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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:大林宣彦( 2 )

理由

「冷血」を観てしまった以上、大林宣彦監督の「理由」に対する僕の考えを整理しておかなければならないかもしれません。

というのは、このカポーティの「冷血」に触発されて書かれたというのが、宮部みゆきの「理由」だからです。

映画の感想を書くとき、予備知識を散りばめひけらかしながら、理屈を捏ね回して論を進めていく方法が、僕にはどうしても性に合わず、また自分の薄っぺらな「教養」を堂々と披瀝することが疚しくもあるので、結局いちばん入り易い方法=その映画が「面白いか、面白くないか」の自分の感性に響く一点を唯一の手掛かりにして書き始めるように努めています。

予備知識という(往年の時代劇風な道徳観に基づいて言えば)卑怯な「飛び道具」はなるべく使わないように心掛けている積もりです。

さて、「冷血」がこれほど面白いのに(ここで言う「面白い」とは、気持ちを揺さぶる、震撼させる、という意味です)、この「冷血」に触発されて書かれたという宮部みゆき原作・大林宣彦監督の「理由」が、とりわけ「冷血」を見たあとでは、ただ冗漫なだけで、さっぱり面白くなかったのは何故なのか、考えずにはいられませんでした。

ワケありの競売物件に、占有屋が手配した都会で食い詰めた流民たち=その見知らぬ者同士が住み着いて、架空の家族関係を形成し、つかの間の連帯感を共有し、仮名の存在のまま殺されてしまう悲しいオチを持つこの物語・たとえ民事執行が大幅な法改正によって、事情が大きく様変わりしてしまったとしても・ここで描かれている都会の家庭崩壊の悲劇は、この映画が作られて数年を経たいまでは、さらにエゲツナク分解しつづけ、無残に深刻化してしまっていて(たとえば是枝裕和監督の「誰も知らない」など)、肉親同士がたわいもない理由から簡単に殺し合う深刻な状況にさえあり、この作品に描かれている「深刻さ」の度合いがすっかり薄れてしまっている無残さを思えば、活動屋たる者キワモノを捌くことの危険を実感しないではいられませんでした。

この作品「理由」に対して、やたら褒め倒している感想を読んだことがあります。例えば、こんな感じの論評でした。

「現代社会の危うさ、法の弱さ、人間の弱さを浮き彫りにしたという点では、すばらしい映画だ。」

しかし、リチャード・ブルックスの「冷血」を見てしまったあとで、こんな月並みで御座なりな褒め言葉に接すると、それらは単に心地よい美辞麗句を並べ立てただけの中身のない空疎なものとして、さっぱり僕のなかには届いてはきませんでした。

映画は、人間のもっともっと深い場所まで降りていくことができる。

映画という表現方法は、「現代社会の危うさや法の弱さ」なんて表面的なものを描くことよりも、人間のもっと深い痛みの部分を抉り出し、掴み出すことさえもできることを「冷血」は、僕たちに教えてくれています。

犯罪者ペリー・スミスに関わった多くの人々の聞き書きと述懐によって提示される彼の生い立ち、彼の挫折と痛み、そして彼の叶えられなかった悲しく儚い少年の夢、それらを少しずつ担っている関係者たちが冷ややかに、そして吐き棄てるように語る(そこには当然第三者の自己正当化という障碍物があり、その歪んだフィルターをとおして)断片が、「犯罪者ペリー・スミス」を作り上げ、そしてそれがまっすぐに絞首台に繋がっていくという戦慄によって、僕たちは打ちのめされたのでした。

それはたぶん「冷血」という映画から血なまぐさい諸々の夾雑物を削いでしまえば、そこに残るものは、きっと両親に見捨てられ、ずたずたに傷つけられた少年の魂が描かれていて、そして、「犯罪」によって自分の空白を埋めるしかなかったひとりの悲惨な少年が描かれていたからだと思います。

しかし、同じ方法で作られようとしたこの映画「理由」はどうでしょう。

100人以上の個性豊かな俳優をそろえ、真実味をだすためにノーメイクという冒険を犯し、ドキュメンタリー的迫真性を意図したにもかかわらず、そこに浮かび上がってきたものは、「貧乏な親がわが子のために財産を残す」という、まるでバブルのおこぼれを与ろうとしただけの、到底共感し難い愚かな動機よって犯されたしょぼい事件の全貌が明かされただけでした。

このラストのまとめ方には、正直いって腹立たしさを通り越して脱力感を覚えたのも、その凶行に踏み切った動機というのがあまりに浅墓で独善的でつまらないものだったからだろうと思います。

時の権力に多大な影響を及ぼすほどの「王」の称号を与えられた新聞王ハーストの死に際し、関わりのあった多くの関係者へのインタビューをとおして、次第に明かされていく孤独の生涯と出生の秘密、さらに人生の初めに既にして深く傷つかねばならなかった少年の感性までをも繊細に描き切った「市民ケーン」を既に所有している僕たちにとって、この「理由」という作品は、あまりにも苦い、無残な後味の悪さを残しただけでした。

(05)監督:大林宣彦、脚本:大林宣彦・石森史郎、原作:宮部みゆき、撮影:加藤雄大、音楽:山下康介・學草太郎
出演・村田雄浩、寺島咲、岸部一徳、大和田伸也、久本雅美、宝生舞、松田美由紀、赤座美代子、風吹ジュン、山田辰夫、渡辺裕之、柄本明、渡辺えり子、菅井きん、高橋かおり、小林聡美、古手川祐子、加瀬亮、厚木拓郎、左時枝、細山田隆人、ベンガル、伊藤歩、立川談志、南田洋子、石橋蓮司、麿赤兒、小林稔侍、宮崎将、宮崎あおい、永六輔、勝野洋、片岡鶴太郎、松田洋治、根岸季衣、入江若葉、山本晋也、渡辺裕之、嶋田久作、峰岸徹、裕木奈江、柳沢慎吾、島崎和歌子、中江有里
by sentence2307 | 2006-09-18 22:19 | 大林宣彦 | Comments(126)

大林宣彦「転校生」

「プラトニック・セックス」について書いた部分を読み返してみると、これは明らかに、自分のヨコシマな期待が見事に裏切られ、その腹いせをぶつけたみたいなところもありますが、しかし、本当のところは、劇中AVの撮影場面で「あおい」が見せたあの白々しい嫌悪の表情をスクリーンにあえてのせた演出の傲慢さと愚劣さが我慢できず「なにをえらそうに」という憤りがあったのだと思います。

だいたい「プラトニック」と「セックス」を並べて反語的な効果があると信じきっている原作者のアサハカさには、ただあきれるばかりですし、その効果を支えている観念は実は半世紀前のごく古臭い考え方でしかありません。

次に、恥ずかしながら予告したので仕方なく、僕の「そそられた映画」についてひとこと。

映像体験だけなら、どれを選んでいいのか迷うくらい夥しくあるのですが、そもそも「そそられる」という性的情動が、極めてメンタルなものという意味から、大林宣彦の「転校生」82の忘れがたい一シーンを挙げさせて下さい。

この作品は、神社の石段を転げ落ち、幼なじみの男と女が入れ替わってしまうという軽いファンタジー風のコメディでした。

その時、もはや「男」となった小林聡美が、「女」に入れ替わった尾美としのりにこう言う場面がありました。

「私の体に変なことしないでよね」と。

これって、すごいセリフだと思いませんか。

観念はしっかりと「男」のままで、肉体だけは「女」が与えられるというシチュエイションです。

男の性的妄想として、これ以上の純化されたカタチの「夢」が、他に存在しようとは思えませんでした。

風呂上り、鏡の前で自分の体をじっと見つめている場面を想像してみて下さい。

見つめている「眼」だけは、男そのものなのです。

後にも先にも、いまだかつて、性的にこれ以上の映画経験をしたことはありませんでした。
by sentence2307 | 2004-12-11 21:54 | 大林宣彦 | Comments(0)