世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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<   2018年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧

伊豆の娘たち

数年前、「神保町シアター」で、特別企画として終戦直後に封切りされた作品ばかりを集めて上映するという企画がありました。

実に素晴らしい企画で、その貴重な機会を逃さないように無理やり仕事を算段して出来るだけ見に行こうと焦りまくっていたことを最近しばしば思い出すことがあります、残念ながら「日参」とまではいきませんでしたが。

あれから少し時間がたってしまい、だいぶ記憶も薄れてきたのですが、おりに触れて、そのときの苦労や、そこで見た幾つかの作品のことを懐かしく思い出しています。

しかし、いまとなっては、その作品を「神保町シアター」で見たのだったか、「フィルムセンター」で見たのか、いや、それとも、もっとべつの映画館で見たのだったか、記憶が錯綜してだんだんあやしくなってきました。

しかし、なんだってそんなことが気になるのかといえば、自分にとって「むかし見た映画」(記憶の中にあっては、昨日も10年前もみんな「むかし」です)というのが、ただ単に「作品」それ自体の記憶というのではなくて、その作品を見た場所というのが、記憶の重要な属性になっているからだと思います。

作品自体を覚えてさえいれば、それだけで十分じゃないかと言われてしまいそうですが、自分にとって「映画の記憶」とは、それを見た映画館と一体のものとして格納されています。

小津監督や溝口監督の諸作品は、すべて銀座の並木座で見ましたし、大島渚作品「少年」や吉田喜重作品「戒厳令」など、当時の時代の先端を行く尖鋭で重厚な作品は、ことごとく池袋の文芸地下で出会いました。ロベール・アンリコの「冒険者たち」の底抜けの悲しい明るさや、ゼフレッリの「ロミオとジュリエット」の宿命的な死の輝きと美しさに圧倒されたのは、神楽坂の「佳作座」でした。「keiko」や「不良少年」「絞首刑」を寒々しい場末の映画館で見ていなければ、こんなにも映像に打ちのめさ、その衝撃を衝撃として感受できなかったかもしれません。

映画を求めて東京の薄汚い繁華街の闇をさまよった先の映画館の思い出がなければ(さらには、「誰と見たか」とか、その時の「気分=失恋とかね」が再現できなければ)、きっと「映画の記憶」をこんなにも燦然と輝かせることも、自分のものにすることも叶わなかったに違いありません。

思い出していくうちに、たまらなくなって「神保町シアター」のホームページからその企画を検索して確認したくなりました。
ありました、ありました。

「◆戦後70年特別企画 1945-1946年の映画」、これですね。具体的には、1945年8月15日から1946年末までの間に封切られた映画、とあります。

なるほど、なるほど。

上映作品は、以下の通りです。

1.『歌へ!太陽』 昭和20年 白黒 監督:阿部豊 出演:榎本健一、轟夕起子、灰田勝彦、川田義雄、竹久千惠子
2.『グランドショウ1946年』 昭和21年 白黒 監督:マキノ正博 出演:高峰三枝子、森川信、水ノ江瀧子、杉狂児、三浦光子
3.『そよかぜ』 昭和20年 白黒 監督:佐々木康 出演:並木路子、上原謙、佐野周二、齋藤達雄、若水絹子
4.『はたちの青春』 昭和21年 白黒 監督:佐々木康 出演:河村黎吉、幾野道子、大坂志郎、高橋豊子、坂本武
5.『わが恋せし乙女』 昭和21年 白黒 監督:木下惠介 出演:原保美、井川邦子、増田順二、東山千栄子、勝見庸太郎 *16mm上映
6.『伊豆の娘たち』 昭和20年 白黒 監督:五所平之助 出演:三浦光子、佐分利信、河村黎吉、桑野通子、四元百々生、飯田蝶子、笠智衆
7.『お光の縁談』 昭和21年 白黒 監督:池田忠雄、中村登 出演:水戸光子、佐野周二、河村黎吉、坂本武、久慈行子
8.『大曾根家の朝』 昭和21年 白黒 監督:木下惠介 出演:杉村春子、三浦光子、小沢栄太郎、賀原夏子、長尾敏之助 *16mm上映
9.『国定忠治』 昭和21年 白黒 監督:松田定次 出演:阪東妻三郎、羅門光三郎、尾上菊太郎、飯塚敏子、香川良介
10.『狐の呉れた赤ん坊』 昭和20年 白黒 監督:丸根賛太郎 出演:阪東妻三郎、阿部九州男、橘公子、羅門光三郎、寺島貢、谷譲二
11.『東京五人男』 昭和20年 白黒 監督:齊藤寅次郎 出演:古川緑波、横山エンタツ、花菱アチャコ、石田一松、柳家權太樓
12.『へうたんから出た駒』 昭和21年 白黒 監督:千葉泰樹 出演:見明凡太郎、潮万太郎、岩田芳枝、浦辺粂子、逢初夢子
13.『或る夜の殿様』 昭和21年 白黒 監督:衣笠貞之助 出演:長谷川一夫、山田五十鈴、高峰秀子、飯田蝶子、吉川満子、志村喬、大河内傳次郎
14.『歌麿をめぐる五人の女』 昭和21年 白黒 監督:溝口健二 出演:坂東簑助、坂東好太郎、髙松錦之助、田中絹代、川崎弘子
15.『浦島太郎の後裔』 昭和21年 白黒 監督:成瀨巳喜男 出演:藤田進、高峰秀子、中村伸郎、山根壽子、管井一郎
16.『人生とんぼ返り』 昭和21年 白黒 監督:今井正 出演:榎本健一、入江たか子、清水将夫、河野糸子、江見渉

◆巨匠たちが描いた戦争の傷跡
終戦間もない時期に公開された巨匠たちの戦争の傷跡を色濃く映し出した作品
17.『長屋紳士録』 昭和22年 白黒 監督:小津安二郎 出演:飯田蝶子、青木放屁、河村黎吉、吉川満子、坂本武、笠智衆、殿山泰司
18.『風の中の牝鶏』 昭和23年 白黒 監督:小津安二郎 出演:田中絹代、佐野周二、村田知英子、笠智衆、坂本武
19.『夜の女たち』 昭和23年 白黒 監督:溝口健二 出演:田中絹代、高杉早苗、角田富江、浦辺粂子、毛利菊江
20.『蜂の巣の子供たち』 昭和23年 白黒 監督:清水宏 出演:島村俊作、夏木雅子、久保田晋一郎、岩本豊、三原弘之

そして、解説には、こうあります。
《戦争で焼失した映画館は全国で500館を数え、一方、空襲を免れ残った映画館は、終戦の日から一週間だけ休館し、営業を再開したといいます。その後、焼け跡にはバラックの映画館まで出現し、マッカーサーが日本に降り立ったまさに1945年8月30日同日、終戦後初の封切作品『伊豆の娘たち』(1945.08.30 松竹大船 五所平之助)『花婿太閤記』(1945.08.30 大映京都 丸根賛太郎)の二本が公開されたのです。
終戦直後、映画会社や映画館の人々の情熱によって届けられた映画は、戦災の中で生き抜こうとする人々の希望の光になったと、信じてやみません。今回は、日本が復興に向けて歩み出した1945年8月15日から翌年末までにGHQの厳しい検閲を通過し公開された、知られざる映画たちを回顧します。》

解説を読んでいくうちに、「伊豆の娘たち」の長女・静子(映画の中では「静江」ですが)の揺れる娘心を健気で繊細に演じた三浦光子の演技(清潔感と妖艶さが矛盾なくひとつのものであること)に衝撃を受けたことを鮮明に思い出しました。

脇を固める役者もこれまた実に素晴らしく、河村黎吉や桑野通子や東野英治郎や飯田蝶子らが、畳みかけるように生き生きと掛け合いを演じていくシーンは、まるで心地よい映画の波動にいつまでも身を委ねていられるような快感さえ感じられました。

いろいろな解説書のいたるところで、かならずといっていいほど「戦時中にもかかわらず」という文言を見かけますが、そんな思い込みが無意味に思われるほど、この映画には独自の映画的な固有のリズムがあって、「戦時色」などという末梢的な粗さがしなど排除してしまう力強さと気高ささえ感じることができました。

(1945松竹大船撮影所)演出・五所平之助、脚本・池田忠雄、武井韶平、撮影・生方敏夫、西川享
配役・河村黎吉(杉山文吉)、三浦光子(長女・静子)、四元百々生(次女・たみ子)、桑野通子(叔母・きん)、佐分利信(宮内清)、東野英治郎(村上徳次郎)、飯田蝶子(しげ)、笠智衆(織田部長)、忍節子(夫人)、柴田トシ子(娘雪子)、坂本武(宗徳寺の和尚)、出雲八重子(おたけ婆さん)、
1945.08.30 紅系 8巻 2,018m 74分 白黒



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by sentence2307 | 2018-01-28 09:54 | 五所平之助 | Comments(0)
年末のBSで、朝から黒澤明の主要作品を一挙放送していました。

まず最初に放映された作品が、「七人の侍」。

どっこいしょとばかりテレビの前に陣取った当初は、すべての作品を見るつもりの意気込みだったのですが、実際に「七人の侍」を見はじめたとき、こんなふうにこれからさき何作も立て続けに重厚な黒澤作品を見ることができるのかと、なんだか自信がなくなってきました、というか、むしろ疑問が湧いてきたというべきかもしれません。

それは、まず、実際問題として、黒澤明の重厚な作品群を、集中力を途切らさずに何時間も見る気力が自分にあろうとは思えないことと、そんなふうにしてまで見ることにどのような意味も価値もあるのかと疑問に思えてきたからだと思います。

結局は、「七人の侍」だけを見て、案の定集中力を使い果たし、相当に疲れ、そのあと終日、この超弩級の名作の余韻に浸りながら過ごしました、他の作品を見逃したことの後悔などいささかもなく、むしろやり過ごした方が良かったくらいだと、心地よい疲労感に満たされながら、その残念な見逃しを自分自身納得さえしたのでした。

もっとも、黒澤作品は放映されるたびに几帳面に録画しているので、同じ作品のストックなら何本もあります、とくに記録とかはしてはいませんが。

黒澤作品に限らず、未見の作品となれば、(すぐに見るかどうかはともかく)極力録画する方針なので、空きスペースを無駄に遊ばせておかず、即有効活用することを心がけていますので、厳格な空きスペース管理は欠かせません(まるでこれじゃあアパートの空き部屋を必死で埋めるために管理に苦慮する不動産屋状態です)、緻密なタイムテーブルを作成し、それを俯瞰・駆使しながら秒数きざみまでカウントして的確にかぶせ録画しているのですが、黒澤作品だけは例外として消去せずに(また、できるわがありませんが)永久欠番状態にしています。

つまり、最初から消去するつもりなど全然ないのですから、当然管理とかも必要なく、黒澤作品は録りっぱなしの野放し状態の溜まる一方、ですので、これといった「記録」もしていないというわけです。

この治外法権的な監督作品といえば、ほかに小津作品、溝口作品、成瀬作品があり、こんな感じなので、将来のいつの日にか、自分の録画ストックはすべて、黒澤作品と小津作品と溝口作品と成瀬作品とに(他の作品を凌駕して)入れ替わってしまうかもしれません。

「七人の侍」を見た後に「晩春」を見て、さて、次は「東京物語」でも見るかと探したとき、たまたま手にしたのが「浮雲」で、高峰秀子いいよなゼッテエ~、などと呟きながら、両の手には次に見る「宗方姉妹」と「雨月物語」を握りしめ、足先で手繰り寄せたのは別に録画した「七人の侍」で、おっと、確かこれはさっき見たぞなどと呟いては退け、さらに「めし」と「生きる」を足先でモゾモゾと探し当てては確保し、さらに「用心棒」も小脇に抱え、そのとき一緒に手繰り寄せた1本の作品名を確認しなかったことを思いだして、いったいこれはなんじゃらほいと見直せば、なんと「にごりえ」じゃないですかと驚き、思わず「お~い、今井正もストックしとかなきゃダメじゃないか」と誰もいない部屋で架空の相手を叱りつけ、すぐに「はいはい」などと自分で答えてあやまり、すごすごと「永久欠番棚」(あんのか、そんなもの)にあわてて今井作品コーナーをこさえたりなんかするという、これってなんとも幸せな映画オタクの白昼夢の極地であって、自分の周囲にはすべてこれ「七人の侍」で埋め尽くされ、ひとりその恍惚郷にどっぷりと浸り込み、思わずクックックと湧き上がる哄笑を必死に抑えながら肩を震わせたりしています、あぶねぇ~。

冗談はさておき(冗談にするな、この野郎)、今回「七人の侍」を見て、感じたことを書いておこうと思います。

野武士に刈り入れ時期をねらわれ、そのたびに収穫したコメと村の女を強奪されて、これでは、もはや生きていくことなどとてもできないと悲嘆して困窮したとき、村の長老が、自衛のために食い詰めた侍を雇うこと、つまり、野武士と戦うことを提案します。

いままで野武士にされるがままになって耐え忍ぶだけだった無力な百姓にとって、野武士に刃向かうというのは、それだけでも価値観を根底からひっくり返すほどのとんでもないアイデアだったはずで、さらに、その手立てとして「侍を雇う」というのですから、それはもう驚天動地の(そんなことができるのかという)秘策中の秘策だったと思います。

しかし、この「食うだけは保証する」という最低限の条件は、もしかすると百姓たちを苦しめている野武士たちと同じような低劣悪逆な武士をさらに呼び寄せかねない恐れとリスクを伴うと同時に(妙齢の娘を持つ万造の不安は、まさにこの点にありました)、逆に、出世や功名とも無縁なこの死闘に命を懸ける条件が、とんでもなく素朴で無欲だからこそ、それに呼応するような清浄で無垢な侍たちをも引き寄せることができたことにつながり、この卓越したシチュエーションにはいつもながら感心させられます。考え抜かれた実に見事なシナリオです。

百姓が侍を雇って野武士を撃退するなど、本当にできるのかと疑心暗鬼の思いを抱く百姓たちは、それでも恐る恐る街にでて侍探しをはじめますが、もとより、戦いの報償が、ただの「食うだけは保証する」というだけなので、それだけでは当然、思うように侍を集めることができず、落胆した利吉・万造・茂助たちは、そろそろ村へ帰ろうと悲観にくれます。

そして、それから七人の侍がひとりひとり選ばれていくという前半のサムライ・リクルートの場面に続いていくのですが、中盤の戦いに備えて武士や百姓が村の防備に奔走する緻密な描写や、後半の野武士たちとの激烈な死闘場面(最初、タカをくくっていた野武士たちが、堅牢な防備と意表を突く逆襲に驚愕して次第に必死なっていく捨て身の死闘のダイナミズムも含めて)に比べても、なんら引けを取らない、ダイナミックで丹念な描写で、実に堂々としていて、観る者を惹きつけずにはおきません。

勘兵衛と勝四郎が出会い、保留的な伏線として菊千代が絡んで、やがて五郎兵衛、七郎次、平八、久蔵と侍はそろいます。

この7人のうち勘兵衛をのぞいて(すでに観客は、五郎兵衛が勘兵衛に表明した敬意の言葉「わしは、どちらかというと、おぬしの人柄に惹かれてついて参るのでな」を共有しているので、当然「勘兵衛をのぞいて」となります)、そのもっとも印象的な出会いは、以前にも書いたことがあるのですが、自分的には、七郎次との出会いということになります。

そのシーンをちょっと再現してみますね。

勘兵衛のはずんだ大きな声。
勘兵衛「ハハハ、いいところで会った。いや、有難い」
勘兵衛と物売り姿の男(七郎次)が入ってくる。
勘兵衛「フム、貴様、生きとったのか。わしはもう、てっきりこの世には居らんと思っとったが」
七郎次、静かに笑っている。
勘兵衛「ところで、貴様、あれからどうした?」
七郎次「はア、堀の中で水草をかぶっておりました。それから夜になって・・・」
勘兵衛「フムフム」
七郎次「二の丸が焼け落ちて、頭の上に崩れてきたときには、もうこれまでだと思いましたが・・・」
勘兵衛「フム、そのとき、どんな気持ちだった?」
七郎次「別に・・・」
勘兵衛「もう合戦はいやか?」
七郎次、静かに笑っている。
勘兵衛「実はな、金にも出世にもならぬ難しい戦があるのだが、ついて来るか?」
七郎次「はア」
勘兵衛「今度こそ死ぬかもしれんぞ」
七郎次、静かに笑っている。

この会話のなかで、勘兵衛は七郎次に、「死ぬことは恐ろしくないか」と問いかけたうえで、この百姓の苦衷を救う無償の戦いに誘っています。

そして、「今度こそ死ぬかもしれんぞ」とダメを押す勘兵衛の言葉にも、七郎次は「静かな笑い」で返しています。

むかしから自分は、このときの七郎次の笑みが、どういう種類の「笑み」なのか気になって仕方ありませんでした。

聞きようによっては、随分と意地悪い勘兵衛の遠回しの誘導尋問にあがらいながらの(身分制度の位置付けられた制約の中からの)精一杯の七郎次の自己主張と見ていた時期もありました、いまから思えば随分と穿ちすぎな考えですが。

例えば、夜陰に乗じて種子島を奪ってきた久蔵に対して、勝四郎が「あなたは、素晴らしい人です。わたしは、前から、それを言いたかったんです」という言葉に、久蔵が顔をやや歪めてみせるあの笑みと二分するような傑出したシーンです。

そのときの久蔵の笑みが、「苦笑→自嘲」の範囲の中にあるものだったとしたら、「今度こそ死ぬかもしれんぞ」と問われて返した七郎次の笑みは、あきらかに

「死ぬこと」など、なにものでもないと一笑に付すサムライの豪胆さだったのだと納得しました。

まさに、これが「命も要らず名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」だったのだなあと、大河ドラマ「西郷どん」が始まろうかというこの年頭、七郎次の「笑み」というのが「あれだったんだな」と、つくづく感じ入った次第です。

しかし、その私欲を絶った高潔な豪胆さこそが、最後には、久蔵に死をもたらし、西郷隆盛をも死へと追いつめた元凶だったのだとしたら、七郎次をあの激烈な死闘から生還させたものが、ただの偶然だったのか、もう少し考えてみる必要があるのかもしれません。



《スタッフ》
製作・本木壮二郎、脚本・黒澤明・橋本忍・小国英雄、撮影・中井朝一、同助手・斎藤孝雄、照明・森茂、同助手・金子光男、美術・松山崇、同助手・村木与四郎、音楽・早坂文雄、同協力・佐藤勝、録音・矢野口文雄、同助手・上原正直、助監督・堀川弘道(チーフ)・清水勝弥、田実泰良、金子敏、廣澤栄、音響効果・三縄一郎、記録・野上照代、編集・岩下広一、スチール・副田正男、製作担当・根津博、製作係・島田武治、経理・浜田祐示、美術監督・前田青邨・江崎孝坪、小道具・浜村幸一、衣装・山口美江子(京都衣装)、粧髪・山田順次郎、結髪・中条みどり、演技事務・中根敏雄、剣術指導・杉野嘉男、流鏑馬指導・金子家教・遠藤茂、

《キャスト》
三船敏郎(菊千代)、志村喬(勘兵衛)、稲葉義男(五郎兵衛)、千秋実(平八)、加東大介(七郎次)、宮口精二(久蔵)、木村功(勝四郎)、津島恵子(志乃)、高堂国典(儀作)、藤原釜足(万造)、土屋嘉男(利吉)、左ト全(与平)、小杉義男(茂平)、島崎雪子(利吉の女房)、榊田敬二(伍作)、東野英治郎(盗人)、多々良純(人足A)、堺左千夫(人足B)、渡辺篤(饅頭売り)、上山草人(琵琶法師)、清水元(町を歩く浪人)、山形勲(町を歩く浪人)、仲代達矢(町を歩く浪人)、千葉一郎(僧侶)、牧壮吉(果し合いの浪人)、杉寛(茶店の親爺)、本間文子(百姓女)、小川虎之助(豪農家の祖父)、千石規子(豪農家の嫁)、熊谷二良(儀作の息子)、登山晴子(儀作の息子の嫁)、高木新平(野武士の頭目)、大友伸(野武士の小頭・副頭目)、上田吉二郎(野武士の斥侯)、谷晃(野武士の斥侯)、高原駿雄(野武士・鉄砲を奪われる)、大村千吉(逃亡する野武士)、成田孝(逃亡する野武士)、大久保正信(野武士)、伊藤実(野武士)、坂本晴哉(野武士)、桜井巨郎(野武士)、渋谷英男(野武士)、鴨田清(野武士)、西條 悦郎(野武士)、川越一平(百姓)、鈴川二郎(百姓)、夏木順平(百姓)、神山恭一(百姓)、鈴木治夫(百姓)、天野五郎(百姓)、吉頂寺晃(百姓)、岩本弘司(百姓)、小野松枝(百姓女)、一万慈多鶴恵(百姓女)、大城政子(百姓女)、小沢経子(百姓女)、須山操(百姓女)、高原とり子(百姓女)、上岡野路子(百姓の娘)、中野俊子(百姓の娘)、東静子(百姓の娘)、森啓子(百姓の娘)、河辺美智子(百姓の娘)、戸川夕子(百姓の娘)、北野八代子(百姓の娘)、その他、劇団若草、劇団こけし座、日本綜合芸術社、



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by sentence2307 | 2018-01-20 16:14 | 黒澤明 | Comments(0)

Strange Fruit meets Citizen Kane

昨年、近親者を亡くしたので、今年の正月三が日は、「賀」ではなく「喪」としてすごしました、華やいだことは一切せず、また、誰にも会うこともなく、静かに家に閉じこもっていた三が日でした。

その間、もちろん小説も映画も見ていません。

でも「喪」に服すというのは随分退屈なもので、貧乏性の自分には、その「無為」に耐えられず、結局、年末に会社から持ち帰ってきた仕事を取り出して、気が向けば退屈まぎれに少しずつやりました。

近親者を亡くしたのは、これが初めてではありませんし、その時のショックが過ぎれば、時間の経過とともに、その人の思い出や、共有にした生々しい記憶なども少しずつ薄まって、やがてすべてが心地よい清浄な思い出に着実に薄らぐということを、経験のうえから十分に承知しているので、日々を静かにやり過ごし、なにもかも自然な時間の流れに委ねて「待っている」という感じです。

そんななかで、ときおり思うことは、生前の彼と、なんでもっと突っ込んだ話をしておかなかったのかという悔いが、ふっとよぎることがありました。

しかし、同時に、その思いが無意味なものにすぎないという気もしています。

共に過ごしたあの日々に、話そうと思えばその機会も、そしてその時間も、それこそ十分にあったわけで、事実多くのことを話し合いました。

自分ではそれが「突っ込んだ話」だと思ってきたものが、亡き人には、そうではなかったという意味合いのことを、残された言葉の中にみつけて以来、前述した「悔い」に捉われるようになり、相手の思いと自分の思いとの隔たりに愕然とし、その落差について考えるようになりました。

お互いにもっと打ち解けたかったという「孤独な言葉」を残していった彼と、十分に語りつくしたと感じていた自分とのあいだにある「落差」です。

この過去の今は亡き彼から突き付けられた突然の「弱々しい抗議」に戸惑いながらも、時が経つにつれて、だんだん分かってきたことがあります。

もし、あのとき、自分としてはそうは思っていなかったにしても、彼の方が絶えず「突っ込んだ話」ができないという悔いを抱いていたとしたなら、それは「できなかった」のではなくて「しなかった」からではないかと。

いつの場合でも、自分としては心を開いて「突っ込んだ話」をしてきたつもりです、だから彼だってそうしているに違いないと思っていて当然だった自分に対して、「突っ込んだ話」ができなかったと彼が思っていたなら、そこまでが話すことのできた彼自身の限界点だったからではなかったかと。

あのとき、そしてたぶんいつの時でも、少なくともお互いが話しあえる十分な状態にはあったのですから。

そして、あえてお互いの「限界」のさらにその先まで強引に踏み込めなかったことを自分が「悔いている」のだとしたら、それこそ見当違いな「悔い」なのではないかと思えてきたのです。

君がどうしても話せなかったことは、たぶん、そこまで他人に話すべきことではないことを、まさに君自身が知っていたからだと思います。自分の中にとどめておいて静かに耐えるべきもの、またそれ以外には、どうにもできなかったもののひとつだったからではないかと。

それは当時だって、いつの場合でも、自分には「彼の孤独」を理解はできても、到底背負いきれるものではありませんし、誰もがそうであるように、「自分の孤独」は自分で引き受けて背負うしかない、そしてそれは今だってなにひとつ変わってはいない。そう思い至りました。

こんな訳の分からない考えを堂々巡りさせながら、暮れに会社から持ち帰った単純作業を終日パソコンでせっせと処理していました。
仕事というのは、3年毎に刊行されている名簿が今年の年末にまた予定されているので、その準備としてデータ収集と整理をする単純作業です。

国家試験に合格した人たちが、研修所を卒業して各役所に任官していく人、あるいは事務所に就職していく人を一覧にした名簿で、わが社の予算の目標達成には欠かせない、売り上げもそれなりに約束されているという、とても重要な刊行物です。

しかし、まあ、やることといえば、あちこちのwebから切り取ってきた事項を、こちらに貼り付けて50音順に整えるという、およそ生産的とはいえない作業ですが、しかし、この作業がすべてのデータ基盤作成には欠かせないパーツとなるので、あだや疎かにはできません、時間のある時に少しでも着実に進めておかなければなりません。

新卒業生が千数百人、それに過去の卒業者を加えると数万人という規模の名簿ですので、一週間もかかれば、することがなくなるなどという懸念は少しもありません、その気の遠くなるような量の記事を、端から「区間指定して切り取ってきて、こっちに貼り付ける」というとんでもない単純作業を限りなく繰り返していくので頭がどうにかなってしまいそうで、静謐・無音の状況下ではとても耐えられるものではなく、せめて耳だけでも「単調さ」から神経を逸らして麻痺させるために、手持ちのCDやyou tubeなど、あらゆる分野の音楽を総動員してバックに流し続け、単純作業に耐え、乗り越えていくということになるのですが、当初、しばらくは、去年wowowで録音した「安室奈美恵25周年沖縄コンサート」に嵌まっていました。

テンポはいいし活気もある、そしてなによりも、自分の知っている「安室奈美恵」からは想像もできないくらい、このコンサートの安室奈美恵は完璧に成熟していて、実に驚きました、心の底からこの稀有な才能の引退が惜しまれますよね、ここでかつて歌われた多くの歌も、このコンサートの方がよほど円熟しており進化のあとがありありとうかがわれ実に感心しました。

しかし、安室奈美恵ばかり聴いているわけにもいきませんので、you tubeも物色します、たまたまそこには少し前に聞いていたノラ・ジョーンズがアップされています。

それほど好きというわけではないのですが、ジャズっぽいスローなテンポの曲の方が単純作業のバックにはぴたりと合うというだけの理由で、しばらく流してみたのですが、どうも調子がでません、ジャズ・ヴォーカルをチョイスするつもりでノラ・ジョーンズを選んだのが、そもそもの誤りでした。

濁りのない線の細いノラ・ジョーンズの澄んだ声や歌い方の「普通さ」に物足りなさを感じてしまうのは、そもそもの当初、ジャズっぽいものを聞きたいという思いから大きく外れていたからだと気が付きました。

もっとジャズっぽいものを聴きたいという思いで聞き始めたのがシナトラ、それからトニー・ベネットにエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ヘレン・メリル、そしてジュリー・ロンドンの「Cry Me a River」を聞くに及んで、耳の中に沈殿していたものが突如共振するかのように動き出し、むかしの思い出が一気に呼び覚まされました。

学生時代、ジュリー・ロンドンの「Cry Me a River」に感動し、必死になってマスターしようとした最初のジャズ・ナンバーです、結局、貧弱な声帯しか持ち合わせていない自分などには到底およばない情感豊かな声量で間を保つことができず、どうやってもうまく歌えませんでした。

しかし、この総毛立つような感じこそ、自分にとっての「ジャズ」だったんだなと、はじめて気が付きました。

そうそう、だんだん思い出してきました。

当時、ヘレン・メリルの歌い方に惹かれ、彼女の歌を夢中になってしばらく聞き込んでいたのですが、あるとき、それがビリー・ホリディの歌い方のコピーだと知らされて、それからというものビリー・ホリディだけを聞き始める切っ掛けになり、すっかり虜になってしまいました。

発売されている限りのレコードを買い集め、自伝「LADY SINGS THE BLUES」も読みました。

そんなとき、ダイアナ・ロス主演の映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」が封切られ、たまらない違和感を覚えたことを思い出しました。

いまから思えば、それは破天荒に生きた歌手ビリー・ホリディのブームかなにかだったのか、それとも、ビリー・ホリディの壮絶な生きざまが、その「破天荒さ」のゆえに、ニューシネマの題材にぴったりと合っていて、思いつきみたいに映画化されただけだったのか、当時の事情がどうだったか、どうしても思い出せませんが、この映画が、「俺たちに明日はない」と同じ発想から企画されたものなら随分だなと憤ったことだけは記憶にあります。

あれが「ブーム」として長く続いたという印象がないのも、そのあたりにあるのかもしれません。
それは、映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」に対する印象にも通じるものがあって、ビリー・ホリディとはまったく異質のタイプ、都会的に洗練されたダイアナ・ロスをレディ・デイとして、どうすれば感情移入できるのか、白ける気持ちが先に来て、どうしても馴染めませんでした。

ダイアナ・ロスの演技が、アカデミー賞にノミネートされたということも聞きましたが、自分としては最後まで、「いじめられっぱなしの被害者・ビリー・ホリディ」の描き方には、どうしても賛同することができませんでした。

生涯にわたって彼女をさんざんに弄び食い物にした詐欺師たち(そう描かれています)は、ただの与太者や犯罪者というよりも、彼らもまたビリー・ホリディと同じように社会から拒まれ弾き出された社会的不適用者・弱い人間にすぎず、しかも彼女もまた、彼らの「そういう弱いところ」(彼らこそ自分と同じ地獄を生きてきた同類として)を心の底から深く理解して愛していた側面を描き込まない限り、何度も裏切られ、薬物の泥沼に限りなく溺れ込んでいくビリー・ホリディの修羅を到底理解することはできません。

「Cry Me a River」を聞きいていたそのとき、はっと気がつきました、もしかしたら自分は、ビリー・ホリディの「Strange Fruit」に出会うために、まるでなにかを探すようにして、いままでこうして多くの楽曲を片っ端から聞いていたのではないのか、と。

You tubeで繰り返し「Strange Fruit」を聞きながら、「奇妙な果実」の歌詞をネット検索してみました。


Strange Fruit

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.

Pastoral scene of the gallant south,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolias, sweet and fresh,
Then the sudden smell of burning flesh.

Here is fruit for the crows to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.


奇妙な果実

南部の木は、奇妙な実を付ける
葉は血を流れ、根には血が滴る
黒い体は南部の風に揺れる
奇妙な果実がポプラの木々に垂れている

勇敢な南部(the gallant south)ののどかな風景、
膨らんだ眼と歪んだ口、
マグノリア(モクレン)の香りは甘くて新鮮
すると、突然に肉の焼ける臭い

カラスに啄ばまれる果実がここにある
雨に曝され、風に煽られ
日差しに腐り、木々に落ちる
奇妙で惨めな作物がここにある。


そうなのか、歌詞に目を通していくうちに、なんだか無性に「ビリー・ホリディ自伝」が読みたくなりました、思い立って本棚から「LADY SINGS THE BLUES ビリー・ホリディ自伝」が収載されている「世界ノンフィクション全集40」を取り出して読み始めました。

実に何十年ぶりかでこの自伝を読んでいて、自分の記憶には全然なかった部分を発見し愕然としました。

なんと、ビリー・ホリディがオーソン・ウェルズと出会う場面があり、文脈からするとお互いに好意をもっていたらしいのです、全然記憶にありません、意外でした。

ちょっと長くなりますが、その部分を少し引用してみますね。

《そのクラブの、もう一つの素敵な夜は、オーソン・ウェルズと会った晩だった。オーソンは、私と同じようにハリウッドに来たばかりだった。私は彼が好きになったし、彼も私とジャズが好きになった。二人は一緒にいろいろな所に出かけることにした。

その晩仕事を終えると、二人はロスアンゼルスのニグロ地区、セントラルアヴェニューに向かった。私はすべてのクラブや淫売宿を案内した。私はそういう所で育ったのだが、カリフォルニアでも目新しいことはなかった。みな私が楽屋裏から知っていることばかりで、私には面白くもなかったが、彼はそれを好んだ。

彼にとっては、すべてのもの、すべての人が興味の対象なのだ。彼は、何についても、だれが、どのようにして動かしているかを知りたがった。彼が偉大な芸術家であるのは、こういう点にあると思う。

当時オーソンは、脚色・監督・主演の、処女作映画「市民ケイン」に没頭していた。踊っている最中でも、頭では翌朝六時のスタジオのことを考えているようだった。「市民ケイン」は傑作だった。私は試写で9回も見た。彼は傑出した演技を見せた。私はシーンとコスチュームの一つ一つを頭の中に焼き付けている。

何回か彼に付き合っているうちに、私がオーソンの出世の妨げになっているという怪電話を何回か受けた。噂では、スタジオが私をマークし、もし彼から離れない以上、私は永久に映画の仕事はできないだろうとのことだった。ホテルの帳場にも、事を起こそうとしている奴らからの怪電話がしばしばかかってきた。以来、多くの脅迫がオーソンに付きまとったが、彼は平気だった。彼は素敵な男だ。おそらく私が会ったなかの最高だろう。非常に才能のある男だが、それ以上に素晴らしい人間である。

今でも決して良くなってはいないが、当時の人々は、白人の男が黒人の女と一緒にいるのをひどく嫌がった。あるいは、マリアン・アンダーソンと彼女のマネージャーかもしれないし、ストリップ・ダンサーとそのヒモかもしれない。二人の組み合わせが、まったく不似合いなものであっても、小児病患者は、いつも卑しい一つのことに結び付けるのだった。もしかすると二人はそんな関係かもしれないし、そうでないかもしれない。ところがそれは、どっちでも同じことだった。二人が寝床から出てきたところか、これから寝に行くのでなければ、なにも二人でいる理由も必要もないと信じているのだから。

私たち黒人は、いつもこのような絶えざる圧力をかけられている。それに対して戦うことはできても、勝つことはできないのだ。
私がこのような圧力をかけられていなかったときが一度だけある。それはまだ少女のころ、娼婦として白人の客をとっていた時だ。
誰も何とも言わなかった。金ですることなら、何でも許されているのだ。》

結局この恋は実らず破綻したのかもしれないし、そもそも、「恋」そのものが存在していたのかどうかも、いまとなっては調べる手立てもありませんが、しかし少なくとも、Strange Fruit meets Citizen Kaneはあったのだと思うと、それだけでもなんだか嬉しい気持ちになってきました。




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by sentence2307 | 2018-01-13 21:26 | Comments(0)