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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:神代辰巳( 1 )

赫い髪の女

もうずっと昔の話です、就職して働き始めたすぐの頃に、三番館あたりで上映していたこの映画「赫い髪の女」79を何人かの仲間と新宿まで見に行きました。

この衝撃的な作品も、その頃には既にかなり時間が経過していて、とっくにタイムリーな話題性を失っているというそういう時期でした。

見終わったその帰り道、なんとなく駅のそばの飲み屋でこの映画について感想を語り合おうという雰囲気になりました。

きっと誰もが、「この映画、いったい何をいいたいんだ」という言葉が喉元まで出掛かっているのに、どうしてもそのひとことが言えずに帰るに帰れない、といったそんな感じだったのだろうと思います。

飲み屋のテーブルに座り込み、酒を手元に手繰り寄せて、しばしの沈黙のあとで各自が連想した同じようなタイプの映画を挙げていきました。

よくありますよね、ある映画が、どうしても消化できないでいるとき、かつて見た同じようなタイプの作品を引き合いに出して、どうにか解釈の手掛りを探ろうとするあの感じです。

友人たちは、それぞれ連想する映画のタイトルを挙げていきます。

例えば、ベルトリッチの「ラスト・タンゴ・イン・パリ」72とか、大島渚の「愛のコリーダ」76とか、田中登の「実録・阿部定」75とか。

しかし、それらのタイトルを口にした本人自身が、その瞬間からこれは違うなと感じているらしいことが、声の調子ですぐに分かりました。

あれらの作品には、閉塞した重苦しい時代的圧迫から逃れるように世間から背を向けた男女が、閉ざされた暗闇で破滅的な性交にのめり込んでいくというそれなりの状況説明がストーリーとして語られていました。

しかし、極力ストーリー性を排し、ただ「やりまくる」だけのこの映画「赫い髪の女」に、あれらの作品と同じような思想性を想定していいものかどうか、きっと誰もが確信できずに不安だったのだろうと思います。

話し合いが、あの後どうなったのかはまったく覚えていません。

そんなことがあったことさえも長い間忘れていました。

今回の「キネマ旬報」のオールタイム・ベストテンの「日本映画ラブストーリー特集」で、久振りに「赫い髪の女」というタイトルに再会して、あの当時ついに出し損ねた結論も含めて、忘れかけていた一切が一気に甦ってきました。

当時分からずじまいだったことも、いまならなんとなく分かるような気がします。

この社会で生き場を失ったうらぶれた男や女が、世間から見放され孤立していくのとほとんど同じ速度で、まるで追い立てられるように、二人だけの性と死の世界に足を取られ、あるいは自らのめり込んで行くという、もはや生きていく意味のなにもかもを見失ってしまった者たちの「異端の哀しみ」が理解できない観客にとって、この「赫い髪の女」という作品が、ただの薄汚い出来損ないのポルノ映画以上のものではなかったのかもしれませんね。
by sentence2307 | 2004-12-26 23:08 | 神代辰巳 | Comments(156)