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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:忠臣蔵( 4 )

忠臣蔵

いよいよ年の瀬になりました、昨夜は、各課合同の会社の納会も終わり、いよいよ一週間の正月休暇です。

この期間に、まとまった旅行でもすれば有意義に使えるのではないかと、いつも思うのですが、現実問題として考えれば、はずせない定番の家庭のイベントがいくつかありますし、そのための用事がちょびちょびあり、毎年、あとから振り返れば、家庭人としてそれなりに必要とされているので、そのすべてを放り出しての「正月旅行」というのは、今のところ自分的にはちょっと考えられません、しばらくは家庭サービスのためにもこの期間を開けておこうと思っています。

それにほら、よく言うじゃないですか、旅行はあれこれ計画しているときが一番楽しいって。

そして実際、旅行会社にあちこち連れまわされる総花的な定番ツアーのあとの、あの義務を果たしたときに感じるような疲労感というか徒労感(そうした旅の思い出も、あとから考えれば、なんだかカタログ的です)しか残らない虚しさを思えば、やはり正月旅行は、近い将来には果たしたい「夢」として持ち続け、先送りしている状態の方が、なんだか正解のような気もしますし。

しかし、この期間に自分の時間がまったく持てないかというと、そんなことはありません。

なんといってもサラリーマンの武器は、「早起き」の習慣です、すっかり「休暇」に緩みきって、午前中はゆっくり寝ている家人に比べたら、自分は日頃からとんでもない早朝に起きる習慣が身についている筋金入りのサラリーマンです、目覚まし時計などセットしておかなくとも、「その時間」ともなれば1秒たがわずパッチリ眼が開いて、今の時期は日の出までまだまだ1時間は優にあろうかという時刻ですが、体の方はもうすっかり目覚めていて、もはや積年あこがれの「二度寝」など考えられないような覚醒状態にあり、家人が起き出してくるまでの数時間は、読書をしようが、ゲームをやろうが、you tubeに嵌まろうが、なんだってできる、まさに自分だけの解放区なわけですよね。Webで見られるお手軽映画なら、優に2本はいけそうな時間です。

さっそく「クリック・クリック」で検索を始めました。

ハハーン、gyaoで大曾根辰保の「大忠臣蔵」がアップされていますね、こりゃまた面白そうじゃないですか、画像には、討ち入りの衣装を着込んだ大石内蔵助の写真が大きく掲載されています、市川猿之助ですか。へぇ~めずらしいなというわけで、スタッフとキャストの記事をチェックしたら、「出演: 高田浩吉, 有馬稲子, 山田五十鈴, 松本幸四郎(初代・松本白鸚), 市川染五郎(九代目・松本幸四郎)」とだけあって、主役のはずの猿之助の名前がありません、これじゃあまるで「松本幸四郎(初代・松本白鸚)」が主役で大石内蔵助を演じているみたいじゃないですか。

松本幸四郎主演の忠臣蔵といえば、名作の誉れ高い「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」のはずです。おかしいじゃないですか、今日は一日中、暇なことでもありますので、ここはじっくり調べてみることにしました。
この1950年代に撮られた大曾根辰保監督「忠臣蔵」といえば2本あって、1957年製作がこの猿之助主演の「大忠臣蔵」で、松本幸四郎作品は、1954年に製作された「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」みたいですよね、まあ、せっかく調べたことでもありますので、その調査結果を以下に掲げておきますね。


忠臣蔵 花の巻、雪の巻(1954松竹・京都撮影所)総指揮・大谷竹次郎、製作・大谷隆三、高村潔、製作補・高木貢一、市川哲夫、監督・大曾根辰夫、脚本・村上元三、依田義賢、撮影・石本秀雄、音楽・鈴木静一、
配役・松本幸四郎・初代松本白鸚(大石内蔵助)、高田浩吉(浅野内匠頭)、滝沢修(吉良上野介)、鶴田浩二(毛利小平太)、北上弥太郎(岡野金右衛門)、高橋貞二(多門伝八郎)、田浦正巳(大石主税)、山内明(片岡源五右衛門)、近衛十四郎(堀部安兵衛)、水島道太郎(不破数右衛門)、薄田研二(堀部弥兵衛)、河野秋武(原惣右衛門)、大坂志郎(武林唯七)、柳永二郎(柳沢出羽守)、坂東鶴之助(矢頭右衛門七)、山田五十鈴(大石妻りく)、月丘夢路(瑤泉院)、淡島千景(浮橋太夫)、桂木洋子(しの)、瑳峨三智子(つや)、幾野道子(安兵衛妻こう)、
1954.10.17 25巻 6,401m 白黒


大忠臣蔵(1957松竹・京都撮影所)総指揮・城戸四郎、製作・白井和夫、監督・大曾根辰夫、脚本・井手雅人、撮影・石本秀雄、音楽・鈴木静一、美術・大角純一、録音・福安賢洋、照明・寺田重雄
配役・市川猿之助・猿翁(大石内蔵助)、市川団子(大石主税)、水谷八重子(大石妻お石)、高田浩吉(早野勘平)、高千穂ひづる(おかる)、坂東簑助(加古川本蔵)、山田五十鈴(戸無瀬)、嵯峨三智子(小浪)、北上弥太郎(浅野内匠頭)、有馬稲子(あぐり・瑤泉院)、石黒達也(吉良上野介)、大木実(清水一角)、永田光男(千崎弥五郎)、市川小太夫(原惣右衛門)、名和宏(片岡源五右衛門)、森美樹(桃井若狭助)、片岡市女蔵(斧定九郎)、野沢英一(与市兵衛)、毛利菊枝(おかや)、小夜福子(戸田局)、戸上城太郎(不破数右衛門)、近衛十四郎(寺坂平右衛門)、市川染五郎(矢頭右衛門七)、嵐吉三郎(落合与右衛門)、伴淳三郎(幇間)、松本幸四郎(立花左近)、
1957.08.10 松竹中央劇場 17巻 4,248m カラー 松竹グランドスコープ


こんな感じです、しかし、「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」に比べて、こちらは「シネマスコープ・総天然色」が売りなだけで、出来としては、やや精彩を欠いた作品とはいわれているものの、渋みのある市川猿之助主演ですから、これもまた大いに楽しみです。

当時、映画批評家・北川冬彦は、「大忠臣蔵」について、こんなふうにコメントしています。
「この『大忠臣蔵』には新たな解釈などいささかもない。これははっきり仮名手本で、歌舞伎的な場面が充満している。映画と歌舞伎との、あまり見事ではないがまあカクテルの味があった。シナリオにはごたごた無駄があったが映画を見て大曾根辰保のシネスコ的コンテの作り方に感心した。それに映画と歌舞伎のカクテルになり損ねていたり、名優猿之助や幸四郎に精彩がなかったのは考えさせられた。映画の演技として右太衛門、千恵蔵に及びもつかないのである。八重子もセリフははっきりしているが表情がいただけない。歌舞伎と映画とが割合ミックスした場面、例えば、一力茶屋の場は画面が充実していてシネスコ的演出を感じた。」(キネマ旬報186号)

まあ、べた褒めというわけにはいきませんが、しかし、こういう批判もまた映画を楽しむためのひとつの材料にはなりますよね、いや、それどころか、一層楽しみが増すってものじゃないですか。

しかし、このとき、ちょっとショッキングな記事も見つけてしまいました。自分が、「名作の誉れ高い」と思っていた「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」が、「それほどのものか」という疑問が投げかけられている記事です。

「この忠臣蔵はあくまでも仇討ではなく、お家の再興という点を強調して描かれた。大石が討入りを決心するのは、決行の5日前くらいとなっている。
4時間に及ぶ長尺だが、いたるところに疑問を感じながら観た記憶がある。とくに大きな矛盾は、大石が討入りすることをすべての人々が知っていて、討入りを決意するのは5日前くらいとなっているが、その間どうして討入り道具が揃ったのか、新解釈もところどころボロを出している。幸四郎の大石もこのときは重厚な演技とはいえなかった。」(御園京平「映画の忠臣蔵」)



by sentence2307 | 2017-12-29 11:23 | 忠臣蔵 | Comments(0)

47RONIN

この映画を見て、「なんだ、こりゃ」などと松田優作みたいなことを言う人に、ひとこと言っておかなければなりません。

べつに自分は、この映画の関係者でもないし、ましてや利害関係とかもないので、なにも弁護とか弁解などする立場ではないのですが、この映画が継子いじめみたいにこうまで非難されると(自分の周りでは、この作品に対する冷笑で満ちています)なんだか弁護したい心持になってしまいました。

まあ、この作品が相当に奇妙奇天烈な映画であることは間違いありませんが、しかし、「奇妙ながらも、これはこれで結構誠実に作っているし、まあ、いいんでないの」くらいのことは言ってあげてもいいのではないかと思っています。

まず、最初の取っ掛かりとしては、やっぱりあの奇妙なキモノ・コスチュームについてでしょうか。

日本人としてマジに見てしまうと、そりゃあ「ありゃなんだ」とひとこと言いたくなるくらいに相当に奇妙ですが、しかし、なにも「マジ」に拘ることもないし、あるいは、「ファンタジーだから」などと逃げたりもせずに、ここは真正面から、素直に「ニッポン・分からない・サイン」の象徴として丸ごと受け入れてしまえば、結構、作り手の意向に沿うこともでき(だいたい、この映画、その辺のところを十分に意識して作っているわけですから)、そうすれば、だんだんに見えてくるものあるのではないかと悟りました。

むしろ「分からない」と開き直り、わざわざそれを表明するような映画を作るその大胆な商魂をこそ評価したいと思ったくらいです。

その「分からない」という表明は、不可解であると宣言しながら、違った切り口でジャポニズムにアプローチをはかった好奇心や興味津々の方法というか、モチベーションだけは保っている純真な意欲みたいなものは認められるのではないかと思いました。

むしろ、この「分からない」映画を誠実に成り立たせている「もの」の方が、なんだか重要な気がしてきました。

「分からない」ながらも、そのまま映画を成立させている強引な活力に、やっぱ、さすがハリウッドは違うなと驚嘆したり好感を持ったり、とにかくその中央突破の姿勢に感銘を受けた次第です。

しかし、感銘を受けたとはいうものの、それはあくまで「姿勢」についてであって、手放しで、この映画のストーリーの細部を許容しているわけではありません、というか、むしろ、外国の人たちに「忠臣蔵」をこんなふうにすんなり理解されてしまっていいのか、いいはずがないという懸念は確かにあります。

年末には必ず繰り返し作られ続けてきた日本人にとって定番の国民的物語「忠臣蔵」の精神性を除外して、(この映画のように)単に、主君の遺恨を晴らすための家臣たちの復讐物語だけのものとしてあら筋だけストレートに理解されてしまうとなると、やっぱりちょっと抵抗が残ります。

「忠臣蔵」の知識のまったくない外国の人たちが(現状、世界における「忠臣蔵」ストーリーの普及と理解の浸透からみれば、「それ」は考えにくいことかもしれませんが)、これだけで、これが丸ごと「ニッポンだ」みたいに納得され、「忠臣蔵」のスタンダードとして通用されてしまうことへの懸念があります。

ここはひとつ、この奇妙な「忠臣蔵」が、「スタンダード忠臣蔵」から、どの部分がどのくらい隔たっているかくらいの検証をしておくことは、映画収集狂たる者の務めかもしれないなと思い立ち、これを書き始めた次第です。

そういう意味で、最も気に掛かった場面として真っ先に思い当たる場面があります。

心ひそかに討入りを決意した内蔵助が、討入りの罪科が妻・りくにまで及ぶのを懸念して、心ならずも妻に離縁状を出す場面です。

この場面を、「47RONIN」では、内蔵助は、自分がいかに妻を愛し、彼女の身を案じているからこそ離縁するのだと、妻・りくに対して離別の理由を諄々と伝え、彼女も納得して離縁を承諾しています。

愛し合う夫婦の間に秘密や誤解などあってはならないという、いかにも公正な欧米の「愛こそすべて」なのですが、しかし、わが「忠臣蔵」においては、愛する妻に対してであろうと、また、亡き主君の未亡人(瑤泉院)に対してであろうと、内蔵助が自らの心のうちをすべて曝け出すことなど決してありませんし、その耐え忍ぶ精神性が、「忠臣蔵」を貫いている核心だといっても過言ではありません。

夫から離別を告げられた妻・りくは、瞬時のうち・暗黙のうちに夫・内蔵助の真情を察して、あえて理由を聞くこともなく離縁状を受け取っています。

妻・りくが、討ち入りという大望を果たそうとする夫のため・そのことを妻にも話せぬ苦衷を理解しているからこそ、武人の妻たる者のタシナミとして、身を犠牲にすることを十分すぎるほど心得ているからです。

夫に従い、つねに死を覚悟しているサムライの妻だからこそ、あえて「至らぬ妻」の不名誉を引き受け、薄く微笑みながら大きな仕事が控えている夫のために去っていくことなど、死を「覚悟」した武人の妻にとっては、なにほどのことでもなかったはずです。

そして、それもこれも、ただひたすら「討入り」を成功させるため、家族が引き受ける名誉な忍従のひとつであって、いわば、彼女が演じた「至らぬ妻」として夫の元を去ることも、女として「討入り」に参加する栄誉に等しい誇らしげなものだったに違いありません。

国民的ストーリーとして長い間、日本の国民に愛され続けた「忠臣蔵」の魅力の理由は、実はここにあります。

「討入り」を実現させるために、ご政道に楯突くひそかな企みが進められ、それが現れぬよう、それまでの間、忠臣ばかりでなく、その家族さえもあらゆる屈辱的な忍従に耐え続けるということ、そして、その意思の伝達が直接的な言葉の遣り取りなどではなく、目と目を見交わすことによる暗黙の意思疎通・以心伝心(こう言葉にすると、随分矛盾した意思疎通方法ですが)によるという、独特のエピソード・パターンが繰り返されるところにあることに気づかされます。

たとえ心底では(矛盾を感じながらも)犠牲を強いられる理不尽を充分に認識し了解できるのは、すべて「討入り」の企みを秘さねばならない大義があるからであって、そのうえで、真情とは異なる痛切な離別の場面が展開されるという一連のエピソードが「忠臣蔵」においては、とても重要な要素になっていて、例えばこの妻・りくとの無情な離縁の愁嘆場には、実は、同時進行的に演じられている、互いに眼差しを交差させ暗黙の了解の中で交わされる夫婦の濃密な「交情」の遣り取りでもあることを理解できないとなると、わが「忠臣蔵」の理解も覚束ないものがあると言わざるを得ません。

そうそう、その「互いに眼差しを交差させ暗黙の了解」(俗にいう「腹芸」とでもいうのでしょうか)の極めつけともいうべき場面を見たことがあります。

たしか市川右太衛門と片岡千恵蔵の顔合わせでしたから、東映の作品ですね。

大石内蔵助(市川右太衛門)一行が、「見回り奉行・立花左近」と名を偽って江戸に向かう東クダリの場面、宿泊している宿の前をたまたま本物の立花左近(片岡千恵蔵)が通りかかってこれを見咎め、奉行じきじきの吟味がはじまります。

ここでコトが発覚してしまえば、討入りの企みがすべて露見し、御用になるかもしれない大石一行にとっては、すこぶる危機的な場面です。

互いの家臣たちは次の間で、息を飲みながら、中の様子を窺っています。

成り行き次第では、いつでも抜刀して斬り込めるよう刀に手をかけて、斬り死に覚悟の緊張感に満ちた場面です。

しかし、中では「われこそが本物の立花左近なり」と互いに譲らぬ押し問答が延々と繰り返されているばかりなのですが、実は、その居丈高な詰問の応酬のなかで、千恵蔵の立花左近は、部屋に置かれている品々から次第に目の前に座っている人物が赤穂の浪士であり、大石内蔵助であることに気がつきます。

さらに示した通行手形は、実は討入りをする浪士の連判状なのを知ったそのとき、一瞬揺らぐ千恵蔵の強い尋問口調の微妙な変化で、主君を討たれ、公儀の理不尽な処置と御家再興も断たれた大石の苦衷と怒りとをすべて理解するという、「腹芸」の極致のような素晴らしい場面でした。

右太衛門の大石も言葉づかいは依然として居丈高ながら、「かたじけない」というウラ演技を見事に演じていました。

どうも記憶が定かでなく、うろ覚えなので、念のために「立花左近(片岡千恵蔵)、大石内蔵助(市川右太衛門)」の線を手掛かりにして、ネットで検索してみました。

検索の結果、該当する作品は、どうも、昭和31年1月15日封切りの東映作品、松田定次監督の「赤穂浪士」のようでした。

しかし、考えてみれば、大石内蔵助の妻・りく役は、ドラマの中での格というか位置づけはともかく、役者としての面白みには幾分欠けた役という印象が強く、終始一貫、激しい演技を禁じられたとても物足りない役のような気がします。

彼女は、いわば強いられた別離に対しても、べつに夫にすがりついて泣き叫ぶわけでもなく、自分の真情を吐露できる見せ場も用意されているわけでもありません。

むしろ逆に、気持ちの動揺を悟られまいとする自己抑制の強い冷ややかで冷静な、しいて言えば何を考えているのか分からない取り澄ました魅力のない女性とさえいえるかもしれません。

大役ではあるけれども、とりわけて演技の工夫が必要とされるような役というわけではありません。

盛りを過ぎた大物俳優が、敬意を表して与えられる名誉職みたいなものという感じでしょうか。

極端に言えば、いままで第一線で演技に拘ってきたベテラン俳優は、この役を与えられることによって大きなショッリを受け、「敬して遠ざけられた」と感じてしまうのではないかと思いました。

1962年11月3日封切りの東宝作品「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」において、りく役を演じた原節子は、この映画出演を最後にスクリーンから去り、その後彼女の端正な容姿をスクリーンのうえでは見られなくなります。

(2013アメリカ)監督・カール・リンシュ、製作・パメラ・アブディ、エリック・マクレオド、製作総指揮・スコット・ステューバー、クリス・フェントン、ウォルター・ハマダ、原案・クリス・モーガン、ウォルター・ハマダ、脚本・クリス・モーガン、ホセイン・アミニ、撮影・ジョン・マシソン、プロダクションデザイン・ヤン・ロールフス、衣装デザイン・ペニー・ローズ、編集・スチュアート・ベアード、音楽・イラン・エシュケリ
主演・キアヌ・リーヴス、真田広之、浅野忠信、菊池凛子、柴咲コウ、赤西仁、田中泯、ケイリー=ヒロユキ・タガワ
by sentence2307 | 2014-12-14 12:10 | 忠臣蔵 | Comments(0)

最後の忠臣蔵

子供の頃から忠臣蔵が大好きで、年末になって町の映画館に忠臣蔵の映画が掛かると、必ず親に連れられて見に行ったものでした、などと言いたいところですが、しかしそれは、なにもウチに限ったことではなくて、その当時は、日本国中が「年末には忠臣蔵」というのが普通のことだったわけで、その国民的な年末の定番行事・忠臣蔵の映画鑑賞にうちの家族も従ったにすぎなかったのだと思います。

各映画会社が威信をかけて、競うように「忠臣蔵」を製作していた時代です。

各社の抱える専属俳優のうちの主役級から人気急上昇中の新人俳優まですべての役者を揃えて製作されていました。

長い時間をかけて歌舞伎の当たり狂言として練りに練られた「忠臣蔵」というストーリーは、惚れ惚れするほど、それぞれの役に、ぴったりの泣かせどころが用意されており、実に行き届いた物語で、子供心にも感心させられたものでした。

どんな端役も生き生きとしていて、それらのエピソードが丹念に積み上げられ、最後の華麗な「討ち入り」というクライマックスに怒涛のように雪崩れ込んでいくという群像劇は、いつのにか血生臭い殺戮の復讐劇を忘れさせられてしまうくらいのレビューのような様式美にウットリと見入っていました。

あの討ち入りの場面で展開される立ち回りの、まるで踊りのような華麗さも、きっと無関係ではありません。

そんなふうに毎年当然のように見てきた「忠臣蔵」という映画の印象は、自分の中では、もはやほとんど固定観念のように確立されたものになっていたのですが、学校を卒業して社会人になったとき、その固定観念が打ち砕かれる衝撃的な話を友人から聞きました。

それは彼が数年間駐在していたイギリスでのこと。

駐在してはじめての年末を迎え、日本に帰る切っ掛けを失ったまま、仕方なくひとりでさびしいクリスマスを迎えようとしていたとき、それを知った取引先の営業マン(イギリス人です)から、優しさの満ちた強引さで彼の家族のパーティーに誘われました。

ビジネス以外のプライベートでは、礼儀正しく一線を画され、やんわりと無視されることも多かったイギリス人の冷たい対応を幾度も経験してきた彼にとって(それまでは彼らにとって自分が結局は黄色い肌をした極東の「東洋人」でしかないことを常々思い知らされていたといいます)、そのサプライズは、涙がでるほど嬉しかったそうです。

いまにして思えば、それも随分卑屈な反応だったかもしれませんが、当時の彼にはそれが正直な気持ちだったと話していました。

その決して裕福とはいえない中流のイギリス人家庭の、心温まる家族パーティーもそろそろ終わろうかというとき、子供たちが親にせがんで、普段なら見ることもない遅い時間帯のテレビドラマを見始めていました。

クリスマスという特別な夜の、きわめて寛容で例外的な措置であることをイギリス人の奥さんは、まるで弁解するかのように日本人の彼に説明していました。

放送していたのは、「クリスマス・キャロル」です。

その取引先のイギリス人によると、イギリスでは、年末になるとテレビやラジオで「クリスマス・キャロル」が、さかんに放送されるということです。

強欲で偏屈な金持ちの老人スクルージが、いままでコキ使ってきた貧しい使用人や市井の人々が、実は自分のむごい仕打ちに善意で報いようとしていることを始めて知って、深く悔い改め、はじめて心を開いていくという感動的できわめて教訓的な物語です。

こう話しながら、その取引先の営業マンから、日本でも同じようなケースはあるのか、と逆に質問されました。

とっさに彼はあの「忠臣蔵」を思い浮かべたのですが、正直に答えていいものかどうか一瞬躊躇しました。

イギリスの子供たちが、人に施す善意の意味を「クリスマス・キャロル」から学んでいるとき、日本人の子供たちは、その年中行事のように見ている「忠臣蔵」から何を学んでいるのか、血であがなう執念深いあだ討ちや不意打ちの奇襲をこのイギリス人にどう分からせることができるかと躊躇したのだと思います。

このストーリーをただ分からせるだけなら、なんとか話せるにしても、日本の子供たちがこの物語から何を学び取っているのかをイギリス人に分からせる自信が、友人にはなかったというのもひとつありました。

彼の危惧のなかには、きっとこの忠臣たちの奇襲作戦の正当性を説明していく先には、当然パールハーバーの奇襲攻撃をも弁護しなければならなくなる立場に追い込まれてしまうような不吉な予感がヨギリ、まだまだ英語力の乏しかった彼には、イギリス人たちの前で不意打ちの正当性など説明する自信も無く、結局、諦めざるを得なかったと話していました。

公儀の片手落ちの措置や不公平な処分によって主君・浅野匠之守だけが切腹を強いられことに憤った家来たちが、長い年月をかけて、その恨みを晴らすため、喧嘩相手・吉良上野之介をカタキとして執念深くつけ狙い、ついに警備の手薄な雪降る深夜、完全武装して急襲し、吉良上野之介を討ち果たすという小気味良い爽快な復讐物語です。

しかし、その「小気味良く爽快な復讐物語」と感じてきたのは、単にそういう作られ方をしてきた物語を、そのままの形で受け入れてきただけということもいえるわけで、それが果たして、真実「小気味良く爽快な復讐物語」だったかどうかはスコブル疑問です、彼の話から、それ以来「忠臣蔵」の物語に爽快さだけを持てなくなりました。

それ以来、僕のそういう思いに寄り添うように、徐々に「小気味良く爽快」なだけではない忠臣蔵が幾つか作られるようになりました。

この「最後の忠臣蔵」もそうした時代の変化を受けて作られた一本だと思います。

しかし、そうだとしたら、忠臣蔵に小気味よさを感じていた子供の時と同じように、疑心暗鬼で忠臣蔵の暗黒面だけを見るいまの自分の感性もまた、結局は時代の要請に添っているだけにすぎないのか、という思いに一瞬囚われました。

それでも、まあいいか。

映画は、時代を映す鏡なのですから、その時代の「忠臣蔵」を鑑賞するというダイナミズムに身をゆだねるのも一興というわけで、それを「時代に振り回されている」なんて思わない方がいいかもしれませんよね。

(2010)監督・杉田成道、脚本・田中陽造、音楽・加古隆、原作・池宮彰一郎『最後の忠臣蔵』(角川文庫刊)、製作総指揮・ウィリアム・アイアトン、スーパーバイザー・角川歴彦、成田豊、製作・小岩井宏悦、服部洋、椎名保、酒井彰、名越康晃、井上伸一郎、喜多埜裕明、川崎代治、大橋善光、企画・鍋島壽夫、プロデューサー・野村敏哉、岡田渉、宮川朋之、撮影監督・長沼六男、美術監督・西岡善信、美術・原田哲男、照明・宮西孝明、録音・中路豊隆、整音・瀬川徹夫、音響効果・柴崎憲治、編集・長田千鶴子、衣装デザイナー・黒澤和子、装飾・中込秀志、スクリプター・中田秀子、製作・「最後の忠臣蔵」製作委員会、ワーナー・ブラザース映画、電通、角川映画、日本映画衛星放送、レッド・エンタテインメント、角川書店、Yahoo! JAPAN、メモリーテック、読売新聞、製作プロダクション・角川映画、配給・ワーナー・ブラザース映画
出演・役所広司、佐藤浩市、桜庭ななみ、山本耕史、風吹ジュン、田中邦衛、伊武雅刀、笈田ヨシ、安田成美、片岡仁左衛門、北村沙羅、福本清三、柴俊夫、佐川満男、田畑猛雄、芝本正、芹沢礼多、片岡功、鈴川法子
by sentence2307 | 2011-10-23 08:51 | 忠臣蔵 | Comments(0)
素朴な願望というか、ずっと僕の気持ちの中で果たされずに蟠っているひとつの思いがあります。

それは、いままで撮られたすべての「忠臣蔵」をリストアップしてみたいという願いです。

なぜそういう思いを抱いたかというと、ひとつには、いままであまりにも多くの「忠臣蔵」を漫然と見過ごしてきてしまったことへの悔恨みたいなものがあるからでしょうか。

しかし、漫然と見てきた映画なら、なにも「忠臣蔵」に限らず他にも幾らでもあるわけですし、見てすぐに忘れてしまったような映画だって絶望的なくらいの本数が上げられるはずです。

予備知識もなにもなく漫然と見始めても、それでもそれが優れた映画なら、強烈な印象を残さずにはおかないでしょうし、それを、見たことさえ忘れてしまうというのは、その作品が、本来的にインパクトに欠けた凡庸な作品だったからだと思います。

では、それがなぜこの「忠臣蔵」に限って、リストアップしたいと僕が思ったかというと、ひとつには「忠臣蔵」というジャンル(もはや、ひとつの「分野」ですよね)が一種特別なものとして日本映画史上に屹立した特別なものであるからかもしれません。

そして、もうひとつの大きな理由は、実は、かなり以前に御園京平の労作「映画忠臣蔵目録」という魅力的な資料との出会いがあったからでした。

いつもそうしているのですが、魅力的な資料に出会うと、まずは付箋をつけて後日まとめて複写をとっておくことにしています。

そして、それがある程度まとまれば、分類してインデックスをつけて保管棚に収納しています。

こんなふうに書くと、あたかも資料を駆使して日本映画史でも研究しているみたいな「できる人」のように思われてしまうかもしれませんが、実は、これも本を漫然と読み飛ばしていることの虚しさから少しでも逃れたいという足掻きみたいなものなので、複写して保管した書類を読み返すなどということは、本当は極めてマレなことなのです。

仕舞ったまま、活用どころか、そのこと自体を忘れてしまい、単なる紙屑として風化させてしまうというのが、いつものことなのです。

というわけでこの複写という行為も、漫然と映画を見ること(その反省から、映画の感想を書き始めました)や、漫然と読書することとなんら変わることのない一種の自己満足というか、言い訳みたいなものにすぎないことは、誰よりも自分がいちばんよく分かっているからこそ、御園京平の「映画忠臣蔵目録」を、従来の複写してそのまま「仕舞い殺し」にしてしまうことではなく、まず自分でパソコンに打ち込みながら、少しずつオリジナリティを加えていき、自分なりのものを作ってみたいというのが、僕の抱いた素朴な願望でした。

しかし、独自の調査どころか、「映画忠臣蔵目録」の入力自体が満足に進んでいってないのが実は現実です。

至宝のようなこの膨大な資料を自分の血肉化して余すところなく吸収するためには、まずは全文の忠実な入力行為は欠かせません。

これから毎日少しずつでも努力して打ち込んでいこうと思っています。
by sentence2307 | 2005-10-30 21:08 | 忠臣蔵 | Comments(0)