助監督の仕事の一つだというのです。

なるほど、自分が落語で聞いた「コウバン」とは少しオモムキは違うかもしれませんが、「順番に書く」というあたりは、どうもあやしい。

とくに日本映画の黎明期にあっては、歌舞伎は切っても切れない密な関係があったはずで、その業界用語に影響を与えたに違いないことは想像できます。

その後、検索してみて、「香盤表」が、「元来歌舞伎の世界から来た言葉という」までは、どうにか行き当たりました。
Wikipedia には「香盤」について以下のように説明されていますが、これによると「映画用語」にあたるものは、さしづめ③というところでしょうね。

①香盤(こうばん)は、香道に使われる盤。
香道の香盤は、碁盤の升目のように縦横の直線で構成される。
これと見た目が似ていることから、香盤と呼ばれる事柄がある。

以下は、いずれも興行界の用語であるが、互いに全く別の事柄を指している。

②劇場における香盤は、劇場客席の座席表である。観客がどこに座るかを示す。

③制作裏方における香盤は、出演者と出演時期(出演順番、登場時刻、場面)を対比させた表。
演劇・撮影・イベント等で裏方が用いる進行表。
スケジュール表。細かな時間単位で区切られる。
ストリップティーズなど興行の出演者リスト。および登場順番。10日単位など長い単位で決定される。寄席で、この意味を指す言葉として「番組」という語が使われる。寄席での香盤は下記の通り別の意味になる。

④落語界における香盤は、落語家内部の序列を表す。
表として実在するのでなく、あくまで抽象的なものであり、「落語家相互の順番」である。
これによって、協会内部の序列、落語家相互間の私的交友における上下関係(座る位置、どちらが敬語を使うか、命令できるのはどちらかなど)、寄席の割りを直接決定する。
香盤は落語家の協会内部で作成される。
その順序は他の協会では通用しない。
香盤の順位は身分階級が絶対的な基準となる(この場合、「会長・副会長」も一つの身分である。また、落語協会のみ「役員」という身分がある)。
そして、同一身分階級内での上下は、その身分になった順番により決まる。
1 会長・副会長経験者 - 会長になった順、 2 副会長経験者 - 副会長になった順、 3 現役の会長、 4 (落語協会のみ)役員 - 役員になった順、 5 真打 - 真打昇進順、 6 二つ目 - 二つ目昇進順、 7 前座 - 前座身分になった順(注:現在は、実際の入門のあと、見習いを経ないと前座になれない)
江戸落語では香盤は常に公開されており、現在ではウェブサイト等で一般に公開されている。
上方落語では、香盤は存在するが部外者には公開されておらず、決定基準も明らかにされていない。
協会が落語家に与えるペナルティとして、その落語家の香盤を下げることがある。

なるほどね。よく分かりました。

ここまで調べたとなると、どうにも性分というやつでしょうか、「映画用語」まで検索したくなりましたが、ちょうどお時間となりました、また後日のお愉しみということで。

それではこのへんで、おあとがよろしいようで。
by sentence2307 | 2014-01-25 14:01 | 落語 | Comments(3)